掲示板 「無名庵」過去ログ その二十
No.401〜451(2001/9/02〜10/26)

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[450] お詫びします 投稿者:武将系譜辞典管理人 投稿日:2001/10/26(Fri) 08:49
大変失礼致しました。

三楽堂様 は 武藤常昭は真田昌幸の後嗣とされておりましたが(444)、
私が調べたものでは 真田昌幸が武藤常昭の後を嗣いだとなっていました。
真田昌幸のあとは武藤光貞の子である光幸が嗣いだとありました。

ということです。

http://www1.odn.ne.jp/~cem89780


[449] ??? 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/10/24(Wed) 01:30
>武将系譜辞典管理人様
解説なども付けていただかないと、
何をおっしゃりたいのか理解しかねるのですが…。
三楽堂様の説と異なるということでしょうか。

人名だけ列挙なされても困惑してしまうのですが…。


>武藤舜秀様

>義綱は誰の子なんでしょうかね?
山口の大内氏の一門の子かなんかということなんですかね?
経歴が少し眉唾ものですが…。

[448] 大内氏 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/10/22(Mon) 18:10
奥州の大内義綱は周防の多々良大内氏の出で、義綱の代の時に奥州へ下って来たとありますが、義綱は誰の子なんでしょうかね?

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[447] 甲斐武藤氏 投稿者:武将系譜辞典管理人 投稿日:2001/10/21(Sun) 09:23
武藤義繁 30代
  光長 義繁孫 32代
  信堯 大井信達子 33代
  竹千代 大井信堯子
  常昭 大井信達子 34代
  昌幸 真田幸綱子 35代
  光幸 武藤備前光貞子 36代
  信幸 光幸子 37代
  光広 信幸子 38代

http://www1.odn.ne.jp/~cem89780


[446] 衝動買い 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/10/21(Sun) 00:52
スピーカー買ってしまいました。
ONKYOのやつ。聞こえなかった音が聞こえるようになった気はします。

常に音量を1/4位の位置にしてますが、それでも音量は大きいです。


>武藤舜秀様

>私のスピーカー、PCの付属品だったんですけど、最近電源がONになりにくい
>(電源を押したままじゃないとONにならない)ので、
>セロハンテープでぐるぐる巻にして動かしていますよ。
それもすごいですね…。そろそろ替え時なのでは…?
私はコンポなどなく、全てPCで聞くので最近
PCオーディオ化計画を思いつきまして。
でも、鳴る程度ならばすごく安いですしね。

>戦武堂様
と、いうわけでスピーカー買いました。

>ISAってPCIよりメモリ、リソース系を喰いやすいってくらいでしょうか?
そうなんですか?でもPCIのサウンドボードを経験していないのでなんとも。来年当たりP4と一緒に買いますかね。


>三楽堂様
書き込みありがとうございます。「戦国Xファイル」、
新シリーズが始まるとのことで、楽しみです。

三楽堂様の所で少し話題に出ていた、前田慶次の「道中日記」、米沢(?)で刊行するみたいですね。yahoo!か何かで
記事を見た気がするのですが、今探したら見つかりませんでした…。今日午前中に見たのですが…。

武藤氏の詳細な記事、ありがとうございました。
尾張藩士になったんですか。
やっぱり松平忠吉が甲斐にいた関係ですかね?


>武将系譜辞典管理人様
まぁ、そう焦らず、のんびりと行きましょうよ。
武藤喜兵衛の話題も、系譜辞典管理人様の書き込みの中から始まったんですし。

[445] 無題 投稿者:武将系譜辞典管理人 投稿日:2001/10/19(Fri) 09:52
そういえば 武藤舜秀の話はどうなったんだろう・・・

http://www1.odn.ne.jp/~cem89780


[444] 武藤氏&大井氏 投稿者:三楽堂 投稿日:2001/10/18(Thu) 22:37

大井信達(1)―┬─信業(2)― 信為(4)
        ├─信常(3)
        ├─信堯(a)― 三郎左衛門尉(b)=真田昌幸(c)
        ├─某
        ├─某
        └─常昭(d)

※カッコ内数字は大井氏家督順、同じく英字は武藤氏家督順。
常昭は次兄・信常の偏諱。当時、信常が大井氏当主だったのかも。

結局、大井信達の三男(武藤三郎右衛門信堯)のあと、息子が夭折。
真田昌幸が名跡を継いで、彼が真田家へ戻ったあとに、大井信達の六男
(武藤常昭)が養子として入ったらしいですね。
信常は兄らしいです。
末っ子の常昭は永正五年(一五〇八)生。長篠合戦で兄戦死により、昌
幸が真田家へ戻ったのが天正三年(一五七五)としたら、すでに六十代。
ほかに適当な人物がいなかったんでしょうか。それとも系図が間違って
いるのでしょうか。

ともあれ、信堯・常昭ともに大井氏出身のようだからいずれも武田庶流。
信玄にとっては外叔父ですね。ここに訂正いたします。

http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/index.html


[443] 成敗 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/10/18(Thu) 00:20
No.441の
「競馬はギャンブルではなく 投資である。 詳細は…」
を削除しました。


