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2012/01/30
(since:1.Aug.1996)
いじめや差別は、判りきっているが、これはあってはならない悪い事である。
しかし、いけないことだから、止めなさいといえばそれで済むのかというと、そう単純に済むものではない。
教育の現場にあって、同和ホームル ームほど展開の難しいものはない。
なぜなら、これまで多くなされてきたホームルームの展開では、正解はやる前から分かってしまっている。生徒にしてみれば議論の成り立つ余地がないからである。
現在、日本に残されたもっとも不合理かつ深刻な社会問題のひとつである部落問題のいわれのない差別を、その歴史を通じて正しく認識させる重要性はある。
明治の解放令の不完全性から約1世紀の間「見える」差別が温存された。
その解決の具体的方法として昭和40年の同和対策審議会の答申が出されるわけだが、この間の経緯について、それまでの部落差別の実態をデータ(特に行政差別等)とともに詳しく触れるのは歴史的事実を知る上で大切と思う。
しかし、かなり改善された(この点では運動体により見解の相違がある)現状では、生徒に与えるインパクトに欠けるのは否めない。
同対審以後25年あまりの解放運動の成果により、 生活環境の改善はなされたが、貧困からの脱出が必ずしも解決策とはならなかった。
それでもなくならなかった差別の根深さ(むしろ見え難くなったが、心に潜む差別意識の存在)、本質を自分たちの身の回りの何気ない社会現象を考察することにより気づかせるのに次のような指導を試みた。
指導計画(全6時間)
第1次、第2次は、歴史的事実の勉強である。 生徒は、どうしても受け身になるので資料等厳選して出来るだけ興味あるように展開する。
この中で、いわゆる部落差別の実態(結婚差別、就職差別等々)を検証する。
しかし、差別と言う言葉は先行するが、意外にも差別は何かをほとんど理解していない。
そこで、生徒に自分が差別だと思う事柄を自由にあげさせる。(第3次)
そこで、生徒が指摘した差別、不合理と思われる事柄をアンケートにまとめて、全体に無記名で答えてもらう。(次に挙げたのがその時実施した例である。)
次の事柄のうちいわゆる差別事象だと思われるものに○印、そう思わないものに×印を必ず入れなさい。(このアンケートは1990年の本高校2年生のもの。数字%は○の割合)
実施したのが少し前なので、現在では37番や58番のように、それ以後解決したものや適当ではないものもある。
しかし、この結果から見られるように、一口で差別と考えるものも如何に個人差がおおきく、勝手な判断がなされているかが判る。
これは、27番の国会議員の不逮捕特権のように理解不足からくるものも一部あるが、差別と認定する基準が明確になっていない事から生じていると考えられる。
そこで、これらの中から何が本当の差別で、何が差別でないのかを、何を基準に判定すべきかを考えさす。
(これは、意外に難しい。大人の間にもこの点は明確にしている人は少ない)
差別の本質が分からなくて、差別を無くせといっても個人個人、勝手な答が出てきて混乱するのは当たり前であろう。
僕自身は、次のような見解を持っている。 「差別の本質は、生れながらに、本人の意思とは関わりなく有している(属している)事柄により、不利益を被る事」である。
不利益を被る裏には、当然利益を享受する場合がある。本当は、この視点が大切である。
一部が、利益を享受し続けるためには、もう一方には不利益を押し付ける構図が必要である。
差別の問題が、建前では、判りきったようにいけない事と認識しながら、本音では改まらないのはこの点にあると思う。(同和教育を熱心に推進している人の中にも、親のコネを使って就職している人や、結婚時は自由恋愛を否定し、家同士の見合いを結婚を認めている人を知るにつけ、この問題は根深い)
例えば、被差別部落の就職差別の裏に、1番のようなコネが存在する。 その地区で(この親から)生れたと言う、本人には何の責任もない事で選別されるのは、紛れもない差別である。
しかし、親のコネで就職するのはどうであろうか。 理論的には本人の預かり知らぬところで判断されていると言う点で、両者は全く同列同質であろう。
現代社会では、このような明快な判断が受け入れられるだろうか。 親が子を思ってする行為を全て否定すれば、現代の社会は多分崩壊するであろう。(遺産相続なども同質の問題である)
問題を整理し突き詰めていけば、この問題が社会制度の根幹にも関わってくる、とてつもなく大きなものである事に気づき出すであろう。
51番から56番に至る質問の答を見て見ても、 こういった人間の深層に関わる意識変革の難しさを思わずにはおれない。
「差別の本質は、生れながらに、本人の意思とは関わりなく有している(属している)事柄により、不利益を被る事」である。と言う事に関して少し理屈の諸君は「素質」を問題にするであろう。
彼らにとって切実な、いわゆる頭の良し悪しは先天的なものではないかと。従って、それに由来する諸々の事はすべて差別事象だと言う論理も成り立つ。
おおよそ人の能力には、知的であれ運動であれ明らかに差がある。 それは素質の部分と本人の努力によって差が出来る。
学校現場での建前は、劣等感を抱かせないようにという配慮から、いわゆる成績の順番を公にしないことになっている。
運動会にあっては、順番が明確になる徒競走を止めてしまったところもある。
これらの処置は、或る段階での試行錯誤の一つと思うが、現実離れをした、少し無理のある選択であろう。
