愛の旅人 兵庫・相生
Since 2007/06/14
今年5月26日の朝日新聞土曜版(全国向け)に、当地相生市を紹介する大きな記事(丸々2ページ)が出た。「愛の旅人」と題したシリーズ物の一環で、同市生まれの映画監督・浦山桐郎が生前「いちばん好きな作品」と語っていた「私が捨てた女」の主人公「森田ミツ」の原像を求めて、記者が同市を訪ねるというもの。(下欄に記事全文を示す。)
浦山桐郎は、「キューポラのある街」で吉永小百合を国民的女優に育て、和泉雅子の「非行少女」でモスクワ国際映画祭の金賞を取り、「青春の門」のオーデションでは新人の大竹しのぶを見出し抜擢するなど、「女優育ての名人」と言われた。1985年、吉永小百合主演で「夢千代日記」を完成させた後、急性心不全で他界した(享年55)。
生まれたのは相生市弁天町(現在の旭3丁目)の社宅。父の浦山貢は播磨造船所の課長で、相生市歌(西播磨野に雲青く〜)の作詞者でもある。その父が1949(昭和24)年に磯際山から飛び降り自殺したのを機に、母の郷里の名古屋へ引っ越した。元音楽教師の鈴木史朗氏は相生小学校の同級生。
浦山桐郎は「私が捨てた女」のシナリオを書いた山内久に対し、「ミツは許す女だから、ぶざまに死ななきゃいけない」と言っていたという。しかし、何故、ぶざまに死ななければいけないのかは、記事を読んでも(私には)分からない。
朝日新聞社からの「読者へのおみやげ」が「姫路革細工」というのは、相生市民としては少し寂しい。しかし、「それなら何を推薦するか?」と問われると返答に窮する。相生には適当なものが無いということだろう。
記事に添付されていた写真(省略)は、造船所の夜景やペーロン競漕の練習風景などで、本文の内容とは直接関係ないように思われる。一方、父の貢が飛び降り自殺した磯際山(いそぎやま)は、今も市街地の真ん中で偉容を保っている。私が中学生のころ、弁天町に住んでいた同級生のE君は、学校から帰ると同山のてっぺんで、播磨病院の入院患者を相手に、トランペットを吹いていた。頂上には高射砲隊の陣地跡があった。現在は、事故防止のため、入山禁止のようだ。次の写真は2007年6月10日に撮影した磯際山。
(写真はクリックすると大きくなります)
浦山桐郎の情報は、相互リンクサイト「セピア色の港町・相生」に詳しい。同サイトの関連ページはこちら。 →「造船所と相生X」
当サイト内の関連情報はこちら。 → はりまのシネマ人たち(4) 映画監督 浦山桐郎
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【愛の旅人】 「許す女」はぶざまに死ぬ
吉岡とミツ 浦山桐郎監督 「私が捨てた女」
朝日新聞(2007/05/26 土曜版 「be on Saturday」)
■「許す女」はぶざまに死ぬ
やさしすぎた。だらしなかった。優柔不断だった。とにかくもてた。
人それぞれ、選ぶ言葉は違う。だが、家庭の外にも女性のうわさが絶えなかった映画監督・浦山桐郎(きりお)の破天荒な私生活について、交流のあった人たちは今みんな、懐かしそうに語る。「あきれ笑い」とも言うべき、うれしそうな表情を浮かべながら。
85年10月20日未明、浦山は54歳の若さで、急性心不全のため急死した。
その通夜と告別式。浦山作品「非行少女」のシナリオを担当し、飲み仲間でもあった脚本家の石堂淑朗(としろう)さん(74)は「見張り役」を命じられた。
「今平(いまへい)(葬儀委員長の今村昌平)に言われてね。『浦のことだ、どんな女が来るかわかんないから、見張ってくれ』って。思い詰めたような顔した喪服の女に注意したりしてね……」
浦山と言えば「女」。それは映画史においてなら正当な連想だ。「キューポラのある街」(62年)の吉永小百合、「非行少女」(63年)の和泉雅子、「青春の門」(75年)の大竹しのぶ。新人女優を徹底的に鍛えて迫真の演技を導き、「女優育ての名人」と言われた。
その中で「いちばん好きな作品だ」と親しい友人に語っていたのが「私が棄(す)てた女」(69年)だった。
