平成11 己卯 年御側日記

〜家老の記す日々(?)の日記〜
HOMEへ / 戻る / 平成12年分

12月晦日

さすがに師走であった為か、たいした更新も出来ずに晦日を迎えてしまいました。殿もいろいろとご用意はなされておられたのですが…

さて、とりあえずこのお屋敷も何とか年を越えることが出来そうでございます。これもひとえに皆様のお蔭と存じます。来年も励んでいきたいと殿をはじめ、家臣一同思っております。よろしくお願いいたします。

ではみなさま、良いお年を。


12月23日

本日は細かな変更と掲示板の過去の記録を追加いたしました。おかげさまで掲示板のほうは色々と書き込みをして頂き、過去ログを早く新設せねばと思っておりましたが(諸記録は家老の仕事でござりますゆえ。)殿がお怒りにならないうちに追加できましたので一安心でございます。

さて、本日は殿はゆるりと休まれるはずが、思わぬことがございまして色々とお忙しく、拙者も大変でした。突発的に家中の奥に眠っている戸棚などを整理する羽目になってしまったのでございます。しかし、思わぬ発見もございまして、殿のお父上がしまっておりました記録が出てまいりまして、殿のご先祖が少し明らかとなりました。それによれば、殿の5代前の方は文化年間(1804〜1817)の生まれでございました。

また、今年は殿は年賀状について、電子メールアドレスをお持ちの諸衆方のうち、仲の良い方々にははがきは送らずに電子メールのみで年賀御礼を済ませようと考えられている御様子。どうなりますでしょうか。

では、本日はこれにて。


12月19日

1週間ぶりの御無沙汰でございます。だんだんと慌しくなってきておりますが、皆様は年賀状の準備などはすすんでおりますでしょうか。

今回は「伊東氏」を更新致しました。「〜列伝」のほうは(とりあえず)九州の一区切りということでして、これより徐々に北上してゆくとの殿からの仰せでございました。桜前線よりは3ヶ月程早く北上が始まりまするな。
ほかに、掲示板過去ログを新たに作成したのでございますが、なぜか文字がおかしいために新設を断念いたしました。こちらで記録しておいた過去の分も、まとめて表示できるように作り直しました時にもとの物は捨ててしまったので、以前の書き込みがもう見られないかもしれません。そのときはまたお知らせいたしますが、申し訳ありませぬ。

また、殿はいろいろと新たなことを考えておられるようでございますが、年末年始と1月からの比較的ゆったりと時間の取れる時期を利用して実現させようといまから準備を始めておられます。拙者もいまだどのようなものかは分からぬのでございますが、一つ、画像について、ブラウザで表示させるとぼやけてしまう事(現在でも「無名武将列伝」の系図はNetscapeで見ると若干ヨゴレが見えるのですがそれに関連する事と思われます)をなんとかならぬものかと思案しておられます。どなたか、よい方法をご存じの方が居られましたら是非御指南の程、よろしくお願いいたします。

さて、本年もあと僅かとなりました。このまま行けば本年の更新はあと1度。世の中は「1000年台最後の○○」などとあおりたてておりますが、ここは本来西暦など知る由もない時代・場所でございます。ただ「平成」の11年目を静かに閉じたいものでございます。

では、本日はこれにて。


12月12日

こんかいも「列伝」「making〜」同時更新を行いました。もっとも、殿が新たな資料を発見されてとてもお喜びになったのはむしろ松浦氏のほうでございまして、大村氏よりもこちらの方を先に更新したかったようにございますが、大村氏にもその後新たな資料が見つかったために1週間遅れとなりました。

ちなみに、殿が御心を弾ませる資料を見つけられた時には、ひとり「おお!」などと(大声ではありませんが)声を発せられるので、側におります拙者などは周りから御乱心かと思われないかとまま心配な時がございます。

また、殿は昨日・本日で先日録画致しました「乱」をご覧になりました。シェークスピアの「リア王」をモチーフとしたと聞き及んでおりましたが、拙者は外国の文学は全くといってよいほど見ておりませぬゆえ、その点分かりませなんだ。最後も良く分からぬまま終わってしまいました。しかし合戦シーンは流石でございますな。さすがに城を何億円かかけて燃やしてしまっただけの事はあると感じ入りました。