皆様へのお返事は、しばらくお待ち下さい。

追伸:赤井直正関連の論文を見つけました♪

[442] 甲斐武藤氏 投稿者:武将系譜辞典管理人 投稿日:2001/10/17(Wed) 09:22
武藤左衛門信堯が信玄の外叔父ということは、信堯は大井信達の子ということになりますよね。
武田系図によると、大井信達の子 三郎左衛門信堯が武藤氏を嗣いで、信堯の弟が武藤甚右衛門常知とのことです。常知と常昭との関係が問題になりますね。

http://www1.odn.ne.jp/~cem89780


[440] 甲斐武藤家のその後 投稿者:三楽堂 投稿日:2001/10/15(Mon) 00:13
横レス失礼いたします。

昌幸が真田家に戻った後の武藤家は、左衛門尉信堯の寡婦が一宮
随波斎(信虎の甥と言いますが、ハテ?)に再嫁。与次という子
供がありましたが昌幸が武藤家に入る前に夭折(身延過去帳)。
尾張藩士武藤性三郎家記に、「昌幸本姓に復して後、其の子武藤
を継、喜兵衛と名づく(名は知らず)」とあります。この子は信
繁に従って大坂へ入城したそうですが、事実かどうかはわかりま
せん。おそらくは養子を迎えて、子孫が尾張藩士になったのでし
ょうか。

武藤常昭は、昌幸が継いだ「左衛門尉」家とは別家のようです。
常昭は大井信達の六男で徳川家に仕官。昌幸が継いだ「左衛門尉」
家のほうは武田庶流で、武藤左衛門尉信堯は信玄の外叔父になるそ
うですからやや格上でしょうか。『甲斐国志』などはこのあたり、
大井氏から入った男子が武藤左衛門尉となったように書かれており、
混乱しているようです。

※たまたま先日調べていた部分とかさなる話題でしたので、しゃしゃ
りでてきました。わたしも聞きかじりなので確かな内容ではありま
せんが・・・

http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/index.html


[439] GOLD 投稿者:戦武堂 投稿日:2001/10/14(Sun) 21:56
まー性能的に言えばまだ一級物ですよ。最近のサウンドボードといえば
デジタル機能が強くなった位ですし。
音源チップについても趣味の領域になってきましたしね。
強いて言えば、GOLDってISAじゃなかったでしたっけ?
ISAってPCIよりメモリ、リソース系を喰いやすいってくらいでしょうか?

[438] 武藤喜兵衛は・・・ 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/10/14(Sun) 19:23
真田昌幸が武藤を名乗っていたのは兄に、信綱・昌輝がいたから途絶えていた武藤家を継いだと言う話は聞きましたがね。


話は変わりますが、私のスピーカー、PCの付属品だったんですけど、最近電源がONになりにくい(電源を押したままじゃないとONにならない)ので、セロハンテープでぐるぐる巻にして動かしていますよ。

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[437] 武藤喜兵衛 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/10/13(Sat) 18:54
>武将系譜辞典管理人様

武藤舜秀には子供がいたんですね。
丹羽に仕えていた?と推測なのは、はっきりしないからでしょうか。その後の康秀はどうなったのでしょうね。

それと、ご教授おねがいしたいのですが、真田昌幸が実家に
戻ったあとの武藤喜兵衛家ってどうなったんですか?

>武藤舜秀様
舜秀って藤原姓なんですか?そうだとしたら同じ系譜の可能性は
あるかも知れませんね。


…最近、CD-Rで音楽を焼くのに凝ってまして…
いろいろなサイトで音質の研究やらしましたが、
私の耳と貧相なスピーカーでは違いが分かりませんでした。
クラシックだと分かるみたいなんですが、クラシックは聴けども
焼く気はしませんし。
それと、サウンドボードがサウンドブラスターGOLDで、
数年前中古で1万近くしましたが、今でも一線級のレベルなんですかね?PCパーツで一番古いものだし、買い換えようかと思ってるんですが、グレードダウンするのも困りものですし…。

[436] 武藤氏 投稿者:武将系譜辞典管理人 投稿日:2001/10/07(Sun) 09:15
甲斐武田の家臣にも武藤氏がいるのでそちらからあたってみるのも手かと思います。
武藤常昭がいます。
真田昌幸は若い頃 武藤氏を継いでいました。武藤喜兵衛ですね。

http://www1.odn.ne.jp/~cem89780


[435] 武藤氏 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/10/06(Sat) 21:49
少弐氏や大宝寺氏も「武藤氏」ですよね〜
祖先一緒でしょうかね?
そこまでははっきりわからないと思いますけど。

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[434] 「事典」でもいいです 投稿者:武将系譜辞典管理人 投稿日:2001/10/06(Sat) 12:33
くらのすけ 様ご無沙汰してます。
収録数が増えても未だアクセスカウンタも設置してません・・・
不精者なので御挨拶が滞ることも多いと思いますが、時々お邪魔させてください。
武藤舜秀 様
武藤舜秀の子は助三郎康秀という人がいます。
丹羽長秀に仕えていたんじゃないでしょうか?
僕の推測ですが。

http://www1.odn.ne.jp/~cem89780


[433] 訂正です。 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/10/06(Sat) 00:53
※武将系譜「事典」→「辞典」ですね。すいません。
御迷惑をおかけしました。

[432] う〜む。 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/10/06(Sat) 00:52
捏造留まるところを知らず、という感じですね。
研究がふりだしに戻る、というのも大変なことですが、
歴史を勉強している身にとっては教訓にしないとな、と思います。

>武藤舜秀様
「小」ですよね。全集の出版がはじまって、蒼々たる研究者の
仲間入りを果たされた。

>信長の家臣で敦賀の領主はわかりますが、出がわかりません。
お約束の『戦国人名事典』を見てみても敦賀城主時代からの記述しか
ありませんね。上の川部様(武将系譜事典管理人様)のご指摘の
ように、若狭武田氏家臣なんでしょうか?
舜秀の子孫はどうなったんですか?

