権現山古墳(御津町)
Since 2000/10/21


まえがき

 権現山古墳は日本最古の古墳のひとつといわれています。前方後方墳で、全長43mあります。大和を象徴する三角縁神獣鏡と、吉備で発生した特殊器台型埴輪の双方が出土したことで両文化圏の融合が注目されました。

 発掘調査が行われていた頃(1989年)には新聞に大々的に取り上げられましたが、近頃は訪れる人も少ないようです。筆者は2000年10月16日に訪ねました。登り口の案内板には、次のような解説文があります。 

 この古墳は、権現山の山頂に築かれた全長43mの前方後方墳で、高さ約3mの盛り土を築き、後方の中央部に竪穴式の石室(高さ4.8m、幅は北1.15m、南1m)が設けられています。日本最古の古墳の一つで、当時のこの地方の有力者の墓です。

 吉備で発生した埴輪の祖型、特殊器台と、大和的なにおいの強い三角縁神獣鏡という、二つの政治的意味合いの濃い遺物が出土したことにより、吉備と畿内の二つの文化の統合された葬送儀礼の最古のすがたです。 


所在地

 兵庫県揖保郡御津町中島の北西部、権現山(140.3m)の山頂にあります(二万五千分の一地形図には山名は表記されていません)。揖保川西岸沿いに県道441号を走ると、王子橋の500mほど上流に八王子大権現(王子権現)がありますが、そこが登り口です。詳しくはこのページ文末の地図を見て下さい。

 県道441号の道路わきに下の写真のような標識があります。木が邪魔をして見にくいかも知れません。王子権現の駐車場には、乗用車10台程度が停められます。駐車場の奥に案内板があり、上述の解説文と地図が掲示されています。


標識



王子権現

ルート

 王子権現の南(左)側から山に入ります。100mほど行くと右手に鳥居がありますが、それをくぐらず、まっすぐ(西向き)に鞍部(コル)まで登ります。鞍部からは左(南)に折れて尾根伝いに権現山の頂上をめざします。

 中腹にある小さな古墳の石組みを過ぎ、さらに登ります。下の写真のような立て看板が見えたら頂上は間近です。王子権現から頂上まで、約20分の山道です。  


山腹の小古墳



山頂の立看板

頂上

 権現山の頂上は、そこだけ立木が無く、草が茂った小さな丘になっています。大きな石組みや発掘跡は見あたりません。発掘後に埋め戻されたのだろうと推測します。登り口の案内板の地図には、頂上の51号墳の東側に、もうひとつ、大きな古墳(50号墳)が書いてありますが、今回はそこまでは足をのばしませんでした。草で道が隠れているのと、そこもたぶん埋め戻されているだろうと考えたからです。

 頂上の視界は樹木に完全に遮られています。もし立木が無ければ、東側眼下の揖保川の向こうに、播磨平野と瀬戸内海の眺望が広がっているはずです。下の写真(右)は北側から見た権現山の頂上です。樹林に覆われてる様子が分かります。 


頂上の草むら

権現山頂上

感想と追記

■ 頂上までの山道は、まだ踏み跡は分かりますが、最近に人が通ったような様子はなく、このままでは消える恐れがあると感じました。頂上からの眺望が確保できれば、手軽なハイキングコースとして利用者は増えるでしょう。しかしそのためには頂上の樹木を切らねばなりません。自然破壊につながらず、道が消えないようにするために、頂上に展望台(物見台)を作ってはどうか?と思いました。

■ 頂上の立看板には、御津町教育委員会と並んで、山崎営林署の名があります。権現山は国有林で、それを管轄する役所が山崎営林署なのです。そういえば、登り口にある王子権現の祭神は、古代のなんとか天皇の弟君だそうです。そのことと、権現山が国有林であることから、ひょっとすると、古墳の被葬者は皇族では?と連想しました。

■ 権現山の北、約1kmのところに梶山城址があります。その間は尾根伝いの踏み分け道でつながっています。頂上からの帰路、この道を伝って梶山城址へ行こうとしました。しかし笹や草が筆者の背丈以上に茂っているので、途中で引き返しました。但し踏み跡は明瞭で、草の枯れる3月頃なら通れるのではないかと思いました。

 こちらをクリックすると『梶山城址』のページが開きます。 → 梶山城址(揖保川町)

地図

 


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