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2012.05.07

菊菜の花の不思議発見

2012.05.03

3.11以後 原発をどうするか

2011.04.24

3.11大地震以後

2011.04.04

八重椿の花の突然変異

2011.01.16

ドライアイスの白煙のこだわり

2011.01.05

翻訳用語:化合、化合物について

2010.12.24

ドライアイスの白煙のこと

2010.08.23

ツクツクボウシはいつ鳴くの?

2010.08.15

あるデータからー

継続することの大切さ

2010.08.12

ホメオパシー (Homoeopathy)

2010.08.08

面白い比較試験

2010.08.07

ずっと昔?

2010.08.05

ある20号

2010.08.03

twitterのこと

2010.05.22

救急救命

2010.05.10

平城宮跡

2010.05.09

同窓会

2010.04.29

blog再開

(since:1.Aug.1996)

 

菊菜の花の不思議発見 2012.05.07

 

 庭に作った小さな家庭菜園で菊菜を栽培しました。食べきれなくて残った菊菜は茎を延ばし花を付けました。綺麗な花です、初めて見ました。 ところがこの花不思議です。夜になると花弁が反り返ってしまいます。朝、太陽の光が当たると元のように戻ります。 陽が沈むと花が閉じる例はありますが、反り返ってしまうのは寡聞にして知りません。不思議な花です。

 

補足:前から、夜反り返った状態から、続いて、朝、花が元に戻るまでの観察です。太陽の光に反応しているようです。

 

