松本龍郎の日記(雑記帳)
Diary of Tatsuro Matsumoto (4)


2006年2月14日~2006年12月9日

                       E-Mail: 松本龍郎


不合格A(2回目) (060214)         「クー」がピンチ(060304)              第一関門突破(060306)  

お見舞いお礼(060313)            納得いかない検査結果(060318)         メガネの度数(060417)

1立方センチの立方体(060422)         人類の至宝(060504)         “東大コーチ”と“100人のチカラ”(060505)

人類の至宝(補足)(060510)         メガネの度数(2)(060512)           人類の至宝(補足2)(060513)

国旗掲揚(060528)                ラジオ(060603)             地元紙に紹介されました(060618)

On impulse, or premeditated, which is guiltier?(060626)          How are you going to spend your retired life?(060627)

不合格A(3回目)(060628)     A prophet is not without honor, save in his own country and in his own house.(060706)

There is an evil I have seen under the sun,.....(060708)             悪徳電話業者(060713)

2006年 さじアストロパーク星まつり(060807)       凹球面加工に成功!(060824)       パソコン不調(060902)

パソコン復旧(060905)             ド根性あさがお(060925)          閃きは突然やって来る(060927)

Ichigo-Ichie(一期一会)(061021)

“Nothing ventured, nothing gained”- Do you agree?(061029)

不合格A(4回目)(061101)          逆説に真理あり(061109)       遙かなる約束(061121)

2006 世界バレー(061129)      遷喬小学校創立134周年(061201)         ”クー”が今日死にました。(061203)

遷喬小学校の隣に変電所を建てないで!!(061209)

   



2006年12月9日


 遷喬小学校の隣に変電所を建てないで!!

 みなさん、助けてください!! 今まさに母校の選喬小学校の隣に変電所が建設されようとしています。  この問題で私たちは5年間闘っています。ですから、建設反対に反対する人、容認派の方の論理もよく理解しています。 しかし、この鳥取市の遷喬小学校の隣地に建設されようとしている中国電力㈱の変電所計画に関しては、従来のステレオタイプに属さない、 本当に合理的な理由の無い計画なのです。

 どうか、本日午後8時に開設した鳥取中央変電所建設反対期成同盟会のホームページ、Antiss(Anti-School Substation) にアクセスいただき、 反対の署名にご協力くださいますよう、お願いいたします。

 最近、ダムのデータ改ざん等の不祥事が絶えない中国電力㈱は、住民の反対を押して強引に小学校の隣に変電所を建設しようとしています。 12月5日 には、12月15日に工事着工する旨の記者発表をし、一刻の猶予もない状況です。

 どうか、まちなか変電所自体には肯定的な方々も含めて、この、小学校の 隣りに変電所を建設しようとしている計画については、なにとぞ反対にご賛同くださいますよう、お願いいたします。

 変電所から漏出する電磁界の安全、危険の議論のようなステレオタイプに属する問題ではございません。電磁界が危険であれば、 小学校の隣地は除外するのが当然であり、ほぼ安全であるとすれば、尚更他の場所が誘致すべき施設なのです。つまり、どちらにしても、 わざわざ小学校に密着して建設すべき施設ではございません。

 鳥取市は城下町であり、極めて保守的な土壌です。 その中でも遷喬小学校区は、輪をかけて保守的な地区です。にもかかわらず、 これだけ強固な住民運動が5年間に渡って続いていることの意味を考えてみてください。どうか、助けてください。

 ご協力いただける方は、上記サイトにアクセスくださり、バナーをリンクしてくださり、一人でも多くの署名を集めて くださいますよう、お願いいたします。

******************************************************************************************* (2008年8月4日追記: 皆様の暖かいご協力と、13名の地元弁護団の協力にもかかわらず、同変電所は計画通りに建設され、6月25日に稼動を 開始しました。署名にご協力くださった方々には、失礼ながら、ここで深くお礼申し上げます。(ANTISSは閉鎖しました))

 





2006年12月3日


 ”クー”が今日死にました。

 3月にこのコーナーでご紹介していたヨークシャーテリアのクーが今日の昼過ぎに亡くなりました。 両親が飼っていたクーは、両親と共に9時半頃に店に出勤して来て、11時頃には両親と共に昼休憩に自宅に帰るのを 日課としていて、犬好きのお客さんに愛嬌を振りまくすべも心得る、店の看板犬でした。

 クーは、3月の危機を脱してからは、奇跡的に病抜けしたように元気になって、その時に「いくら長く持っても、年末までは生きない。」と引導を渡されて いたので、年末にはその獣医の鼻を明かしてやろうと手ぐすねを引いていたのですが、悔しくもその予告が的中してしまいました。

 1か月ほど前にクーは最初の変調を示しました。呼吸困難になり、慌てて酸素スプレーを買いに走ったりしましたが、不思議にまた すぐに元気になり、1週間前にも少し呼吸が苦しくなったものの、それもすぐに回復し、ここ数日は元気そのものでした。 今日も昼休憩までは元気で、裏の家に両親と一緒に帰った後、間もなく、父からの緊急コールがあり、慌てて店のシャッターを下ろして、目と鼻の先の 両親の家に駆け込みました。

 すると、クーはお袋の腕の中ですでにぐったりとして呼吸は停止しており、母は泣きながら「もう遅いよー、もう死んだよう。」と 泣いていました。 私は死んだ(と思った)クーを抱き上げ、カーペットに下ろし、心臓マッサージをしながらクーの小さな口を私の口に含んで 息を吹き付け続けました。 小さな口先はわけなく全体を頬張ることが出来ました。5分くらいしたらクーの体がピクリと反応し、 弱々しい自発呼吸が始まりました。 その内にやっとかかりつけの獣医が来てくれ、バトンをタッチし、獣医の指示で酸素スプレーを買いに走り、現場に戻った時には 自発呼吸も停止し、酸素スプレーをクーの口元で出し続けた娘の努力の甲斐もなく、クーはもう息を吹き返すことはありませんでした。

 高齢の両親の落胆は心配ですが、クーはほとんど苦しむことなく、家族にも迷惑をかけずに昇天しました。 3月の時点で逝ってしまっても不思議で なかったのですが、Tさんや多くの知り合いや読者の方々からの遠隔の”気”によって、クーが今日まで元気で愛嬌を振りまき続けたことについて、 厚くお礼申し上げます。






2006年12月1日


 遷喬小学校創立134周年

 一ヶ月ほど前に母校の遷喬小学校 の校長先生より電話があり、創立134周年記念式典での 講話を依頼されました。 こういう式典で話をするのは、少なくとも世間的に成功者と言える方の役目で、自分には無縁のことと思って いたので、当惑しましたが、校長先生の熱心な依頼に、思わず承諾してしまいました。

 現校長先生は、私の死んだ姉と同じくらいの年齢の、とてもチャーミングな女性です。以前に一献交わす機会があり、 学童期に、お名前の”和江(むつえ)”を(当時の)先生に正しく呼ばれたことがなく、いつも”かずえ”と呼ばれて悲しかった こと等をお聞きしていたので、あのお優しいオーラは、挫折を知る者だけが持つ独特のものだと理解していました。
 ということで、いくらでも適役がおられるとは思ったものの、意図あって挫折だらけの人生を歩んで来た私を選んでくださった のだと勝手に解釈して、講話をお引き受けすることにしたのです。

 それでは、恥をしのんで、今朝発表させていただいた講話をご紹介します。

”あなたたちの未来は明るい”

おはようございます。遷喬小学校創立134周年、おめでとうございます。

 私の名前は、『まつもと たつろう』と言います。 「たつ」は、お正月に揚(あ)げる凧によく書かれている、りゅう(龍)という漢字です。「ろう」は、たろう(太郎)、じろう(次郎)の郎です。 私は、遷喬小学校を昭和39年、1964年、今から42年前に卒業した、あなたたちの先輩です。多分、あなたたちのお父さんより 年上で、おじいちゃんより年下の、ちょうどその中間あたりの年齢だと思います。

