筒井氏

参考:近畿地方詳細図(別のウィンドウが開きます)

【筒井氏略史】
筒井氏の出自はほとんど明らかになっていない。しかし、いくつかの説があり、1・近衛氏の出で神護景雲二年(768)に神を三笠山に移すにあたり、従った藤原四家の一つで、「筒井庄」に住して筒井氏を名乗ったというもの、 2・春日若宮の祭祀組織の一つの中の刀禰(盟主)であり、大神(おおみわ)姓出自とするものである。
ただ、確実な事は興福寺衆徒(僧形の武士)となって、室町時代以来筒井順永(1419〜1476)が官符衆徒に任ぜられて棟梁として衆徒を取り締まり、大和守護興福寺の権力基盤となった、という事である。

順昭(?〜1550)の時代に大和を平定、『多聞院日記』では「一国悉く以て帰伏しおはんぬ。筒井の家始まってより此の如き例なし」と記している。
だが順昭はその四年後に死去し、幼い藤勝丸(のちの順慶)が遺跡を継いだ。一門・家老の後見が行われたが、弱体化は免れず、永禄二年(1559)には松永久秀が大和に侵入し筒井氏は大和から追われてしまった。

永禄九年になると久秀と三好三人衆との対立が生じ、三好方が久秀を破ったのに乗じて、順慶は奈良に侵攻する。翌十年に多聞山城に退いた久秀だったが、この年の十月、三好・筒井方が東大寺に陣を張ったために松永方の夜討を受けて大仏殿が炎上、大仏の頭が焼け落ちるという事態となった。翌年織田信長入京のときに筒井氏は信長に従い、大和守護となって郡山城を築き、大和一国支配を実現した。

豊臣政権下で順慶の養子、定次は天正十三年(1585)に伊賀上野に転封されたが、慶長十三年(1608)、罪を得て除封された。定慶が一万石を与えられて断絶はまぬかれ、郡山城番となったが大坂の陣で豊臣方に城を破られ敗走、絶家となった。子孫に江戸南町奉行を務めたものが存在し、いつの頃か再興したようである。

筒井氏系図

【筒井氏の一族・家臣団】

・筒井順政【つつい・じゅんせい ?〜1564(永禄7)】
順昭死後の藤勝丸(順慶)時代初期に後見を務める。松永久秀の大和侵入に際し堺へ逃れ、その地で死去した。

・慈明寺順国【じみょうじ・としくに 生没年未詳】
和泉国慈明寺城主。一時順昭の養子となったという。そのため筒井左門と称し、順慶の姉を妻に迎えた。定次の実父という。

・山田順清【やまだ・としきよ 生没年未詳】
山田城主。父順貞は順慶の母方の親類。順慶の妹を妻とし、一万石(与力の知行を含む)を知行したという。

・福住宗職【ふくずみ・むねもと 生没年未詳】
紀伊守。福須美とも書くか。筒井家家老。順昭時代から家政に携わる。筒井一族という。

・福住順弘【ふくずみ・としひろ 生没年未詳】
順昭の弟。入道して宗求と号す。上の宗職との関係は不明だが、養子に入ったものか。順慶の姉を妻とした。定慶の実父という。

・八条藤政【はちじょう・ふじまさ 生没年未詳】
福住とともに、順昭の時代からの家老という。

・森好之【もり・よしゆき 1519(永正16)〜1581(天正9)】
志摩守。筒井家三老臣の一。(あとの二人は島左近友之・松倉右近勝重(信)。)

・飯田頼直【はんだ・よりなお 生没年未詳】
出羽守。妻は順昭の妹。早くから筒井氏の配下となる。三好家家老・松永久秀の筒井家乗っ取りの提案を拒否したため順昭の信頼を獲得、天文十四年(1545)、順昭の妹を迎えたという。

・飯田基直【はんだ・もとなお 1494(明応3)〜1561(永禄4)】
頼直の父。入道して春宗と号す。

・飯田直宗【はんだ・なおむね 生没年未詳】
頼直の子。父の弟基次の婿となる。与力分あわせて二万石を知行したという。
2001/2/11修正(いいだ→はんだ)


【追加分】

※2001/1/13追加
・中坊盛祐【なかのぼう・もりすけ 生没年未詳】

讃岐守。天文十六年(1547)奈良の奉行を務めたという。子である秀祐までは「中坊」は名乗らず「奈良」を称していた。藤原武智麻呂の流れを組むという。父秀友(秀定)は足利義晴に仕え、大永七年(1527)春日大社造営の奉行を務めた。

・中坊秀国【なかのぼう・ひでくに 1542(天文11)〜1560(永禄3)】
左近。『寛政重修諸家譜』ではそれまでの秀祐の父、という説を生没年より疑わしいとし、盛祐の子で秀祐の兄ではないかとしている。永禄三年、京都本国寺での合戦で和田惟政を討ち取る寸前で惟政の家臣、恩地小太郎に討たれたという。

・中坊秀祐【なかのぼう・ひですけ 1551(天文20)〜1609(慶長14)】
飛騨守。初め秀行と称する。筒井順慶に属し、天正八年(1580)春日大社造営の奉行を務めた。慶長七年(1602)、徳川家康に拝謁。奈良奉行に任じられ、大和・近江の直轄領を支配した。子の秀政も奈良奉行を務めて、大坂冬の陣では家康を奈良の居館に招いて饗応し、一晩の宿となった。


【参考文献】

『奈良市史』通史二(1994)・三(1988) 
『新訂 寛政重修諸家譜』16
『和州諸将軍伝 奈良県史料第2巻』(※) 1978
『戦国大名系譜人名事典 西国編』 1986

※『和州諸将軍伝』は宝永四年(1707)成立であり一次史料ではなく、軍記物に近いがやむを得ず参照した。


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