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塩酸の名称についての疑問

 

 科学分野の日本語用語の多くは,西洋科学技術の移入時の和訳による場合が多い。その為に,質量作用の法則(low of mass action)や,限外濾過(ultrafiltratoin)等日本語からはそれが何を意味しているのか専門家にしか判らない様な「迷」和訳も少なくない。当たり前の様に使われている「塩酸」も,そういった例の一つに挙げられるべきではないだろうか。

塩酸,硫酸,硝酸は,初等中等教育課程理科で学ぶ代表的な酸である。化学的分類では,硫酸と硝酸はオキソ酸で,塩酸はそれらとは異なり水素酸である。しかし,日本語表記の類似性から塩酸,硫酸,硝酸は仲間だと思い,その違いを知っている人は案外少ない。

この責任の多くは「塩酸」を誤訳したことによるものと考えられる。英語では種類別に系統だって命名されているこれらの名前が,何故か日本語では以下に示す様に不統一に誤訳されている。

オキソ酸は,

HClO3Chloric acid  塩素酸   H2SO4Sulfuric  acid  硫酸    H3PO4Phosphoric  acid リン酸  HBO:Boric acid 硼酸    HNO3Nitric  acid 硝酸     H2CO3Carbonic  acid 炭酸 であるのに対し

水素酸は,

 HClHydrochloric acid 塩酸   HBrHydrobromic acid 臭化水素酸  HIHydriodic acid ヨウ化水素酸となっている。

 

「塩酸」という名称は,むしろHClO3 Chloric acidに対して付けられるべき和訳で,HClは塩化水素酸とするべきであったのではないか。

先に,HClの方に間違って「塩酸」と名を付けてしまったので,HClO3 Chloric acid の方にまで影響が及び,不統一な塩素酸という名が付いたものと推察される。

99/02/26

塩酸の命名の起源についての一考察

Hydrochloric acidが、和名では何故「塩酸」なのか。Hydrochloricを直訳しては「塩」という当て字が出てこようがない。英語名の対応から言えば、オキソ酸のChloric acidにつけるべき名称が、水素酸のHydrochloric acidに対してつけられている不思議に魅せられて、文献を追って行くと、その起源は、遠くラボアジエまで遡り、西洋化学発展の経緯と、西洋化学の日本への移入時の事情がこの名称に隠されていることが分かったので報告する。

「塩酸」という名称が見られるのは、1840年頃に宇田川榕庵が著した『舎密開宗(せいみかいそう)』(巻六 第百十六章)である。宇田川榕庵は果たして翻訳原本のどのような単語を「塩酸」と訳したのだろうか。

『舎密開宗』の翻訳原本は何なのか。現在手に入れることのできるまとまった研究書としては、昭和58年5月8日、講談社から、田中実らによる「舎密開宗復刻とその現代語訳・注」と、ともに発行された『舎密開宗研究』であろう。この中に収録されている坂口正男氏の論文“舎密開宗攷”によると、榕庵が自身が「開宗」序例の中で、“この本のもともとの原書は1801年に初版が発行されたイギリス人 ウイリアム・ヘンリー(William Henry1775-1836)のAn Epitome of Chemistryの第2版で、これをドイツ人 トロムスドルフ(J.B.Trommsdorff1770-1837)が増補翻訳したもの(書名 Chemie fur Dilettanten)を、さらにオランダ人のイペイ(Adolf Iipeij)が転訳した『初学者のために書かれた化学の入門書』(Leidraad der Chemie voor Beginnennde Liefhebbers)を邦訳したものである。”と記述されていると紹介されている。この序文は天保七年(1836年)に書かれて天保八年から弘化三〜四年にかけて出版されたといわれている。したがって、『舎密開宗』の翻訳原本はオランダ人イペイの転訳本であるが、究極の原本はイギリス人 ヘンリーの著書ということになる。しかし、中間訳のドイツ人 トロムスドルフは、ヘンリーの本を単にドイツ語訳したのみならず、トロムスドルフ自身の著作といってもよいほどに自ら内容を書き加えている。実は、「塩酸」という訳語が日本に残っているのは、このトロムスドルフの存在が大きかったのであるが、理由は後ほど述べる。

