赤ん坊連れて、家族の元を訪れてから、またも10年近くの時が過ぎて。 うちの長男も小学校を卒業する時がやって来ました。 その春休み。つまり卒業から入学までを利用して いざ、アメリカへ。 と決めた私は、計画を立て始めました。 まずは皆に手紙を出して。 前にも書いたように, mom とdadは、別れてしまい、いったい誰が私たちを迎えてくれるだろうと・・ とりあえず全員に書いた手紙。すると、momから、 スポーケンまで迎えに行くから着く日と便名を知らせるようにとの返事。 行けば何とかなるだろうの精神で、行く日にちと帰る日にちと、皆に会えれば良いので、近くにホテルを予約しといてくれても・・と書いて送った。

あちらの家族の状況は。
| dad | アイダホ | 一人暮らし |
| mom | アイダホ | 再婚後、また別れて今は別の恋人と暮らしているらしい |
| 長男 | アイダホ | 結婚して男の子が1人 |
| 次男 | ポートランド | 結婚して男の子が1人、前の彼女との間に女の子1人 |
| 長女 | アイダホ | 前の旦那との間の男の子。再婚して生まれたばかりの男の子1人 |
| 次女 | ポートランド | 結婚して男の子1人 |
以上、家族はずいぶん増えています。
皆、それぞれ家庭を持っていて、私たちを迎えてくれるのは誰だろうと、ちょっとばかりの不安を抱きつつ。 その日は近づいて来ました。
いざ出発
卒業式の日、終わったらすぐに成田に駆けつける予定。 もう、式どころではありません。 本当ならやっとこの子も卒業かと感激ひとしおのはずが。 早く式が終わって!と、心はもはやアメリカへ。 皆で卒業を記念して食事でもと誘われるのを断って、急いで家に帰ると服を着替えるのもそこそこに、待っていた弟を連れ、成田へと。 3人分の荷物を1つに詰めた大きなスーツケースは重すぎて、宅急便で空港に送ってあります。 とりあえず飛行機に持ち込む荷物をリュックに詰めて息子たちに背負わせ出発です。
長男、12才。 次男、9才。 前のときのことなど覚えているはずも無く、これがまったくの初めてと言っていいでしょう。 前回は中華航空で行きましたが、今回はユナイテッド航空。 サンフランシスコ乗換えでスポーケンまで。
まずは、成田。 送っておいたスーツケースを受け取って、3人で引きずりながらチェックインカウンターへ。 荷物を預けてホッと一息。 3人分のEDカードを書きながら、コーヒーでも。 子供たちは飛行機の中で読むといって漫画を買い込みに。 こうして何とか飛行機に乗り込んで一路アメリカへ。
国内線に乗り換えて
サンフランシスコに着いて、乗り換え。 前のときは中華航空から国内線に乗り換えるのに荷物を持ってずうーと歩かされたのだけど、今度はユナイテッド。 荷物を受け取って入国管理、税関を抜けると、すぐに国内線用のカウンターがあって、荷物を預かってくれる。 チェックインカウンターはまた別だけど。 荷物が無ければ楽チン。 とにかく荷物は重くて、1つにしたのは間違いだったかもと思ったのですが、ベルトコンベアーでスーツケースが出てきたとき、持ち上がるかなあと・・力いっぱい引っ張っていたら、隣の男の人が、すぐ手伝ってくれた。 それも何気なく手伝ってくれるのが、日本人と違うとこ。 それが当然って感じで。 本当、女の人や子供には皆やさしい。 ついでに言えば、障害者に対しても、出来ないことを、出来る人が助けるのは当たり前っていうのが感じられる。 日本人はどうも構えてしまうような気がするのは私だけでしょうか。
乗り換えのチェックインも済み、ベンチに落ち着くと、子供たちがいきなり 「ジュース買ってくる」 「僕も。」 とどこかへ消えてしまった。 ちょっと、唖然。 言葉もわからない、初めてのところで、私から離れようとしないんじゃないかと予想していたのに。 勿論、日本では何でも自分でやらせてきたけど。 そのうち帰ってきた2人は、「あのね、ここでは、ジュースって言うと、コップをくれるだけなんだよ。 どうするのかなと思っていたら、自分でジュースと氷を好きなように入れられるんだ。よそのおじさんに教えてもらったよ。」と。 上のは、氷をたくさん入れて、下のは、氷を減らしてジュースをたくさん入れて帰ってきたのでした。 うーん、こいつら何処でも生きてゆけるなと思った出来事でした。 今回は、特に問題も無く、ほぼ時間どうりに離陸した飛行機に乗ってついに皆の待つスポーケンへと向かいます。
