岩城氏


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【岩城氏略史】

岩城氏は桓武平氏の出といわれ、岩城氏を名乗るようになったのは則道(成衡)の時代で、妻は藤原清衡の養女といわれる。その子孫、岩城清隆は治承・寿永の内乱に源頼朝に従って奥州征伐に参加したという。そしてその功によって幕府より好嶋庄(現 いわき市)の地頭に任命された。それよりこの地域を岩城氏一族が代々領有し、庶流は白土氏を名乗ったようである。

総領家である岩城氏は13C末頃までは総領として機能していたようであるが、15C始めころには足利将軍家から岩城氏に与えられた書状の宛所は、白土氏が称した「次郎」であり、この頃には白土氏が総領の立場に立ち、元惣領家の岩城氏には「好嶋」を、自身の庶流に「白土」を名乗らせていたと考えられている。

しかし、史料によって系譜関係がはっきりとするのは室町時代中期の嘉吉二年(1442)の岩城隆忠であり、系譜に従えば清隆より十一代の後の人物である。隆忠はこの時期好嶋庄の寺社に対して本領安堵や寄進を行っており、この地域の惣領主の立場に立っていたことが伺える。このころ白土系の隆忠が惣領家の立場に立っていたことは、隆忠(もしくはその曾孫)が本拠を白土から平に移したとあることからも確認できる。

隆忠の子、親隆とその子常隆は文明十七年(1485)には佐竹氏領に侵攻、車城を落とし、その四年後の延徳元年には伊達・蘆名・結城氏と共に再び佐竹氏領に侵攻するが佐竹義治に敗れている。これらは佐竹氏の内紛に乗じたものであった。その後、親隆・常隆父子は明応二年(1493)には佐竹氏の内紛を調停し佐竹氏と庶流山入氏の和議を成立させており、この時点における佐竹氏と岩城氏の力関係が伺えよう。佐竹氏に対しては天文中期にも白河結城氏との紛争を調停している。

16C始めには常隆の子、由隆が当主となり、宇都宮氏や白河結城・那須氏などと合戦を繰り広げて勢力を拡張、天文十一年(1542)の伊達家のいわゆる「天文の大乱」では岩城重隆(由隆の子)の娘が伊達晴宗に嫁していた関係で晴宗方に与し、このころ緊張関係にあった田村氏や相馬氏(ともに稙宗の娘がこの二氏に嫁していた)と戦っている。

しかし永禄期(1558〜1570)に入ると、勢力を伸ばしてきた佐竹氏に度々侵略を受けるようになり、家臣団、特に一門の切り崩しも激しいものがあった。そして結果的に佐竹氏にほぼ従属する形となってしまった。岩城常隆が小田原に参陣して没し、養子に佐竹義重の三男(貞隆)を迎え、豊臣政権下に存続したが、慶長七年、関ヶ原合戦に参加しなかったことで改易、のち出羽亀田に知行を与えられ、幕末に至った。なお貞隆の子吉隆は佐竹義宣の養子となり佐竹家を継いでいる。
岩城氏系図

【岩城氏の一族・家臣団】

・船尾隆直【ふなお・たかなお 生没年未詳】
式部大輔。由隆の弟・隆輔の子。岩城一族であるが永禄元年に佐竹氏に従属している。

・富岡隆宗【とみおか・たかむね 生没年未詳】
隆時の子。隆時も由隆の弟なので、由隆の甥にあたる。天正二年の伊達氏の竹貫城攻めに対して城を守った。

・竹貫広光【たかぬき・ひろみつ 生没年未詳】
石川氏一族であるが、岩城氏家臣となり、重臣として重きをなした。天文十年の佐竹・白川(結城)氏の抗争の調停を岩城氏が行ったときに竹貫隆光(二人の関係は不明。父子か)と折衝に当たった。

・飯野隆至【いいの・たかよし? 生没年未詳】
式部大輔。国人領主であるが、15C末から16C初めにかけて禰宜職の安堵などをされているので、その当時からある程度岩城氏の支配下に組み込まれていたものと思われる。天正初め頃にはこの隆至が伊達氏宛書状の奉者を務めているので、このころには重臣として活動していたと見られる。

・三坂隆次【みさか・たかつぐ 生没年未詳】
越前。しばしば伊達氏との連絡にあたっていることが「伊達治家記録」に記されている。

・志賀武治【しが・たけはる 生没年未詳】
入道して甘釣斎玄胡と号した。佐竹・伊達間の調停、岩城・伊達の和睦など、外交的役割を担っていた家臣と思われる。

・小川隆勝【おがわ・たかかつ 生没年未詳】
刑部。『伊達治家記録』によれば、常隆名代として秀吉に御礼を申し上げ、返書が増田長盛より隆勝へもたらされたという。

・白土隆通【しらと・たかみち 生没年未詳】
摂津守。岩城氏重臣。甘釣斎と共に伊達氏との折衝にしばしばあたっている。佐竹氏から能化丸(貞隆)を迎える為に尽力、増田長盛を通じて羽柴秀吉の許可を取り付け、岩城氏の存続を得た。なお、白土氏は岩城一族である。

・白土隆良【しらと・たかよし 生没年未詳】
右馬助。『伊達治家記録』には「同(白土隆通)子右馬助隆康」とあり、この隆康のことであろうか。『茨城県史料』では「隆康」と記された書状は見あたらず、「隆良」のみである。

・白土隆顕【しらと・たかあき 生没年未詳】
下総守。隆通・隆良父子との関係は不明。


【参考文献】

『福島県史』第1巻 通史編1 1969
『茨城県史料 中世編5』 1994
『仙台藩史料大成 伊達治家記録』1(1972)・2(1973)
佐藤孝徳「好嶋庄と岩城氏−鎌倉時代を中心として−」(『福島の研究』第2巻 古代中世編所収、1987)


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