掲示板 「無名庵」過去ログ その十七
No.251〜300(2001/5/8〜6/23)

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[300] タンゴ一式 投稿者:ぴえーる 投稿日:2001/06/23(Sat) 17:38
>くらのすけさん
>そういえばぴえーる様はここをご覧になっているのでしょうかねぇ。

マンガ喫茶から見てますよ〜♪

>以前沼田某(勘解由)は細川氏家臣では、という話題がありましたが、
>どうやら一色氏家臣の沼田氏は「沼田幸兵衛」であるらしいことが分かりました。

その名前はどっかで見たような気がしますが(『日本城郭大系』?)、
典拠が怪しかったのでメモも何も取りませんでした(^^;)
確か中山城主ではなかったかと思うのですが……。

一色氏の家臣は『細川家記』に何人か載ってるかもしれませんが、
実名まで載ってる人はたぶんいないでしょうね。
矢野氏とかいましたが、通称しか載ってなかったような。

http://www.geocities.com/Tokyo/Temple/5656/


[299] Re[297]:RE: PUK 投稿者:KUBO 投稿日:2001/06/23(Sat) 17:13
>くらのすけさん
> どこか有名な家で祖父と同じ名前の人物っていましたっけ?
 有名かどうかわかりませんが、松前家は「隆信」と「鎮信」が二人ずついたと思い
ます。あとの方は江戸時代に入ってたと思いますが。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[298] 相馬氏がそうですね 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/06/23(Sat) 11:52
相馬氏も結構祖父と同じ名前と言うのがあります。
相馬盛胤は13代と15代目が名乗ってますし、
相馬義胤も16代と18代目が名乗っています。

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[297] PUK 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/06/23(Sat) 02:35
出るようですね。パワーアップキット。

http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20010622/koei.htm

シナリオ5本、武将130名追加だとか。

>HAZU様
ありがとうございました。助かります。
結構同じ名前が繰り返される家は多いみたいですね。

>武藤様
やはり有名な勢力は疎いですな。私は。
しかし伊達氏位は知っていなければならぬと思いました。
どこか有名な家で祖父と同じ名前の人物っていましたっけ?

[296] 政宗は・・・ 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/06/22(Fri) 09:42
いえ、最初の方の政宗は9代目で、
独眼龍政宗は17代目ですから。

独眼流のほうの祖父は晴宗ですからね〜

私は『東北中世史 岩城氏とその一族の研究』
と言う本に基づいてますんで。(今の所)

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[295] Re[293]:RE: 岩城氏 投稿者:HAZU 投稿日:2001/06/22(Fri) 07:19

武藤舜秀 さま(^^;

>>親隆の生年が・・・1514年。
>>親の晴宗でさえ1519年生まれなのに・・・

 岩城氏の場合、親隆、常隆が二人ずついるから、混乱しているものが
あります(^^;
 親隆の場合は隆忠の子と伊達晴宗の子ですね(^^;)
 常隆の場合は二人ともそれそれの親隆の子だった(^_^; アハハ…
 ま、『中世東北の武士団』という本に詳しいです(^^)


筈衛

[294] 『高鍋藩史話』 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/06/22(Fri) 01:43
↑ついに買ってしまいました…
「無名武将列伝」(秋月氏)の為に書籍を。
でも結構詳しかったので2000円以上払って買った甲斐があったとは思います。

>村上信濃守様
こたつ城主様のところではどうも。
リンクについてはお手すきの時で結構ですので。
やはりお仕事なさっているとHPの管理が大変ですよね。
今後とも宜しくお願いいたします。

>味舌政宗様
ご訪問ありがとうございました。こちらこそご無沙汰しておりまして申し訳ありません。ちゃんとトップページが元どおりに復帰してからもこっそりと見ております(^^;)

