text index


死んだふり

 高月佳妖

 見放された高台の公園の、赤い敷石の上に横たわるぼくの視界には、白く濁った空がどこまでも広がっていて、そこから破片のような雪が降ってくる。
 十分に冷やされた大気の中を数千、数万、数億の白い破片は降ってくる。そして地面とそこに横たわるぼくに突き刺さる。今、この瞬間、ぼくのコートの袖にちくりと一欠片突き刺さった。
 幾つもの鋭い破片に責め立てられながら、ぼくは死んだふりをする。自分が呼吸していることを忘れ、手足はだらりと投げ出して指一本動かさず、寒いとか冷たいという感覚はやがてなくなる。そして目を軽く閉じ、ついでに心も閉じた。
 頭の中を空白に。降りつもった白い破片が、覆い隠したように。
 ぼくの頭の中はきれいに白くなる。
 なにも考えない。
 なにも、考えない。
 …………
 笑い声が、聞こえた。
 唐突に、白い脳裏にじわりとシミが広がる。
 ぼくは目を閉じたままびくりとふるえた。
 シミは黒いコートを着た少女の形をしていた。
 コートの裾には、黒い柔らかそうなフリルがついていて、ふわりふわりと揺れていた。
 笑い声。
 何かがカタカタ鳴る音。
 目を閉じよう。
 いや、もう閉じている。
 心を閉じよう。
 いや、彼女の姿は、ぼくの心の中に……
 無感覚の指先に触れる他人の指。
 閉じた瞼の向こう側に感じた、彼女の気配。
 ぼくは目を開けた。目の前に広がるのは、二年前のあの日と同じ、白濁した空。

 清花の黒いコートの裾と袖口には同じ色のフリルがついていた。コートの下にのぞく濃いグレイのロングスカートの裾には黒いレース。普段から彼女はフリル、レース、リボンといった少女らしい素材を使った服を好んで纏っていた。そして、彼女の服はいつも黒と灰と白しか色がない。恐ろしいほどのこだわりで、彼女は他の色を自分から排除していた。
 彼女が服装にこだわるのは、そうすることで自分を取り巻く世界に対しての防御を固めていたのかもしれない。
 白い破片が降りてくる中、清花は立っていた。空を見上げて、彼女は笑いながらくるくるまわっていた。
 長い髪とコートがふわりときれいに広がる。
「清花」
 ぼくは彼女を呼んだ。彼女が回転をやめて、こちらを見た。笑っている。
「清花」
 ぼくのほうに走ってくる。カタカタと彼女のコートのポケットで音がした。プラスチックのピルケースの中に分類された数種類の薬がぶつかる音。
 ぼくの目の前で彼女は止まった。黒いコートと柔らかな髪にたくさんの白い破片がひっかかっていた。
 上目遣い。差し出された小さな手は寒さで赤くなっていた。
 その手を、同じように冷え切ったぼくの手で包んだ。

 リストカット、精神科通いの日々、自分の飲んでいる薬、そんな記録で出来たホームページの掲示板でぼくと清花は出会った。「生き苦しさ」を感じている人間ばかりが集まって、ほとほととため息をこぼすその場所で、ぼくと一番話があったのが清花。
 好きな本や音楽、睡眠薬を飲んで眠る夜、そして腕を切ることについて、ぼくらは掲示板やチャットで話した。
「どうしようもなく苦しくて、それがいつまで続くかわからない。そんな時は、他になにもする気にならないから、はやく時間が過ぎるように腕を切り続けるの」
 いつかの清花の書き込み。ここでは腕を切ることについて、人それぞれ様々な言葉で語っているけれども、清香の言葉がぼくには、一番、響いた。
 掲示板やチャットでのやり取りから、個人的なメールの交換をするようになったのは割とすぐ。やがて実際に会うようになった。
 ネットでの出会いが、現実のつきあいになることは、ぼくの経験の中では初めてだった。リスカ報告や愚痴は掲示板とチャットで十分だからだ。そう言う意味で、清花はぼくにとって、特別だったのだと思う。
 ぼくと清花は直接会った時にはあまり話さなかった。ぼくらが会った時には、会った時にしか出来ないことをする。手を繋いで高台の公園まで歩くこと、錆びてぎぃぎぃ鳴るブランコを並んでこぐこと、目を合わせて少し笑ってみること、そして、二人で死んだふり。

 白い破片で覆われた地面にぼくはどさりと倒れてみた。左腕が体の下、心持ち膝と背を曲げて、右手は軽く投げ出した。目はさっさと閉じてしまう。
 清花のくすくす笑いが上から聞こえる。
 ぼくは、死んだふりをしているからなにも答えない。
 やがて気配が動いて、清花が横たわったことがわかった。
 鼻先にかかる息。
 無感覚の指先に触れる他人の指。
 ぼくが片目だけ開けてみると、すぐ側に彼女の顔があった。
 笑っている。
 ぼくもすこしだけ笑った。
 そして、目を閉じて、二人で死んだふりをした。

