掲示板 「無名庵」過去ログ その二
No.51〜100(1999/11/24〜12/27)

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[100] 相原相胤について 投稿者:千葉ちゃん 投稿日:99/12/27(Mon) 21:17
くらのすけさん、こんにちは。
コシャマインとの戦いのころの大館館にいた相原相胤という人物について知りたいのですが、何かご存知でしょうか??

[99] Re[97]: 蠣崎氏の家臣について 投稿者:くらのすけ 投稿日:99/12/27(Mon) 19:12
KUBO様、はじめまして。色々と御指摘、ありがとうございました。
北海道へは簡単に行けるところに住んでおりませんので、地元の方の原史料を用いた
御指摘はありがたいです。

また、蠣崎氏は一番初めに作成したものですので、かなりアラが目立つとおもいます。
(しかしそれよりもはじめに松前が「東北地方」に入っていることを怒られると思ったのですが…。来年早々に少し模様替えをする予定ですので、そのときまでお待ちくださいませ。)

なお、蠣崎氏の項を作るにあたって、また、今回の御指摘に対する回答について、だいだい海保嶺夫「松前藩家臣団の成立」(『松前藩と松前』9、1976 のち藤野保編『論集幕藩体制史 第六巻 「藩体制の形成T」』 1993)
を参考にしています。(『松前藩と松前』については記述していませんでした。北海道の図書館にならあると思いますのでご覧になってみてください。)

>(1)@蠣崎季広の娘が下国重季の妻となっていますが、これは母のまちがいじゃないでしょうか? 松前氏・下国氏両家の系図を見ても季広の娘は師季の妻となっています。

●海保氏の論文では「九女と十女をそれぞれ下国重季と直季に嫁がせた」とあるのですが、 『松前町史』では「師季と直季に配し・・・」となっていますね。これに関しては、
原史料にあたっていないので分かりません。KUBO様は系図をご覧になったという事で
おそらくそちらが正しいかと。

> (1)A下国由季は重季の弟直季の子で養子となりましたが早逝したので、
由季の子・慶季が重季の跡を継いでいます。また下国由季の没年ですが、
「松前下国大系図」では、文禄三年(1594)となっています。

●早速訂正しておきました。ありがとうございます。
他の下国氏の没年などは分かりませんか?分かりましたら御教授いただければ幸いです

>(4)上ノ国の城代だったのは南條広継では?

●海保論文に「南条守継」と記述してあるのですが…諸書で記述が一致しないのでしょうか?

>(5)近藤季常はコシャマインの戦い(15C)の頃の人物ですので、
「慶長頃、若狭より松前へ移住」というのは変です。『松前町史』に
よると松前に渡ったのは嘉吉元年(1441)だそうです。

●再び海保論文からですが、「藩政期に入ってから作成された同家の家譜には、
慶広以前に蛎崎氏との関係を示す事柄は一言も記されてはいない」とあります。
(「慶長頃、若狭より松前へ移住」の記述は全面的に海保論文に拠っています。)
家譜の全部が全部、信用できないものではないとしても、これについては明らかに疑問です。ですから、季常を「移住した当時の当主」と理解して作成しました。

>(6)@厚谷は「厚屋」と書かれることもあったようですから、「あつや」と読むと思います。
それから重政と季政は別人です。厚谷家の初代が重政(コシャマインの戦いの頃の比石館主)で、季政は四代目です。

●読み方について、ありがとうございます。河野氏のときも正しい読み方を教えていただいたりしました。地元の方でないと分からない事もありますから、助かります。
さて、海保論文によれば季政は「重政」ともあり、初代と別人であるとの注記もあります。
ですから季政と重政の両方を記しました。これも諸書で名前が一致しないのでしょうか?

>(6)A季貞は季政の子で厚谷家の五代目になります。
また厚谷家が家老の家柄とありますが、家老になれたのは藩主一族である蠣崎・松前氏、
及び旧主筋である下国氏だけで、これらは寄合席に属していました。
厚谷家は寄合席の次ぎに位置する弓之間席の家格だったようです。

●まず、季貞について、初めて分かりました。ありがとうございます。
さて、御指摘の点についてですが、『厚谷家録』によれば、天正十八年に「寄合席」とされて
「奥用人兼家老職」を命ぜられたとあるそうです。これが怪しいとしても、大坂浪人の斉藤直政は、松前公広が松前につれてきて家老職を務めたとあり、公式記録にも「執政」とあるという事です(海保論文)。このことから一応「家老の家柄」の原型は江戸時代初期から形作られたとしても、藩政初期には流動的だったのではないでしょうか。
ちなみに、大名の家格も固定したのは江戸中期以降とされています。

蛎崎家臣団について記述している本はほとんどが家譜を参考にせざるを得ない状況なのだと思われます。書状などの史料も残っていませんでしょうし。しかし、このともすれば「自分の家の都合のいいことだけ」を記述する「家譜」というものに振り回されすぎているようにも思えます。(きつい言い方ですが。)

海保氏は論文のはじめに、「(北海道の近世以前に関して研究が進まないのは)当該時期の史料が、信憑性に多大の疑問をもたれる後代の編纂物や系譜類にほぼ限定せられるため」であると述べていて、しかしそれでは何時までたっても北海道の歴史が「わからない」で終わってしまう為に、「古文書学的には史料としての信頼度が低いとみなされる系譜類を敢えて分析の中心にすえ(中略)その中から何かしら一つの方向性が見い出しえぬかと考え」ということで書いたと述べています。

ですから「家譜」について真っ向から批判することもよくないし、鵜呑みにして信じてしまうのもこれまたよくない事だと思います。ですから適度な「史料批判」というものをやっていかないといけないと思うのです。
その点で私はこれを作成するにあたって海保氏の論文を主に使いました。
(海保氏論文にしても、色々な資料とつき合わせていくと矛盾点が出てくるかもしれませんが、私はこれしか見られなかったもので。)