>武将系譜事典管理人様
ご無沙汰しております。益々ご発展のようで、何よりです。
総掲載人数30000人も近そうですね。
武藤氏のご指摘、誠にありがとうございました。助かります。

[431] おじゃまします 投稿者:武将系譜辞典管理人 投稿日:2001/10/03(Wed) 10:09
はじめまして ってことはないかもしれませんが、初めましての方も多いと思うので、ひとまず。
武藤舜秀 様へ
武藤舜秀は若狭武田氏の家臣ではないでしょうか?
僕もあまり調べていないのですが、同姓の友益らも若狭武田家臣ですし。
敦賀領主になったのは朝倉滅亡後だったと思います。

http://www1.odn.ne.jp/~cem89780


[430] 敦賀 投稿者:武藤舜秀 投稿日:2001/09/30(Sun) 19:02
今日、静岡大の大和田教授が敦賀で講演をしておられたので聴きに行ってたんですが、話も終わって敦賀の歴史の所を見てふと思ったんですがね・・・
私のHNの「武藤舜秀」って一体誰?(笑)
信長の家臣で敦賀の領主はわかりますが、出がわかりません。
敦賀の豪族だったのか、朝倉氏の家臣で信長に下った者なのか、はたまた、
信長の尾張時代からの家臣なのかわかりません。

http://www2.cny.ne.jp/yp0326/


[429] アッサリ過ぎました? 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/09/29(Sat) 23:39
こたつ城主様、風邪は治りましたか?

なんだか、簡単に書きすぎたような気が…。
拍子抜けしてませんか?>こたつ様

やっぱり、長野県側から見ている方々にとっては、未知の領域なんですかね…?新潟県って?

でも、花井氏って、それほど村上氏にとっては重要ではないと思います。家中騒動か忠輝の改易かどちらかは忘れましたが、水戸?にお預けになって、そのまま死んでしまいますので。
(子孫は旗本?とかにはなりますが)

[428] くらのすけ様〜♪ 投稿者:こたつ城主 投稿日:2001/09/26(Wed) 21:32
こんにちは〜(^O^)! 風邪ひき、こたつ城主でぇ〜す!
くらのすけ様、明暦期の高田藩と松代藩の関連、教えて下さって、
ありがとうございました!!!

それから、花井吉成(父)と義雄(子)の関係も、長〜い事、
課題だったんですが、アッサリと教えて頂いて、本当に感謝です!!

前に越後に伝わる村上氏の話をやった時から、「この花井氏ってのは
何か臭いゾ!」と思ってはおったのです(^_^;)。

急に寒くなったせいか、三連休でダレたせいか、風邪ひいてダウン
してます(*O*)! 皆様、どうかくれぐれもお気を付けあそばせ。
うがいした方が良いです。こたつはサボッておりました(-_-;)。

ではでは(^^)。

http://www.page.sannet.ne.jp/kotatu


[427] 寒いです 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/09/22(Sat) 21:24
長袖Tシャツ&シャツでないとやっていけません…

>ふーむ様
おや、学生でいらっしゃいましたか。ちょっと驚き。
古筆切などもお持ちのようですし、風流に生きる方かと…^^;

>北条早雲末期だと、古文書・公卿や幕府高官の日記、
>市町村史を駆使すれば、どの大名家のことも大体は
>わかるはずです。一色はそろそろやばいですが…。
やっぱり何とかなりそうですよね。暇が出来たら調べてみるとしますか…


>某ゲームメーカーさまは、ただ単に調べる努力をしていない
やはりそうでしょうね。プログラムが大変でそんな人員を割くことが出来ないのかもしれないですしね。


>KUBO様

>実は松前町のサイトの管理者の方から相互リンクのお願いがうちに来まし
>て、その時に「藩士履歴書」を見れませんか?とお願いした所、
自治体からリンクのお願いが来たんですか〜。すごいですね。
でも、そういう繋がりがあるのなら何度かは見に行けそうですね。
でも「いつでも」って訳ではないということはまだ編さんが続いているんでしょうかね?


>真理様
初めまして。色々なところに投稿なさっていたようですが…。
とにかく、わかって良かったですね。
私はとんとその辺の所が詳しくないもので…。

戦国時代の「実態」的部分に触れようとするとどうしても難しくなってしまいますね。江戸時代の生活ですら知ることは難しいですので…。


>戦武堂様
フォローどうも有り難うございました。
「臨兵闘者皆陳(陣)烈(列)在前(行)」
=兵(戦)に臨み、闘う者は皆陣列の前に在り、という意味なんですかね?
(要するに逃げるな、ということが言いたいのでしょうか)


まったくサイトの更新を行っていないんですが、
どうも常時接続の影響の気がしてきました。
暇な時間=(昔)サイトの手入れ(今)ネットサーフィン
夜=(昔)ネットサーフィン(今)早々寝てしまう…

それ以外にも、文書の勉強を3つ抱えている、という状況もあるんでしょうけど。

[426] Re[425]: それって・・・ 投稿者:真理 投稿日:2001/09/22(Sat) 18:34
> 密教や陰陽道で使う九字じゃないの。
> 「臨兵闘者皆陳(陣)烈(列)在前(行)」
> (リン・ピョウ・トウ・シャ・カイ・チン・レツ・ザイ・ゼン)
> 最後は梵字で「オン」だか「アン」だか。
> もとは「抱朴子」だっけ?