 
3.11 以後、原発をどうするか 2012.05.0303

原子力発電の今後について

  3.11、福島の原子力発電の爆発事故のあと、 この5月5日をもって日本の原発の全てが停止する事態になるが、この国で原子力発電を今後どうするべきか考えを整理してみた。
今後の対応については次の3通りが考えられる。
1 原発を安全性に注意しつつ今後も稼働し続ける。
2 原発は再稼働無く全廃する。
3 地熱、風力、太陽光発電、スマートグリッド等新しい電源開発を進め、可及的速やかに脱原発を目指す。それまでは足らない分だけ、現在安全が確認できた原発のみ限定的に使い続ける。                                                                      1と2の選択肢は結論は正反対になるが、本当のところは紙一重の相違でしかないのではないかとさえ思える。3は2の妥協案。
原発の問題点は、ことここに及んで絶対に安全だと言い切れる人はいないだろう。ただ、事故の起こる確率をどう斟酌するかである。経済のことを絡めてくるとこの確率の感じ方は180度に判断が分かれてしまうのである。容認派は、いつ起こるかわからない将来の危険の可能性より、今日の飯(電力の安定供給)の方が問題だという立場になる。
 反対派の立場としては、地震は今後も絶対起こり、人間の作った機械は絶対壊れるものだから、原発がある限りまた事故は何れ起こる。もう一度事故が起こればその時は本当に日本が沈没してしまうという強い危機感をもっている。
 反対派の立場としては、使用済み核燃料の処理の問題もある。これは確率の問題ではなく、このまま原発を稼働すれば確実に増えていくもので、その処理としては今のところ未完成で、原子炉建屋にただ水で冷やして保管してある。最終的には、今考えられているところでは、地層処分しか方法はない。これとて、長い地球の歴史を考えると、大陸ですら移動する訳だから地層に埋めても永遠に安全でないというのは100%正しい。原発技術がトイレのない家に例えられる所以である。
 原発容認派には、今後の事故の可能性が、脱原発派には、安定した電力の供給保証がそれぞれのアキレス腱になっている。これらの値はそれぞれ今後に変わりうる事象だけに、将来を見越した判断をしなければならない今にとっては、悩ましい限りである。
僕としての見解は、飛行機の墜落事故確率が技術の革新によって飛躍的に減少したように、原発事故確率も経験を経て今後事故確率は低下はするとは思うが、確率はゼロにはならないのも科学的には正しい見解である。原発事故はその結果の及ぼす影響がとてつもなく大きな事象なので国土の狭いこの日本においては今後は絶対に起こってはならない事故であるが故に、1の選択取りえないだろうと予測する。ただ、2、3の選択をした場合の代替えの技術展開の可能性によって若干事情は変わりうるだろう。
 この方面の技術情報は、3.11以後我々の前に提示される機会が多くなってきた。太陽光発電や、スマートグリッとなど、原発の陰で隠れて(されて)いたものがどんどん表に出てきているが、現状では、原発の穴を埋めるだけの信頼感は国民全体には共有されるまでには至っていないのが現状である。原発に変わりうる電源の可能性については、地熱発電、風力発電、波力発電、太陽光発、水力発電などが考えられる。これらからの供給力を増加させることが近々の課題となろうと思われる。
 早急のつなぎの電源としてはガスタービン発電が優れていると思うが、政府に望みたいのは、これらも含めて原発穴埋の電源予想のデータ、試算を国民の判断資料として早急に示してもらいたいと願う。  現実的選択としては、脱原発を目指すが、当分は原発を容認するという3案がよさそうに思える。政府が急いでいる大飯原発の再稼働はその流れにあるのかなと思ったりするが、現実は、かなり厳しい事態にある。反対派は、これをきっかけにずるずると脱原発が反故にされてしまうのではという疑心暗鬼があるからである。3の選択肢を選ぶ場合には、将来にわたっての脱原発を明確に担保されなければならない。今の内閣ではそれが蔑になっている。彼らが何を考えているのか解らないところが混乱の原因になっている。
政府中枢そのものが、実はどうするべきか確信が持てていないのかもしれない。確かに、国民が意見が分かれているように、誰がやっても脱原発、原発依存 の選択を決断するのは難しいと思う。
 こと、ここにいたっては、国の将来に大きく関わることであるので、十分問題点をお互い闘わせた後。国民投票によって決めることもありかなと思ったりする。
3.11 大地震以後 2011.04.24
  大きな天変地異は歴史の流れを変えることが多い。3.11の東日本大地震は日本の、いや世界の歴史に影響を与えることは必至であろう。
MG9の大地震、自宅の2階でパソコンに向かっている時に遭遇した。それはゆっくりとした長い揺れであった。こんな揺れを体感したことはない。とっさに予想されていた大地震が来たなとその瞬間思った。階下のテレビに映し出されたその後の実況は想像を絶する大津波の来襲映像、これはフィクションではないが、フィクションのような現実に驚愕した。
とんでもないことが起こっている! 震えが止まらなかった。
 結果的には、日本有史上最大の大地震、その体験者になってしまったのだ。
天罰だといった馬鹿な政治家がいたが、この地震の付録で起こった福島原子力発電所の「想定外」の被災は、これから原発依存を高めようとしていた矢先に天が冷や水をかけたことは確かである。
被災に会われた人々には言葉はないが、別の見方をすれば、こんなことでも起こらない限り原発の危険性は一部の人たちは分かっていたとしても、人々に認識されず、計画通りに不完全なこのシステムが世界中に広がっていく既成事実が進行したと思われる。
そのあとでは取り返しがつかないことになったはずと思うと、偶然とは思えない歴史の意志(神の采配)を感じる。

 

  最近書かれた(編集された)2つの資料がある。一つは2010年に文部科学省と経済産業省・資源エネルギー庁が共同で作成して発行した原子力教育推進のための小、中学校、教師用の副読本「わくわく 原子力ランド」と関連文書である。
もう一つは、岩波書店『世界』2011年1月号の特集「原子力復興という危険な夢」の諸論文である。
前者の「わくわく原子力ランド」の方は、3.11の福島原発事故の後当局で削除されてしまったが、京都女子大小波先生の配慮で以下のサイトで見られる。
http://ruby.kyoto-wu.ac.jp/Files/Dokuhon2010/
  後者の岩波書店雑誌「世界」の記事の方は、3.11以後、社の好意で次のサイトに無料公開されている。http://www.iwanami.co.jp/company/index_i.htmlこの中で、マイケル・シュナイダー/田窪雅文訳「原子力のたそがれ──米・仏・独のエネルギー政策分析から浮かび上がる再生可能エネルギーの優位性」 の内容は今後のエネルギー政策を考えるうえで示唆に富んでいる。特に、削除された原子力ランドと読み比べてみると考えさせられることが多い。
 「わくわく 原子力ランド」は、国策を受けて編集されただけあって、示された資料,解説は平易で分かりやすい。何事も起こらなければ、この教材で洗脳された児童、生徒が大人になったときは、原発は後戻りできない地点にまで行っていただろうと思うと、今回の事故は高い代償を払わなければならないとはいえ、日本の未来にとって良かったと思える。
原発ありきの時は、それ以外の選択肢を力づくでねじ伏せていたけれど、謙虚に見直してみれば、いくらでも知恵が出てくる。それを示唆しているのが、シュナイダー氏の論文である。
3.11の後、一方はWebから削除せねばならない憂き目になり、もう一方は、多くの人の目にふれ、人々に影響を与えるようになる。
 天の意志を感じる所以である。

