掲示板 「無名庵」過去ログ その十一
No.51〜101(2000/9/29〜11/10)

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[101] Re[99]: 特殊な御師はどうですか? 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/11/10(Fri) 00:40
>上部越中守貞永さま
はじめまして。管理人のくらのすけと申します。以後よろしくお願いいたします。

ところで、伊勢御師とはどのようなご職業のかたでしょうか?無知なもので…(^_^;)

>実は私、秀吉様より伊勢山田の代官職に任ぜられておりまして、一応秀吉様の禄を食んでおり>まする。私は後に従四位下も頂いておりまして…。私も総覧に加えていただけたらなぁなんて思う>次第でございます。ちゃんと戦国人名事典にも載っておりまする。どうか御検討のほど。
大岡忠相の先輩でいらっしゃるのですね。
官職総覧は、叙任年月日が分かればどんな人物でも載せようとは思うのですが、
年月日が分からない人はだいたい有名なひとに限定している感じです。
また、しばらく更新はありませんので、叙任年月日などが分かればお教え下されば幸いです。

>載せて頂いた暁には横浜大洋優勝の祈祷大麻を進呈致します。
う〜ん悩みますね(笑)。名前が怪しいですが、ただのお札ですよね?

たきやんさまの書き込みはたきやんさまの掲示板にお返事を書いたのですが、
興味深い出来事があったんでこちらにも書きます。

>古文書に残っていれば話は早いのですがなかなか・・・
とたきやんさまは仰っていたのですが、あったのです。「義」の一字状が。
大日本古文書 家わけ八 毛利家文書一』にあります。

でも切紙(今のメモ用紙のようなもの)だそうですので、正式なものでは
ないようです。だからこそ「輝元」と名乗れたのでしょうが。しかしまさかあるとは…

[100] いろいろなご意見ありがとうございます。 投稿者:たきやん 投稿日:2000/11/06(Mon) 22:43
質問をしておいてレスが遅くてすいません。

某掲示板では、「大河のでっち上げ」と言う話でしたので、
少々気になっていたのです。
古文書に残っていれば話は早いのですがなかなか・・・

大河では、「義」をもらうためのお金は支払ったが輝元が嫌って、
輝の字にしたと言う話に なっていたと思います。

でも、他の大名はともあれ、今川義元の桶狭間での討ち死には、
全国の大名の知る所だったとは思います。
それと、この年は尼子晴久の急死した年で毛利家も勢いづいて
いたこともありますし、家格もそれなりにあったのではないで
しょうか。

たぶん資格は十分にあったのになぜ?と言うことなんですよね。

http://homepage1.nifty.com/NCRAFT/sengoku/


[99] 特殊な御師はどうですか? 投稿者:上部越中守貞永 投稿日:2000/11/05(Sun) 22:35
祈祷大麻を配っておりましたら、くらのすけ殿の御屋敷を発見いたしまして、お邪魔致しました。お初にお目にかかります、私は伊勢御師・上部越中守貞永と申します。実は私、秀吉様より伊勢山田の代官職に任ぜられておりまして、一応秀吉様の禄を食んでおりまする。私は後に従四位下も頂いておりまして…。私も総覧に加えていただけたらなぁなんて思う次第でございます。ちゃんと戦国人名事典にも載っておりまする。どうか御検討のほど。載せて頂いた暁には横浜大洋優勝の祈祷大麻を進呈致します。
おっと、私も1月までに仕事を終わらせなければなりませんのでこれで失礼致します。伊勢に来ることがございましたら、ぜひ参宮を。(長文失礼)

[98] Re[97]: 寛政譜にすら 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/11/05(Sun) 00:18
> 永禄八年光源院義輝より諱の義字をあたえらるるとといえども、
> その下字を用いて輝元と称し、・・・

江戸前期の記録を探るしかないのですかね?毛利家の史料編纂が開始されたのは
いつ頃なんでしたっけ?
というか、疑ってかかってたのですが、これは事実ですかね?
義輝の「義」一字の判物が実在したりして…

[97] 寛政譜にすら 投稿者:戦武堂 投稿日:2000/11/02(Thu) 04:29
永禄八年光源院義輝より諱の義字をあたえらるるとといえども、
その下字を用いて輝元と称し、・・・

[96] 放置ごめんなさい 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/11/02(Thu) 00:58
まったく、ほったらかし同然で申し訳有りません。

>宮野州さま
「下野国史」(本当は「国誌」?)、お持ちだったんですね。
最近、いろいろと収集なさっていらっしゃるようですのでお持ちかとは
少し思ったんですが。

>私は行って来たんですが、歴史系はほとんどなかったです。(泣)
これは有り難い情報です。今後行かなくて済みますので(笑)。
毎週末の古書セールは端本があって良い、と聞きましたので
今度行こうかとは思いますが、もう少し前に分かっていれば卒論に
関連する資料などを買えたものを…と少し残念です。

>たきやんさま
ご無沙汰して申し訳有りません。でも、2日に一度は拝見しておりますよ。
イラストのフリー素材での提供は素晴らしいですね。私のところでも
使いたいのですが、いかんせん味舌さまのところの二番煎じになってしまうので…
それに、いままで顔がなかった管理人が、突然イラストで登場しても
小説で読んでいた本が実写化orアニメ化されて、想像とちがう、という感慨を
抱くように違和感があるかと思いますので…(^^;)(←自惚れ過ぎ)
一番良いのは写真に手を加えてイラスト風にすることかもしれませんね。

さて、閑話休題。輝元の話ですが、そもそも、大河ドラマのエピソードはどこから
引っ張ってきたものなんでしょうか?
大谷吉勝さま(初めまして!)の書き込みのように、字で値段が違うというのは
あるでしょうが、家譜とかに書かれているのでしょうかね?

