Making of 筒井氏

今回は筒井氏を取り上げます。この家は、なぜか諺(?)の元になる家で、ご存知のように「洞ヶ峠」や「元の木阿弥」と今でも良く使われる言い回しのもとになっています。しかし、「洞ヶ峠」などは悪い意味で使われていますが、ある意味生き残りをかけた戦国時代ではしょうがないと思うのですが、この平和な時代には悪い意味に取られてもしょうがないのでしょうか。ひょっとして将来がすさんだ時代になったとしたら、「機転が利いている・時勢を読むのが上手い」という意味に変わるかもしれませんね。

また、「元の木阿弥」はなぜあまり知られていない筒井家なのでしょうか。武田信玄の影武者の方が有名なので「元の典厩(信繁)」という言い回し(肥後もっこす(仮)様より御指摘有り。信繁は信玄死去の前に亡くなっています。失礼しました。むしろ「元の逍遥軒(信廉)」ですね)が生まれてもおかしくなかったように思うのですが。

さて、筒井家を調べてみたところ、かなりの家臣が判明しました。これは嶋左近が著名なことで生じた一つのおまけ的な面というのもあるかもしれません。

筒井家には「三老臣」というのが存在したようです。嶋・松倉は有名でしょうが、あと一人は誰でしょう?これが森という人物だったようです。あまりに前の二人が有名すぎて、殆ど知られていないのでしょう。

なお、『和州諸将軍伝』では天文期からすでに嶋友之(清興)が老臣として活躍しているので、関ヶ原合戦の時にはどう見ても70歳を超えています。このことから考えると、「友之」は清興の父なのではないか、と私は思いました。(嶋左近の実名は「友之」・「勝猛」・「清興」等々、様々な説がありますが、「清興」ではないかとの事です。《『国史大辞典』》)

ただ、『和州諸将軍伝』の性質から考えると全てを信じるわけにはいかないので、これ以上は何もいえません。今回はこれからほとんど参照したので、怪しい所が多いでしょう。順昭・順慶に兄弟や姉妹が多く、姉妹のほぼ全員が家臣などに嫁いでいるというのもなんだか眉唾的です。

筒井家は出自からして分からない事が多く、近世初頭に一度断絶してしまったので、色々な雑説が生まれてしまったのでしょうか。まあ、筒井家を研究している人がいるとしたら、良質な資料が無く、大変でしょうね。大名家でもないので、ある意味、松前家より難しいかもしれません。

では、今回はこれにて。

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