結城氏

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【結城氏略史】
結城氏は小山政光の三男朝光が、源頼朝から下総国結城(現 結城市)を与えられ本領としたのに始まる。そして在地の土豪山河氏と婚姻関係を結び発展の基礎を固め、頼朝に属し戦功を挙げ、鎌倉幕府内で重要な位置を得た。以後、子孫が幕府御家人として重用されるが、北条氏の台頭で相対的地位は低下してしまう。

その中で一族の白河結城氏は北条得宗家と結びつき、鎌倉末期の後醍醐天皇挙兵にも従い、建武政権下でも重要な地位を得て結城宗家を超える勢力を持つに至った。それに対し結城本家は一貫して足利尊氏方に従い勢力を回復。関東管領足利氏を補佐する重要な地位に就いた。その後結城合戦(永享十二〜嘉吉元、1440〜1441)で結城氏は一度滅亡するが再興し徐々に勢力を回復した。


結城政勝・晴朝は古河公方・後北条氏と結んで佐竹・宇都宮氏と対決、山川氏(山河氏後裔)・水谷氏・多賀谷氏と同盟し勢力を拡大、のち後北条氏の勢力が大きくなるに従い佐竹・宇都宮氏と結びこれと対抗した。天正十八年(1590)には小田原ヘ行き豊臣秀吉に臣従、所領を安堵された。その後晴朝は秀吉の養子となっていた徳川家康の二男、秀康を養子として迎え、隠居する。関ヶ原合戦を経て結城氏は越前北庄68万石に移封され、隠居していた晴朝もこれに従った。晴朝が慶長十九年(1614)に越前で亡くなったのち、秀康の嫡子忠直は松平に改姓し、(なお、結城秀康が松平、及び徳川に改姓したという説もあるが、史料的には明らかにされていない。)結城の名跡は五男直基(前橋松平氏)に一時継がれるが、のち松平に復姓したため結城氏の名字は絶えた。


結城氏系図

【結城氏の一族・家臣団】

・山川政貞【やまかわ・まささだ 1489(延徳1)〜1554(天文23)】
讃岐守。山河氏は結城朝広の異母弟、山河重光より始まる。一時家系が絶え、結城本家より養子を迎えて存続した。本家結城氏に強い影響力をもった。

・山川直貞【やまかわ・なおさだ 1513(永正10)〜1560(永禄3)】
讃岐守。政貞の子。

・山川氏重【やまかわ・うじしげ 1539(天文8)〜1567(永禄10)】
中務大輔。直貞の子。姉は結城晴朝の妻。二十九歳で死去。

・山川晴重【やまかわ・はるしげ 1566(永禄9)〜1593(文禄2)
讃岐守。氏重の子。二十八歳で死去。

・山川朝貞【やまかわ・ともさだ 1591(天正19)〜1620(元和6)】
讃岐守。初め朝定。結城秀康に従い、越前移住。一万七千石を与えられた。直参となることを願い、江戸に行くが叶わず帰参。なお、山川・多賀谷・水谷・岩上の四氏を「結城の四老」又は「結城四天王」と称した。

・多賀谷家重【たがや・いえしげ ?〜1554(天文23)
下総守。天文十四年(1545)の川越合戦のとき、北条氏康に寝返ることを勧められたが断ったという。天文二十三年没。多賀谷氏は結城氏の同盟者的存在で、つながりは深かったが度々結城氏に抗した。

・多賀谷重政【たがや・しげまさ ?〜1566(永禄6)】
修理大夫。家重に天文十五年に家督を譲られたが同十九年には息、政経に家督を譲って隠居、大事の決定にのみ関わったという。佐竹氏と通じ小田氏と争った。天文十七年に結城氏に再び帰属。

・多賀谷政経【たがや・まさつね ?〜1576(天正4)】
下総守。下妻城主。佐竹氏と通じ北条氏と争う。

・多賀谷重経【たがや・しげつね ?〜1620(元和6)】
修理大夫。政経の子。一度下妻六万石の大名となったが、関ヶ原合戦の後所領を没収される。実子三経は結城秀康、養子宣家は実家の佐竹氏に仕えた。

・多賀谷為弘【たがや・ためひろ 生没年未詳】
隠岐守。重政の弟。重政が結城氏に帰属後、人質として子の政広と共に差し出された。結城政勝に重用され、新たに得た小栗城の城代に任じられたりした。

・水谷勝吉【みずのや・かつよし ?〜1568(永禄11)】
兵部少輔。常陸下館城主。佐竹氏との合戦に父に従って戦功あり。また、宇都宮氏との合戦でも戦功があったという。

・水谷正吉【みずのや・まさよし ?〜1578(天正6)】
伊勢守。
結城政勝に仕える。那須・小田・宇都宮・佐竹など諸氏との合戦に従ったという。政勝死後、小山高朝(政勝弟、晴朝の実父)に従った。

・水谷正村【みずのや・まさむら 1539(天文8)〜1598(慶長3)】
兵部少輔。高朝に仕える。度々戦功があり、累代の功労もあって結城氏を与えられたという。永禄十二年(1569)剃髪し蟠龍斎と号す。慶長三年に死去。

・水谷勝俊【みずのや・かつとし 1541(天文10)〜1606(慶長11)】
伊勢守、右京亮。実は正村の弟。一時結城晴朝の養子となったという。秀康が養子となってからは秀康に仕える。関ヶ原後も下妻四万七千石を領し大名となり、一族が越前に従う。

・玉岡政広【たまおか・まさひろ 生没年未詳】
結城氏の直臣である重臣。結城氏新法度(弘治二、1556)の筆頭に署名している。結城氏の一族といわれる。

・比楽勝弘【ひらが・かつひろ 生没年未詳】
「比楽」とかいて「ひらが」と読むらしい。結城氏新法度では二番目に署名している。のち一族は越前に移住した。

・片見政行【かたみ・まさゆき 生没年未詳】
片見氏は政朝の代より補佐しているとの記事が見える。奉行・家老クラスと思われる。結城氏新法度には四番目に署名。


【参考】
結城秀康の家臣

【参考文献】

『戦国大名系譜人名事典 東国編』新人物往来社1985
『結城市史』第一巻 古代中世史料編 1977
『結城市史』第四巻 古代中世通史編 1980


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