掲示板 「無名庵」過去ログ その十九
No.351〜400(2001/8/06〜9/02)

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[400] 二周年おめでとうございます(^^) 投稿者:ふーむ 投稿日:2001/09/02(Sun) 02:07
くらのすけさま、こんばんわ(^^)
この間はリンク、ありがとうございました。
ちょっと寄ってみたら、
31日が二周年の記念日だったのですね!
おめでとうございます!!
このサイトの今後のご発展、お祈り申し上げまするm(__)m

ところで、下にぴえーるさまがお書きになっていますが、
竹崎氏じたいは戦国期まで生き延びたようです。
昔、友人にせがまれて応仁の乱のゲームを作ろうとしたとき、
調べてると出てました。球磨郡誌とか新編熊本市史だったっけ?
もう記憶が薄れてますが、竹崎惟岑なんて人は、
連歌の会などして風流な生活を送っていたようです。
15世紀末のいつだったか、相良為続に攻め殺された人も
いたような気がします。

以上、ついつい気が付いたを書いてしまいました。
でしゃばって申しわけないです^^;

http://homepage2.nifty.com/OTIBO_PAGE/


[399] 二周年を寿ぐ 投稿者:ぴえーる 投稿日:2001/09/02(Sun) 01:43
似執念おめでとうございます。
口を閉じない風船の如く、膨らんでは萎む私のサイトと違い、
ここは次々と広がりを見せ、質量ともに超弩級であります。
更新を続けることは執念にも似ています。だから似執念。
もし執念が雲散霧消してしまうと散執念。さんしゅうねん。3周年。
という訳で、3周年へ向けて更なるご活躍を期待しています。

>でもなぜ、細川の重臣をわざわざ一色家臣になんてしたのか…。

破れた理由を少しでも正当化したかったのでしょうか。
『一色軍記』の中では、後に長岡姓を賜る6家の内、
4家(松井・有吉・沼田・篠山)が一色家臣として登場しています。
(残り2家は米田・三淵。米田氏は足利義昭救出時に名前が出るので、
 さすがに一色家臣とは書けなかったと考えられます。
 三淵氏は藤孝の弟なのでこれも同じく)

>はじめから松井氏って細川一門なんでしたっけ?

康之は藤孝の養女(藤孝の姪)を室としているので一門になるのでしょうか。

>いや、日記がおもしろいんです(^_^;)

例えるなら問題を書かず答えだけを書いているようなあの日記が!?

竹崎氏は阿蘇家臣にいたと思いますが、季長との関係は分かりません。

[398] ありがとうございます>皆様 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/09/01(Sat) 19:42
くらのすけです。

ここ半年くらいは低空飛行のままですが、お陰様で2周年となりました。

この2年間に当サイトを訪問してくださった皆様に感謝を申し上げます。
3周年に向け、とりあえず頑張っていきたいと思います。
(万が一、今日から更新が凍結しても来年も残っているとおもいますので…^^; )

最近更新してないですが、あたたかく見守ってやってください。


>ぴえーる様

>沼田幸兵衛が一色氏を裏切って、それが後に長岡姓を拝領して
>長岡勘解由となったなんてちゃんちゃらおかしい話なのです。
創作でしたか…。でもなぜ、細川の重臣をわざわざ一色家臣になんてしたのか…。「敵の旧臣でも、「長岡」姓をもらえるほど出世できるんだよ〜」的な発想なんでしょうか?

>長岡興長(松井康之二男)は細川忠興の娘を室としています。
藩主の娘ですか…。はじめから松井氏って細川一門なんでしたっけ?

>日記と本を買うしかちゃんと更新してませんけどね(^^;)
いや、日記がおもしろいんです(^_^;)


>源為国様

一色氏に関してはちょっと分かりません。すいません。
徳川慶喜に関係していたとは…。一色氏。水戸藩も結構名家好きなんですか?


>武藤舜秀様
お言葉ありがとうございます。お互いがんばりましょう。


>味舌政宗様
ありがとうございます。メルマガも貰っているだけで何にも質問とかを味舌様の掲示板に書けずにすいません。

「ブランド」「カリスマ」、ありがたいお言葉です。このお言葉に乗せられて更新できればいいんですが。昨日までは8月31日という(開設2周年という日でなく)別の縛りがあって、パソコンにはずっと向かっているんですが「HP更新…、いかんいかん」という感じだったのですが、縛りがとけてもまたどうなるか分からないもので。
しかし、味舌様、拙サイトの区切り区切りにおいで下さってありがとうございます。


>義綱様
本当にご無沙汰しております。義綱様のサイトは結構みていますが、最近は個人ページの掲示板の日記風独白が楽しみであります。私も日記でも…と思ったりもします。
義綱様の日常を見ていると、うちが更新してないのは甘えかな、とも思ったりもしますが、とにかくしばらくまったりと、で行きたいと思っています。
今後とも宜しくお願いします。


>不如帰様
はじめまして。今後とも宜しくお願いします。
竹崎季長ですか。逆に考えてみませんか。
戦国大名でさえ、鎌倉時代に遡れる家は数えるほど(?)しか
ないですから、あれくらいの武将(大河ドラマのイメージ)の直系が鎌倉幕府崩壊から応仁の乱を経て、戦国時代に生き残っていたか、というのは私にはちょっと疑問があります。