長くなりましたが、御理解いただけたでしょうか?こちらも色々と勉強になり、ありがたいです。
早速列伝の方は直しておきました。
新たに分かった点や疑問点などがありましたら、是非お知らせください。
これからもよろしくお願いいたします。

ではでは。

[98] たぶん 投稿者:肥後もっこす(仮) 投稿日:99/12/27(Mon) 14:58
>くらのすけさん
間違いは無いと思います。<相良氏
というか、わたしの知識では正誤が分からないという話もありますが(^^;

サイト立ち上げました。しかしすでに更新が止まってます(^^;
木下吉隆との錯誤ですか? それだと関ヶ原のときでも吉隆になってるのが説明できませんね(^^;
木下吉隆は豊臣秀次事件に連座して自害してますから(^^;
リンクはOKですよ。
http://www.geocities.com/Tokyo/Teahouse/7083/
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Bingo/5941/
後者の方が掲示板も付いてて便利です(^^;

>女川十郎五郎胤永さん
手元の本から柚木崎丹後守のことが載ってる部分を打ち込みました。
http://www.geocities.com/Tokyo/Teahouse/7083/yukisaki.html

あ、御側日記に画像がぼやけると書いてありますが、系図がぼやけるのはJPEGにしているからです。
BMPから変換して作っているのであれば、JPEGでなくGIFで保存しましょう。
モノクロで保存すればファイルサイズも小さくなって良ろしいかと。

[97] 蠣崎氏の家臣について 投稿者:KUBO 投稿日:99/12/27(Mon) 03:29
くらのすけさん、はじめまして。

 北海道在住のKUBOと申します。「歴史りんく」でこちらをみつけて来ました。
どうぞよろしくお願いします。
 「無名武将列伝」は大変な労作ですね、お疲れさまです。早速、我が蝦夷地の「蠣崎氏」の分を見せていただきましたが、一部、疑問に思うところがありました。というのも、私は系図を調べるのが好きなものですから、数年前に道立図書館や市立函館図書館に行って蠣崎氏やその家臣の系図等を調べたことがありまして、その時の資料と食い違いがあったからです。
 以下に列記してみます。

(1)蠣崎季広の娘が下国重季の妻となっていますが、これは母のまちがいじゃないでしょうか?松前氏・下国氏両家の系図を見ても季広の娘は師季の妻となっています。
 下国由季は重季の弟直季の子で養子となりましたが早逝したので、由季の子・慶季が重季の跡を継いでいます。また下国由季の没年ですが、「松前下国大系図」では、文禄三年(1594)となっています。
(4)上ノ国の城代だったのは南條広継では?
(5)近藤季常はコシャマインの戦い(15C)の頃の人物ですので、「慶長頃、若狭より松前へ移住」というのは変です。『松前町史』によると松前に渡ったのは嘉吉元年(1441)だそうです。
(6)厚谷は「厚屋」と書かれることもあったようですから、「あつや」と読むと思います。それから重政と季政は別人です厚谷家の初代が重政(コシャマインの戦いの頃の比石館主)で、季政は四代目です。季貞は季政の子で厚谷家の五代目になります。
  また厚谷家が家老の家柄とありますが、家老になれたのは藩主一族である蠣崎・松前氏、及び旧主筋である下国氏だけで、これらは寄合席に属していました。厚谷家は寄合席の次ぎに位置する弓之間席の家格だったようです。

 蠣崎氏の家臣団については私もまだよく分からないところがあるのですが、取りあえず知っている範囲でコメントさせていただきました。
 これからも時々のぞかせていただきますね。それでは。

【今回の参考文献】
 『松前町史』『松前下国氏大系図 他三部』『厚谷家禄』
  (すべて道立図書館の北方資料室にあります)

[96] みなさん本当にありがとうございます。 投稿者:味舌政宗 投稿日:99/12/26(Sun) 21:56
>くらのすけさま、☆彡天神様、女川様

こんばんは。味舌でございます。早速お教え頂き有難うございました。こういったことは地元の史料に限りますね。実際私は愛知県
に住んでいて地元の史料に触れるのは難しいかも知れません。
伊達氏や南部氏のことを調べる内に葛西氏に付いて興味を持つに
至りました。かなり奥の深そうな戦国大名だと思いました。
あと、更に質問ですが仙台市の泉パークのところに図書館があると
思いますがそこにも葛西氏や大崎氏に関連する史料や宮城県の市史
のような郷土史料はあるのでしょうか。私自身仙台近辺の大衡村の
工場へ出張する機会が多いので一度立ち寄ってみたいのですが
☆彡天神様あたりは古川のご出身とのことでお詳しいのではないで
しょうか。もしよろしければ教えてくださいまし。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~masita/clubindex.htm


[95] 追加。 投稿者:女川十郎五郎胤永 投稿日:99/12/26(Sun) 21:18
言い忘れました。『石巻の歴史』も
推薦します。
では。失礼しました。

[94] 再び葛西炸裂。 投稿者:女川十郎五郎胤永 投稿日:99/12/26(Sun) 21:15
葛西家の家臣ですが、私の名も一応葛西晴信の
家臣なんですけど、「葛西盛衰記」や「葛西真記録」
等一連の葛西記はどうも信用できないのであります。
それで、☆彡天神様のおっしゃるとおり、「葛西家臣団辞典」
でお調べになられた方が無難だと思います。でも、
実はその内容が葛西記から引っ張ってきたものだと
したら・・・。
味舌政宗様のお話では、どうも葛西晴信の家臣について
御知りになりたいようですね。その場合は『陸前高田市史』
や『気仙沼市史』等で晴信の家臣の反乱の記事があります。
それと、葛西・大崎一揆では『葛西・大崎一揆関係文献』とい
う耕風社の本があるので参考にして頂けると幸いです。
私は今、大崎義隆について調べてまして、「馬打ち」とは
何なのか分からなくて・・・。
ご存知の方いらっしゃいましたら教えて下さいませ。
では。