さて本日で大河ドラマ「元禄繚乱」が終了、来年より「葵−徳川三代」が始まりまするな。皆様期待されているようにおもわれまする。徳川家康を津川雅彦が演じるという事で、往年の「独眼竜政宗」に通じるところがあると思ったのは拙者だけでございましょうか。(確かあの時も徳川は津川であったような…)また、宿老中の皆様と「大河ドラマで徳川15代中、演じられていないのは誰か」ということに話が及び、「徳川家斉」がまだとの結論を得ました。そのおり、「ではタイトルは『子作り将軍・家斉』でござるな。」という話になりましてございます。いやはや。

では、本日はこれにて。


12月5日

まず御訪問者数が2000人をこえましたこと、皆様に御礼申上げます。ますます殿とともに精進してまいります。

本日はおそらく初めてではないかと存じまするが、「無名武将列伝」「Making〜」を同時に同じ大名について更新致しました。殿が大村氏家臣団があれほどまで判明したことをとてもお喜びになったためでございます。以前九州の領主について、あまり自治体史の資料がない、と申上げたかと存じまするが、自治体史以外の刊行物はやはり東日本以上にあることが分かりました。九州についてはあと2・3の領主を取り上げる御予定とのこと。九州地方についてはあまり皆様からの御反響がないように思われまするが、もう少し御辛抱いただければ幸いでござります。

さて昨日は殿の御後輩方の演奏会がございました。殿も演奏は勿論、お知り会い方との思い出話で盛り上がっておりました。拙者も殿のお知り会いを存じておりますゆえ、拙者と致しましても有意義な時間でございました。
ところで、これから特に御仕事をなさっている方々は忘年会の時期と存じますが、お体には充分お気をつけ下さい。

では、本日はこれにて。


11月晦日

殿の雑務がはかどり、師走に入る前に復帰できました。拙者としても予想できませなんだ。殿もこのまま更新せぬとこういうものを作っていたことを忘れてしまいそうである、とおっしゃられておりましたが、拙者も安穏とした日々、このまま続いても良いものでござるの…とふと思ってしまいました。これからは週に一度は追加していけそうでございます。殿と致しましても普段の生活に戻って良いことでございましょう。

さて、全く関係はありませぬが、同じ「内蔵助」こと大石内蔵助殿、先日の夜とうとう御本懐を遂げられましたな。なぜ11月中なのかと思いましたが、放送が12月12日までとのこと。それではやむをえない事でございましょう。それでも何か関係を持たそうと思ったものか、第「47」回目の放送での討ち入りでございました。しかし、なかなか映像は生々しく、拙者は赤穂浪士の側で見ることは出来ませんでした。あれはまさに物騒な「賊」でございましたな。まあ、当初より「吉良を悪者として描かない」と言われていたのでそのような脚本にしているのかもしれませぬが。
大河ドラマに関連して、来年の「葵−徳川三代−」の映像をちらと拝見仕りましたが、関ヶ原合戦のシーンはなかなか迫力があるように見受けられます。とりあえず第1回は見逃さない方がよろしいのではないでしょうか。

では、これにて失礼仕ります。


11月24日

御無沙汰いたしておりました。昨日夜半、無事殿と共に帰着いたしました。留守の間も、皆様のご訪問、御礼申し上げます。先週17日に1500人の御訪問者数を突破し、本日までに200人の御訪問者がありました。留守をはさんで一週間、更新もほとんど致さなかったにもかかわらず、ありがたいことにございます。殿も驚かれると共に、喜んでおられました。殿の予想では帰館してから丁度1600人の御訪問者があるやに考えられておられた由。

今回の上洛はまず中仙道・北国街道を通り、福井に参りました。福井城などを見物仕り、翌日京にむけ出立。昼過ぎに京都に着き、御同役の方々と集合してさらに北へ。こちらで2日間、古文書の調査や整理を行い、昨日帰着いたした次第でございます。さすがに朝晩は冷え、朝等は霧が立ち込めましたが、まずまず天候に恵まれ、山々の紅葉も綺麗でございました。

ただ、さすがに紅葉の時期とあって、京都市内や近隣の紅葉の名所は大混雑だったようでございます。目的地に向かう車中すれ違った、市内に向かうバスは満員、途中のバス停には人が群がり、途中からの乗車も不可能のような状況でございました。この人々のおかげで、われわれはあまり渋滞に巻き込まれずに目的地に到着できましたので、この皆様には感謝せねばなりませぬな。