季長の兄弟(または叔父・従兄弟など)の子供(娘)の子孫、とかいう若干血が混じっている人とかならいたかもしれませんが…。

全然答えになっていないですね。すいません。
戦国→江戸、ならある程度は分かるんですけどね。

[397] 始めまして。 投稿者:不如帰 投稿日:2001/09/01(Sat) 14:23
いろいろ見てやってきました。やっぱり、『無名大名』という
響きに惹かれてでした(笑)。
早速なのですが、今時宗をやっていますがそれにでる武将に、
竹崎季長がいます。この人物は後々絵巻で有名(?)になりま
すが、元寇後どうなったのでしょうか?特に自分としては戦国
期の竹崎家と天文〜慶長の当主をしりたいのです。お気付きで
しょうが某野望で武将を作りたいのですが、検索しても出てこ
ないのです。単純に相良家または阿蘇家あたりの家臣になって
いたのか、領地替えで肥後を離れたのか。
勝手な質問ですが、マイナー武将(戦国期において)のその後
をお教えください。

[396] 2周年祝辞 投稿者:畠山義綱 投稿日:2001/08/31(Fri) 23:26
くらのすけ様!
開設2周年おめでとうございます。
4万ヒットも優に越え、もはや押しも押されぬ
有名サイトになりましたね!嬉しい限りです。
とんとご無沙汰でしたが、今後ともよろしく
お願い申し上げます。

[395] 祝 2周年 投稿者:味舌政宗 投稿日:2001/08/31(Fri) 23:13
こんばんわ。くらのすけさんのお屋敷も2周年を無事迎えられましたね。
なかなか2年間、メインのテーマを継続するのって大変ですよ。わたしだって
一時閉鎖がなければ同じような形ではありましたけど、わたしは飽き性なのか
ころころリニューアルの名を借りて弄繰り回して、元の原型すらわからない
のですが、それに比べれば、デザインも同じで、真摯にメインの充実を図る
管理人さんの情熱が伝わってまいります。もはやブランドといってもよい
カリスマサイトの今後を見守って行きたいと思います。

http://www5c.biglobe.ne.jp/~club-sg/index.htm


[394] おめでとうございます 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/08/31(Fri) 23:12
開設2年目おめでとうございます。
これからもよろしくお願いいたします

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[393] 一色殿 投稿者:源為国 投稿日:2001/08/30(Thu) 14:37
 一色家は吉良荘内の一色郷出身の足利公深、後の一色公深が祖ですよね。吉良荘内の所領ということで吉良家とはどういう関係があるんでしょうか・・
 どちみちどちらも足利一門ですが・・今川家は吉良家の一門で鎌倉時代は御家人の格を持たず足利家の家臣でしたけど・・
 一色家は御家人だったでしょうか・・覚えてませんが・・

 一色須賀といえば徳川慶喜公側室ですねぇ。水戸藩研究にいそしむ私はちょくちょく目にする名です。
 一色山城守直温という旗本が幕末に活躍、分家筋は水戸藩士として慶喜公側室を出しています。 
 

[392] 私は沼田氏研究家♪ 投稿者:ぴえーる 投稿日:2001/08/29(Wed) 20:09
>くらのすけさん
>でも、一色氏旧臣で「長岡」姓をもらった人物がいたんですね。

いや、オチは「沼田幸兵衛は『一色軍記』が創作した人物である」と
なるのですが(^^;)
沼田氏は青龍寺以来の家臣。
つまり丹後入国以前より細川氏に仕えており、
(青龍寺城の絵図に沼田氏の屋敷が描かれており、
 その屋敷は本丸に最も近いことから当時筆頭重臣であったと考えられます)
沼田幸兵衛が一色氏を裏切って、それが後に長岡姓を拝領して
長岡勘解由となったなんてちゃんちゃらおかしい話なのです。

>信頼できる諸記録・史料では長岡興長(松井氏ですか?)は
>誰と縁組したんですか?

長岡興長(松井康之二男)は細川忠興の娘を室としています。
龍子は側室かとも考えたのですが、『松井家譜』を読んでも何も見当たらないので。

>最近ぴえーる様のサイトの更新が頻繁なのが嬉しいです。
>見に行くとほとんど更新されているので。

日記と本を買うしかちゃんと更新してませんけどね(^^;)

[391] 丹後一色氏研究に光 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/08/29(Wed) 19:22
ここ数日ぴえーる様が爆走していらっしゃいます。
論文1本くらい書けるんじゃないですかね?


>ぴえーる様
貴サイトでの検証の上、拙掲示板にも別の検証を書き込んでいただけるなんて有難いことです。

>……石川五右衛門?
これ、私も「…ん?」と思ったんですよ。怪しすぎるので載せるのはやめたんですが…

>以上の記述から沼田幸兵衛=沼田小兵衛延元(長岡勘解由)となります。
綿密な検証、ありがとうございます。修正させていただきます。でも、一色氏旧臣で「長岡」姓をもらった人物がいたんですね。

>珍妙な話の典拠の調査。
信頼できる諸記録・史料では長岡興長(松井氏ですか?)は
誰と縁組したんですか?

>期待しないで待ってて下さい。
はい。ずっと待ってます。最近ぴえーる様のサイトの更新が頻繁なのが嬉しいです。見に行くとほとんど更新されているので。


>武藤舜秀様

>町の図書館は「図書室」だから、リクエストできないし・・・
「室」ですか!?これはつらい…。今後、国会図書館がHP上でコピーの受付・郵送を始めるというのでそれに期待ですね。
一番近くの市の図書館、っていうのはどうですか?
でも東北関連なんてないか…。

>読むのも難しいと思います。
そうですね〜。確信が持てないのがほとんどですね。勉強していても。最近やっと的中率が上昇してきましたが…(^^;)


>KUBO様
ご無沙汰しております。書き込みは頂けずとも、いらっしゃって頂けるだけで有難いです。

さて、本題は…( ̄ー ̄)ニヤリッ
少しはお役に立てたでしょうか?