 時々、死にたくなる。
 そんな時はカッターを腕にたたきつけてみる。死ねたらいいな、ぼんやりとそんな望みを抱きながら、しかし同時にまず死なないことをぼくは知っている。
 時間の経過によって死への希求はとりあえず、消える。
 所詮は、その程度の衝動。
 カッターナイフの弱々しい刃で、やわらかな腕の皮膚を破り、そこから赤い雫があふれ出て、すこし死に近づいたような気分を味わい、そして激しい感情の波が去った後には、なんとなく続いていく日常があって、そこにすとんと収まってぼくは生きていくことが出来る。ただ消えるのに何年もかかる傷跡が腕に無数に残っていくだけで。
 ぼくが死んだふりを覚えたのは、目に見える傷跡を周囲の人々が嘆いたからだった。
 死んだふり、これは「生き苦しさ」を押し殺したり、激しい感情の波をやり過ごすことに関してはリストカットに次いで有効な方法だった。自室のベッドの上で手足を投げ出し、動かずにいると、ぼんやりと眺める天井の白さが、目から脳に入ってきて心を染めてくれる。きれいに心が白くなったら、目を閉じて、気が済むまで死んだふり。
 なにも考えない。
 なにも、考えない。

 雪が降る日の屋外での死んだふりは、素敵だ。
 空は白く濁っているし、白い破片はちくりちくりとぼくらを責めるけれども、それらは降りつもってぼくらを隠してくれるから。
 手を繋いでいるから清花と離れることもない。
 離れたくないと思うのは何故なのか。
 同じ痛みを抱えているようにみえるから?
 よくはわからない。
 ぼく自身の気持ちも。
 清花の考えていることも。

††

 なにか意味があったわけではない。なにかきっかけがあったわけでも、ないと思う。
 うだるような暑い夏がやってきた頃、清花とのメールのやり取りが間遠くなっていた。掲示板の書き込みも流れ、チャットにも現れない。清花との接触が、消えた。
 過干渉しないこと、それがぼくと清花の間に暗黙の了解として横たわっていた。だからメールの返事が来なくても、ぼくは特に彼女に連絡を取ろうとしなかった。互いのこぼれ落ちるため息を拾い上げる努力はするけれども、なにも言いたくない時にはなにも言わない自由を、ぼくらは重んじていた。
 そんな日々の中で、ぼくは高台の公園に行って死んだふりをした。
 空は青く晴れていて、清花は隣にいなかった。

 そしてまた冬が巡ってきた。それは冬らしくない冬で、木枯らしさえどこかぬるく、雪もちらちらと一瞬舞うだけだった。
 やがて清花から一通のメールが届いた。
 薬の種類と量が増えたことを、冗談めかした口調で書きつづってあり、最後に
「今年は雪が降らなくて寂しい」
 と、書かれてあった。

 それは一つのサインだったと、人は言う。
 ぼくも、そうかもしれないとも思う。
 けれどもすべては「はずみ」だったと、ぼくは、ぼく自身の経験から、思う。彼女とぼくは一つの存在ではないから、彼女の考えていたことや感情の動きの真実がどうだったのか、ぼくが知るはずもないのだけれども。
 ただ、その冬は最後までほとんど雪が降らなかった。

†††

 暗くなった空から、なおも降りてくる白い破片達。
 街灯がぼくを照らす。スポットライトのようだ。
 ぼくは起きあがった。コートは破片にまみれ、節々がひどく痛み、頭ががんがんした。
 それでも、ぼくは結局生きている。
 ぼくは、いつまでも「死んだふり」だ。本当に死ぬことは、ない。
 死が訪れるとしたら、それは何かの「はずみ」に過ぎない。ぼくは自分自身の手で自分殺しが出来るほど確たる意志も動機もない存在だから。
 ただただ「生き苦しさ」を感じているだけで。
 「死ねたらいいな」とせいぜいおまじない程度の意味しかない行為を繰り返すだけで。
 清花が去年の冬、あの雪のほとんど降らなかった冬の終わりに、どういうつもりで溜め込んでいた大量の睡眠薬を飲み下したのか、確かめるすべはない。
 ただなんとなく、同類としてのぼくが思うのは、あの、腕にカッターナイフを振り下ろす時の「死ねたらいいな」という曖昧な気持ち、死んだふりをしている時の所詮ふりでしかない感覚。
 そんな気持ちと感覚の中で、清花は眠りについたのではないだろうか、なんとなく、そう思う。
 ぼくの空虚な心にびょうびょうと風が吹き込み始める。
 ちくりちくりと破片が刺さる。
 清花を曖昧な気持ちで死なせたのは、誰ですか?
 問いかけが空虚な心の中を駆けめぐるけれども、答えずに、ぼくは白い息を吐きながら、ふらふらと歩きはじめた。清花と並んでこいだブランコの横を通って、ぼくは公園の出口を目指す。
 錆の腐食が酷くなったブランコには使用禁止と書かれた紙が貼り付いていた。

text index
合計五十