 

補遺:懸念

 天変地異は時として歴史の悪い転換期にもなりうる。 MG7.9の関東大震災は1923年 その後 治安維持法は1925年 金融恐慌は1927年 第1次山東出兵1927年 柳條湖事件 満州事変 1931年 …真珠湾攻撃1941年 
大震災と政治的混迷、経済不況、このような時には人心は強権力を望むようになる。条件はそろい過ぎている。いまこそ歴史の教訓を忘れてはならない。
八重椿の花の突然変異 2011.04.04

 庭の八重椿に花が咲きました。良く見ると変なんです。花弁の間から雄蕊が出ています。調べてみると突然変異なですね。それも最近発見されたABCモデルという変異。花弁が出来るはずが雄蕊に変異したのです。

   

 

補足:今年(2012年)は、このような現象は見られませんでした。突然変異の起こる原因は気象条件にあるのでしょうか?

 

ドライアイスの白煙へのこだわり  2011.01.16

 文化祭で液体窒素が余ったので、いろいろな液体(有機試薬)を放り込んで楽しんだ。当然どれも白煙が生じます。特にヘキサンを投じたら見事な白煙が・・・・ドライアイスを水に投じたときに発生する白煙そっくり。
液体窒素の沸点は-196℃ この白煙は温度から考えて液体ではありえません、固体微粉末です。                      

 これで、ふと思いついだのですが、共通してみられるこの白煙は光の乱反射なんですね。乱反射するには固体でなければならないんですよ。あの当時、このことには気付きませんでした。
 乱反射は固体でしか見られません。考えてみれば、それだけでドライアイスの白煙は固体の微粉であると結論付けられたのです。
霧(液体)もミュー散乱で白く見えるけれど、乱反射の白色とは質的に異なります。また、霧ならば光の角度によっては屈折による虹が見えますが散乱の場合は虹は見られない。まさに目から鱗です。

翻訳用語 化合 について  2011.01.05

 

  化学用語は外国文献の翻訳の過程で多く作られていますが、化合、化合物という用語について少し疑問に思いました。辞書で調べると、化合は(chemical) combination 化合物はcompoundです。日本語では両者はとても似ていますが、英語では全く違うことに驚きです。日本語では、後者の「化合物」は「化合」が先にありそれに連動した形で作られたものと考えられます。フランス語、ドイツ語、など殆どの言語で英語に対応したものになっています。中国語は日本と同じ「化合」です。
 ところで日本の翻訳化学の原点である舎密開宗には、この用語は出てきません。「化合」する意味のことは「和す」あるいは「和合」となっています。当時は「舎密」と音訳していたのだから、chemistryに対応する化学という翻訳用語がまだ生まれていなかったからだと推察できます。だから、溶庵は「化合」という訳語は思いつかなかったのでしょう。「化学」という翻訳用語は実にうまくできていると思うがいつごろ誰が考えたのでしょうか、知りたくなった。ご存知の方がおられれば教えてほしい。

  

その後:自己フォロー

 いろいろ辞典を調べていたら、化学という用語を日本に導入したのは、兵庫県三田出身の川本幸民であることが分かった。彼は英語に堪能していたが、ユリウス・ステックハルトの 『Die Schule der Chemie』 のオランダ語版を日本語に翻訳して、その際、中国で使用されていた「化学」の語を用いて『化学新書』という名で世に出したのが初めてということらしい。

 中国古来から独自であった単語のなのか、あるいは、西洋の書物の翻訳過程で造語されたものなのか新たな興味が湧いてくるところである。

 日本では対応する言葉が見つからず、宇田川榕菴オランダ語化学を意味する単語「Chemie」を音写して当てた言葉、「舎密」を使っていたわけであるが、これに比して中国ではすでに「化学」を適用していたのは流石、漢字の国、感心せざるを得ない。

 

