松本龍郎の日記(雑記帳)
Diary of Tatsuro Matsumoto (12)


2014年1月8日~12月25日

                       E-Mail: 松本龍郎


Memmory of Mr.Hiragi (Hiragi さんの想い出) (140108) 

Grip Strength-18(握力:記録更新-16) (140119) 

Ann has died(アンが死にました。) (140218) 

Daughter's Graduation from Medical School(娘が医学科を卒業しました。) (140309) 

Aunt has died.(叔母の死) (140317) 

Election of the Mayor of Tottori(鳥取市長選挙) (140414) 

Initial EMS(最初のEMS) (140611) 

Wound(怪我) (140624) 

Fortune and misfortune are just like a rope interwoven together.(禍福は糾える縄の如し) (140625) 

English Learning(英語の勉強) (140703) 

Strategy to Survive(生き残る知恵) (140707) 

Cataract(白内障) (140713) 

The Blue Bird of Happiness(幸せの青い鳥) (140722) 

Holocaust Bombings(原爆投下の目的) (140806) 

O-Bon(お盆) (140814) 

End of World War II(終戦記念日) (140815) 

Strike while iron is hot(鉄は熱いうちに打て) (140829) 

Letters from Craudia(クラウディアからの手紙) (140921) 

Bodybuilding(ボディビルの再開) (141024) 

Question?, or Seeking for my Confirmation?(訊きたいの?それとも、教えたいの?(自説への追認が欲しいの?)) (141109) 

The first big snow(最初のまとまった雪) (141214) 

Double Biceps Back,Dec.25,2014(ダブルバイセップス、バック(ビフォアイメージ^^;)) (141225) 



2014年12月25日


Double Biceps Back,Dec.25,2014
(ダブルバイセップス、バック(ビフォアイメージ^^;))




Two months has past since I had resumed bodybuilding after 26 years. I am putting up this image as my before image rather than the after image of my two months of training.

The aiming point is far away, but I should record the early stage of my photo to be always aware of my improvement attained so far.

 ビフォアイメージとして今日の背中の写真をUPします。^^; 26年間もジムでの本格的なトレーニングをさぼっていたわけですから、2ヶ月程度では元には戻りません。 理想はほど遠いですが、自分自身への戒めとして記録しておきます。 言い訳をすると、今はもっぱら筋量をアップする増量期で、皮下脂肪を落としている余裕はありません。(20年若ければ 体重100kgを目指しますが、取り敢えず体重75kg(65kg→+10kg)、上腕囲40cm、大腿囲60cmを目指しています。))
また、自分は身長に対して異常に腕が長い(リーチ179cm、ヘビー級の小山氏(元アジアchampion)よりも長かった。)ので、腕が細く見えて損をします。 しかし、完成したら腕の存在感を かなりアピールできるはず、と自負しています。^^; あと20日ほどで満63歳、それで奇跡を起こそうとしているのだから、世間から見れば、キチガイ沙汰にしか見えないのでしょうね。^^; しかし、去年は握力を数ヶ月で20kg以上上乗せして80kgを達成しているし、potentialはあると自負しています。 さあ、これがスタートラインです。





2014年12月14日


The first big snow
(最初のまとまった雪)




I woke to find the first big snow this morning. I wonder if it is the efect of the global worming, but the peak of the snowfall seems to be a bit earlier than before these years. In my childhood,the peak of the snow was toward the end of January rather than December.

I often stop to think of my life at this time of the year, because I was born in January. You should not necessarily take it pessimistic putting on years, because aging will give you a chance to show "miracle" to others by showing the state of your "Anti-Aging".

 今朝起きたら、しっかり積もっていました。 この冬初めてのまとまった雪です。 今日は衆院選の投票日、投票率に関係するかも?

 地球温暖化の影響なのか、積雪のピークが昔よりも少し前倒しになったような気がします。 子どもの頃は、1月の後半から2月が積雪の ピークだったように記憶します。 最近は、早めにどっかり降るが、2月の声を聞くようになると、あまり大量に降ることがないようです。

 今年も残り少なくなりました。 最近義父の葬儀があり、今年は喪中はがきと年賀状(店のお客さん等)の2本立ての対応となり、人によっては、 年賀状と喪中はがきを同時に届けてしまう方もあるかも分かりません。

 また、この頃は、自分が1月生まれなのもあり、一つ年を重ねる時期なので、年末も重なって自分の人生を振り返る時でもあります。 BINO作りに匙を投げたことは過去に何度もありました。1986~1989年頃はボディビルに没頭していましたし、2000年頃は熟講師(夜間のみ)にはまっていました。 最近は、「自分の役目はもう果たしたな・・」という思いがあり、次回に決断する時が最後だなと思っています。

 年を取るというのは、必ずしもネガティブな要素のみではありません。 誰かが「(年を取るのは)奇跡を見せる資格が貰えることだ・・・」と 言ったそうですが、私も今そんな心境です。 Anti-Aging への挑戦も面白そうです。^^

(ボディビルを再開してほぼ2か月、最初はビクともしなかった230kgのレッグプレスがようやくハーフストロークなら動かせるようになりました。 190kgならフルで8レップくらい行けます。45度タイプなので、スクワット換算だと133kgですが、フルスクワット110kg×11レップを複数セットこなしていた30歳代に ほぼ迫っています。)

12/20追記:上記は好都合な計算をしていたことに気付きました。^^; 自分の体重を忘れていました。 バーベルスクワットでは、自分の上半身の体重も持ち上げており、 一方45度レッグプレスでは、ウェイトシステムの他は自分の脚重だけの負荷なので、レッグプレスの重量を√2で割ってから自分の体重の大半(70%くらい?)を差し引かないといけません。 従って、190kgのレッグプレスは、自分の場合スクワットのせいぜい90kg相当にしかならない、とうことで、残念ながら、110kg×11レップをこなしていた30歳代のパワーを取り戻すにはもう少し時間がかかりそうです。





2014年11月9日


Question?, or Seeking for my Confirmation?
(訊きたいの?それとも、教えたいの?(自説への追認が欲しいの?))


I am always welcome all the inquries from binoscope manias.

But, I cannot help being annoyed with the e-mail that actually only requires my confirmation of his biased view, rather than seeking for my advice.

 お問い合わせはいつでも大歓迎なのですが、バイアスが強く、こちらの言うことを素直に聞かれない方との 交信は、正直ストレスが溜まります。^^;

 先入観を捨てていただけば、ご指導内容がすんなりと届きますが、自説を付け加える方には、なかなかこちらの 意図が届きません。





2014年10月24日


Bodybuilding
(ボディビルの再開)


I think nothing has been more misunderstood than the "Bodybuilding". People are coming to be more aware of mustles in the esthetic sense these days, but it is far and away from the right evaluation that must deserve, at least in Japan.

Even in the case of the manmade products, such as BinoScopes, functions and beautility will converge to the esthetic peak as the goal of the development. I believe so is the human being.

I am sorry that many of the bodybuilders are reported as more the target of curiosity or that of making mock of . rather than that of the admiration for the difficult accumplishment.

That's why I need some courage to say that I resumed bodybuilding on this Monday after 26 years.