原著、ヘンリーが書いた本は、近代化学成立に多大の貢献をしたラボアジエの化学体系を基に書かれている。ラボアジエは1774年「質量保存の法則」を見出し、燃焼におけるフロギストン説を打ち砕いて近代化学の礎を築いた人物である。これ以前はいわゆる錬金術師の時代で様々な物質に対する知見が蓄積されそれなりに体系化されていた。

フランス革命の後、これまでに蓄積されてきた物質に関する知識を整理統合する動きが出てきて、化合物の命名法を改革させようとする企てがラボアジエやベルトレーたちの間で起こり、その結果は「化学命名法」という表題で1782年に公にされた。1789年にラボアジエはこの命名法を含む脱フロギストン説に基づく当時の化学知識の集大成を「化学概説」として表した。この概説の内容がヘンリー本のベースになっていたのである。

「化学概説」に掲げられたラボアジエの元素表には、ラボアジエの見解によって元素を4群に分けている。ここでは詳しい内容は措くとして、ラボアジエはフロギストン(燃素)説を打ち破ったが、それまでの化学反応が全てフロギストンにより体系付けられていたのを引き継ぎ、フロギストンの代わりに酸素をその中心に置いて、元素を酸素との関係で分類したのである。

その中の2群に、酸素と化合して酸を生じるものがあげられている。ラボアジエは、酸素Oxygenの命名者でもあるが、この語源は酸を作るもの([語源] oxy-(acid [])-gen(…から生じたもの)という意味で命名したことは有名である。すなわち、酸性を示すものは全て酸素を含んでいるものと考えていた。当時、酸性を示す物質は6種類知られていたようで、それらの元素を第2群に分類している。ただ、この当時には、元素として認識されていたものは、イオウ(対応する酸は硫酸)、リン(対応する酸はリン酸)、炭素(対応する酸は炭酸)3つで、ホウ酸、フッ化水素酸、塩酸は完全に単離されておらずその元素は未定で、ラボアジエの元素表にはそれぞれ、Radical boraciqueRadical fluoriqueRadical muriatiqueと記されている。Radicalというのは酸素と化合して酸となる基(元素)という意味である。ホウ酸の未知の元素をRadical boraciqueとして、ホウ酸をその酸化物としたのは正解であったが、塩酸、フッ化水素酸も未知の基の酸化物としたことは後世に混乱を残し、これから解き明かしていくように、日本語表記における塩素に関する化合物のずれの遠因になっているのである。

塩化水素を最初に発見したのは、1772年、イギリス人のプルーストリーで、彼は「酸の空気」と命名した。しかし、この命名は広まらなかった。それは、当時化学の中心はイギリスではなく、ラボアジエのいるフランスであったためであろう。ラボアジエたちが注目したのは、1652年、ドイツ人グラウベルが、海塩に硫酸を注いで蒸留して得た発煙海塩精の方である。当時はその成分を同定はされなかったが、ラボアジエはこれを酸素と未知元素から成る物質と考え、ベルトレーはこの未知元素を仮にmuriatiqueum(現在の塩素に対応する)と命名し「化学命名法」に記載したのである(この解説は、舎密開宗 116章に詳しい)。したがって塩酸はフランス語でacide  muriatiquemuriaはラテン語で海水の意味)と表記された。英語表記ではmuriatic  acidになる。和訳すれば海酸であろうか。海水から得られる酸という意味である。

果たして、「舎密開宗」の究極の原本に当たるヘンリーの本、An Epitome of Chemistryは、ラボアジエの「化学概論」を参考にして書かれているので、塩酸はmuriatic  acidと表記されている。だから、ここからは「塩」という和訳は出てこないはずである。ところが、トロムスドルフによってドイツ語に訳されたものを、さらにイペイ(Adolf Iipeij)によってオランダ語に転訳し、『舎密開宗』の和訳原本となったLeidraad der Chemie voor Beginnennde Liefhebbersには、Zoutzuurと表記されている。オランダ語zoutは英語ではsalt  zuuracidである。したがってzoutzuurは直訳して塩酸ということになる。宇田川榕庵はオランダ語を日本語に直訳しただけであることが分かる。

muriaticが翻訳過程のどこで、何故、saltに変わったのだろうか。オランダは化学において後進国であったと思われるので、イペイが転訳したとは考えにくい。これは、トロムスドルフの仕業であろうと考えるのが妥当だろう。トロムスドルフ本を手に入れる術も能力もないので直接確かめることは叶わないが、先に述べたように、トロムスドルフは第2版の発行においては、その序で、“3年前に発表した初版に比べ,ある部分は本文を書き直したり、新しい発見や知見を書き加えた”ことを書き記しているように、化学的知識に長けていたトロムスドルフの独自の判断でsalzsäure に意訳したものと考えられる。

