行くぞ、赤ん坊連れて
あの家族の元へ、行きたいと思いつづけて既に9年を過ぎもうじき10年。10年一昔と言うけど本当に長い年月が過ぎてしまいました。だんだん手紙も減り、クリスマスカード程度の付き合いになりつつあるこの頃。 私の方も2児の母になっていました。 しかもまだ下の子は、2歳にもならず、オシメも取れない歳でした。それでも、新婚旅行で連れて行ってやれなかったと思っていた主人は思い切って行ってきたらと言ってくれたのです。
今でこそ、子連れって結構見かけるけど。 あの頃(15年位前)は、お母さんは自分の楽しみは諦めるものみたいな風潮だったし、3歳と1歳の赤ん坊を連れて外国へなんて考えられなかった。 勿論、1人では無理な話。 でも、主人は一緒にはいけなくて。 主人のいとこの女の子(高校生)2人をベビーシッターとして連れて行ったらと。 主人の親や私の両親は勿論あきれ果てて、それでもどうしても行きたくて、ついに行くと決心したのです。
こう書いてみると本当私って最先端をいってたんだなと思ってしまいます。 ホームスティーも、子連れで海外も今では珍しくないもんね。 この後思ったのは行ける時行っとくべきだってこと。 なぜって・・それはまた最後に。
ただ心配なのは10年も過ぎてから行っても喜んで迎えてもらえるだろうかって、しかも赤ん坊と、もう2人も連れて。 それでもどうしても行きたい気持ちに負けて、恐る恐る、手紙を出したのです。
手紙の返事は
返事が来るまではドキドキ。 丁寧なお断りの手紙が来るんじゃないかなんて本気で思っていました。 大体、それまで手紙を出してもなかなか返事なんてこなかったし。 と・・ところが、その時はすぐ返事が・・・、 喜んで、赤ちゃん連れて来るようにという返事。 赤ちゃんは大好きだから大歓迎。 いとこも皆連れてお出でと。 嬉しくて嬉しくて、舞い上がってしまいました。 そしてついに、行く日にちが決まったのです。 なんと、クリスマス。 クリスマスプレゼントを山ほど買いあさって。行くぞ、と。
前のときは、団体で何もかもやって貰っていましたから私はついて行っただけ。 今度は皆を連れて行かなきゃなりません。 とにかく、チケットの手配は主人がやってくれるけど。 まずどの飛行場に着いたら良いのか。 前のとき行った飛行場は本当に田舎の飛行場なので大都市からは便がありません。 向こうの家族もそれを気にして、スポーケンまで迎えに行くからそこまでお出で。 と言ってくれました。 そこで、東京からロサンジェルスへ、乗り換えてスポーケン(ワシントン州)へ。 その時は知らなかったのです。 家から飛行場まであんなに遠いなんて。
さあ、日本を出発。 羽田から出た方が楽ということで選んだ中華航空で、ロスへ向かう。 興奮して子供はちっとも寝てくれないし、疲れ果てて、ロスにつくと、今度は眠くって(当然だよね、日本時間は夜中だもの)わんわん泣かれて、飛行場の係りの人が大丈夫?って聞いてくれるんだけど、ごめんなさいしか言えなくて。 だって五月蝿いよねえ。 ところが、具合が悪いのかって心配してくれているだけで嫌な顔一つしない。 これはこの後も何度も経験したんだけど、皆子供にやさしい。 税関の所で おしっこ! って言われて トイレは? って聞いたら、戻って良いって言われ(日本だったら無理だよね。もう税関出てるんだもの) しかもemargency!!って怒鳴ったのにはちょっと笑った。 なるほど、こんなことでも緊急になるのかと思って。 おかげで近くのトイレに行けたけど。