 握力トレーニングの成果の更新が遠のいているので、大半の方は、松本はもうトレーニングを止めてしまったのか、と思っておられることでしょう。 実は、年初の風邪の影響に続き、6/24の右手の切り傷の後遺症が根深く(表皮の傷は1週間で治癒したものの、深部のしこりが残った・・)、一時は右の握力が60kg程度(20kg減)まで落ち、最近になってやっと70kg代まで 回復したところでした。 つまり、左右の握力は、今年の1月19日をピークに、更新が止まっているわけです。

 記録だけにこだわっているのではないのですが、仕事に追われるばかりの人生を振り返り、自分の年齢も考えると、このまま本当にやりたいことを せず終いになるのでは?という怖れが頭をもたげた次第です。

 10月20日に、ボディビルジムでのトレーニングを26年ぶりに再開しました。 ボディビルの定義も曖昧なのですが、筋肉を意識する生活という意味では、 12歳の頃(初めて父にエキスパンダーを買ってもらう)より、自分はずっとボディビルダーだったと言うことも出来ます。 5歳頃、自分の胸が力を入れると堅くなるのに気付き、「これなあに?」と 母に聞いたら、「それは、”きんにく”よ。」と母が答えたのが、自分が”きんにく”という言葉を知った最初でした。 そして、少年雑誌に 西欧系のボディビルダーの小さな写真を見て衝撃を受けたのが小5頃で、自分のイメージの中の”筋肉”というものを強調、デフォルメして行ったらこうなる、という ゴールを、大きな衝撃と共に知ったのでした。 そうして、痩せているくせに胸囲だけはいつもクラスの上位を占めるような、風変わりな小学生、中学生 になっていました。 自分の中の理想の体型のイメージは幼時より変わっておらず、現時点での胸囲102cm、腹囲76cmに繋がっています。

 私の家内も含めて、世の女性は体重を減らすことのみに感心があるように思えてなりません。 (今なら問題になりそうですが)有名噺家の方が、 「ダイエットなんかして何になるの? 太ったブスが痩せたブスになるだけじゃん。」という、一般女性にとっては辛らつな発言をしたことが ありましたが、私は、これは当たっていると思っています。 比率、メリハリが問題なのであって、ただ細くなれば美しいわけではありません。 発達した広背筋があるからウェストがくびれるわけで、ただ「食べない」というマイナス(怠惰)の行為で美が得られると思ったら大間違い、というのが 私の持論です。

 しかし、昨今理解され始めたかに見える”筋肉”の存在意義ではありますが、テレビ等のメディアでの取り扱いは、まだまだ”茶化し”の対象でしかないのが 残念です。 発達した筋肉に対する”憧憬”はやや芽生えたとしても、(古代からすると)不自然な環境で退化してしまった現代人の体型を ”醜いもの”と見る意識が育たない限り、ボディビルやビルダーが本当の意味で市民権を得ることはないでしょう。

 14歳頃、初めて手にしたボディビル雑誌で見た当時の世界のトップビルダーで、忘れられないのがラリー・スコット(本年没)やデイブ・ドレイパー でしたが、近年のトップビルダーの極みには、隔世の感を覚えます。 ロニー・コールマンのようには決してなれないことは承知していますが、 残された時間内で自分の遺伝子が許す限界を極めてみたいものです。





2014年9月21日


Letters from Craudia
(クラウディアからの手紙)


I am shocked to know "Craudia" died on 6 of this month in Russia. The documentary of her story will be re-aired after 18 years tomorrow to mourn her, by the local TV station in Tottori City .

Craudia had said as the following, when she knew the wife of her Japanese hasband had been waiting for his return all alone in Tottori, Japan with her daughter, as long as 51 years.
"The dear person of my husband is also precious for me. I can never build up my happiness on the ground of unhappines of the other person. I can live by cherishing the sweet memmory of 37 years with Yasaburo, for the rest of my life."
And she decied to let her Japanese husband return to his Jpanaese family waiting in Tottori.

Toward the end of the World Warll, Mr.Yasaburo Hachiya, a private citizen living in Korea under the rule of Japan with his wife and a daughter , was wrongly arrested by the Soviet Authority and sent to the prisoner camp in Siberia with the hardest labor under the worst conditons, for as long as 10 years. Even after being released after the War, he was always under the watch of the Authority and had no chance to search for his family nor to return to Japan. Then he finally decied to get the Soviet citizenship, and then got married to the Russian lady who had also the aweful experience of being framed into the jail for 10 years in her youth.

 日本海テレビ(本社・鳥取市)が、1998年に製作、放送したドキュメンタリー「クラウディアからの手紙」を明日、 午後4時53分から再放送するようです。
 この予告記事(地方紙)より、主人公のクラウディア・レオニードブナさんが6日に93歳で亡くなっていたことを知りました。  追悼番組です。

 私はクラウディアさんと、夫の蜂谷弥三郎さんの両方とお話する機会に恵まれて以来、ずっと頭の片隅にはクラウディアさんのこ とがありました。
 生死も定かでなかった夫を50年以上も待っていた妻が日本にいることを知ったクラウディアは断腸の決断をします。
クラウディアは言いました。「他人の不幸の上に自分の幸せは築けない。Yasaburo にとって大切な人は、私にとっても大切な人。 私は37年間の彼との思い出で生きて行ける。」

 蜂谷さんの日本の奥さんは、実家(鳥取市)を守り、子供も育てながら50年以上も独身を貫いて夫の帰りを待ち続けていました。 鳥取駅での感動的な再会は、ドキュメントでも映像化されています。  もともと心臓を病んでいた日本の奥さんは、数年後に蜂谷さんの胸の中で安らかに息を引き取りました。
私は、蜂谷さんがまたクラウディアさんの元に戻ることを期待していたのですが、それはありませんでした。

 それからさらに数年後のこと、蜂谷さんが私の親戚のカメラ店のお客さんだったことを知り、「今度来店したら絶対に会いに行くから、電話して・・」と店主に頼んでいたのですが、その機会はありませんでした。  また、さらに数年後、当店のお客さんに介護士をしている方(男性)がいて、デイサービス利用の蜂谷さんを担当していることを知りました。 私はさっそく、以前に書いたWEB日記をプリントアウトし、「ぜひ蜂谷さんに読んでもらって・・」と彼に託したのですが、後日、「(蜂谷さんは)全く無反応だった。」という返事で、ショックを受けました。 その後も彼(介護士)が来店する度に蜂谷さんのことを聞いていましたが、認知が進行しているとのことでした。

 そして、今になってしみじみと思うのです、クラウディアの武士的な潔さを。 お互いの老いの末路を予想し、甘美な思い出をスポイル しないための悲壮な決断。 彼女の決断は功を奏したと言えるでしょう。 合掌。





2014年8月29日


Strike while iron is hot
(鉄は熱いうちに打て)


Preschoolers will easily touch our heart for their cute businesses or appearances. Especially when they are your own children or grand-children, you will easily trapped into doting on them without giving them of any discipline.

But, I think it very important for us to remember the maxim "Strike while iron is hot.", too. The adults around the preschoolers should cultivate their ability of self-control, while the Iron is still hot.

I would like to share with you an aphorism by Native Americans.

" We were never born as a human, but were born to achieve to become a human."