戦武堂様 ありがとうございます!
(リン・ピョウ・トウ・シャ・カイ・チン・レツ・ザイ・ゼン)

まさしく! これが知りたかったんです!
映画でも はっきり なんていっているのか
なんの呪文なのかな?って思っていました (^^;;

感謝 感激です  m(__)m

臨兵闘者皆陳烈在前 ですね (^^)

兵士を徴集するときの唱えごとみたいなのかな・・・

真理

[425] それって・・・ 投稿者:戦武堂 投稿日:2001/09/21(Fri) 01:17
密教や陰陽道で使う九字じゃないの。
「臨兵闘者皆陳(陣)烈(列)在前(行)」
(リン・ピョウ・トウ・シャ・カイ・チン・レツ・ザイ・ゼン)
最後は梵字で「オン」だか「アン」だか。
もとは「抱朴子」だっけ?
違うなら「東南西北(トンナンシャーペイ)・・・」で麻雀用語か?(藁

[424] 武将の呪文? 投稿者:真理 投稿日:2001/09/21(Fri) 00:27
はじめまして
皆様 たいへんお詳しいようなので質問させてください
あの 映画などで 出陣するときに唱える 武将の呪文?
トンマンシャペイ???
ジンタイレツ???
最後にアーメンみたいな (^^;;
とかいうのの意味や なんと言っているのか疑問なのですが・・・
参考にる知識をお持ちの方はDMでも結構です
お返事をいただけるとうれしいです
わたしは 琉球の尚寧が好きです 悲しい結果でしたが・・

[423] Re[420]:今日は筋肉痛... 投稿者:KUBO 投稿日:2001/09/15(Sat) 23:25
>源為国さん
>  水戸結城家は壱千石、その他に秋田藩士、加賀藩士等があり関東一の名門は脈々
> と続いているのですね。
 加賀藩にも結城氏の末裔がいたのですか? それは知りませんでした。結構あちこ
ちにいるもんですね。

>くらのすけさん
> 松前町史編纂室って、郷土資料室みたいに見たい資料がみられるんですか?編纂自体はもう終わったんでしたっけ?
 編纂はどうでしょう?終わったのかなあ?数年前に「年表」が出てましたけど。と
いっても私が持っているのは藩政期(幕末まで)までの分の第1巻上下だけですけど。
実は松前町のサイトの管理者の方から相互リンクのお願いがうちに来まして、その時
に「藩士履歴書」を見れませんか?とお願いした所、「平日なら良いですよ」という
ご返答を頂きましたので夏休み中に出かけたというわけでして。
 とはいっても町史編集室にあるものは中島家文書からコピーしたものなので、全部
を写真に収めるのはダメと言われまして、仕方なく必死でメモを取りました。字の読
めない所だけはOKを取りましたのでデジカメで写してこっちに戻ってから解読した
というわけです。
 とはいっても今回目を通したのは半分もあったかどうかですので、また来年の夏休
みにでも行かねばと思っております。(冬休みに松前まで行く元気はないです(--;))

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[422] 少しだけ。 投稿者:ふーむ 投稿日:2001/09/15(Sat) 01:53
くらのすけさま、
私は世を憂うしがないエセ文人…もとい
文学部の学生に過ぎません(^^)
相当変わり者で、化石みたいな人間ですが(大汗)

はあ、有名どころというか…
例えばここでも話題になってる一色氏などは、
戦国後期になるとご存知の通りなんですが、
応仁の乱前後の方がむしろ史料も豊富で、
守護代延永氏、石川氏、伊賀氏、小倉氏など、
重臣を多く検出することが出来ました。
なんといっても、室町幕府四職家ですから(^^)

逆に、甲斐武田氏など、後世に名を成した家でありながら、
申しわけ程度しか家臣を見つけられない場合もあります。

北条早雲末期だと、古文書・公卿や幕府高官の日記、
市町村史を駆使すれば、どの大名家のことも大体は
わかるはずです。一色はそろそろやばいですが…。
某ゲームメーカーさまは、ただ単に調べる努力をしていない
(ないしは、全くその気がない)だけだと、
ふーむは断言します(ひえ〜^^;)

http://homepage2.nifty.com/OTIBO_PAGE/


[421] プロジェクトXと水戸黄門 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/09/15(Sat) 00:42
今週のプロジェクトX(姫路城再建)を見て、姫路城つながりで今週の水戸黄門。

姫路も領したこともある前橋松平(大和守)家。
水戸黄門では白河藩主として登場しました。

藩主は松平直矩で、「若殿」と呼ばれています。
俳優は、大河「葵」で松平忠輝を演じた人。

…しかし、直矩が白河藩主だったのは元禄5年から8年(死去)
の間。これは水戸殿が隠居した後で諸国を漫遊した、という設定から元禄年間なのでこの点で破綻はありません。
しかし、どう考えても「若殿」ではないんですよね。元禄5年当時51歳ですし。彼が生まれたのは寛永19年なんだけどなぁ?

[420] 1週間の間に… 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/09/15(Sat) 00:34
世の中が変わってしまいました…。

>ぴえーる様

>合言葉は「鶏口となるも牛後となるなかれ」です(笑
あ、この言葉、私も好きです。
でも私のサイトを見ていただいている方は
多少なりとも「鶏口」気味ですよね(^_^;)
でも、少数派バンザイ、ですね。

>裏切られて終わり、よりも勇敢に戦いを挑んで死んだとしておけば
>評価もまだ高まったことでしょう。例えば某ゲームの能力値とか(笑
まぁ、そうですけど、大体最後は内部崩壊しますからね。
某ゲームの能力値が低いのは、情報収集能力がないだけと思いますが…。

>ここみたく多かったらもう少し控えめにしてることでしょう。
私も言いたいことを言う場所を作ったんですよ(謎)


>KUBO様

> 先月、松前町の町史編集室に行って「藩士履歴書」を見てきたもんでだいぶん形に
松前町史編纂室って、郷土資料室みたいに見たい資料がみられるんですか?編纂自体はもう終わったんでしたっけ?

