越前松平家とは?

越前松平家は、徳川家康の二男、結城秀康を祖とする家門(親藩・一門)の大名家である。慶長五年(1600)の関ヶ原合戦後、秀康が越前に加増転封されたことによって成立した。秀康の嫡男、忠直の代までは福井松平家が弟の家を遙かに凌いでいたが、忠直が元和九年(1623)に配流された後は、その弟忠昌が越前に入るも、越前家一門が各地に配置されて10万石から20万石程度の藩がいくつか成立した。ただし、福井松平家を超える石高を持つ越前家一門は存在しなかった。(当初70万石近くあった忠直時代より石高は次第に減少し、貞享三年(1686)には25万石に減封となるが(貞享の大法)、それでも福井松平家は越前家本家の「越前福井」を領する家として最大の石高であった。)

 越前家一門の中には、本藩より分知されて、いくつか支藩が成立している。当主の死去などで本藩に吸収されて消滅した藩も存在したが、幕末時点で分家をあわせて八家が存在した。

「白い地図工房」配布の地図を利用して、くらのすけが加工した。

※地名の後の( )内の数字は地図の数字に対応。

1)津山松平家
【越前北庄(福井)→越後高田(3)→※→美作津山】
(※改易、当主が伊予松山(14)・嫡男が備後福山(15)に配流。赦免後江戸に居住。)

2)越前松平家
【上総姉ヶ崎(11)→常陸下妻(10)→信濃松代(5)→越後高田(3)→越前福井】
3)分家糸魚川藩(糸魚川)

4)松江松平家
【上総姉ヶ崎(11)→越前大野(8)→信濃松本(6)→出雲松江】
5)分家広瀬藩(広瀬)
6)分家母里(もり)藩(母里)

7)前橋松平家
【越前勝山(7)→越前大野(8)→出羽山形(1)→播磨姫路(12)→越後村上(2)→播磨姫路(12)→豊後日田(13)→出羽山形(1)→陸奥白河(4)→播磨姫路(12)→上野前橋→武蔵河越(9)→上野前橋】

8)明石松平家
【越前木本(8)→越前勝山(7)→越前大野(8)→播磨明石】
※木本と大野はほぼ場所が同じ。


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