皆が迎えに来てくれた
誰が迎えにきてくれているのかも分からぬまま、到着。 飛行機を降りて行くと、いました、いました、皆が。 大勢で待っていてくれました。 dad、長男と家族(奥さんと子供)、次女と家族(ご主人と子供)、おじさん(momの弟)とその息子。 おじさんはスポーケンに住んでいるので来てくれたようですが、次女はわざわざ、ポートランドから会いにきてくれて。 私の不安を全部吹き飛ばす歓迎振りでした。 うちの子供たちは、初めてと言ってよい人たちに囲まれて圧倒されているかなと思いきや、平気な顔。 おじさんが、スキーに行きたいかと聞くと、行くというのです。 私は「お母さんは行かないよ、それでも大丈夫?」ともう1度確かめると、やはり行くという返事。 おじさんと長男が連れて行ってくれることに。 うちの子ながら、すごいと再び思った私でした。 おじさんとはそこで別れ、スキーに行くときは待ち合わせすることになり、私たちは次女の車に乗ってアイダホの家に向かいました。
次女はアイダホの家まで、ポートランドから6時間、さらにスポーケンまで、2時間かけて迎えに来てくれたのです。次女の話を私が正しく理解したとしたら、次男はポートランドで、次女の近くに住んでいて、今回は仕事があって来られなかった。 でも、娘には会えると思う。 娘というのは、実は今の奥さんの子供ではなくて、前の彼女との子供で、娘が生まれてしばらく経つまで、次男は知らなかった。 今では、父親として休みに会うなど上手くやっていると。 多分 momが、連れて来るだろうと。 私の英語力ではこのぐらい理解するのが精一杯です。 娘の母親は他にも2人子供がいて、それぞれ父親が違うとか言っていたようにも思うのですが、定かではありません。
川辺でキャンプファイアー
アイダホの家に着きました。 そこには、長女一家(前の結婚のときの息子も一緒に)が住んでいました。 dadは、その裏のキャンピングカーに住んでいて、いま自分用にログハウスを建てているところ。 裏の山は全部自分の地所なのだそうです。 自分で木材を作って(製材って言うのかな)長男の手も借りながら建てているとかで、見せてもらいました。 すごい!まるで大草原の小さな家って感じ。 うちの子供たちも言うのですが本当にdadって開拓の男だよねと。 そういう古風で、遊びに連れて行ってくれたり、一緒に何かしたりということが無いのが嫌だといってmomは、別れてしまったみたいですけど。 長男は近くの家を借りて住んでいました。 長女は実は赤ちゃんを産んだばかり。 実家のプールで水の中で出産するとかいうのを実践したのだそうです。 楽に産めるとのことでしたけど。 2人目の旦那様は実業家。 今の所、この家を事務所にして、仕事をしているとか。 そのうちカルフォルニアのほうに行く予定とかで、そうしたら、長男がこの家に住むつもりのようでした。 mamは、近くに恋人と住んでいるようで、私は考えが古いのか、新しい恋人とdadの所に来て、仲良くしているのがちょっと理解できませんでした。
家から道路を隔てて川があります。
前来た時は、冬だったので川の方には行かなかったのですが、今回は川辺でキャンプファイヤーをすることに。 dadが、枝を拾ってきてくれて、ナイフで削ってその先にマシュマロを刺して焼いて食べました。 とろーっとしてあまーいのを、さらに甘いクッキーのようなものにはさんで食べました。 ちょっと甘すぎかな。 今回集まると男の子だらけ。 川に石を投げたり、大騒ぎ。
皆でお出かけ
いつも、観光に連れて行ってあげられなくて、と思っていたようで、皆でいろいろ出掛ける事に。