[93] 葛西氏も弱小だけど・・・ 投稿者:M子@マイナー嗜好 投稿日:99/12/26(Sun) 02:57
千葉氏も弱小ですね。
名家なのにッ!
戦国時代にも優秀な家臣(上杉謙信を追い返したッ!)
もいるのにさ。
確かに、北条綱成とか、氏邦・氏照よりは無名だけど。

PS 上総の武田家とか、土岐、酒井なんかのマイナーさも
   お気に入りです。
何所かに関東の豪族とか、弱小大名のサイトは無いですかねぇ。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~m-kichi/index.htm


[92] Re[91]: Re[90]: 奥州葛西氏について 投稿者:☆彡天神 投稿日:99/12/26(Sun) 02:04
> 天神様、女川様、お分かりになりますでしょうか。

(・。・; ドキ!!葛西氏ですか…
たしかに「 新人物往来社の戦国人名事典コンパクト版」に
載ってる武将はほとんどが一揆の時の武将です。
こういう類の辞典はほとんどが中央と関係した時点での事柄を
書くことが多いですし、まして葛西氏は残念ながら滅亡して
しまった勢力なので仕方ないことですが…

 葛西氏については有名大名連中のように研究が進んでいない
のですがその辺の小勢力なところよりは進んでいると思います。
なんといっても「吾妻鏡」などにも葛西氏の当主は出てきますし
伊達氏関連の本にも必ず出てくる勢力です。
仙台藩関連の記事などが載ってる「仙台叢書」の中にも
「葛西盛衰記」なる読み物が入ってます。
でもこれが正しいかな?って思えるものは私は見つけておりません
簡単に知りたいなら「葛西家臣団辞典」なるものもありますよ。
あとここのリンク集の中の「千葉氏の一族」それもお薦めです。
葛西氏の家臣はほとんどが平姓千葉氏ですから。
ん〜ん、、、あとは女川殿にお任せしますA^_^;)

[91] Re[90]: 奥州葛西氏について 投稿者:くらのすけ 投稿日:99/12/26(Sun) 00:01
> くらのすけさま、こんばんは。味舌でございます。
こんばんは。

> 新人物往来社の戦国人名事典コンパクト版を見ていると、たくさん
> の葛西氏の家臣や同盟していた土豪の名前が散見されました。
> 数は数えなかったんですが100人ぐらいは載っていたようです。
> 質問というのは葛西氏については結構研究が進んでいるのでしょ
> うか。
どうなんでしょう。そんなに研究は進んでいるとはいえないと思いますが…
しかし、『葛西氏の研究』なんて本も最近出てますしね。(でも戦国時代の
奥州探題葛西氏についてまでは取り上げられていないです)
味舌様の御指摘どおり、奥州一揆関係の人名なんではないでしょうか?
もしくは、記録類に残っているとか。

私もあまり、詳しくはないので、もっと詳しい方がいらっしゃればいいのですが…
天神様、女川様、お分かりになりますでしょうか。

>女川様
「柚木崎丹後守」確かにいたような。でもあんまり詳しい事は書いていなかったので
分かりません。すいません。

[90] 奥州葛西氏について 投稿者:味舌政宗 投稿日:99/12/24(Fri) 22:21
くらのすけさま、こんばんは。味舌でございます。
ひとつ、判らないことがありますゆえご教授ねがいたく。
新人物往来社の戦国人名事典コンパクト版を見ていると、たくさん
の葛西氏の家臣や同盟していた土豪の名前が散見されました。
数は数えなかったんですが100人ぐらいは載っていたようです。
質問というのは葛西氏については結構研究が進んでいるのでしょ
うか。実際私が葛西氏家臣でしっているのは柏山明吉、浜田広綱
折居明久、など割と有名(?)なところのみです。記事を見てみる
とほとんどが2〜4行程度の説明文がある程度で実態がわかりにく
いようです。ひょっとすると奥州一揆で活躍していたので掲載す
うが多いのかとも思っております。葛西氏のファンの方でも結構
です。お教え下さい。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~masita/clubindex.htm


[89] 伊東つながりってことで・・・。 投稿者:女川十郎五郎胤永 投稿日:99/12/24(Fri) 01:44
日向伊東義祐の家臣に柚木崎丹後守っていう
人物いませんでしたっけ?
ご存知の方いらっしゃいましたら、情報お待ち
しています。宜しく。
では。

[88] 肥後もっこす(仮)様へ 投稿者:くらのすけ 投稿日:99/12/24(Fri) 00:04
肥後もっこす(仮)様、

相良氏を改訂いたしました。ちょっと怪しげです。
間違いがあったら御指摘お願いします。

ところで、最近気づいたのですが、サイトを立ち上げられたのですね。
おめでとうございます。リンクよろしいですか?
ところで大谷吉継話ですが、
「木下吉隆」というのがいたと思うんですが、大谷吉隆と書かれるのは
この人と間違っている事はありませんか?

