松本龍郎の日記(雑記帳)
Diary of Tatsuro Matsumoto (2)


2004年1月3日~2005年1月2日

                       E-Mail: 松本龍郎


斜位テスト (040103)              週間とりぽーと (040120)              甥の結婚式(040302)

英検(001)(040309)                自分の意見(040313)               日本人「十万分の一の肖像」(040317)

見学者来訪(040321)         グリーン・フィールズの幻想曲(1)(040326)           父の免許更新(040330)

親思う心にまさる親心(040410)        目で見た通り(040416)                  変電所(1)(040419)

変電所(2)(040508)                 変電所(3)(040508)                   変電所(4)(040516)

変電所(5)(040521)                Amazing lady, Nancy(040523)             Bible Stories in Kanji (040527)

Substation (6) (040603)          鳥取ルーテル幼稚園創立50周年(040605)         不合格A(040701)

変電所(7)(040708)                 変電所(8)(040911)                  懸賞ゲット(040919)

パソコン不調(041006)               大工の大坪さん(仮名)(041019)        久しぶりに眼のはなし(041229)

 



2004年12月29日


久しぶりに眼のはなし(12月29日)

1.私は近眼だから一生老眼にはならない。

2.私は近視用のメガネを外して、裸眼で近くが良く見えるので、老眼ではない。

 上記は、どちらが正解なのでしょうか。 実は両方とも間違っています。

 まず、眼の光学的な構造を、単純なレンズ一枚のカメラにたとえると理解しやすいと思います。  人によってカメラの暗箱の深さは異なりますが、これは不問にし、無限遠のピント位置 (レンズを一番引っ込めた状態)での焦点とフィルム面との相対位置のみを問題にすることにします。   正しく製作、調整されたカメラなら、レンズの無限大表示位置で無限遠の目標の焦点がフィルム上に結像 しないといけません。

 レンズの表示が無限大の位置で焦点がフィルムの前(レンズ側)にありますと、当然ピント はぼけており、レンズを前に出してもぼけがひどくなるだけで、補正は利きません。これが近視の状態です。
   これは、凸レンズの度数が強すぎると解釈でき、その強すぎる分の度数分と絶対値の等しい凹レンズを装着させる ことで、凸レンズの作用を弱めて、無限遠の焦点がフィルムに結像するようにするのです。
 レンズの表示が無限大の位置で焦点がフィルムの後ろにある状態のことを遠視(老眼ではない)といいます。 遠視はレンズを前に出す(水晶体を膨らませる)ことでごまかせるので、気付かないことが多いですが、理想的な状態でないという意味では、前記の近視と同じことです。

  以上は、レンズを一番引っ込めた状態(無調節状態)での焦点位置を分類したものであり、その時の無限遠 の焦点がフィルム上に無い状態のことを屈折異常と言うのです。

 老視(老眼)というのは、レンズの前後の移動範囲が加齢によって制限されるものです。これは万人が免 れないものであり、最終的には、無限大の位置(一番レンズを引っ込めた状態)での固定焦点(レンズが全く動か ない状態)になります。現象としては、近点距離(ピントが合う最短距離)が老視の程度に応じて遠ざかるもので、 これは屈折異常の種類とは無関係に発生します。ただ、屈折異常の度を補正(メガネ等で)した状態でないと、 平等な比較は出来ません。

 「わしゃあ、メガネがなくても近くが見えるから老眼じゃあないわい!」 と言われる頑固なおじいさんも、 現象のトリックを自分の都合の良いように解釈しているに過ぎません。 このトリックを理解するには、屈折異常を 数字で理解する必要があり、ちょっとご説明したいのですが、決して難しくありませんので、逃げないで、最後まで お読みください。^^;

  一般に良く知られた視力の数値に、見分けられる2点の最小角度を”分”の逆数で表したものがあります。  例えば、私の視力は0.7とか、1.0とか。これは、数が大きいほど良く見える眼だと言えますが、自覚的な見え方を 数値で表したもので、定性的な要素の強い数値であり、先の屈折異常度(最初に説明したカメラのレンズの度の過不 足量)との数値的な相関はないのです。

  屈折異常度は、さきほどのカメラのレンズの*度数と同じ”D”(ディオプトリー)という同じ単位で補正(必要)量 を表したものです。度数は、レンズの焦点距離(単位はメートル)の逆数です。無限遠にピントが合っているカメラ で1mの距離にピントを合わせるには、1Dのレンズの追加で、50cm(0.5m)なら、2Dの追加でピントが合うという わけです。

  ですから、さきほどのおじいさんがマイナス(凹)4.0Dの近視としますと、調節力(眼の場合は水晶体を膨らませる 動作、カメラの場合はレンズを前に出す動作)がゼロであっても、メガネを外しますと、プラス(凸)4.0Dの追加度数を加算 したことになりますので、25cmまで見えることになり、近見についての不都合はないわけです。 (この方はマイナス(凹)4.0Dの近視用の矯正レンズを装用した状態で正視になっている眼なので、そのマイナス(凹) 4.0Dを取り除くと、正視の人がプラス(凸)4.0Dの老眼鏡を掛けたのと同値になる。)

  しかし、このおじいさんが若かった頃、たとえば5.0Dくらいの調節力があった頃であれば、 マイナス4.0Dのメガネを掛けたままでも20cmまで、メガネを外せば10cm近くまで見えていたのです。  ですから、このおじいさんは、正確には、「わしゃあメガネなしで近くが見える。」と言うべきではなく、 「若い頃はメガネを外さなくても近くが見えていたが、近頃はメガネを外さないと見えなくなってしまった。」 と言うべきなのです。

*度数: レンズや眼の屈折異常の度数は、重ね合わせが可能で、自由に足し引きできるのです。  つまり-1.0Dと-2.0Dを重ねれば-3.0Dに、-3.0Dに+3.0Dを重ねれば0.0Dになります。これが焦点距離だと、 焦点距離1mのレンズと焦点距離2mのレンズを重ねても焦点距離3mのレンズにはなりません。”度数”の方が取り扱いが便利 と言えます。  -4.0Dの近視は-2.0Dの近視の2倍強い近視だと言えますが、裸眼視力0.2の人が裸眼視力0.4の人と比べて、 2倍強い近視だとは言えません。)

  



2004年10月19日


大工の大坪さん(仮名)(10月19日)

  このところ、いろんな事柄が目まぐるしく展開しているが、文章にしにくい場合もある。  他人がかかわることには支障があることが多く、感情が高ぶり過ぎていても、文章は書けないものだ。  これは、時間的にほとぼりが冷めるのを待つしかないようだ。
   ということで、今日は、すでに当事者が亡くなり、いろんな意味で時効が発生しているような話の中 から、忘れられないものの一つをご紹介しようと思う。

  大工の大坪さん(仮名)

  「大坪がいたらなあ。」
  子供の頃、父がそう嘆くのを何度聞いたことだろう。 姉は大坪さんの顔を覚えているようだが、 残念ながら私は当時幼すぎて、大坪さんの顔はどうしても思い出すことが出来ない。

  父は自分で家を建ててしまうほど器用な人間だったので、並の大工の仕事では満足しなかった。  かと言って、当時は金も無いと来ているから、日当で来てくれるフリーの大工さんとして、腕の良い大坪さん を父は非常に重宝していた。

  「枠が破損し離散してしまった楕円形の鏡の枠を、差し金を使ってあっと言う間に作ってしまった。」  「あの教会の尖塔は大坪さんが一人で作ったものだ。」等々、大坪さんの卓越した技量に関する伝説は多い。   精緻な仕事を神速でこなす大工だったそうだ。

 しかし、数日働くと大坪さんはこう父に言ったそうだ。
「お金をつかんせえな(ください)。」
 父が大坪さんに日当を手渡すと、その後数日間は現場に来なかった。

 父:  「どこに行っとっただいや。」
大坪さん:「釣りに行っとりました。」 ・・と、こんな調子。

  そんな大坪さん、とうとう妻子を残して出奔してしまった。 その後の奥さんの苦労は半端ではなく、 二人の子供の一人がその間に死んでしまう。

 かろうじて連絡が取れ、息子の葬儀のために帰って来た大坪さんが父のもとに来た。

大坪さん:「息子の棺桶を買いたいので、お金を貸してつかんせえな。」
 父: 「お前が作ってやったらええがなあ。」
大坪さん: 泣きながら・・・「何でわしが自分の息子の棺桶を作れますだいな。」
 父: 「これで買ええ。 香典だから返さんでもええ。」

  その後、父が大坪さんに延々と説教をしたのは言うまでもないが、葬式を済ますと、 大坪さんはまたいなくなり、二度と帰ることはなかった。

  それから二十年以上を経過したある日、大坪さんから父に電話があった。   一緒に出奔した女性には直ぐに捨てられ、ずっと独りだったこと。現在入院中であること等を涙で訴え ていたそうだ。 その数年後、大坪さんは死んだが、遺体の引き取り手はなく、骨は奥さんにも息子さんにも拾わ れることはなかった。

 寂しく死んだ大坪さんと、葛藤を越えて頑なに骨を拾わなかった奥さんの気持ちは部外者が推し量れ るものではないだろう。

「私たちはこの世に懲役刑として送り出されている。」

                  と誰かが言った言葉を思い出す。






2004年10月6日


パソコン不調→復旧(10月8日)

 昨日、webからの指令に従ってos(windows xp)の更新をしたところ、ネットに繋がりにくくなり、 時間の経過と共に症状が悪化しています。生憎、かかりつけの専門家も出張中で、復旧は明後日(8日)頃になりそうです。   メールの確認、返信等、しばらく出来ない可能性がありますので、よろしくお願いいたします。



 PCの方、設定が狂っていたようで、本日復旧いたしました。(10月8日)






2004年9月19日


懸賞ゲット

 広告の掲載に応じていた、地元の進学高校の学校祭のプログラムを月初めに受け取った。

 ”メガネのマツモト”が掲載してあるのを確認した後、各社の広告を辿ってみたところ、一番最後に某学習塾の 広告があり、懸賞問題が掲載されていた。
 2変数関数の最大値を問う問題で、「高校の範囲を超えているのでは?」 と思いながら挑戦したみたところ、確かに、高校のレベルで解ける。 年齢制限もなさそうなので、応募してみたところ、 3人の正解者の一人に認定された。

 懸賞はわずか千円分の図書券だったが、原始時代レベルから独学で積み上げて来た 私にとっては金額以上の意義があり、今日受け渡し場所で懸賞をいただいて来た。






2004年9月11日


変電所(8)