さて、今後の予定でございますが殿の身辺の整理がつきまするまで簡単な更新のみとなりましょう。本格復帰は師走かと。しかし現在ある程度のものが出来ているものがほとんどの模様。師走に入れば少なくとも週に一度は大きな更新が出来るやに思われます。

長くなりますが、道中読んだ書物が面白かったのでいささかご紹介を。氏家幹人『大江戸死体考』(平凡社新書)でございます。江戸の世、刀などの切れ味を試すには、どのような方法があったか?江戸のアンダーワールドを語った書物でございます。江戸時代においても切れ味を試す事は武士として当然のことであり、戦国の遺風を少なくとも残していた領域であるやに見受けられます。著者の氏家殿は衆道や江戸時代の子供など、従来とは違った角度から江戸時代を見ることをしている歴史家。拙者の好きな歴史研究者の一人でございます。興味をもたれた方はご一読を。

旅の気分が抜けませぬのか、色々と書き散らしてしまいました。ではこれにて。


11月18日

さすがに更新しないというのは殿も御無念と思し召されたため、夕食の残り物を食べる朝食のようでございますが一応更新いたしました。

やはり出立が近づくにつれて、御屋敷内は慌しく日が過ぎ去っていきます。旅のための買い物や用意など、慌しくも何か心が浮き立つような心持でございますな。さて出立は19日。上洛して日を過ごし、23日に帰着の予定でござります。純粋な物見遊山ではないのでございますが、秋の京都。なかなか楽しみでござりまする。

では、これにて23日以降までご無沙汰いたしまする。


11月14日

再び一週間ぶりの御無沙汰でございます。本日は相良氏についてを追加いたす事が出来ました。是非ご覧下さいませ。まだしばらくは西日本の大名についてを更新するとの殿の仰せでした。

さて、最近は週に一度の更新となりつつあり、皆様には申し訳なく存じますが、来週の金曜日より火曜日まで、殿は御上洛なされることになっており、しかもその次の週には殿が上洛に関する御報告をなされることになっております。そのような事でございますので、今月の更新は本日が最後かもしれませぬ。殿としても月の半ばで更新が滞ることは御無念の御様子にて、「無名武将列伝」ではありませぬが簡単な更新が行われるかもしれませぬ。ともあれ、本格的な更新は師走までございませぬので、あらかじめ皆様にはお断りしておきます。申し訳ありませぬ。

では、本日はこれにて。


11月7日

この1週間に多少更新したところもございましたが、日記は1週間ぶりとなりました。殿は今週、過去の研究論文の調査などを行い、若干の論文も集められました。しかし拙者が思いますに、西日本はやはり大大名が多く、中小大名の研究が余り進んでいないとともに、「信長の野望 烈風伝」に独立勢力としても存在していない領主の論文はある(例えば宗像氏や朽木氏)、ということが悩みの種のような気がいたします。ま、そういうところでも殿はどんどん調べていく気になっているようでございますが。

ここで、今後追加される(可能性のある)勢力を少しお知らせいたしましょう。(以前お知らせした分は除く。)

・宗像氏
・朽木氏
・浦上氏
・木曽氏

と、このくらいでありましょうか。まだ若干他の勢力の論文はありまするが、今後のお楽しみとしておきましょうぞ。

また、今後11月の末にかけて、殿がまた多忙となりまするため、更新が不定期となるかもしれませぬ。(いまも若干不定期といえまするが。)御了承くださいますよう。

では、本日はこれにて。


11月朔日

初めに、皆様に御礼申し上げます。本日、御訪問者数が1000人を突破いたしました。これもひとえに皆様方のおかげでございます。これからも無名戦国大名家臣団の探求を続けてまいりますので、これからもよろしくお願いいたします。

と、殿が皆様方にお伝えするように、との仰せでございました。

さて、ただ1000人、といいましても拙者には膨大な数としか頭に浮かびませぬ。人はまま、身近な数値に置き換えるものでございましょう。拙者は武士らしく、幕府軍役令を考える事に致しました。

公儀の寛永6年(1633)の法度では、2000石では43人となっております。石高が多くなるにつれて、徐々に少なくなってくるため、比例関係の直線にはなりませぬが、単純に計算致しますと、1000人分の奉公をするという事は、およそ4万石から5万石弱の大名方の負担となりまするな。いや、そのような人数を当家は普段から養う事はとても出来ませぬ。やはり、1000人とは膨大な数なのでございますな。いやはや。