まずは、ダム。 何でも、アメリカで1,2を争う大きなものとか。 いろいろ説明してくれるのだけど、私の英語力ではついていけませんでした。次に、鮭の養魚場って言うのか、ダムを作ってしまったために鮭が川を上って来ても卵を産むところが無いので、その鮭をつかまえて、卵をとり孵してやり、稚魚にしてまた川に返す。 その卵を孵して稚魚に育てる所を見ました。 それから、インディアン ミュージアム。 アメリカの原住民といえば、インディアン。 あの辺は、インディアンがいた所で今も住んでいる人たちが、そのミュージアムを運営しているとか。 何処に行ってもあるのは芝生。 うちの子達は、車が止まると、真っ先に飛び降りて芝生の上をごろごろ。 それを見て、他の子達も一緒にごろごろ。 皆に呆れられていました。 私は東京には寝ころがれるような芝生は無いから嬉しくて仕方ないんだと説明すると納得してくれました。 東京はすっごい大都市だと思われている様。 住んでいると感じないけど・・ 実際、大都市だと思います? 確かにビルは多いけど。
私自身は都会のもやしっ子で、おまけにお手伝いもあまりしない甘やかされた子供だったので、自分の子はそうはしないぞと、自分の事は自分でさせるようにしてきたつもりです。 そのおかげか、物怖じしない、人の家に連れて行っても親が恥ずかしいというようなこともしないし、小さい子が好きで面倒見も良くて、私自身が子供のときよりはっきり言ってちゃんとしていてくれました。 おかげで皆に可愛がられて。 アメリカでは結構しつけが厳しいし、人の子でもしっかりしかります。 その代わり、遊ばす時は思いっきり遊ばすし。 とにかくのんびりしていて、子供たちはすごく気に入ってしまいました。
dadは、牛を飼っているのだけど、春は繁殖の季節。 この春生まれたという子牛達を見せてくれました。 1週間前に生まれたばかりという子牛もいました。 dadは、本当に黙々と働く男というイメージなのですが、次女が私に dadは本当にあなたのことが好きで娘だと思っているのよ、と・・ それに、前よりも孫を可愛がったり、変わってきた。 と話してくれました。 次女はぜひ日本に行きたい。 子供が大きくなったら行くからと言うと、dadは、自分はもう年だから行けないだろうと。 それを聞いた次女はそんなこと言わず、私と一緒に行こうと話していたのですが。
スキー。 えー木に衝突!
最後の日、子供たちはスキーに。 私はmamとmamの恋人と、次男の娘と、車で買い物したりしながらスポーケンへ。 スキーから戻る子供たちとステーキハウスで夜待ち合わせ。 その日は、スポーケンのモーテルに泊まって、次の日飛行機に乗ることになります。 次男の娘はとっても可愛い子で、ちょっと考えると家庭環境複雑とか思うんだけど、すっごく素直でよい子でした。 日本からのお土産をあげたらすごく喜んでくれて、私にビーズのネックレスを買ってくれました。 待ち合わせのお店に行くと、大勢の人。 長男家族、おじさん(スキーに連れて行ってくれた)の家族、dad、叔母さん(mamの妹)、その娘。 まだ、子供たちはスキーからは戻ってきていませんでした。 しばらくして入ってきた、長男、おじさん、子供たち。 なんと、うちの下の子の腕に包帯が・・ 長男が私の所に来て 実はスキーで木に衝突してしまった。 ごめんなさい。と言うのです。 ちょっとの間、目が点に・・ でも、ふと見ると、うちの子はニヤニヤ笑っている。 一瞬でこれは!と思う私に、長男の笑い声! やられた!と思う私は、まったく・・と声も出ない。 後で子供に聞いたら、おじさんが包帯とケッチャプを持ってきて、お母さんを騙してやろうと持ちかけたらしい。 おじさんは、本当に愉快な人で、年中冗談ばっかりの人なんだけど、そこまでやるとは。 子供たちには大受け! おかげでアメリカ人のジョークはすごいと今でも思っています。 mamは、子供だけでスキーに行かせて心配している母親になんていうことをするのと、怒っていましたけど。こうやって愉快なときも過ぎ、長男たちはこれからまたアイダホまでドライブ。 もう遅いし気を付けてと、それが別れの言葉で、私たちはmam達と近くのモーテルへ。
送ってもらって空港へ
mam達に送られて飛行場へ、 チェックインの後、売店に走っていく子供たち。 また何を買いに行ったんだろう。 どうせ飛行機の中で食べるお菓子かなと、思っているとやはりなにやら食べ物を買ってきた。 また、お菓子買ったの?と聞くと、次男の娘にあげるんだというのです。 へーとちょっと感心。 じゃあ自分であげな、というとちゃんとあげて・・ 喜んでもらえて良かった。
