馬場坂
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Last updated on 2005/11/29



 兵庫県相生市の大谷町と揖保川町馬場(うまば)を結ぶ峠越えの道は、「馬場坂」と呼ばれ、1960年代までは荷車を引いて往来できるほどの道でしたが、近年は廃道となって草木が茂り、時折ハイカーが利用するのみです。

 以下、馬場坂の歴史と現在(2001年2月)を、相生側からの道順に沿ってご紹介します。地図(330KB)は下方にあります。

歴史

 「相生市史」第6巻(付図)には、明治28(1895)年以降の年代の異なる5枚の地形図が収められています。これらの地図には、馬場坂は次のように描かれています。

 明治28(1895)年: 相生から馬場坂の峠に至り、左折して岩屋谷経由、那波野に達する「小径」があるが、峠と馬場の間(馬場坂の東半分)には道は無い。

 大正14(1925)年: 相生と馬場を結ぶ道幅1間(1.8m)以上の「里道」がある。

 昭和29(1954)年: 相生と馬場を結ぶ道幅2m以上の「町村道」がある。

 昭和43(1968)年: 相生と馬場を結ぶ「小道」がある。

 昭和59(1984)年: 相生、馬場間(馬場坂)に道は無い。

 以上のことから、馬場坂は大正時代から昭和30年代にかけてよく利用された道と推測されます。

 相生村が相生町になるのが大正2(1913)年、播磨造船所の成立(鈴木商店の進出)が大正5(1916)年であり、造船所の活況によって相生が発展すると共に、馬場坂の往来が増えたのではないか(?)と考えます。馬場坂地蔵の建立は大正4(1915)年です。大正7〜8年頃の相生の活況ぶりは、佐多稲子の「素足の娘」にも描かれています。

 なお大正14年の地図では、相生の鰯浜と室津の大浦の間にはまだ道路がありません。したがって当時は、相生、室津間の行き来に現在の国道250号のルートを使うことは出来ませんでした。それだけに馬場坂の重要性は高かったものと考えられます。野瀬から山越えして大浦や馬場に出るルートも使われましたが、これらは急峻であったり道幅が狭かったりで、荷車を引くことは出来なかったようです。

水子地蔵

 馬場坂の相生側入口(大谷町)には、現在下の写真のような通称「水子地蔵」があります。この場所は1970年頃までは、子供達が夏に水遊びをする遊び場でした。筆者など、子供の遊び場であった時代を知っている者にとっては、この「水子地蔵」は、どこか胡散臭い、招かざる客です。地蔵研究家の木下充造氏を中心とする「洗心会」が、昭和46(1971)年に建立したようです。駐車場(勿論無料)もあります。

廃屋

 大谷町から1kmほど入った川沿いに小さな廃屋があります。流れに面した側が舞台造りになっていて、祭壇があるので、何かを祀っていたか、祈祷所のような建物ではないか(?)と思いますが、詳しいことは分かりません。屋根が剥がれて雨が漏り、床板が腐りかかっています。対岸の岩の上には小さな石像(不動尊?)があります。「このあたりに水車小屋があった」との風聞(?)もありますので、隣接の小屋は水車小屋だったかもしれません。

【追記 2005/11/29】 その後 2005/11/25に通ったときには、廃屋は解体され、残骸が敷地の脇に積み上げられていました。

交差点

 入口から1.5kmほど(峠までの約3分の2)入ると、馬場坂と関電さんの道(関電歩道)の交差点に出ます。 関電歩道は現在も良く整備されていて、左(北)は天下台山西尾根に、右(南)はダイセル播磨工場内に続いています。左折すれば西尾根経由で天下台山頂上に登れます。馬場坂の道は谷沿いに直進します。

馬場坂地蔵

 峠の50mほど手前にお地蔵さん(馬場坂地蔵)があります。高さ50〜60cmの小さなもので、正面には「八万四千体之内第四千五百二十番」の文字があり、右側面は「発願人 東京上野浄名院地蔵比丘妙運」 と読めます。石造りですが緑青(銅の錆)のような青みを帯びています。お地蔵さんのすぐ先に左(北)に分岐する道があります。この道は岩屋谷から天下台山に登る公設遊歩道につながっています。関電歩道ですが、岩屋谷から馬場坂地蔵を参詣する人のためにと、個人的に手入れをしている人もあるようです。

 このお地蔵さんの詳しい説明は、こちらのページにあります。 → 妙運和尚の地蔵尊

 

切り通し

 峠は切り通しになっていて、両側に苔むした立派な石垣が残っています。この石垣を見ると、馬場坂がかつて重要な交通路であったことが納得できます。

有刺鉄線

 切り通しを突き当たりまで進むと、突然有刺鉄線の柵が現れます。よく見ると、切り通しの南側の石垣の上にも有刺鉄線が張られています。これはダイセル播磨工場の敷地境界線を示す柵です。ダイセル播磨工場は、ニトロセルロース(綿火薬)を用いた爆発物を製造する工場で、過去に何度も爆死者(従業員)を出しています。そのような事業内容から、周辺に広大な安全地帯を設けているのです。馬場坂の昔のルートは、一部がこの有刺鉄線柵の内側に取り込まれています。新しいルートは切り通しの突き当たりから10mほど手前(相生寄り)を左(北)折します。

【追記 2005/11/29】 新たに開かれた「御坊山ルート」踏査の際(2005/11/25)に立ち寄ったところ、「切り通し」は有刺鉄線柵に沿って東西方向に通り抜けが出来るようになっていました。近年どなたかが整備をされたのでしょう。突き当たりの10mほど手前(相生寄り)から左折する従来の道も残っていますが、通り抜ける方が近道です。ただし関電さんの赤い標識(以前は無かった)は左折するルートを指示しています。

 切り通しから馬場方向に100mほど下ると、右に分岐する道があります。この道は関電歩道で、有刺鉄線柵の内側(ダイセル工場内)へ続いています。馬場墓地への道は真っ直ぐ沢伝いに下っています。

馬場墓地

 馬場集落の東の端にあたります。つい数年前までは昔の斎場(さんまい)が残っていましたが、現在は取り壊されてありません。大きな樫の木と桜の木があり、その周辺が広場になっていて10台以上駐車できます。

 
東から見た馬場墓地

道しるべの石碑

 馬場坂の東側の起点は馬場墓地の入口です。ここには写真のような石碑と小さな祠があります。石碑には「右相生町四十七丁  左室津港五十丁」と記されています。ここから南の鳩ガ峰の峠を越えて屋津坂を下ると室津港です。

 【追記 2012/08/28】 この祠はその後、墓地内に移されたそうです。


墓地入口



石碑

地図(330KB)


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