掲示板 「無名庵」過去ログ その十
No.1〜50(2000/8/26〜9/27)

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[50] 簡潔にレス 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/09/27(Wed) 01:40
>味舌さま
>帝間の間と柳の間とか大広間とかのってましたけど柳の間
>ってたしか石高の小さい外様大名、帝間の間は譜代大名の小大名の詰め所でしたよね。
たぶんその通りだと思います。でも結構時代によって動くようです。

>小花作之助さま
細川氏以外に武田氏が考えられるかも知れませんね。しかし当時武田氏がその力を
持っていたかは分からないですが。
朝倉の「吉」は敏景以前にさかのぼればいるかもしれませんね。
あと、若狭武田氏はたしかに「勝」が多いかも知れませんが、選択したのは
意識してないですから、もっと多くの家臣を見てみないと分からないかも知れません。

>義綱公
義綱の永禄三年は非常に申し訳ないのですが、今までの資料をひっくり返しても
見つかりませんでした。おそらく図書館で借りた『上杉景勝のすべて』の人名事典
あたりかと。今度調べてみます。すいません。

また、『鎧をまとう人々」ご覧になったとのこと。いろいろ難しい問題があるものです。
「伝・武田信玄像」というのは、戦前にどの人物はどの絵を基準にするか、というものを
東大史料編纂所で一覧にして決めたらしいのでひっくり返らないのでしょう。

八尾市立博物館の刊行物も入手されたとのこと。結構迅速ですね。発送が。
しかも著者の方が出たとは…

[49] 資料読みました。 投稿者:畠山義綱 投稿日:2000/09/27(Wed) 00:32
どうも、畠山義綱です。
『鎧をまとう人々』読みました。義続の髻の問題は難しい
ですね。ただ、藤本氏も武田信玄ではないということは
はっきりおっしゃっていましたね。なのに「伝・武田信玄像」
とは・・・・。非常に参考になりました。今後とも図書を
推薦していただけると嬉しいです。

それと、八尾市立博物館の刊行書も手に入れました。
紀要は薄いですが、河内畠山関連のものは以外に多いですね。
それに、八尾市立博物館に電話したら、著者の小谷氏が出ま
したし。今度質問してみよっかななどと思っております。

では

[48] 偏諱(つづき) 投稿者:小花作之助 投稿日:2000/09/25(Mon) 17:26
安芸国人の「元」字について
じつは最初に思ったのは、細川氏だったのです。
ただ、安芸守護になったかどうかわからなかったし、武田氏については、若狭も安芸も、元信という当主の末なので、その流れとも考えました。

越前朝倉家臣の「吉」字について
たとえば「吉景」というような当主は居なかったようですし、その割に前波吉継、河合吉統をはじめ、国人層にやたらと「吉」字の者が多かったのです。

若狭武田家臣の「勝」字について
これは、こちらの「無名武将列伝」を見て思い付いただけです。

[47] 官職総覧は・・・ 投稿者:畠山義綱 投稿日:2000/09/25(Mon) 01:09
>くらのすけ様
どうも、畠山義綱です。
畠山義綱の官途受領年代(永禄三年)はどこの出典でしょうか。
「畠山義綱考」という論題で能登畠山氏の研究第一人者の東四柳
氏が受領年代は「永禄4.6〜5.4」だとしているのですが。
それと、他の人の官途(自称)の年代も少しわかったのでここに
書きます。笠松新介某(但馬守)永禄5.3。井上英教<義綱
政権奉行人>(下野守)永禄4.8です。参考になれば幸いです。

それにしても高橋尚子選手は凄かった。また、42kmを楽しく
走りましたという言葉とその笑顔が非常に魅力的でした。何かを
なし得た人は輝いていますね。

[46] 控えの間 投稿者:味舌政宗 投稿日:2000/09/24(Sun) 11:47
>くらのすけさま
そうでしたか。たしか300藩の紹介されているサイトでも
帝間の間と柳の間とか大広間とかのってましたけど柳の間
ってたしか石高の小さい外様大名、帝間の間は譜代大名の小大名
の詰め所でしたよね。
そうかんがえると教科書って内容が薄いものですね。

[45] 大名の家格 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/09/24(Sun) 02:38
>ぴえーるさま

>阿蘇惟光がマイナー扱いか……将星録とInternetに登場してるのに。
>マイナーというのは阿蘇惟前や阿蘇惟賢、阿蘇惟種、阿蘇惟善を指す(笑

ほんとにマイナーですね。で、この人々は一門衆ですか?

>『戦国大名家臣団事典』には「一迫隆真」で載っていますが……。

そうでしたか。一栗某と混同していたのかも知れません。

そういえば、信長の発売日がいつのまにか「今冬予定」に…
ちなみに天下統一は「12月予定」。

>藍住伯耆さま

お疲れさまでした。なにか面白い史料などはありましたか?

>細川氏の偏諱授与の一例ということで。まあ、特殊な例でしょうけど。

家臣などに与えるのは一般的なんですよね?細川氏でも。
しかし同程度(あってますか?)の大名に与える、というのは特殊ですね。

>1万石以上の大名が「城持ち」、それ以下は「陣屋」が教科書通りの
>理解と思いますが

角の『新版 日本史辞典』では「陣屋」に「(前略)また、無城の大名、交替寄合の
屋敷も陣屋という」とありますから、城がなければ「陣屋」で良いのではないのでしょうか。

大名の家格については、近年では色々とありますが、

味舌さまのおっしゃる
>家格づけはまずは御三家−親藩(松平を名乗る家)−譜代−外様というように

教科書ではいまでもそうらしいですが、近世の専攻での家格の区別は「殿席」ですね。
つまり、江戸城内での控えの席、です。越前家や前田とかは御三家と同じ場所
(ただし上下の部屋があり、下の部屋)ですし。親藩と外様でも「大広間」に
一緒にいることもありますので。
そういう区別になっているようですよ。

また、「○○守(自分の国名)」を名乗れる大名が
国主でも上である、ということをこのサイトの官職のコンテンツ作成のとき知りました。
(しかし、どうも怪しい)

>どーなんでしょうか?何か論文等ご存じでしたら御教示くだされ。
私も読まねばと思い、リストアップしつつ読んでいないのですが…
・松平(現上野)秀治「大名家格制についての問題点」『徳川林政史研究所紀要』S48年度
・松尾恵美子「近世大名の類別に関する一考察」『同上』S59年度

あとは分からないです。あまり学部生をいぢめないでくださいね…(^^;)

