標語の二面性
Since 2001/01/16 



■ 1月11日の朝日新聞に、数学者の藤原正彦さんが 「標語の二面性」について書いておられました。一読して「我が意を得たり」と思ったので、全文をご紹介します(下方参照)。

 藤原さんのおっしゃる「標語」とは、世間で、いかにも人間社会の法則か定理、あるいは真理の如く使われている流行(はやり)のフレーズのことです。そして「すべての標語には二面性がある。表面だけを鵜呑みにせず、その裏に潜む意味を、直視しよう」と提案しておられます。

■ 藤原さんと同様のことを、芥川龍之介は約75年前の大正末期に、「侏儒の言葉」の中で次のように言っています。

 あらゆる言葉は銭(ぜに)のように必ず両面を具(そな)えている。例えば「敏感な」という言葉の一面は畢竟(ひっきょう)「臆病な」ということに過ぎない。

■ すべての標語に二面性があるならば、「人を殺してはいけない」という究極の標語(?)にも裏があるはずです。どんな裏があるのでしょうか。たとえば、地下鉄サリン事件の首謀者に死刑(合法殺人)を適用してはいけないのか▽武装したハイジャック犯を狙撃射殺してはいけないのか▽回復の見込みのない患者の延命治療を停止してはいけないのか▽などが(裏に)あたるのでしょうか。


 

正しく見える考えにも、必ず二面性がある

数学者 藤原 正彦さん(朝日新聞 2001.1.11 より)

 最近学生と話していて、標語で生きているのでは、と思わされることがしばしばある。

 学生Aはこう言う。「暗い性格で消極的なうえ友達もできない。こんな自分に絶望している」。これは「明るく積極的で友達の多い子がよい子」という小中学校以来の標語をひきずっているためである。

 私は言う。「暗く消極的で友達が一人もいなくたってまったく構いません。いろいろの個性があって世の中は楽しいのです。チューリップは美しいが、世界中にそれしか花がないとしたら退屈なのです」

 学生Bが言う。「自由だけは絶対に譲れない」

 私は言う。「もしあなたの家族一人一人が自由を強く主張したら家族は崩壊します。すると父親からの送金は停止します。あなたは毎日アルバイトに精を出し、学費と生活費を捻出しなければなりません。勉強する自由と遊ぶ自由を失います。自由を主張して、より大切な自由を失うのです」

 学生Cは言う。「教育でもっとも大切なのは個性の尊重だ」

 私は言う。「親や先生が子供の個性を十二分に尊重したら、しつけや規律や忍耐は教えられません。これらが育っていないと、学校で椅子に座り、1時間静かにしていることができず、漢字や計算の修得といった苦行はままなりません。学級崩壊や学力低下が当然起こります」

 学生Dは言う。「消費者のために規制緩和を貫くべきだ」

 私は言う。「コメの輸入規制を完全になくすと、米価は半分になります。そして日本の農家の半分は、田にはぺんぺん草が生い茂ります。美しい田園は国家の品格であり国民のやすらぎですが、米価の半額と引きかえに失われます。消費者というのは国民のある一面に過ぎないのです」

 学生Eが言う。「年功序列や終身雇用でなく実力主義こそが繁栄の条件だ」

 「戦後の日本の驚異的繁栄という反例があります。それに実力主義を貫くと同僚は皆ライバルになります。若手にノウハウを教える先輩もいなくなります。社会はぎすぎすした弱肉強食の巷(ちまた)となり多数の失業者が生まれます」

 「やり直しのきく社会にすればよい」

 「成功失敗はサイコロで決まりません。たいていの場合、弱者は負け続け、強者は勝ち続けるのです。そうしてアメリカのような、上位のたった1%の人々が国富の半分近くを占有する社会となるのです」

 学生達は標語を吟味しないまま「そういう時代なのだ」と受容し、それを基軸に物事を思考し判断している。これは一般人も政官財学のエリート達も同様と言ってよい。

 続々と出される改革案のほとんどは、流行(はやり)の美しい標語に支えられ彩られており、国民もまたそれを当然、あるいは陶然として受け入れている。

 現在出回っている標語にはもちろん、今後登場するであろうすべての標語にも必ず二面性がある。

 どんな素晴らしい主義や原理や教義でも、それを徹底すると、すなわちそこから出発し論理的に議論を展開すると、必然的に矛盾に到達する。それは数学や自然と異なり、人間や社会が論理で組み立てられていないからである。

 戦前にも「鬼畜米英」とか「一億火の玉」などの標語があった。標語は人々をマインドコントロールし、自らや国を滅ぼすことにもなりうる。これに起因する歴史的悲劇は枚挙にいとまがない。

 21世紀は情報の時代である。豊富な情報とは豊富な幻惑要素のことでもあるから、本質の見えにくい時代と言ってもよい。氾濫する情報の海に彷(さまよ)う人々は、羅針盤としての標語にますますしがみつくようになるだろう。

 同じ情報を世界の人々が共有することから、そのときどきの有力な思潮が時日という試練を経ずして一世を風びし、それを折り込んだ標語がまたたく間に世界標準となるだろう。

 これからの若者にとって大切なのは、日本中いや世界中が正しいと信じる標語であろうと、孤立を恐れず付和雷同を拒み、自ら一つ一つを吟味し、その美しい仮面をはぎ、そこに潜むものをしかと直視することである。日本と世界の存続は、君たちのそのような勇気にかかっている。

 藤原 正彦(ふじわら・まさひこ) 1943年、旧満州生まれ。東京大学大学院修士理学系研究科修了。米国・ミシガン大学研究員、コロラド大学助教授を経て、76年お茶の水女子大理学部数学科助教授に。89年から同教授。著書に『若き数学者のアメリカ』(日本エッセイストクラブ賞受賞)『遙かなるケンブリッジ』『父の威厳・数学者の意地』など。作家の新田次郎藤原ていは両親。


「トピックス」に戻る

メールはこちらへ
tonbiiwa@gmail.com

since 2005/05/14 16948

5316361