[390] 成敗 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/08/29(Wed) 18:58
[388]は削除しました。
しかし最近多いな…。

[389] 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/08/28(Tue) 22:18
宣伝はやめましょうね

KUBO殿
>あの〜、くずし字読める方いません?
崩し字は人の個性、その地方の書き方,があるために簡単に読めるものではありませんね。私,書道部の部長やってたんでわかるんですが,あれは書くのも難しいですが,読むのも難しいと思います。

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[387] あの〜、くずし字読める方いません? 投稿者:KUBO 投稿日:2001/08/28(Tue) 07:37
>くらのすけさん
 大変ご無沙汰しております(^^;) なんか最近あまりこちらに顔出してませんね〜、申し訳ない(^^;) 掲示板は読んでるんですけど...

 ところで、今回はみなさんにちょっとお願いがあってきたんですけど、どなたかく
ずし字を読める方はいないでしょうか?
 というのも、実はうちのサイトの資料集めで先日松前の町史編集室で松前藩士の
『藩士履歴書』を調べてきたんですが、ほとんどは楷書に近い文字なので私でも読め
たものの、一つだけ「今井氏」の系図だけがくずし字だったもので読むのに苦労しま
して、大半は何とかなったんですが、一部どうして読めず取りあえずデジカメで写真
を撮ってきたんです。

 こっちに戻ってきてから「くずし字解読辞典」を首っ引きで解読したものの、こう
いうことをしたことがないもので、よくわからない所や解読したが自信のない所があ
るんです。

 それで、以下のURLにアップしていますので、解読した読み方で良いのかどうか、
それから読めない所の読み方を教えていただけると非常に嬉しいです。
 どうぞよろしくお願いします<(_ _)>

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Etc/imai.htm

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[386] 典拠が大事だろうから 投稿者:ぴえーる 投稿日:2001/08/27(Mon) 22:45
中山城 沼田幸兵衛

天正六年城攻の後は細川忠興の家臣と成り後慶長五年の軍に濃州岐阜の追手にて
一番鎗の高名あり後改名して長岡勘解由と号。(『一色軍記』)

以上の記述から沼田幸兵衛=沼田小兵衛延元(長岡勘解由)となります。
沼田清延は文禄二年に亡くなっているので除外されます。

[385] 沼田幸兵衛の正体 投稿者:ぴえーる 投稿日:2001/08/27(Mon) 22:20
『一色軍記』を読んでいたらおもしろい記述を見つけました。
一色氏の家臣であった石川左衛門尉秀門の二男・五郎左衛門のことです。

》二男五郎左衛門後太閤秀吉公の伏見の御殿へ入千鳥の香炉を盗み
》仙石権兵衛生捕京都七条河原にて御仕置有ける也。

……石川五右衛門?

で、ずっと問題でありました沼田幸兵衛であります。
『一色軍記』の記述を読むと、これは沼田清延ではなく
その息子の延元に比定されます。(沼田小兵衛延元、のち長岡勘解由)
しかし延元が産まれたのは元亀三年。
一色氏を裏切った天正七年のとき、わずか八歳。
……かなり無理のある話ですね(笑

一色氏を裏切って細川氏についたという武将の履歴は
よく調べた方がよさそうです。
『一色軍記』にかかると松井も有吉も沼田も旧一色家臣ですからね(笑

[384] いいな・・・ 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/08/27(Mon) 18:08
私も東京さ行って
いろいろ調べてみたーい!!
県立は遠いし,(私は滋賀県の最北部に住んでます。県立図書館は県の最南部くらいにあります。)もしかしたら,福井県の県立の方が近かったりして(笑)
町の図書館は「図書室」だから、リクエストできないし・・・

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[383] 一色氏を知るために 投稿者:ぴえーる 投稿日:2001/08/26(Sun) 23:25
東京都立図書館で史料をあれこれコピーしてきました。
近日中(近年中?)にまとめようと思います。

でも宿題は山ほど残っており、
小西氏・相良氏・細川氏の家臣団の紹介。
京極龍子(秀吉の側室松の丸殿)の娘・龍子と長岡興長が結婚したという
珍妙な話の典拠の調査。
諸系図群への追記。
と、途中で投げ出すこと必死のものばかり。
期待しないで待ってて下さい。ギャフーン。

[382] 暑い… 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/08/26(Sun) 14:07
数日前とあまり変わらないんでしょうけど、なんだか。

>武藤舜秀様
これで滋賀県の知名度も上がるのでは?
(後輩が滋賀県人、京都の高校へ通学だったのですが、大学時代、東京に出てくるといつの間にか京都出身になっていたそうな。)

>ええ、賤ヶ岳の北側の町(ほとんど村)ですから。
賤ヶ岳の北、ですか?
地図見て、記憶をたどってみました。
随分縦に長いんですね。それに、湖がある!
そういえば近江塩津から分岐してすぐはしばらく山の中だった気がします(^^;)


>ふーむ様
ようこそおいで下さいました。
また新たな戦国(守護?)大名家の勢力を扱ったサイトができることは
嬉しいですね。今後、ご指導よろしくお願いいたします。


>二見様
リンクの申し出をしたほうがまだリンクを貼っておらず、申し訳ありません。
今日明日中にはさせていただきますのでもう少々お待ちください。
(リンク貼りましたら二見様の掲示板に書き込ませていただきます。)

>国会図書館行く以外の方法で見ることは出来ないのでしょうか。
新聞記事で見ましたが、近い内HPからコピー申し込み→郵送、が出来るようになるようですよ。


>村上信濃守雅清様

>と言うわけで、このhpで信濃諸勢力のリンクを募集したいのですが・・・
>あるんだろうか?高遠氏とか高梨氏とか比較的マイナーな武将ののhpがあったらうれしいかも・・(笑)
この掲示板がお力になれるか分かりませんが…
信濃諸勢力を扱っている管理人の皆様、こちらに書き込み、もしくは雅清様にご連絡お願いします。高梨氏はありそうな気がするんですが。比較的資料残ってますよね?

