加藤文太郎記念図書館(浜坂町)
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  兵庫県出身の冒険家というと、あなたは誰を思い浮かべますか? 植村直巳ですか、それとも堀江謙一ですか? 私はこの2人のほかに、加藤文太郎を外すことができません。

  加藤文太郎を記念した図書館が出身地の兵庫県美方郡浜坂町にあるというので訪ねてみました。山陰の小さな町にしては驚くほど立派な図書館でした。1階は町民のための普通の図書館で、2階に上がると加藤文太郎のレリーフがあり、その右が関連資料を展示した資料室、左が5200冊の山岳関係書籍の揃った山岳図書閲覧室になっていました。もちろん入館無料で、「孤高」と題した小冊子までいただきました。

  JR浜坂駅(山陰本線)から歩いて10分(北東500〜600m)の、浜坂町浜坂842の2にあります。休館は毎木曜日と祝日、第3火曜日、年末年始です。休館日が祝日のときは、その翌日も休館になります。開館時間は月〜金曜日が10〜18時、土〜日曜日が10〜17時です。

  加藤文太郎に関する書物では、遺稿集の「単独行」と、新田次郎の小説「孤高の人」が特に有名ですが、私は、このどちらも読んでいません。私の知っている加藤文太郎は、安川茂雄著の「立山ガイドの系譜」の「ああ剣沢」の章に、脇役(?)で登場する加藤文太郎です。 「剱沢哀歌」に歌われ、「六字塚」の慰霊碑に刻まれた昭和5年正月の雪崩の前日、追い払われるように剣沢小屋を去り、独りで別山乗越を越えて下山する文太郎の後姿が、自分のこれからのサラリーマン生活を暗示しているような気がして、思いを新たにした新入社員時代(30年前)でした。

  下に、資料室に掲示されていた加藤文太郎の略歴をご紹介します。 

(写真はクリックすると大きくなります。)


入口


レリーフ


資料室


『孤高の人』 加藤文太郎 (浜坂町立加藤文太郎記念図書館の展示より)

  加藤文太郎は、1905年(明治38年)3月11日 兵庫県美方郡浜坂町浜坂552番地 加藤岩太郎と、よねの四男として生まれる。

  1919年(大正8年)3月11日 浜坂尋常高等小学校高等科を卒業後、神戸市の三菱内燃機神戸製作所(現在は三菱神戸造船所)に製図修業生として入社、設計課員として精励するかたわら、兵庫県立工業学校別科機械科(修業年限2ヶ年)を卒業、更に神戸工業高等専修学校電気科(修業年限3ヶ年)の課程を卒業、技能の向上に専念した。

  1923年(大正12年)から登山を始め、1925年(大正14年)夏、白馬岳登山が始まりで、1928年(昭和3年)ごろから単独行を重ね、積雪期の八ヶ岳、槍ヶ岳、立山、穂高岳、黒部五郎岳、笠ヶ岳など果敢な山登りを展開する。なかでも冬の槍ヶ岳単独登頂は、当時の新聞や岳人たちをアッといわせる驚異的な足跡を残す。

  彼のその沈着と用意周到かつ独創的にして勇猛果敢不屈の岳人として、「単独登擧の加藤」、「不死身の加藤」と呼ばれ、日本の登山界に不滅の足跡を残し、国宝的存在とまで賞賛されるに至る。

  やがて、加藤もより困難な山登りに挑むため、良き同伴者を求め、1934年(昭和9年)4月、吉田富久君と共に前穂高北尾根をめざす。翌年1月には、単独で立山から針ノ木岳を越えて大町に出た。そして、1936年(昭和11年)1月初旬、再び吉田君と共に槍ヶ岳北鎌尾根に挑み、猛吹雪にあい、天上沢に31歳の青春を終える。

  ヒマラヤへの夢を実現できなかったのが惜しまれる。彼の死をある新聞は、「国宝的山の猛者、槍で遭難」と伝える。

  これらの山行と劇的な生涯が新田次郎著「孤高の人」に克明に描かれ、山を愛する人々の中に全国的な感動を呼び起こしている。 



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