 親戚の子供が来ると、可愛い。 限られた時間内に精一杯の愛情を注ぐのが”鳥取の爺ちゃん^^;”の役目だと思っているが、子供が帰る度に考える。 「このまま成長したら、ちょっとやばいな。」・・・と。

 意見をして、”親”に嫌われて、もう来なくなってしまうのは怖いけど、もしこの日記を 読むことがあれば、自分たちのことだと自覚して軌道を修正することを促したい。

 人間になることは難しい。医者になるより難しい。 特権階級になるほど、ろくでなしを育てる切符を 貰ったと思うべし。 とかく周囲は媚びるかも知れないけど、現実はずっと厳しい。
 人間に育てるまで には、親も子も血の涙を何度も流さないといけないものと知るべし。

「人間は人として生まれるのではなく、人になるために生まれる。」

                             (ネイティブアメリカンの格言)

Native Americanの格言集

 

Native Americanの格言集(スマホ用)





2014年8月15日


End of World War II
(終戦記念日)


Today is the anniversary of the end of the World War II.

While more and more witnesses of the War are passing away, more and more witnesses are beginning to break their silence after almost 70 years.

I think it very important for them to confide their secrets even if it is against their honors. It is time for both sides to biaslessly review what had really occurred in the World War II. Only claiming for our damage and never admitting what we had done must be a shameful attitude in the eyes of the other world. Only when we show the heartfelt regret to the other world that we gather the real sympathy with our tragedy as the only victim nation of atomic bombs.

 また(第二次世界大戦の)終戦記念日がやって来ました。 体験者がどんどん亡くなって行く一方で、70年近く経ってから重い口を開き始めた方も 増えて来たようです。 いかに古傷が痛もうと、出来る限り中立、科学的に当時の 真実が解明されることを望みます。 まずは私たちが不都合なことを認める姿勢を示さな い限り、世界は私たちが被った理不尽も省みてくれることはないでしょう。

 わが国では三千年ほど前より米作りの技術が伝わり、人口も増え、狩猟採集時代に比べれ ば飢える機会は減ったはずながら、同時に富と権力の集中をもたらし、米を作る者(百姓 )が米を食えない時代(江戸時代等)すら経て、その後は戦争を重ねて今日に至っています。

 皆が幸せになるのが目的ではなかったのか。 太古の農業革命に戦争の種が生じ、 その後の産業革命で戦争の実がさらに熟してしまったことを知るとき、私たちは縄文人の 心に立ち返るべきなのではないか、と思えて来ます。
 そんなことを考えながらWEBを散策していて、次の動画に行き当たりました。

 縄文人の兄弟だと信じる、Native Americanの名言集です。

(30年前に、アメリカの友人に会いに行った時、その友人は打ち明けました。
"I am one-eighth of an American Indian. My great-grandfather was a Cherokee. Our ancestor had come from Eurasia through the frozen Bering Sea to America twenty-thousand years ago. So, we are brothers."
「自分には1/8チェロキインディアンの血が混じっている。 私たちの先祖は2万年前にユーラシアから氷期に凍ったベーリング海峡を渡って来たので、俺とお前は 兄弟だ。」・・と。)

Amazing Grace by Cherokee

Amazing Grace by Cherokee(スマホ用)

Native Americanの格言集(スマホ用)





2014年8月14日


O-Bon
(お盆)


Obon is generally regarded as a buddhist festival in Japan.

But I think it came from the primitive emotion of respecting the souls of ancestors, and it must have later joined with the buddhism ceremony.

We usually welcome the souls of our ancestors on August 13 and send them off on 16. Most of the office workers will take the obon-holidays at least from 13th to 15th of August and go back to their home town to visit the grave of ancestors.

Actually speaking, there must be almost no one who literally believes in the souls of our ancestor coming back in O-Bon period. I think most of those who manage their time and funds to go back to their home town regard it as a compensation for their lack of hospitality through the year to their parents, alive or dead.

 ”お盆”は 盂蘭盆会(うらぼんえ)が正式名の仏教的な行事とされていますが、 私は、仏教が伝来するよりずっと前の古代より、もともと先祖の霊に手を掌わせる習慣が あって、それが合体したのだろうと思っています。

 新暦のお盆の頃には、ペルセウス座流星群が見られるので、太古の先祖もそれを見て・・・と 思ったこともありましたが、少なくとも近代までの日本の暦は太陰暦だったので、残念ながら 合致しませんね。(満月が印でしたね。)(8/27追記:いや、旧暦は7月15日だったそうなので、やはり流星群と関係あるかも? 昔は空も良かったし。^^;) ともかく、8/13~16に先祖の霊が帰ることを文字通りに信じている 人はほとんどないと思いますが、テレビ等で報道されるあの猛烈な交通渋滞をおして、また貴重な 休みをつぶして帰省するエネルギーの源は何なのでしょうか。 日頃の両親等(健在故人にかかわらず) への無沙汰の償いでしょうか。

 自分はと振り返ると、ずっと両親と暮らして来て、父も自宅で看取ったので、上記は 必ずしも当てはまりませんが、先祖のお陰で今日の自分があるという戒めのようなものは、 やはり自分の中に刷り込まれているように思います。





2014年8月6日


Holocaust Bombings
(原爆投下の目的)


Last week, US media reported the death of Theodore Van Kirk, the last surviving crewman of the Enola Gay, who passed away aged 93. A funeral was reportedly scheduled for August 5 in his hometown of Northumberland, Pennsylvania, which would coincide with the Hiroshima anniversary in Japan.

An American B-29 bomber named Enola Gay dropped an atomic bomb on Hiroshima on August 6, 1945, in one of the final chapters of World War ll. It had killed an estimated 140,000 by December that year.

Three days later, the port city of Nagasaki was also bombed, killing an estimated 70,000 people.

Most of the Americans must have taught that the twin A-bomb attacks brought a speedier end to the war by forcing Japan's surrender and preventing many more casualties in a planned land invasion.

But the later nutral investigations have been revealing the true purposes of the twin A- bombings as the following.

1: Experiment of the two kinds of A-bombs.
2: To hold a dominant position over Soviet Union after the War.

The reality is that the US did not want to end World War ll until it drops two kinds of A- bombs on Japan. And the main purposes were to observe the effects on the city infrastructures and especially on the human bodies. US did not have other choice less than two A-bombs, because they had developed two kinds, one is Uranium and the other, Plutonium.

Japan had already sent the sign to surrender months ago the bombings, at least through Soviet Union. It was one day before the Potsdam Declaration,7/26, that Truman had ordered to drop the A- bombs on Japan.

And the way and time and place were carefully chosen to make the definite success on the unprecedented experiment on human bodies.

To see the pure effect of the A-bomb, Hiroshima was left from air raids until then. The bomber once pretended to go through the sky of Hiroshima and then abruptly turned back and finally dropped the A-bomb. It was just the timing of the air-raild alarm being called off for the first contact of the bomber. Many of the citizens were just got out of the steamy bomb shelters onto the roads, many of them might be shirtless out door.

Anyway it was at 8:15 on the morning of August 6, week day, that many citizens were busy on their way to the offices or sclools.
It is not end of the story. Three parachutes were reliesed in advance of exploding the bomb to attract as many eyes of innocent citizenes staying outdoor. So, the strategy was a great success in gathering a great numbers of materials afterward for the A-bomb studies.

