尻見坂のことども
2000/03/14


  「相生ライフ」1987年3月15日号より (執筆は江見練太郎氏)

 まだ、網の浦に船員クラブがあった頃のことである。ここは、校舎風に建てられた木造二階の建物で、淡い水色のペイントで化粧されていた。ドックに入ってきた船員達が、工事期間中の宿泊所にしていたところである。

 休日になると、航海中に強いられた禁欲を発散させるため、船員達は室津に出かけていたようだった。室津には愛栄楼などの遊郭があって、こうした船員達の慰安の場として知られていた。

 船員達が網の浦から室津に行くには、野瀬からの山越えの道が、一番の近道であったが、この道には後から登る人が前の人の尻を、覗き見られることから、俗に尻見坂と呼ばれる急峻な峠道があった。この山越えに靴では難渋するとあって、船員達は野瀬の入口に当たる亀屋川尻にある駄菓子屋で、藁草履を買うと靴を履き替え、手に靴をぶら下げると云った格好になったものである。

 亀屋川の水が温む頃になると、私共は、この川に群泳しはじめる小鮒掬いに出かけたものだが、水遊びに戯れる私共の眼の前を、靴をぶら下げた船員達が、通り過ぎて行くのを見かけたものであった。

 「あいつら、室津へ姫買いに行きよるんやでえ」と、手を休めて見送ったものだった。菜の花が咲き誇る畑の中を行く船員達の姿は、春の日の長閑さを謳歌する、一幅の絵であったし、風物詩ともなっていたのである。


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