天下台山の三角点と標高
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Last updated on 2004/08/07



■ 三角点

 相生市内に一等三角点はありません。二等三角点はふたつあります。ひとつが天下台山で、もう一つは宝台山です。天下台山は点名が「相生」であり、まさに相生市を代表する三角点といえます。宝台山の点名は「若狭野」です。

 国土地理院のホームページによると、天下台山に初めて三角点が設けられたのは明治23(1890)年5月、113年前です。 所在地は「大字相生字天ヶ代5335番地 俗称天下台山」となっています。

 現在の標石(写真A)は昭和53年6月28日に埋設されたもので、頂上岩盤の北側にあります。私が子どもの頃に見たはず「旧標石」は、頂上岩盤上にあったような気がします(記憶がハッキリしない)。現在、最高地点(国旗掲揚ポール)の南約2mに、1辺約40cmの正方形で、平らな上面の中央に十字が刻まれた花崗岩(写真B)があります。これが旧標石名残の盤石ではないか(?)と考えています。(撮影日:2003/08/01)

(この写真はクリックすると大きくなります。)


写真A 


写真B 

 追記(2004/08/07)

 「はやさかさん」のレポート(とんび岩の掲示板 No.774 2004/06/23)によると、写真Bの旧盤石(?)は現在見当たらないそうです。原因など詳細は不明です。

■ 標高

 天下台山の三角点標高は、以前は323.2mでしたが、昭和50年代に321.4mに変わっています。この主原因は、昭和53年に標石が更新されたことにあるような気がしています。三角点の標高は、その山の高さではなく、標石の上面の高さを示しています。天下台山の場合、昭和53年に標石が更新された際に、埋設位置が以前より低い場所に移されたため、標高が低くなったのではないかと思うのです。

 二等三角点の標石は法令(測量法施行規則)で、厚さ11cm、一辺36cmの正方形の盤石の上に、高さ79cmの柱石を乗せ、その上端の18cmが地上に頭を出す構造と定められています。規定通りに埋設するためには、地面を72cm掘り下げる必要があります。この穴を頂上岩盤に掘るのは大変です。そのために北側の土の部分に設置されたのではないかと考えました。

 写真Bの石(上述)が旧標石の盤石だったとすると、この石は、目測で、現在の標石より約1m高い所にあり、その上に79cmの柱石が置かれていたはずですから、旧標石の標高点(柱石の上面)は現在の標石より約1.8m高かったことになります。この値(あたい)は標高変化量(323.2−321.4=1.8)と一致します。

 写真Bの石は一辺が約40cmと、二等三角点用盤石の規格(36cm)より少し大きく、むしろ一等三角点のそれ(41cm)に近いものです。偶然かどうか、陸地測量標条例によって三角点標石の規格が出来たのが、天下台山に三角点が設けられたのと同じ明治23(1890)年です。したがって、天下台山では、未だ規格通りの標石が使われていなかった可能性もあると思われます。

 以前の標高「323.2m」は、手持ちの明治28(1895)年の地形図にすでに表記されていますから、100年以上前の測量データのようです。測量誤差があったかもしれません。標石更新時(昭和53年)の「再測量」で、それが表面化した可能性も考えられます。 


 天下台山は多くの人から、相生市南東部の最高峰と信じられていますが、地形図をよく見ると、天下台山の南800〜900mに、天下台山より6.6m高い、328mのなだらかなピークがあることが分かります。野瀬(同ピークの西側の集落)の識者にこの山の名前を尋ねたところ、「子どものころに登ったことはあるが名前は知らない」との返事でした。それで、仲間内で「野瀬奥山」と呼ぶことにしました。下の写真は天下台山の頂上から見たその山です。右奥に写っているのは御津山脈の最高峰で、310.6mの三角点(点名:奥山)がある山です。大浦北山とか雄鷹台山と呼ばれているようです。 


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