ドライアイスの白煙のこと  2010.12.24
 

 ドライアイスの白煙の正体については、世間で一般に信じられていた水滴(霧状)ではなく氷微粉末であるという証明をi以前に発表した。当初、結論があまりにも意外であったためにわかには信じてもらえなかったが、奈良理化学会誌に投稿後、日本理化学会の紀要研究紀要 日本理化学協会( 402008pp113117)に採択されたり、数研の出版のサイエンスネットに紹介されたりして徐々に認められるようになってきた。

 僕がドライアイスの煙の正体に疑問を抱いた当時、ネット上で見られる見解は水滴(霧)説であったが、その代表として、学研サイエンスキッズ、科学なぜなぜ110というサイトにドライアイスの煙は水蒸気が冷やされてできた水滴であるという解説があるのを見付けていた。。学研は子供科学誌の権威の老舗、そこが掲載しているからこそ、当時はこれが世間の常識だったと認識した。世間の常識を覆すことに一人で立ち向かうことに身震いを感じたのを覚えている。

 僕がドライアイスの白煙の固体微粉末説を発表してから2年以上も経っているのに、このサイトの記述が変更されていないのは知っていた。科学大好き子供相手のウェブ故、次代を担う子供たちに間違った刷り込みがなされることに懸念はしていたが、わざわざこちらから申し出るのもお節介と思って放置していた。ところが、HPに掲載している僕の論文を読み、認めていただいたある読者から、「やはり、学研さんには誤りを指摘してあげるべきだ」とのご意見を頂いたので、考え直し係りの方に連絡をした。

 僕の結論が結論なだけに、こちらの指摘に学研の担当者は最初は相当戸惑われたようだが、参考論文を紹介してそちらでの検討を依頼した。しばらくたって、論文内容を会社でも鋭意再検討するということで、それまでは一旦このサイトは閉鎖処置をとられた。

 相手は、老舗の子供科学系雑誌の出版社であるだけに、真っ向からの僕の間違い指摘にのような反証ががなされるのだろうかとちょっとドキドキ興味があったが、なかなか結論は出てこなかった。

 待つこと4か月、ようやく一応の結果が出てきた。水滴説は一部残るものの大筋では僕の固体説を入れた説明に書き換えられることになった。参考文献として僕の論文も紹介されている。これで、また僕の固体説は真理に近づいた。

 ドライアイスの白煙の正体探しでは、科学することの面白があった。常識はずれの結論なだけに最初は誰にも信じてもらえなかった。

最初の敵は、「家内」 。ドライアイスをコップに入れて煙を見ている僕に冷たい視線。科学教育では一家言を持つメンバーが属するとある科学系MLでも意見を発表したが最初は信じてもらえなかった。その場で最終的には異論が出なくなったので自信を持ち世間に公表するべきだと考えた。最初に投稿したのは、日本化学会「化学と教育」誌であったが、半年も待たされた挙句、査読氏が内容については判断する能力がなかったようで、投稿形式論の不備を理由にで門前払い。それで方向転換し色々な方面に依頼して論文掲載をさせていただいた。そのおかげで、徐々に認められてきて今日に至っている。科学は権威ではなく事実で判断されるべきであるが、途中はそうでないことも経験したが、最終的にはそれが貫徹されたことは嬉しい。世間でもほぼ定説になってくると確信している。

ツクツクボウシはいつ鳴くの?  2010.08.23
 

 今年の夏は、ことのほか蝉の発生が多かった。種類はアブラゼミ、クマゼミ、ツクツクボウシの3種類である。それらの蝉の鳴く時間が違うことに気が付いた。クマゼミは午前中のみ、アブラゼミは午後からである。アブラゼミは気温によっては夜夜半まで鳴くことがある。

 クマゼミの鳴き方は凄い迫力である。アブラゼミも結構うるさい。それに比べてツクツクボウシは小さい鳴き声だが特徴的な高音であるのですぐわかる。

 最初、クマゼミとアブラゼミが午前と午後と鳴き分けているのに気が付いた。何故だろうと思いネットで検索調べてみると、鳴き分けがあることはウキペディアにすでにみられ既知であった。理由を知りたいところだがそれについての記述は見当たらない。しかし、そこでツクツクボウシについても鳴く時間が決まっているという記述にであった。アブラゼミとほぼ同様午後の時間ということである。ところが、我が家の周りのツクツクボウシは午前も、午後も鳴いている!!確かに鳴いているので、この文献の知見が誤っているとしか思えない。それとも、今年の暑さでツクツクボウシに異変が生じたのだろうか?