まず考えられるのは家格を上げるために、「義を貰えたけれども、おそれ多いために
わざわざ下の輝をもらったのですよ」とか「義元は縁起が悪いから、勿体ないが輝を頂いた」
と家譜に書いたかもしれない、ということですね。

あとは、本当に今川義元のことがあって縁起が悪いと思って避けた、というのも考えられることではあります。
でも、「名前」として知られていたのは「今川治部少輔(でしたっけ?)」でしたでしょうし、
諱が知られていたか、という疑問はあります(当主クラスは知られていたのかな?当主同士
で書状をやり取りする仲ならばきっと分かってますね)

(「官職総覧」にすこし書いてありますが、縁起が悪いから、というのは石田三成や福島正則が称していた「官職」ですよね。松平忠吉が美濃守か尾張守を勧められたときに「身の終わり」とは縁起が悪い、と「下野守」を望んだけれど、「下野守」は縁起が悪い(平家で早死にした人が居たのだと思いますがよく分かりません)とまわりの人々は言い合ったところ、本当に早死にしてしまった、とかも「官職」に対して縁起の良い・悪いがですし)

今の大河ドラマでも、松平信綱、松平忠輝、伊達政宗とか平気で呼びますが、
松平伊豆守殿、とか(家光が呼ぶときは「伊豆!」とか実名でしょうけど)、
越後少将様とか、仙台中納言殿(もしくは松平陸奥守)とかでしょうからね。

まぁ、毛利家が「義」を貰えるような家格を当時保持していたか、ということを
見てみれば分かるかも知れません。

>大谷吉勝さま
初めまして。管理人のくらのすけと申します。
書き込みありがとうございました。けっこうマニアックな話が展開される場所ではありますが、
今後とも宜しくお願いいたします。

[95] お名前使用料 投稿者:大谷 吉勝 投稿日:2000/11/01(Wed) 07:43
始めまして 大谷吉勝と申します
>毛利輝元の「輝」のことです。
大河ドラマで「義輝」の「義」の字を嫌って「輝」を
もらったとありますけど皆様どう思いますでしょうか?

義の字は名前を受けるとき支払うお金が高かったのだと聞いたことがあります
それで安い輝の字をもらったんでしょうか
将軍からの申し出を断ることはできなかったでしょうし


[94] ご無沙汰しています。 投稿者:たきやん 投稿日:2000/11/01(Wed) 01:17
少し前の書きこみで気になるものがありまして・・・

毛利輝元の「輝」のことです。
大河ドラマで「義輝」の「義」の字を嫌って「輝」を
もらったとありますけど皆様どう思いますでしょうか?

たしかに「義元」は、縁起悪いと言うのも分かりますよね。

http://homepage1.nifty.com/NCRAFT/sengoku/


[93] そっちの方がありますね 投稿者:宮野州 投稿日:2000/10/29(Sun) 00:23
>くらのすけさん
>だいたい大身家臣(戦国時代に同盟者の立場だったような家)は藩政に関わらず、地位のみ高い、という感じですかね。
>(越前家初期の結城家老などはその典型です。)
>それが徐々に大名家の家臣という意識になってきて、「家老」として定着する、と。
>一部はそのまま名誉職のような家老になって、ほとんど藩政に関わりませんが。
そうみたいですね。時間があったら秋田藩も調べてみようと思います。

>『下野国史』1万円。
これnetで7000円で見つけて購入しました。
>『関八州古戦録』値段見ず
あのようなサイトを開いていながら実は持ってなかったりするんですが、高いんですよね。
ある某書店にもあるんですけど、約一万しますからね。(新人物往来社のやつ)
他のとどこかで安いのがでないかなと思っているんですが・・・

>神田古書店街の古書セールに行った方が良いかも知れません
私は行って来たんですが、歴史系はほとんどなかったです。(泣)

[92] お祝の言葉頂き有難うございました。 投稿者:味舌政宗 投稿日:2000/10/28(Sat) 19:00
>くらのすけさま

昨日は、私のところのリニューアルでお祝の言葉頂きまことに
有難うございました。すこし、中途半端な船出となりましたが
まずは15c末に絞って話を進めて行く予定です。これから、
卒業論文に向けてお忙しくなるとの事ですが、また遊びにいら
してください

http://www5a.biglobe.ne.jp/~masita/clubindex.htm


[91] 拾い物 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/10/28(Sat) 01:03

>藍住伯耆さま
ご迷惑でしょうがどうぞ宜しくお願いいたしますm(_ _)m

>宮野州さま
お仕事忙しいようでたいへんですね。こちらこそ掲示板にお邪魔せずこちらで
済ませてしまって申し訳有りません。

>年賀の挨拶で、家臣が主君の元に参上するときに
>家によって着座が決められており、盃を授けたところから始まっているようです。
こういう行為はどの大名家でも行われている気がします。
将軍−大名、
大名−家臣
家臣−家人
と、どんどんと下のレベルで家の中の「格」が定義されて武家の社会が
構成されていたと聞きますので。
この家格制がどのように秋田藩で藩政に関わってくるのは面白そうです。

>気になる諸氏族が江戸期に佐竹家臣として存在しているので、
>どのような立場だったのか気になったもので、
一般論(外様大名の場合)ですが、だいたい大身家臣(戦国時代に同盟者の
立場だったような家)は藩政に関わらず、地位のみ高い、という感じですかね。
(越前家初期の結城家老などはその典型です。)
それが徐々に大名家の家臣という意識になってきて、「家老」として定着する、と。
一部はそのまま名誉職のような家老になって、ほとんど藩政に関わりませんが。

今日、某県立図書館に出かけましたが、途中の商店街で古本市をやっていました。
けっこう歴史関係の本が多かったので見てみたところ、『徳川実記』第二編を
なんと¥1000で入手!カビなどで安かったのですが、中は日焼けもしておらず綺麗でした。
最近再刊しましたが、セットでないと入手できないので、これは値段もですが得しました。
しかし図書館は休館でした…

で、この古本市でちらとみたいくつかの書籍情報を。
『下野国史』1万円。
『関八州古戦録』値段見ず。
『深谷市史』3万円。
熊谷家(熊谷直実系、毛利家臣)文書集、2500円。
『戦国大名閨閥事典』値段見ず。
『系図研究の基礎知識』値段見ず。
『御当家紀年録』1万5千円(おそらく)。

などありました。日曜日までです。
もし行って売り切れでも責任はとりませんのであしからず。
場所は関東圏で県庁所在地といっても間違う人が多そうな市です。
ちかい将来合併します。駅から徒歩5分くらいです。