あ、皆様へ。ちょっと更新が滞るかもしれません。
ではでは。

[87] 出典は分かりませんが 投稿者:肥後もっこす(仮) 投稿日:99/12/21(Tue) 17:21
吉永正春『九州戦国合戦記』(海鳥社,1994年)の木崎原合戦の項に、

>元亀三年五月三日の夜、伊東加賀守祐安、同新次郎、同又次郎らが率いる三千余の伊東軍は、

という一文があるんですよ。
たぶん「木崎原御合戦記伝」という史料に載ってると思うのですが、
わたしには調べようが無いのでお手上げです(^^;

[86] そうでしたか〜。 投稿者:くらのすけ 投稿日:99/12/21(Tue) 00:09

>肥後もっこす(仮)様
「覚頭合戦敗北の事」とかいてあるので分かりませんでしたが、
元亀三年(1572)なので、多分そうだとおもいます。ありがとうございます。

「信長」にも出てきますが、まったくこちらの記録には出てこないので
「なんじゃ?こいつは?コーエーの怠慢か?」(^_^;) などと
ディスプレイに向かって毒づいていたのですが、私だけが知らなかったようですね。

ところで、加賀守=祐安というのは、どのような記録でわかるのですか?
よろしければ御教授ください。(なにせ今回は『日向記』のみで作ったもので…
島津側の記録も見れば良かったかな)

話は全く変わりますが、「葵」、13回も関ヶ原合戦をやるんですね。
1回で終わるものと思っていたのでそれ以降は視聴率が激減すると
思っていたのですが、なかなか侮れなそうですね。

ではでは。

[85] 伊東加賀守 投稿者:肥後もっこす(仮) 投稿日:99/12/20(Mon) 21:44
伊東皈雲の紹介文中にある伊東加賀守とは木崎原合戦で討死した人でしょうか?
それだったら義祐の弟、加賀守祐安のことかと。
烈風伝PUKで追加された武将の一人ですね。
他の加賀守な人のことだったらごめんなさい。

[84] 大野直之 投稿者:よこぴい 投稿日:99/12/20(Mon) 19:59
ご無沙汰しておりました。
こちらのHPにはよく来てはいたのですが、カキコは久しぶり!
突然ですが、伊予の大野直之について何かご存知な事ないですか?
直之は大野直昌の弟にあたります。
私のHPの掲示板でも情報募集はしてるんですけど・・・。
もしなにかありましたら、私の掲示板にいらっしゃってみて下さいな。

http://ww1.enjoy.ne.jp/~k.yokota/


[83] 一字名 投稿者:くらのすけ 投稿日:99/12/18(Sat) 00:13
くらのすけです。こんばんは。

>天神様
戸籍は文書館とかで公開していますが、最近は閲覧できないようです。
(たとえ子孫であっても。)
ま、今は自分の興味ある分野の歴史で精一杯です。

また、女川様の書き込みにもありますが、毛利家臣の渡辺氏も
一字名ですね。源融系なんだろうか…
あと、書き忘れましたが松浦隆信の曽祖父も始めは一字名だったのが
大内氏の庇護をうけて、「弘定」(弘は大内政弘の弘)と改称したそうです。
隆信も「大内義隆」の一字でしょうし、子供の鎮信は「大友義鎮」の
一字でしょう。戦国時代は家のしきたりより、存続のほうがよっぽど
大事だったことがこんなことからも窺えそうです。

>女川様
「鬼死骸」、すごい名ですね。通称でしょうか。
弁丸様のところにも「篤農家」という武将が土居清良の
家臣にいた、とありましたけど、これらは本当に人物なんですかね?
誰か「戦国時代の変な名前の人々」とか作らないでしょうか。

さて、来年から大河ドラマが再び戦国に戻ります。いろいろなところを見ると、
すごく期待されているように思いますが、皆さんはどうですか?
私は、密かに第1回の関ヶ原が終わったら視聴率が激減するとみているのですが。
(あと徳川家康が津川雅彦なので政宗役で渡辺謙がでるとかでないとか、
本当なのかウソなのか、そんな話が出てますけどどうなんでしょう?)

ではでは。

[82] 一文字の諱といえば・・・。 投稿者:女川十郎五郎胤永 投稿日:99/12/17(Fri) 23:35
確か毛利元就の家臣に、渡辺通(わたなべ とおる)という
人物がいたような、いないような・・・。
一文字の諱は、九州の松浦党あたりの人々だけ
ではなくて、中国地方にもいたと思います。でも、
なんか馴染めないですね。

変な姓といえば、葛西家臣に「鬼死骸」という物凄く恐い
姓があります。強そう。
では。

[81] ほんとうれしいっす♪ 投稿者:天神 投稿日:99/12/16(Thu) 00:54
くらのすけ殿、
いつも私のたわいも無いカキコに返信ありがとうございます。
やっぱり地元の歴史を調べはじめると自分の先祖が誰か知りたく
なっちゃうものですね〜。
ちょっと手間はかかりますけど明治初期までだったら手違いさえ
なければ戸籍で辿って行くとほとんどの人がご先祖わかると
思いますよ。(戸籍ちゃんと移動してる人ならねA^_^;)

松浦氏読みました♪(今更、遅いか…)
名前が一文字なんですね〜!!戦国時代の武将で一文字の人って
少ないですよね〜他には渡辺勘兵衛了くらいしか知らないけど
松浦氏も一文字家系だったなんてびっくりw(゚o゚)w
またひとつおりこうさんになったかな(笑)

これからも期待しております♪ (^-^)ノまたね〜♪

[80] 本探しあれこれ。 投稿者:畠山義綱 投稿日:99/12/16(Thu) 00:40
どうも、こんばんわ。畠山義綱です。
>ところで、本を検索していて、
>自分の所の図書館にないのに、他のところにあったりすると
>少し悲しくなりません?
と有りますが、前回あげたサイト。これにもちょっとしたからくりがあるんです。(http://webcat.nacsis.ac.jp/)
からくりと言うのは、ここに載っていない大学にも探している本があることがあるんです。というのは、このサイトに登録するのは義務ではありません。ですから、ここのサイトに自分の大学が出ていなくても、所蔵している確率は有ります。ですから、御自分の大学の図書館で一度は検索することをお勧めしますです。
 ちなみに、私の大学は史学系ではないので、歴史の本は無い事が多いので、もはや自分の図書館に無いと「ああ。またか。」ですみます(苦笑)。時々、「どうしてこんな本がうち(我が大学)に。」という本もありますが・・・。

[79] お武家様〜。 投稿者:くらのすけ 投稿日:99/12/15(Wed) 23:39
くらのすけです。こんばんは。

>女川様
わざわざお出かけになったのですか。すごいですね。
仙台は市の博物館も外の県立博物館並ですからね。
文教面にたくさんお金をかけているのでしょう。うらやましい。
将来は宮城県に住むかなぁ…
ちなみに、新潟県立図書館も近年できて、すばらしいです。
文書館も併設されてます。便利です。

>義綱公
いつもフォロー、恐れ入ります。
ところで、本を検索していて、
自分の所の図書館にないのに、他のところにあったりすると
少し悲しくなりません?