丹後一色氏については、末期の家臣団がかろうじて分かるかな、という感じなのでどうなるか分かりませんが、2・3人判明した程度で追加してしまうかも知れません。
そういえば、目を付けている書籍に一色氏家臣団地図があるのですが、小さすぎて字が読めないんですよ(^_^;)
何とか判別できそうなものを読むと、諱を記しているものはないのですが。

>武藤舜秀様
岩城氏ですか…「親より年上の子」ですか。それは大変なことです(^^;)
あり得ないこともないですけどね(連れ子とか)。

>しかも、伊達政宗の孫(?!)とあります.
これは武藤様のほうが詳しいかとは思いますが、政宗のお祖父さんの政宗(?)なのではないですか?
それでもおかしい事を指摘なさっておられるのでしたらすいません。理解できる知識を持ち合わせておりません<(_ _)>


ソフトバンク+ヤフーがADSLをべらぼうな安価で提供するみたいですね。しかも現行の転送速度(1.5Mbps)の数倍(8Mbps)で。
しかし、この表現は一時期問題になったJRの
「長野まで最短79分!(でも1往復/日)」とか「秋田まで最短2時間49分(?)!(でも数往復/日)」と同類の気がするんですが。
あくまで「最大値」ですから、それが毎回ちゃんと出るのかどうか。
いちおう800Kbps以下は無いようにする、と書いてありますが、それでも1/10ですからねぇ。2Mbps出たとしてもユーザーは満足するかどうか。
(ちなみに私の家はヤフーは範囲外でした。フレッツADSLをとりあえず申し込みました)

[293] 岩城氏 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/06/21(Thu) 23:29
現在、岩城氏を調べてるんですがね、
上手くいきませんね。
親隆の生年が・・・1514年。
親の晴宗でさえ1519年生まれなのに・・・
明らかに手が入ってます。しかも、伊達政宗の孫(?!)
とあります.
常隆のほうも親隆の子とは書いてません
こちらの方の生年も天文8年生まれ・・・
これは「小泉系列」の岩城氏の系図ですね。

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[292] 丹後一色氏に光を!!! 投稿者:味舌政宗 投稿日:2001/06/18(Mon) 22:48
ご無沙汰しております。丹後一色氏については本当に調べにくいと思い
ますがぜひ無名武将列伝で取り上げてください。実際、四職家のなかでも
もっとも印象が薄く、活躍していた時期が15世紀前半が最盛期だった
こともあり、実に書きにくいでしょう。更には丹後は後に細川藤孝が入って
一色氏の丹後統治時代の痕跡を消していった可能性も高いように思います。
これぞ、マイナー武将というべき人物が転がっているのではと思います。

http://www5c.biglobe.ne.jp/~club-sg/index.htm


[291] リンクの御礼 投稿者:村上信濃守 投稿日:2001/06/18(Mon) 08:42
早速のリンクのご対応ありがとうございました。
最近HPの更新がままならず苦戦中ですが、
至急相互リンクの手続きをしますので、しばしお待ちください。
しかし・・村上ネタ・・・資料不足の為更新ままならずです・・・。
これからもご教授お願いします!!

[290] 丹後一色氏に光!?その2 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/06/16(Sat) 23:44
そういえばぴえーる様はここをご覧になっているのでしょうかねぇ。
以前沼田某(勘解由)は細川氏家臣では、という話題がありましたが、
どうやら一色氏家臣の沼田氏は「沼田幸兵衛」であるらしいことが分かりました。

>こたつ城主様
色々とこたつ様の掲示板で書かせて頂いたので話す話題がないのですが、今後ともよろしくお願いいたします。
地図をお褒めいただいて光栄です。

>えだ@プレスタージョン様
波多野七頭の論文については、ちょっと見合わせることにしました。マイナーすぎるようなので…。
また、えだ様の掲示板の記述を使って波多野氏家臣団に加えさせていただきました。ありがとうございました。

