秀康・忠直履歴 1

【出典】
「叢記」=福井県立図書館・福井県郷土誌懇談会編『福井県郷土叢書第七集 国事叢記』(上)、1961
「秀康年譜」=「浄光公年譜」『徳川諸家系譜』四(続群書類従完成会 1992)所収
「忠直年譜」=「西厳公年譜」(同上)
黒田基樹「結城秀康文書の基礎的研究」(『駒沢史学』48、1995)


※「*」「-」の使い方=月の前に(*8/01)のように付けたときは「閏月」を、日付に(08/--)と付けたときは8月日付不詳、としました。

西暦 年号 秀康の事歴 年齢 忠直の事歴 年齢
1574 天正2 02/08
辰の刻(午前7-9時)遠江国敷智郡宇布見村の郷士、中村源左衛門宅で誕生。正室築山殿の嫉妬を恐れたため。母は永見淡路守吉英の娘(1547-1619、お万の方・長勝院)。幼名は於次丸であるが、容貌がギギ(魚)に似ていることで兄、信康がオギイ丸と呼んだため「於義丸」とする。(「叢記」「秀康年譜」)

※場所は三河国碧海郡池鯉鮒・同国産目村・遠江国敷智郡浜松、誕生日4/8の説あり(「叢記」)
1
1576 4 01/--
本多重次、家康の命を受けて秀康を浜松城中の重次邸に迎える。(「秀康年譜」)
この年
信康の計らいで岡崎城において初めて父家康に拝謁。(「秀康年譜」)
3
1579 7 04/07
弟長丸(秀忠)、浜松城にて誕生。
(「叢記」)
この年
秀康、嫡男となる。兄信康死去のため。(「叢記」)
※信康の死は2/15。
6
1582 10 04/16
織田信長、甲斐武田氏を滅亡させ東海道経由で帰国。この日浜松城に宿泊し、秀康と対面。(「秀康年譜」)
9
1584 12 03/--
小牧・長久手の合戦。
11/11
家康、羽柴秀吉と講和。異父弟松平定勝を人質にするべきところ、故障あって秀康が選ばれる。(「秀康年譜」)
12/06
浜松城出発。傅役小栗大六(重国※)と小姓榊原勝千代(康勝)・本多仙千代(成重、重次嫡男)が従う。家康、「童子切」の刀と采配を餞別として授ける。(「秀康年譜」)
12/12
秀康、大坂着。秀吉、すぐさま元服させ、従四位下侍従兼三河守となる。(「秀康年譜」)
(※
「叢記」は元服のみで、叙任は翌年7/11とする)
この年
弟秀忠が嫡男となる。(「叢記」)

※「小栗家譜」(『頸城文化』22、1965)による
11
1585 13 07/11
・左近衛権少将に転任。(「秀康年譜」)
・秀吉、関白補任。秀康も扈従し、従四位下侍従に叙任。(「叢記」)
10/04
秀康、従五位下侍従に叙任(※)。三河守も同時か。黒田氏はこれ以前かこの日に元服かとする。名乗りは「羽柴秀康」。
この年
小栗大六に加えて、山岡備前(景猶)を傅とする。(「秀康年譜」)

