私も残業をほとんどしませんでした
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 1月13日の日本経済新聞で「遠みち 近みち」と題したコラムを読んでうれしくなりました。私と同様の考え方で世に処して、立派に出世をされた方があると知ったからです。その人の名は中村邦夫。松下電器産業の会長さんです。下欄に、そのコラムの全文をご紹介します。これを読んで、自分の生き方に少し自信がつきました。

 「同様の考え方」とは、「残業をほとんどしない」ということです。私は30年間のサラリーマン生活で、残業を(ゼロではありませんが)ほとんどしませんでした。当時は高度成長期で仕事は忙しく、今と違って残業代も割り増しできちんと支払われていました。それで多くの同僚たちは、せっせと残業代を稼いで住宅ローンの返済に充てていました。

 私はそれを尻目に定時で帰宅し、子供と遊んだり家事労働やスポーツ、読書、勉強など、仕事以外のやりたいことをしていました。私にとって仕事は、「生きがい」ではなくて、「生業(なりわい)」でした。管理職(課長)になっても、ほとんど定時で退社していました。工場内診療所の老医師(嘱託)から、「ワシより早う帰るのは違反やで」とエール(?)をいただいたこともありました。

 8年前、52歳でサラリーマンをやめました。老後資金のメドがついたからです。住宅ローンなどの借金をせず、たくわえを金融資産で運用していたことが幸いしました。かけがえのない「時間」を、もっと自分の裁量で使いたいと思いました。住まいは今も「借家」ですが、「晴耕雨読」中心の生活は中村さんよりも早く手に入れました。

 仕事を辞めても、やりたいこと、やるべきことが次々と現れて一向にヒマになりません。それらとほどほどにつきあいながら、あと20年、自分のペースで生きたいと思っています。 

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【遠みち 近みち】  自分を曲げず  特別編集委員 森一夫   (日本経済新聞 2008/01/13)

  「自慢するような話ではありませんが、私は残業をした覚えがあまりないんですよ」。松下電器産業の中村邦夫会長はこともなげに言う。トップに上り詰めた人だから、昼夜の別なく働いたのかと思ったら、そうではないらしい。

 「自分の時間まで切り売りすることはないでしょう」。ごもっともである。海外勤務から戻り、分社の社長になって専務に就任した時には、自ら勤務時間を朝7時半から午後4時半と決めて実行した。

 無駄な会議などをばっさり削り、通常の連絡はメールで済ませた。社長時代も余計な宴会はお断りだった。経営改革を断行して「パナソニック」への社名変更に至る路線をしくと、「このままでは独裁者になる」社長を交代した。

 しかし会長になって日本経団連副会長や日本銀行参与などの役職がどっと増えた。仕事をたくさん引き受けて、忙しいことを自慢げに話す人がいるが、中村さんは趣がだいぶ違う。

 「昔、先輩から『ご多忙中』という言葉をあいさつに使うなとしかられました。忙という字を分解すると、心がなくなるという意味になる。失礼だから『ご多用中』と言いなさいと」

 西洋史家の木村尚三郎さんが書いた「ヨーロッパの伝統余暇」という一文に似たような話がある。

 ヨーロッパでは、お金だけでなく時間的なゆとりもなければリッチとはいえない。日本的に「お忙しいところ」というと「あなたは自分の自由な時間もない、貧しい人なのに気の毒だが」という意味になるそうだ。木村さんはフランス人に、この決まり文句を言ったら、悲しい顔をされ「おまえの言う通り私は忙しい」と返されたそうだ。

 松下電器では、週に何日か自宅で仕事をする在宅勤務制度を試みている。これを利用している男性社員が子供から「パパ、次はいつ在宅勤務なの」とせがまれた。この話を聞いた中村さんは感激した。「親子のきずなが強まったのです」

 自分の生活があって、良い仕事も出来る。仕事と生活を調和させる、いわゆるワークライフバランスは「創造性を発揮する前提条件でしょうね」と語る。「自由闊達(かったつ)に仕事をするのが一番ですよ」

 昇進を重ねるたびに自分を少しずつ曲げて、トップになった時には異様な会社人間になっている人がいる。ビジネスマンとしての中村さんは仕事師だが、「私は晴耕雨読が好きなんです」と言うもう1人の自分を持っている。

 豊かな老後を迎えるためにも、自分を切り売りしない生き方を大切にしたい。
   


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