あるデータから‐継続することの大切さ  2010.08.15
 

 僕は毎年同じ施設で健康診断を受けていて、36歳からの25年分のデータはすべて保存してある(一覧表はここをクリック)。表中空欄は検査をしていないが、体重欄の36歳から49歳の空欄部分はだいたい65kgで推移していた。1996年から検査センターの器機の入れ替えによってALPの単位やGOT,GPT、γーGPTの値の基準値が若干高めに変わっている。この血液検査を見ればおおむね良好に推移している事がわかる。ただ、

 肝臓機能は、30歳の頃に実験の不注意からクロロフォルムによる軽い薬物急性肝炎になったがその後は完治してしている。毎日ビールを1本程度欠かさず飲んでいるが、γーGPTの上昇も見られない(1996年以降の高値は測定機器の違い)。腎機能も正常である。家系的には循環器系にやや弱い傾向あることは自覚している。 やや高血圧傾向にあり、コレステロール値が高い。

 成人病の危険因子といわれる糖尿病、高血圧については注意している。タバコは30歳でやめた。喫煙していた20歳代の体重は約55kgで推移していたが、禁煙によって65kgに増えた。

 41歳のころから、ほぼ毎日2km弱をジョギングすることにした。それ以前のデータがあまりないのでジョギングの効果はデータからはT-Gがやや低下した程度のことしか伺えない。ただ体重はやや増加傾向にあったのは覚えている。50歳の頃それまでのズボンがはけなくなってきたことからあまり効果はなかったようだ。ジョギングもこの体重増加の為、足の関節を痛めたので、53歳の半ばで断念しなければならなくなった。

 そこで、2003年9月(54歳時)にフィットネスクラブに入会、始めたのが水泳である。だいたい毎日夕方1.5㎞は泳いでいる。泳いだ後は10分間サウナに入る。これを始めてかれこれ8年目になるが、表を見れば明らかなように、ここからの検査データの改善は顕著である。体重の減少(67kg→57kg)、HDL‐CHOの増加(59→91)、血糖値の低下(フルクトサミン。HbAlc)等、特に成人病関係のデータの改善が有意的にみられることがわかるだろう。ズボンも20歳代のサイズがはけるようになった。体重が10kgも減ったのだから足、腰の負担は軽減されるので、体は軽い。医者に行くのは花粉症の薬をもらうくらい、ほとんど医者いらずの生活を過ごしている。

 大切なことは、いかに持続できるかである。持続する秘訣は決してやりすぎないこと。泳いで風呂に入ってトータル1.5時間程度、自分の1日の生活サイクルの中にこの時間を取り込み習慣化させることが肝要である。身体に良いからと人に勧めても、続けられる人が少ないのは残念である。続けることは自覚しかないののだが、気が付いた時には手遅れなのにね。

 

Homoeopathy  2010.08.12
 

山口新生児ビタミンK欠乏性出血症死亡事故で、一躍知られるようになったホメオパシーであるが、単純な疑似科学の一種と思っていたが結構根が深そうだ。

 医学が科学的方法ですべて括れるのかというと難しい分野も残っている所に問題がある。それは精神心理分野である。学問分野も心理学は文系に属し、精神医学とは一線を画し独自の活動をしている。。未知の分野は科学のメスでこれからもどんどん解明されていくとは思うが、まだまだ解明できていない分野もある。そこの部分に入り込んでいるのが ホメオパシーなのだろう。

 調べてみると、ドイツ人医師サームエル・ハーマネンによって始められ、200年も続いているらしい。医療行為とし認めているて国もあるようだ。 ホメオパシーでは、一般的に小さな 砂糖粒に有効物質をごく低濃度染み込ませた、さまざまなレメディーと呼ばれるものを服用すると、いろいろな病気に対応できるという。しかし、有効成分は科学的には限りなくただの水に近いという。 この点が、疑似科学と批判される所以である。

 

 ダダの水で思い出したが、昔、丸山ワクチンという抗がん剤があった。開発者の東京医科大の丸山先生のところには患者さんが列をなして押し寄せた。厚生省は認可しなかったが、国会議員まで巻き込んで厚生省に圧力をかけたものである。結局、未承認を黙認することで多くの患者さんに販売された。