>神保越中守様
お知らせありがとうございます。ほぼ毎週更新なさっていますが、畠山義綱様が就職されて忙しくなっているようなので、北陸サイトのリニューアルは良いことですね。今後ともよろしくお願いいたします。

[289] 新サイト完成のご報告 投稿者:神保越中守 投稿日:2001/06/15(Fri) 00:21
お久しぶりでございます。
遅れに遅れておりました新サイトの構築
が完成いたしましたのでご報告申し上げます。

誠にお手数おかけいたしますが
geocitiesを罷りまして
tripodに引越しいたしました。

今後とも宜しくお願いいたします。

http://members.tripod.co.jp/jinbou/index.htm


[288] 情報 投稿者:えだ@プレスタージョン 投稿日:2001/06/14(Thu) 00:44
gooで検索したら、波多野七頭が記載されてました。
大山城主中世中沢氏の研究という論文に少し載ってました。
こちらに、うかがってはどうですか?

[287] ありがとうございます。 投稿者:えだ@プレスタージョン 投稿日:2001/06/14(Thu) 00:20
どうもくらのすけ様プレスタージョンです。
江田行範以外は知りません。父は、江田氏の調査をしていて波多野より
江田行範の方に関心があったようですね。
備後の毛利に併合されたはたがえし城の、江田とは別系統の様です。
この江田は高杉晋作の先祖と関係してるようです。
先日戦国武将のサイトを捜して、一件だけ掲載されていましたが、父の調べた範囲にとどまってるようですね。この程度でよければ、父の情報
御自由に御使いください。詳しい話しは、不明ですがそこまでの情報が
私の限界です。

[286] リンク完了(^O^)! 投稿者:こたつ城主 投稿日:2001/06/13(Wed) 14:53
↑致しました!

くらのすけ様、ご連絡ありがとうございました!
ちょうど私の方もリンクさせて頂いた所なんです♪
ご確認の上、不都合な所があれば、何なりとお申し付け下さいませ。
すぐに訂正いたしますので。

あ、それでウチの方もリンクにお加え下さって、
ありがとうございました(^^)。
な〜んにも問題ございません。嬉しいです!

ではでは、今後とも、よろしくお願い申し上げますm(__)m。

こちらは何しろ由利十二頭から知ったので、
東北の方しか見てなかったんですが(^_^;)、
今回ざざ〜っと拝見して、見れば見るほどスゴイ所だなぁ、
と思いました。地図と系図、とても助かります。

http://www.page.sannet.ne.jp/kotatu


[285] 丹後一色氏に光!? 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/06/13(Wed) 01:37
タイトルの通りです。
通称名で数人程度なら判明するかも知れない可能性が出てきました。気長にお待ち下さい。

また、かつて当掲示板で話題になっていた偏諱問題で
長尾輝景の「輝」について、当サイトからもリンクしています
「戦国群像」(三楽堂様)の掲示板にて興味深い言及がありました。興味がおありでしたらご参照ください。

[284] ありがとうございます。 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/06/12(Tue) 01:21
反応がなくてすいません…

>えだ@プレスタージョン様
わざわざ情報をありがとうございます。
「永禄三年の波多野の上洛作戦」というのは
禁裏修築か何かですか?
確か、近年では波多野氏が禁裏修築に関わった、というのは
疑問視されているようです。
なるべく早い内に江田行範はとりあげようと思います。
そのままえだ様の文章を取り上げてもよろしいんでしょうか?