      最初の犠牲者

 たった今、町内の方の告別式のお手伝いをして帰って来た。

 変電所建設予定地の真ん前の家の若主人が亡くなった。 50歳代半ばで、わずか3か月の闘病の後、 変電所問題の結末も知らずに逝ってしまわれた。  当家には、変電所建設反対の巨大な垂れ幕を設置させていただいていたが、 9月7日夜の台風で外れそうになったので、翌朝、業者に頼んで撤去していただいた。  本格的な台風シーズンを控えていたことと、重病人をかかえた家族に余分な心労をかけたくないと 思ったからだ。 垂れ幕を撤去したその日の夕方、その家の主人は病苦から解放された。

 建物への垂れ幕設置は、いろんな意味でその家主に犠牲を強いるが、この家の主人は、 快く設置を引き受けてくれた。 運動の矢面には立たれなかったが、 4か月間、変電所建設反対のスローガンを掲示してくれた意義は大きかった。

  大なり小なり、住民は満身創痍で闘っている。 持病を悪化させる者、腰を痛める者、 風邪をこじらす者、数え上げれば枚挙にいとまがない。中年以降の余分なストレスは、深刻な病気の引き金 となりかねない。

  この運動を通して、電力会社の論理も主張も理解したが、3年前に電力会社が予測した 平成16年夏の停電は、記録的な猛暑にかかわらず、発生しなかった。  それでも変電所の建設が必要と言うのなら、どうして3年間建設が出来なかったか、 どうしたら建設することが出来るのか、電力会社も、市行政も、もっと真剣に考えるべきではないのか。

  建設推進派も命を賭して闘っているのだろうか。 もし運動の真剣さで互いの主張の真偽を計れるの なら、決着は簡単に付くのだが。

 



2004年7月8日


変電所(7)

  英検1級対策に”英語で意見を論理的に述べる技術とトレーニング”という非常に戒名の長い本を 買ったら"false dilemma"という語に出会った。false=偽(にせ)、dilemma=ジレンマ で、これは、卑怯者が 良く使う、物事の選択肢がいかにも2つに1つしかないように見せかける手法を指す言葉だそうだ。

  実例を挙げると、中国電力の基本的な説得手法である、『停電か変電所建設か?』というのがあり、 その他にも鳥取市には、『膜濾過浄水場建設かクリプト菌か?』というのもあり、枚挙にいとまがない。

  古今東西、堕落した為政者は断頭台に上るまで自らの善政を確信しているもののようだが、市民の目はいつまでも節穴 ではない。

  昨日(7月7日)の日本海新聞の『私の視点』に掲載された拙文の原稿をご紹介する。  原稿はほとんど無修正で掲載いただいたが、脱字と、一部削除された部分を太字にしておいた。



 『私の視点』

 物事には両論あって当然であり、それらが公平に掲載されることに異存はない。  ただ、その議論に何かが欠如しているような気がする。

  まず、変電所から出る電磁界が人体に及ぼす害を立証することは簡単ではなさそうだが、 それは無害を立証することが難しいのと同じことだ。 だから、私個人的には、これには触れないと、 再三申し上げている。

  問題をもう一度整理してみよう。実は、遷喬小学校隣の変電所建設計画は、今唐突に始まったも のではなく、同じ校区内の商工会議所駐車場が建設候補地になった3年前に端を発していると言える。  2年前に同地への建設計画が白紙撤回された時に、現鳥取市長が影響力を行使されたことは周知の通り である。さらに、その時点で、変電所自体の必要性の有無を検証せず、中国電力に代案を具体的に提示 しなかったことが、現計画への変電所建設計画に至った所以だ。市長は鳥取市が介入する問題ではない と言われるが、すでに最初の時点で深く介入されたのだから、最後まで面倒を見ていただかないと困る。

  過去3年間、前記候補地を含む複数の地区で変電所建設反対運動が継続的に起こっている訳で、 今回も紛糾しているのである。 電力供給の重要さを考えるのなら、行政が傍観を決め込んでいる場合で はないことは明白なのではないだろうか。

  まず、議論すべきは、市中心部の電力不足が近未来に本当に発生するのかどうかだ。3年前には、 中国電力は、平成16年夏より停電が発生すると言っており、今回は平成18年の夏より停電が発生すると言って いるが、根拠は曖昧に聞こえる。

  仮に近未来の電力不足をそのまま認めるとした場合、今度は、どこに変電所を建設するかという問題 がある。 現在の予定地となっている遷喬小学校隣は、過去の複数の候補地での反対運動で選択肢を奪われた 中国電力が、苦渋の決断で自社所有地の中から選んだものであり、効率的にも必ずしも最適地ではないことは 同社もはっきりと認めている。

  つまり、変電所が必要なのかどうか、必要ならどこに建設するのが最小限の住民の犠牲で最大限の公益 を満たすのかを、皆で議論しましょうと言っているのだ。

  あなたの家の庭に変電所を建てたいと言ったら、皆反対しますね。 そうであるなら、 公益のための市民のリスク負担が極力公平になるように、皆で配慮すべきではないのか。

       



2004年7月1日


不合格A

  6月13日に受験した英検1級一次試験の結果が出た。 去年の準1級の時の記憶から、 2週間以内には結果が分かるものと思っていたので、今回は随分と気をもまされた。  数日前に英検のサイトでやっと「6月30日に合否閲覧開始」と発表され、その日を待っていた29日に、 直接メールで不合格の速報が届き、正直ショックを受けた。

  今年は直前に出題形式の大幅な変更があった上、3月下旬に地区で変電所問題が浮上した。 直前の対策が不十分だったので、今回の受験を少し迷ったものの、 予定通りに受験したのだったが、やはり受験したからには、どうしても合格を期待してしまう。

  一次試験は、最初の100分間で、語彙選択、読解のマークシートと英作文、最後に30分間のリスニングテストで 構成されている。 語彙、読解共、級が上がっただけ難度も増すのだが、それよりも、分量自体が準1級と比べて半端でない。  時間との闘いを予想していたので、語彙と読解の問題を全く反芻することなく駆け足で進んだところ、60分で 筆記最後の英作文の問題に到達した。 200語の英作文を最後の10分ほどで仕上げることを覚悟していたので、 「これはいただいたかな?」と思ったとたん、興奮のあまりに思考回路が停止してしまい、みるみる時間が過ぎてしまった。   与えられたテーマも、「職業選びの条件」といった内容で、去年娘のスピーチコンテストのために書いた原稿をそのまま 写しても良さそうなものだったのだが、うまく書こうとすればするほど頭に浮かばず、結局100語余りの文章を書いたところで 時間切れになってしまった。

    



2004年6月5日


鳥取ルーテル幼稚園創立50周年

 今日は表題の幼稚園の創立50周年の式典(午前中)と祝賀会(午後)に出席するため店を閉じた。   この園には、奇しくも私と娘の親子2世代で現園長の三谷先生のお世話になった。記念すべきこの式典に 招かれたのだから、臨時休業もなんのそのだ。

  この幼稚園は、昭和29年に鳥取福音ルーテル教会会堂が建築された時、地域の要望を 受けた宣教師コーレ・ビュー師が、会堂を用いて「鳥取ルーテル園」を開設したのに始まる。 開設当時は日本は 戦後の復興期で貧しく、さらに鳥取大火で鳥取市内は壊滅的な被害を被っており、ノルウェーの教会からの 暖かい支援に支えられて幼稚園は今日に至っている。

  式典では、Christianで Gospel Singer の森祐理さん のコンサート、同じく祝賀会でもミニコンサートが開かれ、信仰に裏付けられた美しい歌声と 霊的なお話に惹き込まれた。 特に祝賀会で歌われたAmazing Graceでは 頬をつたうものを抑えられなかった。


 最後に50周年記念誌に掲載していただいた拙文をご紹介する。

もろびとこぞりて

  「モーロビト コゾリテー シュワーキマーセリー ♪・・・・ 」

  当時は意味も分からず歌っていた。 多分、先生の説明を聞いていたはずなのだが、その歌詞を 「諸人挙りて、主は来ませり。」と理解するまで長い年月を要した。

  末っ子の長男だった私にとって、幼稚園は最初の試練だった。 我が強く先生を独占したいのだが喧嘩は 強くなく、絵だけは上手だったようだが、総じて晩稲で、目立たず大人しくしていたと思う。胸をときめかせた 三谷先生の紙芝居の他、葛藤に悶絶していたことも鮮明に覚えている。

  当時は現在のような立派な園舎はなく、礼拝堂が園舎を兼ねていた。お昼寝の時間になると、狭い屋根裏部 屋のような所に上がっていたが、すぐに寝付く園友の傍ら、自分はなかなか寝付けなかった。多分そこは教会の 十字架の尖塔部の中だったのではないだろうか。

  中庭も含め、結構ワイルドな遊びも許されていたように記憶する。うろ覚えだが礼拝堂内の片隅に椅子が 大量に積み上げられたような所があり、トンネル状の抜け穴で園友たちが入って遊ぶ中、狭い所が怖い私は 入るのが厭だった。園庭には木登りに好都合な大きな木があったが、私は高い所も怖かった。

  気が付くと、一人娘がまたお世話になっていた。三谷先生に親子二世代がお世話になった次第だ。時に 娘も同じ葛藤を経験する様子を見ながら、親も学ばせていただいた気がする。

  ”もろびとこぞりて”の例えではないが、幼稚園とは、種類の分からない種に水を撒くようなものか なと思った。先生はずっと後の発芽を見届けることなく園児を送り出さないといけない。二世代目の入園 で初めて、親となった園児がどんな芽を出し、どんな木に成長したのかを見ていただけるのかも知れない。 いや、親として子供を園に送り出すことで、真の意味での幼稚園のレッスンが完結するのだろう。

  



2004年6月3日


Substation (6)

Those who will not understand our protest movement seem to regard the substation as a kind of an electric power plant or something that produces electricity. And some of them accuse us of hampering the Power Company's promotion for the right supply of electricity.

That's far wide of the mark. We have no intention of hampering the supply of electricity.
Let me review our real situation. Electricity has been supplied to the city center from the three substations in the suburbs. The three substations have had the roles decreasing the high voltage electricity from the source to deliver safely into the city center.
Now, the power company insists it to be the most efficient to build another substation in the city center to secure the future supply, and directly into which the super high voltage electricity should be carried.

Let me compare electricity to water for the easier understanding. Now, the water is supplied to us through aqueducts from the three big water tanks (substations) in the suburbs. The Power Company insists that the water demand in the city center will increase in a few years and will exceed the capacity of the aqueducts, not the source supply. They insist that constructing a big water tank in the city center is more efficient than increase the number of the aqueducts. The big water tank in the city center means a canal connecting it with the water source to be constructed.