暇でご自宅から近かったら行ってみてはいかがでしょうか。
(でも神田古書店街の古書セールに行った方が良いかも知れません)

[90] さあ、ついに・・・ 投稿者:宮野州 投稿日:2000/10/27(Fri) 00:16
質問しておいてしばらく反応がなくてすいません。

>家老の月番制のようなものですか
私も最近知ったので、詳しいことは分からないのですが、年賀の挨拶で、家臣が主君の元に参上するときに
家によって着座が決められており、盃を授けたところから始まっているようです。
着座をみることで家臣の佐竹家における立場がある程度分かります。

>ほとんどお力になれずすいませんm(_ _)m
気になる諸氏族が江戸期に佐竹家臣として存在しているので、どのような立場だったのか気になったもので、
近世を現役で学んでいるくらのすけさんに質問してみましたが、迷惑だったようですね。(^^;

私の現在のHP状況は、資料を集めはするんですが、自分の処理能力が追いつかず結局何もできない状態です。(汗)
って誰も聞いてないですね。(^^;

[89] 御意 投稿者:藍住伯耆 投稿日:2000/10/26(Thu) 03:29
被申越候趣、委細承知仕候、可御心易候、卒論堅固可被致事簡要候、恐々謹言(^^)

[88] 宇和島伊達家…!? 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/10/25(Wed) 02:29
>藍住伯耆さま
この書き込みをご覧になるのがお帰りになった後で無いことを祈って…
う、宇和島伊達家の文書整理をなさるんですか!?

もし、近世文書でしたら、松平越後守家(松平光長、松平忠直の嫡男で光長の
娘が伊達宗利に嫁いでいる)関係の文書、記録等がまだ残っていませんでしょうか?
国文学研究資料館史料館(通称、国立史料館)に越後騒動関連の幕閣と宗利との
やりとりの書状(宇和島伊達家が越後守家の屋敷の管理、家財管理を行っていた関係で)等のマイクロフィルムの紙焼きがあるのですが、未整理分の中に関連する資料がありましたら、是非是非お知らせ頂きたく存じますm(_ _)m
また、整理した文書の目録などを出す予定はあるのでしょうか?

思わず取り乱してしまいました…。何か新しい文書があったら、
上(に行けたら)で新しいことが出来そうなんですが…

それから、掲載された雑誌のタイトルは何でしょうか?うちの大学に入っているものだろうか…

最後に、わざわざ追伸で書き込んで頂いてありがとうございます。これからも頑張らせていただきます。

>林六郎光明さま
私もなにせ論文を書くのが初めてなもので…どんなものになるやら、全く想像がつきません…
これから知恵熱が出ないとも限りませんし…。
ちなみに、修士論文は(順調にいけたら)2年後です。

>小花作之助さま
もういちど黒田基樹氏の本を確認してみます。
しかし、武田氏の「昌」は黒田氏も根拠は分からないようです。
上杉氏の「顕」は景勝(顕景)や長尾顕長(館林長尾氏、由良成繁の二男)、「長」は色部長実、では当てはまらないでしょうか(いま思いついたままで、自信は全くありません)

今日は徹夜か…?

[87] 追伸 投稿者:藍住伯耆 投稿日:2000/10/24(Tue) 20:54
祝20000HITです〜(^o^)/~~~

[86] 的外れ 投稿者:藍住伯耆 投稿日:2000/10/24(Tue) 20:53
>小花殿
・・・なことを申し上げたようですみません。
忘れて下さい。

>くらのすけ殿
修論も書けないのに手を出した地方雑誌への投稿が
一昨日到着しました。
自分の論文が活字化されてはじめて気づく誤字脱字
誤論誤推の数々・・・(ToT)
もうそろそろ卒論も雑誌に投稿したやつが
刊行される頃です。
今回同様後悔の念に駆られることでしょう・・・はぁ。
と、まあ愚痴はこれくらいにして(スンマセン)、
今度伊予宇和島藩伊達家の文書整理に行って来ます。
これまで5000点整理が済んでいますが、あと
7000くらい残ってるそうです。
伊予の近世藩政文書でまともなのはここだけですから、
期待しています(^^)
何か面白いネタ見つけたら御報告しますね。謹言、

[85] 大変遅ればせながら 投稿者:林六郎光明 投稿日:2000/10/23(Mon) 01:23
20000HITおめでとうございます。

修論、大変そうですね。
私はああいうもの書くと知恵熱が出るたちですので、
書かれる人を見ると、尊敬してしまいます(^_^ゞ

[84] Re[77]: 偏諱「輝」 投稿者:小花作之助 投稿日:2000/10/22(Sun) 18:00
>藍住伯耆殿
すみません。またわかり辛い文でした。
偏諱については理解しているつもりなので、改めて整理したいと思います。

「偏諱」というものは、
元服のときに烏帽子親の諱から一字を受けることがもともとであり、
それが転じて、有力又は側近の家臣に与えたものだと考えています。
従って、与える主人の諱(の二文字のうち)から与えるものであり、それ以外の文字を使用することはないと考えていました。
ところが、こちらで武田氏の「昌」字など、上杉氏の「長」など主君以外の文字を与えていると言う説があることをしり、どういう実例があるのか知りたかったのです。
また、将軍からの偏諱をさらに家臣(など)に与えることについてはその性質上ないと考えています。
ただし、鎌倉公方(古河公方)については、その「公方」としての性格から
「将軍と同様の偏諱」を与える可能性も考えられると思いますが、
専門に研究している訳ではないので、不確かなため、実例によって確認したいと思っているのです。
そこで武田氏の「昌」や上杉謙信の「顕」「長」「輝」の実例をがあるのか確認したかったのです。
つまり、「昌」や「長」の文字の根拠も不明ですし、上杉氏に関しては「憲」の字が無いことや、「輝」の将軍よりの文字を与えていることが不思議(しかも長尾輝景しか居ないよう)なので、実際に主君より与えられた偏諱であると確認されているのかを知りたかったのです。

うまく纏まっているでしょうか?