[44] Re:大名家の家格 投稿者:味舌政宗 投稿日:2000/09/24(Sun) 00:38
> 1万石以上の大名が「城持ち」、それ以下は「陣屋」が教科書通りの
> 理解と思いますが、1万石以上の禄高でも城を持たない大名がいますよね?
> 私の近辺では伊予吉田藩伊達氏3万石、そして豊後森藩久留島氏1万4千石、
> 他は知りませんが・・・
> どーなんでしょうか?何か論文等ご存じでしたら御教示くだされ。
>
かってに横レスをいれます。江戸時代の大名の各付けでは1万石を超える大名
でもいろいろな家格があったようです。webサイトでも300家にわたる
大名家について調査したサイトがありましたし、新人物往来社の書物を探せば
何か出てくるように思います。
家格づけはまずは御三家−親藩(松平を名乗る家)−譜代−外様というように
幕府との親疎でつけて上さらに領有する範囲や城の有無などのも各付けされて
ます。
最下級は陣屋で以後城主格−城主−国主だったかな(近世はくらのすけさんの
専門だから詳細はおまかせしますが)。城がなくても城主格扱いをうけるのも
もいれば、織田氏(天童藩 織田信雄の子孫)では国主扱いのものもいて、
基準が今一つわかりません。ただ、昔の名家など高家の連中は家格は高い扱い
だったと思います。

[43] 1泊2日の豊後出張 投稿者:藍住伯耆 投稿日:2000/09/23(Sat) 22:07
(−。−){ちょっと小休止・・・あ〜、疲れた。}
こんばんは、伊予の住人藍住伯耆でござる。
さっきまで豊後国へ1泊2日の出張でござった。
豊後森藩主久留島氏の調査でした。
伊予河野氏の海賊衆来島村上氏の直系の末裔であります。
ところで、くらのすけ殿にひとつお聞きしたいのですが、
1万石以上の大名が「城持ち」、それ以下は「陣屋」が教科書通りの
理解と思いますが、1万石以上の禄高でも城を持たない大名がいますよね?
私の近辺では伊予吉田藩伊達氏3万石、そして豊後森藩久留島氏1万4千石、
他は知りませんが・・・
どーなんでしょうか?何か論文等ご存じでしたら御教示くだされ。

>細川氏の「元」
これについて、河野氏の例を挙げますと、庶流(予州家)の当主が

 通之−通元−通春

で、細川氏の家督頼之−頼元と対応してますよね。これについては議論の
余地がありますが、伝承では義満によって河野氏と細川氏が和睦し、頼之
が通之と「父子の契り」を結んで諱を受けたとしています。細川氏の偏諱
授与の一例ということで。まあ、特殊な例でしょうけど。

[42] ログインまだ並ばず(田舎だから) 投稿者:ぴえーる 投稿日:2000/09/23(Sat) 08:53
>くらのすけさん
>それよりも「阿蘇家家臣団事典」を制作していただきたいです(^_^;)

資料を読めば読むほど訳が分からなくなるので作りません(^^;)

>マイナー武将が紹介されていまして、阿蘇惟光・一迫隆真・浪岡具永
>大熊朝秀・石亀信房・蒲池鎮漣の六人。

阿蘇惟光がマイナー扱いか……将星録とInternetに登場してるのに。
マイナーというのは阿蘇惟前や阿蘇惟賢、阿蘇惟種、阿蘇惟善を指す(笑

>そして、「一迫隆真」は大崎家家臣とありますが、
>一般的な実名と違いませんか?

『戦国大名家臣団事典』には「一迫隆真」で載っていますが……。

[41] 細川氏かぁ… 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/09/23(Sat) 02:27
今日は気分が良くないまま夜が更けていきますね…

>武藤舜秀さま

>畠山家臣の遊佐氏は河内・能登・陸奥の3国ともに畠山氏を裏切ってますね。
そうみたいですね。畠山氏が重用しすぎたのでしょうか?

>武田氏の通字は「信」なのに家臣に与える諱は「昌」という件ですが,
「信」が嫡子、「昌」がその弟など、という使い分けでは、と
黒田基樹氏は言っているようですよ。

>たきやんさま
ありがとうございます。これからよろしくお願いいたします。

>うちも来月からマイナー武将を少しづつ追加します。
イラストをですか?肖像画が無いと思いますが頑張ってください。

>ぴえーるさま

>畿内だと細川氏。細川*元が何人も。
そうでしたそうでした。その線が強そうですね。

>現在「中村一氏家臣団事典」という終わってるページを作成中(^^;)
これまたマイナーですね。柳生某(失念)と争って、騒動が起きた家ですね。
たしかそのころは横田某(これまた失念)が家老でしたか…
それよりも「阿蘇家家臣団事典」を制作していただきたいです(^_^;)

>あー、近所に『大日本史料』を揃えてる奴いないかなぁ(夢物語(爆
いたらいたで、それはものすごい環境にお住まいだと、私は
思うのですが(笑)。

今日発行の「ログイン」、信長は合戦の事しか記事有りませんでした。
マイナー武将が紹介されていまして、阿蘇惟光・一迫隆真・浪岡具永
大熊朝秀・石亀信房・蒲池鎮漣の六人。
なぜ大熊…?そして、「一迫隆真」は大崎家家臣とありますが、一般的な
実名と違いませんか?知識がないので何ともいえませんが、全く知りません。この人だけ。

[40] 「元」の一字 投稿者:ぴえーる 投稿日:2000/09/21(Thu) 19:08
>くらのすけさん
>あのあたりや京都に「元」の字をもつ有力な人物っていましたっけ?

畿内だと細川氏。細川*元が何人も。
安芸国人との繋がりは見出せませんが……。

現在「中村一氏家臣団事典」という終わってるページを作成中(^^;)
あー、近所に『大日本史料』を揃えてる奴いないかなぁ(夢物語(爆

[39] リンク完了しました。 投稿者:たきやん 投稿日:2000/09/21(Thu) 01:21
こんばんは〜

リンク完了しました。リンクのページからです。

うちも来月からマイナー武将を少しづつ追加します。
その時は、またお邪魔して参考にさせていただきまする。

それでは失礼します。

http://homepage1.nifty.com/NCRAFT/sengoku/


[38] うう〜む・・・ 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2000/09/21(Thu) 00:01
畠山家臣の遊佐氏は河内・能登・陸奥の3国ともに畠山氏を裏切ってますね。

話は変わりますが,武田氏の通字は「信」なのに家臣に与える諱は「昌」という件ですが,これは使い分けていたということにはならないのですかね?
使い分けることで主従の関係を保ちたかったとか・・・毛利氏はもともとから国人からのし上がった大名ですから,他の豪族衆に遠慮した形になっていると思いますが・・・

でも,これは与える大名の考え方によると思いますがね・・・(^^;

[37] 「動乱の河内」 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/09/20(Wed) 23:52

>小花作之助さま

>たしが言っていたのは、毛利氏自体ではなく、その他の安芸国人についてです。
>元就以前の毛利氏は、安芸の単なる有力国人にすぎなかったと思うのですが、吉川元経、>高橋元光、小早川元平、武田元繁など、「元」の偏諱をもつ国人が多いように感じたのです。

すいません。勘違いしました。
あのあたりや京都に「元」の字をもつ有力な人物っていましたっけ?
ただし、吉川元経は毛利氏から貰ったものかも知れませんね。奥さんが毛利弘「元」の
娘ですから。あと、小早川元平は元諸→元平→繁平のようですから、最終的には武田元繁?
の偏諱ですかね。