 今日はみなさんの前でお話をさせていただくことを、大変誇りに思い、感謝しています。

 さて、みなさんは、多分、これから言う3つのグループのどれかに入ると思います。 Aのグループは、今最高に幸せで仕方がない人です。 そしてBのグループは、どちらとも言えない人、そしてCのグループは 不幸せな人です。実は、私は少年時代はBか、ともすればCのグループでしたが、今はとても幸せです。
 今日は、Cのグループにいた私がどうやって今幸せになったかをお話したいと思います。

 なぜ私が今幸せなのかと言うと、今から12年前に私は望遠鏡に関する発明をして特許を取り、その発明を利用した、 両眼で覗ける望遠鏡を作り始めたのですが、十年ほど前から広まったインターネットによって、お客さんが増え、日本や世界の 天文マニアの人が私の望遠鏡を注文してくれるようになったからです。

 私が作っている天体望遠鏡は、上下左右がさかさまにならないで、とてもはっきり見えるもので、同じ様な望遠鏡やカメラ を作っている、ニコンやミノルタの社員の人でも、私に注文をして来ます。

 望遠鏡の工作は、金属を切ったり削ったりするので、紙や木を切るように簡単ではありません。 私はそういう専門の大学を出たわ けではないのですが、全て大人になって社会に出てから自分で勉強して技術を身に付けました。また、海外からの問い合わせは 英語のメールを扱いますが、英語も自分で勉強し、今では辞書に全く頼らずに海外のマニアとメールを交換しています。

 私の本業はメガネ屋ですが、星を見るという自分の趣味から始まった望遠鏡作りで、世界で自分しか作れない物を持った ことと、世界中の天文マニアの人たちから頼られることで、物作りの喜びを知り、今が一番幸せだと思っています。

 あなたたちも、将来、物を作る仕事か、物を育てる仕事か、それらの人たちが作った物を売る仕事か、それらの人の手助けをする 仕事か、人に何かを教える仕事かのどれかの仕事に就くはずです。 どんな仕事に就いても、自分の働きが人の役に立っている、 という実感が持てたら、私たちはとても幸せになります。

 私は姉二人を持つ末っ子として育ちました。小学校の頃から、二人の姉は勉強が良く出来ましたが、私は出来ませんでした。 成績はいつも中間辺りをうろうろしていたように記憶します。かと言って、スポーツでも、少し鉄棒が得意だったり、 短距離走が速かった程度で、それも一番だったことはありませんでした。 小学?年の時、リズム感が悪かった私は、 足踏みのリズムがおかしいと、担任の先生に皆の前で悪い見本でやらされ、先生に、「まるで芝居の“馬の足”だ」 と言われました。

 私はそんな自分が嫌いでした。
 小学校時代のそんな自分を作り変えようという強い決意で入った中学でしたが、陸上部に入部早々、苦手の長距離走でしごかれ、 1週間でケツを割ってしまいました。その後に入ったバスケットボール部でも長続きせず、勉強でも目立つことが出来ず、 二人の姉は鳥取西高に行ったのですが、姉弟で私一人が鳥取商業高校に進みました。

 鳥商では、バック転も鉄棒の車輪も出来ない状態から器械体操を始めました。過酷な練習で、手の皮むけや筋肉痛が治る間はなく、 最初の1年は下痢が続き、3年間で3度も骨折し、体はボロボロになりましたが、今度はがんばり抜き、高校3年の時に、第24回 長崎国体に出場しました。挫折(ざせつ)と絶望(ぜつぼう)の少年時代でしたが、これがささやかで初めて見た一筋(ひとすじ) の光でした。

 しかし、私の親は、私が家業の眼鏡屋を継ぐのが当然だと考えていましたので、ただ国体に出場したくらいでは、私を別の道に進ませる気はありませんでした。 当時の自分としても、いくら体操が好きだと言っても、体操で自分が理想とするところまで到達する自信はなかったので、 確実なレールが敷かれた家業を継ぐしかありませんでした。

 こうして、また新たな挫折(ざせつ)を経て、家業に従事しながら始めた趣味が星を見ることであり、それがそれまでの天 体望遠鏡の使い勝手に疑問を持つきっかけとなり、さきほど紹介した天体望遠鏡関係の発明につながったわけです。

 人生は、あなたたちが考えるよりずっと長いものです。今勝っている人がずっと勝っているとは限らないし、今負けている人がず っと負けているとは限りません。今勝っている人は、負けている人を思いやり、また、将来負けないようにがんばり、今負けてい る人は、将来必ず勝つチャンスがやって来ることを信じてがんばれば良いのです。

 最近、小学生の自殺をよく耳にして、胸が痛みます。挫折(ざせつ)の連続の少年時代を過ごした私には、 彼らの気持ちが痛いほど良く分かります。さきほど説明したCのグループにいる人たちにとっては、少年時代ほどつらい 時期はないのかも分かりません。先が見えない将来は、ちょうど出口の見えないトンネルのように不安に感じるものです。
 しかし、Cのグループの人たちには、今が一番つらいけど、それはずっと続くものではないこと、また、喉がからからに乾いた後 の水が美味しいように、その後に来る幸せは、Aのグループの人たちが味わえないほど素晴らしいものがあるということ を知って欲しいと、強く思います。

 Aのグループの人たち、今最高に幸せな人は、家に帰ってから、どうして幸せなのかをよく考えてみてください。 今すぐ分かるか、何十年後に分かるか、わかりませんが、もし誰かのお陰であると分かったら、その人たちにお礼を言ってください。そして、幸せでないと思っている人たちを思いやってください。

 そして、もし、あなたたちの中で、明日を見たくないほどつらい方がいたら、担任の先生か、あなたが一番話しやすい 先生と、自分の親につらい理由を話してください。
 もし、どうしても回りに話せる人がいなかったら、いつでも私の所に来て、そのわけを話してください。私の家は、 市役所の前、岡本PTA会長の岡本自転車店の1軒置いた隣のメガネ屋です。

 とても10分間では、お伝えたいことのほんの少ししかお話できませんでしたが、最後に、一番お伝えしたいことを繰り返して おきます。

 子供時代はつらいものです。でも、永久に苦しいということは絶対にありません。また、あなたの親や先生はいつもあな たのことを想っているということです。それはたいてい、ずっと後になってから分かるものです。

 私の研究が4年前に、スカイパーフェクTVの科学番組になって全国放送された時(ネットでは現在でも常時視聴可)に、 46年前に遷喬小学校で私のことを「まるで芝居の“馬の足”だ。」と言った先生がものすご く喜んで、祝ってくださいました。

 大人になることは決して怖いことではありません。子供時代には体験できない、楽しいことがたくさんあります。ですから、 あなたたちの未来はとっても明るいということを知っておいてください。

 今日は、私の下手な話を最後まで聞いてくれて、ありがとう。
   さようなら。

  





2006年11月29日


 2006 世界バレー

 今、世界バレーボール選手権がたけなわで、日本選手が善戦している。 私は取り立ててバレーボールファンではないので、普段なら注目しないのだが、ひょんな事から、日本代表の 山本選手が鳥取市出身であることを知った。 しかも高校の後輩であった。

 さきほど町内の女性が新聞記事のコピーを頼みに来られた。 町内会長の仕事を随分と助けてくださっている方だ。

 まずは、その記事をご紹介する。記事を読んでびっくり、何と鳥取商業高校時代の山本隆弘選手を育てた故塚田忠雄さんは、彼女の 弟さんだった。 お姉さんはとても優しい方で、鬼監督の異名をもらっておられた弟さんが想像できないが、 気配りのある所は共通しているのだろう。






2006年11月21日


 遙かなる約束

 3年前に”クラウディア奇跡の愛”でご紹介した、蜂谷弥三郎さんのことがテレビドラマ化されることになり、今月の始めに 鳥取市でロケがありました。
 今月の25日にフジテレビ系列で放映されるということでしたが、もう4日後に迫っていたので、慌ててご紹介します。