当時、僕は抗がん剤の開発に従事していたので、この丸山ワクチンなるものもを手に入れて分析してみたが、結核菌から抽出したといわれるA,B2種類のアンプル液からはほとんど成分が認められないただの水、レメディーに近かったのである。

  医薬の効果は抗生剤や鎮痛解熱剤、麻酔薬など明確な薬理作用が分かっているものはあるが、実際はあいまいなもある。厳密な臨床試験をしてその薬効を認めたはずの薬にあっても、さんざん使われた挙句、効きませんでしたと無効とされ承認が取り消される薬があるのだ。普通の商品では訴訟になるのに何の咎めもないのが不思議な業界である。 何故効かない薬が、承認されてしまうのか。こは裏は色々あるが、薬にはプラセボ効果が結構あるからである。心理的な要因が大きい。ちゃんとした製薬メーカーだって、この点では大きな顔はできない。

 僕は、ホメオパシーを擁護するつもりはない。ホメオパシーを推進している人たちは信じての確信行動なのだろうし、それを信じなければならない気の毒な事態に陥っている人々が一定限度存在するのもこれも人の世の常、注意喚起すれども当事者同士が納得づくであるならば、事件にならない限りは自己責任、許容せざるを得ないのかなとも思う。宗教に似た難しい問題である。それにしても、冒頭の裁判、裁判官が気の毒。

 

 

面白い比較試験  2010.08.08
 

 僕は私学で化学を教えている。中高6年間一貫校だが、理科については中学で高校範囲を先取りするのではなく、高校1年から検定教科書に沿ったカリキュラムで授業を進めている。学年における教科担当はその都度決めるが、高校はだいたい3か年を持ちあがる場合が多い。高校1年度、1学期についてはだいたい教える範囲が一定であるので、2004年度、2007年度、2010年度と最近持った3学年で、1学期の期末テストで、採点基準も同じにした全く同じものを課した。その結果が表にあるデータである。対象の生徒が入れ替わっているだけで、その他の条件は教えている僕が歳を取っている以外はほぼ同じ授業をしている。この表で在来生とあるのは、中学からの入学生、編入生とあるのは高校編入組である。在来生4クラス、編入生1クラスであるが、2004年度は都合により編入生クラスはもっていない。 教える側として条件が若干違う点は、2004年度、2007年度は校務分掌の仕事をしていたので、この学年は高校1年から高3まで化学の授業だけのかかわりである。2010年度の学年については中学3年次から担任団に加わったことと、高1では編入クラスのクラス担任でもある点であるである。

 在来生のみを比較すると、2010年度が有意に高い平均点を得ている。これは、中3から学年団に加わり授業を受けたことが影響しているものと考えられる。

 編入生の場合は、僕と会い見えるという点では、高1からの3か月あまりの短い体験なので条件は全く同じである。にもかわわらず、2010年度のほうが1割近く好成績である。何故なのだろうか?

 この点について確定的な結論はこの例だけでするのは無理だろうが、担任効果というものがあるように思う。このことは教える側に重要な示唆を与えている。馴染みを感じたほうが学習意欲が湧くということを示していると考えられる。もっとも、このことは教える側にも無意識に働いているのだろう。

 ただし、高1時点での化学の得点が将来の成績とどのような相関があるのかについては、2004年度と2007年度の大学入試結果を見る限りでは何とも言えない。2004年度の生徒の3年後の大学入試現役合格は、在籍215名中、京大、東大等国公立に119名、総合計系が137名に対し、2007年度の場合は、在籍215名中、国公立に113名、総合計が129名とほとんど違わない。実はこの数字はここ数年どの学年もあまり変化はないのである。といういう観点から見ると、今年の高1の化学が有意に高得点だからと言って3年後の入試結果が良いという保証は全くない。

 入試は総合点で決まるので当然といえば当然であろう。教える側としてはちょっと残念だが、こと大学入試化学などは化学の実力というよりも「入試化学」として割り切れば、誰が教えて大同小異、高3次に類似演習問題を熟せさえすれば高得点が取れてしまうところが問題かもしれない。

 教える側としては、大学入試だけを考えた授業ではなく、将来に役に立つ「科学」の面白さを伝えたいと思っているのではあるが、それに応えてくれる生徒が年々減っていくのは残念である。

 