>義綱公

「他国衆」とは何なんでしょうね?お力になれなくてすいません。
そちらの掲示板に書こうと思いましたが、長くなるのでこちらで失礼します。
企画展の情報は『無名武将列伝』で参考にした八尾市立歴史民俗資料館の紀要です。
該当部分を長いですが書きます。

「平成5年秋の特別展「動乱の河内」は、河内国守護畠山氏関係史料を中心に戦国時代の多様な河内国関係の資料を展示した。同年春、大阪市立博物館の「南河内の文化財」展でも河内国守護畠山氏関係の寺社関係文書が展示され、河内国畠山関係文書の代表的なものが一挙に公開されたことは、大きな意義があったと思う。当館では、展示の中心を国人関係文書を中心とし、展示を構成した。展示史料中、特に多くを占めたのは、遊佐信教関係文書であった。(以下略)」

また、「羽曳野資料叢書」というのが出ていて、『畠山記集成』とか『畠山家文書集』とかが
刊行されているようですよ。

[36] 偏諱(補足) 投稿者:小花作之助 投稿日:2000/09/20(Wed) 18:26
>毛利元就以前の安芸国人の「元」はどうなるのでしょうか?

すみません、これは説明不足でした。
わたしが言っていたのは、毛利氏自体ではなく、その他の安芸国人についてです。
元就以前の毛利氏は、安芸の単なる有力国人にすぎなかったと思うのですが、吉川元経、高橋元光、小早川元平、武田元繁など、「元」の偏諱をもつ国人が多いように感じたのです。
気のせいですか?

[35] ちょっと質問です。 投稿者:畠山義綱 投稿日:2000/09/20(Wed) 15:34
畠山のmakingに書いてある
>また、畠山氏の居城があった八尾市の博物館
>では企画展で畠山氏展を開催するなど、畠山
>氏の重要性の認識が広まってきているようです。
とのことですが、情報ソースはなんでしょうか?
もし企画展のパンフ等があったら貰いたいので
ぜひ教えてくださいませ。

[34] 「他国衆」について 投稿者:畠山義綱 投稿日:2000/09/20(Wed) 11:48
どうも、畠山義綱です。
>くらのすけ様
早速のレスありがとうございます。
私も、一般大名で「他国衆」という名称を使われている
ならわかるのですが、将軍家で「他国衆」と言われると
?ですよね。
しかし、武士の文芸に精通してらっしゃる米原正義氏
(が『戦国史事典』において)と能登畠山研究の第一
人者である東四柳史明氏(が『羽咋市史中世社寺編』
において)この言葉を使って「義綱が「他国衆」に列し
たと書かれておりました。出典も書いてないので分か
りませんし、わたしも最初は「御相伴衆」と誤ってい
るのではないか(能登畠山氏は御相伴衆にも列していま
した)とも思うのですが、博学のこのお二人が間違えて
いるとは・・・との思いがあり、私が浅学なので、もしや
他の方は知っているのではと思いました。
でも本当のところ「他国衆」とはなんなんでしょう・・・。

長々と申し訳ありませんでした。

[33] 毛利家ですか… 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/09/20(Wed) 02:20

>小花作之助さま

>若狭武田氏の「勝」、越前朝倉氏の「吉」も同様なのでしょうか
う〜ん、ここまでくると私には分かりかねますね…過去の当主が
名乗っているのなら可能性としてはあるかも知れません。

>毛利元就以前の安芸国人の「元」はどうなるのでしょうか?
これもどうでしょうか…しかし「元」は「大江広元」の「元」ですから、
諱字でしょうね。ずっと。元就の兄(興元)の三代前からはずっと「○元」ですから、
その時代に何らかの取り決め(というか定義付け)がなされたのでは?


>たきやんさま
はじめまして。これからもよろしくお願いいたします。
地図は位置関係が把握できたらいいと思っていたので作成したのですが
読み込みが重いみたいですね。
早く常時高速接続が普及しないかと思っているきょうこのごろです。
また、たきやんさまの所の掲示板にも書き込みさせていただきました。

>義綱公
楽しんでいただき、光栄です。畠山氏の専門家の方をさしおいて、私のところで
家臣団を解説するのはお恥ずかしい限りですが…

「他国衆」については、北条家の従属した国人衆についてそう呼んだようですが
足利家ですか…「相伴衆」でもないですよね?
相伴衆なら、河内畠山氏もなっているようなので能登畠山氏も可能性がある気がしますが…
すいません。わたしも詳しくないもので。m(_ _)m

[32] 畠山コンテンツ拡充!! 投稿者:畠山義綱 投稿日:2000/09/19(Tue) 00:17
どうも、お久しぶりです。畠山義綱です。
二本松畠山のコンテンツも完成、河内畠山とmaking
も揃って、楽しませて頂いております。やはり私も二本松
については浅学なので、勉強させていただきました。

さて、ちょっと話は変わりまして質問なのですが、畠山義綱
が永禄四年頃、「足利義輝の「他国衆」に列した。」と米原
正義氏などが書いているんですが、この「他国衆」なるもの
なんでしょうか。もしよろしければ御教授ください。

[31] はじめまして 投稿者:たきやん 投稿日:2000/09/18(Mon) 22:36
こんばんは、はじめまして
味舌様のリンクからやってまいりました。

うちのサイトでも地図を使っているのですが、
地図を使ったリンクで分かりやすくていいですね。

マイナー武将を取り扱っているサイトは少ないので
今後とも、いろいと参考にさせていただきます。


あと、今度リンクを張らさせてください。

http://homepage1.nifty.com/NCRAFT/sengoku/


[30] 偏諱 投稿者:小花作之助 投稿日:2000/09/18(Mon) 17:58
ありがとうございました。

ところで、若狭武田氏の「勝」、越前朝倉氏の「吉」も同様なのでしょうか。

毛利元就以前の安芸国人の「元」はどうなるのでしょうか?


[29] 偏諱ふたたび 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/09/18(Mon) 02:23
どうもこんばんは。
連休は
初日:前日友達と飲んで友達の家でぶっ倒れていた延長で家に帰ってからも何もなし
2日目:オリンピック観戦
3日目:同上(少しサイト更新で文章を打つ)

という自堕落な生活を送ってしまいました。

さて、私が書き込んだためですが偏諱について、再び盛り上がりつつあるようですね。

>藍住伯耆さま
ごぶさたしております〜。お元気でしたか。

>武田氏が(おそらく他の守護大名も)将軍の権威を凌駕しえなかった部分といえましょうか>。義晴期の特徴なのかもしれませんが・・・
やはり将軍は将軍であったわけですね。「義晴期」ということは義輝以降は「輝」字などは
家臣に下げ渡すことがあったという事でしょうか
(とここまで書いて、白井長尾氏か館林長尾氏に「輝景」という上杉謙信に従った武将が
いたことを思い出しました)

>HAZUさま
>多いかどうかはわかりませんが、重要な拠点だからちょっとご紹介を
> したまでです(^^;
これは私がすこしずうずうしかったようですね。すいません。m(_ _)m
福島県立図書館でわざわざ検索していただいたようなので、本宮町史も
内容をご覧になったのかと…