さて、そこからは国内線に乗り換えて、スポーケンへ。中華航空から、ユナイテッドに乗り換えなんだけど、ひたすら歩いて歩いてやっとの思いでカウンターを見つけチェックインしようとしたら、チケットを預かってちょっと待ってくれと言われ、それからひたすら待つこと待つこと。出発時間はとうに過ぎたのに飛行機に乗せてもくれない。 なにかアナウンスしているんだけど、私にはよく理解できなくて。 とにかく飛行機に乗れるのかと聞いたら大丈夫、ちょっと待ってくれと言われるばかり。 もし乗れなかったらどうしよう。 もう、スポーケンには皆が、待っているはずなのに。とひやひやものの時間が過ぎていくばかり。 それでも何とか名前が呼ばれ飛行機に乗り込めることに、席はばらばら、空いてるとこに座るよう言われて、もう何でも良いから乗れてホッとするまもなくすぐに飛行機は飛び立って。
ついに、スポーケンの空港に降り立ちました。
赤ん坊をおんぶして、ぐずる子供を引きずりながら、飛行機を降りて行くと通路の向こうにmomの姿が。なかなか降りてこない私たちを心配して見にきたのです。 迷惑じゃという私の心配を吹き飛ばすような歓迎ぶりに本当に嬉しい再会でした。 迎えにきてくれたmomとdad と車に乗ると、飛行機が遅れたわけが分かったような気がしました。 雪だったのです。 疲れていた私たちはほとんどを寝てしまったのですが、吹雪で家まではものすごく時間が掛かり、家で待っていた、長男や、次男は心配していたようです。あの時小学生で私の肩ほどしかなかった2人はすっかり見上げるほどの大人になっていました。 疲れ果てとにかくその日は寝るばかり。
ここで、皆の近況を。
まずは momにdadは変わりなく(とその時は思ったのですが) 長女は結婚して4歳の息子と近くに住んで、次女は看護婦さんになって、仕事でクリスマスには帰れないけどその後正月前には帰ってくるとのこと。 長男は高校を出た後仕事が見つからないとかで家にいました。 次男は大学生で家を出ていましたがクリスマスで帰ってきていました。 そんなで、今回私たちの面倒を一番見てくれたのは長男でした。 子供好きで面倒見の良い長男はうちの3歳の息子と雪だるまを作ったり(アメリカの雪だるまって雪ダマ3つで作るんですよ。)、すっかり良いお父さん。
アメリカのクリスマス。
映画ではよく見るシーンだけど。 クリスマスツリー、暖炉にはそれぞれ子供の名前がついてる靴下。 なんとうちの子供たちの名前まで・・ イブには皆が集まってクリスマスディナー、七面鳥、エッグノック(名前は聞いたことがあったけどはじめて飲んだ)、私は持っていった羊羹を日本のデザートと言って出した。 皆おいしいと言って食べてくれたよ。 その後、夜中クリスマスのミサがあるので教会へ。 まるで絵に描いたようなクリスマスでした。 そして眠っておきるとクリスマスの朝。 ツリーにはさらにキャンディーが飾られ、下には山ほどのプレゼント。 暖炉の前の靴下にもなにやら入っているよう。 皆が集まって、ツリーの下のプレゼントを名前を見ながら配って。 私も日本から持っていったプレゼントを皆に配った。 子供たちには山ほどのおもちゃにぬいぐるみ。 日本に持って帰った靴下は、それから毎年子供たちの枕もとに飾られた。 日本ではクリスマスと言うと彼女とディナーなんて思いそうだけど、アメリカでは家族が集まる日。 日本で言ったら正月みたいなもんかな。 そんな時に、私たちも迎え入れてもらって本当に嬉しい!!
