「将来不安」悪玉論について
Since 2001/12/31



 国民が日本の将来に対して抱いている「不安感」は、一般には消費を冷やす「悪玉」であって、「解消」が必要と考えられています。この考え方に「疑問」を投げかけた意見が、先日の日本経済新聞に出ていました。ちょっと面白いと思ったので、ご紹介します。(下欄に全文を添付しています。)

 指摘されている疑問点は次の三つです。

 (1) 「将来に対する不安」は以前からあった。今回の不況だけの特徴ではない。

 (2) 不安を抱いて当然の状況にあるので、不安を持つことは「正しく」、また「必要な」ことだ。正しい不安は自己改革のテコになる。

 (3) 先送りや楽観論で「不安感」だけを取り除いても、弊害が出るだけで、問題解決にはならない。

 これを読んで私は、15年前に聞いた関本忠弘さん(当時NEC社長)のことばを思い出しました。関本さんは1986年10月、姫路商工会議所で開催された講演会で、「将来に対して、不安を上回った形で夢と希望を持ち得たとき、経済社会は活性化する」とおっしゃいました。

 私はこれをヒントに、次のように考えました。

 そうだ、将来不安は悪玉ではない。意欲的な試みにはリスクや不安はつきものだ。ケネディの「アポロ計画」にも不安はあった。しかしそれを上回る大きな夢と希望があった。今の日本には、不安だけがあって夢と希望が無いのだ。それが問題なんだ。

 関本さんの講演は、「経営者の役目は、夢と希望の『旗』を示すことだ。そのためには……」と続きました。そして、「多数決では将来は予測できない。majorityは現在のために、minorityは将来のためにということです」と結ばれました。バブル経済がまだ上り坂だったころのお話です。

 関本さんの「旗を示す」と、昨年どこかで聞いた「show the flag」が、同じ意味なのか、違うのかはよく分かりません。

 みなさんのご意見はいかがでしょうか。

 

将来不安解消論について

(2001/12/28の日本経済新聞「大機小機」より)

 日本経済の長期的な課題というと、ほとんどの人が「将来不安の解消」が必要だと指摘する。「先行きが読めず、将来不安が強まっていることが家計消費を抑制している。政府は雇用対策、空洞化対策、社会保障・医療制度改革などを通じて国民の将来不安を除く必要がある」というのがその主張である。

 本当にそうだろうか。誰もが同じことを主張する時には、その主張を疑ってみることも必要だ。そういった目で見ると、将来不安解消論には次のような疑問がある。

 第一に、これまでも先行きは不透明であり、われわれは将来不安を抱き続けてきたのではなかったか。終戦直後の混乱、貿易・資本の自由化、ニクソン・ショック、石油危機、円高等々のたびごとに、多くの人は将来に大きな不安を持ち続けていたはずだ。少なくとも「将来不安が強いことが現在の日本経済の大きな特徴だ」というような議論は正しくないだろう。

 第二に、多くの人が将来に不安を持つのは「正しいこと」であり、「必要なこと」ではないのか。高齢化が見込まれデフレ経済が続く中で、日本の雇用システム、金融システム、社会保障・医療保険システムは破たんしつつあり、財政赤字も維持不可能な大きさである。国民はこうした問題を正しく感じ取っているからこそ将来に不安を抱いているのではないか。

 根拠のない将来不安はない方がよいが、正しい将来不安は自己改革のテコとなるはずだ。先進国に取り残されたという将来不安は急速なキャッチアップの源泉となり、高エネルギー価格や円高への不安を契機として日本の産業構造は高付加価値化し、企業経営は効率化したのではなかったか。

 第三に、「不安をなくすこと」を政策目標にすることは弊害を生むのではないか。財政にせよ、社会保障にせよ、「国民の不安を」を優先しようとすると、楽観的な見通しを前提にしたり、負担を先送りにしたりしがちになる。むしろ不安が強まるのはある程度覚悟して、正しい実態を国民に知ってもらう方がよいのではないか。

 「将来不安がある」ということ自体は、珍しいことでも困ったことでもない。いたずらに将来不安をあおったり、逆に将来不安を安易に解消しようとしたりして、それを自己改革の原動力にできないことこそが不安なのである。

(隅田川)

 

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