Saltはサラリーの語源であるように古代エジプト時代から知られていた物質である。多分これは岩塩であろう。しかし、錬金術師の時代、海の水を蒸発乾固して得られたものが、食塩であることは同定されていなかったので、この物質には“海水からとれたもの”という用語を使っていたと考えられる。ところが、ヘンリーのAn Epitome of Chemistryの第2版を、ドイツ人 トロムスドルフがドイツ語に翻訳した時点では、海水から取れたもの(muriatic)が、(食)塩であることが分かってたので、彼は、新しい知見を入れて、原本のacide  muriatiquesalzsäureと意訳したと考えるのが妥当だと思われる。イペイはドイツと同じ言語圏のオランダなので、ただ単にドイツ語をzoutzuurと直訳しただけだったのだろう。また、宇田川榕庵も同じく、オランダ語を直訳して塩酸と命名したであろうことは想像に難くない。

現在塩素の元素記号はClであるが、塩素の発見の過程も化学史的に興味深い。ラボアジエの時代のacide  muriatiqueはその実態が不明であったのは前述の如くである。ラボアジエは酸は全て酸素を含んでいるものと考えていたので、acide  muriatiqueも酸素を含んでいるものと考えていた。そこで、ラボアジエはacide  muriatiqueから酸素をとったものをRadical muriatique(海酸基)と名付けたのである(「化学概説」)。日本語に直訳すれば,海酸の基であろうか。

単体塩素についても『舎密開宗』から面白いことが分かる。『舎密開宗』巻六 百二十一章、百二十二章、百二十三章には酸化塩酸ガスなるものが出てくる。“色は深黄色で臭気激しく、嗅覚を刺激し、呼吸をふさぐ云々”とあり、酸化塩酸ガスは塩素ガスのことであることが分かる。これは、「化学命名法」に則った名称である。

『舎密開宗』巻六 百二十一章にも製法が書かれているが、“酸化塩酸は、1774年シューレ氏が塩酸に酸化マンガンを加え蒸留してこれを得た。”と書いているように、塩酸を酸化して出てきた気体だったからである。ラボアジエの考えでは、Radical muriatique(塩素元素)を酸化したものが、acide  muriatique(塩酸)で、これをさらに酸化したので、ラテン語の名称が、Acidiumu Myriaticiumu Oxygenatum ヘンリー本の英語ではOxygenated Murinatic Acide、イペイのLeidraad der Chemie voor Beginnennde Liefhebbersのオランダ語ではOverzuurd  Zoutzuurとなっている。先に述べたようにラボアジエの時代、酸とは酸素を含む化合物であると考えていたので、塩酸もオキソ酸と考えていたからである。

実は、塩素の単体をはじめて分離したのは1774年で、フロギストン説の大家、ドイツのシューレである。1774年は、ラボアジエが質量保存の法則を発表した年である。ラボアジエの化学概説は1789年であるので、1774年はまだフロギストン説が支配していた時代である。だから、シューレの発見した気体(塩素)には、単体とは認識されてなく、フロギストン説に則って脱燃素海酸(dephlogicated marine acid)となずけられた。ラボアジエらによってフロギストン説が否定されてしまうと、ベルトレーはこれをラボアジエの説に則って、単体ではなく酸素の化合物、オキシ海酸(acide muriatique oxygene)として命名した(ムリアテイックム学説)。しかし、1812年のヨウ素の発見に続く、ヨウ化水素酸の研究やシアン化水素酸などが研究され、これらが酸素を含んでいないのに酸性を示すことがわかるに及んで、権威であったラボアジエの「酸の酸素説」が崩れてしまった。海酸(muriatic acid)やオキシ海酸(acide muriatique oxygene)から、いくら実験をしても酸素を検出することはできないことを知っていたイギリスの化学者デーヴィーは、塩酸もその類似性から水素が主体の酸であると断定した。そして、それを酸化して得られたオキシ海酸(acide muriatique oxygene)は元素(単体)と考えた方が妥当であると考え、1810年、これにクロリン(chlorine)と名付けたのである。塩素の英語名はchlorineで語源はギリシャ語のchloros−黄緑から由来している。これは単体ガスの色に因んで付けた名称である。