※下村效「豊臣氏官位制度の成立と発展-公家成・諸大夫成・豊臣授姓」(『日本史研究』377、1994)による
12
1586 14 この春
母お万の方、家康が上洛しないため秀康の身が危険であるとの噂によって上坂。秀吉、一時母の見舞いに戻っていた本多仙千代を呼び返したところ、病いまだ癒えずとして本多重次は甥源四郎(冨正)を差し出す。(「秀康年譜」)
(※
「叢記」では重次が秀康の危険を聞き、急いで仙千代を呼び寄せ源四郎と交替させたとする)
05/--
秀吉妹朝日姫、家康に嫁ぐ。(「秀康年譜」)
05/--
「秀康年譜」6月)吉田重氏を弓の師範とし、弓を学ぶ。(「叢記」)
10/27
家康、大坂城に参上して秀吉に拝謁。(「秀康年譜」)
13
1587 15 03/--
秀吉、島津氏攻め。秀康も従う(初陣)。(「秀康年譜」)
04/--
筑前岩石城攻め。(「秀康年譜」)
05/20
秀康、大隅国へ発足、7/14に本多広孝、大坂着。秀康の奮戦を伝える。(「叢記」)
07/14
秀吉に従い大坂へ凱旋。(「秀康年譜」)
14
1588 16 04/14
・後陽成天皇、聚楽第へ行幸。秀康、正四位下左近衛権少将に昇進。(「叢記」)
・天皇、聚楽第行幸。18日に還御。(「秀康年譜」)黒田氏、秀康がこのときに従四位下少将に昇進かと指摘。
15
1589 17 この春
結城晴朝、水谷勝俊(多賀谷安芸とも)を遣わし、娘と秀吉の一門の婚姻を請う。(「秀康年譜」)
この年
大坂城馬場で無礼討ち(「秀康年譜」)
16
1590 18 この年
結城晴朝、水谷勝俊を遣わし、養子を請う。秀吉、秀康を遣わすことを伝える。晴朝、多賀谷安芸守を迎えに派遣。8月に下向(小田原より直接とも)、秀吉より長谷部釆女を添える。(「叢記」)
03/--
秀吉、小田原攻めに出陣。秀康も従う。(「秀康年譜」)
07/05
北条氏政、降伏。(「秀康年譜」)
07/14
秀康、結城城入城、晴朝養女と婚姻、翌月6日に養父晴朝致仕する。(「秀康年譜」)
11/下
「叢記」11日)秀康、榊原康政を先鋒として奥州へ出陣、同年中に帰陣か。(「秀康年譜」)
17
1591 19 この夏
女子誕生。母は結城氏娘。(「秀康年譜」)
この年
結城の老狐を鎮める。(「秀康年譜」)
18
1592 20
(文禄1)
02/02
秀康、家康に従って肥前名護屋に出陣。1500人を率いる。16日京都着。(「秀康年譜」)
03/17
秀康、京都発足。(「秀康年譜」)
12/28
改元。
19
1593 2 この年
秀康、肥前名護屋に在陣。(「秀康年譜」)(※「叢記」、この年名護屋より帰陣、伏見在城とする)
05/--
黒田氏によれば、これより慶長3年2月の間に養父、晴朝の一字を得て「秀康」から「秀朝」と改名
20
1594 3 11/09
長女早世。法名は松樹院殿梅心芳薫大童女。(「秀康年譜」)
この年
文禄の役終結。秀康も大坂に帰還。(「秀康年譜」)
21
1595 4 06/10
長男長吉丸(国若丸とも。忠直)、摂津国にて誕生。母は側室中川氏(岡山の方)。(「秀康年譜」「忠直年譜」)
この年
秀康、度重なる出陣で財政逼迫につき、本多源四郎(冨正)が金策に走る。(「叢記」)(※慶長4年のこととも。「秀康年譜」は慶長1年のこととする)
22 06/10
摂津国東成郡生魂庄の屋敷にて誕生。母は家臣中川出雲守の娘(?-1640、岡山の方、清涼院)。(「忠直年譜」)
1
1596 5
(慶長1)
01/20
家臣・寺社に一斉に知行(寺領・社領)宛行状を発給。(現在23通(写し含)が残存。黒田氏論文による。)
11/27
改元。
23 2
1597 2 この春
慶長の役おこる。(「秀康年譜」)
09/28
秀康、参議に昇進。昇進の祝儀として伏見において家来に振舞い。そのときに於国歌舞伎を見物という。(「叢記」)
12/14
二男虎之助((忠昌)、摂津にて誕生。母は岡山の方。(「秀康年譜」)
24 3
1598 3 02/--
黒田氏によれば秀康(当時秀朝)、このころより同年10月頃の間に実名を再び「秀康」に戻す。
08/01
二女喜佐子誕生。母は家臣三谷出雲守長基の娘(?-1648、月照院)。喜佐子は毛利輝元の嫡男、秀就の正室となる。(「秀康年譜」)
(※
「叢記」は母を岡山の方とする)
08/18
秀吉薨去。遺品として則重の刀を前田利家邸にて賜る。(「叢記」)
25 4
1599 4 この春
家康、秀康家臣水谷勝俊を大名として別に知行を与えたので、旧領下館を秀康に加増。3/13、本多左門(冨正兄という)を加増して与力を付け、土浦城代とする。(「秀康年譜」)
03/26
石田三成が家康の屋敷に火を放ち、混乱に乗じて家康を討つとの謀略が細川忠興よりもたらされたため向島の邸に移る。秀康もこれに従う。(「秀康年譜」)
*3/11
秀康、佐和山へ帰る石田三成を膳所の大樹(瀬田橋)まで警護。刀(石田正宗、切込正宗とも)を贈られる。(「秀康年譜」)
(※
「叢記」は土屋左馬助、もしくは笹治大膳を佐和山まで付け、そのときに三成から贈られたとの説も載せる)
09/--
家康、重陽の節句(9/9)を賀すため伏見より大坂へ赴く。伏見の留守を秀康に任せる。( 「秀康年譜」)
10/08
大野治長が結城に配流される。(「秀康年譜」)
26 5
1600 5 この年(おそらく6月以前)
二男虎松丸、大坂へ証人として赴くも、溝口六兵衛が奪還。また秀康生母も大坂にあったが、村田伝右衛門が伊勢の神主を頼んで奪還。(「叢記」)
06/16
家康、上杉景勝征伐に大坂より出陣。秀康も従う。路次、池鯉鮒大明神にて野太刀を奉納、神主永見貞親には伊予安定の槍と備前在光の短刀を与える。江戸には7/2到着。(「秀康年譜」)
07/19
秀康、第二陣として秀忠に従って江戸を出発。他には松平忠吉・蒲生秀行・井伊直政・本多忠勝ら。23日宇都宮に着陣。(「秀康年譜」)
07/24
家康、小山着陣。三成挙兵の報を受け、翌日小山において評定を開く。結果、秀康は宇都宮に残ることとなった。(「秀康年譜」)
09/15
関ヶ原の合戦。遣わしていた秀康家臣、真砂作兵衛(山本作兵衛)・山名与次兵衛(東八右衛門)も戦功をあげ、家康に賞される。秀康に宛て、合戦大勝につき家康直筆の書状が送られる(「秀康年譜」)
11/09
醍醐寺座主義演、日記に「三河守(秀康)、是ハ越前御拝領云々」と記す。これ以前に秀康の越前拝領が決定か。(『福井県史』通史編3、1995)
(※「秀康年譜」は11/15のこととし、「叢記」は12/28のこととする。ちなみに拝領高は越前と結城の合計75万石とするが、近年は越前一国68万石が定説)

この年
(越前拝領決定後)
拝領に際し、お礼言上に小栗大六(小栗五郎左衛門か、慶長6年1/4を参照のこと)を上洛させ、本多源四郎(冨正)を越前に先発させて城地を受け取らせる。
(「秀康年譜」)
27 この年
父、秀康の会津征伐に従い、宇都宮城にある。(「忠直年譜」)
この年
馬場を遊覧。(「忠直年譜」)
6

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