 エノラゲイの最後の乗組員が先週亡くなったそうで、葬儀はまさに日本時間の8月6日に執り行われたそうです。  アメリカでは、彼はいわゆる War Hero であり、ネット上の写真では、棺をアメリカ国旗が覆っていました。

 アメリカでは、「原爆投下が戦争の終結を早め、双方の犠牲を最小限に留めた・・・」と教えて来たようですが、 その後の中立的な検証の結果では、そうではなかったことがほぼ確実になりつつあるようです。

 トルーマンが日本への原爆投下命令を出したのは、ポツダム宣言が発布された日の前日でしたし、ソ連の参戦が 確実となった段階で、すでに日本の降伏は明らかであり、戦争の終結のために原爆を投下することは必須ではありませんでした。

 そして、何よりも問題なのは、原爆の投下が無通告で、かつ一般民衆への配慮が皆無、というか、どう見ても、故意に 生体実験をしたとしか思えない方法で履行されたことにあります。

 当日の朝、B-29は、一旦広島の上空を何もしないで通過し、その段階で市内の警戒警報は解除されていました。 蒸し暑い防空壕から外に出た多くの市民は、シャツを脱ぎ、深呼吸をしていたことでしょう。 ところが、B-29はいきなり コースを変え、引き返して原爆を投下したのです。 さらにご丁寧なことに、3つのパラシュート降下物を事前に投下し、 戸外にいた多くの市民の視線を惹き付けていたそうです。 まさに、一体でも多い検体サンプル(やデータ)を採取 するために、周到な手段が講じられたということです。 爆発時刻は朝の8時15分、多くの大人は通勤中で、子供たちは学校に向かっていた時刻です。

 さらに日本政府に降伏の決定と表明の時間的猶予を与えることなく、わずか3日後に長崎にも投下しています。 このことからも、ウラン235と プルトニウム239の2種類の原爆を実験することが当時のアメリカの最大の優先事項であったことが明らかです。

  

 あれから69年の年月が経過し、被爆体験生存者が減る一方、重い口を開き始めた新たな証言者も増えて来ました。 そして、当時の日本の指導者層も、戦争の末期に当たり、自国民の命を守るよりも、自分たちのかくまいを優先していたことが明らかになりつつあるようです。 上層部は新型爆弾の投下を予測しながら、国民に事前に警鐘を鳴らすことをせず、爆撃機の飛来時にすら的確な警報は出されませんでした。

 死者に鞭を打たないのが、日本人の美徳でもあるようですが、大方の責任当事者がすでに他界している今こそ、冷静な目線での当時の総括を急ぐべき時ではないでしょうか。 さもないと、世界のどこかで、また同じことを繰り返すことでしょう。

”友達”と”戦争”  





2014年7月22日


The Blue Bird of Happiness
(幸せの青い鳥)


There seems to be a fairly good number of people who are not pleased with their eye-glasses.

Some portion of them have unhappy eyes of extreme anisomyopia with the dominant eye of unhappy choice, or other factors for which it is very difficult to prescript comfortable glasses; but what I am goning to tell now is about those who have no such extreme factors on their eyes but still, who are not pleased with their glasses even after buying so many glasses at as many optometlists or opticians, just as if they have been bar-hopping in search of the imaginary Blue Bird.

.....To be continued.

 今日、これからお話することは、メガネに悩んでいる方にとって、極めて重要なことだと思います。 話をすっきりと組み立てるために、例外を最初から省き、敢えて断定的な言い方をしますことを、事前にお断りしておきます。
 確かに、不幸にして、メガネでの矯正に無理があるような極端な不同視(左右の極端な度数差がある眼)等を持つ方も一定数ありますが、今回は、眼自体には著しい屈折上の欠陥はないにもかかわらず、 当人もしくはメガネの作り手側の不適切な判断が不幸を産んでしまっているケースが、あまりにも多いということをお伝えしたいと思います。

 昨今の大手の全国チェーン店の、有名芸能人を使用した集中豪雨的なテレビ広告には視聴者の大半はすっかり洗脳されるようで、(ベッキー、いい加減にしろ!^^;) 当店のような零細個人商店には対抗するすべもなく、来客数は 減少の一途を辿っていますが、代わりに、「あらゆる医療機関やメガネ店を渡り歩いたが、満足できるメガネには一つも行き当たらなかった・・。」 と、当店の噂を最後の砦のように、辿り着かれるお客さんが時たま見え、私はその度に俄然張り切って腕を揮うわけです。

 最近、外国人の方のメガネを作りましたが、出来上がったメガネを掛けていただいてすぐに、
「私は母国時代より今日まで20個くらいのメガネを作りましたが、こんなに最初から快適なメガネは初めてで、 本当に感動しました。 『新しいメガネには、しばらく慣らす期間が必要なもの』と理解していましたが、それが間違いだったことを初めて知りました。」

というコメントをいただき、眼鏡屋冥利に尽きる思いをしたところです。  

 眼は左右2つあるので、単純ではありませんが、ここで長々と専門的なことを書いても読み飛ばされると思うので省きます。
 要するに、「良く見えるメガネと、掛けて快適なメガネは別だ。」ということです。 完全矯正値の9割の度数にしておけとか、8割にしておけとかいった 単純なものではありませんが、大事なのは、メガネを掛ける方の虚飾のない本音のニーズがどこにあるのか、ということを、本人がまず冷静に自問する ことが大切で、次にメガネ作りに関与するプロも、お客(患者)を決して無意識にでも誘導することなく、本音を的確に引き出して感じ取ることが大切なのです。

 遠近両用(特に累進多焦点レンズ)を例に挙げますと、遠方視力と近方視力の両方を同時に欲張らないのが、度数選定のコツです。 自分のライフスタイルで、どちらを優先すべきかを冷静に考え、常に遠近の度数差が最小限になるように配慮することが大切です。 検者側は、被検者(お客/患者)を誘導するのではなく、本音を見抜かないと いけません。 検眼椅子に座らせられて視力表を見せられる異常心理下でば、どうしても、よりよく見える方の度数を選び勝ちです。 被検者が検者に流される だけでなく、検者も被検者によく流されます。 しかし、メガネが出来てから、「あなたがこの度数(強い方)が良いとおっしゃったでしょう?」 などと言うようでは、メガネ屋(眼科医)失格です。^^;

「”メガネ”がもともと嫌いだ。」という方が結構います。 実は、メガネもそうした方を嫌います。^^; 顔にかかる水を嫌う間は、良いスウィマーになれないのと同じです。しかし、今日の話の主旨は、顔にかかる水に慣れろ、というのではありません。

 メガネが嫌いなら、嫌いな人に適した処方がありますよ、ということを言いたいわけです。 「わしゃあ、メガネを外すとほっとする。」と言う人が意外に多いのです。 「じゃあ、なぜメガネを掛けるのですか?」と問うと、 「掛けんと見えませんがなあー。」と返ります。

 私がメガネが嫌いそうなお客さんによくする説明にこんなのがあります。 「ご飯が美味しい濃い味だったら、決して一生主食として食べ続けられませんよ。ほとんど味がないところが良いところなんです。 メガネも 一緒です。 完璧に見えなくても、生活に困らず、掛けていることを忘れて、そのまま顔を洗おうとしてしまったり、掛けているメガネを探すくらいの 方が良いのです。」