Namely, the water source itself is not scarce. What is argued between the Power Company and us is the way to convey the water into the city center. The power company insists the most efficient way, and we insist the safer ways available. That's all.





2004年5月27日


Bible Stories in Kanji

Here is a handmade booklet which I had received from my American friend Mr.K.
A little time before I took a visit to his home in 1985, he was constructing a Torii(shrine gate) in his 2-acre yard to welcome me. He wanted to put up a plate on the top of the Torii and on which he wanted to carve Japanese sentences for welcome.
Then he asked an elderly Japanese descent woman living relatively neaby for translations into Japanese. When he was leaving her house, she handed the booklet saying "Please give it to your Japanese friend."
While I was stayng with him, I was showered by many amazing experiences and missed the chance to see the old Japanese woman there. And a little after I came back home from States, I knew she had passed away.

 Mr.Kは正統的な教会の牧師でしたが、私を迎えるため(1985)に、2000坪の庭の一隅に高さ3メートルの鳥居を立ててくれていました。
  その天には、私を歓迎する文句を日本語で自分で彫った木製のプレートが掛けられていました。
  Mr.Kがその英文原稿の日本語訳を近所(と言っても大分離れている)の日系人のお婆さんにやってもらった時、帰り際に 「日本から友達が来たら、これを渡して欲しい。」と、お婆さんから託されたのが、この小冊子だったのだそうです。
  私はこの小冊子をMr.K宅に滞在中に彼から受け取り、2週間の滞在中に彼女に会うチャンスを 失したまま帰国し、しばらくして彼女が亡くなられたのを知ったのです。   単なる「こじつけ」だと思う方も多いかも知れませんが、私にとっては意味の深い大切な書物です。中には多数の実例が載っており、「ユダヤ人と東アジア人(中国人)は 共通の先祖から別れた・・・」というような大胆な仮説も登場します。(奇しくも最近の遺伝子の研究成果より、それが必ずしも荒唐無稽ではなくなって来ましたが。)

  無断転載は良くないと思い、web上で著者の所在を探しましたが、見つかりません。
亡くなられている可能性も高いと 思い、むしろ多くの人の目に触れる方が著者の意志に添うと判断しました。

  



2004年5月23日


Amazing lady, Nancy (anonym)

Last summer, a middle aged American couple happened to drop in my shop. They were staying with their daughter who was teaching English at an English School here.
Soon the couple and I hit it off together and I invited them with their daughter to my observatory dome to watch the stars. They were so much excited by the stars my special bino-scope offered.

Since then Nancy and my family have been keeping a good relationship.
She was kind enough to accompany us to my daughter's English Speech Contest held in Hiroshima.

Nancy is going to quit the teaching job here and leaving at the end of this month.
She will return to the States.

So, we had a farewell party for her last Friday at a fancy Japanese restaurant.
She said that it was the far best dinner she had ever had in Japan.

I once went for lunch with her. I thought I would treat her with rich dish which I thought she must have been missing. However, she ordered the cheap pasta instead.
While eating, she said she usually runs to her room in the short time of her lunch break to cook miso-soup for herself for a lunch. Oh,so amazing American lady, Nancy!
How many Japanese women working alone would cook for their own lunch?
She will be definitely one of the women I shall never forget.

God bless her.





2004年5月21日


変電所(5)

 5月18日に、中国電力社長、鳥取市長、市教育長のそれぞれに要望書を提出した。   私たち代表5名がそれぞれ、中国電力では担当者と約1時間、市長とは30分、教育長とは20分話した。  中国電力の考えも、市長の中立的な姿勢も予期した通りではあったが、まずは一つ目の仕事が 片付いた、と言ったところだ。

  各町の代表の寄り集まりで発足した反対の会も、まだ代表者を確定していなかったが、 その場の成り行きで、市長との面会の後、市政記者室で私が代表して記者会見を受けることになった。   その中で、2名の記者が、私が「地域エゴではない」と常々主張していることに対して突っ込んで来 られた。たとえば、私が市の中心部の一つの変電所建設に対して、郊外の複数の変電所を提案しているのも、 ある意味では地域エゴではないか、と言うのだ。

  なかなか鋭いご指摘で、「居住空間と田んぼの中とは重みが違う。」、という私の反論も我ながら 根拠が乏しい気がした。 指摘した記者の方は、「中電の味方をする訳ではない」と前置きされたが、 確かに、冷静中立な視点を持つことの重要性を再確認させていただいた。   自省的たらんと努め、時には仲間の批判すら買ったくらいに地域エゴを抑えて公益に配慮して来た つもりであっても、第三者の目から見れば、やはり地域エゴに見えるということで、まだまだ私の論理は 甘いことを知らされた。 行政や報道機関を取り込み、広く市民の理解と支持を得るためには、外側から自分たちを客観的 に見る視点が不可欠だ。今回の計画地が中国電力の所有地であるという不利な条件を考えると、 特にこのことは明白であって、 むしろ記者のご指摘には感謝している。

  もう一度、客観的な事実を整理してみたい。   まず、数年前に、近未来の電力不足を中国電力が予想した。その後、 市の中心の限られた区域の中に中電が設定した(あるいは設定されそうな)数カ所の候補地に於いて、住民による猛烈な反対運動が起 こり、中電の計画はことごとく阻止され、この度の同社所有地への建設計画に至っている。

  以上は客観的な事実であって、議論の余地の無いことである。    この数年の間、一定区域の中の複数の候補地が住民の反対でたらい回しになっているのだ。   この事実を客観的に見さえすれば、良識ある政治家であれば、行政がどうすべきなのか自ずと理解 できるものと私は考えている。

1.まず、市は中立な専門家による調査団を構成する。
2.調査団は市の電力事情を調査し、本当に数年後に電力不足が発生するかどうかを確かめる。
3.実際に電力不足が発生するとした場合、電力供給を増やす選択肢を検討する。
4.その結果として、市内への新たな変電所の建設が不可避となった場合には、 最小限の住民の犠牲で最大限の公益を満たす建設場所を公平に選定する。
5.その変電所周辺及び送電線沿線については、十二分な安全率を見たスペースを、都市計画的に市と 電力会社が確保する。

  以上は、私個人の意見であって、反対の会を代表するものではないが、これなら誰も反対する理由は 無いと思われるが、いかがだろうか。 電磁波の害、無害の応酬は今後も不毛な議論になる予感がする。  今はっきりとしているのは、変電所が自分の家の庭に来ることを誰もが拒否すること。 そうであるなら、 変電所を作らない解決策の有無を十分に探ってみるべきで、不幸にして変電所が不可避 となった場合は、残念ながら、行政が介入してその嫌われ者の変電所をどこかに建設せざるを得ない、 ということではないだろうか。   市長は、「市民に必要な情報は逐次開示して行く。」と言われるが、情報は収集してこそ開示できるの であって、未だ、行政が必要な客観情報を能動的に収集している様子は全く見られない。

 中国電力には、先日もお願いしたように、変電所の概要だけでなく、送電線の明確な経路と、漏出する電磁波の地図上の 強度分布(最大出力時の)を一日も早く開示することを求めたい。自社の安全基準を満たしているのであれば、自信を持って公開されたら良い。

  また、私たち反対運動家が肝に銘ずべきは、自分たちの小地区から変電所を排除しても、 問題の最終解決ではないということだと思う。 それは今までのことを振り返れば簡単に理解できる。  本町3丁目が変電所を撃退しても、目と鼻の先の片原1丁目に火種が移っただけだった。 また、運良くここも撃退 できたとしても、また似たような事が繰り返されるだけだろう。 だから、こういう問題、公益と住民の安全や 権利が矛盾しそうな事態になった場合に、それをうまく調整するようなシステムを構築しておくことが急務 なのではないだろうか。 でないと、このような悲劇は何度でも繰り返される。

 その度にこのような運動を強いられる住民の負担は過酷なものがある。 公益も、そのための犠牲も、 全市民に公平に分配され、分担されるべきものではないだろうか。

      


2004年5月16日


変電所(4)

 「停電になっても良いんですか?」

  中国電力はこう言いながら地域を戸別訪問しているようだ。 「停電か変電所か」と言うのは、善良蒙昧なお年寄りを脅すには格好のシナリオだ。 これは、中国電力が都合の良い ように話をすり替えているものだ。

  街の中心の変電所以外にも電力供給を増やす手段が多数あることは、中国電力も説明会ではっきりと認めているのだ。  ただ、その多くの選択肢の中で、一番安価?に実現できるのが街中変電所だ、というのが中電の主張なのだ。 しかし、 百歩譲って、仮に街中変電所の建設が不可避だとしても、住民が納得できるだけの配慮(たとえば地中深くへの埋設等)を すれば決して安価な買い物ではないのだ。 他の手段の方が割に合うことは明白なのだ。

  そして我々も、猪突猛進に電磁波の害や、代替策の提案なしでの性急な反対意見を主張するのみでは、 広く全市民の理解を取り込むのは難しいのではないか、ということだ。  変電所からも送電線からも遠く離れた地区の 者は、”停電”の推進派としてしか見ないだろう。 血を流している人間に救いの手を差し伸べる人もいれば、 自分も血に汚れるのを嫌って距離を置く人もいるのも現実なのだ。
  ある種の鶏の群の中に傷付いた一羽を入れると、群の鶏は一斉に 傷付いた鶏の傷口を、猛烈な敵意をむき出してつっつくと聞いたことがある。 これは生き物が持つ習性の一面であって、悲しい事だが、肝に銘じておくべきだろう。  やはり公益に訴える部分がないと、市民の広い支持を得ることは難しいだろうし、 ましてや中国電力を説得できる訳がないと私は考えている。

  



2004年5月10日


変電所(3)

 以下の手紙(概略)を、鳥取市の市会議員全員32名に、5月2日にお送りしました。

拝啓、 貴職におかれましては、日々鳥取市民のために献身的にお働きくださいまして、 深く感謝いたしております。

  さて、突然に手紙にてお邪魔いたしましたご無礼、平にお許しくださいませ。私は、 この度、変電所建設反対の会の片原1丁目の会長を引き受けました者でございます。 私は元来、 住民運動というものは地域エゴの主張をするものだと思っており、公益に反するものとして敬遠し てまいりましたが、この度の変電所問題につきましては、そういうステレオタイプに属さない、 看過できない重大な問題と考えて立ち上がりました。

  添付資料は、近日提出予定の鳥取市長宛の陳情書の案文でございます。  同変電所計画の白紙撤回が第一の希望ではございますが、この問題は、少なくとも十分な議論がな されるべきものと考えます。なにとぞ貴職もご一読くださいまして、よろしければ、e-mail, FAX, 電話等にてご意見をいただけましたら幸いでございます。