[83] 皆様に御礼 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/10/21(Sat) 02:16
お陰様で2万ヒットを記録しました。ありがとうございました。
更新停止のお知らせは出していませんが、結局そうなりそうですね…。
ご迷惑をおかけすると思いますが、ご了承のほどを。

>藍住伯耆さま
最近やっと書き始めました。まだ10数ページくらいで、過去の研究論文の整理の項の
段階です。「このペースなら1日1ページでも400字詰め原稿用紙に120ページ分くらいになりますね」と大学院の先輩に言ったら、そんなハズはない、と言われたのですが、
どうも今は1日1ページくらい(パソコンに向かっているのが休みの日でも数時間ですが)
なので、ちょっと怖いです。

また、長尾輝景については、たしか黒田さんの本で謙信から偏諱を受けた、
と書いてあったような気がします…いままでのこの掲示板の議論からはおかしいのですが。
もっとも、本は図書館に返却してしまったので私の記憶がおかしいかも知れません(^_^;)

>味舌政宗さま
味舌さまにやや遅れてこちらも2万ヒットです。
ところで本当に味舌様は偶数のキリ番を踏まれるようですね。
あと、キリ番ゲットの人は、更新記録に名前を少し前から
入れるようにしました(余り目立たずすいません)

>宮野州さま
こちらこそご無沙汰いたしております。

>近世秋田藩の家臣団制度に引渡衆/廻座制というものがありますが、
>これに関する資料を御存じないでしょうか。
ついに近世にも突入ですか?しかし、
近世専攻の人間がこういうことを言うのも申し訳ない気がしますが、
何にも分かりません(-_-;) 「廻座制」という語から想像するに、家老の
月番制のようなものですか?(といっても家老の月番制はどこの藩にも
ありますが…)
「秋田地方史の研究」などという本がうちの学校の蔵書検索で引っかかりましたが、
個別の論文は書いていないので何も分かりませんでした。
ただ、『藩史大辞典』という書籍が出ていまして、その最終巻に藩ごとの
書籍・史料・論文が一覧で載っていますので、まずはそれをご覧になったら
良いかと思います。『秋田市史』の近世史料編に関しては、全然見ていないので
どのような史料が載っているのかも不明です。ただ、秋田市の秋田市史に関する
ページでは、新発見史料とか、未翻刻史料を掲載、のように書かれています。
ほとんどお力になれずすいませんm(_ _)m

>畠山義綱公
ご訪問ありがとうございます。最近の更新頻度は凄いですね。しかも
個人ページも更新がかなり頻繁のようで頭が下がる思いです。
2周年記念企画も楽しみです。

>武藤舜秀さま
ありがとうございます。これからもがんばります。

>KUBOさま
ありがとうございます。下国系図の件ではお世話になりました。

>ちょっと悔しい...(^^;) うちはまだその半分も行かないですが...(^^;)
KUBOさまのところと、うちのご訪問者数の推移は殆ど一緒のようです。
開設8ヶ月でおよそ8000人。逆に、今KUBOさまのところが2万ヒットだったら、
凄いと思うと共に、逆に私が悔しいです(笑)。

ではこれからも宜しくお願いいたします。有り難いことに義綱公が後の更新を
期待されておられますが、佐野氏関係の資料を見つけてしまったんです(^o^)
(でも書名だけメモしておいてある状態です)

ではでは。

[82] 私は... 投稿者:KUBO 投稿日:2000/10/20(Fri) 20:39
20000Hitおめでとうございます。私は20003人目でした(^^;)
ちょっと悔しい...(^^;) うちはまだその半分も行かないですが...(^^;)

[81] 20066人目〜 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2000/10/20(Fri) 20:18
20066人目です。
いつのまにかに20000人行ってます。
おめでとうございます

[80] 20000hits祝電 投稿者:畠山義綱 投稿日:2000/10/20(Fri) 13:20
どうも、畠山義綱です。
早くも20000HITSですね。やはり
追い抜かされそうですね(苦笑)
論文の方、頑張って下さい!その後の更新も
期待しています!

[79] 20000hitお祝い&質問 投稿者:宮野州 投稿日:2000/10/20(Fri) 00:19
お久しぶりです。
お忙しいときに質問に訪れたことをお詫び致します。

近世秋田藩の家臣団制度に引渡衆/廻座制というものがありますが、
これに関する資料を御存じないでしょうか。
文政年間に作成されたといわれている「御当家引渡廻座略伝記」というのがあるそうですが、
やはり基本は秋田県史近世編 通史/資料編あたりでしょうか?

20000hitおめでとうございます。

[78] 20000HITおめでとうございます。 投稿者:味舌政宗 投稿日:2000/10/19(Thu) 22:51
こんばんわ。なんといいますか、結構くらのすけさんのところに
くるとキリ番をGETしてしまいますね。これで3回目くらいですかね
20000HITおめでとうございます。

[77] 偏諱「輝」 投稿者:藍住伯耆 投稿日:2000/10/17(Tue) 02:26
>上杉謙信が家臣や従属国衆に下賜した文字として「景」「輝」のほかに「顕」と「長」があった。
>だいぶ前の話題ですが、上杉謙信が与えた「景」と「顕」は分かりますが、
>「輝」を与えた武将って長尾輝景?のほかにいるのですか?

>小花殿
これは笹本正治『戦国大名の日常生活−信虎・信玄・勝頼−』にあったので
すが、将軍からの偏諱を家臣に与えることは武田氏の例ではなかったそうで
す。これは、武家儀礼の通例と考えられるので、長尾輝景の場合も(私はこ
の人をよく知りませんが)義輝から偏諱を受けた可能性はありませんか?
義晴期以降、諱字を大名当主(大体跡継ぎに一字授与)のみならず、国人に
も与える傾向がみられるようです。
大友、大内なども、通例として将軍家の通字である「義」を受けますが(大
友:義鑑<初名親安>−義鎮<宗麟> 大内:義興−義隆)家臣には下の字
を与えています。
また、偏諱を受けていないけれどもその大名家に臣従している場合もありま
す。その場合、主従関係の親疎の度合いを考える目安になるのでは?一門や
譜代はそのまま一族の通字を使いますが、独立性の強い家臣の場合大名の偏
諱を受けない場合もあるようです。また、新興勢力(国人・土豪)は大名と
結びつくため積極的に偏諱をもらう傾向があります。

>くらのすけ殿
>戦国期は幕府は介入しないでしょうからね
そうですね。一応伊達・河野の例では義晴が和睦の斡旋を試みているようで
すが、以前のように強制力はないですね。結局、将軍権力は嘉吉の乱・文正
の政変から大名連合の反発にあって相対的に低下しましたから。将軍権力へ
の求心性を指摘される研究者のかたもおられますが、所詮「それなり」に認
められるという程度でしょう。
卒論の進行のほどはいかがですか? 