ところで、「波多野の七頭家」とか「波多野四天王」は
どのような人物を言うか御存知じゃありませんでしょうか?
私が調べた限りでは全く分からないもので…

[283] 江田行範について 投稿者:えだ@プレスタージョン 投稿日:2001/06/08(Fri) 01:18
どうもくらのすけ様プレスタージョンです。
私の父のデータですが、出どころは不明です。
新田義貞の一族で、鎌倉幕府を倒閥した江田行義の子孫。
江田行義は、建武中興で丹波を領し南軍として丹波を拠点に足利に抵抗する。行範は、波多野の七頭家の一人で綾部城を建設し押さえていた。
永録3年の波多野の上洛作戦に従軍し天正7年羽柴秀長は但馬より「丹波に侵攻5/4綾部城、福知山を落とす。丹羽長秀は、5/19日久下城、氷上城に波多野宗貞を攻撃、宗貞は城を焼き自害し行範はこれを助け戦死した。もしよければ、取り上げてください。

[282] ご来訪感謝。 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/06/08(Fri) 00:00
目立った更新がない中、ご来訪、さらに掲示板への書き込みを頂きましてありがとうございます。

>えだ@プレスタージョンさま
初めまして。くらのすけと申します。

>江田行義の子孫波多野四天王江田行範について教えてください。
江田行義という人物が何者か存じておりませんのでよく分かりませんが、波多野家臣江田行範については調べてみました。
綾部城主であったというので『綾部市史』を見てみましたが、
綾部城主であり、波多野氏と共に滅亡したとしか記述がありませんでした。申し訳ありませんが、私が調べることができましたのはこれくらいです。
ただ、波多野家臣ということでしたので、今後追加させていただくかも知れません。

>こたつ城主さま
書き込みありがとうございます。
どうやら、様々なところで目撃されていたようで…(^^;)
あまり出歩かないほうなんですが。

小野寺氏でこちらにいらっしゃったそうで、何かお役にたてたのならば幸いです。
二見さまという方のHPは、見てみたかったのですが最近まで繋がらなかったようで、最近復活なさったというのでちょっと覗いてみました。あちらは「由利軍記」などを参考になさってコンテンツを作っていらっしゃるようですね。

HPのお話ですが、「ご近所」では無くなってしまう可能性もあるのですね。やはり写真などを多数アップされているので、やりくりが大変なんですね。

ともあれ、今後ともよろしくお願いいたします。m(_ _)m

[281] はじめまして☆ミ 投稿者:こたつ城主 投稿日:2001/06/06(Wed) 19:09
くらのすけ様、こんにちは!
皆様、はじめまして。こたつ城主@「戦国放題こたつ城」
と申します。以後、よろしくお願い申し上げます。m(__)m

再び、くらのすけ様、おいで頂いてありがとうございました!
何だか無理やり来させてしまったような……(^_^;)、スイマセン。
でも、くらのすけ様のコトは、もぉ随分前からアチコチで
お見掛けしてました。味舌さまの所もそうだけど、
ぴえーる様の所でも確か……。

それで、それ以前に、私は小野寺氏の事を検索していて……
あれはもぉ、随分前です(^_^;)。去年の1〜2月ごろだったような、
何しろ由利十二頭の事をウチで書いて下さる方がいらして、
(ご存知でしょうか。二見さまという方ですが)
その時からこのサイトは知っておりました。

リンク、無論当然オッケーです。決まってます(^_^;)。
こちらからは、来週になってしまうかもしれませんが、
どうか今後とも、ヨロシクお願い申し上げます。

あ、私松戸です。千葉県。近いんでしょうかね。
会えたらいいですね☆ミ
でもサンネットはHP容量がもぉ限界で(^_^;)、
アサヒネットに色気を感じ始めている今日このごろなんです。
いやいや、最初からせちがらい話で失礼しました。m(__)m

http://www.page.sannet.ne.jp/kotatu


[280] はじめまして 投稿者:えだ@プレスタージョン 投稿日:2001/06/05(Tue) 00:15
始めまして伊豆の住人江田事プレスタージョンです。
質問が、くらのすけ様にあります。
江田行義の子孫波多野四天王江田行範について教えてください。
できれば、取り上げてください。
私は、備前の茶臼山城の江田ともつながってるともいわれるものです。
江田行範とは、同系になりますね。江田行義の子孫です。
又毛利に敵対した城主の江田一族が尼子についていたようですがご存じなら教えてください。よろしくお願いします。