そういえば、「権」でいいみたいです。


>源為国様

>そういえばNHKアナウンサーにも同姓の人がいましたね。
地方局の女性のアナウンサーの方ですか?名前がひらがなの?
今日、たまたま見ていたら見掛けたもので…



>ふーむ様

>あの時分の全国の大名とその家臣を調べることになり、骨は折れましたが、いい勉強になりました。
やっぱり有名どころしか家臣は分からないんですかね?
しかし、ゲームを作成してしまう、ふーむ様って、いったいどういう素性の方なんですか?

私も、北条早雲末期くらいからのマイナー大名家臣団を調べてみようかな、などと思った時期もありまして…
(当サイトは、某ゲームの影響を多分に受けておりますので、最新作が天文初期からスタートするため、途中から天文初期の武将も取り上げるようになったのです。で、そのゲームというのはファンからの北条早雲時代のシナリオも、という主張も多いので、どのくらい武将が分かるのだろうか、という興味がありまして…。)

[419] 追伸です。 投稿者:ふーむ 投稿日:2001/09/14(Fri) 21:28
くらのすけさま、すいません^^;
下の記事はあれですので、読み終わったら
削除して頂いて結構ですm(__)m

http://homepage2.nifty.com/OTIBO_PAGE/


[418] くらのすけさま、こんばんわ(^^) 投稿者:ふーむ 投稿日:2001/09/14(Fri) 02:26
くらのすけさま、また来てしまいました(^^)
ゲームですか?あれは、今となってはあれなんで
お蔵入り状態ですが…応仁の乱前夜1460年にスタートする
ものを作ったことがあるのです。ここで深くは申せませんが、
あの時分の全国の大名とその家臣を調べることになり、
骨は折れましたが、いい勉強になりました。
細川がものすごく強いゲームになりましたが、
山名と赤松、足利成氏と両上杉氏が一進一退の攻防を
繰り広げて、デモモードみただけで満足し、
一度もちゃんとプレーしたことがありません^^;

http://homepage2.nifty.com/OTIBO_PAGE/


[417] 茨城県の史跡 投稿者:源為国 投稿日:2001/09/12(Wed) 14:40
 茨城県の史跡として伊奈町に結城三百石といわれる家屋敷があるそうです。そこで私宅なのか。町のものなのかは知りませんが、江戸時代は結城家の一門が三百石で名主をしており世に結城三百石といわれたそうです。
 水戸結城家は壱千石、その他に秋田藩士、加賀藩士等があり関東一の名門は脈々と続いているのですね。

 そういえばNHKアナウンサーにも同姓の人がいましたね。茨城県出身で・・・プロフィールを見る機会があり、やはり茨城県結城市という町になっている分けですから茨城県と縁が強いのですね。

 

[416] 水戸結城家 投稿者:KUBO 投稿日:2001/09/10(Mon) 00:22
>宮野州さん
> 載っていた書籍は『結城一族の興亡』です。
 これ見てみたいですね。今度探してみようっと...

> 私は自分のサイトで勝手な推測をして「水府系纂」が典拠ではないかと書いてしまいましたが、本当はよく分かりません。
 やっぱり「水府系纂」見てみたいですねえ。来年の1月は水戸に行こうかな?(こ
こ数年、毎年1月に関東に行っているもんで(^^;))

> でもKUBOさんの系図を見ると晴綱から寅寿までは結構いますよね。
> こっちの方が信憑性は高そうですね。
 私の系図の元ネタは、前にも書いたとおり『結城宗廣』という昭和16年発行の本に
載っていたもので、発行所は結城宗廣事蹟顯彰會でその代表は白河結城家の嫡流秋田
白川家の末裔・結城錦一氏ですので、きっと水戸結城家の家譜から得た情報ではない
かと思うのですが...

>源為国さん
 種徳の跡を継いだ道家の出自については、残念ですがこの前以上の情報は持ち合わ
せておりません。しかしこの水戸結城家は悲劇の家系ですね。朝道が死罪、種徳が牢死、そして道家が討死と三代続けて不運な死に方をするなんて...

>くらのすけさん
> そういえば松前藩士系図があんなに増えていたとはしりませんでした。
 先月、松前町の町史編集室に行って「藩士履歴書」を見てきたもんでだいぶん形に
なってきました。でも、旅行最終日に行ってしまったもんですから時間がなくって、
取りあえずめぼしいものだけをメモしてきただけですので、来年もう一度行ってこよ
うかなと思っています。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[415] 欲望と執念で生きる男 投稿者:ぴえーる 投稿日:2001/09/08(Sat) 01:21
>くらのすけさん
>ぴえーる様の仰るように、執念がなくなり、3年目で終わったりして…(笑

少なくとも自分の知りたい情報がすべてウェブ上に存在するような状態にでも
ならない限り、私の執念はなくならないことでしょう。
一応4年以上運営してますけど、いまだに満たされませんなぁ。
逆にいえば4年経っても誰も作らないから自分でやってるんですけれども。
合言葉は「鶏口となるも牛後となるなかれ」です(笑

>逆に寝返った人が多いと「悪政」ととられませんかね?