>この掲示板でしたかまで覚えていませんが、数年来の疑問の答えありが
>とうございます(^^;)
たぶんここの掲示板ではないとおもいます。でもどこに書き込めば良いかも
忘れてしまったので、とりあえずここに書いたのが良かったみたいですね(^o^)

>次はなぜ「昌」の字なのかですか(^^;) 信玄に聞けなんていわないで
>ね(;^_^A アセアセ・・・
これは武田氏ではなく、上杉家の例なのですが、同じ黒田基樹さんの本に載っていたことを、こんどは要約して書き込んでみます。
「上杉謙信が家臣や従属国衆に下賜した文字として「景」「輝」のほかに「顕」と「長」があった。で、この「顕」については「当家ニ有諱字」(注:何の史料かは不明)と述べられていて、山内上杉氏(憲顕・房顕・顕定・顕実)の通字の一つととらえられる」ということです。
また、私が同様に考えるには毛利家(特に江戸期)の「元」「広」「就」があると
思います。江戸期の藩主はこの字の上に将軍の下の字を冠していますので…
(輝「元」・秀「就」・綱「広」・吉「就」…)

以上のように考えると、武田家では「諱字」として、「昌」があったのではないでしょうか?

[28] Re[26]:RE: ありがとうございます。 投稿者:HAZU 投稿日:2000/09/15(Fri) 08:56
>>本宮町はそういえば畠山家の嫡流の拠点でしたね。その点で
>>畠山氏の記述が多いのでしょうか。

 多いかどうかはわかりませんが、重要な拠点だからちょっとご紹介を
したまでです(^^;
 福島県の市町村史は意外と中世に関する記述は多いように感じていま
す(^^;

>>まったく話はかわりますが、以前「武田信玄(晴信)の偏諱に「昌」
>>が多いのはなぜ?」という話題がこの掲示板かどこかであった気がし
>>たのですが、その答えを見つけましたのでとりあえずここに書いてお

 お〜、ありがとうございます(^^;)
 通信はじめてからいろんなところでこの質問を何度もしていますので
この掲示板でしたかまで覚えていませんが、数年来の疑問の答えありが
とうございます(^^;)

国衆の当主・嫡子・・・・・・・・「信」字授与
その庶家・庶子の有力者・・・・・「昌」字授与

 このような関係は気づいてませんでした。確かに真田氏を見るとそう
ですね。やはり「昌」の字は信玄、勝頼からですか(^^;)
 次はなぜ「昌」の字なのかですか(^^;) 信玄に聞けなんていわないで
ね(;^_^A アセアセ・・・
 「昌」の字をもらった家の子孫は、またを使いつづけているんですよ
ね(^^;


筈衛

[27] 武田晴信の偏諱 投稿者:藍住伯耆 投稿日:2000/09/15(Fri) 00:44
久々の藍住伯耆登場で〜す。

晴信の偏諱授与について・・・
ということは、武田氏の事例から将軍義晴の「晴」は大名当主層からの下賜は
なかったという見方が強いですね。伊予河野氏など、おそらく西国の大名には確認できないように思います。
「信」は武田氏の通字としてあったし、偏諱として与えられた。しかし、晴信は「晴」が与えられなかったからかわりに「昌」の字を与えたと。これは納得できますね。
これはつまり、武田氏が(おそらく他の守護大名も)将軍の権威を凌駕しえなかった部分といえましょうか。
義晴期の特徴なのかもしれませんが・・・

[26] ありがとうございます。 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/09/11(Mon) 01:59
>味舌政宗さま
かなりのご決意で更新を一時中断なされるようですね。
しかし、他のところでも概略しか記していない時代を
詳細にお調べになる、という姿勢がすばらしいです。

>訪問される方からの要望で最も多かったのが、文面が難しすぎる
>回りくどいといったものが多く、
(^_^;)(^_^;)いや〜、うちにはそういった要望なんてきませんです。ハイ。
味舌さまのところはとても幅広い年齢層の方に支持されているという
証拠ですね。

>hazuさま
わざわざ調べていただきありがとうございます。
これで、うちの図書館の怠慢が判明しました^^;
資料編の一部だけ入れて終わるのはやめて欲しい…
本宮町はそういえば畠山家の嫡流の拠点でしたね。その点で
畠山氏の記述が多いのでしょうか。

まったく話はかわりますが、以前「武田信玄(晴信)の偏諱に「昌」が多いのは
なぜ?」という話題がこの掲示板かどこかであった気がしたのですが、その答えを
見つけましたのでとりあえずここに書いておきます。

「武田氏の譜代家臣、国衆などの実名に「昌」字が冠されている事例は極めて多い。しかもそれらの人物には武田氏の通字(「信」)もしくは当主の偏諱(「虎」「勝」など)を授与されうる存在も多く含まれていることから、この「昌」字も武田氏からの授与ととらえられる。武田氏から一門・家臣らに対して授与される一字として、通字・偏諱とともにこの「昌」字が存在していたとみられる。この「昌」字授与は信玄の代からみられており(信玄の祖父信昌による偏諱授与は除く)、おそらく信玄は授与すべき偏諱をもたなかったため(「晴」字授与の事例はない)、その代わりとして「昌」字を授与した可能性が想定される。ちなみに、国衆の当主・嫡子に対しては「信」字が授与される場合が多く、それに対して「昌」字はその庶家・庶子の有力者に授与されている場合が多い(例えば信濃先方衆真田幸綱の場合では嫡子信綱・次男昌輝・三男昌幸という具合)。この和田昌繁の場合もそうした事例とみなされよう。」
出典:黒田基樹『戦国大名と外様国衆』 文献出版、1997 134頁

[25] Re[19]:RE: 二本松畠山氏 投稿者:hazu 投稿日:2000/09/10(Sun) 10:16
>>『二本松市史』って通史編でているのですか?

二本松市史 第1巻 原始・古代・中世・近世 通史編1
二本松市史 第3巻 資料編 1 原始・古代・中世
二本松市史 第4巻 資料編 2 近世 1
二本松市史 第5巻 資料編 3 近世 2
二本松市史 第6巻 資料編 4 近世 3
二本松市史 第7巻 近代・現代 資料編5
二本松市史 第8巻 各論編 1 民俗
二本松市史 第9巻 各論編 2 自然・文化・人物
続 ふるさとの伝え語り ( 二本松市史資料叢書 )
ふるさとの伝え語り ( 二本松市史資料叢書 )

がでているようです。

>>『福島県史』は一度見ましたが、結構記述が長いのでもっと簡潔なのが
>>無いものか…と思っているのです。

簡素なものですか? あるのかな(^^;