[279] 中間報告というか 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/05/30(Wed) 00:59
う〜む、『鹿児島県史料 旧記雑録拾遺家わけ二』(肝付家文書)をみたのですが、
薬丸兼将−兼持
のラインしか出てきません…。
兼将は22で戦死とのことですが、それにしては文書が多く残っているし、どうもよく分からない…
しかし、関東に住んでいてはこれが限界に近い気がします。

近々、他の家の追加とあわせて、肝付家も薬丸流門下生様からのご指摘と上記資料の肝付一門の関係も加えた追加を行おうかと思います。
佐野氏は、佐野(北条)氏忠が氏康の子供では無い可能性もある、という論文の存在が判明し、それを見てからと言うことで延期となりそうです。

[278] 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/05/28(Mon) 23:38
新田完三『戦国城主諸家伝 外様大名編』勉誠出版

という本が出るそうで。

佐藤進一『花押を読む』の文庫版があったので購入しました。歴代総理大臣の花押などの考察が増補されていました。

[277] Re[276]: 江戸東京たてもの園 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/05/28(Mon) 23:34
義綱様ご無沙汰しております。

たしかに「たてもの園」はテーマパーク的ですね。
そこそこ休憩所(食べ物屋)があるので飽きないですし。
ただ、是清邸は以前行きましたが、飲んだり食べたりはしていないのです。
今回2度目でしたが、まだじっくりと見ていないのでまた行きたいものです。(小金井−三鷹のバス路線は五日市街道?が狭いので平気で遅延するのが嫌なのですが…)

両国のほうは確かに博物館らしい博物館ですが、帰るときの両国ビールはいいですよ(^_^;)

あー、最近サイトの更新をしていないので、自分の書き込みもサイト関係の話がなくなっている…

[276] 江戸東京たてもの園 投稿者:畠山義綱 投稿日:2001/05/26(Sat) 23:51
どうも、畠山義綱です。
「江戸東京たてもの園」ですか。小金井にあるところですよね。
ここは、私結構好きな場所ですね。江戸・明治の街並みが実際
に見て取れますし、気分は映画村です。
 高橋是清邸などなかなか感慨深いです。2・26事件などを
想起しますね。ちなみに高橋邸の1階にある食べ物屋で抹茶を
頂きましたが、そこそこうまいです。私は、同園は、両国の
「江戸東京たてもの博物館」より好きですね。

[275] そういえば。 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/05/26(Sat) 01:57
今日江戸東京たてもの園(江戸東京博物館分館)に行ってきました。
園内に移築してある宇和島伊達家の屋敷門(明治時代)の関連で宇和島伊達家展をやっていたもので。
ちゃんとした展示室があるのですねぇ。あそこも。政宗書状やら寛永十一年領知判物やら、場所は小さいながらも結構史料がありましたね。ただ、和服を着流している大学生(?)の解説員への質問が騒がしかったです。
ちなみに日曜まで開催中です。

[274] お待ちしています 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/05/26(Sat) 01:48
>薬丸門下生様
私も時間があればもう少し調べてみます。
しかし、地元で細々と発刊されているような書籍は
手に入らないのでそのような情報をお待ちしております。