  仮にこのまま予定地に変電所が建設されますと、住民はあらゆる不利益を被りながら、 他の地区の市民の誰からも感謝されない、という極めて悲惨な状況を受け 入れさせられます。

  他の候補地の強い反対運動(結果的に中電を断念させた)も証明しているように、 電磁波の有害無害とは無関係に、全市民が近所に変電所が来るのを嫌悪していることは明らかで、 市内の電力供給不足が近未来の事実とするならば、電力の公益性を考えれば、全市民参加の下に 行政が積極的に介入すべき問題であることは明白ではないでしょうか。

  具体的には、変電所の旧市内への建設の必要性の有無や代替手段をもう一度真剣に検討してく ださいますようお願いいたします。

                                     敬具

  



2004年5月8日


変電所(2)

  住民運動というものは、とかく、「公益に反する地域エゴ」 というステレオタイ プで見られやすいもののようだ。 しかしながら、少なくとも私自身は、地域エゴを主張 するつもりは毛頭なく、ただ蒙昧に変電所の建設を反対しているのではない。

   ただ、電力というものは公共性が極めて高いものなので、行政の介入が必須 であると言いたい。

   この度の中国電力の変電所計画は、水面下で周到な根回しをしてから、いき なり公表された印象が強い。 現在までのところ、説明会はごく一部の地区で のみ行われ、説明も変電所自体に限定され、それに伴って田島変電所から市の中心部 まで引き込まれる11万ボルトの送電線については、明確な経路図や仕様等(漏出する電 磁波強度分布等)を開示しておらず、あたかもこの問題が建設予定地区だけの ものであるかのように扱われている。   中国電力は、それら全てを隠さず公開し、地域住民と全市民に詳細を説明すべきだ。

   計画の詳細を十分に全市民が理解した後に、変電所の必要性と代替策の有無を 市民を交えて十分に議論検討し、その結果として旧市内への変電所の建設が本当に不 可避となった場合には、最小限の住民の犠牲と最大限の公益が得られる建設場所を、 地域エゴを捨てて公平に選定するべきではないだろうか。

 これらを遂行させるためには、行政の力が不可欠だ。

  これらのプロセスを踏むには、今回の中国電力の、3月末に概要を公表して今年 10月の着工、というような性急な計画では、とても時間が足りない。

   今の状況下で仮に変電所建設が強行されると、地区住民は他区の住民から感 謝さえされない(他区の大半の人は変電所の公益性と建設地区の事情を十分に理解していない ; 計画すらまだ知らない市民も多い)という悲惨な結果を強いられることになるのは明白だ。





2004年4月19日


変電所(1)

 先月の末頃、中国電力の社員が来て、いきなり「鳥取中央変電所建設計画」の概要書を置いて行った。 中電によると、鳥取市中心部の電力需要の伸びに、周辺の3か所の変電所からの供給が限界に近付いたので、その 3か所の変電所の中心(つまり鳥取市中心部)に上記の新しい変電所を建設したいというのだ。

  3年ほど前に同社がこの計画を打ち出してから、数カ所の候補地の住民の猛反対により用地買収がかなわず、 計画が頓挫していたものだ。

  ところが、今回は同社所有のビルを解体して、そこに上記変電所を建設するというのだ。場所は鳥取市 片原1丁目201番地、奇しくも当店は102番地で、逆さに読めば同じだ。店から出たら、目の前40mほどしか離れていない。 しかもそれは、母校の遷喬小学校と隣接し、そのプールと接している。鳥取市役所のすぐ斜め前でもある。

  中電が、用地買収が進まないことの苦し紛れに、諦めた他の候補地よりもさらに住宅、店舗密集地の自社所有地に無理矢理建設することを 選んだとしか思えない。

  確かに、電気はありがたいものである。電気が無い昔の生活に戻れる訳もないことも承知している。 人類が火を使い始めた段階で、すでに私たちはリスクを敢えて背負って便利さを選んだのだ。 農畜産物にしてもしかり、 BSE(狂牛病)が出ても鳥インフルエンザが出ても、飽食に慣れた現代人は集約的な生産手法を完全に放棄して、ひもじい生活に 戻ることは出来ない。また、それらの恩恵に浴しながら、いわゆる「総論賛成、各論反対」の立場を 取る地域エゴの醜さも重々承知している。

  だから、少なくとも私は、電力需要が集中する市中心部に変電所を建設することに、ただ蒙昧に反対しているのではない。 ただ、なぜ今なのか、なぜ遷喬小学校に密着して建設する必要があるのかが理解できないのだ。

  一昨晩、中電による一度目の住民説明会が、遷喬地区公民館で開催され、話を聞いた。   私は開始時間より10分ほど早く行ったが、すでに会場には多数の長テーブルと椅子が整い、中電の社員が 9名ほど、こちら(住民席)を向いて一列横隊に並んで着席していた。住民は三々五々集まり、定刻に説明会は始まった。

 水掛け論が予想される電磁波の害についての主張は、時間を節約するために住民側が敢えて避けた感じで、それより急所を突いた質問が 多く、好ましく思った。 一方、中電側の答弁は、案の定、17年も前のWHOの電磁波の安全基準と、電力の安定供給の錦の御旗を同社サイドの教科書 通りにかざすのみだった。

  中電が示す予想によると、市中心部の電力需要は年々増え続け、数年後には不足が生じるとのことだ。   しかし、私はそのグラフには大いに疑問を持っている。市の中心部は、景気の沈滞と核家族化によって、過疎化の 一途を辿っているのだ。我が町内でも、この十年でも片方の指で数えられないほどの家が撤去され、駐車場になっている。

 一昨晩の中電の提示資料を見たところ、やはり、各戸の電力消費量よりも、契約数が増加したことで総電力消費が 延びたようで、その増加した契約数は、最近市内に林立し始めた高層マンションによるものだと理解した。

  少なくとも、私が住んでいる地域から山の手、鳥取城趾がある久松山(きゅうしょうざん)までの住民は、景観と視界を損なう高層マンションの 建設に猛反対しており、つい最近も私たちの血税を以て西町の高層マンション予定地を市が買い上げたばかりなのだ。   近い将来に不足するとしても、電力は少なくとも現時点では足りており、やはり、中電は商品である電気を 拡販したいという大前提で動いているのだという確信を、一昨晩の説明会でさらに強めた。

  私は、中電をレストランに例えて、次の意見を述べた。

「私どもは、曾祖父の代から遷喬地区に土着しており、中電という大きなレストランの席に着いて ご馳走をいただいている。電気はもはや私たちの生活に欠かせないものであり、現在までその恩恵に浴して来たことに つきまして、日頃より御社には感謝の念を懐いている者です。   さて、一流のレストランであれば、ネタの在庫や厨房の処理能力を超えたお客を店内に無制限に入れるべきではないのではありませんか。  厨房の処理能力を超えて客を導入すれば、ついには客を長時間待たせ、ネタも尽きることになるのは必定ですね。」

   こう発表したが、どうやら中電の社員には電力の需要を抑制するとか、節電を奨励する発想は皆無であって、ポカンとして 聞いているばかりで、暖簾に腕押しだった。ただ、これは必ずしも社員を責められないとは思った。   なぜなら、そもそも特に大企業というものは利益を追求するための組織だからだ。 その企業の中では、拡販が善であり、 利益の増大が最大の目標なのだ。 だから食品メーカーの不祥事も後を絶たない。企業の中にいる社員は、 外が見えず、いや見ることを無意識に拒否しながら企業内の価値観に従って生きざるを得ないのだろう。なんだか哀れにも見えて来る。   上から示されたデータや方針を疑いなく受け入れ、企業内競争に邁進する。この体質にはカルト信仰的なものすら感じるのは、私だけだろうか。
  しかし、商品が人の命にかかわる物、公共性が高い物については、外の社会に対しての無責任な対応は決して許されるべきものではない。   中電の社員、重役、社長さんには、ぜひそのことに気付いて欲しいものだ。

  また、家庭内の電気製品が出す電磁界よりも格段に小さい電磁界、という説明も、子供だましのまやかしでしかない。 これについて、私はこう言った。

「家庭電気製品からの電磁界は作動中のみのこと、変電所からの電磁界は弱くても定常的なものですね。ただ、それをさて 置いても、意味が決定的に異なることがあります。あなた方は全く分かっていません。   まず、確かに私たちは家庭電気製品からの電磁界をしっかり浴びています。だからこそ、もう+αは一切御免だということ。
  それから、これは騒音に例えて考えるとよく分かります。お隣のテレビの騒音に悩まされている家があるとしましょう。 その隣家の人がその被害者の家に来て言いました。(その時、その家はテレビを見ていた。)『何だ、お前さんちのテレビの音の方がずっとウルサイじゃないか。 』  これと一緒です。 見たくて見ているテレビの音と、見たくない時に外から漏れてくるよその騒音とは、全く次元が異なるものなのです。」

 限界に近づいたと言われる、郊外の変電所から来ている配電線を増やせない理由を聞いたが、それは単に既存の電柱の物理的強度の 問題であって、理論的にも技術的にも不可能ではないことも、一昨晩の説明で理解した。つまり、それが出来ないのではなく、 中電がしたくない、ということなのだ。

  これは、遷喬地区だけの問題ではない。現在計画中の変電所が建設されると、田島変電所から11万ボルトの送電線が市中心部を横断して 該当変電所まで渡されるわけで、送電線付近の住民は常時相当量の電磁波を世代を越えて被爆し続けることになるのだ。

  スウェーデンのカロリンスカ研究所では、高圧線から300m以内に住む住民53万人を25年間にわたって調査し、 次の結果を得ている。それは、
「高圧線近くに住む子供は、白血病に3.8倍かかりやすい」 というものだ。

  確かに電磁界が無害だと主張する報告も無いではない、しかし、欧米では、"Prudent Avoidance"(慎重なる回避、思慮深い回避) の立場を取るのが趨勢となりつつある。 先進国の中で最も電磁界対策が遅れているのが日本らしい。

  長くなるので、今日はこのくらいにするが、これは遷喬地区だけが背負うべき問題でなく、鳥取市全体の問題、いや日本全体の 大きな問題だと思う。 すでに一応の撃退を果たした隣りの本町や西町の方々を含め、市民全体で回避策、代替策を 真剣に探り、本当にどうしても旧市内での変電所建設が回避できない時には、地区エゴを捨て、全体の利益を考えて、どこに建設を許すのが より影響が少ないのかを全市民が考えていくべきではないだろうか。

 また、今こそ、鳥取市民は鳥取市長、市会議員等の政治家たちのこの問題への対応を固唾を飲んで見守っている。   この問題は、ろくでもない政治家とそうでない者を見分ける良い試金石となるだろう。 また、 報道機関の対応にも市民は注目している。