>斎藤外記様
ご無沙汰しております。おげんきでしたか。
さっそく斎藤様のサイトを覗かせていただきました。
リンクのフォント集は助かりました。さっそくダウンロードしようかなと
思っております。

また、「関東管領上杉氏」のサイトは、どうでしょうね。
(いちおう謙信も関東管領ですのであるといえばあるといえるでしょうけど。)
見た事がないですね。だれか、御存じの方いらっしゃいますか?

>天神様
お武家様でいらっしゃいましたか。お墓で江戸中期まで遡れると
いうのは本物ですね。いや〜すごい。自分のルーツが少なくとも
江戸、はたまた戦国まで遡れる、ということはとてつもないロマンを感じますね。
自分の家はどうやらそのような家ではないので、そういうのに憧れて
歴史の道に入った、という一面もあるように思いますので。

しかし、よこぴいさんの所では河野氏の末裔の方がいらっしゃったり、
インターネットって、すごいものです。

ではでは。


[78] そうなんです♪ 投稿者:☆彡天神 投稿日:99/12/15(Wed) 02:12
(*^-^*)ノばんわー♪
くらのすけ様、おっしゃる通り古川市に住んでまーす♪
ここにわたしのご先祖が住み始めてかれこれ300年近くに
なるんです。だから自分の家のお墓にいけばすぐ江戸中期までは
わかるんですよ。じゃあ、その前はどこに住んでいたのか…
実はこれも簡単にわかるんです。自分の家のすぐ後ろの家がうちの
本家なんです。そこをたどって行けばおのずとわかるはず…
でもまだ辿ってないです。A^_^;アセアセ…
伊達家の下級家臣の中にわたしと同じ苗字の家が3軒ほどあるので
(実は4軒あって一軒は上級家臣の準一家で所在がはっきりしているので違うと思う…)
それにつながるのかなと密かな期待を寄せてますA^_^;アセアセ
伊達氏の前はその一族はどこに所属してたかというと
その伊達藩の知行地を記した本の中に元三春の田村旧臣と書いて
あり苗字と同じ地名も郡山市にあるんのでそこかな?と
またまた期待してます。
戦国期にも今わかってるだけで三人ほど実在していたようなので
そこに関連があると勝手に睨んでます。
これでなんも関連がなかったらがっかりするんだろうな…(笑)
あ!ちなみに私の苗字は「天神」ではありませんので(笑)
2000年になる時に私の先祖が誰だったのかわかったら
うれしいな o(^o^)o ワクワク♪

[77] お久しぶりです。 投稿者:斉藤外記 投稿日:99/12/14(Tue) 23:16
どうも。
最近女の子になりました。<プッ

突然で失礼なのですが,勝手にリンクを貼らせていただきました。
(かなりアヤシイサイトです。)
それと、関東管領の上杉氏が詳しく解説されてるサイトを
御存知無いですか?
実家が深谷に古くから有る家なのでチョット気になったんで。

それでは。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~m-kichi/index.htm


[76] ここは本を探すのに便利! 投稿者:畠山義綱 投稿日:99/12/13(Mon) 13:59
下記のHPはどの大学図書館に本があるのかを探す物ですが、
いかんせんマイナーな物でも出てくるので、本の検索に便利
です。葛西氏の本もここで探しました。
http://webcat.nacsis.ac.jp/

[75] 図書館。 投稿者:女川十郎五郎胤永 投稿日:99/12/13(Mon) 01:32
たびたび恐縮です。女川です。
私は大崎・葛西が「好き」ですが、
宮城県とは縁もゆかりもありません。
それで資料探しに古川市と仙台に
行ってきました。名生館にも行きました。
古川市立図書館は館自体は大きくない
ですが、二階にある郷土の歴史に関する
文献のある部屋は、大崎・葛西関係の本が
たくさんありました。羨ましい限りです。
一日ずっといても飽きない。いいなあ。
それと泉パ−クタウン近くにある宮城県図書館
の建物は物凄く立派で驚きました。東京にも
あんな図書館はありません。
では。

[74] すいません…m(__)m 投稿者:くらのすけ 投稿日:99/12/12(Sun) 23:34
>肥後もっこす(仮)様、
ありがとうございました。早速訂正いたしました。

>☆彡天神様
やはり天神様でしたか。でも別にお気になさらずに。
これからはどちらでもお使いください。
天神様は古川市にお住まいなんですか。
結構大きい図書館なのですか?話の内容からすると、
郷土史関係の書籍が多くそろっているようなので、羨ましいかぎりです。
しかも、地元はマイナーなその土地の研究雑誌もありそうですね。

また、天神様の家はすごいですね。江戸中期まで遡れるというのは
これまた羨ましいです。武家だったのでしょうか?