[76] 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/10/17(Tue) 01:19
>小花作之助さま
以前もあげた黒田基樹氏の『戦国大名と外様国衆』(タイトルうろ覚え)
に書いてあったのですが、上野国周辺の国人に与えている
覚えがありますが、もう本を返却してしまったので具体的には
ここにかけません。すいません。(和田氏…とかだったかな)

また、河田長親の「長」は、上杉家の家臣だからとて
すべてが偏諱をもらうわけではないとおもうので、家の通字とか
ではないですか?よくわからないんですが。

話は変わりますが、大河ドラマ、凄い説をぶち上げましたね〜。
仙千代君を養子に…か。たしかに越前家とも別家になっているような
状況証拠はありますが…。

[75] Re[29]: 偏諱ふたたび 投稿者:小花作之助 投稿日:2000/10/15(Sun) 17:05
> 「上杉謙信が家臣や従属国衆に下賜した文字として「景」「輝」のほかに
「顕」と「長」があった。

だいぶ前の話題ですが、上杉謙信が与えた「景」と「顕」は分かりますが、
「輝」を与えた武将って長尾輝景?のほかにいるのですか?
また、「長」の字(河田長親?)の謂れはなんでしょうか?

[74] 戦国の論文が目についても。 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/10/15(Sun) 01:49
さすがにもう手を伸ばせる状況ではないな、と自重するように
なってきました。

山城の守護のことについては、皆様、書き込みありがとうございました。
一般の国の守護とは職能が異なるのですかね…

ネタも時間もありません。申し訳ないですがこの辺で…

P.S.
ぴえーる様、いずれリンクさせてください(『織豊大名家臣団事典−九州編−』、
一部完成しているじゃありませんか。)

[73] Re[72]: 山城国守護のこと。 投稿者:味舌政宗 投稿日:2000/10/10(Tue) 01:14
> 味下氏ご紹介の杉山説の他に、朝廷の検非違使庁が機能しなくなってきたので、
> 侍所に都の警察権を、洛外の行政を山城守護に担当させていたとも言われています。
> 足利将軍家も直轄領とはいえ、将軍家が直接支配というよりも幕府政所を通して支配していたようですし、
> 都の土倉役や酒屋役についても五山を通じて収益を受取っていましたから、
> 前代よりも支配体制は、かなりシステム化されていたように思います。

なるほど。徴収システムはある程度できてたんですね。検非違使の職権の
置き換えについては誰でしたか失念しましたけど、論文でそのことが書かれ
ているのを見た記憶があります。杉山説でだいぶん古いんですよね。たしか
これが書かれていたのは1970年刊行の中央公論社の日本の歴史11
だったはずですが、いまはどのようなのが主流なんですかね。だいたい
この時代を中心に研究しているのが大御所で永原慶二氏や今谷明、佐藤進一
といったお歴々の見解も一度目を通してみたいですね。

[72] 山城国守護のこと。 投稿者:林六郎光明 投稿日:2000/10/10(Tue) 00:47
角川第二版『日本史辞典』によれば、
至徳2(1385)年の山名氏清を皮切りに、
永正15(1517)年の大内義興まで、のべ30人が在職しています。
その間、不設置のときもあるにせよ、けっこう短期間で交代しているようです。

味下氏ご紹介の杉山説の他に、朝廷の検非違使庁が機能しなくなってきたので、
侍所に都の警察権を、洛外の行政を山城守護に担当させていたとも言われています。
足利将軍家も直轄領とはいえ、将軍家が直接支配というよりも幕府政所を通して支配していたようですし、
都の土倉役や酒屋役についても五山を通じて収益を受取っていましたから、
前代よりも支配体制は、かなりシステム化されていたように思います。

[71] 私もそうおもいます。 投稿者:畠山義綱 投稿日:2000/10/10(Tue) 00:42
>山城守護に対して

私も味舌さんの意見に同じ思いです。
わざわざ守護を山城におかなくても・・・
と思います。とくに、応仁の乱以降、室町幕府の
財源は山城での税がほとんどです。その山城に
守護を置くと言うのは、山城すら奪われてしまい
かねない、愚策だと思うのですが。あまり詳しく
研究されている方がいないのでしょうか?
どなたかに詳しい見解を聞きたいですね。

[70] 『肥後國誌』欲しいなぁ〜 投稿者:ぴえーる 投稿日:2000/10/09(Mon) 22:54
>くらのすけさん
>強制的に阿蘇から熊本・宇土へ連行されたのですか?

1.島津軍が攻めてきたので居城を捨てて落ち延びる。
2.秀吉の征西時、参上するのが遅かったため所領没収、
  のところを、懇願によりわずかだけ安堵。
3.佐々成政入国。人心収攬のため二人を隈本城に迎え入れる。
4.肥後国人一揆。旧臣の一部が参加したため立場がまずくなる。
  しかし二人を守るため成政に協力する旧臣もいたのでセーフ。
5.成政改易。清正と行長が入国。それぞれに引き取られる。

という流れですね。

>高森氏は登場したんですか?

天下統一II以降に登場しているようです。

>ところで『肥後国史』って刊本になってましたっけ?

青樹社から刊行されてます。
『肥後國誌』上・下・補遺・拾遺、と現在四冊あります。

>じゃ、「織豊大名家臣団事典−九州編−」でどうでしょうか。(^_^;)

清正と行長の二人限定なら考えます。うーん、手抜き。

>ところで、ぴえーるさまは以前サイトをお持ちで閉鎖なさったように
>承っておりますが、再開の予定はないのでしょうか?

http://www.geocities.com/Tokyo/Temple/5656/
という、そりゃあもう、やる気の無いサイトならありますけど。

>たしかに1534年から200年ちかくとは凄い…
>しかも1年にいくつも出来事が書いてありますしね

○○歿とか書かれても『三百藩家臣人名事典』と『細川幽斎・忠興のすべて』が
ないと誰なのかちっとも分からないと思いました。

>ぴえーるさまはあまり美術館のほうへは足を運ばないのですか?