本日は、かなり前から更新が滞っていた「Making of 無名武将列伝」を追加いたしました。1000人突破記念として、連続して「無名武将列伝」を更新できればよかったのでございましょうが、さすがにそれは現在の殿では無理でしたな。

では、本日はこれにて失礼致します。


10月30日

「無名武将列伝」、2週間ぶりの更新となりました。「河野氏」でございますが、河野氏に関しては先達がいらっしゃいますので、下手な事は出来ぬ、と殿も気合を入れていらっしゃいました。今週さらに新たな資料を集め、万全の体制で公開することになりました。おかげで殿も河野氏に興味を持たれた御様子。はっきり申し上げまして、ゲーム中での河野氏の評価は低すぎまするな。長宗我部氏と同等とはいかぬまでも、あれでははるか昔から伊予国に勢力を張っておった一勢力ではありませぬ。

さて、殿の通い先で祭礼が来週から始まりますため、若干ゆとりができます。そのため資料収集が色々行えるかもしれませぬ。殿も集めるものの目安はついたようでございます。ちなみに殿の御知りあいもこの暇を利用して知行地の出羽国に一度御帰国なさいました。御屋敷替えを控えて、大丈夫なのでござりましょうか。いや、個人的な事を長々と話してしまいました。

ところで、大学に通っておられる皆様は、祭礼(大学祭)の期間中、どこかへご旅行なさる方もいらっしゃるのでしょうか。当家は貧乏旗本の家ゆえ、そのような事はできぬのでございます。しかも、来月の末には上洛が控えておりまするので今は殿も静かにお休みなさるようでございますな。

では、これにて失礼いたします。


10月26日

本日はあまり時間がありませぬので少々のご挨拶といたします。
昨日「無名庵」の作事がなり、ご訪問者がさっそくございました。ありがとうございまする。
本日は、殿の御報告の資料集めの折、見つけました伊達家の資料から蘆名・田村・相馬氏の誤りの訂正を
行いました。大きな更新がございませぬが、お許しください。

では、これにて。


10月20日

いやいや、急に寒くなりましたな。まわりでもコートをはおる御仁が増えて居るようにございます。殿のお知りあいの方など、すでに炬燵を出されたとの事。少しばかり早いように感じますが、もうそのような時期なのでございましょう。すでに今年も2ヶ月と少しでございますからな。

さて、本日はリンクの更新のみでございました。土曜日か日曜日には新たな更新が行われると思われますが、週末は殿が遠出をなされるということで、どうなるかは分かりません。殿も御交際がござりますゆえ。(江戸時代においては、旗本は、諸大名から幕閣への取次ぎという非公式な役目がありまして、よく特定の大名と交際をしていたとの事です。まあ、殿におかれましてはそのようなことで御忙しいのではございませんが。)

では、本日はこれにて失礼致します。


10月17日

だいたい更新のペースが週に1度程度になってきました今日このごろでございます。本日は「無名武将列伝」の西日本編第2弾となる「筒井氏」を追加致しました。筒井氏といえば嶋清興(左近)でございますが、軍記物に近い書物を多少利用したために、殿も若干疑問をもたれた様子。別名として「友之」ともありますが、本当にこれは嶋左近の名前の1つでありましょうか。いずれ「Making of〜」で取り上げる事になりましょう。

先週は報告が2つあったということで殿も御疲れでしたが、酔狂な事に2つめの報告が終了した金曜日、今年最後のプロ野球公式戦を観戦なさいました。小雨の降る中、某外国人選手の最多安打・チーム最高打率更新・引退選手の出場など、記録ラッシュ・選手の見納めなど「消化試合」という感じは殆どなく、殿もご満足そうでした。これからはゲームはありませぬが、某大物ストッパーの移籍などでこのチームはいい意味・悪い意味で楽しめそうでございますな。殿がわざわざ出掛けられたのも「来年はこのメンバーでの試合が見られない」との理由でございました。

では、これにて失礼いたしまする。


10月11日

珍しく2日続けての更新となりました。報告も1つはあらかた完成したようで、それが殿の御心にゆとりを持たせたようですな。更新は「西日本編開始」といいつつ、出羽の小野寺氏なのですが、東北地方の(おそらく)最後を飾る大名と言う事でお許しください。
西日本編の資料を集めている時に偶然、内容が充実した小野寺氏関連の資料を発見されたので同時に作成していらっしゃったのでござります。