奇跡の再会ドラマ化





2006年11月9日


逆説に真理あり

 分かりやすく、耳障りの良い命題には落とし穴があり、むしろ“逆説にこそ真理がある”というのが、 特にacademicなトレーニングを受けることなく、苦節数十年で達した、私のmottoだ。

 分かりやすい単純な命題を鵜呑みにするのが大衆であると仮定すると、多数意見は大方間違っているとも言えるの であり、多少乱暴に言えば、正しいのは常に少数意見だということにもなる。

 メディアで流れる情報は、どうしてもその時代の政権におもねる傾向があり、世論が誘導されやすい。 特にこれだけ膨大な情報が氾濫する現代に於いてこそ、私たちはそろそろ自分の頭で考えることを始めないと、 エライことになるだろう。

 ビル・トッテンという、異色のアメリカ人、いや日本人がいる(最近日本に帰化)。 アメリカの上流階級で教育を受けながら、お仕着せのstereotypeから知性の砦を守り抜き、真実に目覚めた人だ。 彼の、権力や衆愚に鉄槌を打ち込む文章は痛快だ。

 地元の地方紙、日本海新聞に“温故知新”というコラムで彼の文章が週一回のペースで連載されている。 今朝の朝刊の『愚かな決定は国民が犠牲に』(リンク切れのため他サイトを再リンク;070804)というタイトルで掲載されたものは、 特に明快な文章だったので紹介したい。

 ただ、自分は疑り深い人間なので、新聞社が連載する裏の意図までかんぐると、これまた100%信じられなくなる。 裏の裏、またその裏を勘ぐりたくなるのだ。^^; 日本人となったトッテン氏だが、原文は英文で投稿しているということなので、 日本海新聞社に原文の入手方法を11月4日にメールで問い合わせたが、今日時点でまだ返事が来ない。

 ただ、どちらにせよ、物事は常に両論に耳を傾けるべきで、彼の痛烈な文章は、やはり読んでおくべきだと私は思う。






2006年11月1日


不合格A(4回目)

 10月15日に受験した英検1級一次試験の結果が出た。
 正直なところ、今回は手応えがあり、カレンダーには11月12日の二次試験(大阪)の日程を記入していたくらいので、 かなりショックだった。

 客観テストの部分の得点が61点(前回+5点)あることを受験直後に確認していたので、英作文が20点だったとしても合計81点あり、何とか 合格圏内に入ったと思っていたのは皮算用だった。 以前に時間切れで半分ほどで尻切れになった英作文でも12点あったので、今回の英作文が どうして14点なのか、納得が行かないが、いまさらどうしようもない。

 これで4回落ちたわけで、今回ばかりはここに掲載することに躊躇したが、 気にしてくださっている数名の方、また陰で応援してくださっている私が知らない不特定多数の方々、また、落ちたことを笑って くださる少数?の方のために、恥をしのんで公開することにした。自分自身に対するペナルティでもある。

 同じ日に準1級を受けた高2の娘も1点だけ届かなかったが、本人は満足していて、次の挑戦を予定している。すんでの所で娘と級が並 ぶところだった。^^;






2006年10月29日


  “Nothing ventured, nothing gained”- Do you agree?

(I am now preparing for the STEPs ( Society for Testing English Proficiency) first grade interview test. The writing below does not represent my actual thoughts. Each proverb has it's counter opinion. I can make a case for each view although it may not be my view. )

I think every proverb has some truth, and I will not absolutely deny it; but I do not agree with the notion, “Nothing ventured, nothing gained” for the following reasons.

Firstly, I have lived cautiously evading risks believing that “Slow but steady will win in the end.” and I am very happy now. I entered directly into my father’s optical business rather than venturing into a different area of the business. This decision has made me happy and has proved successful. If I had taken a chance on a new business by myself, I may have failed in this depressed economy at the time and I may not have been as secure as I am today.

Secondly, I have an uncle of the negative example. My uncle who was running a big business was always laughing at my father’s cautious business style. But his business failed because of the energy crisis and now he is bankrupt.

We should be aware that new ventures present certain risks to not only ourselves but also our relatives, friends and family who should concern us.

In conclusion, one can be happy by not taking chances and taking our time in making decisions. Being successful is measured in small increments, not large gambles.
Slow but steady wins the race.






2006年10月21日


      Ichigo-Ichie (一期一会)

A young Caucasian guy dropped in my shop yesterday afternoon. He asked me to change the nose pad of his glasses, but his real trouble with his glasses was the frame was loose.

I fixed the frame to his liking and he was happy since he had trouble with his frame throughout his travel.

We then conversed and I showed him my Binocular Telescope explaining my invention. Looking through it he was very impressed by the wide field and the sharp image my bino-scope offered.

He came from German speaking area in Switzerland and had been traveling through ASIA for the last 9 months! He stayed in Nepal, India for several months and then came to Japan.

I asked him, "Why did you come to a small city like Tottori while there are all our famous cities like Tokyo, Osaka and Kyoto?" He answered,"I am also from a small city in Switzerland and wanted to see the local cities rather than the big ones."

The handsome Software Engineer, 30, had experienced Judo and once was an amateur Champion of Kick Boxing.

But, his appearance was relatively slim for his sport career. He said he had lost a lot of muscle while traveling.

We hit it off together and I called him in his Inn last evening to go out for a drink. We had a very good time over Yakiniku and beer and dropping in some bars until midnight.
I taught him a Japanese proverb ,

"Ichigo-Ichie", "Treasure every meeting, for it will never recur."






2006年9月27日


      閃きは突然やって来る

 自然は連続だから、身長1mの男の子が一晩寝て目が覚めたら身長2mの巨漢になっていた、というような事はあり得ない。 しかし、物事が理解できる時とか、アイデアが閃く時というのは、薄紙を剥がして行くように解が見えて来るというよりも (もちろん、そういう場合も少なくはないが)、ほとんど瞬間的にアイデアがバースト(burst; 噴出とでも言おうか)すること が多い。

 EMSをamici analogue(アミチ形態のミラー)のワンボックスタイプから、60度偏角のミラーユニット2個でフレキシブルに 構成するアイデアが閃いた時も、X-Y調整のノブと支点の配置が閃いた時もそうだった。

 実は一昨晩にも、寝ながらこのburstが訪れた。

 以前にヘリコイド眼幅調整のピント補償の方法をご紹介したのだが、 あの方式には、実は構造はシンプルながら、ヘリコイドに、本来の伸縮に加えてカム機構を動かすための負荷が大きくかかること (耐久性に不安)、組み立て後の視野の回転調整が困難であること等、難点もあり、採用に踏み切れない部分があった。

 一昨晩に閃いた方法は、第一反射光線方向を伸縮させるcrayfordとアイピーススリーブ方向(つまり第二反射光線方向) の伸縮を受け持つもう一つのcrayfordを一つの共通のシャフトで作動させるもので、力の伝達に無理がなく、同一径のシャフトを 共有しているのだから、光路の補償の収支も常に完璧にゼロになる。

 これだと初期組み立てが非常に簡単であり、組み立て後に2組のcrayfordの関係をまったく崩すことなく、視野の回転調整も 可能だ。 また、眼幅クランプの操作で本来の合焦と、焦点移動の無い眼幅調整の動作を交互に交換することも可能になる。

 ただし、これは大型のBINOで本領を発揮する機構であると考える。(つまり、ある程度の鏡筒間隔が必要であることと、 小型BINOでは追求すべき課題の優位事項は他にあると考える。)






2006年9月25日


      ド根性あさがお



 店の前の歩道のタイルの隙間から雑草が・・・。
引き抜こうかと迷いながら日にちが経ち、何と、今朝起きてみたら 朝顔が咲いているではないか。

 なぜこんな所に? よーく考えてみたら、去年郵便局から貰った朝顔の種を娘がポットで栽培していたことを思い出した。  その種子の一つがこぼれたとしか考えられない。

 それにしても、一年間の風雪によく耐え、ほとんど土の無い所によくも芽を出したものだ。

(9/26の日本海新聞に掲載されました。)