「細川氏が裏切らせた」というのが基本スタンスのようです。
ただ、ありのまま書いていた方が武家らしくて良いと思いましたが。
裏切られて終わり、よりも勇敢に戦いを挑んで死んだとしておけば
評価もまだ高まったことでしょう。例えば某ゲームの能力値とか(笑

>(いや、あの単刀直入な物言いが羨ましい、とも思うのですよ)

来訪者が少ないから好き勝手書けるのですよ。
ここみたく多かったらもう少し控えめにしてることでしょう。
それでも叩くものは叩きますけどね(笑

[414] 御礼申し上げます。 投稿者:小助川亨 投稿日:2001/09/07(Fri) 23:44
由利12頭 拝見いたしました。
存命すれば110歳の実父が由利郡及位の出身でしたが、実家のことを嫌い私たちには何も言い残しませんでした。 亡くなって直ぐ兄弟で戸籍を参考に及位
を見に行き、小さな社を発見し内部を伺うと、寄進者名の額があり、多数の小助川姓を発見しビデオに収録し日帰りの旅を終了致しました。
現在栃木県栃木市に居を構えておりますが、小助川姓は当家関係者以外見当たらず姓の由来を知る由もありませんでした。
この度、くらのすけ殿のご尽力によるホームページにより、子孫に説明が出来
得る機会にめぐり合わせたことに大、大感謝申し上げます。
その他、参考文献などご教授賜れば幸いです。

[413] お返事その2 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/09/07(Fri) 19:30
>戦武堂様
お久しぶりです。

>相変わらずですね〜(良い意味で)。
はい〜。相変わらずです(笑)。
これからも普通にやっていきたいと思います。よろしくおねがいします。


>源為国様

>水戸藩といえば名家の末裔を藩士に迎えるという話がごごあります。
なんででしょうね?父上の影響?
それとも、尾張・紀伊と年が離れていたし、藩の成立環境が大きくちがったからだろうか…
牢人は普通京都に行くらしいから、そういう人が多ければ尾張か紀伊の方が召抱えそうですしね。


>KUBO様
あまり自信はありませんでしたが、少しはお力になれたようで良かったです。
そういえば松前藩士系図があんなに増えていたとはしりませんでした。


>野州様
ご無沙汰しております。こないだはたまたま見た、ツリー式掲示板に書き込めそうな話題があったので書き込んでしまいました。
野州様は北関東をやってらっしゃるのでさすがに結城にも詳しいですね。


>戦武堂様
>源為国様
>KUBO様
>野州様

(結城関係)
私には全くといっていいほど分かりませんです…
でも拙掲示板でこれほど盛り上がって頂けてうれしいですね。
結城氏は秀康系統に目がいってしまったのでそれいがいは私はトンと疎いもので…

[412] 自分の書き込みが… 投稿者:くらのすけ 投稿日:2001/09/07(Fri) 19:10
「次の10件」に行かないと見られない…
1週間ぐらい放置か…。すいません。


>ぴえーる様
>もし執念が雲散霧消してしまうと散執念。さんしゅうねん。3周年。
ぴえーる様の仰るように、執念がなくなり、3年目で終わったりして…(笑

>破れた理由を少しでも正当化したかったのでしょうか。
逆に寝返った人が多いと「悪政」ととられませんかね?
ひょっとしたら、同じ足利の幕臣という立場からの無念さなのですかね?

>例えるなら問題を書かず答えだけを書いているようなあの日記が!?
問題を解くのが面倒くさい年頃になってきたもので(^_^;)
答えだけ見て納得した気になるのが楽でいいです。
(いや、あの単刀直入な物言いが羨ましい、とも思うのですよ)


>ふーむ様

>このサイトの今後のご発展、お祈り申し上げまするm(__)m
ありがとうございます<(_ _)>
しかし、ふーむ様のところと比べたら、育ち盛りの若者と、成長がとまった老人、という感じでしょうねぇ。あとはいかに延命するか(苦笑)。
ふーむ様のサイト、とても期待しております。

>昔、友人にせがまれて応仁の乱のゲームを作ろうとしたとき、
これ、すごく気になるんですけど!?


>止々斎様
はじめまして。ようこそいらっしゃいました。
蘆名氏のサイトですか。なんで今まで無かったんでしょうね?
おそらくこちらが教わることばかりです。よろしくお願いします。

[411] 種徳の跡は・・・ 投稿者:源為国 投稿日:2001/09/07(Fri) 09:58
 結城種徳の後継は親類なんでしょうか・・それとも婿養子でしょうか・・

 私は尊王派中心に学んできてよくわかりません。ぼそっ

どなたかご存知でしょうか。

[410] 呼んだかな? 投稿者:宮野州 投稿日:2001/09/06(Thu) 23:21
誰も呼んでないって>自分

>KUBO&戦武堂さん
系図を勝手に掲載して申し訳ありません。
特にKUBOさんのはHPのものから拝借しました。
問題があったら一言お願いします。
この投稿ごと抹殺しますので。

結城寅寿を基点にして人物をさかのぼった系図を勝手に挙げてみました。(^^;

1 KUBOさん紹介の系図
大内蔵晴[日吏]-美濃守晴久=数馬晴広-数馬晴元-蔵之助晴輝=数馬晴徳-朝道(寅寿)
(実門奈直常次男)

2 戦武堂さん紹介の系図
七郎晴信―晴映―晴久―晴広―晴久―晴徳―寅寿晴明

3 野州が自分のサイトで紹介した系図に通称を付加したもの
七郎晴信-数馬晴映-大蔵映久-造酒助晴久-新助(後数馬)晴徳-晴明(寅寿)
なお寅寿については以下の記述もありました。
天保三年(1832)御小姓役から御小姓頭となり、後に朝近と改める。
載っていた書籍は『結城一族の興亡』です。

