田中脩治先生の随筆集 「窗(まど)」
Since 2008/11/07 



  相生市立双葉小学校で6年のとき同じクラスだったK君からメールが来た。「田中脩治先生の『窗(まど)』という随筆集に浦山桐郎(映画監督、故人)のことが載っている」とあった。どうやら私が書いた 兵庫・相生 浦山桐郎監督 「私が棄てた女」 の記事に対するレスのようだ。

 田中脩治先生は双小の初代校長で、同校校歌の作詞者でもある。私が在校していた6年間(1954年4月〜1960年3月)はずっと、同先生が校長だった。

 K君のいう随筆集は相生市立図書館にあった。表題の「」からしてそうだが、鯊(はぜ)や鰆(さわら)、鵯(ひよ)、鵙(もず)、鎹(かすがい)などの難しい漢字が多く、精読には辞書が必要だった。蹲る(うずくまる)や滾る(たぎる)、啜る(すする)、窘める(たしなめる)なども、この本のおかげで読めるようになった。冒頭1ページの「珍袖本」はたぶん「袖珍本(しゅうちんぼん)」の誤植だろう。

 「あとがき」によると、歌誌「文学圏」に連載していた散文を中寿(80歳)の節目にまとめたという。歌誌ということもあってか、話題は山野草や、茶道具、焼き物、利休の逸話など風流なものが多い。

 しかし茶菓子の「まんじゅう」の章では、上郡の白旗まんじゅう、竜野の醤油まんじゅう、赤穂の塩味まんじゅうなどに続けて江戸の「舟まんじゅう」に言及し、次のように紹介している。

 鶉屋主人の著の「風狂文章」に「清くすむ水の流れにゆられ、行衛なき買い手を待つ舟まんじゅうは、東都の名物とやらいへど、すこし子細ありて土産ものには成りがたし」とある。舟まんじゅうとは、小舟に乗って隅田川に泊まっている舟をまわり、舟の中で春を売った女のことである。

 浦山桐郎氏のエピソードは最終章で、「赤い鼻緒の下駄」と題されていた。このタイトルを見たとき一瞬、ひょっとして「赤い帽子の女」をもじったのか、と思った(たぶん私の考え過ぎ)。「赤い帽子〜」は芥川龍之介が書いたといわれている有名なポルノ(発禁)。

 「赤い鼻緒の下駄」の全文を、浦山桐郎氏と相生市の関わりを記した一次資料のひとつとして、下に残す。

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赤い鼻緒の下駄     田中脩治著 「窗(まど)」 より

 このところ、急に物忘れがひどく、記憶も曖昧になって、時が前後になったり、事が左右になったりしているかもしれないが、思い出す順に二三並べてみる。

 「桐郎にきめたよ、いい名だろう。」

いつものように、着物の少し引きつけ気味の衿元に微醺をみせて、窓の大空に広げた桐を見あげるように話しかけられた浦山貢さんの顔が三十六年の時を越えた今もはっきりと浮かんでくる。

  桐の葉の青くひかればうつしみのわれさへ青し朝のめざめに      (飛沫)

  しんじつに打ちこむことの尚難し桐の若葉は夕日に透きて        (断層)

後の作品ではあるが、飛沫、断層に見えるこれらの歌の桐の木がそれである。方向音痴の私は、家竝の揃った社宅の空にこの桐の茂みを目当にして訪ねるのであった。

 

 お母さんの故郷の名古屋に移られる荷造りの終わった日であった。

 縁に腰かけて桐郎さんのはなしを聞いた。私が、石坂洋次郎の「青い山脈」の挿絵を描いた鈴木信太郎の色紙で、その作中の海光女学校を描いたのをもっていることをはなすと、少しためらいながら、是非欲しいといわれたので、お別れに贈ることにした。

 その夕方、色紙をもっていくと、じっとみつめて一と言「鉄扉の線がいいね」とつぶやかれた。明治のにおいのある黒い鉄扉であった。その後で、私から贈るものがあるといって、信太郎のカーネーションの色紙をもらった。

 春毎に、丸額に入れて茅屋の花とし、浦山さんをしのぶよすがにしているのである。

 

 声がしたので、ひとり留守をしていた私が玄関へ出ると「お元気ですか」と、なつかしそうに声をかけられる。服の色は忘れたが、赤い鼻緒の女下駄をつっかけて立っている。一瞬ためらっていると、「浦山です」という。桐郎さんだ、と気がついて「浦山さんですね」「桐郎さんですね」と慌てる私であった。

 縁の籐椅子に向かい合って座って、ぽつりぽつりと、今日ここへ来るまでの経緯を語るのであった。監督をした映画「キューポラのある街」が姫路で上映されたので、そのようすを見るために、姉小枝子さんの家へ来ているが、今日から相生で上映するので、散歩の途中、いつのまにか相生へ来てしまった。あさひ館の入りは上々であったので安心して、寺田屋(書籍店)のおばさんを訪ねてはなしこんだ。

 その足で、大島山へ登って、街の移り変りをながめ、住んでいた家と、その上に立つ磯際山をみた。北の方をみると、父が親しくしていたあんたの家が見えたので、急に会ってみたくなってやって来たのだ。としみじみ来意をはなしてくださった。

 そのほかの話は忘れたが、唯、相生小学校の時、他所者として淋しいおもいをしたり、反抗心をかり立てられたりした記憶をたのしそうに述懐していた。

 ひとりで留守をしていたので、好きなお酒も出せず、渋いお茶ばかり飲んでもらったことを、今も残念におもったり申しわけなくおもったりしている。

 

 市長選のただ中に、家の前にタクシーが停まって、入って来たのが浦山桐郎さんであった。

 大分お酒がはいっているようで「ちょっと休ませてください」とソファーに腰をおろし「ウイスキー、ウイスキーありませんか」、どうやら、ご機嫌が斜のようすである。

 はなしのようすでは、昨日市長の推薦講演をして、赤穂御崎に泊められたまま、今日になっても誰も迎えに来ないので、ここを思いだしてやって来たという。

 さっそく事務所へ電話したが、係の者がいないのでと要領を得ず、1時間ほどして、桐郎さんが電話口へでて「失礼じゃないか」と可成つよい調子で窘めた。そこへ、あわてて候補者がやってきてやっとおさまった。ききつけた同級生が迎えにきて、機嫌をなおして帰っていった。

 温雅ななかに、あるべき筋をあくまで徹された浦山貢さんの血のひびきを聴くおもいがして頷きながら見送ったことである。



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