Ans.遠いから。

[69] 山城守護のこと 投稿者:味舌政宗 投稿日:2000/10/09(Mon) 21:22
> 山城国に守護が?すごく初耳です。
> わたしも全然わかりません。学校の先生に聞いてみるかな…
> できれば味舌様にお預けしたい問題ですね…
>
> とりあえず簡単に考えてみれば、親王任国の「介」のように、
> 守護でも守護代的なものだったりして…

お久しぶりです。わたしも対してしりませんけど、戦国史の大家であった
杉山浩氏(故人)によれば山城守護の初出は足利義満時代で、明徳の乱
で敗れた山名氏も一時この地位にあったそうです。
なんで、将軍の直轄領というべき山城に守護を置いたのだろうか。
杉山氏は将軍の直属軍奉公衆強化のためと推察されているようです。
奉公衆維持の経済的基盤を得る為、山城に守護を置き、さらの守護には
侍所長官(四職家)が兼任させたようです。守護をおいたのは山城の
寺社や貴族領にたいして半済を実施することと、犯罪人の所領没収を
おこなわせるためだといっております。
でも何か変なんですよ。なにも守護を置かずとも将軍が守護と同じことを
すればよいのにと思うんですが。守護の職権は将軍でも犯せないものであ
るでしょうか、詳しい方見えませんか。
でも時代が下ると山城守護は政権の中枢にいる守護大名が任ぜられるように
なるようです。

[68] Re[66]: ちょっと質問 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/10/09(Mon) 01:44
連続投稿失礼します
義綱公、ご無沙汰しております。

山城国に守護が?すごく初耳です。
わたしも全然わかりません。学校の先生に聞いてみるかな…
できれば味舌様にお預けしたい問題ですね…

とりあえず簡単に考えてみれば、親王任国の「介」のように、
守護でも守護代的なものだったりして…

と、これくらいしか思い浮かばず、すいません<(_ _)>

[67] 本多冨正 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/10/09(Mon) 01:39
大河ドラマ、忠直が改易(というか隠居)
されましたが、一貫して本多成重しか登場していなかった…
あの役は冨正なのでは?どうも疑問…

>ぴえーるさま

>いや、兄弟離されたり(惟光は清正、惟善は行長)して大変だな、と。
強制的に阿蘇から熊本・宇土へ連行されたのですか?
それで殺すとは酷いな…

>というか、今まで出た歴ゲーで甲斐父子と高森惟直以外の家臣出たっけ?
弁丸様のところで紹介されているものですね。高森氏は登場したんですか?

ところで『肥後国史』って刊本になってましたっけ?
和本を見る機会があったのですが、阿蘇氏家臣がわんさかいました(^^;)

>幾らなんでも無理ですよ〜。
>こんな田舎に住んでると史料がぜんぜん揃いませんから。
じゃ、「織豊大名家臣団事典−九州編−」でどうでしょうか。(^_^;)

ところで、ぴえーるさまは以前サイトをお持ちで閉鎖なさったように承っておりますが、
再開の予定はないのでしょうか?

>あれに載ってる系図と年表は凄いですね。おかげで謎が幾つも解けました。
>もっと早く買っておけばよかったと大後悔しております。
>巻末の年表は分からない人を完全に置いてきぼりにしますね。
たしかに1534年から200年ちかくとは凄い…しかも1年にいくつも出来事が書いてありますしね
ぴえーるさまはあまり美術館のほうへは足を運ばないのですか?
たしかに細川の資料は熊本城とかのほうが多そうですが…

[66] ちょっと質問 投稿者:畠山義綱 投稿日:2000/10/09(Mon) 01:27
どうも、畠山義綱です。ちょっと質問があるのですが、
山城の守護というのはどのような意味があったのでしょうか?
山城は室町幕府の政策か、有力守護が任命されず、されたと
しても非常に短期間。一時、畠山家の領国化にされかけました
が、応仁の乱(両畠山氏の対立)の為頓挫。
応仁の乱以後は幕府にとって山城が重要な直轄地で資金源でし
たし、守護を任命する意義があったのでしょうか?

[65] 図録買って金が無い 投稿者:ぴえーる 投稿日:2000/10/07(Sat) 13:43
>くらのすけさん
>>惟善も前半生は苦労の連続です。擁する家臣も大変だったでしょう。
>兄に疎まれたとか、ですか?

いや、兄弟離されたり(惟光は清正、惟善は行長)して大変だな、と。
このとき付き従った家臣が登場することはまず無いでしょう(^^;)
というか、今まで出た歴ゲーで甲斐父子と高森惟直以外の家臣出たっけ?

>ぴえーる様の手にかかると、「戦国大名家臣団事典」ならぬ
>「織豊大名家臣団事典」が作れそうです。

幾らなんでも無理ですよ〜。
こんな田舎に住んでると史料がぜんぜん揃いませんから。

>近い内に修正しておきます。…しかし永青文庫の図録も不親切だなぁ。
>ルビを振ればいいものを…でも熊本では常識ですか?

実はきのう図録を購入したので間違いに気づいたのです。
ルビふってなかったから「もしかしたら?」と思って。
あれに載ってる系図と年表は凄いですね。おかげで謎が幾つも解けました。
もっと早く買っておけばよかったと大後悔しております。
巻末の年表は分からない人を完全に置いてきぼりにしますね。
細かいこと書きすぎです(^^;) 調べてる側にとっては便利ですけど。

「こめだ」は……読めない奴は読めないんじゃないんですか(^^;)?
わたしも歴史に興味持ってなかったら読めなかったと思います。

[64] ばれました? 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/10/07(Sat) 02:25
ここの掲示板は投稿文をメールに転送してくれるので再び掲示板が
消失してもある程度は何とかなるのですが、最近いくつか抜けるようになりました。
何故だ…とおもったら何故か今日まとめて送りつけられました(^_^;)

>わっぱが様
はじめまして。拙サイトをご推薦下さいまして、ありがとうございました。
横手市の掲示板を拝見しましたが、わっぱが様が一緒に紹介なさっているのが
「新小野寺盛衰記」のサイトでは、お恥ずかしい限りです。

