甲南大学バスケットボール部50年の歴史
(50周年記念式典でのスライド)
1962年・63年のリーグ戦連続優勝の資料 17/07/14




左の写真は阪神大震災で建て直された旧制甲南高等学校のイメージを残す1号館


右の写真は創部当時、現在の体育館の北側にあった屋外コートの写真です。
建設当時は東洋一の屋外コートといわれる立派なものでした。

創立者の平生釟三郎先生の教えは、知識の獲得に偏重することなく、徳育、体育も重きを置き、
バランスがとれたヤングジェントルマンの育成にあります。
男子は屋外で元気に走り回れという
ことで、バスケットコートも屋外となったといわれております。

屋外に板張りというのは耐久性の面で大変なことで、船会社に相談に行き船の甲板に使われていた
チーク材を使ったコートとなったと伝えられております。

創部当時には相当床も傷んでおり、又昭和36月には板を取り除き土のコートとなりました。

昭和
45年頃に現在の体育館が建設されましたが、板張りではなく練習場としては使えませんでした。

このように甲南は長年コートが無く王子体育館、大阪の体育館、地元高校の体育館を借り歩いて練
習しておりました。

時間に限りが会った事が練習への集中力、11本のシュートを大事にする事に結びついていたの
かもしれません。

王子体育館の管理人さんから照明を消されてもシュート練習をしていて怒鳴られたのも古いOBに
とっては懐かしい思い出ではないでしょうか。


練習場の確保・その費用の捻出に歴代のマネージャーの苦労も並大抵ではなかったことでしょう。
一方体育館をお借りした高校の練習相手になり、高校生のレベルアップに貢献できたのではなかっ
たでしょうか。



学習院大学との定期戦
3回学習院定期戦の際の両チームのメンバーです。
創部翌年の28年には毎日新聞社の後援を頂き第1回定期戦を神戸で開催し、現在も学校単位で開催
されている伝統の定期戦の足がかりとなった事はわが部の誇りです。


学習院の皆様には甲南大OBが東京勤務になったおりには、一緒にバスケットボールをさせて頂いたり、
又公私にわたりお付き合いをいただいている者もいると聞いております。

バスケットボール部OBを義理の兄としているOGもおるやに聞いております。
今後共このような良き関係を続けていきたいものです。


又、学習院とは昭和45年の全日本学生で唯一の対戦をしております。定期戦を通じてお互い切磋琢磨
し近い将来ふたたび公式戦で戦いたいものです。



甲南クラブ
写真は昭和43年の台湾(中華民国)遠征の際の写真です。
昭和35年に後輩の練習相手になればと藤田氏を中心に設立。以降国体・五大都市等で活躍、兵庫県下
では人数さえ
人揃えば負ける事はなく勝ち続けたものです。

昭和50年に開催された第1回全国クラブ選手権で優勝と全盛期には学生が勝つ事が出来なかったものです。

甲南OBを中心として、明治OB田中氏、慶応OB中川氏、中京大OB片山氏を始め他大学OBにも加入
頂き、気の会った仲間同士、学生・社会人チームでは味わえないクラブライフを楽しめた素晴らしいチーム
でした。
50周年を機会に再び甲南クラブを復活させるようです。
若手OBを中心に活躍が期待されます。



白山氏・高嶋氏
大正12年に創部された旧制甲南高校籠球部の伝統を引き継ぎ昭和27年に創部された。
創部当初は旧制甲南高校OBの白山氏に監督を、そして旧制高校のOBがたくさん通っていた阪大との
ご縁で阪大バスケットボール部に在籍されておられた高嶋氏にコーチをお引き受けていただきました。

旧制甲南高校OBの皆さん、そして白山・高嶋のお人は甲南大学バスケットボール創部時の恩人と
いっても過言ではありません。




山戸氏
創部5年目から3年間は当時親和学園で先生をされていた山戸氏にお願いし監督を引き受けていただき
ました。
山戸氏に監督をお願いした年に二部で優勝。
入替戦にも勝ち念願の一部昇格を果たしたのでした。
翌年の一部リーグ戦では初年度にもかかわらず3位と活躍できたのも山戸先生の熱心な指導の賜物だっ
たのでしょう。

33年には全日本総合選手権に初出場する事が出来ました。
山戸氏は後に国際審判員の資格をとられ、厳しい笛で苦労させられたものです。
今でも甲南の試合はよく観ていただき色々とアドバイスを頂いております。厳しい笛も、吹きながら
我々に指導して頂いていたのかと今では思うこともあります。




渡部氏
創部8年目の昭和34年山野主将を中心により強くなるため関東の方を指導者にと奔走、当時日紡平野、
後のユニチカ山崎の監督、現在日本協会会長をされ日本の女子バスケットボールの全盛期を築かれた
尾崎氏に相談、
早稲田の後輩である渡部氏をご紹介いただきました。渡部氏には本当に熱心にコーチして
いただき昭和37年創部からわずか10年で関西学生リーグ優勝を果たしたわけです。
昭和38年には渡部氏の指導を受け育った福井、橋本、武田氏が監督、コーチとして後輩を指導、現在監
督として頑張っている布谷氏を中心としてリーグ戦連覇を果たしました。



写真は昭和38年のリーグ戦連覇のもの。

昭和40年のインカレでは森川主将を中心に伊藤 融、山上、上野らの長身選手近藤、上塚等のガード陣
の活躍で現在の決勝リーグ制がとられてから、関東リーグ以外のチームとしてはじめて同志社大学とともに
決勝リーグに進出4位となった。
41年にもリーグ戦優勝を果たしております。



左の写真は昭和40年のインカレ対日本大
右の写真は昭和46年全日本総合対東教大(現筑波大)

関西で初めてTV中継された昭和42年の西日本選手権では準優勝となっております。
45年のオールジャパン2回戦進出を最後に,翌46年には部員不足等のため15年続いた一部から2部
へ陥落。


昭和51年には5年ぶりに下部リーグを勝ち抜きエイトリーグに進出、インカレにも出場しましたが残念
ながら一部に残留することはできませんでした。

その後二部,三部と低迷期が続いたわけですがその間部員不足に悩ませられながらもバスケットに対する
情熱だけはどこのチームにも負けない選手、高田氏・澤地氏・上成氏を始めとする一部の熱心なOBによ
りチームの灯を消さずに部を存続させて参りました。


左から澤地氏・上成氏

強いとOBも自然に集まってきます。弱い時代こそ本当に応援を必要とするわけですが、残念ながらこの間
OBが現役を応援したか反省する面は多々あろうかと思います。



左の写真が平原 彦雄前顧問
右の写真が田中 五雄元監督

その中で昭和51年から昨年までの25年間部長を続けていただいた平原先生、昭和54年から平成元年
までの11年間監督としてお世話いただいた旧制甲南高校OBの田中五雄氏のご尽力がチームにとって大き
なささえになったことでしょう。謝意を表したいと存じます。


現役のため監督・コーチを引き受けていただきました皆さんには手弁当で時間的・金銭的に大きなご負担を
いただき本当に感謝いたします。


平成4年には甲南大学がスポーツ推薦入学制度を導入し優秀な学生が入部、平成10年には再び一部に復帰
することができました。


写真は平成13年関西リーグ対天理大戦#9樋口のシュート

昨年甲南高校からもインターハイ出場者が多数入部リーグ戦上位を目指しましたがいかんせん経験不足から
当初の目標には及びませんでした。

今年こそはと、チーム一丸となり甲南旋風を巻き起こしたいと闘志を燃やしております。


写真は布谷 洋祐現監督