>豊島氏と三村氏(小笠原家臣の方)の調査はじめなきゃ。
>資料がかなり不足してますが・・お勧め資料ありますかねぇ・・・
三村氏はあった様な気が…ちょっと待って下さい…
ありましたありました。

岡田政男「備中国の国人三村氏について」『岡山県の歴史と文化』1983

出版社はちょっとチェックしてなかったので忘れてしまいましたが…
「備中国の国人」と記すのに、信濃時代しか書いていないというものです
内容は殆ど見ていないので分かりません。参考になれば。

[381] Re[372]: 横浜-阪神戦を見て思った 投稿者:村上信濃守雅清 投稿日:2001/08/23(Thu) 08:44
くらのすけさま

> 阪神に「伊達」という投手がいますが、あの人は関連があるのでしょうかね。

あ、そうでしたね!阪神ファンとしては調べなければ・・・

> お久しぶりです。そちらにお邪魔しなくてすいません。現在戦国から少し離れているもので…

それはそれは・・・おつかれさまです。
これからも宜しくお願します・・・

> また、雅清様の場合、信濃諸勢力リンクで固めたら皆さん集まりそうな気はします。
>
と言うわけで、このhpで信濃諸勢力のリンクを募集したいのですが・・・
あるんだろうか?高遠氏とか高梨氏とか比較的マイナーな武将ののhpがあったらうれしいかも・・(笑)

さてと。ぼくもそろそろ豊島氏と三村氏(小笠原家臣の方)の調査はじめなきゃ。資料がかなり不足してますが・・お勧め資料ありますかねぇ・・・

http://203.174.72.112/muramasa30/


[380] かなり肝心なのを・・・。 投稿者:二見 投稿日:2001/08/23(Thu) 02:12
↓アドレスです。削除用パスワード入れ忘れてまして・・・。

http://akita.cool.ne.jp/hutami/


[379] 迷惑じゃないです 投稿者:二見 投稿日:2001/08/23(Thu) 02:06
 さすがに西日本(?)に来ると秋田県史ぐらいしか見れないです。結局は不明な点多いですよ。町史だと仁賀保氏が挙誠出てこないですし。勝俊の方だったかと思います。奥羽永慶軍記が人物往来社で出していたようですがさすがに廃版のようでした。今は新人物往来社ですね。
国会図書館行く以外の方法で見ることは出来ないのでしょうか。

貨幣計算は「家世実記」(会津松平家)でやらされました。
史ひとつで入った私はかなりきついです。10進法以外の計算やったのは中学以来でしたし。

リンクは喜んで。
書いた後に貼ります。

[378] はじめまして(^^) 投稿者:ふーむ 投稿日:2001/08/23(Thu) 01:37
くらのすけさま、はじめまして!ふーむと申します。
ちょくちょく来ていたのですが、書き込みは初めてです。
無名武将列伝、いつもびっくりしながら拝見してます(^^)
一色や伊東氏の家臣って、あんなにいたんですね^^;

実は当方でも、最近「落穂ひろい」なるサイトを立ち上げました。
赤松、浦上、宇喜多氏とその家臣団、関連する城郭など
紹介していく予定です。
もしよろしければ、相互リンクをお願いしたいと思います。
それでは、また遊びにきますね(^^)

http://homepage2.nifty.com/OTIBO_PAGE/


[377] 近江 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/08/22(Wed) 21:20
滋賀勢でここで来るとは夢にも思いませんでした(笑)


>武藤様は山の方なんですか?あのあたりも随分平地があるな(失礼!)と
思ったんですが?
ええ、賤ヶ岳の北側の町(ほとんど村)ですから。

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[376] 近江! 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/08/22(Wed) 17:39
>武藤舜秀さま
準優勝でしたね。近江。7回?の無死満塁が痛かった…。

>30キロ離れて、山のほうに住んでいる私の家からでも花火の”音”は聞こえます。
>しかも、50キロ離れている彦根の花火でも”音”は聞こえます。
武藤様は山の方なんですか?あのあたりも随分平地があるな(失礼!)と
思ったんですが?
音はやっぱり遮るものがなにもないと飛ぶんでしょうね。おそらく東京の花火が横浜で聞こえることも、その逆もないでしょう。

そういえば先週は某花火大会で両側から花火が打ち上げられる「両手に花(火)^^;」状態でしたが、片方が中止となって首が痛くならないで済みました…。

[375] ごめんなさい(Re: 地元立つ瀬なし!) 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/08/22(Wed) 17:33
二見さま、初めまして。ご訪問いただきありがとうございます。

本庄市史は図書館にありまして…。それを利用しました。
系図がごちゃごちゃなので、私の推測も多々ありますが…。

> 購読の時間、貨幣・石高計算でかなり泣けました。
いまでもすぐには分からないですよ。前期はなんだか複雑な年貢計算をやらされましたが、出来なくて恥ずかしい思いをしました…
何せ、貫高(1000文=1両)と永(4000文=1両)が混ざって出てくるんですよ。(数字に間違いがあったら指摘してください>皆様)

また、唐突で御迷惑かも知れませんがリンクさせて頂きたく。

[374] 琵琶湖 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/08/20(Mon) 21:11
で見ようと思えばそこらの浜で見れるでしょうね。
30キロ離れて、山のほうに住んでいる私の家からでも花火の”音”は聞こえます。しかも、50キロ離れている彦根の花火でも”音”は聞こえます。
”音”は。

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[373] 地元立つ瀬なし! 投稿者:二見 投稿日:2001/08/20(Mon) 02:24
初めまして。
こたつ様の所で見たことはありましたが訪問するのは初めてです。
膨大なデータにかなり驚きました。
住んでいるところを見て思ったのですが、
本荘市史(由利衆関連)一体どこで手に入れたんですか?