>>『本宮町史』はありませんでした。

本宮町史 第2巻 通史編 2 近世
本宮町史 第4巻 資料編 1 考古・古代・中世
本宮町史 第5巻 資料編 2 近世 1
本宮町史 第6巻 資料編 3 近世(2)
本宮町史 第7巻 資料編 4 近現代
本宮町史 第8巻 資料編 5 近現代 2
本宮町史 第9巻 各論編 1 民俗
本宮町史 第10巻 各論編 2 自然・建設
本宮町史 第11巻 各論編 3 文化
本宮町史資料双書 第1集 南北本陣大名休泊など留書・諸達し
本宮町史資料双書 第2集 本宮地方(二本松藩)の戊辰戦争
本宮町史資料双書 第3集 浦井牛之介日記(明治21年〜36
本宮町史資料双書 第4集 関下村邑内雑記 上巻
本宮町史だより 歴程

があります。

以下、福島県立図書館において「畠山」で検索でき、関係ありそうなもの

福島史学研究 第67号(福島県史学会/ 福島県史学会)には、二本松
畠山氏系図小考(その1)という論文があるそうです。渡部芳雄氏の研
究です。

奥州探題畠山氏と其裔 五百川流域の開発者(曾我伝吉/著 国分六之亟)
霧が城物語(遊佐東/著 遊佐東)
畠山氏本城址発掘調査協力に寄せて(渡辺武久/著 渡辺武久)
奥州探題 畠山氏三代の戦場跡を偲んで(渡辺武久/編 二本松歴史研)

[24] 1周年記念のリニューアル? 投稿者:味舌政宗 投稿日:2000/09/09(Sat) 22:50
>くらのすけさま
おっしゃる通り仕事を抱えてのサイト維持は結構大変ですけど、更新が
義務だと感じたことはないですね。ただ、私のやっていることは、他の
BIGサイトの隙間ねらい的なところも半分あるのは事実です。
戦国時代前期や15c半ば頃の話って、大きなサイトでも概略程度しか
書いてない場合が多いです。だからねらい目と感じたのです。ただ、
まとめ方だとか構想だとかが中途半端過ぎるのが欠点だと思い、1年で
数度も手を返え品をかえといった形でやってきました。
たくさん書き溜めたものを小出しにしていたのを一旦やめてまずすべて
吐き出してしまおうというと考え、一旦週2回程度の更新をとめて、
一気に全体をつくり、以後の更新で補強する形を取ろうと考えて
更新を休止したのです。まあ、仕事が忙しくてペースが守れないのも大きい
ですがね。
さらにいうと不純な動機もあります。YAHOOに載ること。今のままで
は逆立ちしてもだめでしょう。それは他がやっていること同じと見なされる
記事の書き方でしかないですから。だからこそ完成に近く情報量も多く、
ユニークな視点も含めて再考証する必要があると感じているのです。
それと、訪問される方からの要望で最も多かったのが、文面が難しすぎる
回りくどいといったものが多く、ライトな感覚の訪問者の方の希望は
ゲームなどで永録あたりをしり、さらにその前の世代を知りたいという
欲求が多くあることもわかりましたね。だからこそ、なじみやすい書き方
かなって思いました。個人のサイトだから自己満足でいいかって言う気持ち
はありましたが、HIT数が増えて行くに連れて公という気持ちが出てきた
から不思議なものです。
ひょっとすると今私のサイトにはそういった主人の不純な気持ちが表面に
現れてしまっているのかなとも思っております。なにかアクセスアップに
走っている管理人のいやらしさがでてきているのかもしれません。
まずは腰を落ちつけて、良いものを作ってゆく。この気持ちを大切に
次回のリニューアルに臨みたいと思っております。

[23] めっきりと… 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/09/09(Sat) 01:47
秋の声を聞き始めましたが(そういえば明日は重陽の節句ですね…まだ暑いですが)
出入りをさせていただいているサイトが軒並みしばらく更新をお休みなさる
ということで、なにか寂しいですね…
(私も最近ほとんど更新してませんので他人のことをいえませんが…)
資料あつめは地道に続けてますが。(山内・扇谷上杉氏はふたつで「無名武将…」が
できそうです。『群馬県史』は上杉配下の諸勢力(といっても上杉憲政退去以後)
のことが詳しいことがわかりました。)
そろそろ河内・二本松両畠山氏を更新したいですし、ネタはそろっているんですがねぇ。
なんとか皆さんの分までがんばれれば、と思っております。

>味舌さま
お忙しいようで大変ですね。お仕事なさっていらっしゃる方がサイトを維持するのは
さぞご苦労でしょう。1周年を期にリニューアルなさるということで、楽しみです。
信長の新作がでるので、かなり気合いが入っていらっしゃるようですね。

[22] Re[20]: 尾張今川氏 投稿者:味舌政宗 投稿日:2000/09/09(Sat) 00:02
> ありがとうございました。
> ところで、ほかに尾張今川氏のことが載っている本などありますか?
> あれば教えて下さい。
>
愛知県史の中世などをみればなにか書いてあるかもしれませんね。まだ
みたわけではないんですが、信秀の那古野城奪取のことは史実として
県史レベルなら載っていると思いますし、参考文献なども紹介されて
いるかもしれません。

[21] とりあえず帰館 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/09/06(Wed) 23:53
こんばんは。この夏最後の合宿より昨日深夜帰ってきました。
帰ってきたといっても更新頻度が増す要素はないのですが…

>小花作之助さま
下北の蠣崎氏については一説には討伐されて松前に渡ったのが蠣崎氏だと思いましたが、
うろ覚えです。KUBOさまのサイトに行かれてはいかがでしょうか?
蠣崎氏関連情報は国内一だとおもいますよ。

[20] 尾張今川氏&蠣崎氏 投稿者:小花作之助 投稿日:2000/09/04(Mon) 19:07
ありがとうございました。
ところで、ほかに尾張今川氏のことが載っている本などありますか?
あれば教えて下さい。

それから、質問ばかりで申し訳ありませんが、過去ログに松前氏関係のことが書いてあったのでわかれば教えて欲しいのですが、
下北半島にいた後南朝の蠣崎氏と蝦夷地の蠣崎氏とはどのようにつながっているのかご存知の方いらっしゃいますか?

難波田氏は「憲」を通字にしているし、上杉氏との関係が強いようですね。

[19] 二本松畠山氏 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/09/03(Sun) 00:18
筈衛さま

『二本松市史』って通史編でているのですか?
うちには資料編のみしか見あたらないので。
『福島県史』は一度見ましたが、結構記述が長いのでもっと簡潔なのが
無いものか…と思っているのです。
『本宮町史』はありませんでした。

ところで、三度目の合宿参加で、また明日よりいなくなりますので、
しばらくの間失礼します。>皆様

[18] Re[17]:RE: 難波田氏 投稿者:hazu 投稿日:2000/09/02(Sat) 06:37
>>二本松畠山氏の概略が分かるものなどないですかね?
>>やはり『国史大辞典』?

私は『福島県史』、『二本松市史』、『本宮町史』をお勧めしますね(^^;


筈衛

[17] 難波田氏 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/09/02(Sat) 01:51
二本松畠山氏の概略が分かるものなどないですかね?
やはり『国史大辞典』?