[273] 確認したいのでよろしいでしょうか。 投稿者:薬丸流門下生 投稿日:2001/05/23(Wed) 17:23
えー以前、この肝付のことについての郷土史を長岐にわたってお調べになり昨年、小説をお書きになられた方に、私の所属する薬丸自顕流宗家保存会の副会長と私の直師と私でお会いしたことがありますが、会の資料には、確かに、
出雲守や湖雲斎の名が、記されているようですが、先生のお話によれば、薬丸
弾正兼将が正解であり、改名前は兼竹、弟の名は、良兼、改名後に、奪い返した龍相城城主に任じられ、近くの戦ヶ島にて戦死したのだと、私の記憶にあります。湖雲という文字にもいろいろあるそうで、弧雲、個雲、古雲、高雲、などがみられるようですが、先生がお調べになった、薬丸家の系譜と南郷町郷土資料によると、湖雲なのだそうです。
兼郷は死後その名君ぶりから、湖雲と改名されたのだそうです。
まだ私の記憶のほうがあやふやな面もありますので、先生や副会長とれんらくをとりつつ、お話をいたしたいと存じます。記憶が間違いでございましたら、私もまだ、19の大学生であり、薬丸流も始めたばかりの若輩でございます。
会談の際にも、二十年、三十年と研究なされている先生方のお話についていく
のもやっとでしたので、これからですが、広い心で、参考にしていただきたいと存じます。

[272] 遅くなりました。 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/05/23(Wed) 02:17
武藤様の書き込みから早や5日。遅くなってしまいました。

>武藤様

>の資料編ってやはり古文書だらけなんですよね?
>いま、阿賀北の村上市史・中条町史を注文したんですけど、
あ、よかったですね。(^o^)
やはり「資料編」というからには古文書ばかりでしょうね。
ただ活字だから読みやすいとは思いますよ。

>村上信濃守様
ようこそおいで下さいました。
くらのすけと申します。以後お見知り置きを。
信濃守様のサイトは村上氏に特化しているのですね。
詳しくは今度拝見させていただき、貴掲示板に書き込みさせて
頂こうと思います。これから宜しくお願いします。

>薬丸門下生様
ご訪問、書き込みありがとうございました。
ご指摘、勉強になります。

ただ、あまりに私の参照した資料と異なるので、どのような物をご参照なさったのか教えていただけませんでしょうか。

ちなみに、私の参照した資料は「参考文献」にもありますが
『鹿児島県資料集 本藩人物史』です。
ここには以下のように記されています。

・薬丸出雲守兼将入道孤雲斎 省釣カ家老也覚兼日記天正三年十二月名前見得タリ

・薬丸弾正小弼兼持孤雲カ子也内ノ浦地頭

「覚兼」は島津の家臣、上井覚兼です。

一つ伺いたいのですが、兼将の父、兼郷は討死したあとに入道名「湖雲斎」と付けられたのですか?基本的に入道名は生前に付けるものだと考えられるので、その点は疑問なのですが…

また、本日『鹿児島県史料』の肝付家文書を見たのですが、
孤雲斎を兼将の父、兼郷とする記録は見当たりませんでした。
また、兼将も「出雲守」を名乗っています。

近い内、「無名武将列伝」の「肝付氏」のページに薬丸門下生様のご指摘を加えたいと存じますが、もう少しこちらでも調べてみたいと思います。ともあれ、貴重なご指摘ありがとうございました。

[271] 暫く… 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/05/22(Tue) 02:04
皆々様方へのお返事はしばしお待ちを…

[270] 書き忘れ 投稿者:薬丸流門下生 投稿日:2001/05/21(Mon) 17:53
兼将の嫡男の名は、老いてもますます盛んな老将、壱岐守兼成、そして、その孫が、薬丸野太刀自顕流変革の祖(流派ではこの方が初代という表現をしています)であり、示現流の東郷藤兵衛重位の高弟である薬丸刑部左衛門兼陳(かねのぶ)です。どうでしょうか?書き入れていただけますでしょうか?

