犬塚(能下)の桜
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Last updated on 2005/02/07


 
 相生市矢野町能下の三本卒塔婆と呼ばれる場所に、秦河勝公ゆかりの「犬塚」があります。その傍にあった桜の古木は、谷深い地形のせいか樹種のせいか分かりませんが、能下集落内のソメイヨシノより1〜2週間遅く咲いていました。

 花の季節に相生市内から播磨科学公園都市に向かって車を走らせると、三濃山トンネルの手前の急坂の登坂車線あたりで突然左手谷底から白い姿を現し、まるで「昇竜」のようでした。しかし残念なことに、2002年頃(?)に幹が折れ、今ではその神々しい姿を見ることはできません。下の写真はいずれも、2000年4月に撮影したものです。右端の2枚は犬塚の脇に立てられている表示板です。その文中に出てくる「大木」がこの桜にあたるのかどうかは分かりません。文末に採録した表示板の全文を添付しています。 

(写真はクリックすると大きくなります。)

 表示板文中の「大蛇」に関連して、能下出身の藤田壱久さんから「おばあちゃんの話」と題したメールをいただきました(2005/02/02受信)。ご本人の了解を得て、その全文をご紹介します。藤田さん、ありがとうございました。

 「ホームページ楽しく拝見させていただきました。私は以前能下に住んでいました藤田壱久(52歳)と申します。父は寛治と申しますが、4年前に亡くなり今は能下の墓で眠っております。その節には矢野の皆様には大変お世話になりました。
 さてこのたびメールさせていただきましたのは、犬塚の大蛇の話ですが、祖母(20年前に100歳で亡くなりました)ていばあちゃんの話が思い出されます。犬塚のすぐ下に川が流れておりますが、その場所は我が家の所有地で昔には萱刈場であったようです。昔話ではありませんが、ある日お婆ちゃんがその場所で草刈をしていると、それはそれは今までに見たこと無い大きさの大蛇と出会ったとの事でした、あまりに大きいので、体が恐ろしさのあまり身動きできなくなったとの事でした。またギョロットした目でにらまれ震えが止まらなくなったとも聞いております。
 子供の時に聞いた話なので長さが何メートルあったかについては聞いておりませんが,この話を祖母がするたびに興奮して、それはそれは見たことの無い程の大蛇だったヨと身を震わせながら話してくれました。あの気丈な祖母が身を震わせながら話すのですから、本当に大蛇がいたのだと私は確信しております。民話を裏付ける、一つの話としてご報告いたします。
 たわいない話でスミマセン。これからもホームページ楽しみに見させていただきます。ホームページ管理者殿に敬意と感謝申し上げます。埼玉県よりでした。」

 実は私(とんび岩)も、子供のころ祖父から、「大蛇を見た」という話を聞きました。祖父は若いころ、親に無断で神戸の奉公先を飛び出して外国航路の船員(水夫?)になり、外人の船長や機関長に仕え、晩年も「死んだら骨は紀伊水道に撒いてくれ」とまで言っていた進歩人でした。その人が、「光明山の奥で、大蛇がいびきをかいて眠っているのを見た」と言っていました。39年前に80歳で他界しているので、藤田さんのおばあさんと同年配です。単なる偶然に違いないと思いながら一方で、ひょっとしたら100年前には、相生市の北部にほんとうに大蛇が生息していたのかもしれない、その証拠が出てきたら面白いなあなどと、考えました。



三本卒塔婆と犬塚の由来

1. 六世紀の末頃 秦河勝公 二犬を率いて此の地に遊猟す、路傍の大木に大蛇あり、公之を知らず。  二匹の犬 公の裳を噛んで駐むる形あり、公怒って殴つ、犬跳って大蛇を噬み、相闘って三つなら死す。  公悲しんで弓を折って三段とし二匹の犬と蛇のために卒塔婆を建つという。(赤穂郡志より・・・1747年著)

1. それより此の地を三本卒塔婆と号す。(播磨鑑より・・・1764年著)

1. 五輪塔は三濃山観音寺を建てた秦内麿(九世紀後半に実在せり)が建立せしものという伝承あり、人呼んで之を犬塚と云う。此の地は現在三本卒塔婆として地名あり。 

1. この地点から三百米北に大蛇の谷(オロチノタニ)の名あり、現在も使われている。

昭和五十七年四月(1982年4月) 矢野町能下自治会建之

 


犬塚五輪塔
(いぬづかごりんとう)

相生市指定有形文化財(石造美術)
平成10年1月14日指定

  五輪塔は密教で五大を表す五つの形からなる塔で、平安中期以降は供養塔として、また鎌倉以後は墓標として広く用いられて来ました。

  この石造五輪塔は花崗岩製で、空輪の一部がこわれていますが、各部完存しており、様式は鎌倉後期から南北朝期の形式をよく示しています。

  表面に梵字の一字も刻まれない素朴な作でありながら、形式はよく中世五輪塔の典型を踏んでおり、総高172cmで、相生市に残されている五輪塔としては最大級で、貴重なものとなっています。

  飛鳥時代、聖徳太子に仕えた秦河勝(はたのかわかつ)の伝承も残され、「犬塚」、「三本卒塔婆」の別称が与えられています。

相生市教育委員会

 

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