本来は西日本の大名を更新する予定であったそうでございますが、「略史」に確信の持てない点があり、再度調査する、との仰せでした。ですから次回の更新は確実に西日本です。実際もう西日本の大名しか作成途中のものはございません。

また、本日、殿は演奏会を聞きに外出なされました。拙者もお供いたしましたが初の異国の交響楽団の演奏ということで殿もずいぶん期待されておりましたが、いや、期待にたがわぬ演奏でござりました。終演後も皆が立ち上がり、拍手が鳴りやまず、拙者も初めてみる光景で、殿もご満足なさったようです。

では、本日はこれにて。


10月10日

ずいぶん間があいてしまいましたな。西日本編がはじまり、どんどんと更新されると思ってご訪問くださった方々、申し訳ございません。いやいや、殿がにわかに御忙しくなり、何も手をつけられなかったのでございます。今週の半ばから終わりにかけ、たてつづけに来週の報告が2つほど決まったようでございましてな。せっかくの連休が水の泡となりそうでござる。なんとか西日本の戦国大名の1つくらいは更新したいと殿は申しておりましたが。

さて、先日殿がさるお方より書状を頂きまして、「掲示板を作ったらどうか」とすすめられたとの事。それを受けて殿と老臣衆で評定が数回もたれました。殿もつくりたいとは思っているようでござるが、管理ができるかどうかが問題のようでございますな。
しかも、殿が旗本の身ゆえ、屋敷内が手狭でございまして・・・。(いやいや、これは冗談でございます。HPのスペースは充分に・・・)、この御屋敷と同様に、何も考えずに1歩を踏み出したらよろしかろうと拙者は思っておりますが・・・。

最後になりましたが、本日は埋もれて忘れられていた「Making of 無名武将列伝」の「神保氏」を(苦し紛れに)アップ致しました。

では、本日はこれにて失礼致します。


10月3日

いよいよ西日本の諸大名の追加が開始されました。その先陣を飾るのは・・・土佐一条氏。(^_^;)
有名大名でないのでインパクトはございませんが、今調べられるだけのことはやった、と殿が申しておりました。
詳しいことはいずれアップされるであろう「Making of〜」に任せるとしても、やはり家老衆があまりわからないというのは殿としても「無名武将列伝」のコンセプトに少し外れると嘆いておられますが、分からないものはどうしようもありませぬ。

さて、本日殿は御髪をととのえに御外出なされました。(髪結いは本来お抱えのものがいるべきなのですが、なにせ殿も旗本の身。質素倹約が家訓でござりますゆえ。)今回で2度目の新しい所でござりましたが、そこの店主は「カルテ」のようなものをつくっており、
前回にどのようなことをしたかを事細かに記しているようでござりました。これには殿も拙者も感服いたしました。店主にとっては大変なことでござりましょうが、お客にとってはよいことでござりまする。

いや、話がそれましたな。とにかく、これからは西日本を中心に更新を続けていくようにござります。よろしくお願いいたしまする。
では、本日はこれにて。


9月30日

本日は久々に新たな「無名武将列伝」の更新が出来ましてござります。またも東北地方でございますが、まもなく西日本の諸大名の家臣団をアップできる目処がつきましたので、近々西日本編が始まるものと思われます。あまり期待せずにお待ちくださいませ。また、あと1つ東北地方の大名家臣団をアップする予定もあります。

いや、しかし、何度も言うようでございますが、関東で西日本の自治体史や資料集を見つけるのは大変なことですな。
幸い、殿の行く図書館には東北地方の資料が多く、それゆえ東北地方の大名の充実を見ることが出来たのでございますが、西日本はなかなかに大変そうなご様子。
さて、今後アップする予定の西日本の大名家をお教えするとしましょうか。

・肝付氏
・相良氏
・伊東氏
・筒井氏

このようなところでしょうか。筒井氏は若干の家臣名が判明し、殿も驚いているご様子。
他に、九州では、有馬・大村・秋月の諸氏は少し無理そうな状況ですな。伊東氏も挙げておりますが無理な範囲に入るかもしれませぬ。
あとは、拙者自身としては六角・蒲生・山名などもやってみたいと思っておりますが、資料が『戦国大名家臣団事典』くらいしか見当たらないもので、無理でございましょうか。