便宜上数字で述べたいと思いますが、2と3は若干違いはありますが、大元はいっしょのような気がします。
これはなんの書籍に載ってたんですか?>戦武堂さん

1は数馬晴徳のみがいっしょでその前はまったくといっていいほど違いますね。
寅寿から五/六代前は2と3は晴信、1は晴輝/晴徳兄弟を一代としてみると晴(でいいんですか?)となりますね。
この晴という人物がいつ頃の人物か分かりませんが、晴朝の息子の代と一緒ということは考えづらい。
つまり2/3の系図は幕末(安政年間ぐらい)の寅寿から五/六代先で晴朝の息子の晴信というのは間の人物が少ないと考えられますね。
ま、単純に世代をさかのぼっての比較は短絡すぎるきらいもありますが。
ということで現段階では2と3の系図の信憑性は?といわざるとえないと思うのですが、方々の意見は如何。

>KUBOさん
>晴朝実子の信憑性
私もこの書籍(『結城一族の興亡』この記述のためだけに買ったようなもの)でしか見たことがないので、どうなんでしょうかね。
私は自分のサイトで勝手な推測をして「水府系纂」が典拠ではないかと書いてしまいましたが、本当はよく分かりません。
ただ、かの書籍には晴信/忠信は母とともに一時期中畠に住んだと書いてあったので、そちらの系図にある白河一族で中畠を名乗った(継いだ)人物と何らかのつながりがあるのかもしれませんね。

でもKUBOさんの系図を見ると晴綱から寅寿までは結構いますよね。
こっちの方が信憑性は高そうですね。

[409] 皆さんへ 投稿者:源為国 投稿日:2001/09/06(Thu) 10:15
 いやぁ、こんなにお返事いただけてうれしいです。またご指摘は有難うございました。母姓を冒す例は多いですね。水戸藩に限らずとも・・
 昨今、話題の選択的夫婦別姓制度が成立すれば自由に好きな姓を名乗れる?これは別姓制度の目的と違う法的応用の効くというだけですが・・法学部の関係である私には興味深いです。
 
 KOBU様、私も深くとっていませんし、何かお返事差し上げる時に特別含ませたつもりもないです。

 田丸は確か加賀藩と関係していた事は高校生の時の歴史シュミレーション某ゲームの説明で知りました。姓氏大辞典にもあった気が・・再び見てみます。

 先祖の意識ってやはり父方という意識が強いんでしょうね。でも息子が複数いて全員生母が違うと生まれた順か、生母の貴賎できまるので、母方も重要な鍵ですよね。

 関西では女紋という文化があり女性が自分の生んだ女性に家紋とは関係ない由緒の紋を授けるというのはご存知の方もいる事かと思いますが、女性が生んだ女性に代代紋を授けると、その紋は女性は多くの場合は嫁いだので〔昔は特に〕家から家へと嫁ぎ先の家を転々と伝わって行ったのでしょうね。

 女性が男子しか産まないと自分の後継ぎが絶えた事になりその女系の女紋は断絶となるそうで、関西では跡取息子と同時に女性としての自分の跡取となる女児を生む必要性があったのですね。

 ところで結城家は種徳は十代で逝去してますが親戚が急養子でも調えたのでしょうか。・・続きは今度・・
 

[408] 田丸 投稿者:戦武堂 投稿日:2001/09/06(Thu) 00:27
田丸の直系は直昌の長男・直茂にはじまる加賀藩士家ではないでしたっけ?
水戸の田丸家は直昌の次男・直綱の三男・直次の娘が水戸藩士の息子に
嫁入りしてのその子供が母姓を冒して召し出されたやつですよね。
故に男系では関係無し。

直次―女―直行(水戸藩士初代)―直暢―直方―直諒=直允(稲之衛門)

>KUBOさん
うーん、野州さんが何に拠った存じないのでなんとも。
本当か嘘か?信じるか信じないかですよ(笑。

[407] Re[406]:RE: 結城 投稿者:KUBO 投稿日:2001/09/05(Wed) 22:46
>源為国さん

>  嫡流か支流かという事で是非は判断は難しいですね。
 私も嫡流・庶流で是非を問うつもりは毛頭ありません。単なる言葉のあやですので
聞き流してください(^^;)

>  息子の結城種徳は絶食して水戸結城家は断絶ですから・・
 手持ちの『結城宗廣』という資料に載っている系図では、種徳のあとも系図が続い
ていて、大森信成の十一男道家が養子になったが明治元年越後で討死、その後、伊東
宗一郎の次男四郎が養子に入り、光雄と続いたようです。

>  そうそう北畠氏の一門で田丸御所と尊称された田丸家も大名級の藩士ですね。 

 水戸藩士に田丸家もいたんですか。ますます「水府系纂」が見てみたいなあ...

>戦武堂さん
> 家伝が本当ならば直系中の直系なんだろうね。
 これと同じ系図を宮野州さんのところでも見ましたけど、元ネタは同じですか?
結城晴朝に子どもがいたという話は初めて聞きましたがホントなんでしょうか?

