Making of 村上氏


すでに更新が停止されていると思われていそうな「Making〜」ですが、新世紀を迎えて初、様子見の復活です。今回はこの間追加した村上氏についてです。

まず、村上氏を追加できることになった偶然の流れを説明したいと思います。この勢力については、かなり早い段階から資料がないかどうかということは気になっていました。『長野県史』『長野市史』がまず思い浮かび、実際に見てみましたが、どちらも村上氏の家臣団についての詳しい解説がなく、わずかに福沢顕昌(本文参照)が明らかになっただけでした。そのため、村上氏だけでの追加は難しいと考えられ、しばらく忘れ去られていたわけです。

しかし、去年の秋口、たまたま新潟の某図書館で小林氏の『信濃中世史考』を発見しまして(検索した結果いつも利用している図書館にもあると後日判明)、内容を見ると村上国清以降の村上氏についてなど、興味深いことが載せられていたため何とかならないものか、と考え始めました。しかしこの本にも家臣団については詳しく載っていなかったので、この本が利用できるとは考えていましたが、まだ追加を決定する段階には至りませんでした。

追加を確定したのは、今年に入ってからです。今度は新宿の某書店で立ち読みした『記録御用所本 古文書−近世旗本家伝文書集−』に結城秀康関係の文書が収録されていたので、利用する図書館でも収蔵されていないかを調べたところ、幸いにもあったので早速借りだし、さっと全体を見てみたところ(この本は滅びた戦国大名の家臣で、旗本になった家が持っていた古文書を集めたものですので興味深いです)、たまたま村上氏の家臣である杵渕(中沢)氏の文書を発見したのでした。

そこで本格的に村上氏関連の資料あつめをスタートさせ、目を付けていた『信濃中世史考』をコピー、そこでさらに「室賀家」という屋代氏と関係が深い家の文書の紹介があると知って『林政史研究所紀要』をコピーするに至ります。また、『記録御用所本〜』にはその旗本が『寛政重修諸家譜』(以下『寛政譜』)のどの巻に入っている、という簡単な解説もあり、『寛政譜』もコピーしました。そこでたまたま中沢氏に続いて屋代氏・室賀氏・清野氏などの村上氏に繋がりのある家も判明したわけです。(ついでに明かせば、中沢氏の前記載されているのが筒井家臣の中坊氏であったため、最近筒井家臣の中坊氏を追加したという事情もありました)。

全体的に見て、一つの家の親−子−孫という関係が多いとはいえ、当初想定した人数より大幅に記載人数が増え、正直村上氏でここまでできるとは、と驚いています。あとは機会があれば、真田氏の家臣となった出浦氏が追加できるかもしれません。

ところで、本文には記さなかったのですが、系図の疑問があります。『戦国大名系譜人名事典』では

と、惣領家が入れ替わった、という記述(本文の略史でもそれに従う)となっていました。一方、小林氏の『信濃中世史考』では

と満信の子を頼清とし、その子を政清としています。ここでは惣領家の交替はみられません。惣領家が交替したか否か、という問題は私には分からないのですが、なぜこちらには頼清が挟まっているのか、ということと、上の系図の国衡とは何者か、という点が疑問に残ります。。国衡を入れている『戦国大名系譜人名事典』でも頼清の事績(永享九年、1437)と政清の事績(応仁二年、1468)は記すものの、国衡の事は記さず、「頼清の孫と推定される政清」(517p)としています。果たして、この三十年の間に一世代挟まるのでしょうか。

長くなりますが、久しぶりなので一気に書きましょう。あまり明らかとなっていない村上氏家臣団ですが、多く明らかとなっている時代が一時期だけあります。15C後半です。これは「諏訪御符礼之古書」という、諏訪上社が祭礼の資金を集めるために信濃国中に「御符」を配布して受け取った者が資金を提供するというものの、その提供者の記録なのですが、この中に村上氏家臣が多く見受けられます。
たとえば、飯野氏では年代順に左京亮(上総介)信宗・宮僧丸・清宗(宮僧丸のこと?)、吉益氏は勘解由清忠・伯耆信綱。そして本文でも出てきた福沢顕昌の祖父・曾祖父あたりと思われる福沢清胤・政胤などです。福沢氏は文明十一年(1479)に既に塩沢庄の代官となっています。

義清以降の時代の家臣も全く分からないわけではないのですが、活躍の年代、実名が全く分からないのがネックです。村上氏が水戸藩士となった後に信濃に残った旧臣が村上氏へ送った記録の中に、誰がどの旧臣の子孫か、ということを書上げたものがあるのですが、そこからは、

・出浦下野守
・林能登守
・楽岩寺右馬之介
・木根渕土佐守(本文参照)

などのほか、天田・滝沢・宮原・春尾・秋輪・酒井・吾妻などの諸氏が見えます。
ゲームでよく出てくる「楽巌寺雅方」という人物がどのような資料から明らかとなっているのか、私が集めた中には全くでてこないので、軍記物のみに出てきて、実際には存在しなかったのでは?とも思っていたのですが、どうやら実在した家臣のようですね。

色々と書いてきましたが、村上氏の追加に関しては、様々な偶然が重なり合った産物だったというわけです。

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