2006年9月5日


      パソコン復旧

 ご心配をおかけしましたが、パソコンが復旧しましたので、お知らせします。
(容疑者をつぶした段階で、まだ完璧ではないかも分かりませんが、ウィルスではなかったので、ご安心ください。)

 しかし、忙しい時に限ってトラブルを起こすPCですが、こういう心配からユーザーが解放される時代が来るのでしょうか。 皆さんはどうお考えですか。 私は、この安定性のデリケートさがある限り、PCは道具としてはまだまだ成熟していないと思います。






2006年9月2日


      パソコン不調

 急にパソコンが不調になり、現在、ネットへのアクセスやメールの送受信が 出来にくくなっております。 数日間ご迷惑をおかけするかも分かりませんが、 なにとぞよろしくお願いいたします。目下、専門家により、原因の究明を急いでおりますが、  現状でも、何とか送受信は可能のようなので、メールのご送信は、今まで 通りお願いいたします。(さらに悪化して、ご返信が遅れる場合もございますことをご了承くださいませ。)





2006年8月24日


      凹球面加工に成功!

           
 (写真とノブ完成品の形状とは関係ありません。端面凹球面加工のサンプルです。)

  全くの素人から旋盤加工を始めて約15年、振り返ると、苦闘の連続でした。 難関にぶち当たった時、機械工具屋さんや プロの加工屋さんに相談して解決したことはほとんど無く、これは、たまたま私の出会いが 悪かったのか、あるいは自分がトライしていた事が特殊すぎたのかは分かりませんが、業者の方々には失礼ながら、独自に工夫を重ねて 今日に至ったというのが正直な感想です。

 初期の頃、タップ屋さんに無理を言って作ってもらった36.4mm P=1(当時の黄金規格^^;今ではほとんど死に規格)のタップ がどうしても真っ直ぐに切れず、悩んだ末にある方の紹介で職業訓練校の先生に教えを請うたものの、その先生の方法でやっても 微妙に傾く。 結局、後で独自の方法(まさしくコロンブスの卵のような簡単確実な方法)を考え、完璧に垂直にタップが立つようになったのでした。

 初期の15cmF8-BINOは架台まで製作していましたが、その架頭部の円柱側面に丸棒の脚を斜めに貫入させる加工を旋盤屋さんに依頼 した時も、旋盤屋氏が頭を捻るので、私は治具をこしらえて添付し、加工方法も説明し、目的の物を得ることが出来ました。 その旋盤屋さんの後日談に、その斜め穴加工済みの架頭部品を作業場に 置いていたら、出入りの業者さんがそれを見て、「これ、どうやって加工したの?」と目を丸くしていたそうです。

 限られた工作手段や人脈の範囲で、何とか希望通りの物を作ろうとする仮定で、あらゆる工夫が必要だったということです。
 このほど、急に15cmF5-BINOの新型の開発を思い立つに当たり、crayford focuserの自前製作の基本設計は完了したものの、 focuserノブの端面の装飾加工にこだわり、その加工方法の理解と手段の準備のために、前例に懲りずに1か月ほどwebをさまよいました。 webでは決定的な解答を得られず、機械加工業界の方に聞きまくる等して成果もなく疲弊困憊、万策尽きたところで、突然極めてシンプルな方法が閃きました。
 今日、その方法を試し、念願の凹球面加工に成功したわけです。より高級な旋盤を設備したプロの加工屋さんであれば、 一笑に付すようなことなのでしょうが、私は、今、非常に喜んでいます。(今夜はこれで祝杯?^^;)

 機能的には、ただのノブ、たかがノブ、既製のノブでも良いのですが、今度の新型のBINOの合焦装置のノブは、端面凹球面、 5つの飾り穴付き、ということに決めているのです。






2006年8月6日


2006年 さじアストロパーク星まつり

 梅雨の終わりに豪雨が続いた山陰も、梅雨明け後は晴天と猛暑が続き、その周期にうまく 『さじ星まつり』 の日程 (8月5日)がはまった。

 今年は、県外からのEMS-BINOユーザーの参加はなかったが、継続した晴天下で、例年以上の一般客で賑わっていたようだ。 今回は、夜店コーナーが天文台裏の駐車場に移動し、屋外観望サイトとなっている天文台前広場の照明が例年と比べて格段に落とされていて、非常に具合が良かった。 天文台側の配慮に感謝する。 今後も継続していただきたい。

 今年はBINOの観客?にマニアがいなかった(少なかった)のと、月齢11の月があり、空の透明度が今一だったために、 夜半過ぎまで盛り上がることはなかったが、一般客の方々には、熱心な方も多く、EMS-BINOによる月で十分に感動していただいた。 また、さじ天文台とK氏の協力で 実現した、自動導入のシュミットカセ(28cm)のリアルタイムのCCD画像の大型スクリーンへの投影も観客を集めていた。

 今回は、観望会等で今までにEMS-BINOを覗いた方の態度や反応について、以前から感じていたことを、昨日の感想を交えてお話ししてみたい。
 昨日の星まつりで、若いお母さんがショルダーバックを肩に掛けたまま妙に体をねじ曲げてEMS-BINOを覗く姿を、少し後ろ で見ていたYさんが、「何で今頃の人(若い人)は皆、わざわざ体をねじ曲げて覗くんだろうねえ。」とつぶやいた。 2mも離れているかどうかの距離だったので、背中のお母さんには聞こえたはずだが、まさか自分の事を言われていたとは思わなかったのかも知れない。^^;  自然と人間をこよなく愛するYさんが敢えて発した苦言には、鋭く真実を突いたところがあり、示唆するものも大きい。

 その女性が実際に批判に該当していたのかは別として、確かにBINOを妙に斜にかまえて見る人が少なくないことは事実だ。  それはなぜだろう。 物事に正対する姿勢、ひたむき、真摯な姿勢が茶化される風潮がある?からだろうか。  確かに、ひたむきに努力して目的が成就しない時は傷付く。人目を気にするなら、失敗したら恥ずかしいとも思うかも知れない。それを回避したいが ために、何事にも正対しない習慣が身に付く、というのは飛躍し過ぎの推理だろうか。

 ただ、ごく最近になって、メディアが時代の寵児ともてはやしていた、非実業の若い実業?家が逮捕されたり、 メディアぐるみのインチキboxer醸成のからくりが自ずからボロを出したりして、国民が学習を深めたことで、今までの歪みが 修正され始めるのでは?と期待している。事実、先日の boxing のタイトルマッチの後で、大多数の視聴者が 不正な判定に気付き、非常に多くの人が抗議を表明したことは、大いに好ましい現象だ。地道であること、 まじめであることに再び光が当たるのを期待している。

  しかし、昨日の「さじ星祭り」では、BINOで星を見た後で、「ありがとうございました。」とお礼を言われる若い家族が 目立った。 これは今までにあまり感じなかったことで、例年のY長老の躾が効いたのかどうかは分からないが、大変嬉しいことだった。

 一般的に、小学校の親子会の観望会等では、私はいつも、「親が先、子供はあと!!」と言う。  そう言わない限り、ほとんど全ての親が、真っ先に子供に覗かせる。小学校の高学年ならまだしも、3歳の幼時であってもそうなのだから問題なのだ。 子供はほぼ例外なく、アイピースにいきなりしがみつく。 眼をアイレンズにくっつける。 まずは親が最初に覗いてみて、何かどう見えるか、どうすれば覗きやすい のかを確認すべきなのだ。 その自分の体験に基づいて子供に覗かせると非常にスムーズに事が運ぶのだ。

     