この映画の「女」は? すぐには思い出せないだろう。浅丘ルリ子も出ているが、主役のミツを演じたのは無名の小林トシエ。撮影時25歳の新人だ。
浦山はミツ役の役者を、1年かけて探した。その結果、自らの望む「ブスで小柄で足が太く、お尻の大きな田舎くさい女」にたどり着いた。
「そうそう。平気でそんな言い方をするんですよ、先生は」。その後「青春の門」などに出演した小林トシ江(改名)さん(64)は笑った。
ミツは田舎出の工員。ペンフレンド欄で大学生だった吉岡と知り合うが、吉岡にとってはミツは単なる遊び相手で、すてられてしまう。8年後、結婚間際の吉岡は再びミツに会い、関係を結ぶが、ミツはあっけなく死ぬ。死後に吉岡は、本当に愛していたのはミツだったことに気づくという物語だ。
「とにかく私には、楽しい瞬間がまったくない映画でした」と、小林さんは振り返る。役作りは地獄だった。
浦山の自宅近くのアパートに住むことを命じられ、毎日通いで家の手伝いをした。東京育ちの小林さんに苦労をさせる狙いだ。服ひとつでも「ミツがそんな服を着るか」と怒鳴られた。
「ミツそのものになれ、としごかれました。先生はトシエの地が見えると、嫌だったんです。でも、30年前でも、ミツみたいな女性は現実にいないと思います。生きていけないもの。先生の願望に過ぎなかったんです」
現実に存在するはずのない女性像。「願望の女性」なのか。ミツの原像を求めて、浦山が20歳まで過ごした兵庫県相生市へ出かけた。
■育ての母への複雑な思い
山陽新幹線の相生駅は、手持ちぶさたに見えた。連休中だが、乗降客の少なさが話題になったこともある駅に、人影はまばらだった。
兵庫県相生市は戦前から、播磨(はりま)造船所の町として繁栄した。合併で石川島播磨重工業(IHI)となったが、造船業の衰退で栄華は過去の記憶になり、人口は約3万3000人に減った。
休日の夕暮れ、中心部のポート公園前の港で、ペーロンと呼ばれるボート競漕(きょうそう)に出るチームが練習していた。毎年5月の最終土日曜に開かれる「相生ペーロン祭」は市の一大行事だ。
夕日が沈みかける中、こぐリズムに合わせて掛け声が繰り返され、太鼓とドラの音が響いた。
「ペーロンが始まると、小さな街だから、駅やスーパーからあの音がどっからでも流れだすんですわ」と、元音楽教師の鈴木史朗さん(76)は言う。小学1年から、浦山桐郎と肝胆相照らしてきた大の親友だ。
◇ ◇ ◇
浦山の父・貢は播磨造船に勤務するかたわら、歌人としても有名だった。妻豊子は1930年、初の男児である浦山を生んだ直後に病死した。
昔はよくあるケースだったようだが、豊子の妹である敏子がすぐ後妻に入った。敏子はその後、2女と1男を生み、5人きょうだいを育てた。母親が「育ての親」だったことを子ども時代の浦山は知らなかった。
18歳のとき、父貢の自殺という悲劇が起きた。モルヒネを飲んだ父が近所のがけ山から飛び降り自殺したのだ。原因は不明とされている。
浦山の家は播磨造船の社宅で、市役所のそばにあった。がけ山が今でもすぐ裏に見える。浦山は旧制姫路中学、旧制姫路高校に通い、19歳にして一家で敏子の親類のいる名古屋へ移る。
◇ ◇ ◇
今回、相生を訪れる前日、姫路市に住む浦山の姉・長谷川小枝子さん宅を訪ねた。だが、すでに他界しており、代わりに夫の俊三さん(84)が、浦山家の古いアルバムを見せながら、こう話してくれた。
「敏子さんは、ミツ(小林トシエ)にそっくりですよ。映画を見て、すぐ思いました。庶民的で、やさしくてね。帽子をかぶった長さん(吉岡役の河原崎長一郎)も、姫高時代の桐郎にウリふたつだし」
「育ての親」の敏子と、ミツ役の小林さん。比べると、顔全体が醸し出す雰囲気がたしかに似ている。
遠藤周作の原作を大幅に書き換えたこの映画のシナリオは、脚本家の山内久さん(82)の手によるものだ。山内さんは、「ミツ像」についてふたりで議論した際、「育ての親」に話が及んだことを記憶していた。
「浦さんが言うには、『すごくぬるい人で、父親に怒られてばかりいた』と。青春時代、そのお母さんと深い関係になる夢を見たと言っていた。『夢の話なの』と聞いたら、うなずいたけれど、話しっぷりから彼女に対する愛情があったのはよくわかった」
