北坂地蔵の由来
2000/03/02
1.相生ライフ 1994年11月20日号の記事
天明2年(1782年)から4年にかけ、干ばつ、虫害等で凶作が続き、同6年には全国的に長雨の後大洪水となり大凶作、同7年には米価が4〜5倍にも高騰した。
相生(おお)の村もこの例にもれず凶作が続き、赤穂藩は生産地に販売禁止令を出したため、漁業主体であった相生は他村からの買い付けが出来なくなった。 米の貸し付けを願い出て許されはしたが、すぐ食べつくす量であった。 遂に村人たちは、大谷町の角谷池の堤に集まり、米屋6軒へ押しかけ家潰し騒動に発展した。
その騒動で逮捕されたのは200人、当時の相生は350軒(古池、壺根、千尋、鰯浜の50軒を含む)で村人は1990人。 半分以上の家が騒動に関係したことになる。
先頭に立ち指揮を執ったとされた九助が、赤穂市尾崎川原で処刑され、相生村から山陽道に出る唯一の公道である北坂峠で獄門(打ち首をさらされる)となった。
村人たちは、九助の菩提を弔うため、天明7年10月10日地蔵尊を建立、村民の信仰はあつく今日に至っている。
2.北坂地蔵の由来を書いた掲示板
3.「相生市史第三巻」(昭和63年2月 相生市教育委員会発行)
第1章第1節に、北坂地蔵の由来が詳しく書いてあります。