さて後日談。 教会に行っている間、dadとうちの赤ちゃんは、留守番だった。 行くときは寝ていたし、夜中だったから。 起きないだろうと思っていたのだけど。 しっかり目を覚ましてdadにオシメを換えてもらったらしいけど、dadはオシメの場所がわからなかった。 そうしたら、うちのこがオシメを引っ張り出してきたとdadは大喜びで話してくれた。この話は私たちが行く度にdadが皆に話すお気に入りのお話になってしまった。 今になるとそんな話を聞けばうちの子は恥ずかしがるだろうけど、そういう思い出があるって良いよね。
裏でそり滑りをしようと、誘われて子供たちと雪の中。 私が履いていたのは皮のブーツ。 私は東京でしか雪を見たこと無かったので、皮がだめになっちゃうかもと思いつつ恐る恐るそり滑り。 戻ってきて見ると、靴は全然濡れていない。 そうかこれがパウダースノーってやつか。 さらさらだから、服も払えばお終い。 濡れることはない。 スキーヤー達が憧れるのも分かるよね。
最後の夜
次女が帰ってきた。 私たちに会って大喜びしてくれたのもつかの間、入れ替わりのように私たちの帰る日も近づいてきた。 帰る前の日dadとmamの留守番しているから出かけておいでとの言葉に甘えて、子供たちを預け、私、長女、次女、長男は出かけていくことに。 何の店と言ったらよいのか、食事や、飲んだりゲームしたりついでにダンスも出来るお店に連れて行ってくれた。 私はカルフォルニアワインを、皆は日本のビールと言うことでキリンビールを頼んで。 それからダンス。 この店は未成年は入れない。 店の入り口でしっかり身分証明書をあらためられる。 次男と私のいとこ達は未成年だったので、ティーンエージャー向けの店に行った。 楽しく時を過ごした後、長女が話があると言う。 真面目な顔で、何かと思えば、ここに彼女のご主人も来なかったのは変だと思っただろうが、実は上手くいってなくて別れるつもりだと。 私は、変だなんて思ってなかったし、日本人なら普通かなと。 何の手伝いもしてくれない、帰ってきてもテレビの前に座って新聞読んでいるだけだ、なんて話しにそれなら日本のほとんどの夫婦は離婚かもなんて思いながら聞いていた。 なかなかハンサムで俳優みたいな渋い声のいい男で、実はいとこの子達はかっこいいって言っていたんだよね。 長女も考えると随分若くで結婚しているし。 見た目に引かれたのかも。 そうなると長続きしないのも分かるし。 子供もいるから残念とは思うけど本人が嫌なら仕方ないことだしね。
こうして、私たちの帰る日がやって来た。旅行の悲しい所はいつか帰る日がやって来るってこと。
またおいで、今度はぜひ、ご主人を連れてと言われ、私も日本に遊びに来てねと答えて、飛行機に。
いとこ達もこんなに歓迎してくれるとは思わなかったと。 私の旅は終わりました。
観光、ロスとサンフランシスコ
と言っても、私はこのまま帰っても良いくらいなんだけど、いとこたちを子守りとはいえここまで連れてきたのだし、少しは観光もしなくっちゃと、ロサンゼルスとサンフランシスコによることに。
まずは、ロス。 子連れ旅行の辛い所で、大人向けの所にはあまり行けないし。 大体、いとこ2人も未成年。 まあ、ディズニーランドあたりがよい所かな。 でも、その頃は、日本にはまだディズニーランドは無かったし、やはり日本人観光客には人気の場所。 日本みたいに混んでもいないし、十分楽しみました。 普通の路線バスで行ったんだけど、時間を忘れて遊んでいるうちに、閉園時間。 バスには乗れるのかしらというほどの人だかり。 どうしようと思いながらもなんとか乗り込むとギュウギュウずめ。眠り込んでしまった赤ん坊を抱っこして、上の子も眠そう。 そうしたら前に座っていたメキシコ系の顔立ちのお母さんが息子を立たせて私たちを座らせてくれた。 感謝、感謝。 何処からきたの? 日本から。 なんて話をして。皆本当に子供や困った人にはやさしい人ばかり。 今の日本ってなんか冷たいよね。
サンフランシスコはロスより落ち着いた町って感じで。 当然名物のケーブルカーに乗ったり、フィッシャーマンズワーフで買い物したり。 アメリカ最後の日々を楽しみました。
こうして本当にアメリカ旅行も終わりを告げたのです。
そして、覚えているかな。最初の頃に 行ける時行っとくべきだ、なぜかは最後に。って書いたのを。
実は、あの後、momからの手紙でmomとdadが、離婚したと書いてきたのです。 えー・・・とびっくり。 長女は別れると言っていたけど。何故・・ 仲良く見えたのに。
このときはショックなだけだったけど、あれからまたアイダホに行けたのは、この時赤ん坊まで連れて、無理しても行ったからで、だってあの時行かなかったら、他の兄弟たちと仲良くなれなかったろうし(長男も次男も、自分たちが小学生だった前のときの事は正直、あまり覚えてないと言っていた。)、別れてしまったmomとdadの所には行けないし・・ ここからは、私と子供たちの付き合いにとなっていったのです。
次に行けるのはいつのことか。
続きはまたね。