[269] はじめましてです 投稿者:薬丸流門下生 投稿日:2001/05/21(Mon) 17:39
どうも肝付のことを調べてたら、ここに着きました。
肝付の武将の欄を見ておやっと思ったので書きます。
薬丸兼政は、湖雲斎ではありません。湖雲といわれたのは、その父である、
薬丸出雲守兼郷です。なぜなら、兼郷が討ち死にした、宮崎県南郷町の湖雲ヶ城に由来するからです。今でも、湖雲さまとして神様のように地元では信仰されています。薬丸弾正兼政は、父親よりも、早く二十二の若さで亡くなってます。戦死だそうです。

[268] はじめまして 投稿者:村上信濃守 投稿日:2001/05/21(Mon) 00:15
僕は信濃村上家関係のHPを運営してます、
雅と申します。始めまして。
HPの更新ネタ探しでヤフ〜の検索をしてましたら
本HPにたどり着きました。
しかし、いろんな部将について詳しいですね。とても参考に
なりました。
又お邪魔します!

http://users.goo.ne.jp/muramasa30/


[267] 郷土史 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/05/18(Fri) 00:17
の資料編ってやはり古文書だらけなんですよね?
いま、阿賀北の村上市史・中条町史を注文したんですけど、
どちらも資料編なんでね・・・

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[266] Re[265]: 古文書研究 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/05/17(Thu) 00:32
> ってどういう本なんでしょうか?
> 最近、私もいろいろ県史の資料編なんかに掲載されてあるような古文書を見る機会があるので注文してみましたが・・・
「古文書研究」という雑誌はふつうの史学雑誌に載るような論文もありますが、古文書自体の研究論文も多いですよ。
(あまり見ないので具体的に例をあげられないのですが、文書の折り方の考察とか…。)
それと大体毎号文書紹介があるとおもうのですが、↓の号では
皆川家文書(最近再発見され、文化庁が購入したらしい)の一部(信長の贈答御礼状など)が紹介されていました。

[265] 古文書研究 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/05/17(Thu) 00:12
ってどういう本なんでしょうか?
一応ネットで3500円で売っていたようですが・・・

最近、私もいろいろ県史の資料編なんかに掲載されてあるような古文書を見る機会があるので注文してみましたが・・・

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[264] 大河ドラマ 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/05/16(Wed) 23:23
『古文書研究』の最新号?に
村井章介さんが「大河ドラマあやかり本の功罪」という
コラムみたいな一文を寄せていましたが、面白かったです。
なんでも、大河ドラマ連動本?は約20年も昔に明らかになった説を無視しているのだとか。
それと「小説家D氏」も批判してました(笑)。
「蒙古襲来絵巻」の作成事情が全く違うとかで。

[263] 同名異人 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/05/15(Tue) 01:33
>武藤様
武藤様の仰っている「伊達与兵衛」は
岩槻太田氏家老の「伊達与兵衛」ですね?

実は、「伊達与兵衛」は二人いたのだそうですよ。同時期に。
その北条氏家臣(→徳川家康)が「伊達房実」で、
今川→小笠原→秀康が「伊達宗綱」だと。

もともと同じ駿河伊達家らしいですが。
とりあえず簡単に記しました。

武藤様も詳しいですねぇ。いや、この方面から攻めてくるとは…(^^;)

参考:長倉智恵雄「漂泊の戦国武士二人の伊達与兵衛」『地方史静岡』11、1983

[262] そうですか・・・ 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/05/15(Tue) 01:20
なんか、わかったようなわからんような・・・

北条氏規に仕えたとすると、北条氏の家臣の伊達房実もその一派に当たるんですかね?

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[261] 伊達家 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/05/15(Tue) 00:09
>武藤様
KUBO様のご説明に何も付け足すことはないかと…(^^;)

>KUBO様
素早いご返信、ありがとうございました。

う〜む、本当に私は何も書き足す必要がないけど、
それでは意味がないので…。
家臣詳細リンク、完成にはまだ暫くかかりますんで。

では。

[260] Re[259]:駿河伊達家 投稿者:KUBO 投稿日:2001/05/14(Mon) 18:49
>武藤舜秀さん
> 伊達氏(出自:遠江)は陸奥伊達氏から分かれた遠江伊達家ではないでしょうかね?

