
今から20数年前、高校3年の夏・・歳がばれちゃうけど・・
私にとって初めての海外旅行へ。
今では珍しくないけどあの当時ではホームステーイって言うのはあんまり聞いたこと無かった。
全然知らない外人の家に行って一人っきり。
でも、不安より期待の方がずううううと大きくて楽しみで仕方ありませんでした。
実は国内でも飛行機に乗った事が無かった私。 初めて乗るのがアメリカ行き。 おまけに乗り変え、乗換えで日本に帰るまでに6回も飛行機に乗ることに。今でこそ、海外なんてとりたて騒ぐことでもないけどあの当時には皆びっくり親戚一同、お餞別までくれる騒ぎだったのです。想像出来ますか?
何人いたのやら。今では覚えていないけど、ジャンボ飛行機をチャーターして小学生から高校生まで、それに付き添いの大人。 まずはその全員で、サンフランシスコに、そこからそれぞれの場所へと分かれていきます。 最初に着いて思ったのはなんと、外人が歩いてる!外車が走ってる!だったのです。 すぐに ああ、私達の方が外人だったんだ、と思い至ったけど。
私が向かうのは、アイダホの片田舎。
サンフランシスコからボイス(アイダホの州都)へ乗り継ぎ、そこで何人かと大学の寮に泊まり、その後また何人かに分かれて、私たちは,リュウストンへと再び飛行機に乗って。
アイダホってどこだか分かりますか。 私も、アイダホポテトくらいしか聞いたこと無くて、地図で見ると、アメリカの西海岸、ワシントン州の右隣。 もっと上に行くとカナダに入ってしまうくらい。 ロッキー山脈のあたりです。すっごく小さな町の小さな空港にこれまた小さなプロペラ機。
つくとそこは本当に田舎の飛行場。降り立った私たちを迎えに来ている家族たち。
私は、最後の方に飛行機を降りようとしていたのだけど、皆が私の方を振り向いて見ている!!
なにかなと思ったら・・・・・・WELCOME!! の文字が。
私を迎えに来た家族が垂れ幕を作って来てくれていたのです。 感激!!
さて、問題なのは、私の英語力。家族の皆が何か言っているのだけど意味はさっぱり。
どうしよう・・
スーパーマーケットに寄って、何か聞くのだけど、終に紙に書いてくれました。
「What do you want to eat?」
あーん・・、こんな簡単なのにどうして聞くと分かんないんだろう・・・ これから先が思いやられる。
ここで家族の紹介を
mamにdad
そして、子供たち、長女(14)、次女(13)、長男(10)、次男(9)の4人です(その当時の年齢)。
この4人はいづれ、私の旅行記の主役になっていくのですが、この時は、私を迎えてくれたのはやさしいmomと
寡黙なdadの2人でした。英語の良く分からない私に、ゆっくりと「This is your home。」と言ってくれたdad.