デーヴィーによる塩素の再発見より、ラボアジエの元素表によって企画された命名法の根拠が崩れたことにより、西洋では新たな命名法を決める機運が高まった。スウェイデン人、ベルセリウスは1811年に、化合物を定量的に示す新たな統一命名法が提案したが、この時、塩素については、デーヴィーの命名を尊重して決められたのは当然であろう。

現在、塩素の元素名はデーヴィーの命名のchlorineに基づいて命名されている。英語以外の表記は、chlore(仏)、Chlor(独)、cloro(伊・西)、Chloor(オランダ)と、ほとんどの国でchlorineに対応した表記である。漢字の国 中国では「と書くが、これも緑の気体と言う意味であることは漢字の形から想像できる。

一方、HClについては、英語表記はhydrochloric acidは、ドイツ語ではsalzsäureオランダ語ではhydrochloric zuur  フランス語ではacid chlorhydrique  イタリア語でacido chloridricoである。元素名の場合と異なり、ドイツではsalzsäureとトロムスドルフの表記を現在も使っているのは興味深い。これには、塩素の最初の発見がドイツ人シューレであるのに、成果はイギリス人のデーヴィーに持っていかれたことに対するドイツの拘りがあるのかもしれない。因みに、「海(塩)酸」に対応する語は、英語はmuriatic acidはドイツ語ではmuriatishe säure イタリア語ではacido muriatico と現在も辞典に残っているが、 オランダ語ではzoutzuur  しかなくmuriatic acidに対応した用語は無い。これは、化学後進国のオランダに紹介されたときには、既にドイツで意訳されたsalzsäure としてしか伝わらなかったことを示しているのではないかと考えられる。このことからも、muriatic acidを塩酸(salzsäure)と意訳したのは、ドイツのトロムスドルフであることを裏付けるのではないだろうか。そして、もともと翻訳化学しか無かった化学後進国のオランダでは、zoutzuurにこだわるさしたる理由も無いので、さっさと合理的な1811年の統一命名法に切り替えてしまったのであろう。しかし、中国では1811年の統一命名法に則した「酸」(は中国語の水素)が使用されるが、俗称として「酸」(は中国語の塩であるが)も使われているようである(中国化学教科書)。理由は日本の場合と同じような翻訳移入過程があったためと考えられる。

 このようにして見ると、Clの読み方に関しては、日本だけが極めて特殊なものであることが分かる。その理由は、「塩酸」がオランダ語Zoutzuurの和訳で、Zoutzuurの起源はsalzsäureを経てacide  muriatiqueにたどり着く、そしてRadical muriatiqueが塩素となったわけである。このようにラボアジエの時代の「化学命名法」に則りつけられた名前を採用した形になっているからであることが分かるだろう。 オキソ酸のChloric acidにつけるべき命名が、水素酸のHydrochloric acidにつけられたのは、Hydrochloric acidがオキソ酸だと考えていたから、当然だったのである。

日本と同じく、ウイリアム・ヘンリーの本を翻訳していたドイツやオランダを始め、ほとんどの国では、ラボアジエの時代の「化学命名法」の誤りを修正した、ベルセリウスの統一命名法に改め、chlorineの新命名法を採用しているのに、一人、日本だけが塩素とラボアジエの海酸基時代を引きずった形になっている。これは、日本の近代化学成立過程において、宇田川榕庵が著した『舎密開宗』の存在が大きかったことと、日本が漢字表示で、chlorosに対応する良い訳字がなかったこと、日本は出来上がった権威に対しては科学者とて例外ではなく、従順であるという国民性にもよるのだろうか。(補1、2)

 