2006年7月13日


   悪徳電話業者

 お爺ちゃんとお婆ちゃんが細々と経営している個人商店に高額なビジネスフォンシステムを言葉巧に売りつける。 契約者は、不必要な過剰装備の支払い総額が7年リースで80万、時には100万を越えるのに後になって気付いて驚く。
(零細商店や一般家庭であれば、ビジネスフォンでなくても部屋間の内線等、より安価な方法で類似の機能は十分に果たせるそうだ。)
 特に悪質な業者は、Web上で名称が公開されているようだが、この業界には、表面上はまっとうな会社であっても “準悪徳”と言える会社が多く、むしろ業界ぐるみで悪徳に近い商売をしているようなので、ここに警告しておきたい。

 昨今はパソコンの通信システムもからんで、さあISDNだ、ADSLだ、光通信だ、と新しいシステムの宣伝がかまびすしい。 3年前から契約しているADSLに至るまでにも、やれデジタル回線だ、今度はアナログ回線だ、とその度に高価なビジネス フォンシステムを買い換えさせられて来た。

 2002年の春、ADSLを検討していた頃に、日本通信機器㈱鳥取営業所の若い営業マンであったM氏が提案を持って来た。  詳細は記憶しないが、何でも、「今利用している電話機能をキープしたまま、現状(当時)の3回線を2回線以下に減らして、ランニングコス トを下げる。」という、一見当方に好都合なふれ込みだった。詳細は省くが、例のごとく、結局はビジネスフォンシステム を丸ごと新規にリースすることになり、高額なリースで7年間拘束されることになった。

 2002年5月に契約したそのリースは、月に\8,640を丸7年間支払う(初回はもっと高額)もので、リース満了月は、 2009年の4月というものだった。 若い営業マンが誠心誠意に見えたし、近所のマンションの住人で、「今後も個人的にずっと 私が責任を持ってメンテします。」とか、「ご近所なので、儲けは度外視して、格安の価格設定をさせていただきます。」 とか言う言葉にほだされて、また同情も手伝って依頼したのだったが、どたんばになって「あまりに値引きが過ぎるとのことで上司に 怒られた。」ということで、1割ほど上乗せ修正したのが上記リース金額だった。
  さて、「ずっと私が面倒を見る。」と言っていた若い社員は、1年も経たないウチにさっさとケツを割ってその会社 を辞めていた。

  4年ほど経った、1週間ほど前に、今度は同社の主任の肩書きを持つ、Fuku**** Hi***** と名乗る社員が、新たなbait(餌) を持ってやって来た。
  今度は“ひかり電話”の勧誘だ。現行の電話の回線の基本料がほとんどタダ同然になるというのだ。 しかし、現在使用 している電話機はそれに対応しないとのこと、新たなビジネスフォンシステムのリース契約が必要となる。  そして、この度の魅力的?な餌は、「現在のリース契約で残っている3年分のリースをチャラにする。」というもの だった。 まあ、もともとタダのような原価の商品を法外な価格設定で売る商売だから、4年もリース料を取れば、儲けは 十分に出てお釣りも出ているわけだ。

  さらに F 氏は、「現在利用しているプロバイダのSANNETは光に対応していないので、OCNに変えてください。」 と来た。当然、メールアドレスも変更しないといけないとのこと。
 お人好し?の私も、これには眉に唾を付けた。  「それは困ったな。OCNの基本契約料、HPの無料掲載容量等、調べてくれ。」と言って一旦 F 氏を帰らせてから、 Webで調べてみたら、やはり F 氏の言った事はデタラメだった。 素人の無知に便乗した商法に首まで浸かって久しいと、 こんな見え透いた嘘も平気でつけるようになるのだろう。

  その返事をするのに1週間近くも経った今日、F 氏は、手ぐすねを引いて待っていた私の元にノコノコとやって来た。

 予想通りの答弁をする F 氏に私は言った。

「SANNETが光に対応していないと言ったことを、書面に書きなさい。どちらにしてもこのことはHP に掲載させていただく。 新規契約はもうなしだ。お帰りください。」

 どんな商売にも、その商売特有で消費者に分からない旨みというものはあるもので、それらを全てあばくつもりは 毛頭ない。しかし、規制緩和の名のもとに、あらゆる既得権益が奪われて行く中で、電話機業界はまだまだ消費者の無知 に便乗した、度の過ぎた美味しい商売をしていることは事実のようだ。

 業界全体が襟を正していただきたい。

あとがき

 最近の日記では、他人の批判ばかりしているようで、また友達が減ったかな?とも思いますが、私を 理解してくださる方は、短い文章の背景を理解してくださると信じています。 でも、私を直接知らない方は 松本は気難しい、不遜な人間だな、と思われたかも分かりません。

 私は今日まで誠心誠意生きて来たと自負しています。お客さんに接する時はもちろん、自分が客の立場になった 時には、それ以上に相手を思いやって来たつもりです。 この経営ポリシーは私の親の代からで、小さな店でしたが、 新聞や電気料(昔は集金さんが集めた)の集金さんに至るまで、わけへだてなく接し、皆お客さんになってくれていました。

 だから、こちらが何かを買う立場になった時も、高飛車に出たことはありません。  しかし、こちらの誠意が裏切られた時、私はどうしても許せないのです。

 





2006年7月8日


There is an evil I have seen under the sun,..... 
               (わたしは日の下に一つの悪のあるのを見た。)


There is an evil I have seen under the sun, like an error which goes forth from the ruler
-folly is set in many exalted places while rich men sit in humble places.
I have seen slaves riding on horses and princes walking like slaves on the land.
(ECCLESIASTES 10:5-7)

わたしは日の下に一つの悪のあるのを見た。それは司たる者から出るあやまちに似ている。
すなわち愚かなる者が高い地位に置かれ、富める者が卑しい所に座している。
わたしはしもべたる者が馬に乗り、君たる者が奴隷のように徒歩で歩くのを見た。
(伝道の書 第10章 5~7節)






2006年7月6日


A prophet is not without honor, save in his own country and in his own house. 
                              (所の神は有り難くない。)


I met with a professor of engineering department of the local national university the other day. It had been mediated by a prefectural officer of the industrial development department in advance. The officer had made an interview with me previously when my article appeared in the local paper.

Despite that I had sent an e-mail to the professor informing closely what I had done and what my aspiration is like, he seemed not to have understood what my invention means.

It is quite some time since industry-university joint project came to be said to be important and profitable to each other. Apart from the auto industry or the electronics industry which is mature and in rabid competition, there must still be enough niches in the telescope industry, as I have shown a good example with my personal business, in which a university should have more chance to be successful.

Contrary to my expectations, I couldn’t convince the professor of the mutual merit of the corporation on the study and production of my invention.

On the way from the university, a verse in the Bible occurred to me.

“A prophet is not without honor, save in his own country and in his own house.”(Matthew 13:57)

If we replace the “place” with the “time”, it can also be said that

“A prophet is not without honor, save in his era.”

Hate to admit, but history tells 300 years is not rare for honors to be restored.


 先日、私の新聞記事がきっかけで、県の産業開発課の方が地元の国立大学の工学部の教授を紹介してくださり、同大学で面会した。

 教授には、県の方が事前に私のことを詳しく話してくださっていたようだし、私も事前にメールで詳しく自己紹介しておいた。(どうやらリンクの詳細までは 読んでくださらなかったか、少なくとも理解されなかったようだが。)

  産学連携が叫ばれるようになって久しいし、国立大学も自主経営を迫られているので、大学ブランドの商品を開発して もおかしくない。 自動車産業や家電産業のように、成熟度が高く、競争も熾烈な業界に参入するのは現実的でないかも知れないが、 望遠鏡業界であれば、まだ入り込む隙間がある。それは、私のような一個人がそうして来たのだから、大学には有望なポテンシャル があることは明らかであり、求められれば、私はいくらでもノウハウを提供しようと思っていた。

 詳細は省くが、私とその先生とは、話が全くかみ合わなかった。 つまり、互いに利益になる接点が見いだせなかったの だ。 いや、互いにというのは正確ではない。 私には、互いにメリットになるシナリオがあったのだから。

 大学からの帰路で、ふと表題のことばが浮かんだ。 表題の言葉は、マタイによる福音書の13章57節の、イエスの言葉だ が、“地元では認められない”ということの他に、その時代には受け入れられないという意味にすると、以下のようになる だろう。

A prophet is not without honor, save in his era.