これからの長い付き合いの始まりでした。mamは、美容師。 dadは、木こりさん。 後で知ったことですがmamは、私がいる間仕事を休んでくれていたのです。 dadは、毎日仕事から帰ってくると食事をしてから、又出かけていってしまいます。 しばらくなぜか分からなかったのですが、木こりの仕事の後、今度は家の農場で働いていたのです。
なんと!! 働き者!! 今になって思えば、あのころそんなに楽な生活をしていた訳でもないのでしょうが。私に何処にも遊びに連れて行ってあげられなくてと言っていたmom. もちろん、私にとっては、その場所にいるだけで十分だったのですが、上手く英語で伝えられないもどかしさ。 英語が、話せるようになるぞと誓った日々でした。
この時は4週間、このうちで過ごす予定でした。 この家に住んでいるのはこの6人でしたが、私が此処で会ったのはこれだけではありません。 dadのお父さん。 彼は家から車でちょっとの所に一人でキャンピングカーに住んでいました。 独立心の強い人。 mamのお母さん。 ワシントン州のスポーケンに住んでいて、遊びにやってきました。とっても明るくて楽しい人。 momの弟、妹。 それにその家族。 皆とてもいい人ばかりです。
ここは、山の中の1軒家。 周りには、他の家も見当たりません。車が無ければ何処にも行けそうにありません。 日本人なんてすっごく珍しいらしく、なんと新聞にまで載ってしまいました。 地元の新聞ですけど。 妹達は、クッキーをいっしょに作り、弟達は、魚釣りに連れて行ってくれました。 弟達は小学生なのに、しっかりエスコートしてくれるって感じで、えさを付けるのは女の人は嫌いだよねと言って付けてくれたり、レディファーストで、ドアを持ってくれたり。 うーん、アメリカ人の男の子は全然日本人と違うと感心しきり。 日本人の男の子なんて本当がきだよねえ。
Let's make a hey! 今日は日曜日。 dadがお休みの日。 ならばどこか遊びに。 なんて都会人の発想なんだなdadがいるから今日は1日家の仕事。 夏の間に干草を刈って、冬の間牛に食べさせなきゃならない。 hey っていうのは、干草を四角く固めたやつなんだ。 それは機械で作っていくんだけど、それをトラックの荷台に積まなきゃならないから、大変な重労働。家族総出の仕事になる。 私じゃ1つも持ち上がらないから、トラックに乗って、ほとんど見てるだけ。 本当に役に立たない。 情けないよね。 北海道の農場なんてこんな感じなんだろうなって思ってた。私は、家の手伝いもしたこと無いような都会のもやしっ子だったから。
どうにか少しは英語もなれて、少しは分かるようにもなってきた頃、mamの所に電話が入った。 私と一緒に来た日本人の男の子(小学生)が、ホストファミリーとあまり上手くいっていないらしい。うちの方はどうかと聞いてきたらしい。小学生位じゃ、1人でまったく知らない外国人の家なんて、まだ無理なんじゃないかなあと思った。 momも、私のことが心配だったと見えて、他の何人かと連絡をとって、2人の一緒に来た女の子がうちに遊びに来ることになった。 来て見ると、1人の子がホームシックで、家に帰りたいと言ってほとんど半べそ。 それでも気を取り直して、一緒に買い物に連れて行ってもらったりした。 実際帰るとき飛行機の中で会ったら今度は家に帰りたくないって泣いてたけど。
ティーンエージャー向けのダンスパーティーが、公民館みたいな所であって、長女と次女と一緒に出かけた。 普通のディスコみたいな所には、10代の子は行かせてもらえない。 アメリカの親はとっても厳しい。 アルコールを買う事すら、難しい。 お店の方も、もし未成年に売ったことがばれたら、即営業停止を食らう。 だから、身分証明書を見せなきゃ売ってさえくれない。 自由の国と言うけど、それは責任の負える大人になっての話。 しかも責任も重い。 でも、車に車検が無いって言うのは本当で、ヒドイ車がいくらでも走っている。 パーティの帰り、友達の車はエンジンが掛からず、坂道を押しながらエンジンを掛けていて、しかもいつもの事だって言うんだから。 他の子の車に乗せてもらうときは、皆が、我先に乗ろうとするからどうしたのかと思えば、後から乗る人は、座席が無いからしゃがんでなきゃならなかった。 日本じゃ考えられない。
そんな楽しいときも過ぎ、帰る時がやって来た。 日本から一緒にきた連中とはほぼ1ヶ月ぶり。 皆、一様に悲しい顔で、涙、涙・・・・・
また、家族に会いに帰ってくるぞと決心しながら飛行機の窓から泣きながら手を振った。 別れのとき、皆1人1人と抱き合ってさよならを言った時。 抱き合うなんて日本人としてはちょっと恥ずかしくてdadには握手をしたんだけどあのいつも寡黙で物静かなdadが、向こうから抱きしめて自分の娘だと言ってくれた。
本当に絶対又来るんだと思っていたのだけど、それが叶うにはしばらくの年月といろんな事が起きた後の事。
そちらもぜひ読んで見てね。