近世史が専攻ですか・・・。
購読の時間、貨幣・石高計算でかなり泣けました。
関係ないと思われた教科が必要と知り苦労の毎日でしたが。
(現・夏期休暇)

[372] 横浜-阪神戦を見て思った 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/08/19(Sun) 20:45
阪神に「伊達」という投手がいますが、あの人は関連があるのでしょうかね。


>味舌政宗様
赤松氏が「三種の神器」を取り戻した話は覚えています。そのきっかけが「禁厥の変(嘉吉の変ともいう?)」だったのですね。


>村上信濃守雅清様
お久しぶりです。そちらにお邪魔しなくてすいません。現在戦国から少し離れているもので…
(他のこちらに書き込みしていただいているサイトの管理者の皆様もすいません。この場をお借りして出不精をお詫びします)。
また、雅清様の場合、信濃諸勢力リンクで固めたら皆さん集まりそうな気はします。


>武藤舜秀様
琵琶湖の花火ってそんなに波打ち際まで寄って見られるんですか?私は一度屋形船に乗って花火を見てみたいですが、琵琶湖ではどうなんでしょう?


>ぴえーる様
秀岳館、横浜に負けちゃいましたね。その日は横浜スタヂアムに行ってましたが、横浜-秀岳館の結果しか表示しないのが何とも横浜にいる感じがしました。
しかしご実家からすぐそばとは意外でした。松中の出身校なのも初耳です。ということは、彼は甲子園に出ていないんですね。
…返信も、歴史の話題何もなし…(^^;)


>こたつ城主様

>という、具合の良い材料が出て来れば嬉しいんですがね(汗)。
>かなり無茶な気もしておりまする(^_^;)。
本当にその当時に突然に出現したのかの検証が第一かもしれませんね。なんか藤原惺窩?の親友だったみたいですんで、京都あたりから付いていったとか…^^;

>それにしても……見知った人の多い所だ(爆)。
ははは…。それだけ勇気を出して書き込んでくれる初めての人がいないということですね(爆)。


>源為国様

>赤松氏は村上源氏であるかどうかは不明であるそうですが・・
まあ、うちは明らかに別の氏である証拠がなければ「伝承」を採用しておりますので…
でも、昔はそういう「同姓同士」の互助意識があったんでしょうかねぇ。

[371] 北畠氏と赤松氏 投稿者:源為国 投稿日:2001/08/18(Sat) 14:15
 赤松氏は村上源氏であるかどうかは不明であるそうですが・・
それでも赤松氏は一応、北畠氏と村上源氏同士であるが故か北畠氏が窮地にある時は何かと助けていますね。それも特にかの満祐が・・・

 しかし赤松氏も将軍義教を討ち、尊氏の弟、下御所 足利直義の孫 足利尊信を奉じて播磨の屋形に立てこもり・・播磨を山名氏に奪われているので、北畠氏も有力な支援者を失いった為か自制し幕府に従順になっていきましたね・・もっとも幕府もその頃、既に存続の危機にはあったのですが・・

[370] ありがとうございました!! 投稿者:こたつ城主 投稿日:2001/08/15(Wed) 01:41
味舌さま! 丁寧なご説明とフォロー、ありがとうございました!!
(お世話になりっぱなしでやんす(^_^;))

>1499年には播磨において浦上村宗と別所、小寺、浦上の諸流が
>連合を組んで播磨を2分する争いを

お蔭さまでググ〜ンと範囲が狭まり、対象が具体的になってきました(^^)♪

>これって嘉吉3年に起った後南朝遺臣による神器強奪事件
>「禁厥(きんけつ)の変」の事だと思います。

ありゃ! 間違ってましたか(^_^;)。いい加減な事を伝えてしまう所でした(滝汗)。

それにしても細川勝元の息のかかった人間の、何と多い事か……。

>くらのすけ様

>さすがに戦国前期は味舌様の独壇場の感がありますね(^^)

私など、自分の所でも味舌さまの「横レス」に救われてますので(^_^;)。

>味舌様のご説明から考えると、大村由己は浦上氏と繋がりがあるんですかね?

という、具合の良い材料が出て来れば嬉しいんですがね(汗)。
かなり無茶な気もしておりまする(^_^;)。


それにしても……見知った人の多い所だ(爆)。

http://www.page.sannet.ne.jp/kotatu


[369] いつの間に八商名前替わってたんだ? 投稿者:ぴえーる 投稿日:2001/08/15(Wed) 00:42
秀岳館は実家のすぐ近くです。自転車で5分弱。
ちなみにダイエーの松中選手の母校。
ナニワともあれ、地元の高校が勝つのは嬉しいことです。
ついでに初出場で初優勝してもらいたいもの。熊本勢は準優勝止まりなので。
歴史の話題は何もありません(汗

[368] う〜ん 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/08/14(Tue) 23:37
どうやら、滑って琵琶湖にはまったらしいです

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[367] ご無沙汰してます 投稿者:村上信濃守雅清 投稿日:2001/08/14(Tue) 23:23
管理人さま大変ご無沙汰してます。お元気でしょうか?