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[406] 結城 投稿者:戦武堂 投稿日:2001/09/05(Wed) 12:44
家伝が本当ならば直系中の直系なんだろうね。

結城晴朝―七郎晴信(嫡子。羽柴秀康、結城家を継ぐにより逼塞。徳川光圀、500石にて召し出し)―
―晴映―晴久―晴広―晴久―晴徳―寅寿晴明(後に朝道)

[405] う〜ん 投稿者:源為国 投稿日:2001/09/05(Wed) 09:35
 嫡流か支流かという事で是非は判断は難しいですね。結城家は改易となってしまったので、嫡流が絶えたら名門結城家を尊ぶ人は惜しんでも帰ってきませんから。
 秋田藩士で良かったかもしれませんよ。水戸藩執政 結城朝道は藩公暗殺容疑で藩公御一門の松平邸で死罪ですし、結果として水戸御三家は崩壊し嫡流は秋田藩籍に身を置くわけですから・・

 息子の結城種徳は絶食して水戸結城家は断絶ですから・・中畠氏の過不足ではないですが、結城といえば右大将家御落胤の噂他界事は何度も私的しましたが、島津・大友・和賀等の頼朝落胤説は論破されてもこれは比較的、非難される事は少なく一部ありますが・・
 どっちにしろ関東一の名門ですからねぇ。茨城県伊奈町には結城三百石といわれる格式の家があったそうです。士分としてでなく旧家として名主を務めたとか何とか・・今でも町の史跡ですからねぇ。

 水戸藩で守護級というか守護代級でいえば武田家もそうです。甲斐源氏で武田が何故守護代かといわれれば、嫡流も支流も探題・守護ですが、上総武田家は上総守護代ですし、水戸武田家は本来、甲斐守護代 跡部家で武田家に謀反した経歴を忌み烈公に願い出て本姓の武田に改姓したからです。

 守護代級でいえば水戸藩の名主層には下野守護代 益子家・国人級でいえば陸奥国の田村家の一門 吉成家

 そうそう北畠氏の一門で田丸御所と尊称された田丸家も大名級の藩士ですね。 

[404] ありがとうございました&おめでとうございます 投稿者:KUBO 投稿日:2001/09/04(Tue) 22:08
>くらのすけさん
 先日はメールでご教示いただきありがとうございます。とりあえず今井氏の系図も
含めてアップしましたのでご覧下さい(^^)
 それから2周年おめでとうございます。こちらに出入りするようになって刺激され
て自分のサイトを持った私としてもとてもうれしい限りです。うちもがんばらなくち
ゃ。

>不如帰さん
 『姓氏家系大辞典』を見てみましたが、竹崎氏って阿蘇氏の庶流なんですね。季長
の直系かどうかはわかりませんが、室町期は菊池氏・阿蘇氏の家臣になったようで、
永正元年(1504)政隆侍帳に「竹崎又之允丸、竹崎次郎左衛門惟村、竹崎図書助惟岑」、
二年の連署に「竹崎兵部進惟直、竹崎又丞丸、竹崎図書助惟秀、竹崎忠左衛門尉惟忠、
竹崎次郎右衛門惟次」、阿蘇文書の天正18年(1590)5月20日に「竹崎長門入道長秀、
竹崎千左衛門尉惟廉」等の名があるそうです。

>源為国さん
 水戸御三家の場合、小山・宇都宮は嫡流ですけど、結城は庶流の中畠氏の系統とい
うのがちょっと残念です。(嫡流は秋田藩士) しかし、水戸藩士に一色家・尼子家・
里見家・太田家があったんですね。一度「水府系纂」を見てみたいですねえ。

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/


[403] 水戸藩 投稿者:源為国 投稿日:2001/09/03(Mon) 11:04
 水戸藩といえば名家の末裔を藩士に迎えるという話がごごあります。
水戸御三家といえば結城・小山・宇都宮・・関東八館の家柄で守護級ですよね。結城といえば右大将家御落胤の噂高く猜疑心強い歴史家では一部を除いてこの説を否定し得た人はいません。

 旧守護・戦国大名の末裔を家臣とした例は一色家・尼子家・里見家・太田家・山野辺家・・・・色々あります。

 水戸藩といえば多くが武田旧臣ばかり、三河譜代の子弟から鳥居家・戸田家・榊原家・松平家・大久保家等々を連れて来てますし・・

 また才ある人を多く集めました。しかしこの名家と才覚ある人を双方集めた結果が長年に渡る名家対名士の対立を起こす結果となります。
 しかし名家の出でも名士の立場から名家門閥と敵対する人もいました。
これは名家として十分な待遇を得ず、逆に才能で出世した人はこういう立場をとったといえます。藤田東湖と共に水戸の両田といわれし戸田蓬軒その人も名士として活躍した人です。彼は同志 会沢安、実弟 安島帯刀と共に徳川斉昭藩政を正そうとして佐幕派と対決した人です。安政の大地震で藤田東湖と共に圧死しましたが・・・

 水戸藩の名家はまだ多くあります。

[402] お久〜 投稿者:戦武堂 投稿日:2001/09/03(Mon) 03:22
9月になって時間的拘束から解放されつつあるので来てみましたよ。
相変わらずですね〜(良い意味で)。
なんだか2周年とのことでとりあえずおめでとうございます、ということで。

[401] 初めまして 投稿者:止々斎 投稿日:2001/09/02(Sun) 23:20
初めまして。
私は、今度葦名氏のホームページを開設した止々斎と申します。
貴サイトの葦名氏の記事、拝読いたしました。とても勉強なさ
っているようですね。私も負けないようにしないと(^.^;
葦名氏関連の良い情報がありましたら、教えてください。

http://www08.u-page.so-net.ne.jp/jf6/naka-dai/


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