| チベットの宗教の一つで、呪術儀礼を行うものである。仏教伝来以前のチベットの宗教伝統の一部をもさすが、民間信仰や土着信仰全般をさすものではない。その信者はチベット人全体から見れば少数ではあるが、カム、アムド、西チベットや北ネパールのトルボに存在する。古代にチベットを支配した吐蕃王朝の宗教であったが、7世紀の仏教伝来以降はその力を失い、仏教と結びついた政権によって度々弾圧を受けた。敦煌文献によれば、かつてのボン教の司祭ボンポは霊神を祭り、悪魔の障害を制し、呪術をもって厄払いをする。人が死ぬと、馬(あるいは山羊かヤク)を犠牲にして、死者があの世へ行く道へいたる道案内をさせる。あの世は幸福な国であるが、そこまでの道は7つの峠越えをしなければならない困難な道と考えられているからである。吐蕃王国解体以降の混乱期、しだいに仏教の影響を受けて形態を変え、教義や戒律、組織が整備されるようになる。仏教同様、テンギュル、カンギュルからなる大蔵経に顕教、密教の経典、般若などの文献を持つ。「ダルマ」にあたる言葉が「ボン」とされているものの、その教学は仏教の教学と類似している。特に、教義体系の一つを「九乗」と呼ぶ点、「ゾクチェン」という修行体系や埋蔵経典をもつ点は仏教ニンマ派と共通している。ただし、その善悪二元論的なコスモロジーはボン教独自のものである。また占いや葬送、贖罪の儀礼、天文学、医学などの文献も持つ。開祖をオルモルンリンなる地のトンパ・シェンラプという人物として、仏教同様カイラス山を聖地とする。仏教が右回りに聖地や聖遺物を回るのに対し、ボン教では左回りに回る。1405年ツァン地方にニャムメー・シェーラプ・ゲルツェンによってメンリ寺が建立され、多くの末寺をもつ大学(学問)になり、ボン教の中心地になった。この寺の座主は選挙で選ばれた。1836年にはその下手に、ボン教寺院中最大の論理学の大学であるユンドゥンリン寺がナントン・ダワ・ゲルツェンによって建てられた。論理学を修めた学僧は、仏教ゲルク派の学堂で学ぶことも可能であった。19世紀、チベットの宗教界に宗派折衷運動が起こったときには、ボン教を中興したシャルツァ・タンゲルツェンもそれに参加した。1957年にダライ・ラマ14世がインドに亡命したとき、ボン教の高僧らもそれに従った。北インドにメンリ寺が再建された他、ユンドゥンリン寺などの寺院がインドやネパールの各地に建立された。 |