>宮野州さま
「Ciel」は「シエル」で、「え」は小さくてはいけないんだとか。
いつも読んでる某CM批評のサイトの人が「シェル」と書いて
ファンから批判のメールをもらって怒ってました。

>「よしかね」と読みをふっている書籍など見たことがありますが、
>音読みだとどう読むんでしょうかね?「銀」は「ぎん」でいいのかな?
…たぶんそうだと思いますが…しかしこの御方、古井戸に落ちて御討死
なさったそうで。

>ぴえーるさま
>「ぴえーる」より「肥後もっこす(仮)」の方が歴史系っぽいからという
そうでしたか。個人的にはぴえーるさまと肥後さまで訪問されるサイトが別々で
固定されているようなのでそこの雰囲気等に合わせて替えていらっしゃるのかと。

>義綱公
>河内畠山の論文まで(笑)
なかなかあるみたいですね。河内畠山関連。河内畠山氏の「無名武将列伝」を
追加した暁には、参考文献が今までで最大の量になりそうです。(現在、論文・書籍
合わせて7つ)

>武藤舜秀さま
おかげさまで1周年を迎えてしまいました。去年は夏休みをサイト準備に
かなり割くことができたのですが、今年はそれが出来ず、更新停滞の
一因となっております。

>ところで、下の「難波田憲重」の子孫は北条氏に仕えていたと聞きましたが,
>北条氏滅亡後はどうなったのでしょう?
『寛政重修諸家譜』という幕府編纂の系図集に載っていますので、
幕臣ということでしょう。該当部分をまだコピーしてませんのでどういう地位で
どのくらいの石高かは分からないのですが…。

[16] 開設1周年おめでとうございます 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2000/09/01(Fri) 18:39
開設1周年おめでとうございます。
ところで、下の「難波田憲重」の子孫は北条氏に仕えていたと聞きましたが,
北条氏滅亡後はどうなったのでしょう?


[15] 御訪問有難うございました。 投稿者:畠山義綱 投稿日:2000/09/01(Fri) 01:00
どうも、畠山義綱です。うちのサイトに御訪問&カキコありが
とうございます。また、遅れ馳せながら、掲示板の復興おめで
とうございまする。

さて、いきなり我がサイトの参考文献が増えましたのは、卒業
を控えて、大学図書館を利用するだけ使おうとのことです。で
すから雑誌の複写依頼を山ほど依頼しています。河内畠山の論
文まで(笑)それはそうと、藤本氏の書籍『鎧をまとうひと』
の情報ありがとうございます。早速うちの大学図書館に買わせ
ようと思います(爆)能登畠山がいっぱい載っていれば買うの
ですが(苦笑)

[14] ×深読み 投稿者:ぴえーる 投稿日:2000/08/31(Thu) 22:51
>くらのすけさん
>う〜ん、何というか使い分けているのは色々と理由があるのだろうと…
「ぴえーる」より「肥後もっこす(仮)」の方が歴史系っぽいから
という至ってお馬鹿な理由であります(爆

[13] あ、書き忘れた 投稿者:宮野州 投稿日:2000/08/31(Thu) 14:48
矢文は届いてますでしょうか?

[11] 由利十二頭地図、いかがですか? 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/08/30(Wed) 02:06
かなり苦心して由利十二頭を追加しましたが(ずっと言っている気がする…)
地図の方はいかがですかね?今までのに比べて出来が若干劣る気がするのですが…

>ぴえーるさま

>最後の「。」が肝心です。モーニング娘。と同じです(笑
大変失礼いたしましたm(_ _)m
L'Arc-en-Cielの「Ciel」を「シェル」と読んでファンから指摘されるのと
一緒ですね。御報告が遅くなりましたが修正しておきました。

>誰か尋ねる人がいるかなと思っていたのですが……。
>というか、(仮)などアウト・オブ・眼中でしたか?(笑
う〜ん、何というか使い分けているのは色々と理由があるのだろうと…
唐突に聞くのも失礼ですし。しかし、私としては相良関係では(仮)さまには
多大なる情報提供をしていただいた、という感があります。

>掲示板上ではどちらでもどうぞ。
では、書き込まれた方に対して返信することに致しましょう。

>小花作之助さま
はじめまして。くらのすけと申します。
今回は味舌様のご助力を仰いでしまいましたが
以後宜しくお願いいたします。
ちなみに、基本的に深くつっこまれると弱いです。こんなサイトを運営している割に。

>味舌政宗さま
ご説明ありがとうございました。さすが地元のことゆえ、お詳しいですね。
しかし、尾張にも今川氏がいたとは…
まあ、越後に毛利氏がいるとか、越前に島津氏がいるとか、駿河に伊達氏が
いるとか、当然といえば当然なんですよね。

>宮野州さま
なんとか短期間で再建できました。マイナーなレンタル掲示板なのでまた潰れる可能性もありますが…

>由利十二頭を拝見しました。
>やはりこの地域の共同体も、一揆なんですね。
多分そうなのだとおもいます。(通史編の筆者の見解かもしれませんが)
でも比較的別個にに安東氏や大宝寺氏などと結びついているようですね。

>山内/扇谷上杉も一揆形態をとっていたようですね。
>前に取り上げるという話を聞きましたが、お調べになっているのですか?
野州さまの掲示板をちらと拝見しましたが、両上杉はそうなんですか?
にわかには信じがたいのですが…
弱小時代の毛利氏のような感じなのでしょうか?
ちなみにいちおう手をつけてはいますが、そのような解説はみていないですね〜。
ひとつやりたいことは、「難波田善銀」という人がいますね。この「善銀」は
やはり法名らしいので、「憲重」という名を広めて行きたいと。(いちおう『寛政譜』が
憲重と書いています)

>ビジュアル的に地味な土塀/板塀の館なんか書いても、見た目がよろしくないでしょう。
しかし、中世の館を復元した青森の自治体もあります(たしか)から、ここらで「中世の城には天守閣など存在しない」ということをアピールしたいですね。
国人勢力がプレイできそうもないというのは、我々のようなメーカーから扱いにくい輩が
増えたための自衛策かもしれませんね(^_^;)

では。

[10] 再建祝いか? 投稿者:宮野州 投稿日:2000/08/29(Tue) 15:02
茶室再建、執着至極に候。
今後益々の繁栄、祈願致すべく候。

訳の分からん挨拶はこの辺にして(笑)
由利十二頭を拝見しました。
やはりこの地域の共同体も、一揆なんですね。
分類的には国一揆と考えていいんでしょうかね。
うちの板でもちょっと話題になったので気になったのですが、
山内/扇谷上杉も一揆形態をとっていたようですね。
前に取り上げるという話を聞きましたが、お調べになっているのですか?
(余計なお世話だ、とか言われそうですが・・・)