> 率直な疑問なんですが、こたつ様はご自身の掲示板をどのように管理していらっしゃいますか?あんなに書き込みが多いのに全てに返信しておられるようですし。私は数日家を明けただけでも対応に追われております…

確かに・・・こたつ城主さまの掲示版は大変書き込みが多いですね。
僕の掲示板は本当に少ないよな・・・・(^_^;)
おまけに各HPごとに掲示板は造ったものの・・・(^_^;)


[366] 禁厥(きんけつ)の変と赤松復興 投稿者:味舌政宗 投稿日:2001/08/14(Tue) 23:22
> >嘉吉の「乱」と「変」
> 息切れしてまで書き込みありがとうございました(^^;)
> 角川の日本史辞典にも「変」は記述がありませんでしたよ。
> しかし禁裏に乱入とは大それた事をやってのけましたねぇ。
>
これって嘉吉3年に起った後南朝遺臣による神器強奪事件「禁厥(きんけつ)
の変」の事だと思います。詳細は[363]でこたつ城主さんがおっしゃっている
通りです。
その後その盗まれた神器を奪還したのが赤松氏の遺臣たちでその功により
赤松満祐の弟義雅の孫で生き残っていた当時4歳の赤松政則が加賀半国の
守護として返り咲きました。この守護返り咲きは、当時山名宗全の勢力
伸張に警戒を頂いた細川勝元が山名の仇敵を取り込み自己の友軍とするために
守護補任を行ったといわれています。

そして赤松氏が復帰すると同じに政則の側に仕えた家老こそが浦上則宗という
人物で戦国時代備前で勢力を張った浦上宗景の曽祖父にあたる人物です。

http://www5c.biglobe.ne.jp/~club-sg/index.htm


[365] 常総散る 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/08/14(Tue) 22:08
常総、負けてしまいましたね。
いや、別に茨城出身とかではないですが、それを破ったのが熊本代表、八代の秀岳館高校(初出場、初勝利)というのが
いいじゃありませんか。ねぇ。ぴえーる様。


>武藤舜秀様
いや、急いでいたので降りる暇はなかったのです。
でも敦賀で各駅停車に乗り換えればよかったかな、とは思いました。米原で乗る電車が特急でも各停でも変わりなかったので。女の子が亡くなったのは痛ましいですね。また人災なんでしょうか?


>こたつ城主様

>(私は女性です)。
それは存じております(^^;)
あの膨大な書き込みを管理するのは至難の技だな、
と思ったもので。うちの掲示板も繁昌して欲しいと思う一方、
万一そうなったら返信が滞って逆に落胆されて廃れてしまうような気がするので。

>嘉吉の「乱」と「変」
息切れしてまで書き込みありがとうございました(^^;)
角川の日本史辞典にも「変」は記述がありませんでしたよ。
しかし禁裏に乱入とは大それた事をやってのけましたねぇ。

>別所氏に敵対する勢力に関連があったからでは……
以前のこたつ様の書き込みですが、味舌様のご説明から考えると、大村由己は浦上氏と繋がりがあるんですかね?


>味舌政宗様
横レス歓迎です。さすがに戦国前期は味舌様の独壇場の感がありますね(^^)

>兵庫県史、もしくは浦上側の記述でみるならば岡山県史をみれば
う〜む、両方一部ですがコピーは持っているんですよね。私…。

[364] 赤松氏と別所氏と浦上氏 投稿者:味舌政宗 投稿日:2001/08/13(Mon) 20:57
>こたつ城主様
横レス失礼致します。別所氏は赤松氏の諸流で赤松氏の播磨国での守護代
といったところでしょうか。播磨においては別所、小寺氏あたりが守護代
的な有力領主のようです。そして浦上氏は赤松氏の分国でも備前守護代で
す。別所、浦上とは中が悪かったようで、1499年には播磨において
浦上村宗と別所、小寺、浦上の諸流が連合を組んで播磨を2分する争いを
起こすなど、赤松氏の中で着々と力をつけて浦上氏に対して常に赤松氏
側にたって対立していたと思います。
兵庫県史、もしくは浦上側の記述でみるならば岡山県史をみれば、播磨
備前を中心とした浦上VS赤松・別所の対立がかなり詳細に記載されている
と思います。

http://www5c.biglobe.ne.jp/~club-sg/index.htm


[363] お帰りなさいまし☆ミ 投稿者:こたつ城主 投稿日:2001/08/13(Mon) 00:31
家に居る事が多いので、時間は無い方ではないですよ。
ただ、レスは……わりとパッパと書いてる方だと思います(^_^;)。
女性はマメにレスする人が多い感じがしますし(私は女性です)。

>「嘉吉の『乱』」と「嘉吉の『変』」て違うんでしたっけ?(爆)

6代将軍義教は鎌倉公方の持氏を滅ぼしはしたけど、その勢力を盛り立てる
下総の結城氏が挙兵して関東は乱れ、義教は将軍家の権力を回復しようとして、
有力守護家の継承問題に口出ししてはその力を弱めたため、嘉吉元年(1441)、
身の危険を感じた赤松満祐が義教を自邸に招いて殺害。領国播磨で挙兵。かえって
有力守護たちの勢力を強めるきっかけに……。これが「嘉吉の乱」ですね(^_^;)。

「嘉吉の変」は、嘉吉3年(1443)7月、十津川南朝の河内と紀伊の国人が、
源尊秀と日野家では日陰者だった日野有光を先頭に、南朝の後裔、
相国寺常徳院の通蔵主と、萬寿寺の金蔵主の兄弟を擁立して旗揚げ。
将軍の住まう室町御所が襲撃されると見せかけ、実際には9月23日、禁裏に
乱入して三種の神器の内、剣と神璽(勾玉)を奪って逃走。その後、比叡山で
挙兵しようとしたけど、門徒らが協力せず劣勢に。28日までに首謀者50人
余りが逮捕、処刑。通蔵主は流刑。その後も失われた神器は返って来ず、
これの回復と断絶した赤松氏の回復をスローガンに、後の「長禄の変」が
起こる……と。 *ゼエゼエ(*O*)!*