 メガネが嫌いな人は、多分、次のように考えているのだろうと思うふしがあります。 「大嫌いなメガネを掛けてやるのだから、掛けた瞬間から、ばっちり見えないといけない。 裸眼と大差ない見え方なら、嫌いなメガネを掛ける 価値が無い。」 しかし、実際はそうではありません。 そうではないということを、テストレンズを仕組んだサンプル眼鏡を交えてじっくりと説明すると、 大方の人は理解してくれます。 外したくなるメガネよりも、掛けたくなるメガネの方が良いメガネだということ。 そしてそんなメガネが 可能だということを。

                      ・・・つづく。

7月28日追記

 何個メガネを作っても満足できない人には、二つのケースがあります。 一つは、不幸にしてろくでない眼鏡屋や眼科医としか出会えなかった人で、一定の割合でそうした例が あるようですが、これは業界の現状を考えれば不思議はありません。^^; しかし、今回のテーマはその場合ではなく、自分が空想した(あり得ない)理想のメガネを捜し続けている人、つまり、実在しない幸せの青い鳥を 求めて流浪している方に引導を渡すことです。

 メガネレンズは、顔に装着するという事情から、むやみに複雑に重い光学系を構成するわけには行かないので、常に単レンズであり、諸収差の残存には最初から妥協する前提で成り立っているものです。 まず、メガネ装用者は、この点を肝に銘じておく必要があります。 ただ、幸いにして、左右の球面度数(非乱視の度数とご理解ください)が同じで、乱視の度数も軸も左右でほぼ等しい方は、 像の歪曲や変形、視線の移動によるプリズム効果等が左右で相対的に打ち消しあうために、簡素な単レンズ系であるメガネレンズでも、よほどの特異体質でない限り、慣れないようなことはまずないでしょう。

 しかし、左右の度数差、乱視軸の不同等がある方と、遠近両用(とくに累進焦点メガネ)装用者は、メガネでの矯正に限界がある(つまり妥協すべき部分がある)ことを知らないと、いわゆる”青い鳥探求者”となり、多大な時間とお金を無駄にすることになるでしょう。  

 左右の度数差が極端な人は、例外を除き、屈折異常度の強い方の度数を、弱い方に歩み寄らせる形で、左右差を最小限にすることが、快適なメガネを実現するために必要です。 特に、度の強い方が利き目でない方は幸せで、その眼は相当ぼけていても、両眼視にはほとんど支障はありません。 逆に、左右差のまま完全矯正すると、メガネをかけた瞬間は良くても、時間が経つにつれて頭が痛くなったり するものです。 乱視の場合も、同じような考え方で妥協点を探ります。 多少の軸の左右差であれば、極力左右の乱視レンズの軸方向を一致させます。 その操作が不都合なほどに左右で方向がかけ離れている場合は、 時には乱視の矯正を諦める方が好結果につながることもあります。

 累進レンズ(遠近両用)に対する、(幸せのために^^;)取るべき態度ですが、まず、累進レンズは、レンズメーカーが宣伝するように、「どの距離でも理想的にはっきり見えるメガネ」では決してないということです。 使い道具は全てそうですが、汎用器(複数の機能を持つ道具)は、単独の機能に着目すると、専用器に適うはずがないということです。

 爪切りや鋏やナイフや栓抜き等が一体になった道具がありますが、それぞれの機能では、専用の道具にかなわないものの、キャンプ地や山での遭難時等では、それが命を 救うことすらあるでしょう。 汎用器は、汎用性そのものが目的な場合に携行してこそ、意義があるわけです。 自宅のキチンなら、それぞれの道具をきちんと整理して 置いておくのが正解でしょう。

 累進焦点メガネもそれと同じで、遠用と近用(さらには中距離用)のメガネを頻繁に着脱交換するのが現実的でない場合に、ありがた味が出るわけです。 累進レンズ不適合の性格の方が異口同音に言われることに、「このメガネはぼける部分があります。」というのがあります。 一方、すんなりと累進レンズを使いこなす方は、 もともと不満がないので、こうしたネガティブな感想は全く出ないわけですが、多分、次のように理解しているはずです。 「このメガネは、(距離に応じて)はっきり見える部分がある。」 つまり、累進レンズをネガティブに見れば、遠方を基準にすると、近用部は遠方がぼける度数帯を構成し、 読書距離を基準にすると、遠用部は近くがぼける度数帯を構成し、同じメガネの枠内にそれぞれが邪魔な領域を占めることになるわけです。 一方、ポジティブに見れば、メガネの枠内のどこかには、必ず目標の距離に対応した領域が存在し、そこで見る限りはっきり見えるわけですから、「このメガネはよく見える部分が ある。」と言えるわけです。 「ぼける部分がある。」というのと、「はっきり見える部分がある。」というのは、ほぼ同じことを言っているようですが、 装用者の姿勢(捉えかた)で、評価は正反対に分かれるわけです。

                      ・・・つづく。





2014年7月13日


Cataract
(白内障)


There must be very few people these days who don't know about surgery to remove cataracts.

Cataracts are clouding of the eye's lens, and the prevalance increaces after the age of 60. In other words, there is almost no one who is free from suffering from cataracts in our lifetimes.

But, we are very happy living in the era of cataract surgery that can be done easily and safely. You can restore the clarity of your eye lens to the very level of a new born baby just after a "15 minute" surgery, with no fear or pain. The eye's cloudy natural lens is removed and replaced with a clear artificial lens implant, called an intraocular lens or IOL.

But, I would like to share my professional opinion with you before you decide to have cataract surgery.
As you know, every lens has its own power which is also true for the IOL. It is up to you which one you choose from the various kinds of IOL available, Myopia (shortsightedness),Hyperopia(farsighted ness), or Emmetropia( the correct eye).

I am not going to argue with your decision should you choose emmetropia, but I must warn you that your new IOL will have a fixed focus and that emmetropia may not necessarily be the happiest or best choice for you.

The artificial lens will never bulge according to the distance when you stare at a close object or target, as the natural lens does.
Therefore, you should review your lifestyle carefully before you decide which distance is best for you. If you consider it seriously, most of you will arrive at the conclusion that the optimum focus distance of between 2-meters and 50cm, rather than an infinite distance; which means a moderate Myopia lens is the right choice.