>記事の画面でも立派な天守閣がそびえてましたけど、まさか天文年間に
>そういう画面なのか、ということが気になります。(数種類の規模の違いによる
>絵の違いは見られましたが)
私もHPや雑誌で見ました。(詳しくは見てないですが・・・)
実際天守閣なんてのは戦国期は一部の地域だけですからね。
最初は久秀が建てた信貴山城でしたっけ?
関東や東北であの画面だったら興ざめですね。
(こんなこと書くと、ゲーム重視派?に史実、史実うるせんだよ、とか言われそうですが・・・)
ま、しょうがないんじゃないですか。ビジュアル的に地味な土塀/板塀の館なんか書いても、
見た目がよろしくないでしょう。
正直いってあまり期待してないので・・・(オイ

>また、幕府・朝廷などと共に「諸勢力」として「国人領主」があるので、
>そういう小さい勢力はもうプレイ不可能であろうことが予想されます。残念。
そうですか。また弱小勢力は切り捨てられてしまうのね。(泣)

>さも自分が調べたかのように私が調べた武将を提供されるのはしゃくですね。
>(杞憂かもしれませんし、自惚れかも知れませんが)
いや、こちらの情報は歴史SLGのマイナー武将ずきにとって貴重な情報源でしょう。
調べる手間が省けるし。くらのすけさんは面白くないかもしれませんが・・・

>武将は2000人(MAX3000人
これはすごい。過去の歴史SLGの中では最高の人数では?

>諱不明の官職名や通称の武将も登場
下手にこういった武将を出すんだったら、出さないほうが私はいいですね。(有名どころは別として)

[9] Re[8]: 今川氏豊とは? 投稿者:味舌政宗 投稿日:2000/08/28(Mon) 20:09
> こんにちは
> みなさんお詳しいですね。
>
> そこで、唐突ですが、今川氏豊について教えて下さい。
> 手元に資料がないのですが、系図上では義元の弟になっている人物です。たしか那古屋城主だったとおもいますが。
> 詳しい書籍や知っていることがあればなんでも教えて下さい。
>
> それから言嗣卿が尾張に下向したときに、織田家の面々と蹴鞠を習った、今川竹王丸(?)とはどういう関係なのでしょうか?
>
> どこかで、氏豊(=竹王丸?)は義元とは別系統の今川氏だという論文を読んだような気がするのですが。

学研の歴史群像シリーズ「戦国合戦大全(上)」で織田信秀のことを記述して
いる個所があります。たしかP.176です。
今川竹王丸=今川氏豊です。今川氏豊は今川氏親の末子で、今川義元の異母弟
にあたります。なぜ、尾張などにいたかといえば、尾張東部に割拠していた
今川氏は那古野今川氏といって駿河を本家とすれば別系統になります。くわし
いことはわたしもわかりませんが、氏親より数代前に尾張に割拠していた可能
性があるとおもいます。
氏豊は本家から那古野へ養子として家督を継いだとされています。氏豊は今川
の武将らしく文化人的な趣をもつ人物で、織田信秀はそれを知って蹴鞠や連歌
など共通な趣味から近づいて親密になってゆき、最終的に那古野を奪取した
そうです。ちなみに尾張那古野付近は斯波氏の分国で守護代織田氏(清洲)の
勢力圏でしたが、那古野付近は織田氏ですら押さえられていなかったようです。
ちなみに那古野は現在の愛知県名古屋市西区那古野付近でJR名古屋駅から
徒歩で10〜15分ほどのところにあります。

[8] 今川氏豊とは? 投稿者:小花作之助 投稿日:2000/08/28(Mon) 19:00
こんにちは
みなさんお詳しいですね。

そこで、唐突ですが、今川氏豊について教えて下さい。
手元に資料がないのですが、系図上では義元の弟になっている人物です。たしか那古屋城主だったとおもいますが。
詳しい書籍や知っていることがあればなんでも教えて下さい。

それから言嗣卿が尾張に下向したときに、織田家の面々と蹴鞠を習った、今川竹王丸(?)とはどういう関係なのでしょうか?

どこかで、氏豊(=竹王丸?)は義元とは別系統の今川氏だという論文を読んだような気がするのですが。

[7] マルが大事 投稿者:ぴえーる 投稿日:2000/08/27(Sun) 01:04
>くらのすけさん
>それから、アドレス変更しておきました。
「どうもお手数かけます」と(仮)が言っておりました。
(まだ続けるか、そのキャラを(汗
でもサイト名が微妙に大きく違っています。
「翔竜 政宗戦記を励ます会」ではなく「翔竜 政宗戦記を励ます会。」です。
最後の「。」が肝心です。モーニング娘。と同じです(笑

>以前、オフ会ですこし同一人物説が話題にあがりました。
いつ糾弾されるかびくびくしながら書き込みを続けていました(誇張あり)。
誰か尋ねる人がいるかなと思っていたのですが……。
というか、(仮)などアウト・オブ・眼中でしたか?(笑

>ところで、これからは統一名称でよろしいのでしょうか?
ファンクラブはあくまでも(仮)のサイトです。
ぴえーるさんは不干渉であります。私めのサイトはまた別物。
掲示板上ではどちらでもどうぞ。

[6] あらためて皆様へレス 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/08/27(Sun) 00:25
はじめに下の過去のご投稿で、戦武堂さまのみ
呼び捨てにしてしまいました。大変申し訳有りません。
お詫び致します。(くらのすけ@管理人より注:過去ログ編集の時点で修正させていただきました。)

掲示板のゴタゴタで、最後に書き込みされた方へのご挨拶をしておりませんでしたので
こちらでさせていただきます。

>てったんさま
はじめまして。くらのすけと申します。ご訪問ありがとうございます。

>さて、安東氏についてですが、彼等の系図には阿倍仲麻呂や
>安倍晴明に関わるとされるものもあるようです。
初耳です。そうですか。たしかに家紋が変な星のような気もしました。
しかし、現在では北条家(執権の)の家臣であろうというのが一般的のようですね。

>松前氏は、かなり早い時期から「志摩守」を自称していたようです。
松前慶広が、ということでしょうか、それとも蠣崎氏当主が、ということでしょうか。
これも初耳でした。
KUBO様のサイトによれば、当主は「若狭守」などが多いようですね。若狭守護武田氏との
繋がりを強調したものでしょうね。

これからも宜しくお願いいたします。

>石酉雅楽頭さま
ご無沙汰しております。しかし変な名前の人物もいるものですね。
この人物はどういう人物でしょうか?

>戦武堂さま
下の書き込みでは大変失礼いたしました。
さて、フォローありがとうございました。私ではとうてい分かりませんでした。

>味舌政宗さま

>ゲームに難の影響もない独立勢力よりは
>それを選択できなくても影響を持つ諸勢力には気になりますね。
たしかにそうですね。プレイしても何の抵抗もできない(笑)よりは。

>私のサイトの需要が増えたりしてね(笑)
当然でしょう。「戦国前期サイト」の雄なんですから。みんなきっと期待してますよ。

>だろうし、でも1534年からだと西国・畿内がしょぼくなるのでほんとうなら
>1520年ぐらいからほしいところです
これは難しいでしょうね。天下統一で我慢するしかないでしょうね。

>ぴえーるさま
はじめまして。では実はないのですね。以前戦武堂さまのところで
ぴえーるさまに向けて書き込みをした覚えが…
お返事がなくて残念だったのですが、それをはるかに超える量の書き込みを
お忍び(^_^;)で拙掲示板にされて居られたのですね。ありがとうございます。
それから、アドレス変更しておきました。

>以上、ネタばらし書き込みでした。実はすでにバレてますか?(爆)
ちょっと。以前、オフ会ですこし同一人物説が話題にあがりました。
今、それが明らかになり、さわやかな気分です(笑)。
ところで、これからは統一名称でよろしいのでしょうか?