    …と、こうなると、もう救われようが無い。^^; しかし、数百年後にやっと認められる、というのが決して 珍しくないことを、残念ながら歴史が語っている。

(”save”は古語で、口語の”except” に当たる。)






2006年6月28日


不合格A(3回目)

 6月11日に受験した英検1級一次試験の結果が出た。 今回は、リスニングでアクシデントがあったものの、英作文を除いたマークテストの部分の 得点の合計(失敗したリスニングも含めて)で前回より3点上がったので、密かに合格を期待していたのだが、 皮算用だった。

 英作文は、今回もA4の解答用紙にほぼびっしりと書き、前回よりも出来が悪いとは思わなかったが、前回の 26点は無理だった。

 リスニングでの雪辱を期しておきながら、所詮運命とはこんなものか。 英作文を含めて、リスニングの前までの 問題を駆け足で進み、何とか10分間残して、リスニングの問題の選択肢にしっかり目を通すことが出来た。そして、 手ぐすねを引きながら筆頭ページを開いて(開いたつもり^^;)リスニング問題の開始を待った。 ところが、いきなり最初の音声の問題に 対して、該当する選択肢がどこにも見当たらないのだ。 頭にカーッと血が上り、開いていたページが先頭でなかったと気付いた時には、音声は すでに2問目に入っていた。その動揺が最後まで尾を引いてしまった。・・・お粗末な顛末でした。^^;

 





2006年6月27日


How are you going to spend your retired life?

Being self-employed, I am free from the mandatory retirement system. However, to escape the chores of the shop, I would like to retire from my current work at age 65 or earlier and concentrate on what I would really like to do.

I am an optician running an optical business and am also an amateur astronomer. While being engaged in the optical business, I invented an innovative telescope attachment 17 years ago.

Contrary to my original expectations, the conservatism of the telescope industry forced me to manufacture and design the invention by myself. Since then I have been successful with this side business selling this invention to the extent my one man production shop would allow.

Making things is a thrilling pleasure as long as you do it as a hobby, but it is not necessarily true of that on business. The manufacture of the telescope attachment is not only dirty and hazardous; but also nerve consuming. So after reaching a certain age, I would rather lecture and disseminate my theory and thoughts on the astronomical instrument to the world rather than cater to each amateur astronomer's order individually.

I believe my contribution to the world in this manner will do more than I am currently doing.

言葉が一人歩きするのは怖いけど、表題のことを尋ねられたとしたら、しかも単純に言うのなら、こうなるのかな?






2006年6月26日


On impulse, or premeditated, which is guiltier?

Premeditated murder is usually treated as more culpable than one on impulse. Is this always consistent with reason? I don’t think so.

Atrocious crimes on children are rampant these days, and the criminals have often evaded the capital punishment using a defense motive of impulse or a plea of insanity at the time of the incident.

Stop to think of the unimaginable heartbreak of the bereaved parent, I think a murderer of children should be severely punished regardless of his or her motives. Especially in the case of a murdered child, I do not see any reason for leniency.

In another sense, premeditated murder might sometimes stem partly from the victim or his or her parent incurring grudge of the criminal. However, in the case of victims of the murder on impulse, neither the victim nor bereaved parents are in the least responsible for the crime.

In conclusion, I think the impulsive murder of a child is more culpable than a premeditated one for the reasons I have described above.

(Tatsuro Matsumoto, June 26, 2006)

(衝動殺人だと計画殺人よりも罪が軽くなる? もし、そうだとすると、これは早急に改めてもらいたい。 被害者の立場に立てば、むしろ衝動殺人こそ不慮の災難ではないのか。恨みを買っての計画殺人であれば、被害者側にも落ち度が 皆無だったとは言えないだろう。
 「事件発生時は1億2千万人が容疑者だ!」と言った人がいるが、不慮の事故を含めて、誰しも一生の間に人の命を 奪わないという保証はない。しかし、誰しも自分や家族の命は絶対に奪われたくないと思っている。そして、 より安心な環境で生活したいと願っている。 そうであるなら、私たち全国民が、命を国に供託したらどうだろう。
 つまり、「私は絶対に人の命を奪うことはしません。もし誤って奪ってしまったら、無条件に私の命を差し上げます。」 と誓約すれば良い。約束を破らない確信があれば、どんなに重い罪を設定しようがその人には関係ないのだ。犯罪の抑止になるならない の問題ではなく、契約社会の合理的で公平なルールとして提案したい。)






2006年6月18日


 地元紙に紹介されました

 10日ほど前に日本海新聞の記者が見え、私が製作している双眼望遠鏡について 取材を受けました。
 具体的にどんなコーナーで、またいつ掲載されるのかは知らされていませんでしたが、 今朝掲載されたので、ご参照ください。

 ”ベンチャー”ということで、商業的な取り扱いのようでしたが、世の中の価値観の尺度から、記事を作る立場としては、ああいう構成になるのかも分かりません。  誇張したトーンで、さも商業的に大成功しているような印象を与える記事で、少々当人は当惑していますが、まあ、紹介されただけ、ありがたいと思うべき なのでしょう。 年間50台というのは、自前生産のポテンシャルの限界のことであり、実際に現在それだけ製造しているわけではありません。

 私の真の目標は商売で成功することではなく、ソフトの部分の真価が一般的に認められ、それを広める役目を得て、よりグローバルに世界に貢献できる 環境を与えられることです。 無駄なあがきかも分かりませんが、前に進むのみです。(機械油にまみれて物作りをするのが最終目標ではありません。)






2006年6月3日


   ラジオ    

 メガネ屋なので、毎日お客さんと接する。昨今は、若い人はコンタクトレンズに走るので、年輩のお客さんが多い。  メガネの買い換えサイクルは、平均3年という感じだったが、長引く不況で最近はそれが大分延びたような気がする。

 さて、数年ごとにお客さんを追跡することになるのだけど、中には、突然ラジオになる方がいる。 数年のブランクを経て 再会するので、人間だった人が突然ラジオになったようで、衝撃を受けるのだ。

 ラジオとは、自分がしゃべるばかりで、人の言うことを聞かない人のことだ。 この傾向が老化のバロメーターである ことは、私の経験から断言できる。人事ではない、自分も気を付けよう。^^;

 会話はキャッチボール、投げた球がタイミング良く返らないと、苛立つものだし、相手が複数の球を、こちらの体勢 を無視して一方的に連投されても、キャッチボールは成り立たない。

 ただ、非の打ち所のない会話をする方でも、沈黙を恐れるかのごとく、次から次に休みなしに巧に話題を連発して来る 相手との会話も苦手だ。

 会話には沈黙も重要だ。 30分黙って傍にいても間が持つのが、本当の親友というものだろう。






2006年5月28日


 国旗掲揚   

 ホームページに日章旗を掲揚しました。

 おっと・・、私は"fanatic"な思想の持ち主ではありません。 右でも左でもなく、また安易に両者を足して2で割った考 え方を良しとしている人間でもありません。(日章旗を掲げたところで、こうして弁解をしないといけないところに 私たちの不幸があることは確かです。)

 直接のきっかけは、次の通りです。
 最近私が製作している光学部品(望遠鏡の主要パーツで私の発明品)を買ってくれたスペイン の方のHPに、機材紹介のコーナーがあり、それはそれは、解像度の高い美しい写真ばかりでした。
 その多くは日本製の望遠鏡であり、そのメーカーのロゴと共に、氏が自作したと思える日の丸のステッカーが誇らしげに 貼ってあるではありませんか。 私はそれを見て、何かハッとするものを感じたのです。
 私たちが作った物を、敬意を持って慈しんでくれる外国人がいるのです。 日本製であること自体が、その人にとっては、 一つのブランドなわけです。