     



2004年4月16日


目で見た通り

  私が天文マニアの依頼を受けて製作している双眼望遠鏡の話です。 (以下、その双眼望遠鏡のことをEMS-BINOと略します。)
  今日は、マニアでない方にも読んでいただけるように極力平易にまとめてみます。 そうすればほとんどのマニアの方に理解してもらえると思うからです。

 EMS-BINOは、天体望遠鏡を2本並べた形をした、両眼で見られる双眼望遠鏡です。 私は、本来は逆さまに見える天体望遠鏡が、見やすい角度で両眼で正立像で見られるようにするために、 それに付加する2枚の平面鏡を用いた正立光学系(EMS)を自ら開発し、上記の、全く新規な望遠鏡の ジャンルを開拓しました。

  さて、完成したEMS-BINOを当方でお引き渡ししたケースでは、ユーザーの方が使用上で難航された 例は皆無でしたが、運送屋さんに依頼して発送した場合にごく希に、調整に苦労されるケースがあり、 その原因について首をかしげておりました。

  ところが、1週間ほど前、「調整方法が分からない」という方が、車で10時間かけてEMS-BINOを運んで 見え、初めてその2年越しの謎が氷解し、その原因を特定いたしました。なんと、その方は約2年間 も調整不完全なEMS-BINOと付き合っておられたのです。(予想していた、寄り眼調整ではありませんでした。)

   宅配でEMS-BINOを受領したユーザーの方は、まず荷解きをされ、EMS未装着の双眼望遠鏡本体を 架台に載せます。 そして、右と左の望遠鏡にそれぞれEMSを装着し、さらにそれぞれのEMSに接眼レンズ を挿入します。 その状態で両眼で景色を見て、像(目標)がちゃんと一つに見えているのが正常であり、 もし左右の像が大きく二つにだぶって見えたら、不幸にして、輸送中か開梱後に、何らかの原因で右の望遠鏡の向 きが動いたということです。(EMSの中のミラーの角度は簡単には狂わないことはすでに検証されています。)

  ここから先の対処方法が問題なのです。 調整の袋小路に入ってしまわれるのは、 ここで右のEMSに付いている、ミラーの角度を調整するノブを大幅に動かして、強引に左右の像を合致させ ようとされた方です。 本来の意図を越えて大幅にミラーを傾斜させますと、像が傾斜してしまうのです。 結果として、視野の中心の像は合致しているのに、視野の周辺で左右の像がだぶるという珍現象に見舞われて しまう訳です。
(HP上で再三ご説明している通り、EMSの調整ノブの操作量は極めて微量であるのが正常なのです。)

  ですから、初期組み立て時に大幅に左右の像が分離して見えた場合は、右のEMSの調整ノブには触れず に、右の望遠鏡が直接載っているプレートとBINO全体を保持している横プレートとを接続している2本のボルト を緩め、その穴のわずかなガタの範囲で望遠鏡を振りながら向きを復元すれば良いのです。  左の望遠鏡は構造上狂う要素はありませんし、左右の望遠鏡とも、固定方法上、上下方向には振れる心配は ありません。

  右の望遠鏡が理想位置に対してどちらに振れているかは、私たちの裸眼の視線と同様に理解できます。 目標が視野の中心より左に見えていれば、視線は右にずれていますね。EMS-BINOは正立像ですので、 これと全く同じに理解すれば良いのです。これほど簡単なことはありません。天文マニアは倒立像の洗礼 を受けていて、多くの場合、それに畏敬の念すら無意識に植え付けられているので、考え過ぎてしまうようです。

  誤った操作で調整原点を大きく見失った右眼用のEMS(調整ノブ付)は、EMS-BINOの片方の望遠鏡、 または、第3の望遠鏡に、左目用(固定ミラー)のEMSと交互に差し替えて同じ視野が見えるようにすることで、 簡易な復元が出来ます。(光学の基礎知識と簡単な工作手段があればEMS自体の光軸調整装置を作ることも簡単でしょう。)

  また、EMS-BINOの最近の仕様(1年以内?)では、右の望遠鏡の水平振り調整機構を省き (不要であることが判明した)、固定強度が格段に増したため、以後は輸送中のずれは発生していないよう です。

  以上のように、製品仕様から説明方法まで、試行錯誤と改善の繰り返しを続けて来た次第です。 説明が多いと調整が煩雑であるとの誤解を招きやすい というジレンマもありますが、新しい物を産み出す時の陣痛であると割り切り、今後も改善を続けてまいりますので、 ご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします。

 (蛇足ながら、調整で座礁してしまわれる方に共通しているのは、当HPをしっかりと お読みくださっていないことです。理解できない説明があれば、恥ずかしくないですから、 納得が行くまでその都度ご質問ください。)

  
      


2004年4月10日


親思う心にまさる親心

 毎日地方紙の「おくやみ欄」を見るのは母の仕事だ。 小さな個人商店であっても、数千名の顧客リストの中には、数日おきに 該当者(もしくは家族)が見つかってしまうのだ。

「大変、Kさんの息子さんが亡くなってる!」

   Kさん(男性78歳)は30年以上前、累進焦点レンズが市場に出始めて間もない頃の当店で第一号の累進レンズ のお客さんであり、以後ずっとひいきにしていただき、1週間前にもレンズの更新をさせていただいたばかりだった。

  温厚で紳士的な人格も印象深く、また役所を定年後に始められた仏像等の木刻の出来映えは、アマの域をはるかに超えて心を動かされるものがあり、 その方より機会あるごとに頂いた作品は我が家の家宝になっている。

  ただ、全てのお客さんの慶弔にお付き合いするのは、現実的に不可能であり、弔問はその時の微妙な判断に従うことになり、 お世話になっていながら失礼してしまうこともあるので、その点、この場でお断りをしておかないといけない。

  ただ、今回のKさんの場合は、逆縁であることを含めて、何としても弔問に伺わないと気が済まないケースだった。

  付き合いの長さから言って、両親が行くのが良いと思い、また道路地図によると、そう分かりにくい場所でもなさそうだったので、 敢えて両親に行かせることにした。

  1時間弱で帰って来た母の顔が赤く、泣いた跡が伺えた。逆縁なので、とても涙無しには帰れないだろう。当然目的を果たして 帰って来たと思い、「どうだった?」と私が尋ねると、「行かれんかっただが。もうお父さんはダメだわ。」と母は泣きそうな顔をしている。   車を置いてから少し遅れて店に帰って来た父も、「わしゃあ、もうダメだ。」としょげている。

    父母は「お前が行ってくれ。」と言ったが、私は敢えて父を助手席に乗せて行くことにした。役に立たなかった音声ナビゲーターの母は留守番だ。
  道中、目印をなるべく父に確認させるようにして走った。父はほぼ理解しているようだが、建物や道路が新しくなっていて 混乱しているようだった。15分ほどで先方宅の近所まで来た。地図を見た段階で車の横付けは無理のようだったので、大きな道路の 脇に駐車し、徒歩で迷路っぽい住宅地の中を探したが、ほどなくKさん宅は見つかった。

  万が一間違いだったら大変だと心配したが、玄関先に葬儀用の花が飾ってあったので良く分かった。    玄関の戸を開けると、大勢の親族の方が焼香の間で食事をしておられる様子が伺え、対応に出た女性に 「おじいちゃん」を呼んでいただいた。

   Kさんは大変喜んでくださり、大勢の親族の方で満杯であるにもかかわらず、そこで焼香をさせていただくと、ぜひ 作品を見て欲しいとのことで、父と私はKさんに従って奥の部屋に案内された。   その部屋の床の間にはいずれ劣らぬ木刻の作品がびっしりと並んでいた。大体50cm程度以下の大きさの像だが、 恵比寿さん、弥勒菩薩、仁王像、観音像等、どれも緻密な彫りで、全体のバランスもすこぶる良かった。特に観音像の 衣のひだが、とても木という堅さを持った素材から成るとは信じ難い柔らかさと優美さを見せていて、舌を巻いた。

  Kさんは、作品の解説をするばかりで、いつまで経っても亡くなられた息子さんの話をされなかった。 敢えてお尋ねすると、やはり癌だった。 20分ほどお話をして、私たちは失礼した。

  Kさんは外に出て見送ってくださった。細い路地の曲がり角まで来た時、 振り返ったら、まるで戦場に息子を送り出す老母のように、まだ家の前に立って見送っておられ、私たちの帰り道の方向を腕で示してくださっていた。 立派な体躯のKさんだが、遠かったので、 木彫りの仏像くらいに小さく見えた。
  小さくなるKさんの姿に反比して、最後まで涙を見せなかったKさんの哀しみのオーラが、この時一挙に吹き出した のを背中に感じた。

 子供さんが目指す高校に合格し、喜んでいた矢先に様態が急変、老親と妻子を残して逝か れた息子さんの無念もその波に混ざっていた。

 突然、「親思う心にまさる親心 今日のおとずれ何と聞くらむ」 という、吉田松陰が処刑される前に詠んだ句が 聞こえて来て、目が霞んだ。

 



2004年3月30日


父の免許更新

   今朝、父が運転免許を更新した。父は一月ほど前に自動車学校で高齢者講習を受けていた。 昨日母が父に「そろそろ更新の手続きに行かれないと・・・」と言ったら、85歳の父は「何の更新?」とピンと来なかった。

  今朝、父は助手席に音声ナビゲーター(母)を乗せて免許センターに行って来た。 道中、ケンカしながら 行ったのだろうと想像する。この年になると、免許更新も一大行事だ。

  父が免許を取ったのは、昭和13年(1938)だ。父の戦死した兄が大阪で勤めていた三宝伸銅という会社の社長さんが車を 買い換える際に、祖父が古い車を譲ってもらったものだ。 鳥取市でお医者のA先生とB先生に続いて、3台目の車だったそうだ。
  ところが、車は来たものの、運転免許を持っている者がいない。 祖父は、「お前が取って来い。」と父に命じた。

    父は警察署に行った。

  担当官: 「用事は何だあ。」
   父: 「親父が車を買ったもんですけえ、免許がいるですだが。」
  担当官: 「そうか。ところでお前はどうして(交通手段)来ただあ。」
   父: 「車に乗って来とります。
   担当官:「なら、乗ってみようか。」
     と言い、父の車の助手席に乗り込んだ。

   担当官: 「右に曲がる時はどうするだあえ。」
   父:「こうです。」(窓を開けて腕を伸ばす)
   担当官: 「左に曲がる時は・・・・・」
     といった調子で市内を少し走って警察署に戻ると、
   担当官:「なら、帰って待っとんさい。結果は後で連絡したげるけえ。」