ずっと昔  2010.08.07
 HPを開いたのは1996年8月1日から。日本でWNDOWS95が発売されたのが95年の暮れ、僕がPCを買ったのが96年3月だから日本ではかなり早い時期になる。その頃初めて書いたのがこのBlogspotの前身、「うとうと」シリーズ。最初の文は、教師のしごと それ以降すごい勢いで書いていたもんだ。当時は自由に自分の意見を未知空間に発表できる興奮を覚えて高揚していた。これは15年の歳月が凝縮している自分史でもある。いま読み返しても面白い。紙に書いていたものはよほど大事なものでないと年月がたてば失われてしまったが、HPは駄文であろうがなかろうがすべて残っている。駄文も年月が経つことによって古代の木簡のように違う意味で重要文書になる。当時の心意気を思い出して、この自分史を自分に生きた証として命の続く限り延ばしていきたいと思う。
ある20号
 

 行きがかり上、僕は母校の同窓会の事務局をやってきた。1991年に会報をつくることとし、毎年1回発行してきている。編集(長)的な立場でほとんどの会誌を編集してきたが、それが今年で20号を数えるようになった。

 20年前は、原稿は手書き、印刷も活字であったが、今はほとんどが電子化、原稿はメールでやり取りができ、海外にいても国内となんら変わらない手間で原稿のやり取りができ、作業は圧倒的に簡略化されてきている。

 出版にかかる費用も当時と比べてほとんど変わらない。会誌の配布に関する郵送料に関してはメール便を使えるのでむしろ安くなっている。自意識的には変化が連続的に起こっているので、大きく変わったという認識が持てないが、20年という単位でみるとやっぱり長かったのだなあと思う。

 創刊号からのバックナンバーを1冊に綴じているが、それぞれの号に思い出がありつい昨日のように思い出される。しかし、かって執筆を依頼した人のうち、何人がすでに故人となられていることを考えると、改めて時間の経過を思い知る。

 長くやることは必ずしもいいことだけではないことを最近味わった。世代のずれは如何ともしがたい。自分も若いときには年寄りの気持ちが分からずいろいろやってしまったが、順繰りに舞台は回っていくのだなあと思う。

 今回執筆陣のなかで最高齢者のH先輩と、メールでいろいろ昔話に花が咲く。

twitterのこと

 流行のものは食わねばならぬと人に勧められるままtwitterなるものを少し試みた。簡単に登録できるのですごい勢いで増殖している。使用方法や関連する事柄については検索するといろいろなものが出てくる。フォローをお互いしあうことによって人の輪が無制限に広がっていく仕組みでである。

twitterは「つぶやき」ということで、字数制限があり多くは書けないが、個人が勝手につぶやけばいいのである。ここに参加している人は、twitterに何を期待するのかはその人の自由ということになる。フォローされている数が多いということは、それだけ多くの人に支持されていることになるのだが、この数字が実は訳が分からない。この世界では、フォローされる数を上げることだけに目的化した人が結構いる。フォローされる数を上げる手ほどきをして飯を食っている人がいるのにも驚いた。

 普通の人がフォローされる数を上げるには、見境なくフォローしまくればいいのである。フォロー返しといって、相手の何割かはフォローしてくれる。そうして相互フォローの数を増やせばいいのである。現在万単位でフォロー数をもっている人の多くは莫大な時間を使ってこの操作をした結果なのである。当然、内容なって読むはずはない。フォロー数を上げることだけを目的化した人たちだからである。

 だから、ほとんどの内容は実にくだらない。もっとも当初から読まれることも読むことも双方ともあまり期待していないからこれでいいのである。

 twitterが有効なのは政治家や個人商店さんであろう。ただ、政治家にとっては両刃の剣である。twitterはつぶやきというように有名人が身近でつぶやいてくれているような錯覚を起こさせるので、親しみを感じさせる効果はあるであろう。個人商店や自営業の人にとっては、使いようによれば顧客の囲い込みには効果があると思う。人によっては出会いの切っ掛けになる可能性はある。

 しかし、しばらくやってみて人よりは短期間にフォロー数も500程度まで増やして見たが、これに関わってこちらがかけている時間と得られる効果を考えてみると、僕の興味ある分野での有用な情報には乏しくともどんどん流れてくる情報が目に入るとそれなりに反応してしまいtwitterオタクの世界に時間的にも精神的にもひきずりこまれている自分に危うさを覚えた。今までの関係を遮断するために一旦退散することとした。