浦山は生前のインタビューで、育ての母を「無意識に母親ではなく、女として見ていたと思う」と話したことがある。育ててくれた感謝と、恋慕の情が入り交じっていたのか。
だが同時に、撮影では、ミツの最期の場面にも固執したというのだ。
男に追いつめられ、2階から転落死する場面だ。宙をもがき泳ぐように両手をばたつかせ、大股を広げ、しりもちをつく形で道路に落下する。
山内さんは言う。「浦さんが『ミツは許す女だから、ぶざまに死ななきゃいけない』と言ってね」。演じる小林さんのほうは、一日中転落シーンをやらされた結果、首をねんざし、撮影が1週間中断したという。
「許す女」ミツは、のんびりとした育ての母のイメージなのか。それなら、なぜ、ぶざまに死ななければいけないのか。映画を見直すと、女を「すてた」主人公の罪の意識には、なにか底深い欠落感が付着しているように見えてくる。
◇ ◇ ◇
周囲と妥協せず、完全主義的な態度を貫いた浦山は、23年間で映画をたった9本しか作れなかった。不遇ともいえる。さらに、ややこしい女性関係をつくって消耗し、自分で自分の人生を追いつめていったようにも見える。
ふるさとの友人の鈴木さんは、何かあれば相生に帰ってきたがったという浦山の「甘えた姿」を覚えている。
「わが家へ来ると、すぐリラックスして裸になってね。さんざん酔っぱらったあと、2階の客間に寝かせたのに、寂しがって、私が女房と寝ている寝床に割り込んできて、『川』の字になって寝たりしてさ」
浦山は、相生湾は母親の子宮のように見える、とよく話していた。
文・中島鉄郎 写真・日置康夫
〈ふたり〉
自動車部品会社に勤める吉岡努(河原崎長一郎)が学生運動に挫折した昔、遊び相手としてつきあったのが福島出身の工員・森田ミツ(小林トシエ)。人を疑うことを知らないミツは吉岡に捨てられ、中絶したあげく、借金を抱えて生きていた。吉岡は偶然ミツの消息を知るが、会社の専務のめい三浦マリ子(浅丘ルリ子)と結婚する。吉岡はミツに再会し、結局再び関係をもつ。そのことが原因で知り合いのホステスの情夫に脅されたミツは、2階から転落し、あっけなく命を失う。
1969年のキネマ旬報ベストテンで2位。シナリオから作品完成まで、中断もあり5年。内容をめぐる映画会社との衝突で、一時お蔵入りもしかけたが、興行的にもヒットした。
〈ぶらり〉
兵庫県相生市役所の前庭にある「相生市歌」の石碑には、浦山桐郎の父貢が作詞した歌が刻まれている=写真上(省略)。浦山の生家跡はそこから数分だ。
相生ペーロン祭はきょう26日から。海上花火大会や、ポート公園前の港でペーロン競漕がある。近くの道の駅「あいおい白龍(ペーロン)城」では近隣の特産品が売られているほか、天然温泉浴場も。話題になった「ど根性大根」の大ちゃんもいた=写真下(省略)。
相生市とたつの市の境目にある「万葉の岬」には山部赤人らの文学碑が立ち、小さな島が点在する瀬戸内海を望む絶景ポイントだ。相生湾はカキの養殖でも知られる。
〈読む〉
映画評論家の田山力哉が、浦山桐郎=写真(省略)=の人生を描いた評伝が『小説浦山桐郎 夏草の道』(講談社文庫 品切れ)。同世代の監督への哀惜にあふれる。ドキュメンタリー映画監督の原一男さんがテレビ番組の取材をもとに編集した『映画監督に憑(つ)かれて 浦山桐郎』(現代書館)は約70人が希有(けう)な映画監督の人生を語り、約500nに及ぶ。映画と大幅に内容が異なるが、原作は遠藤周作の『私が・捨てた・女』(講談社文庫)。
〈見る〉
映画「私が捨てた女」は時折、ビデオがオークションなどで高値で取引されている。他の浦山作品では「キューポラのある街」「青春の門」「青春の門 自立篇」「太陽の子 てだのふあ」「暗室」「夢千代日記」はDVDになっている。
〈読者へのおみやげ〉
浦山桐郎が旧制中学、旧制高校と通った兵庫県姫路市の名産「姫路革細工」の印鑑入れを、7人に差し上げます。住所・氏名・年齢と「5月26日」を明記し、はがきで〒119-0378京橋郵便局留め、朝日新聞be「愛の旅人」係へお送り下さい。31日の消印まで有効です。発送をもって発表と致します。