掲示板新設で張り切りすぎて、私の書き込みがほとんどですが、お気になさらずに。

[5] 前掲示板の書き込み 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/08/26(Sat) 23:56
前掲示板消失直前に書き込みされた方のものをこちらに
挙げておきます。(8/19の私の書き込み以後のもの)

======================================
[438]ありがとうございます
石酉雅楽頭さまご投稿 投稿日:2000年08月23日 (水) 03時16分

戦武堂様、ありがとうございます。

[437] 一方井
戦武堂さまご投稿 投稿日:2000年08月23日 (水) 00時28分

「いっかたい」。
現、岩手県岩手郡岩手町一方井が発祥地でしょうね。


[436] 質問です
石酉雅楽頭さまご投稿 投稿日:2000年08月22日 (火) 22時16分

久しぶりのカキコです。
質問なのですが、南部家臣(だったと思う)に「一方井定宗」なる者がいましたが、この「一方井」とは、どう読むのでしょうか?教えてください。


[435] 北の諸大名の小ネタ
てったんさまご投稿 投稿日:2000年08月21日 (月) 00時54分

初めてやってきましたが、無名大名の系図など、面白いデータ、
興味深く拝見しました。
さて、安東氏についてですが、彼等の系図には阿倍仲麻呂や
安倍晴明に関わるとされるものもあるようです。
あと、南部氏が近世大名としてランクアップした背景には、
南部の馬や鷹献上を頻繁に行っていたこともあるようです。
松前氏は、かなり早い時期から「志摩守」を自称していた
ようです。認められるまでには色々あったみたいです。
本当に小ネタですいません。では。

=================================

みにくいかも知れませんが、ご了承ください。


[4] 移転のお知らせ 投稿者:ぴえーる 投稿日:2000/08/26(Sat) 21:55
メンバー交代しました。つまりメールアドレス参照(謎
肥後もっこす(仮)からの伝言(笑)です。

「翔竜 政宗戦記を励ます会。」を国内に移転しました。
内容も増えたり減ったりしてます。よろしくお願いします。

以上、ネタばらし書き込みでした。実はすでにバレてますか?(爆)

http://shouryu.tripod.co.jp/


[3] Re[2]: ログイン雑感 投稿者:味舌政宗 投稿日:2000/08/26(Sat) 10:35
> また、幕府・朝廷などと共に「諸勢力」として「国人領主」があるので、
> そういう小さい勢力はもうプレイ不可能であろうことが予想されます。残念。
>
新掲示板の開設おめでとうございます。わたしも信長の新作情報を乱世到来で
しり、さっそくKOEIのHPへ言ってみてまいりました。
この諸勢力というのがどのような機能を果たすのかに興味をもっています。
特に将星録や烈風伝のごとく、ゲームに難の影響もない独立勢力よりは
それを選択できなくても影響を持つ諸勢力には気になりますね。
あまり過大な期待はしてないですが、良い方向にあってほしいですね。

> また、新武将登録ははじめからついていて、しかもネット上でデータ交換が出来るらしい
> ですが、さも自分が調べたかのように私が調べた武将を提供されるのはしゃくですね。
> (杞憂かもしれませんし、自惚れかも知れませんが)
> シナリオは信長誕生があるとのこと。皆さんが待望していたシナリオですね。
>
これはわたしは本当に待望してました。できればもう20年前ぐらいから
のシナリオであればGOODなんですが。どうしても信長から離れられないので
しょう。一番最初を天文3年(1534)の信長誕生にもってこなければならな
いのそのためですから。
私のサイトの需要が増えたりしてね(笑)
たぶん発売に直後すぐに信長誕生頃の新シナリオの武将データ集をつくっちゃう
だろうし、でも1534年からだと西国・畿内がしょぼくなるのでほんとうなら
1520年ぐらいからほしいところです(浦上村宗や三好元長、大内義興など
でPLAYしてみたい。)
ま、天翔記のシナリオ1のごとく大内が強くなりすぎるようなゲームバランスだ
けは勘弁願いたいですね。

[2] ログイン雑感 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/08/26(Sat) 03:20
ええい、ついでだから書き込んでしまおう

「信長の野望 嵐世記(らんせいき)」と「天下統一III」の記事が載ってましたが、
私が思ったことを(「乱世到来」でもいろいろ語られておりますね)

信長の方では、三国志VIIのメイン画面のようにリニューアルされるようで、
記事の画面でも立派な天守閣がそびえてましたけど、まさか天文年間に
そういう画面なのか、ということが気になります。(数種類の規模の違いによる
絵の違いは見られましたが)
ログインの記事でも「全編に漂う安土桃山文化」とありますけど、最後の十数年ですよね。
安土桃山時代って。
また、幕府・朝廷などと共に「諸勢力」として「国人領主」があるので、
そういう小さい勢力はもうプレイ不可能であろうことが予想されます。残念。

また、新武将登録ははじめからついていて、しかもネット上でデータ交換が出来るらしい
ですが、さも自分が調べたかのように私が調べた武将を提供されるのはしゃくですね。
(杞憂かもしれませんし、自惚れかも知れませんが)
シナリオは信長誕生があるとのこと。皆さんが待望していたシナリオですね。

「天下統一III」のほうはグラフィックの向上は目を見張る物があるようです(10年の
ブランクですから当然でしょうか)武将は2000人(MAX3000人←「天下統一ファンクラブ」掲示板の黒田幸弘氏の発言による)ということですが、ログインの画面では「上杉越後守」という
武将がみえます。やはり諱不明の官職名や通称の武将も登場するのでしょう…

わずか数ページづつの記事でしたが、他の掲示板の書き込みの他に私が思った点です。
続報を待ちましょうか。

[1] 茶室再建 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/08/26(Sat) 02:40
どうも。くらのすけです。皆様にはご迷惑をおかけしました。
合宿でまた数日家を空けていたのですが、帰ってきたらあの有様、
信長の野望の新作・天下統一3の発売決定でログインの雑感を
書き込もうと思っていた矢先、掲示板の廃止の報。しかも過去ログは7/27までしか
取っていないことに気づいて皆様の書き込みが闇に消えてしまったということに気づき
申し訳ないやら。(この件に関してはKUBO様・肥後もっこす(仮)様のご厚意で事なきを得ました。ありがとうございました!)

今回もレンタル掲示板なので(SANNETはCGI設置不可…たしか)また消えることが
あるかも知れませんが、宜しくお願いいたします。m(_ _)m

前の掲示板のログは明日か明後日にはアップしたいと思います。