最近は「三國志7」発売が決定し、皆様それに浮き足立っているようでございますな。「烈風伝」が「名作」とは言えない現在、新作に期待するのはやむをえない事かもしれませぬが、このサイトはあくまで信長寄りを貫いていきたいと殿は申しておりました。徐々に「信長の野望」を前面に押し出すのをやめ、「歴史ゲーム寄り」から「歴史系」のサイトを目指そうとは考えておられるようでございますが。ともあれ、まだしばらくは「新武将作成」支援を挙げていきたい所存でございます。

少し早いようでございますが、最後に。このページが1ヶ月を迎え、のべ500人に近い方々のご訪問を受けました。
大きなところであれば、、1日でこれを上回る訪問者数の所もございましょうが、殿・家臣一同は1ヶ月でここまでのご訪問を受けるとは想像いたしておりませんでした。これもひとえに皆様のご支援のおかげと存じます。これからいつまで続くか誰にも分かりませぬが、これからもよろしくお願い申し上げます。

本日はこれにて。


9月27日

ついに殿が新たな大名家の無名武将を探すため、資料の調査に動き始めましてございます。
しかししかし、西国の中小戦国大名家というのは、地方自治体史があまり完備されていない(殿の調査されている図書館のせいかも知れませんが)ので、なかなか難しい状況のようでございますな。とりあえず目処がつきそうなものは、河野氏・一条氏・相良氏、ですな。近畿地方(特に山城国周辺)は古文書があとからあとから出てくる土地柄、自治体史も東北地方に比べて刊行されていないように見受けられ、自治体史を利用する殿にとっては泣きどころとなっている様でございます。

さらに愚痴を申し上げれば、九州地方のある県史などは、鎌倉時代から居座っている戦国大名の事しか記述に無く、全てがその戦国大名を中心に回っているような状況。西国は有名大名が多く存在したゆえに、中小大名の入る余地が無く、「無名武将列伝」制作には苦労しそうな状況でござりまする。

では、本日はこれにて。


9月24日

およそ1週間の御無沙汰でございます。落ち着くと思われた今週も、なにやらあわただしく過ぎていきました。殿も元の役儀に戻りつつもやはり3ヶ月ぶりという復帰になにやら落ち着く暇も無く1週間が過ぎた、と申していました。しかし、その中でも殿は相馬氏に関する文献を新たに見つけられ、今回は相馬氏家臣団の改訂版をアップすることが出来ましてござります。
以前に比べて格段に情報量が増えたと殿も自負しておられます。ぜひ御参照くださいませ。

さて、「烈風伝」のほうは謙信公がみまかって、景勝公が後継者となりましたが、「名声」というものは家督相続直後は0なのにはじめて気付き申しました。威信は半分以下に激減。将軍大内義長陣営の揺さぶりに家臣も動揺いたしまして、既にかなりの家臣が出奔いたしました。春日山城は景勝公の姉(殿は姫武将否定派でございますが、当時の人材不足に心がぐらついたようですな)に乗っ取られ、家老の柿崎景家も城ごと寝返り、殿は困り果てております。以前から捕らえた武将は必ず「斬首」する、いわゆる「焦土作戦」を行っておりましたが、寝返り相次ぐ状況に、再び大内方の家臣が増加に転じており、動きが取れない状況にござります。

あまり面白くない話題はこれくらいにして、今日はこれにて失礼いたしまする。


9月18日

昨日で殿の御多忙も、一昨日、昨日と続いた締めの飲み会で一段落がつき、本日は殿が元の身分に戻る為のような平穏な一日でございました。

そのような平穏さが何か心に影響を与えたのでござりましょうか、殿は珍しくビデオをご覧になりました。「ムトゥ 踊るマハラジャ」でありまして、拙者も側に控えておりましたが、世間で言われているような(拙者がそれを聞いて抱いた)「能天気」な作品ではなく、「重い」内容が含まれているなかなか意表をついた作品と拙者は思いましてござります。

いや、このような話をしている場合ではございませぬな。「無名武将列伝」は未発表稿がわずかになってしまいました。もう少し手直しすればやがてアップできましょう。が新たな資料集めが未発表稿がなくなる前に終わる可能性がほとんどなくなりました。殿が次に集めようと思っている資料は主に西日本のようでございまして、殿、拙者とも西日本の大名には明るくないため、基礎的な知識も入れなければなりません。今後1週間、いやそれ以上、更新が滞りましても、お見捨てなきよう、お願い申し上げます。