成績にあっては、本音のところでは偏差値が幅を利かしているのは事実である。
アンケートの結果も、3番、7番、38番とこれに関連する設問では、差別と認識していない割合が圧倒的に多い。
問題を孕んでいるとはいえ、後天的な努力も否定してしまうと、社会が成り立たなくなるのも事実であろう。
人の能力差についての見解は、僕なりには持っているがここではこれ以上深入りはしない。
アンケートの見ると、これらの他にも単純に結論を出せない実にさまざまな事柄があることが判る。
見方を代えれば、これらの不合理、理不尽がこの世の彩を形成しているとも言える。社会は限りなく未完成である。
未完成さを楽しんでいては、現実に差別を被っている人達から非難を受けよう。
しかし、年を重ねるにつれ感じようも変わってくる。
我々世代は、東西冷戦構造で固定された閉塞状況にあって、個人の力の無力さをいやというほど思い知らされた 。
それが、ソ連の崩壊という予想もつかない事を目の当たりにしそれ以後の、世界の変貌ぶりは歴史は動いている事を実感させられた。
あれほど強力な権力も、滅ぶ事があると言う事を経験できたのは幸せである。
また、ベトナム戦争以後のインドシナの情勢、とりわけカンボジアの悲劇と王政復古、またパーレビィを倒したホメイニのイランの中世復古革命等を見れば、歴史は真っ直ぐには進まないことも判った。
早すぎたワイマール共和国の出現が、ヒトラーの活躍を招いた事は、知識としては知っていても現実感がなかった。
歴史の流れを決定づける最も有効なものは何なのだろうか。 権力を構成する最小単位は個人であるので、その個人の意識を変革するものこそが真に歴史を動かす根本原因であろう。
少し話は大きくなりすぎたが、反差別人権闘争も同じだと思う。 同対審以後一定の成果が得られたと思うが、現況は厳しい。 差別事象や言葉狩りを、もぐら叩きのように糾弾していっても、これから先、そう成果は得られないと思うのは僕だけではあるまい。
一部には行き過ぎた運動が、却って歴史を揺り戻すきっかけにならなければと危惧する場合もある。
人間の絶え間ない意識(心)の改革に重要性な働きを与えるものに、僕は科学技術の役割が大きいと考えている。
我々の子供のころは、第2次大戦において原爆を筆頭に、科学技術が人類に果たした破滅的役割があまりにも大きすぎて科学技術の果たす肯定的役割を見る事に欠けた。
パグウォッシュ会議をはじめ、科学技術の危険性を論じるのが主流となってしまっていた。(今も続いている)
ベトナム戦争ではアメリカの圧倒的な技術力がベトナムを焦土とかすのを見て、また水俣病をはじめ公害が人々を苦しめる様を目の当たりにして、我々の世代は、研究室にいる事が罪悪のような感覚に陥った。そうして居た堪れなくなり、本を捨てデモに繰り出したわけである。
その結果がどうであったのか。ほとんど何の成果も得られず挫折感だけが残り、勉強する、若い貴重な時間を失った。
オウム事件で優秀な理系の諸君が多く関わっていて、世間を驚かせたが、 彼らも、科学の肯定的な役割をしっかり教えられなかった犠牲者と思う。
カルビンの予定説が人々を教会の呪縛から解き放ち、職業と富の肯定が、その後の資本主義、民主主義の発展に寄与したように、科学技術発展が歴史に及ぼす積極的肯定の論理が必要とされている。
(事実は、既に大きな役割を果たしているがそれを体系的にまとめ人々に認識させる)
科学が人々の意識変革にどれほど大きな働きを持ったか、2〜3の例を挙げてみよう。
一つは、通信手段の発達である。 百間は一見にしかずというが、先の湾岸戦争ではリヤルタイムで茶の間に飛び込む映像が、ベトナム戦争と違い泥沼化にならなかった。
テレビや電話による交流、交通手段の発達による人々の直接交流はお互いの理解に多大な貢献をしている。
また、宇宙開発は我々の住むこの惑星が、全く薄い気体で覆われている事を一枚の写真で見せてくれた。
この事は、自動車の排ガス問題やフロン規制が、資本の論理を超えて速やかに国際的にコンセンサスが得られるた。 多分、宇宙から見たあの写真がなければ何万人のデモがあってもこうスムースには行かなかったと思う。
これらは、幾多の科学者が関わって人類が得た巨大技術があってこその成果である。
これからは、一人の偉大な哲学者が人々の意識を変革するのではなくコンピュータ、遺伝子組換をはじめさまざまな科学技術が人々の意識を根底から変革していくのに違いない。
(実は、これは昔からそうであった。今までは、哲学者や歴史学者が変革された現状を巧みに説明したに過ぎなかっただけだといえば少し言い過ぎかな)
ちょっとおお風呂敷きになって、一体どこで同和教育と関係があるのかとお考えの方に、最後に、象徴的な出来事を記載して僕の答としておこう。
「最初の一日か二日は、みんなが自分の国を指差していた。三日目、四日目は、それぞれ自分の大陸を指差した。五日目には、私たちの念頭にはたった一つの地球しかなかった。」
これは、チャレンジャーに乗った国際クルーの一人サウジアラビヤの宇宙飛行士の言葉である。
(地球/母なる星 …小学館)
人々の意識は時代の進化の程度に規定される。 時代の進化を行なうのは、科学技術の進歩である。
技術者も、その研究を通じて見え難いかもしれないが、大いに社会変革に寄与していることを自覚すべし。
(これは、同和教育の公開ホームの原稿を元に書いた。全員が理科系志望のクラスである)
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