〈老人性)白内障や眼内レンズのことを知らない方は少なくなりましたが、皆さん、"距離”についての認識が甘すぎて、術後に不便している 方が非常に多いので、警鐘を鳴らしておきます。

 濁った水晶体を取り除いた所に挿入する眼内レンズも”レンズ”ですから、あらゆる度数が可能です。 つまり、白内障手術は、一生を通じて、 好きな屈折力の眼に産まれ変われる、千載一遇のチャンスなわけです。 そうした極めて重大な決断が迫られる、手術直前の 段階で、(一般的に)眼科医は(相手が老人なので、詳しい話は理解できないと思うのか?)さらっとしか明視距離のことに触れず、 あれよあれよと言う間に手術を終えられた患者が後になって、自分のライフスタイルにそぐわない、新しい我が眼に困惑するわけです。

 眼内レンズは、生身の水晶体と違って、常に固定したままで、近業時に都合よく調節して(膨らんで)くれません。たとえば、 無限遠に合わせてしまう(つまり正視)と、屋内では読書距離は当然ながら、それより遠いテレビの距離でもややボケて見えるわけです。
 優先的に見たい距離は、個々のライフスタイルや生活環境、好みによって変わるので、手術前にはじっくりと自分の ライフスタイルを見つめ直し、公約数的な明視可能距離を決定しておく必要があるのです。

 希望の明視距離を数字で担当医に指示しない場合は、概して正視に近い眼内レンズを入れられることが多いようですが、 上記を真剣に検討すれば、大体1.5m~0.5mくらいの間に答があるはずです( 近視度に換算すると、-0.75D ~ -2.0D くらいの弱度近視 )。

 先日、(女性の)画家の方に(手術前の)相談を受け、「50cmでやってもらってください。」とご指示し、結果、大変喜んでいただき ました。(担当医師は、「本当にそんなに近くして大丈夫か?」と、何回も念を押したそうです。^^;)

 まあ、どの距離を選択したとしても、術後の眼は調節力を失っている(究極の老眼)わけですから、全ての距離に対応するには、遠近両用メガネ等が 必用になります。 ただ、裸眼の時にどの距離が見えたら一番便利か?ということを真剣に考えておくことが重要だということです。
 判断基準は他にもあるでしょう。 メガネが使えない極限状態を想定したサバイバルを重視したり、女性の場合は、裸眼で鏡を見て お化粧できることも重要です。 また術前の眼の屈折状態(近視,正視,遠視)も考慮する必要があります。元が遠視だった場合は 近視度が強くなったら遠方視力に不満を持つでしょうし、元が強度近視だったら、裸眼で読書距離が完璧に見えた方が良いでしょう。

眼に関する他の日記

斜位矯正
近視眼と老眼
近視眼と老眼-2
マリオット氏盲点
Red-Green Test
斜位テスト
久しぶりに眼のはなし
メガネの度数
メガネの度数-2
近視と遠視と老眼
「このメガネ、皺(しわ)が見えます!」





2014年7月7日


Strategy to Survive
(生き残る知恵)


What strategy is the right answer in surviving in the world?

To dig this question into ultimacy, let's extend the object of thinking from only human to all the species in this world.

"The larger you become, the fewer chance for you to fall prey to the predators."
I think it to be the general concept, and it is actually true in some cases.
There is no predator alone to attack the adult male elephant, and adult hipos have no fears of crocodiles living in the same river. And even leopards shrink from the Silver -Back, male adult Gorilla.

But at the same time, looking carefully into the whole world, you will rather know that the larger the animal becomes the more likely to be endangered to extinction.

You know, elephant, whale, gorilla, hipo, rhino, tigar, lion, etc; are all listed in the array of the endangerd animals.

Even restricting the target to the manlike apes, the larger apes in Africa and asia are endangered while many of the smaller monkeys are still thriving. Even HomoSapience are never free from the possibility of the extinction by the attack of invisible future virus or something.

Japan surrendered to the Allied Foeces in the last War mainly becasuse of the lack of logistics compared with the counterparts. And after the war, Japan has been affiliated with the United States that seems to be the militarily strongest country in the world. And Japan has recently made the decision to ease restrictions on its military, especially on the right of collective self-defense, seemingly for the convenience of the US.

Stop to think of it, I wonder if there is any country that has summed up a definitly positive figure by its involved war even after the World War II ?

Which war is the one that brought Japan or the US the definit profit, in which the US was involved after the World War II?
Korean War, Vietnum War, Persian Gulf War, Afghan War, Iraq War, or etc; which are the righteous ones?

The returning of Japanese abductees in North Korea is being negotiated between Japan and North Korea now. It is clear that this tragedy had occurred in the back ground of the Korean War and the allelism between North Korea versus US and its ally,Japan. And neither the military power of the US nor that of Japan has been successful in solving the abductee issue for decades.

Isn't it a time for us to know that the military power has come to be far from the effective tool to solve the international problems, just as the physically stronger animals do not necessarily prosper?

 生き残る知恵は何か。
人間の枠を超えて、生き物全体を眺めた方が、分かり易い。
体を大きく強くすることで捕食者から身を守って進化したと思われる種は多い。 大人(特にオス)の象を単独で狩れる捕食者は(武装したヒト以外)いないし、 大人のカバは同じ川に棲むワニを全然恐れない。 豹もシルバーバック(大人のオスゴ リラ)には尻込みする。確かに彼らの作戦は成功しているようにも見える。

 しかし、ゴリラもカバも象も鯨もサイも、トラもライオンも、大きく強く進化した 動物の多くは絶滅危惧種に入っている。
 むしろ、類人猿ほど賢くもなく、体も小さい猿の方が繁栄しているものが多い。 人類はうまく行っていると思われているが、目に見えないほど小さい未知の ウィルスによって絶滅する可能性はさほど低くはないだろう。

 日本は先の戦争で連合軍に敗れた。戦後は世界最強の国と目されるアメリカの 傘下に入ったが、そのアメリカが大戦後に関与した戦争で、日本、もしくはアメリカに 確実な利益をもたらしたものがあっただろうか。
 朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争等々で、どの戦争が 正義の戦争だったのだろうか。 敗者はもとより、勝者にさえ、確実な黒字収支を与え た戦争があったのか、あったとしたら、どの戦争だったのか。

 今、拉致被害者の返還の交渉が日本政府と北朝鮮政府の間で行われている。 この悲劇も、よく考えてみれば、北朝鮮と、アメリカ及び同盟国の日本との間の 対立軸の背景が元になって生じたものだ。 そして、アメリカの強大な軍事力を もってしても、数十年間経っても拉致被害者を取り戻すことは出来なかった。

 抑止のための軍備さえも不要とは言わないが、軍事力があっても役に立たないか、行 使すること自体が自分に跳ね返るので、行使できないことがほとんどであることに、私たちは早く 気付かないといけないと思う。 私たちが絶滅危惧種にならないために。





2014年7月3日


English Learning
(英語の勉強)


I would like Ms."D" to have always a concern about each member's English-skill improving monthly or annually .

If you should notice someone staying at the plateau of learning, please investigate the cause of it and give her or him appropriate advice to take her or him out of there.

In my opinion, middle aged or older generations had been given the writing and reading oriented educations at schools and they are very weak in the oral comprehensions compared with their reading skills. We need more fundamental oral trainings rather than accumulate the exclusive vocabularies.

I would not like myself staying at the same level even though having been involved in the English Speakiing circle for a long period of time.

I would also like dear members to stimulate each other with more active delivery in the discussion to improve our English skill hand in hand.

 数十年通う英会話の趣味の小さなサークル。 去年まで、メンバーの新陳代謝がほとんどなく、最近解散してしまった地元の天文サークル の運命をたどるかと懸念していたところで、去年新メンバーが2名、そして今年も3名と、俄然活気付いて来ました。(現在の総会員数10名くらい)

 私を含めて、また旧会員の Motivation が上がった感じで、大変喜んでいますが、この好機に、さらにこうなれば・・・という希望を、独り言として 書いてみました。^^; こうしたサークルは、油断をすると、マンネリになり、ただ集まってお茶を囲んで雑談するだけになってしまいますから・・・。





2014年6月25日


Fortune and misfortune are just like a rope interwoven together.
(禍福は糾える縄の如し)

( 夫禍之與福、何異糾縄 )


Japanese proverb, "Kafuku wa azanaeru Nawa no gotoshi." may be directly translated into English as, "Fortune and misfortune are just like a rope interwoven together." But I think it more that "Fortune and misfortune are two sides of the same coin."
I believe that I am one of the typical type person that has two extreme sides.
It is too personal or too offensive to someone to confide them completely, but it might be my inner cry what I sometimes write metaphorically in my web-diary.