ちなみに、未発表稿は東北地方であります。
では、今日はこれにて。


9月13日

1週間ぶりの「無名武将列伝」の更新が行われました。お待たせいたしました。おそらく、次の更新は来週になると予想されます。これも殿の多忙ゆえ。来週中には落ち着きそうとの御内意があり、また来週以降、いろいろと更新できそうでございます。

さて、この11日でのべ訪問者数が100人を達成いたしました。これもひとえに皆様方のおかげと存じます。これからもよろしくお願いいたしまする。


9月11日

長らく御無沙汰いたしております。殿が以前にも増して多忙となり、更新ができませぬこと、拙者よりお詫び申し上げます。
まだいささか未公開の物がございまして、それを少しずつアップするとの仰せですが、新たな大名家の資料を全く収集できぬ状態でございます。更新されるとしても「諸国万覚帳」や「Making of 無名武将列伝」の更新が中心になると思われます。新たなる大名家のアップを期待されておられる方がほとんどと思いまするが、あらかじめお断りしておきます。

そんな殿でございますが、「烈風伝」は少しずつプレイされております。上杉家を操っておられますが、既に中部地方の半分まで大内家(しかも義長)が席巻、征夷大将軍に任命されました。上杉家は富山城、林城、松山城で大内家の大軍団を度々撃退しておりまするが、義長暗殺作戦も効無く(本職の忍者が居らぬのでござります)、徐々に勢力を削られる状態。
いつまで持ちますか…。

なお、当サイトの新武将を使用し、リプレイを貴殿のHPに連載される、という方がいらっしゃいましたら、ぜひ御一報ください。
リンクをさせていただきます。

では、本日はこれにて失礼いたします。


9月7日

昨日は、殿の飲み会にお供いたしましたが、殿はあまり酒を召し上がらなかったにもかかわらず、本日は体調が優れなかったようでございました。もう年であろうか、などと仰られましたが、殿の場合はあびるほど飲まれたほうが翌日の体調がそれほど悪くないような気がいたしますが、どうなのでございましょうか。ともあれ、謙信公のように、いきなりお倒れになりそれきり・・・というのは家老衆はどうすればよいか困り果てまするので程々にしていただきたいものであります。

いやいや、思いもよらぬことを記してしまいました。皆様もお気をつけ下さい。


9月4日

先日暑いと書いたとたんに、御屋敷の周りは涼しくなりました。このまま秋になってしまうのでござりましょうか。
さて、日記というものは、毎日書くものでございますが、はやくも2日間があいてしまいました。
昨日は拙者、殿が参られた音楽会にお供致しました。殿も満足なさったご様子で、「無名武将列伝」を早く多く作らねば、と仰せられました。心の安らぎは、疲れた体を休めるものでございますな。皆様も、疲れた折には心をゆるりとお安め下さいますよう。急に涼しくなっております。烈風伝で朝を迎え、気付いたところ風邪をひいていた、という事の無いようにお祈りいたしております。


9月朔日

いやいや、暑い日が続きまするなぁ。作事が続いているので、指揮をとる拙者には厄介なことでございます。
さて、殿は現在お忙しいご様子で、毎日朝早くから出かけられております。そのため作事の指揮をとることが
できずにご不満のご様子。「無名武将列伝」もはやく多くの武将をご紹介したい様でございますが、毎日更新することは無理やに思われます。しかし少しずつは更新するお心積もりのようですので、少しの間ご辛抱しつつ、お待ちくださいますよう。では、皆様も暑さにはお気をつけ下さい。


8月晦日

やれやれ、やっとの事でお屋敷の作事に目処がつき申した・・・。
ん?いや、申し遅れました。拙者、くらのすけ殿の家老を勤めております、大里帯刀と申します。
以後、お見知り置きくださいますよう。
さて、殿は前々より屋敷を作ることは考えておったようでございますが、本日ここに正式にお屋敷をご披露することと相成りました。皆様のご指導、ご鞭撻の程、よろしくお願いいたします。

このHPは「信長の野望」に多大な影響を受け、それを中心として作成しております。
発売成ったパワーアップキットでのお役に立てれば幸いでございます。
これからも少しずつ作事を進めていきまするので皆様方のご愛顧、よろしくお願いいたします・・・。