こちらで葛西氏がもりあがっているなかで、「〜列伝」のほうは九州を
マイペースでやっておりますのでギャップが激しいのですが、
あと1つか2つ九州をやってから徐々に東上していくつもりなので
(でも葛西氏とか大崎氏は詳しい方々がいらっしゃるのでどうしましょ?)
ごゆっくりとお待ちいただければと思います。

ではでは。

[73] シテキ 投稿者:肥後もっこす(仮) 投稿日:99/12/12(Sun) 21:03
「Making of 無名武将列伝」松浦氏のリンク先が
「無名武将列伝」松浦氏になってますよ(^^;
URLは推測できたので読むことは出来ましたが(^^;

[72] ありがとうございます 投稿者:神保越中守 投稿日:99/12/12(Sun) 00:17
新装なった我がHPにさっそくの書き込み、おそれいります。
成政の通称は内蔵助だけに、今後とも、よろしくお願いします。
くらのすけ殿。
PS成政ページ作成に際し、くらのすけ殿のリンク集にあるHPから
素材を取らせて頂きました。くらのすけ殿のページと一部かぶっちゃってるんですけど、よろしいでしょうか?

http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Vega/4541/index.html


[71] ('-'*)キャーキャー 投稿者:☆彡天神 投稿日:99/12/11(Sat) 20:03
くらのすけ様申し訳ありませんです。
おっしゃるとおり(有)天神工務店と私は同一でございます。
以後、きおつけます・・・m(_ _)m ペコッ

葛西氏ネタ続いてますね〜♪地元の滅んだ名家が話題になるのは
ちょこっとうれしいものです o(^o^)o
皆さんのカキコ見てると図書館を結構活用してるみたいなので
高校以来久しぶりに地元の古川市図書館に行ってきました!
いや〜行って見てよかったっす。
宮城、福島、岩手県の市町村史や伊達治家録、留守旧記、葛西氏、
大崎氏関連の資料が結構あるんですね〜
ついでに自分の家系譜まで調べはじめちゃいましたA^_^;アセアセ・・・
現在、江戸中期まで確認できたので是非、戦国時代まで
たどり着きた〜〜い♪(*^-^*)


[70] 葛西氏盛り。 投稿者:女川十郎五郎胤永 投稿日:99/12/11(Sat) 01:01
マイナ−な大名葛西氏の話題がこれ程
迄に皆さんに取り上げて頂いて嬉しい
限りです。
さて、葛西関係の文献ですが義綱様の
おっしゃっている辞典のことです。書名
を間違えました(侘)。
>(有)天神工務店様
そのとおりです。偽文書盛りだくさん。
何を信じていいのやら。「葛西盛衰記」
をはじめ「奥州葛西記」や「葛西真記録」等
も内容が怪しいです。困ったなあ。
> くらのすけ様
『石巻の歴史』ですが、私も未だ詳しく
見てないのですが、葛西の通史に関しては
分量も豊富で一番でしょう。その他『陸前高田
市史』も使えると思います。

私は今、葛西・大崎両氏の滅亡と所領回復運動について
調べてます。しかし史料が乏しくほとほと困ってます。
なので『伊達治家記録』が頼みの綱でして、それをベ−ス
にしてます。『治家』には田村宗顕が政宗によって
所領を奪われた模様が書かれてます。宗顕の恨みが伝わっ
てくるようです(恐)。
では。

[69] 葛西氏 投稿者:くらのすけ 投稿日:99/12/10(Fri) 23:44
くらのすけです。うちの掲示板らしく(笑)葛西氏の話題が続いていますね。

>女川様
JR石巻線の女川の辺りの領主ということですよね?
どうも大都市はわかるのですが小都市の地理感覚が曖昧なもので、
あのへん一帯が葛西氏の領国だったわけですね?
なにか伊達氏のような気がしてしょうがないのですが。

>義綱公
やっぱり本職(ん?本職ではないですね)ということで、
お詳しいですね。ちなみにうちの図書館にはありませんでした。

>(有)天神工務店様
え〜と、はじめまして、でしょうか?
以前の☆彡天神様ですか?

やはり、当時の発給文書のみでは家臣団の解明は難しいのでしょうか?
偽文書が多いのはこまりものですね。ま、しかしそういう辻褄が
合わないところを探っていくのも楽しいものでして。

あと、作ろうと思っている大名家の論文などのリストアップをしたのですが
『石巻の歴史』6・8が通史的に葛西氏を記述しているとのことですが、
ご覧になった方いらっしゃいます?

わたしは手近では見られないようなので『伊達治家記録』をつかおうかと
おもっています。ほかに二階堂や二本松畠山など、あのへんの伊達氏に
翻弄された領主がほとんど記述されてますので。しかもうちは上層家臣の
追求なのでそれほど小身の家臣は必要ないので。

ではこのへんで。

[68] 葛西氏ね〜・・・ 投稿者:(有)天神工務店 投稿日:99/12/10(Fri) 01:36
葛西氏の資料は偽文書が多くて困ります。
(けして家臣団辞典のこと指していってるのではありませんので
 あしからず^^)
これも滅んだ勢力のサガなのですかね〜
後世に残された読み物も創作が多いようで・・・
よくよく読むとつじつまが合わなくなっちゃう。
女川様も惑わされないようにきおつけてくださいね〜
わたしはどれが本当のこと言ってるのか
わからなくなっちゃいそうです(笑)

[67] 葛西のこの本を知っていますか? 投稿者:畠山義綱 投稿日:99/12/10(Fri) 00:05
こんばんわ。畠山義綱です。こんな本を知っていますか?
これは、また流通(絶版ではない)している本です。
『戦国大名葛西氏家臣団事典』紫桃正隆著、宝文堂、1990年
葛西氏関係年表などもついてるようです。
ISBN: 4832300296(別タイトル: 葛西氏家臣団事典)
知っていたらごめんなさい。

[66] こんばんは。 投稿者:女川十郎五郎胤永 投稿日:99/12/09(Thu) 03:52
くらのすけ様、皆様こんばんは。
奥州女川城主の女川(おながわ)十郎五郎といいます。
女川胤永は奥州寺池城主の葛西左京大夫晴信公の
家臣とされています。本姓は千葉です。
でも実在かどうかはさだかでありません。ですので
葛西家家臣についてはあまりはっきりしたものは
無いのですが、確か「葛西家家臣団辞典」という本を
都内の図書館で見つけましたので推薦します。
卒論でこれからそれを卒論で使うかもしれません。
では、また。