Even quite once in a while, but I am extremely happy when I come across someone I can share the same feelings with.

I am wondering who is the next to pick up my bottled letter cast in the whole wide cyber ocean.

 同格言の解釈に、「禍福は交代で来る・・」というのもあるようですが、「禍福は(同時的に)一枚のコインの表裏である。」  という方が自分には当てはまるように思います。 そして、自分は、その表裏の差が人一倍際立っている  ように思えます。 いや、そう思わないと生きていけないのかも分かりませんが。





2014年6月24日


Wound
(怪我)




"Ask Not what your husband can do for you, ask what you can do for your husband."
My wife would answer back to me exchanging "husband" for "wife" in the above script. Apart from her lower evaluation of me as a husband, I make it a rule to wash the dishes while she is out.

Yes, this wound is not that I got by the machine tools, but that I got in the kitchen. The thin glass teapot abruptly broke while washing and bit me on the back of my forefinger. I am happy that the wound was the back part and I can click the mouse and do most of the work with no trouble. But the wound was so deep that the sink was a pool of blood and I had to be sutured at the hospital.

 不覚でした。 洗っていたガラス製の急須の口がいきなりもげ、切り口が人差し指の第3関節の甲側を切りました。 (甲側で幸い。仕事にはほとんど支障はありません。)

 シンクは血の海で傷がかなり深いのが分かりましたが、傷テープの在りかも分からず、生憎家には自分一人、血を流しながら 一軒置いて隣の自転車屋の奥さんにSOS・・。 何とか血を止め、閉店して近所の整形外科に直行。 25年ほど前に仕事中の ケガで同院に飛び込んだことがありましたが、まさに災難は忘れた頃にやって来る。気をつけないと・・^^;





2014年6月12日


Initial EMS
(最初のEMS)




I wonder how many astronomy manias would know the initial type of my EMS I had released in 1989 in Japan. This Amici-analogue type of EMS was originally made by me before 1980, and my article appeared in November,1982 issue of Sky and Telescope magazine.

Catering to the order of initial type of EMS user, I made a 36.4mm-thread to 2-inch adapter, and I had touching gratitude e-mails from him with some attachment of his moving essays that impressed me so much. I am sorry that I can share them with only those who can read Japanese. But, if you can, please try it to read.

DIY is Fun

From " My Diary on duty at the Hospital"

Here are the related articles concering to the initial or next-initial EMS.

125ED-BINO & EMS-1

Handy EMS-BINO

A folding wheel chair

You can see the anatomy of the initial EMS in my TV program below.(in Japanese only)

Dream chaser(Challenge to the stereotype...)


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 6月5日に、「36.4ネジ(望遠鏡)接続タイプの小型EMS用に、"36.4ネジ→50.8φ差込"の アダプター製作」のご依頼を、岩手県の I さんという方からいただきました。

 最初にピンと来たのが、10年以上前に製作したことがあった、箱型のEMS-Sでしたが、よくお聞きしたところ、 それではなく、何と、一番初期のアミチプリズム型のEMSではありませんか。 それをずっと今日まで愛用してくださって いることに加え、最近、代理店さん経由でEMS-ULも追加購入してくださっていました。(左の写真の下の隙間からEMS-ULが少し見えます。) もちろん、今忙しいから・・と、 とても断ることは出来ませんでした。^^;(横のアルマイト未処理のアダプター単体は、当初にお作りしていたPENTAX(105EDHF)用です。)

 感激はそれで終わりではありませんでした。 完成したパーツの納品後にいただいたメールには、アダプター製作を 喜んでくださったお気持ちが綴られていたわけですが、添付いただいた以下の2つのワードファイルには 大層心揺さぶられ、I さんに無理を言って、ここで紹介させていただく次第です。

手作りは楽し

ある日の「医師当直日誌」より

 どんな職業でもそうだと思いますが、日々の仕事は、ややもすればストレスが溜まるものではないでしょうか。 地道な誠意は伝わりにくく、派手なパフォーマンスをする世渡り上手は脚光を浴びやすかったりします。

 しかし、こうしてたまに遭遇する、心の琴線に響く client との出会いが、歩き続ける元気を与えて くれるのだと実感させられます。 振り返ると、実際そうでした。


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初期(と準初期)のEMSに関係した日記とリポート

125ED-BINOとEMS-1

Handy EMS-BINO

折りたたみ式車椅子

 また、以下のテレビ番組の中でも、初期のEMS(正立ミラーシステム;EMS-1)の内部構造を分解してお示し しています。

夢をつむぐ人々(常識への挑戦・・)

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 人生はうたかたの夢。初期のEMSを開発してから、あっという間に過ぎ去った時間が折り返した頃には、私はすでにこの世に いないか、いたとしても、もうこの仕事はしていないでしょう。 想い出も、またかかわった人たちも、いずれは消えて行く宿命 ではありますが、臨終に思い出すであろう甘美な出会いに恵まれたこと(多分これからも)を改めて幸せに思います。





2014年4月14日


Election of the Mayor of Tottori
(鳥取市長選挙)


Former deputy mayor, Mr. Fukazawa won the close battle with other two candidates, Mr. Tetsunaga and Mr. Fukuhama, last night.

I think I must write the complicated background how the things came into the result.
Citizens who were against former Mayor,Mr.Takeuchi, aiming the city hall rebuilding at the remote site with gigantic budget in spite of the critical financial conditions, won the referendum to stop it. But Mr.Takeuchi would not abandon his plan, and was twisting the public opinion by every means.

The last election took place in such a background. Mr. Tetsunaga who was an efficient prefectural assembly member announced his candidacy, and the one-on-one fight with Mt.Takeuchi was expected.

But last December, Mr. Takeuchi abruptly announced that he would not stand for the election.
To tell the long story short, the third man, who was an announcer of the local TV station, stood for the election with the similar attitude on the city hall issue.
And rather later than the two candidates, Mr. Fukazawa, deputy mayor, announced his candidacy succeeding to the Mayor's policies being supported by the governing members.
So, the election had come to be the cutthroat one by three candidates.

Mr. Tetsunaga was quite unhappy that many of his votes seemed to have gone to Mr.Fukuhama, who actually acted as an interrupter of him or defender of Mr. Fukazawa. The numbers of the votes of the three candidates are very close with each other, and that means 2/3 citizens are still against the moving and the rebuilding of the city hall.
That's an unhappy result for the majority of residents in Tottori City.





2014年3月17日


Aunt has died.
(叔母の死)




My only aunt of my father's side has died yesterday at the age of 90, and I'm back home from the funeral now. It also means that all of my father's brothers and sisters, as many as 10 in total, have gone to heaven. My aunt has lived her life in most righteous way through lot of hardships, but this time, I must admire her son, my cousin, has taken the devoted care of her as long as 5-years at home all by himself.

