戸沢氏

参考:東北地方詳細図(別のウィンドウが開きます)

【戸沢氏略史】
戸沢氏は桓武平氏の流れを組み、鎮守府将軍平貞盛(平将門の従兄弟)の末裔とされる。源頼朝の奥州征伐に従い、陸奥国雫石荘戸沢邑(現 岩手県雫石町)に住んだのが初めともされるが、確実なのは戸沢氏(はじめ雫石氏と称す)が南北朝期に南朝軍の主勢力であり、北畠顕家死後、子の顕信が南朝軍の本拠喪失ののち、雫石城に撤退してここに拠り南朝軍の勢力回復を目論んだということである。

この時期までは、戸沢氏の活動地域は田沢湖をはさんで盛岡側であるが、十一代家盛(1386〜1465)の時に出羽国角館城(現 角館町)に本拠を移したとされる。家盛の譜に応永三十年(1423)に角館に移ったとの記事が見えるというが、南部氏の記録では南部晴政(1517〜1582)の時代に雫石地方にも進出し、戸沢氏を追ったとされ、いつ角館を中心地域とするようになったかは定かではない。ただ、『戦国大名系譜人名辞典 東国編』では雫石戸沢氏と角館戸沢氏があり、雫石氏の勢力が衰えたと想定している。
しかし、ともかくも天文中期頃には雫石側に戸沢氏の支配が及ばなくなったのは確かであろう。

戦国の初期になると戸沢氏は角館に活躍の場を移すが、勢力が拡大したのは十八代盛安(1563もしくは1566〜1590)の時代で、病弱な兄、盛重に替わって家督を継ぎ、大曲に進出し小野寺氏と争い、他の国人領主を引き入れ急激に勢力を拡大した。

天正中期以降は、戸沢氏は最上氏と連携し小野寺氏を攻め、安東氏の内乱(天正十七、1589)に湊安東氏側につくなどの行動をとっている。その後、秀吉の小田原攻めに参陣し所領を安堵された。が盛安は小田原で急死、弟光盛も二年後に肥前名護屋で死去、盛安の子、政盛が八歳で家督を継いだ。

政盛は慶長七年(1602)に角館から常陸松岡四万石に転封、元和八年(1622)に最上氏改易を受けて再び出羽に戻り、新庄(寛永二、1625までは真室川城)六万石に移って明治維新に至った。

戸沢氏系図

【戸沢氏の一族・家臣団】

・戸沢盛吉【とざわ・もりよし 1541(天文10)〜?】
相模。戸沢秀盛の弟、忠盛の子。兄盛綱が多病のため家督を継ぎ、盛安・光盛・政盛三代に仕えて家老を勤めた。天正十八年(1590)の戸沢盛安の小田原参陣の際、状況によっては兵を国元から出す手はずになっており、それを率いるのが相模だったという。結局出兵することは無かったらしい。子盛定は老臣であったが出奔、政盛の命で帰参した。
2001/4/22加筆(生年判明他)

・戸沢政重【とざわ・まさしげ 1493(明応2)〜1578(天正6)】
征盛(盛安の曽祖父)の子。安房守。征盛死去の年の子にもかかわらず、宗盛という弟がいるので生年は疑わしい。小館に住したという。

・戸沢盛重【とざわ・もりしげ ?〜1592(文禄1)】
安房。盛安の兄であるが、仏門に入っており、のち還俗して戸沢政重の跡を継いだという。盛安の小田原参陣中に謀叛を企て、盛安側近門屋宗盛を殺害したという。その後の消息は不明であるが、子の主水(盛常か)は小野寺氏領内の検地反対一揆に出陣し討死したと伝えられる。

・戸沢政房【とざわ・まさふさ 1560(永禄3)〜1633(寛永10)】
伊豆。南部五郎。南部氏の一族で、杉山勘左衛門と称した。天正十九年の九戸の乱で戸沢光盛に従い出陣、比類ない働きをしたという。それが豊臣秀次の目に留まり、大坂へ至るが秀次自害のため召抱えられることは無かった。慶長年中、戸沢氏に召し抱えられ戸沢伊豆と称し、重臣となった。寛永十年死去という。

・太田秀頼【おおた・ひでより 生没年未詳】
太田城主。天正中後期にかけて戸沢氏に滅亡させられた。

・前田利宗(まえだ・としむね 生没年未詳)
薩摩守。戸沢氏の重臣。天正七年(1579)、戸沢氏の命を受けて信長に鷹を献上するため上洛したが、自分からの献上品であると偽り献上したという。
 前田氏は戸沢氏譜代となり常陸・新庄へも従ったが、孫源左衛門が男子無く病死したとき、娘はいたので家老衆はどのようにでも家督相続を命じることが出来ると当主に取りなしたが、かつての利宗の振舞いを取上げて「先祖の不忠」として名跡を継がせる事を許さなかったという。
2001/4/22修正(実名判明他)
2001/4/24(芦名小次郎盛政様よりメールにて『秋田中世城館調査報告書』等は「利信」であるとのご報告を頂きました。)


・門屋宗盛【かどや・むねもり ?〜1590(天正18)】
主水、宮内。戸沢氏の家老という。戸沢盛重に殺された。

・白岩盛重【しらいわ・もりしげ 生没年未詳】
兵庫頭。国人領主的な家臣と思われる。白岩(角館)城主。

・白岩盛直【しらいわ・もりなお 生没年未詳】
盛重の子か。兵庫頭。後年次男は下田民部と称し、しばしば合戦に従ったという。


【追加分】

2001/4/22追加
・八柳盛繁(やつやなぎ?・もりしげ 生没年未詳)
釆女助。戸沢氏奉行。慶長三年(1598)、伏見作事用の板を安東氏から受け取るに際して、受取証明書を安東氏家臣に対して発給している。「盛」は戸沢氏偏諱であろう。


【参考文献】

『角館誌』第二巻 1965
『出羽国最上郡 新庄古老覚書』 1918、復刻1998
『新庄藩系図書(一)(二)』(『郷土資料叢書 第十五・十六輯』 1983・84)

『秋田市史』第八巻 中世史料編 1996
『戦国大名系譜人名事典 東国編』(新人物往来社、1985)


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