[65] ようこそいらっしゃいました。 投稿者:くらのすけ 投稿日:99/12/08(Wed) 00:06
女川様、ようこそいらっしゃいました。
葛西氏の家臣団についてのいい本などはありませんか。

ところで、「女川十郎五郎胤永」という武将はどの大名家の家臣団ですか?
普通考えれば伊達家だと思いますが…

では、これからもよろしくお願いいたします。m(__)m

[64] はじめまして。 投稿者:女川十郎五郎胤永 投稿日:99/12/05(Sun) 02:39
はじめまして。女川十郎五郎胤永といいます。
私も武将を調べることを趣味としています。
今、奥州葛西氏について調べてます。
では、また。

63] ありがとうございます。 投稿者:くらのすけ 投稿日:99/12/04(Sat) 00:17
くらのすけです。
味舌様が知らせてくださいましたが、昨日、2000hitを達成しました。
2000年より一足先でした。皆様、ありがとうございます。

>無名の将軍様
はじめまして。ようこそいらっしゃいました。
蠣崎氏は私も密かに誇っています。
これからもよろしくお願いいたします。

>よこぴい様
「河野」の読みの件はよこぴい様の掲示板に書かせていただきましたが
「来島氏」の件についてはそのとおりです。

>味舌様
どんどんHPの質に差がついてきているようでお恥ずかしい限りです。
もっともっと「無名武将列伝」充実させて追いつけるようにしたいです。

[62] 2000hitを踏みました。 投稿者:味舌政宗 投稿日:99/12/02(Thu) 21:49
くらのすけさま。2000HIT達成おめでとうございます。
無名武将列伝も随分大名が増えましたね。来てみたら私が
記念HITを踏んでました。これからも無名武将列伝を
楽しみにしております。かんばって下さい。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~masita/clubindex.htm


[61] お久しぶり。 投稿者:よこぴい 投稿日:99/12/02(Thu) 21:23
久しぶりに来てみると、ますます増えているようですね。<無名武将列伝
河野氏も増えていて嬉しいかぎりです。
?のところは全部合ってますよ。
河野通軌なんか出てきてて驚きでした(名字はコウノでは?)。
あと来島氏がいないのは、何か意味があるのですか?唯一有名な人物だからとか!?(笑)

http://ww1.enjoy.ne.jp/~k.yokota/


[60] おぉ!蛎崎!!! 投稿者:無名の将軍 投稿日:99/12/01(Wed) 03:44
六角さんが新しいんですね?
それは、まずと自己紹介!!よろしく!!
その名の通り、無名です・・・。修行の身。
んっと、蛎崎さんには感動しました!だって、身近に資料がないしね(YY)
だけど、助かりました。こういうHPがあると無名の武将とか良くわかってね!それじゃあ、さようなら!また、来ます!

[59] Re: 六角氏!←ごめんなさい。m(__)m 投稿者:くらのすけ 投稿日:99/11/30(Tue) 00:22
こんばんは。くらのすけです。ひさしぶりに無名武将列伝を更新できました。
で、更新した直後に、義綱公の

>六角の特集ですか!
を見てしまった(笑)のですが、六角氏は滅びてしまったとはいえ、
有名な大名で、資料も多かったので『〜家臣団事典』からの
受け売りがほとんどです。あまり目新しい事はないでしょう。すいません。

>六角義賢の娘で畠山義綱の室となった人物の名前って分かりませんか?
『〜系譜人名事典』では書いていないですね。

江戸時代には(先生からの受け売りですが…)「宗門人別改帳」(懐かしい響きの
方もいらっしゃるのでは?)に未婚女性の名前はかかれますけど、結婚すると
たとえば「太郎右衛門妻」とか「太郎右衛門後家」と記されて、名前が消えてしまう
のだそうです。当然戦国時代にも女性は名前はあったでしょうが、公的な記録も
ない時代ですし、よっぽど几帳面に家譜を作ったところでないと、女性の名前と
言うのは分からないのではないでしょうかね?
(六角義賢の娘の名前はわかるかもしれませんけれど。気が付いたら調べておきます。
なんか分かりそうな気がしますよ。)

>弁丸様
『Maiking〜』、お褒めいただき光栄です。

>技法というか、「迫り方」が目に浮かぶようで、
このように書かれて、浮かれてしまいました。(^_^;)
あまり誉めすぎないで下さいね。

ではでは。

[58] 六角氏! 投稿者:畠山義綱 投稿日:99/11/29(Mon) 18:40
どうも、こんばんわ。畠山義綱です。六角の特集ですか!
六角氏というと能登畠山との婚姻が思い浮かびますが(そ
れを思い浮かべるのは私くらいですね(笑))六角義賢の
娘で畠山義綱の室となった人物の名前って分かりませんか?
う〜ん知りたい。名前が分かっていないならそれでもよい
のですが、自分が知らないだけでは能登畠山氏研究者とし
て恥ずかしいので・・・。よろしかったらご教授ください。
ではでは。

[57] 楽しみにしています♪ 投稿者:弁丸 投稿日:99/11/28(Sun) 00:08
こんばんは〜♪ 弁丸です。
いろいろとお世話になっております。(^−^)/
とても充実した掲示板になっていますね♪
お屋敷のいつもながら素晴らしい内容に感服しております。
更新、頑張ってくださいね♪
(私もようやく更新モードに入ってきました^^;)

みなさんも書いておられますように、
『Making of〜』はいいですね〜。
お屋敷の一番の「肝」のような気さえします。
くらのすけさんの技法というか、「迫り方」が目に浮かぶようで、
及ばずながらも見習いたいものと、常々感じています。
これからもどうぞよろしくお願いいたします♪

http://www.geocities.co.jp/Playtown-Dice/8180/


[56] 味舌様、肥後様、お久しぶりです。 投稿者:くらのすけ 投稿日:99/11/27(Sat) 23:27
くらのすけです。

>味舌様
ご無沙汰しています。そちらの掲示板に書き込みしなくてすいません。
なんか賑わっているので割り込みにくく…。
ご指摘の通り、旧国名では「丹波国」に行ってきました。
たしか味舌様は大阪だと思いましたけど、京都まで通っていたのですか?
大変そうですね。
ところで、「Club戦国大名」、怒涛の勢いで人数が増えていますね。
あと1週間くらいで追い抜かれるかな?

