Making of 蠣崎氏

 毎度の様に「信長の野望」で蠣崎氏に家臣がいない、という事が続いたのが、そもそものこの武将列伝を作るきっかけでありました。いくら弱小大名といっても、「家老」クラスの家臣がいないはずはない、しかし資料がないのだろうかと思っていたところ、丁度幕藩体制についてのレポートを書く時に使った論文集に、蠣崎氏家臣団についての論文があり、「ほらみろ!」と思い、その頃から構想を暖めてきたわけです。

 しかし、いざ作ろうとなると、なぜか戦国末期の武将の諱が論文に書いていないので分からない。(館主の初代は全て書いてある)家臣の系図を見れば分かるだろうけれども、そんなことはできない。四苦八苦して何とか作りました。武将の解説を見れば分かると思いますが、殆どが蠣崎氏と同等かそれ以上の格をもっていた国人領主です。蠣崎氏の家人に佐々木・工藤・酒井・明石などという家があったことは分かったのですがやはりどの時代にどういう人物がいたのかが不明です。
しかし、とりあえず他の国人領主クラスでも、天文頃から段々と頭角をあらわして来た蠣崎氏に臣従する家が出てきたようなので、これで良しとさせてください。

また、蠣崎氏について本文に記さなかったことについて多少記します。
まず「福山館」は慶長十一年(1606)に完成したもので、それまでは少し内陸の「徳山館」が大館移住後の蠣崎氏の居城でした。

もうひとつ、「松前」姓のことについて。一般に松平の「松」と前田の「前」からとったと言われていますが、そうではなく、松前地域の支配者として(また蠣崎姓を名乗る兄弟を超越する存在として)一国人領主の姓から支配地域の名前に改めたようです。(そのほかに大浦為信が津軽為信に改姓したのも一国人の姓から支配者として地域の総称を名乗り、安東氏が秋田氏を名乗ったのはその逆で、一時は蝦夷まで支配に入れていた安東氏が秋田周辺しか支配が及ばなくなったから、ということだそうです。)

さて、1回目なので、全体的なことについても。
「烈風伝」での新武将の能力等は、個人にお任せですが私が考えるに、できた家臣で最高で60〜70くらいが適当ではないでしょうか。あまりにバランスを崩しても面白くないとおもうので。また、他国との交渉を行った家臣が何人か出てきますが、基本的に「外交」能力は付けていいでしょう。
ほかには、ゲーム中では蠣崎氏は安東氏の家臣となってはいますが、一応蝦夷地の支配権は握っていたということで、独立領主化してもいいのではと思います。安東氏の浅利氏攻めのとき出陣したことがありますが、それも同盟者としての性格が強いでしょうから。

また、烈風伝での何人かの蠣崎氏家臣団の年齢についての推定です。

・下国師季…永禄五年当時、五十歳半ばと推定。
・下国重季…松前慶広より数歳年上と推定。
・南条守継…天文十七年、三十代半ばと推定。
・近藤季常…移住してきた当時、二十代半ばと推定。
・小林良道・富田広定…若狭に派遣された当時、三十代後半〜四十代前半と推定。
・厚谷重政…天文十五年、三十代後半と推定。


次に、参考としている資料ですが、各ページの下に示したように基本的に各自治体史を参照しています。ひとつの家を深く掘り下げるわけではないし、自治体史レベルが重要な人物(と思われる)が適当に出てくるのである程度楽です。そういうわけで、よっぽど資料がないとき(無さ過ぎれば作らないですが。浅利氏は市史に分限帳が一部載っていたので作りました。)以外は資料を探すのが困難なので基本的に自治体史以外は使わないつもりです。

最後に、お気づきの方もいると思いますが、領主が東日本に偏っています。これは自分が東日本に住んでいるので西日本があまり詳しくないというのもありますし、西日本に関しては他の方のページに結構あることが分かったからです。(いずれリンクしていきたいと思います)という訳で、当面は大坂以東、という事になりそうであります。

長くなってしまいましたが、これからよろしくお願いします。

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