     現在からすれば、信じられないようなことである。こうして父は運転免許を取得し、それが自動的に アップグレードして、今では普通二種免許にまで出世している。
「わしゃタクシーの運転手にでもなれるだで。」と父は威張っている。

   車が希だった当時のことは論外としても、昨今の免許取得や、車検制度等、運転者に課される負担はあまりに大き過ぎる気がする。  日本在住のアメリカ人の友人も先日憤慨していた。

  (祖父が買った車は数年後には二人の息子同様、戦地に召集され、戻らなかった。)
 



2004年3月26日


グリーン・フィールズの幻想曲(1)

  先日、若いご夫婦がEMS-BINOの見学に見えた。  (後でご主人と私との年齢差は十程度だったと知るが、お会いした時の印象はそうだった。)

  かねてより私の双眼望遠鏡に興味を持たれ、佐治アストロパークへの道すがらに立ち寄ってくだ さったのだ。さっそく展示していた口径10cmの双眼望遠鏡を店先に持ち出し、付近の風景を見ていただいた。

  普段愛用しておられる市販の双眼鏡よりも、さらに強調された松本式双眼望遠鏡の立体感と臨場感に、 奥さん共々たいそう感激してくださり、調子に乗った私はその後、屋上のドームの15cm双眼望遠鏡もご案内していた。

 翌日、帰宅されたご夫妻より丁寧なお礼のメールが届いた。 署名の下のホームページのリンクを辿らせていただくと、"Bar April Moon"の看板に促され、 ためらわず入店。 店内は余計な物が置いてなく、むしろやや閑散としていた。しかし、そこ にいると妙に落ち着き、出迎えてくれたエッセイや絵手紙に、忘れかけた物を思い出させられたよう な感じがした。

  さらにそこからリンクしているウェブマガジンに掲載された他のエッセイも読ませていただき、 宮脇さんの感性と文才に非凡なものを確信し、さっそく”宮脇昭好”さんの実名をwebで検索してみた。 すると、いきなり「グリーン・フィールズの幻想曲」という空想小説に至った。 確認したところ、 やはり著者はご本人と分かり、本書を送っていただく。

  小説は、主人公の青年が十年前に自殺した”1時7分の蛙の女の子”のルーツを探す経緯を空想的に 描いている。 コスモス文学賞受賞作だけあって、構成や表現に唸らされ通しだった。

 内容について詳しくコメントさせていただくつもりだったが、二回目を読みながら、自分には軽々しい コメントはまだ出来ないと思った。ただ、早くご紹介したいので、取りあえず簡単にご紹介し、もっとじっく り読んでから、後日改めて感想文の続編を掲載させていただくことにする。

  ただ、”蛙の女の子”は人間の女の子だ。 彼女は主人公と同じ、大学前の安アパートの隣の部屋に 住んでいた。 主人公は、父の自殺のために大学を退学して郷里に帰る前夜の彼女と初めて口を利く。 その夜、彼女は何もしないことを条件に主人公の部屋に泊まる。十年後に彼女の足跡を辿る旅の途中で立 ち寄る”象牙の塔天文台”は、いかにも星を愛する宮脇さんらしい設定で、天文台スタッフも奇妙に魅力的だ。

  後は本を読んでのお楽しみ。ラブ・ロマンスではない。私のように夢とイマジネーションを失いかけた 人にはお勧めの一冊だ。「日本図書館協会選定図書」にも登録されているので、 大きな図書館には蔵書として備えてあるはず。

  この本のストーリーとは関係ないが、そう言えば、私も専門学校卒業の日に、気になっていた級友の 女の子に、口から飛び出そうとする心臓を呑み込みながら初めて声をかけたことがあった。 (小説では蛙の女の子が声をかけた) 学校前の喫茶店で長い手紙を彼女に読ませた。読みながら時々鼻を すすっていた彼女は風邪をひいていたので、それが泣いてくれていたのか、ただ鼻水をすすっていたのか、 結局分からず終いだ。^^;

  互いに郷里に戻ってから文通が始まり、約2年後に差出人(彼女)の名字が突然変わっていた時点で文通 は終息した。 彼女からの手紙も、くれた栞も、一度目の結婚の直前に全て廃棄したので、手元にはもうない。  私もイマジネーションの旅に出たら、失ったものが見つかるのだろうか。

   



2004年3月21日


見学者来訪

  当店の場所はどちらかと言えば官庁、学校街なので、昨今の景気の沈滞と重ねて土日は特に来客が少ない。  それを良いことに、昨日の土曜は、塾でのテストに出発する直前の娘に、数学の直前対策を指導していたところ、来客があり、 予定していた問題を数問残してしまった。

   しかし、それは大阪から見えたEMS-BINOの見学者の方と知り、上記のことは忘れてしまっていた。   実にすがすがしく、若いご夫妻で、さじアストロパークに行かれる道すがらにお立ち寄りくださったのだった。  まずは10cmアクロマート-BINOを店先に出して地上近景を見ていただき、一般の双眼鏡を愛用しておられながらも、 EMS-BINOの双眼視の醍醐味に少なからず心を動かしてくださったようだった。 他に来客もなかったので、屋上の 15cmアポBINO(赤道儀仕様)もご案内し、 私のテレビ番組のビデオ(夢をつむぐ人々)も見ていただいた。

  見学者の方々の感想の中で、最近共通しているのが、1.光軸調整がこんなに簡単だとは思わなかった。とか、2.メンテ(保守)が難しいことはないですか。  というような内容だ。 よくお聞きしてみると、私がHPに掲載している、光軸調整への安易な姿勢に対する警鐘がすごく不安を誘うのだそうだ。
  そう言えば、あれを掲載した途端に注文が激減したのも事実だ。 ただし、2桁のバックオーダーのプレッシャーに 喘ぐあまり、バックオーダー0(ゼロ)を希求していたところもあって、掲載を修正することもせず、今日に至っている。   まさしく商売人にあるまじき姿勢なのだが、この性格は治りそうもない。
  何事も、技量の個人差は甚大で、万人に合った アドバイスなどあり得ないのだ。 最悪の事態を想定して警鐘を鳴らしているので、HPを読まれる側で内容の真意を見抜いていただく ようにお願いするしかない。

     



2004年3月17日


日本人「十万分の一の肖像」

                   

  今日、知らない方から大きな封筒が届いた。確かに宛名、住所は私に間違いない。
表に、「写真在中」と「折り曲げ厳禁」 のスタンプが押してある。首をかしげながら開封してみた。
  写真と添付文書を見て、直ちに事情を理解した。


添付文書

              日本人「十万分の一の肖像」

 1999年5月から始まった私の自分探しの旅も2001年2月に最後の1200人目の人を東京で無事に撮影して 終了となりました。 その後、膨大な量の現像、プリント作業を2002年の夏までかかって写真を仕上げました。 撮影を快く受けていただいたみなさんに出来上がったプリントをお送りすると言っていましたが、やっと 準備が整い発送する事になりました。

  多分写真を写された事さえ覚えていない人もいるかと思いますが、私が感謝の気持ちを込めて焼いたプリントです、 どうぞご笑納ください。

  この写真が写真集というまとまった形になるのか今の私には判りませんが、みなさんの お陰でとても素晴らしい経験ができました。

      本当にありがとうございました。

                               河野公俊

                                 東京都***********

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  写真家の河野さんは、上記の通り、全国を単身で行脚して1200人のポートレートを撮影されました。 原画は階調が豊かで非常に美しい写真ですが、デジタルに忠実に再現できませんでした。

  数年前の写真に感慨がこみ上げました。

 現像、プリントにも相当の歳月を費やされましたね。1200人それぞれの人生、想い、また、その編集に携わった 河野さんの情熱に思いを馳せると、胸が苦しくさえなります。

  河野さん、ご苦労様でした。 写真集が一日も早く発行できますように、お祈りしています。

 



2004年3月13日


自分の意見

 英検1級の二次試験では、受験者はその場で渡された5つのトピックから1分以内に1つを選んで意見をまとめ、2分間のスピーチを行わないといけない。

  英語力の問題はもちろんだが、日頃から時事問題に自分独自の意見を持っておくことの必要性を痛感した。 この対策に苦労しているのは私だけかな、と思って、web上を尋ねてみると、1級取得者の方の多くも同様の体験を 持っておられた。

  孫引きになるが、1年ほど前の英語スピーチコンテスト(全国大会)の会場で聞いた関係者の挨拶を思い出した。 その方が引用したのは、次の話だ。


「 映画の ”タイタニック号” を見ましたか。浸水が進む大型客船内で、限られた数の救命ボートに乗り込む優先順位が決められました。 女子供、老人、壮年(青年)男性 の順です。 ところで、あの豪華客船にはあらゆる国籍の乗客がいたことが想像されます。このシチュエーションを 拝借して、アメリカ人、ドイツ人、日本人のそれぞれの壮年男性に母船に残ることを説得するのに、一番効果的な文句を考えてみた人が あります。その方によると、

   アメリカ人には、"You can be a hero."(英雄になれるよ。)
   ドイツ人には、 "This is a rule."(これは規則です。)

   さて、日本人にはどう説得するのが一番効果的だと言うのでしょう。その答は、
   "Other people do the same thing."(他の人もそうしてるよ。)・・だそうです。」


   という話で始まり、日本の若者が自分の意見をちゃんと英語で表現できるようになるようにとの激励で締めくくられた。


  物事をステレオタイプに当てはめるのは嫌いだが、確かに日本人の一面を表しているかも知れない、と思った。 どこの国の人が言った事か知らないが、この話をある時アメリカ人(日本在住)にしたら、苦笑いしながらも否定はしなかった。

  ただ、この傾向を「和を以って尊しとなす。」の聖徳太子以来の伝統と見れば、これは必ずしもネガティブに受け止めるだけの ものでもないかも知れない。 一神教的原理主義の排他性が流血の原因となって来た事実と比べて、日本人の多神教的な寛容さが争いを避けて 来た要素も否めないだろう。

  また、物事の真理は大抵は複雑なものであって、明快な解答が出ない場合も多いと思う。むしろ、明快で 分かりやすい命題には落とし穴が多い。 だから、単純明快な意見を 持たないからその人は物事を考えていない、と判断するのも早計だろう。
   しかし、ただ黙っていては何も伝わらない。   日本語でも表現に苦しむ考えを英語で表せるレベルはまだ自分には遠いようだが、少しでも前に進めたら嬉しい。

                  



2004年3月9日


英検(001)

 昨日、高2の甥が二次試験の結果をメールで知らせて来た。


甥: >  英検準2級受かってました。いとめでたし。

私:  でかした! おめでとう! オジサンは嬉しい!