>秋田県は、地域豪族の末裔のかたもそれなりに多いので、いずれインターネット
>上で、より情報の集約がすすむと思います。
そうなってくれれば、近世史を勉強している私にとってもありがたいです。
勉強している藩の自治体(秋田県ではないですが)は、
旧藩士の文書所在調査をやっていないので困っているのです。
(藩主家の文書は膨大に残っているのですが…)

>中小豪族のみなさん(?)もあの世で嬉しがってるんじゃないかなあ。
どうでしょうか。「こんな奴は拙者の家臣には居らぬ!」とか
「(重臣を紹介と言っておきながら)はて?こやつは○○組の誰それの陪臣であったぞ!」
いうのも多々あるかと…(^^;) 今となっては歴史の闇の中でしょうが…

>ぴえーる様
たくさんのご投稿、ありがとうございます。返事もせずにすいません。
まとめてレスさせていただきます。

>惟善も前半生は苦労の連続です。擁する家臣も大変だったでしょう。
兄に疎まれたとか、ですか?

>兄貴は殺される。宇土城にいたら清正に攻められる。
宇土城にいたのですか。「山を下りて」きたんですね。
知らなかったです。

>……よくもまぁ、生き残れたものです(^^;)
しかし、直系が絶えたら阿蘇の祭司を執り行う家が無くなってしまうのでは…
べつのずっと前に分家した阿蘇一門などを取立てればいいのかな?

>登場する頃にはゲームが終わってると思います(笑
たしかに(笑)。でも家光や天下の副将軍よりもずっとましな気がしますよ。

>「中村一氏家臣団事典」は史料が揃うまで保留して、
>「小西行長家臣団事典」を考えてみることにしました。
ぴえーる様の手にかかると、「戦国大名家臣団事典」ならぬ
「織豊大名家臣団事典」が作れそうです。

>二人の苗字は「よねだ」ではなくて「こめだ」と読みます。
やっぱりバレましたね(^_^;) 
以前にどこかで「こめだ」と分かったのですが指摘する人もなく、
しばらくほっとこう、と思っていましたが、ついにバレましたね。
近い内に修正しておきます。…しかし永青文庫の図録も不親切だなぁ。
ルビを振ればいいものを…でも熊本では常識ですか?

>林六郎光明さま
こちらの方こそ、なにかリンク紹介文にご指摘がありましたらお願いいたします。
これからよろしくお願いいたします。
ところで、題名はわたしもけっこう四苦八苦する質なので、無題でもいいか、
と思うときがあります。「無題」も題ですから、お気になさらずに。

[63] ライス 投稿者:ぴえーる 投稿日:2000/10/06(Fri) 23:05
戦国武将官職総覧の「よ」のところに書いてある
米田求政と米田興季ですが、
二人の苗字は「よねだ」ではなくて「こめだ」と読みます。
誤読しやすいのにルビをふられない苗字であります。

[62] TNZ? 投稿者:ぴえーる 投稿日:2000/10/05(Thu) 23:55
「中村一氏家臣団事典」は史料が揃うまで保留して、
「小西行長家臣団事典」を考えてみることにしました。
今のところ名前を調べるだけで精一杯ですが……。
『小西行長のすべて』が出れば話は早いんですけどねぇ(^^;)

[61] またやってしまいました… 投稿者:林六郎光明 投稿日:2000/10/04(Wed) 17:23
どうも最近くたびれているのか、ちょいちょい題名を入れるのを忘れてしまいます。
↓以後、気をつけますので、なにとぞご笑納下さいm(__)m

[60] 無題 投稿者:林六郎光明 投稿日:2000/10/04(Wed) 17:19
早速リンクいただき、ありがとうございます。
拙サイトでもこちらほどではないのですが、紹介文を作らせていただきました。
誤字訂正等ございましたら、遠慮なくご一報下さい。

[59] 阿蘇兄弟 投稿者:ぴえーる 投稿日:2000/10/03(Tue) 17:16
>くらのすけさん
>惟光が肥後一揆の嫌疑を受けて殺されて、阿蘇大宮司になったのが惟善でしたっけ?

惟光が殺されたのは梅北の乱に関与したためといわれています。
まぁ、ほぼ間違いなく冤罪でしょうけど。
深水宗芳が秀吉に讒言したので殺されたいう説もあります。
以前、主君(相良義陽)を討ち取られた恨みですな。
ただしこちらは嘘八百。宗芳はとっくに死去しています(^^;)

清正のおかげですね。<惟善
惟善も前半生は苦労の連続です。擁する家臣も大変だったでしょう。
兄貴は殺される。宇土城にいたら清正に攻められる。
……よくもまぁ、生き残れたものです(^^;)

>惟善はそのうち登場しそうな気がしますが。

登場する頃にはゲームが終わってると思います(笑

[58] 横手市のHPから 投稿者:わっぱが 投稿日:2000/10/03(Tue) 04:28
横手市役所の市民掲示板(URLは下にあります)に小野寺氏の末裔の方から
小野寺氏の情報がないかとのお問い合わせがありましたので、くらのすけさんの
こちらの小野寺氏HPのurlを紹介させていただきました。
いずれ小野寺氏の末裔の方が、いろいろと情報を集められて、IT時代の
小野寺正史がまとまれば面白いかなあ、と思いました。(すでにあるかな?)