 

 

救急救命

 職場で、心肺蘇生が必要な場面に遭遇しました。現場到着時、原因不明で意識なし,心肺停止状態。後頭部打撲のためと思われる出血あり。僕も加わりましたが、救急隊が来るまでの15分間、心肺蘇生、人工呼吸処置。初めての実践であったが、同僚の1人が講習を何度か受けていたこともあり、彼の手による手際の良い心肺蘇生術、心臓圧迫による人工呼吸の有効性を目の当たりにしました。救急隊の隊員も驚かれていたそうです。

 転送先の病院で一命は取り留められたと言う嬉しい報告がありました。AED心肺蘇生の講習は一応受けたけれど、咄嗟にはうまくいきません。訓練の重要性実感しました。

平城宮跡どう読むの?

 僕は平城宮跡のすぐそばで生まれ育ったが、昔は「ヘイジョウキュウし」と地元民は言っていた。マスコミに取り上げられるようになって「ヘイショウキュウあと」や「ヘイジョウキュウせき」平城宮趾(跡?)(址?)と読んでいる。

 僕は違和感があるのだが、統一した呼び方は無いのかな。

同窓会

 2月にあった同窓会の写真と名簿が幹事さんから送られてきた。同窓会といっても還暦を記念して20年ぶりに開かれた、今回が2回目である。それも1961年度平城小学校卒の同窓会。

 実は、この小学校は4年の1学期までしか僕は在籍していないので、正確に言えば卒業生ではない。家の転居で隣の校区の小学校に転校したからである。50年以上も経って宅地開発が進み付近の光景は一変し昔の面影はなくなったが、昔は絵に描いたような典型的な田舎の小さな小学校であった。しかし、校名から分かるように創立は古く100年を優に超えている。4年までしかいなかったが、僕にとっては出生の地でもあり転校した次の学校より思い出は多く愛着はある。

 2クラス80名程度の学年であった。途中で転校したのはたぶん僕ぐらいしかいなかったのだろう。忘れずに、そんな僕の消息まで探し当てて同窓会に呼んでくれたというのは嬉しい限りである。

 同窓会は大中小と色々あるけれど、あどけなく純真だった人間関係にあった小学校の同窓会が、この年になってみると原点回帰というのか、もっとも同窓会らしい気持ちにさせてくれる気がする。

 写真とともに送られてきた名簿を見て驚いた。幹事さんがよく纏めてくれたと感謝するが、83名のうち不明者が10名である。昔は小さな田舎の小学校であったがゆえの結果とは思うが、親の戦争疎開でたまたまこの地で生を受けた根無し草のよそ者の僕にとっては、良きにつけ悪きに付け人々の移動が少ない地縁血縁が綿々と続いている村落共同体の存在が伺え興味深い。

 亡くなった方が、5名、これは平均的である。

潮時

 60も過ぎると、潮時ということが気になる。TVなどで活躍している人たちを見るといつの間にか大多数が自分より年下だ。天下国家を論じている元気の良い政治家たちもほとんどがそうである。否応無しにこの世の中は順繰りなのに今更ながら驚いている。

 我々団塊の世代は、良きにつけ、悪しきにつけ、いつの時も対象相手は年上の世代であったような気がする。それが、知らぬ間に下の世代にとっての批判の的になっている。何かしら後から突然鉄砲で打たれているようである。このような事態を予想だにしなかったので、今更ながら体力気力の峠をとっくに超えてしまっている現状にあっては、万事休すである。もう、潮時悟る時かなと思う。

blog再開
 本日61回目の誕生日。ブログ新装再開!!

 DREAMWEAVERを使う必要にせまられた。最近HP作成のソフトの進化に伴い、誰にでも簡単にHPが作成できるようになったが、そのことが却ってHP作成意欲を削ぐという皮肉な結果になっていたようにおもう。DWはソース編集が基本で、一寸骨はあるけれどやってみれば段々スキルは高まり結構はまる。ただ、以前と違うのはこちらの記憶力が昔とは随分低下していることた。

 考えてみれば、最初にHPをあげたのは1996年8月1日、いつの間には14年も経ってしまったのだから、生身の老化は隠しようもない。今後は、老化防止のためにもなるので、ぼちぼちDWを征服してみたいと思っている。