>赤松氏って別所氏と対立していたんでしたっけ?(爆)

知りません(爆)。別所と敵対した勢力の候補を見つけようとして
こちらに来たら、「別所氏は赤松氏の庶流」と書いてあったので、
「関係あるんだぁ」と思っただけです(^_^;)。こちらの関連で
行くと、敵対陣営は、どちらかと言うと浦上氏でしょうかね。

http://www.page.sannet.ne.jp/kotatu


[362] そうですか〜? 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/08/12(Sun) 21:05
言ってくれたら案内するのに〜(笑)
長浜の祭りの時に1歳の女の子が琵琶湖にはまって溺死したそうですけど・・・

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[361] 皆様へ 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/08/12(Sun) 15:35
管理人留守中にも関わらず大勢の来訪、誠におそれいります。
旅先からの書き込みが(無関係でも)よかったのでしょうか?
(ご訪問者同士で盛り上がっていたという説もあり。)


>源為国様
よく調べていらっしゃいますね。しかも20代前半とは!

三国司と西園寺氏について(御所について)また少し口をはさんで申し訳ないですが、やはり国司と地方に若干の領知をもっていただけの公家では歴然とした差がでるんじゃないですかね?


>北畠具顕様
ちらっとですが、拝見させていただきました!
ただ、個々のタイトルが私には複雑すぎて、内容が一目で分からなかったので、一考をお願いできないでしょうか。掲示板で申し上げることでないかも知れませんがごめんなさい。
リンクにつきましては、現在立て込んでいてすぐにはできないかもしれませんが、なるべく早くこちらからもさせていただきたいと思います。よろしくお願いします。


>安楽博史様
ようこそおいで下さいました。
やっぱり紹介している武将の御子孫の方がお出でになるのは
嬉しいです。しかもそれがさらに詳細な事項や生没年をご教授していただけるなら尚更です。
ぜひぜひ(全てを加えるのは難しいですが)加筆させていただきます。
お子さんは1歳ですか。きっと歌心のある人に育ちますね(笑)。


>武藤舜秀様
長浜の花火の日に武藤様のお住まいのあたりを通過しましたよ。小谷城も賤ヶ岳も分かりませんでした…(;_;)
嵐世記ですか。それぞれの家臣団について読み返せば私にもいくつか作れるかも知れませんね。いまさっと「無名武将列伝」を見た限りでは、大宝寺義氏横死・天徳寺宝衍出奔・大村氏重臣のクーデター・木脇祐守切腹(伊東)・恵利内蔵助諫死・上方下方騒動(ともに秋月)などが作れそうですね。
(いくつか既に入ってるかも知れませんが…)


>こたつ城主様
率直な疑問なんですが、こたつ様はご自身の掲示板をどのように管理していらっしゃいますか?あんなに書き込みが多いのに全てに返信しておられるようですし。私は数日家を明けただけでも対応に追われております…

>嘉吉の「変」と混同してましたし(爆)。
「嘉吉の『乱』」と「嘉吉の『変』」て違うんでしたっけ?(爆)
赤松氏って別所氏と対立していたんでしたっけ?(爆)
私も最近のワープロの機能に付いている「要点抜き出し」を
自分の頭の中でしているだけで、内容は素通りですので^^;

大村由己に関しては、なにやら出自に関する論文があるようですよ。こたつ様の掲示板に書き込んだあとに例の『国史大辞典』をみたら、『戦国人名事典』と大差ない記述でしたが参考文献が載っており、そこに。(『国史大辞典』はだいたいの図書館におそらくあります。)
詳しく分かったらまたおしらせします。

[360] まずはじめに…成敗 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/08/12(Sun) 14:51
昨日深夜に帰宅しました…
新幹線が雨で遅れ、最後はタクシーで。
「のぞみ」の2000円をケチってひかり自由席に乗ったがために
タクシー代で1000円の赤字。トホホ…。

本題ですが、「357」は削除しました。
最近販売系サイトなどの宣伝の書き込みが多いのですが、なぜですかね?

とりあえずそのような書き込みは見つけ次第削除しますので。
ここはトップページから掲示板に直に入れて、他の所で良くやっている「入る前にご注意」などないんですが、これから検討するかも知れません。

[359] こたつです〜☆ミ 投稿者:こたつ城主 投稿日:2001/08/10(Fri) 19:48
くらのすけ様、こんにちは(^O^)!
大村由己のこと、ありがとうございました!
自分が住んでる所から遠いせいもあるんでしょうが、
播磨周辺が謎だらけに感じるのは、私だけでしょうかね(汗)。

どうしても赤松氏というと、嘉吉の乱で問題を起こし、
その後ゴチャゴチャして(←ここがいつまで経っても「ゴチャゴチャ」
としか認識できない頭の悪い私:汗)、という印象があるんですが、
もう一つ、別所氏や浦上氏との友好および敵対関係が頭に入りません(^_^;)。
だいたい、つい最近まで、嘉吉の「変」と混同してましたし(爆)。

しかし話は戻って大村由己ですが(しつこいですかね(^_^;))、
やはり三木城攻めの時、忽然と秀吉の陣営に加わった事が、
別所氏に敵対する勢力に関連があったからでは……という疑いが
脳裏から抜けない私なのでありました。

http://www.page.sannet.ne.jp/kotatu


[358] 嵐世記PUK版 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/08/10(Fri) 19:16
発売日の前日に購入できまして。(通販の予約でしたから)
いま、イベント作りに専念してるんですが、くらのすけ殿でしたらどんなイベント作りますかね?