>肥後もっこす(仮)様
こちらもご無沙汰しています。わざわざありがとうございました。
最近ちらと見た資料に「深水右馬介頼金 後三河守長智入道宗芳」
とあるのをみて、「深水右馬介頼金(が) 後(に)三河守長智入道宗芳
(と改名した)」と勘違いし、近いうち詳しく調べねば…と思っていましたが
全く違いましたね。(^_^;)
そのまま何もしなくて良いので一安心です。

最近更新しなくてすいません。もうそろそろ出来ると思います。
復帰第一号は六角か、大村か、宗像か、このどれかになると思います。

ではでは。


[55] 深水頼金 投稿者:肥後もっこす(仮) 投稿日:99/11/27(Sat) 16:54
という訳で、懲りずに相良ネタです(^^;

深水頼金と深水頼方は史料を見る限り、明らかに別人です。
『南藤蔓綿録』を見ると、相良忠房時代の奉行として
深水右馬助頼金
同三河入道宗芳
犬童美作入道休矣
の名前を挙げています。
深水三河入道宗芳は深水頼方のことですから、頼金=頼方は成り立ちませんね。
また、相良義陽時代の球磨三奉行として
東弾正長兄
丸目兵庫頼美
深水右馬介頼金 後三河守長智入道宗芳
を挙げています。
後三河守長智入道宗芳というのは、頼金の後に頼方が奉行職に就いたということですね。
以上のことから2人は別人だと考えてよいでしょう。

あと、2人の関係については全く分かりませんでした(^^;

[54] お帰りなさい 投稿者:味舌政宗 投稿日:99/11/26(Fri) 23:19
今晩は味舌です。おかえりなさい。
最近あまりそちらへ遊びに行けませんでしたが
いかがでしたでしょか。京都へご旅行されていたのですね。
洛中でないとすれば丹波路方面へ行かれたのですか。
かつて私も京都の学校へ通っておりましたので懐かしい響きですね
無名武将列伝も更新が順調のようですね。特にMaking of
無名武将列伝のコラムを見落としておりましたので読んでみたのですがああ言った、編集後記的なコラムはこぼれ話がいっぱい合って
読んでいてとても楽しくなりました。また遊びに参りますので
よろしくお願い致します。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~masita/clubindex.htm


[53] Re[52]: 戦国・・人名事典 投稿者:くらのすけ 投稿日:99/11/26(Fri) 23:13
> 戦国家臣団事典はたしか神保町の三省堂にありましたよ。
> 戦国大名系譜人名事典は、家臣団事典より新しいので、

平成2年に重版が出版されたみたいですね。
失礼しました。
絶版は「戦国人名事典」ですね。

話しは変わりますが、今回の古文書調査で荒木村重のものといわれる
永禄5年の禁制をみました。(木書かれたもの、結構新しいので先生方は
怪しんでいた。)

ではでは。



[52] 戦国・・人名事典 投稿者:畠山義綱 投稿日:99/11/25(Thu) 01:39
戦国家臣団事典はたしか神保町の三省堂にありましたよ。
戦国大名系譜人名事典は、家臣団事典より新しいので、
あるのではないかと思うのですが・・・。
どうでしょ?

[51] 戻りました。 投稿者:くらのすけ 投稿日:99/11/24(Wed) 23:56
こんばんは。御無沙汰しておりました。
昨日無事に帰り着きました。

まず福井に行き自分の研究のための史料集め。あまり成果なし。
でも博物館の方に親切にしていただきました。

京都は、「洛中」ではなく、京都の隣町へ。ここで参加しているゼミが
行っている村方の史料整理をやりました。やはり原文書に触れる機会は
あまりないので、貴重な経験です。

>きてつ様
お久しぶりです。新武将、作って頂けましたか。うれしい限りです。
あと、「Making of〜」も面白いといっていただけて、うれしいですね。
誰も見ないだろうと思いつつ、更新していたので励みになります。

>義綱公
2日で100人は私も正直驚きました。でも義綱公のところも
それくらいは行ってませんか?義綱公のページで
私のサイトの紹介のところでカウンタが追いつかれそう、と
書いてありましたけど、そんな事ないと思いますよ。
あと、本のフォローありがとうございました。
また、『富樫氏と加賀一向一揆史料』、私も途中で面倒くさくなりました(笑)。

>☆彡天神様
邪魔になんて致しませんよ。どんどん、書き込んでください。
天神様の御指摘どおり、これからしばらくは西日本を中心として
更新していく予定です。それからまた東日本に戻るつもりです。

>「奥州探題大崎一二代史」
こんな本があるのですか。買いたくはないですが、家臣団の
解説のページがあればそれだけ欲しいですね。(^_^;)

ところで、「戦国○○事典シリーズ」、絶版なんではないですか?
少なくとも、「〜人名事典」はないと思いました。神田の古書店街には
あったような気がしましたが・・・。手元に新人物往来社の出版ガイドが
あったはずなのですが、今見つからないので断言できませんが。

では、このへんで失礼を・・・
更新がまだしばらく出来そうもないので、申し訳ないですが、
掲示板の御返事はこれからバリバリしますので、ひとまずこれからも
よろしくお願いします。

ではでは。

  
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