 父方の唯一の叔母(父の妹)が昨日亡くなり、さきほど葬儀から帰宅しました。 これで父を含めた10人の兄弟姉妹は全てこの世からいなくなりました。 決して順風でなかった人生を清く全うした叔母でしたが、認知が出た叔母を5年間も一人で自宅介護した従兄には頭が下がります。
 遺影は70歳前後の頃でしょうか。 私が物心が付いた頃の若かった叔母は絶世の美人でしたが、この写真にも片鱗が伺えます。





2014年3月9日


Daughter's Graduation from Medical School
(娘が医学科を卒業しました。)




Six years has past since my daughter had entered the faculty of medicine of Tottori University, and I had sit in on the graduation ceremony on March 7th.

 娘が医学科に入って、いつしか6年が過ぎ、一昨日の7日に、卒業式(学位記伝達式) の参観に行って来ました。 6年前に日記に(英文で)書いたように、幼時はデリケートで神経質な子で心配しましたが、同時に、親もふとんに潜り込む夜中の雷鳴に飛び起きて 窓のカーテンを開ける、という忘れられないエビソードも残した子でした。当時の当人曰く、縞々パンツの鬼が本当に空から落ちて尻餅ついているか、確かめたかったのだそうです。^^;

 その父親も、娘が小三の時に、同医学科を受験して破れたことを、今打ち明けます。 娘はその時「眼鏡屋の娘で今までずっと幸せだったから、このままでいいよ。」と 慰めてくれました。^^; 娘は父を越えました。 願わくは、娘には今後は極端にストイックに振れることなく、幸せな人生を全うして欲しいものです。

雪の結晶(2007年3/6の日記)





2014年2月18日


Ann has died
(アンが死にました。)




Ann, my sister's loving companion of the Labrador Retriever, died piecefully today at the age of 15. Beside her is her younger sister, Maru, the Toy Poodle, not knowing her death.
Dogs ages seven times faster than us, but give us seven times of affections and royalties in their short life. I wish her as happy life in heaven, and as warm eyes on my sister even from heaven for good.

 姉の愛犬のアン(ラブラドール・レトリバー)が今日、15歳と5か月で死にました。 安らかに逝ったそうで、 隣で寝ている妹犬のマル(トイ・プードル)はまだその死に気付いていません。
 人間の7倍の早さで年を取る犬ですが、7倍に濃い愛情と忠誠を返してくれるのが犬だと、いつも思います。 天国でも同じくらいに幸せでいて欲しいし、可能なら姉夫妻をずっと見守って欲しいものです。





2014年1月19日


Grip Strength-19
(握力:記録更新-17)




Busy season has prevented me from renewing the record so long. Now, here came the new record on my left hand.

 年末年始の繁忙に加え、ずっと軽い風邪ぎみだったことで更新が遠のいていました。 今日やっと左がわずかに更新しましたが、 右はこのところ、前回の最高値のタイ記録にすら達しません。 大きな鏡の前で上半身裸で筋肉の反応を見ながら(自らを鼓舞しながら^^;)トレーニングするのが 私のスタイルですが、冬は勝手が違って調子が出ません。 暑いのはいくら暑くても平気ですが、寒いのは苦手です。





2014年1月8日


Memmory of Mr.Hiragi
(Hiragi さんの想い出)




I attended the vigil of my friend, Mr.Hiragi, last night.
He was one of my local astronomy club members and our relationship dates back to nearly 40 years. He was five years older than I, and a commet lover,sharing the native town in common with Mr.Minoru-Honda,famous Japanese commet hunter. He was also an expert of mirror polishing and I must confide that the original mirrors of my first EMS binoscope were polished by him. Mr.Hiragi appears in a moment in the latter part of TV program below, helping me with the construction of my dome.

Harborer of the Dreams

The buddhist priest,Mr.N, who performed the vigil was also a member of our astronomy club, and he made a moving speech at the end, too. Yes, Mr.H and Mr.N are the rare witnesses of my EMS in its incunabula.

 昨晩、Hさんの通夜に行って来ました。Hさんとはここ5年ほどお会いしていませんでしたが、 地元の天文サークルのメンバーとして30年以上のお付き合いをさせていただき、かつメガネも作らせていただいていました。

 今日の午前中が葬儀なのですが、葬儀に参列するよりも、彼との想い出を今まとめておくことの方に意義があると、勝手に判断しました。 Hさんは、私より5歳年上で、彗星観測で有名だった本田実さんと同郷であり、同氏を目標にするように彗星を愛した天文マニアでした。

 知り合った当時は、確か私が20歳代半ばで彼は30歳くらいだったかと記憶します。 まじめで誠実、非常に礼儀正しい方であり、むしろ、機会があれば もっと腹を割ってお付き合いしたいなと思いつつ、他人行儀なままの関係で終わってしまったのを残念に思います。

 40年くらい前に、わずか8人程度の地元の20~30歳くらいの同志が自然発生的に集まった天文サークルで、10年前くらいまで初代会長 (僧侶)宅の寺院で月に一度の集会を設けていました。

  私が最初に作った8cm双眼望遠鏡(Sky&Telescope1982,11月号)のミラーを研磨してくれたのが H さんでした。 その時点で、Hさんは主鏡研磨の豊富な経験があり、 研磨のエキスパートでした。  たまたま手元にあった厚手の板ガラスから私が80φくらいの真円盤を2枚削り出しそれを共摺りで平面研磨していただきました。 研磨が完了した 円形の平面鏡は、今度はガラス切りの名人(店のお客さん)に2枚ずつ切り分けてもらい、最後は私が所定の形状に削り、アルミ蒸着に出したのでした。

 今から思えば、実に非効率なことをやったのですが、振り返れば、かけがえのない想い出となりました。 Hさんは私と違い、自己アピールを全く されない方だったので、彼がミラー研磨のエキスパートだったことはあまり知られていないと思います。

 昨夜の通夜の法要は、前記の僧侶の N さんが執り行いました。 多分、H さんの遺言だったと信じますが、珍しいことであり、H さんにとっては非常に幸せなことでした。

 また、Hさんは、(世界で)最初にC8(シュミカセ)-BINOを依頼された方です。 EMSが初期のワンボックス型からやっと2-ボックス型(汎用ミラーシステム) に移行した当初でした。確か1990年頃だと思います。 ただ、(彗星捜索の手順から)回転装置の無い小型赤道義に直接載せたいというご希望で、案の定使い勝手が悪く、 その後Hさんも繁忙に紛れて熱が冷めてしまい、結局は解体されて鏡筒を手放してしまわれたのは残念でした。
 下の番組の後半に当方のドームの建前のシーンがありますが、手伝ってくれたHさんが一瞬登場します。

夢をつむぐ人々

 僧侶の N さんと私とのかかわりはより深く、自称「当家はマツモト博物館だ」とおっしゃるように、公開されていない頃のEMSの試作品は全てNさんの所に あります。昨晩の法要の後のNさんの、声を詰まらせながらのスピーチは、宗教的な説教に優る感動的なものでした。





2002年8月23日~2003年12月15日

2004年1月3日~2005年1月2日

2005年3月23日~2005年12月30日

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2012年2月12日~2011年12月21日

2013年1月8日~2013年12月28日



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