別れのときはいつも悲しい。 日本にもぜひ来てと毎回のように言っているのだけど、なかなか日本は遠い。 あまりアメリカの国内も旅行はしないらしいし。 それでもいつもいつか行くからと・・・ いつかって決して来ないものだよね。
ディズニーワールドへ
さて、これから、なんと私たちは、フロリダのオーランド、ディズニーワールドへと向かうことに。
アメリカの端から端へ。 1日かけて飛行機に乗り継ぎ乗り継ぎ。 まずはスポーケンから、シカゴ、そこからマイアミ、そして、ついにオーランド。 時差もあるしもう何時間飛行機に乗ったのかもさっぱり分からなくなってしまって。 スキーが出来るようなロッキー山脈から、なんと泳げるフロリダへ。 スキーした次の日にホテルのプールで泳ぐなんて旅行、もう2度と出来ないからねと子供に言いつつ。
ディズニーワールド内のホテルなんてとても高くて泊まれないので、車でちょっと行った所のホリデーインに予約を。 そこからはユニバーサルスタジオも近いので・・ しかし、ディズニーワールドは広い! 広すぎて何処を見たらよいのか。 それに移動にやたら時間がかかる。 全部は到底無理だから、まずユニバーサルスタジオで、1日。 次は、ディズニーのMGMスタジオへ。 と毎日遊び歩いていたら、上の子がダウン。 園の中のベンチで寝てしまった。 下のはいたって元気なので、私がベンチで一緒にいる間、下のはせっせと遊びに行ってしまって。 上の子は気を使うタイプだし、まず食が細い。 下のはのほほんとしていて、しかもよく食べる。 なにせ、どこかへ、消えたと思うと必ず何か食べ物を抱えて帰ってくる。 やはり食べる方が元気だ。 とりあえず、早めにホテルへ帰って、寝かせることに。
お城のような所で騎士たちが、競い合ったり、いろいろアトラクションを見せるショーの予約をしていたのだけど、 上の子がこれでは行けそうに無い。 僕は部屋で寝ているから、行っていいよ。 とは言ってくれたけど、下のも見に行かなくて良い、と言うし。 その日はゆっくり休むことに。 でも、子供の回復なんて早いもの。 しばらく休んだらもう直ったと言い出して。 ホテルの周りを見てまわることに。 ホテルの前には結構、安売りのお店が・・ ディズニーのキャラクター物も、園内で買うよりずーと安い。 そこで、お土産を買い込んで。
さてと帰る日。 オーランドの空港で。 免税店で買いたいものがあったので、飛行場の免税店に入ろうとすると、私は、シカゴ乗換えで成田までなので、そこでは買えない、シカゴで買うようにと言われて。 シカゴで行って見ると、なんとほとんど品物が無い。 オーランドは観光地だから、ずいぶんたくさん並んでいたのに・・ シカゴなんて観光地じゃないから、あまり買う人いないんだな。 あーあ、買いたかった化粧品が、買えなかった。
帰国、その後
とはいえ、無事帰国とあいなりました。
そして、それから数ヵ月後、私にとってショックな知らせが。 それは次女からの手紙でした。 dadが、ガンだと。 入院も延命治療も拒否したdad。 それはあまりにもdadらしいことではありました。 家族もdadの気持ちを受け入れて、家での生活を見守ることに。 私に出来るのはお見舞いの手紙を送ることくらいでした。 それまで、それほどまめに手紙を出す方でもなかったので、なるべく手紙を出すようにして。 子供たちの写真もまめに送るようにしました。 それでも2年ぐらいは過ぎたでしょうか、夜中に長男からの電話。 分かっていたこととはいえ悲しみは一緒です。 あの時、もう会えないかもみたいなことを言っていたdad。 やはり何か感じるものがあったのでしょうか。 その後、dadの写真をビデオにまとめたものを思い出としてと、送ってくれました。 そこには私たちと一緒の写真も。 こうしてdadは、私たちの思い出となったのです。
悲しい最後となってしまいましたが、この後も私たちの繋がりは切れることなく続いていくことに。
そして、私が死んでも、今度は子供たちの世代へと続いていったらよいなと・・
なんて、まだまだ当分元気に皆の元へと遊びに行くつもりです。
そうして、またも次の旅が・・ お楽しみに!