アレックス・ヘイリーじゃありませんが、くらのすけさんのサイトが充実
すれば、自分のルーツが改めて判明する人がどんどん増えるでしょうね。
その意味からも、非常に意義の大きいHPだと思います。
これからも、着実な研究、僭越ながら影から期待させていただきます。

秋田県は、地域豪族の末裔のかたもそれなりに多いので、いずれインターネット
上で、より情報の集約がすすむと思います。
 私も先日、地元の藩の現在のご当主の方のHPに感想を送ったところ、丁寧な
お返事を頂きました。こんな経験ができるのも、また、ITの一つの価値なのかな、
とも思うのです。
 中小豪族のみなさん(?)もあの世で嬉しがってるんじゃないかなあ。

http://www.echna.ne.jp/~q7ckr/cgi-bin/minibbs.cgi


[57] 涼しくなってきました 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/10/03(Tue) 02:37
『秋田市史』のお陰で現在アップしてある安東氏近隣諸豪族の家臣を何人か追加できそうです。現代語訳も史料一点毎についているし(一部が多い)、なかなか良い史料集です。(ただ、A4版なので持ち帰りが一苦労でした)

>ぴえーるさま
>惟将の弟が惟種、惟種の二男で惟光の弟が惟善。
惟光が肥後一揆の嫌疑を受けて殺されて、阿蘇大宮司になったのが惟善でしたっけ?
惟善は近世阿蘇家の初代になるのでしょうか?惟善はそのうち登場しそうな気がしますが。

>藍住伯耆さま
>とってもとっても滞っているもので・・・卒論の時は楽だったのに(ToT)
やはり修士論文はつらそうですね。卒論と修論、レベルは全然違いますが、お互い頑張りましょう(^_^)
私も味舌さまや宮野州さまが本格復帰したらおいおいサイト更新から身を引こうかと思います。それまでちょこちょことはしようかとは思います。

>天文期(1532〜1555)の大名家に頻発した家督相続争いを
>追っかけてはいるのですが、今いちどうも特質らしきものを抽出できないのです。
難しそうですね。いろいろと家によって騒動勃発の事情はあるのでしょうね。近世の御家騒動の場合は幕府介入から一門談合で解決を図るという変化を遂げる、ということはあるらしいですが…戦国時代は幕府は介入しないでしょうからね。

>hiroakiさま
はじめまして。ようこそいらっしゃいました。ご覧頂きましてありがとうございます。
はじめは蠣崎氏の家臣が何故いないのか?ということから出発したサイトです。
でも私も資料を読んでそれを伝えているだけで、知識の蓄積はなさそうです(^_^;)
以前追加した勢力についてを掲示板で聞かれても忘れてますので…。
これからもよろしくお願いいたします。

>林六郎光明さま
リンクについて御快諾ありがとうございます。近い内にリンクに加えさせていただきます。
また、光明さまのサイトは今でも内容が豊富だと思います。私の方こそ戦国時代の基礎知識など、ご指導よろしくお願いいたします。

[56] こちらこそよろしくです。 投稿者:林六郎光明 投稿日:2000/10/02(Mon) 22:13
こんばんわ。とりあえず復旧致しました。
リンクの件、こちらこそよろしくお願い致しますm(__)m
まだまだ未完成で、いつになったら完成に近づくのかわからないサイトですけれど、
ご指導のほど、よろしくお願い致しますm(__)m

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sakura/5469/


[55] はじめまして 投稿者:hiroaki 投稿日:2000/10/02(Mon) 00:37
くらのすけ様はじめまして。hiroakiと申します。以後お見知りおきを。

こちらの、無名武将列伝を拝見してただただ、呆然としております。
あまりものデータに・・・
どのようにしてここまでなさったのかただただ感心致しております。
私も齢三十近く、信長の野望16ヶ国版(MSX)をはじめて知ったのが、中学のころ・・・
そのときより、戦国マニアを自負していましたが、もう全然足元にも
及ばないことをしらしめられました。m(_ _)m
まだ全てのページを拝見していないのでゆっくりと拝見させて
頂きます。今後ともよろしくお願いします。m(_ _)m

[54] うぉーーーっ! 投稿者:藍住伯耆 投稿日:2000/10/01(Sun) 01:24
>くらのすけ殿

 態令啓候、即修論中間報告準備之儀、未整于今遅々、無是非候!
 
 と中世文書調に愚痴っても詮無いのは重々承知なのですが、
 とってもとっても滞っているもので・・・
 卒論の時は楽だったのに(ToT)
以前も申し上げたかも知れませんが、天文期(1532〜1555)の
 大名家に頻発した家督相続争いを追っかけてはいるのですが、今いちどうも
 特質らしきものを抽出できないのです。
 まとめるには戦国大名論を展開しないといけないし、在地領主制とか守護領 国制とか幕府−守護制度とか・・・もー、わけわかめ〜〜〜!

[53] 阿蘇一門 投稿者:ぴえーる 投稿日:2000/09/30(Sat) 19:41
>くらのすけさん
>>マイナーというのは阿蘇惟前や阿蘇惟賢、阿蘇惟種、阿蘇惟善を指す(笑
>ほんとにマイナーですね。で、この人々は一門衆ですか?

「信長の野望」常連の阿蘇惟将の従兄弟が惟前、その子が惟賢。
惟将の弟が惟種、惟種の二男で惟光の弟が惟善。
たぶん永久に登場しないと思います(ぉ

[52] Re[51]: 初めまして。 投稿者:くらのすけ 投稿日:2000/09/30(Sat) 03:06
気づかぬ内に『秋田市史』(新版)が図書館に入荷。
ちかい内に安東氏を大幅改訂することを宣言します。
南部氏も某掲示板でいろいろ言われているようなので(考えすぎ。このサイトの
批判ではありません)、少し追加・削除・訂正をしようと思っております。

さて、林六郎光明さま、はじめまして。味舌さまのところでお名前は拝見しておりました。

> 数え切れないほどROMは致しておりましたが、初めてカキコです。
> 何の因果か、平安末期から始めてしまったものですから、
> 近世専門のこちらには気後れいたしまして、今になってしまいました。

どうもありがとうございますm(_ _)m 私が近世を勉強していることから、
近世に片寄ってしまいまして、申し訳ありません。他の皆様にもご不満のことかと
思います。でもどんな話題でもついて行くつもりですので、遠慮なさらずお願いします。

> 以後、よしなにお付き合いのほど、お願い申し上げます。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。m(_ _)m

[51] 初めまして。 投稿者:林六郎光明 投稿日:2000/09/29(Fri) 01:30
数え切れないほどROMは致しておりましたが、初めてカキコです。
何の因果か、平安末期から始めてしまったものですから、
近世専門のこちらには気後れいたしまして、今になってしまいました。
あちらこちらの掲示板ですれ違うたびに、伺わねばと思っておりました。
以後、よしなにお付き合いのほど、お願い申し上げます。

↑ほとんどメールみたいな内容ですね(苦笑)

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sakura/5469/


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