 以前niftyの系図会議室で但馬伊達家・駿河伊達家について教えていただいたこと
があったので、過去ログを探してみたらまさに「伊達与兵衛宗綱」という人物が出て
いました。
 駿河伊達家は伊達家二代宗村の子四郎左衛門為家を祖とする系統で、南北朝期の当
主・景宗は終始足利尊氏方で、その子孫は今川家の家臣となったそうです。与兵衛宗
綱は高天神城主小笠原氏の与力となり、のち徳川家康・武田勝頼・北条氏規等に属し、
最後は結城秀康の家臣となりました。
 宗綱の子孫は越後騒動で改易、一時浪人しましたが、その後再興となり津山藩士と
なったそうです。伊達半蔵は出てませんでしたが、宗綱には宗勝・宗克という二人の
弟がいるので、このどちらかかも...

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[259] 結城二代 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/05/14(Mon) 10:09
の家臣に載っていた、伊達氏(出自:遠江)
は陸奥伊達氏から分かれた遠江伊達家ではないでしょうかね?
あまり詳しくはわかりませんけど。

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[258] う〜む… 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/05/13(Sun) 01:47
文章はこれでよかったのかな?

[257] thank you for your writing. 投稿者:kuranosuke(くらのすけ) 投稿日:2001/05/13(Sun) 01:44
hello! mr lijie. i'm kuranosuke.

my homepage is free to link from your homepage.
but i will not make english or chenese and other langage page.
and if i link your homepage, i cannot introduse your homepage because i cannot understand chenese langage.

by the way, i saw your some writing another homepage.
these managers respond to your writing, but you donot answer those response.

i wonder that you want to mutual link truly.
i wait for your second writing, thank you.

[256] 味舌政宗様 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/05/10(Thu) 00:49
ご復帰おめでとうございます!
これからも宜しくおねがいいたします。

[255] 252 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/05/10(Thu) 00:47
戦武堂さまのところにもありましたし、マルチポストみたいですねぇ。
しかもリンクになっているアドレスが戦武堂さまの所と
違うのはどういうことなんでしょう?

とりあえず様子見したほうがいいでしょうか?

[254] URLをわすれてました。 投稿者:味舌政宗 投稿日:2001/05/09(Wed) 23:19
復帰したといいながらURLをいれてませんでした。

http://www5c.biglobe.ne.jp/~club-sg/index.htm


[253] 本日より復帰しました。 投稿者:味舌政宗 投稿日:2001/05/09(Wed) 23:18
ご無沙汰しております。2月の閉鎖から丁度3カ月。勝手ながら復帰致しました。失業後この厳しいご時世で再就職までへたをすると一年以上はかかると
みておりましたが、4月には決まり、家族からの了解も出て本日をもって
復帰致しました。身勝手な管理人ではありますが今後ともよろしくお願い
申し上げます。当分は完全にフリーにネット接続できる環境ではない為
更新や、掲示板のレスは週末がメインとなりますがよろしくお願い致します。

[252] nice to meet you!! 投稿者:lijie 投稿日:2001/05/09(Wed) 02:58
my homepage "http://history.6to23.com"is about japanese history,i want change link with you and help each other,do you agree with me??thanke you!!!

http://history.6to23.com


[251] 織田・小田 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/05/08(Tue) 01:12
私も、ワープロで「おだ」を変換しようとすると「織田」より
「小田」の方が先に出てくることが多いです。我ながらここまで来たかと苦笑した覚えが…。

>武藤舜秀さま
>信長の家臣だったらそういう者はいくらでもいそうなものですがね・・・
織田氏は非常に目的が現れてませんか?
羽柴「筑前守」・惟任(明智)「日向守」、
あとは思い出せないですが。

>畠山義綱様
>伝記物に畠山家家臣で「飯川能登守」という人物がいるのですが、
>やはりこれは架空の人物か、官途の間違いと考えた方がよさそうなのですね。
断言は出来ませんが、史料からつき合わせて人物比定を行なった方が良いかと。

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