補1:『舎密開宗』はオランダ人のイペイ(Adolf Iipeij)が転訳した『初学者のために書かれた化学の入門書』(Leidraad der Chemie voor Beginnennde Liefhebbers(『舎密開宗』では「依氏舎密」という))を中心に邦訳されているが、実はそれ以外にも1788年の「葛氏舎密」から1827年の「蘇氏舎密」に至るまで、20数冊オランダ翻訳本を参考に書かれている。この頃は、現代化学史にとっては錬金術の時代から脱皮し、近代化学誕生の革命的な時であった訳である。「蘇氏舎密」はスマルビエルク(F.van Catz Smaallenburg)著 Leerboek der Scheikunde.3 vole のことで、この本には、デーヴィー以後の知見が収められていた。宇田川榕庵はこれらの参考書によりヨーロッパにおける化学革命の事情をかなりな程度知っていたので、『舎密開宗』には必要に応じてそれらの参考書からの知見も併記している。たとえば、先にあげた巻六 百二十一章の酸化塩酸瓦斯の章では、“蘇氏舎密によれば1774年シューレ氏がはじめて塩酸に酸化マンガンを加え、蒸留してこれを得た。その時はこれをフロギストンを失った塩酸とみなして、脱フロギストン塩酸と名付けた。その後、ベルトレはミュリアチキュウムのさらに酸化したものとして、過酸塩酸と命名した。近年、ゲー・リュサックとテナールは、その酸素を分離しようと考え、あらゆる手段を尽くしたが、ついにこれを得ることができなかった。これによって、この瓦斯は、酸素を含むものではなく、純粋な一元素であるとして、この元素をスロリン、またはスロニウム(ここは黄緑素と訳す。原語はこの色に因む名前である)と名付け、デーヴィー氏はハロゲニウム(ソウト・ストフ=塩素)とな名付けた”と、シューレの塩素の発見からデーヴィーに至る再発見までの経緯を詳しく紹介している。ここではスロリンは蘇魯林と表記されているが、chlorineがオランダ語ではクがスに発音されるためである。宇田川榕庵にとって、当時はまだ新説で合ったため、単に紹介だけに止めている。

補2:武 修次さんから塩酸に関しては、大阪舎密局の『明治五壬申六月改、試薬掛、理学所御備試薬品目録』の中に  (亜砒酸 日本産  中一   同溶液      小一    同塩化水素酸溶液 同一)というような記述があるという指摘を受けました。塩化水素酸という訳語が明治時代にはあったようであるが、一般化はされなかったようである。
(『大阪舎密局の史的展開 京都大学の源流』、藤田英雄、思文閣出版、1995年)

 

 参考文献

宇田川榕庵 「舎密開宗」

坂口正男 「舎密開宗 研究」講談社(1975)

田中実校注 「舎密開宗 復刻と現代語訳」講談社(1975)

久保昌二 「化学史」白水社(1969)

 

 

この章は、武 修次さんから、以下のようなご意見を頂き、原文から「明治
以後の」を削除いたしました(2004年8月15日
)が、その際、もう少し詳しく調べてみようと思い書き足したものである。

インターネットで検索してみると、中村学園さんのHPに『舎密開宗』が全文掲載されているのを見つけ(http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/yogaku/seimi/index.htm)、パラパラ読んでいくうちに『舎密開宗』にだんだん引きずり込まれていきました。語源を調べるのには、ラテン語、ドイツ語、英語などの辞書が必要になりましたが、これもネットから便利な翻訳サイト(http://dir.kotoba.jp/)を見つけ利用しました。

武 修次「塩酸の名称についての疑問」というタイトルで、「塩酸」を明治
以後の西洋科学技術の移入時の和訳の一例とされています。しかし、
1840
年頃に宇田川榕庵が著した『舎密開宗』に塩酸の名称と解説が
あります。榕庵は、塩化水素(注:これは塩素の誤り)を「塩酸瓦斯」、塩素酸を「酸化塩酸」
と呼んでいるようです。(ざっと読んだだけなので読み間違いがあ
るかもしれません)
 この本の解説を見ると、塩に硫酸をかけて作るから単純に「塩酸」
と名付けたように思えます。先ずは重要度の高い塩酸から始めて、
次に塩酸から作られるものへと名前を付けていったのかなあと思い
ますが、如何でしょうか?」

2004/12/26

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