甥: > これもひとえにおっちゃんのご指導の賜物です。


  校内トップの成績で一次を合格していた甥だが、二次の面接は自信がなかっただけに、嬉しさもひとしおだ。

  中2の娘も校内トップで一次を通過し、数日前に同級の合格を知った。(二次、満点)     特に、”甥”は家内の甥なので、私の立場としても、ひとまず面目躍如で、胸を撫で下ろした。^^;

  英検を批判する声も聞こえるが、学習の進度の一里塚として、学習者が達成感を得るのには英検は分かりやすく、最適な制度だと 思う。 特に”ゆとり教育?”のあおりで教科書の内容が乏しくなっている現状では、格好の拠り所だ。 英検に限らないまでも、 学習の節目で何らかの定期的な達成感を与えないと、学習者は出口の見えないトンネルを進んでいるような気持ちになるだろう。
  受験英語とは別物だというのも嘘で、英検2級がセンター試験にも対応できることは多くの人が認めている。  また、英検の級はTOEICの点数とも確実な相関があり、娘の英語教室の先生の息子さんは去年、英検1級に合格した後に TOEICで945点をマークしている。

   



2004年3月2日


甥の結婚式

  甥の結婚式のために福岡に行って来た。

  ホテルのチャペルでの挙式は最近は多いらしく、ドラマでもお馴染みではあるが、自分には とても新鮮で良い感じがした。親戚、友人にも神官や僧侶がいるので悪いが、訳の分からない祝詞(のりと) やお経を痺れを切らしながら聞いているのより、ずっと良かった。

  新婦が若い男性にエスコートされて出て来た。新婦入場だ。   それが、お父さんであることを理解するのに数秒かかった。 予備知識にあった大学教授のお父さんの イメージと結びつかなかったのだ。実際、お父さんもお若かったのだが、結局は自分自身が適齢期のカップルの 親の世代にさしかかっていることに否応なく気付かされた。それらが目まぐるしく数秒の間に頭の中で展開した。

  一度鳥取で会っている新婦は、ウェディングドレスに包まれて掛け値無しに美しかった。すらりと伸びた背は お父さんより高かった。新郎もそれに負けずに凛々しく美しく、安心した。

  

  新婦入場の後、賛美歌312番を皆で合唱した。

         いつくしみ深き 友なるイエスは、
         罪とが憂いを とり去りたもう。
         こころの嘆きを 包まず述べて、
         などかは下ろさぬ 負える重荷を。

   途中で声が詰まって最後まで歌えなかった。

  

 立派な体格の白人牧師だったが、ややなまりのある日本語が返ってありがたく聞こえた。

 聖書の引用は、一般的な「コリント人への第一の手紙、第13章」だった。

   "The first epistle of Paul to the Corinthians"
   聖パウロがコリント(古代ギリシャの都市?)人の信者に宛てた手紙だそうだ。
  (パウロはイエスの使徒だが、もとはキリスト教徒を迫害する熱心なユダヤ教徒であって、イエスの死後に キリストに帰依した。だからイエスの生前の弟子である12使徒の一人ではないそうです。)

1.たといわたしが、人々の言葉や御使いたちの言葉を語っても、もし愛が無ければ、私は 、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
1.If I speak with the tongues of men and of angels, but do not have love, I have become a noisy gong or a clanging cymbal.

2.たといまた、私に預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、また、山を 移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、私は無に等しい。
2.And if I have the gift of prophecy and know all misteries and all knowledge; and if I have all faith, so as to remove mountains, but do not have love, I am nothing.

3.たといまた、私が自分の全財産を人に施しても、また、自分の体を焼かれるために渡しても、 もし愛がなければ、一切は無益である。
3.And if I give all my possessions to feed the poor, and if I deliver my body to be burned, but do not have love, it profits me nothing.

4.愛は寛容であり、愛は情け深い。 またねたむことをしない。 愛は高ぶらない、誇らない、
4.Love is patient, love is kind, and is not jealous; love does not brag and is not arrogant,

5.不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
5.does not act unbecomingly; it does not seek its own, is not provoked, does not take into account a wrong suffered,

6.不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
6.does not rejoice in unrighteousness, but rejoices with the truth;

7.そして、全てを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、全てを耐える。
7.bears all things, believes all things, hopes all things, endures all things.

 この辺りまで読まれたと思うが、この章は13節まで続く。

 牧師による説教に続き、カップルの誓約、指輪交換、署名、等を経て賛美歌の430番の合唱を経て新郎新婦 の退場を見送った。

  披露宴の席は、新カップルのなれそめからして当然ながら、ほとんど**大学医学部の教授や関係者で 占められ、多くの方が温かいスピーチをくださり、突然スピーチを指名されるのを恐れていたが杞憂に終わった。

  新婦のお母さんもスラリとした美人で、妙に納得した。 ただ、新郎側の母親の席に座るべき私の姉の姿が 無い事だけが、残念だった。

  新郎側の親族を見て、ここでも世代の交代をしみじみと感じた。甥と姪はもとより、一度はかつて”馬” をして背中に乗せた記憶がある、その従兄たちがそれぞれに、立派な医者になり、母親になっているではないか。  3年前の姉の葬儀でも会っているのだが、今回ほどそう感じたことはなかった。    姉はすでにいないが、義兄の親族は私と両親を温かく迎えてくれた。

   新郎側に欠けている人はもう一人いた。義父さん(新郎の父方の祖父)だ。十年ほど前に他界され たが、診療医として地元の信頼が厚かっただけでなく、苦学して医者になられたことを裏付ける人格者だった。俳句でも有名で、遠賀野の地には義父さんの句碑が建っている。 句集「遠賀野」は今でも私の書棚にある。句集には姉と義兄の結婚当初の事が詠まれてるものもあり、それからも義父の人柄と慈愛が読みとれる。   元来、眼鏡屋は眼科医にコンプレックスを持っているのだが、そんな私たちにに劣等感を懐かせない配慮をされる方だった。

   私の父は、10人兄弟の六男として生まれた。古い家父長制度下で、家に尽くすために生まれたような ものだった。 長男が祖父の後を継ぎ、次男は自宅と地元の百貨店への出店を安堵され、三男は隣の都市に店を 出すきっかけをもらい、四男、五男は戦死、六男が父、七番目は長女だったが幼児期に怪我で死亡、八番目も女で、 末っ子になるはずだった七男に加えて八男が出来たので、八男は親戚に養子に出された。今思うと、祖父の身勝手さには 呆れるしかない。 末っ子の七男を溺愛した祖父は、七男を歯科医にすることにした。二人の息子を戦死させた ことで、何とか末っ子の召集を延ばしたいと考えたのだろう。

  父は、結婚後も本家の時計の修理部門を主に担当していた。 現状で将来の希望がないことを感じた父は、祖父に 言った。「独立させて欲しい。」
  祖父は「経営というものは大変なんだぞ。仕入れから、経理のことまで、お前に出来る訳が ない。家という木の幹を太らせてこそ、枝や葉が茂るのだ。」と言った。
  その後、また父は言った。「それならせめて、時計部門を 私に任せてください。でないと将来の希望が持てません。」
   それに対しては、祖父も「まあ、お前の立場からすれば それもそうだな。今度長男に相談してみよう。」と言ったものの、その後の祖父からの返事は、「長男がいやだと言っている。 今となってはわしも強制することはできん。」というものだった。
  父は誰の力も借りずに、ほぼ無一文で独立することを決意した。
 家を出ると、本家には、翌日にはもう他人の修理技術者が入っていたという。

  両親は、母が独身時代に勤めていた材木会社から材木を安く買い、それをリヤカー(人力)で運び、壁土を練って空き地を借りて 平屋を建てた。ショーケースもウィンドウも無い、時計修理屋としてのスタートだった。  前置きが長くなったが、長姉の事を話す前に、両親のスタートの経緯をどうしても話しておく必要があるのだ。

    私は長姉より五つ年下なので、貧しさの記憶はさほどないが、長姉は両親の苦労を肌で知っていたようだ。

  周囲の反対を押して独立した両親の困窮と不安は半端なものではなかった。子供が病気になったら大変だということで、 父は銭湯で、湯から上がると、厳冬期でも、長姉に足洗い用の冷水槽の水を頭から被せた。父は呆れ顔の他の入浴客の視線を 感じながら自分も冷水を被ったと言う。それが功を奏したかどうかは知らないが、長姉は小学校の6年間、一日も 学校を休まなかった。
  長姉は物心付くと家事を手伝った。踏み台に乗って料理の手伝いさえした。ある時、煮え立ったみそ汁の 鍋を前にして、長姉はたすき付きのズポンを履いていた。
 振り返り際に、たすきが鍋の柄にひっかかり、煮えたぎるみそ汁は 容赦なく幼女の背中を襲った。重度の火傷を負いながらその時姉が叫んだ言葉は、「熱い!」ではなく、「ごめんなさい!」の泣きながらの連呼だった。  「家族の食事をだめにした事しか頭に無かった。」と私は姉から直接聞いている。背中のケロイドは徐々に縮小したが、名刺の半分くらいの 大きさのケロイドが肩胛骨の辺りに勲章として最後まで残った。

  私が産まれた年、まだ明るい内に私を銭湯に連れて行っていた母が銭湯の窓から遠くの空に一筋の煙を見た。 川向こうのようなので、気の毒だと思いながらも その時は気にとめなかったと言う。 それが鳥取大火であった。昭和27年のことである。被災人口2万人以上、焼失面積160ヘクタール、焼失家屋5000戸以上の 大火災だ。 本家とは徒歩で5分とかからない距離ながら、父は火元に少しでも近い本家の家財の退避の手伝いに行き、母は幼児を3人(私と次姉と長姉)かかえて ただ泣きながら右往左往していたという。近所の人は「松本はなんと剛胆なんだろう。この期に及んで何も家財を出さないんだから。」と噂していたそうだ。   本家の家財の搬出は出来たが、やがて火の手は本家にも至り、本家は焼失した。 ぎりぎりの所で自宅は助かったが、父が本家の家財の持ち出しに使用していた自転車が、どさくさで盗まれてしまった。  当時では運搬道具としては、軽自動車くらいの意味があったものだ。もちろん、本家は知らん顔だった。

  長姉は勉強も良くした。貧しかったので、一度も塾の類に行った事もなく、家庭教師にも付かなかったが、学業は常にトップだった。  中学くらいになると、両親も長姉には一目を置いていたようだ。 ただ、この頃から医学部に入る頃までの姉は 少々自己中で気難しい所もあった。 闘病中の姉にこの頃の事をメールで話題に出すと、「胸が痛むからやめて、すまなかったと思っている。」と言っていた。   姉は奨学金を受け、家庭教師をしながら国立大の医学部を卒業した。姉の教え子は何人も医者になっている。   私もたまに姉に勉強を習ったが、私がしつこく質問するので、たいていは喧嘩になった。