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[356] 公家大名は・・ 投稿者:源為国 投稿日:2001/08/09(Thu) 14:06
 しかし公家大名は結構いるものですね・・
対外の大名は皇室か公家の末裔を名乗るものですが、中世まで公家であった人の末裔でいえば・・・
大名といわず武将とした方が性格ですが、美濃守護 土岐家の客人には鷹司家・伊予西園寺十五将の中には今城家と観修寺家そしてその庶流 町家 阿波には一宮家・・この一宮家は公家でない筈ですが、場合によっては三国司にカウントするそうです。

 また大内家には一門が母方の姓を冒し冷泉家を名乗ってますしね
厳密にいえば国司に任ぜられたのは三国司なのですが・・解釈を広げたり変えたりすると当然五国司では納まらないのかもしれませんネ・・

[355] 成敗 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/08/09(Thu) 08:57
旧355は削除しました。

京都の某ホテルからひっそりと書き込みのため、個別のお返事は後日改めて。
しかし、旅先から書き込みできる時代になるとは。。。

[354] はじめまして 投稿者:安楽博史 投稿日:2001/08/07(Tue) 03:26
このページは初めて知りました。私は「無名武将列伝」の「肝付氏」の一族に載っている「安楽兼寛(あんらく・かねひろ)」の子孫で、鹿児島県鹿屋(かのや)市というところに住んでいます。
ちなみに、当家は肝付氏初代兼俊の弟、三郎俊貞(初代)が、現在の鹿児島県志布志町安楽を領し「安楽」を号したのが始まりで、前述の兼寛は20代、私は36代になります。
ページ上の牛根城攻防戦についてですが、当家系図によりますと、島津義久の開城勧告の歌に対し、兼寛は「引くもうし ねらう心ももののふ(武士)の 梓(あずさ)の弓の縁(えにし)なりせば」という返歌を送り、本家肝付家が島津家の軍門に降った後も、肝付家存続を訴え抗戦を続けましたが、天正3年正月二十日、義久の説得に応じ、人質交換の上、開城。3年にわたる対陣をときました。その後、兼寛は牛根において、知行を授けられますが、同天正3年12月14日病死したことになっています。
ページの記載を変更してほしいわけではありません。ご報告まで。
ところで、私の愚息(37代・1歳)も「兼宙(かねひろ)」です。これは蛇足(笑)。
今後も、楽しいページにしてください。

[353] いやいや 投稿者:北畠具顕 投稿日:2001/08/06(Mon) 20:57
ただのHNです(笑)。
5国司なら西園寺と浪岡北畠も入った思うんですがね.ある意味残念ですね.

http://members.tripod.co.jp/shugaku/home/index.htm


[352] 自作掲示板の投稿転載 投稿者:源為国 投稿日:2001/08/06(Mon) 15:13
  私が自分の掲示板に投稿したものを転載させて頂きたいと思います。

足利氏と北畠氏 投稿者:源為国  投稿日: 7月25日(水)11時11分29秒

 足利氏は北朝方の征夷大将軍 清和源氏、北畠氏は南朝方の鎮守府将軍 村上源氏ですがこの両者はとても酷似している気がしませんか?
ともに当主・一門の多く敬称を御所と言われ、他の有力守護が御屋形様、その他の守護・国人が殿様といわれるのに対し群を抜いて敬われているわけです
から・・・
  
  足利氏の場合
 
   足利将軍は武家御所 鎌倉公方は古河公方(御所) 堀越公方(御所)
  
 足利家一門諸家の場合
 
  吉良家は                今川家は
   吉良御所 世田谷御所 蒔田御所    一部 今川御所とも

  管領斯波家の一門では           大崎家が       最上流黒川氏は
   斯波御所 雫石御所 猪去御所 戸木御所 館の名を大崎五御所とした。黒川御所とも?

 北畠氏の場合

 当主・隠居は多芸御所 三瀬御所 大石御所  一門に東御所 長野御所

 別系北畠家は

 浪岡家が浪岡御所 北畠家(水木家)は川原御所 袰綿家は袰綿御所

 北畠一門諸家の場合(多くは伊勢四管領)

 木造家は木造御所 坂内岩内家は岩内御所 波瀬家は波瀬御所 藤方家は藤方御所
 大河内家は大河内御所 田丸家は田丸御所・・・・


 この様に大変権威を持ったといえるでしょう。

[351] 御所様 投稿者:源為国 投稿日:2001/08/06(Mon) 15:10
 北畠具顕さんは北畠氏流の方ですか?
だとしたら何系の落ち筋でしょうか?いやいや・・勝手な推測を・・HNで使用されてるのかもしれませんし・・失礼しました。

 北畠顕家といえば船越御所

 戸木御所 戸澤御所 浪岡御所 川原御所 袰綿御所

 多気御所 三瀬御所 長野御所 

 木造御所

 三大将
 大河内御所 田丸御所 坂内御所
 
 波多御所 藤方御所・・以下略 色々ありますよねっ

〔350〕のHP是非、私も拝見したかったのですが、エラーでした・・

 私は20代前半ですが北畠氏の事は少年の頃、父に『クロニック戦国全史』(講談社)を買ってもらったのと大河ドラマ「花の乱」にて足利義政の弟 義視が伊勢北畠氏の下へ逃れたシーンにて知りました。三国司ですもんね・・

 公家大名で三国司の場合は御所とつき、三国司からもれた西園寺家は松葉殿と殿どまり・・せっかく公卿なのだから御所と名乗って欲しいところなのにと思う私です。

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