    今振り返ると、姉が人間として成長したのは、結婚し、子供が出来てからではないだろうかと思う。   さらに闘病の末期にピークに達し、ついに人を越えて昇天したのではと思える。

    末期には次姉が何度も松江から福岡まで通って献身的に介護した。 それには次姉の夫の深い理解が背景にある。   次姉の夫は長姉の医学部時代の同期生だった。 姉が入院していた癌病棟の主治医には私は良い印象を持っていない。  姉はきゃしゃな体格で、またその軽い体重以上に薬品に敏感であり、抗ガン剤の影響も強かった。何度も投薬量の調整を 依頼したが、担当医は「80歳過ぎの婆さんでもやっているのに・・・」と全く取り合わなかったと言う。

  案の定、姉は抗ガン剤の過度な副作用で危険な状態になり、初めて担当医は慌てた。 やがて肺に水が溜まるようになり、見かねた次姉の夫が自分が院長を勤める松江の 病院に長姉を呼び寄せ、そこで奇跡的に少し改善する。一時退院し、次姉の家にも滞在し、次姉の愛犬のお産にも立ち会った。

  長姉は最後は福岡で逝ったが、最後の1か月は母が付いた。しかし、父は少し前に切迫心筋梗塞で手術を受けており、その間、次姉夫婦が松江で父を預かってくれていた。   長姉は、自分が医師として出発した頃に子育てで数年間勉強を離れて非常にマイナスだったので、自分のために子供の人生を狂わせることを 徹頭徹尾拒んだ。 だから、自分の娘に「介護のために大学院を休学してくれ。」などとは口が裂けても言わなかっただろう。   ただ、命の終焉を迎えて、どんなにか心細かっただろうと思う。長姉は介護する母に言ったという。「妹を産んでくれててありがとう。」
  どんな苦痛にも弱音を吐かなかった長姉だが、一度だけ、まだ鳥取にいた母の携帯に泣きながら電話をかけて来た事がある。それも、一見些細な事だった。 部屋に備えていたナプキンが無くなったというのだ。義兄は心から姉を愛し、献身的に尽くしてくれていたが、やはり介護には女手も必要なのだろう。  その頃、姉の癌はそこらじゅうに転移し、大腸も閉塞して人工肛門になっていた。
  その時の母の狼狽ぶりは今でも鮮明に覚えている。母は直ぐに長姉の自宅の前のKさんに泣きながら電話を入れた。夕食時だったにもかかわらず、 Kさんはナプキンを買うと、姉の病院まで車を走らせた。同じ北九州でも、病院までは片道1時間もある距離だった。Kさんの消防士のような素早い対応に 私たちは鳥取の空の下で泣きながら手を合わせていた。
    必ずしも体調が万全でない夫と、人と同じくらい賢く、人への依存度の高い愛犬を家に残して、長期に渡って何度も姉を介護した次姉夫妻の 犠牲は計り知れないものがあった。 次姉は母に言った。「姉ちゃんは幸せだよ。これだけみんなに惜しまれ、愛されて逝く。私の時には誰が見てくれる と思うの。」 次姉には子供がいないのだ。
    次姉は闘病末期の姉に聞いた。「お姉ちゃん。今一番大切なものは何。」
      長姉は小さい声で答えた。「患者さん。」
 長姉は体力が続く限り自分の患者も診続けていた。
     まさに鉄の意志を持った医師だった。

       医者になるのも難しいが、人間になるのはもっと難しい。 これから結婚する者にはそれが言いたい。

  昔の日本人は滅私の心を持っていた。「滅私」とは、「滅私奉公」の滅私だ。
  あの蜂谷弥三郎さんもその典型だ。蜂谷さんの体験は、どうしても旧ソ連での抑留体験に視線が集まるが、関連著書をいくつか読ませていただくと、 ソ連での体験をされる以前に、すでにそれこそ橋田壽賀子さんの「おしん」に匹敵するほどの波乱と苦悩に満ちた 人生を歩んでおられる。 真田紐を作る工場を経営していた蜂谷さんのお父さんは、発明の才があり、5本の 紐を一緒に織る機械を考案し、生産革命をもたらしたが、親族を含む同業者の猛反発を受け、破産にまで追い込まれた。

 蜂谷さんが小学校2年の時だった。私たちから見ると、破産後のお父さんの行動は、一度頂点を極めながら脱落した人が辿り勝ちなように、 決して良い夫、父親のそれではなかったように見える。再起のために蓄えた金を投機に手を出してすってしまい、しばらく家に帰らなかったりした。
  立ち直ったお父さんが蜂谷さんを除く家族と朝鮮で暮らしていたころ、蜂谷さんは日本で安定した職に就き、将来を誓う伴侶も決めていた。  当時、体調を崩しかけていたお父さんからの渡鮮の要請に躊躇しながらも、長男としての自覚から、蜂谷さんは久子さんと共に 朝鮮に渡ることを決意する。

  その後の概略はテレビでも紹介されている通りだが、ここで言いたいのは、蜂谷さんが被って来た 試みは、全て身から出たものではなく、自分よりも他を思いやる心、つまり滅私の心が図らずも招いたものだった。   朝鮮に渡った動機もそうだが、安岡という卑劣漢に同情し、自宅に招いたことが蜂谷さんの運命を決定付けた。

    しかし、どんな逆境の時でも、ごく一握りの清い魂が蜂谷さんのそばにいたことに私たちの心は救われる。酷寒の収容所で 汚物にまみれて死を待つほどに衰弱して異臭を放つ、他の日本人の囚人でさえ近寄らなかった蜂谷さんを気遣ってくれた中国人の年輩の囚人がいたし、強制労働に出る時には 一人で歩けない蜂谷さんを両脇から支える朝鮮人の囚人がいた。また、目をかけてくれ、自宅で食事にまで招待してくれた収容所長。そして、救いの女神クラウディア。  蜂谷さんやクラウディアさんの体験談を読むと、人の魂の輝きの評価に、時代も場所も国籍も宗教も関係ないことが断言できる。

  私の父の事も、事実を客観的に述べたが、父自体は大火の時の行動が証明しているように、本家を恨んだりしていない。 付き合いは現在まで普通に続いている。 ただ、父が困窮の渦中にいた頃は、親戚は近寄らなかった。   私の3歳の節句の時、誰も祝いに来ないのに業を煮やした父は、なけなしの金をかき集め、店屋で一番 大きな鯉のぼりを買って帰った。 家の谷間の小さな庭で、鯉は泳がなかった。

  個人の自由を圧迫していた古い家父長制度から開放された私たちだが、振り子は 適正位置で止まらず、曲解された過度の個人主義が蔓延し、どんどん反対側に振れて行く気がする。家内は私を世界一親孝行な息子だと言うが、そうではない。  私はただ人間になりたいと思っているだけた。 イエスは言った。「あなたの右の手が盗みをするなら、その右手を切り落としなさい。」と。    私に最終的に残るのは髪の毛くらいかも知れない。

                                       2004年3月1日   
           


2004年1月20日


週間とりぽーと

  このたび、鳥取県広報課が制作している「週間とりぽーと」で私を紹介してくださることになり、 今日収録が終わりました。 鳥取、島根の方にしかご覧いただけませんが、山陰中央テレビで次の月曜日(1月26日)の19時54分~59分(5分間)の放送 予定です。
   ご笑覧くださいましたら幸いです。




2004年1月3日


 斜位テスト



 斜位については、去年の1月2日(斜位矯正)にもコメントしておりますが、  今回はそのチェック法につきましてご説明します。

   原理は極めて簡単で、上のチャート(拡大表示する)を赤、緑のフィルターメガネで見れば良いのです。  フィルターメガネは、お近くの文具店でカラーセロファンを購入して、ボール紙等で作ったメガネ枠に貼り付けて ください。右眼に赤、左眼に緑を貼りますが、それぞれの補色がほぼ消えて見えるまで枚数を重ねます。   これを装用して数メートル(部屋の都合で適当で良し)離れて見て、赤いクロスが緑のリングの中心に見えていたら合格です。 赤いクロスが左にずれていたら外斜位、右にずれていたら内斜位です。一般的傾向として、強度の近視の方は外斜位が多く、遠視の方は内 斜位が多いようです。   両眼をつむって開けた瞬間にずれていれば、斜位の傾向がありますが、直ぐに中心に戻り、日常も疲労感がないのであれば、悲観することは ありません。

    手作りフィルターでは完璧な検査にならないかも分かりませんが、テストの原理は理解していただけると思います。   単純に言いますと、赤いクロスが中心からずれていたら、プリズムを使用してセンターに戻してあげれば良いのですが、水平方向、特に外向きの 斜位の場合は自己補正が介入しやすいので、簡単には行きません。

   他人を調べるもっと簡単で大雑把なテストは、被検者に検者の右手の人差し指の爪を見させ、検者は左手で被検者の右眼を覆い、その 手を外します。
  顕著な外斜位があると検者の手で覆われた眼は勝手に楽な眼位を取るので、検者が手を外した瞬間に眼球が外からくるっと回って目標に向くのが 観察できます。
  斜位には、上下、内、外の他に、回転斜位もあり、それ用のチャートがありますが、回転斜位だけはプリズムでは補正できません。

  双眼望遠鏡の光軸や眼位との兼ね合いについての議論が掲示板等で時々見られますが、解答は私のHPや服部さんのHPで繰り返し ご説明している通りです。機械的な誤差よりも眼の癖の方がはるかに大きく、機械的精度剛性だけを追求するのは無意味です。   大切なのは、眼の癖を介入させないテクニックを覚え、合理的な調整装置の使用法を理解することです。その方法につきましても、 私やBINO自作経験者のHPで詳しく説明していますが、そう難しいものではありません。

  また、やや完璧な光軸を逸脱した双眼望遠鏡を覗くことの影響につきましても、心配無用であることは、眼の生理を含めた総合的な 理解から断言できます。眼への影響は、常時装用する掛けメガネの方がはるかに大きいですが、視線は常にメガネレンズの光軸を外れて動き回り、 特に左右で度数差がある場合(特に遠近両用)は、常に左右の眼が異なるプリズム量を通して物を見ることになりますが、それでもメガネと して成り立っている事は周知の通りです。仮に眼に悪影響をきたすほどの光軸ずれが双眼望遠鏡にあれば、とても長時間覗き続けられるものでは ありません。





2002年8月23日~2003年12月15日

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