 私が作っている光学部品(EMS)は、世界で私しか作らない(説明が長くなるので、断言して顰蹙を買うかも?でも本当 なのです。)物なので、どこ製であろうと、マツモト製なのであって、国籍は関係ないようなものですが、世界の多く の人から、日本のマツモト製品という目で見られているのであれば、それに応えない手はない、と思ったわけです。^^;

 さて、それでさっそく私のHPの"ENGLISH VERSION"に日章旗を掲揚したのですが、JAPANESE VERSION だけに日章旗が無いの もおかしい、と思い、結局両方のVERSIONに掲揚した次第です。

 まあ、長々と申しましたが、そういうことですので、悪しからず・・・・。^^;






2006年5月13日


人類の至宝(補足2)


 もう少し、逃げないでお付き合いください。 私は数学が理解できなくて悶絶し、一時は絶望した経験の持ち主です。 ただ、 それは自分に数学の適性が無かったからでも、馬鹿だったからでもないことに、ずっと後になって気付きました。  早い段階で気付いていれば、自分の人生はまた変わったものになっただろうと思っています。  私は、理解できない感覚を肌で知っているので、分からない方に理解させることへの確信を持っているのです。

 過去2回のご説明は、やや性急で、準備運動が足りずに、筋を痛めてしまった方もあるやも知れません。 今日は、より基礎的な部分のおさらいをさせていただこうと思います。

 2の2乗は4ですね。 指数を覚え始めの中学生に、「それでは3の2乗は何?」と尋ねると、大抵、 「3の2乗=6です。」と答えますが、3の2乗=3×3=9 が正解です。  初めての人にとっては、このように、累乗の意味を理解するだけでも、ちょっとしたハードルがあるのです。

 それでは、(2の2乗)と(2の3乗)を掛け合わせたらどうなるでしょう?  (2×2)×(2×2×2)=2×2×2×2×2=2の5乗(32)になるのです。
これより、2^2 * 2^3=2^(2+3)=2^5 ( ^ は乗、* は× のこと)のように計算方法を定義することが出来るのです。

 同様に、(2の5乗)÷(2の2乗)を考えてみましょう。
(2×2×2×2×2)÷(2×2)=(2×2×2×2×2)/(2×2)=2×2×2 より、
今度は 2^5 ÷ 2^2 = 2^(5-2)=2^3 ということで、 指数の計算の約束がどう決められるかが分かると思います。

 この約束に従って、(2の2乗)÷(2の2乗)を計算してみましょう。 同じ数を同じ数で割るのですから、当然答えは1ですが、 ここでは、忠実にさきほどの指数計算の手順を踏んでみましょう。
2^2÷2^2=2^(2-2)=2^0=1 となるわけです。 これより、任意の実数 a の0乗が常に1になることが納得いただけた と思います。
 これでも納得しない方があるかも知れないので、ダメ押しにもう一つ例を挙げます。
(2の3乗)に(2の0乗)を掛けると、2の(3+0)乗=(2の3乗)になります。(2の0乗)が1以外では、この計算方法の 約束が成り立ちませんね。 

 前置きが随分長くなりましたが、以上が e^iθに、θ=0を代入すると、e^iθ=e^0=1となる理由です。(i×0=0)

 また、任意の複素数が、2つの実数、a,b と虚数 i を用いて、x軸を実軸、y軸を虚数軸として、ベクトル同様に、 a + bi と複素平面上に表すことができることは、各自でおさらいしていただく必要があります。(昔の教科書や、関連Webサイトを ご参照ください。)



 


2006年5月12日


メガネの度数(2)


 快適なメガネの度数の決定に腐心する理由の主なものは、私たちの眼が二つあることです。  このことを説明するのに格好のお客さん(Aさん:20歳代)が今日見えたので、実例に即してお話してみます。

 Aさんの裸眼視力は、右が0.15で、左が0.05、一般の方が見ると、かなり眼が悪い方だと思われるでしょう。  しかし、中等度以上の近視(普通の近視)であれば、裸眼視力は0.1以下が普通であり、特に珍しい眼ではなく、 また近視自体は病気ではなく、ある意味、身長のばらつきのように、標準の屈折状態から少し外れた眼だと理解しても 良いと思います。

 問題は、この方の左右の矯正度数がどうなるかです。裸眼視力に左右差があっても、実際の眼の度数(屈折異常度) は大差がない場合もあります。

 検査結果は、右=-2.00Dで、左=-4.25D (これに加えて少量の乱視もあった。)で、矯正視力は、左右共1.0くらい出ていました。(矯正視力 は個人差がある。)

 このままの度数でメガネを作るとどうなるか。5分も掛ければ頭が痛くなり、眼も開けていられなくなるのが普通です。  レンズの歓迎されない副作用として、像の大きさが変わってしまうのです。近視用の凹レンズの場合は、度が強いほど 物が小さく見えるという副作用があるので、左眼の方が相対的に小さい像を見ていることになるのです。 脳は大きさの違 う左右の像をコンポジットして一つの画像として処理しないといけないのですが、重ねる像の大きさが違うと、脳は非常 なストレスを感じることになるわけです。

 乱視の場合は、度数に方向性がありますので、向きによって倍率が異なるわけですが、左右で乱視の軸方向が異なる 場合、たとえば、正方形を見たとき、微妙に菱形に見え、その変形方向が左右で異なるわけですから、これを重ねて コンポジットするために、脳はかなりのストレスを強いられるわけです。

  さて、結論として、どうするかですが、違和感がほぼ無くなるまで、左右の度を歩み寄らせるのです。通常は弱い 方の度を強めるわけにはいかないので、大抵は、強い方の度を弱めることになります。

 因みに、初めてメガネを掛けるAさんには、右=-2.00D、左=-2.50Dを掛けていただくことにしました。  一般的には、頑張れば左右の差が2.0Dくらいまでは慣れると言われていますが、成人した方が初めて掛けるメガ ネとしては、左右差1.50Dでも十分辛いもので、敏感な方の場合は、上記のレベルまで慎重にしないといけないこともあるの です。こういうケースでは、数年をかけて段階的に矯正して行くことになります。
 この処置によって、度の強い方の眼はぼけて見えているはずですが、両眼開放した状態では、全く問題がない( 快適)のが普通です。(右=-2.00、左=-3.00くらいにしたい ところですが、欲張ると大抵失敗するものです。^^; )
      It's the last straw that breakes the camel's back.

蛇足: 幼児(小児)の場合はこの例にあらず。 先日、某病院眼科の処方で、右=+1.0D 左=+6.0D (6歳)というのがありましたが、 この子はメガネを掛けた瞬間から、ニコニコして快適そのもの。 子供の順応性、恐るべし。






2006年5月10日


人類の至宝(補足)(5月10日)


 「人類の至宝」の反響がなくて、ちょっとがっかりしていたところで、少なくとも2名の方から明確な 反応があった。

 最初の方は、60歳代後半の、地元で会社を経営している方で、何と、該当文をプリントアウトして、「教えてくれ・・。」と訪ねて 来られた。この方は、体系的に数学を学習されてはいないが、好奇心と研究心の旺盛さにはいつも脱帽し、見習わせていただいている。 さすがに息子さんを東大に入れた(すでに卒業された)だけのことはあると、いつも納得。

 ただ、複素数も三角関数も未経験の段階では、オイラーの公式を理解するのは無理なので、定性的な話をさせていただいた。

最初の方への回答の要約:

「 私たちが日常生活で直接接している数は、実数といって、直線上の1点に対応させることが出来ます。ゼロを中心にして、左側がマイナス、 右側がプラスです。実数だけを扱っても、いろんな仕事は出来ますが、上の数直線とゼロ点で直交するもう一つの軸(虚軸) を加えて、二次元平面上の1点で表すように定義した数を導入すると、一挙に世界が広がるのですが、この数のことを”複素数”というのです。
 直線をよく理解するためには、自分が直線の世界に閉じこめられていたのではダメで、平面の世界に視点を置く必要があるのです。
 また、平面の世界を理解するためには、自分の視点を3次元の世界に置く必要があります。 ですから、あり得ない虚の数をもて 遊ぶのではなく、実の世界をより良く理解するために、視点をより高い次元に置いて眺めることが極めて有効なのです。
 オイラーの等式の凄いところは、e やπ や i が不可思議なのではなく、それらが1体となって、マイナス1という単純な数になる ところが驚異であり、美しいと言われる理由なのです。」・・・ますます混乱しました??^^;

 2人目の方は、私の友人(東大卒^^;)でした。自分のブログに私のHPの「人類の至宝」のことを書いてくれ、「やはり理解できない、今度 鳥取に帰った時に教えてくれ・・」と 言うので、以下のように返信を入れておいた。(その返事はまだ来ていない。)

「 ***さんに小生が教えるなんて? おこがましくて・・・、 でもおだてに乗りやすい小生。・・・・・
 e^iθ は直接手で触れて見ることが出来ません。透明人間が泳いでいるようなもの。 だから水しぶきを見るのです。
 まず、θ=0のとき、e^0 = 1、これは良いですよね。
 厳密なことは置いておいて、θにゼロ以外の数値を代入すると、e^iθ は複素平面上の1点を占めると予想できますよね。  残念ながら、e^iθ の値は直接求められないので、その点がθの変化につれてどう動くかを考えるわけです。
 そこで、その点の速度を求めるために、e^iθ をθで微分すると、ie^iθ となり、これはe^iθに直角ですよね。 つまり、位置ベクトルに対して常に直角方向に動くわけです。
 さらにθで微分すると加速度が求まるわけですが、これが何と、-e^iθ で、原点に向かっているではないですか。  これはまさしく円運動です。
 それで、e^iθ =cosθ+ isinθ となるのです。θ=π を右辺に代入すると、マイナス1になりますね。  また、試しに右辺を微分すると、
  -sinθ+icosθ = i(cosθ+ isinθ )で、元の式と直交していますよね。
 さらに微分すると、-cosθ-isinθ=-(cosθ+ isinθ )ですから、元の式と逆向き(原点向き)ですよね。
  ・・・・くどい説明で失礼いたしました。」

  実業高校しか出ていない私が東大出の友人に講義するとは、何ともおこがましい。 それにしても***君は謙虚な人だ。 夏にはまた 一献交わす魚が出来た。^^;

 我ながら、私は本当にしつこい人間のようだ。 だから最近は娘にも敬遠されて、よっぽど困った時以外は私に質問しなくなった。^^; ;;
 でも、感動したことについては、一人でも多くの人とその喜びを共有したいと思うのだ。^^;  分からない時も孤独、分かってしまっても孤独、 人間の宿命か。
Der Mensch ist ewig einsam. (←30年前、ドイツ語にかぶれていた頃のお気に入りの言葉。 間違っていたらご指摘ください。^^;)






2006年5月5日


       “東大コーチ”と“100人のチカラ”(1月4日記)


  表題の両著は、鳥取市出身の東大生によるものだ。“東大コーチ”の初版が2004年12月12日発行、 “100人のチカラ”の初版が2005年10月10日発行で、著者の影井秀君は前著発行時点で東大工学部3年とあるので、 順調に行けばこの春、東大工学部を卒業することになる。

  この2冊の本を、著者の同級生のお母さんより、二度に分けていただいた。 その順序は、発行の順とは逆で、 最初に“100人のチカラ”をいただき、その約1か月後に“東大コーチ”をいただいた。 発行順は逆だが、この方が、 主人公の成長の時系列には合致していた。

  本をくださった女性の息子さんは、鳥取市内の進学高校から東大まで一緒の、著者の同級生で親友だそうだ。  “100人のチカラ”を娘に見せたら、「この人知ってるよ。この前学校に講演に来ていたよ。」と言い、彼が自分の 母校で講演をしていたことを知った。

  “100人のチカラ”には、鳥取市に実在する和菓子屋さんやパチンコ屋の名前が出て来て、地元の人間としては、 また格別に臨場感が盛り上がる。 本をくれた方が、私(松本)とイメージがだぶると言っていた自転車屋は、当著では 本屋の隣りという設定だが、私の知る限り、モデルに該当するような自転車屋さんはない。

  影井秀君は、著書によると、高3の段階でどうしようもない成績から一念発起して、塾にも家庭教師にも頼らずに東大 に入った。“東大コーチ”は、前半は著者が“東大コーチ”と出会って東大に合格するまでのことが書かれ、後半は学友 と共にかつての“東大コーチ”を探すうちに自分たちで“東大コーチ”を立ち上げ、これからの東大受験挑戦者にエール を送るところで締め括られている。

  “100人のチカラ”は実に平易な文章で、ゲーム世代の作品らしく、次々と面白いストーリーが展開して読者に寸分も 退屈させない。短時間で一気に読み切ってしまった。恐らく著者の体験を土台にしながら、フィクションとノンフィクシ ョンの境界が分からないところが、実にスリリングで面白く、その境界を詮索するのは野暮というものだろう。ひょんな ことで出会った、頑固一徹なじいさんの影響を受けて成長する主人公。 もしこの書物で象徴されるような体験を 著者が実際にしていたとするなら、“東大コーチ”(こちらも実在していたかどうか疑問だが)と出会うまでに、すでに 著者は東大受験に向かうだけの精神的な基礎が出来ていたと言えるだろう。

  私が見た、両著の共通点は、どちらも若者の関心事である受験や一人前の人間になることといったテーマを視野に 置きながら、勉強のやり方等に関する具体的な示唆には全く触れておらず、ある意味古風な精神論に終始している。
 「箍(たが)を外す。」という言葉がある。箍(たが)とは、木片を丸く束ねて桶を作るための金属等の輪っかのことで、 これを外すと、当然、中の水は一挙にこぼれる。 「羽目を外す。」というのも、似たような意味で、どちらもネガティ ブな意味に使われる。ポジティブな意味で似たような表現はないかと思ったが、恥ずかしながら、自分の頭の語彙の辞書 には適当なのが無かった。

 ポジティブな意味では、「枷(かせ)が外れた。」と言うべきだろうか。もっとダイレクトに表せる動詞はないかと 思うのだが、適当なものが見当たらない。慣用の度合いは知らないが、英語には unfetter というその物ずばりの他動詞 があって、この方がよりピンと来る。 この2つの作品を読んで、少年期の終わりから青年期の始めにかけて影井君が 達成したものを考えるとき、私は、「彼は『枷(かせ)』を外したのだ。」と思える。 何かを獲得したと言うよりも、 我々が皆ほぼ先天的に引きずっている、何か行動を起こそうとする時の足枷(あしかせ)に象徴されるところの、 内的、外的な阻害要因を自ら払拭するのに成功したのだ。

  これによって、影井君は自分を完全燃焼させるための切符を手に入れたようだ。 これからの将来が楽しみな 青年だ。

  「ナンバーワンよりオンリーワン」などという標語があるが、これはきれい事であり、敗者の負け惜しみでしかない。 現実には、高校でも大学でも厳然とした学校間差別があり、東大であっても学部間差別の意識があると聞く。  結果として、大多数の人間がそれなりのコンプレックスを持っているのであり、そこに登場した2作品は、それだけ に誰でも容易に感情移入することが出来、抑圧された人間の痛快なサクセスストーリーとして、これほどの広範な支持 を得たのだろう。

  何度も転び、擦り傷だらけ、痣だらけになってやっと獲得した最初の切符、転んでもタダでは起きない、影井君の したたかさが、自ら“東大コーチ”を立ち上げてしまったことにもよく表れていると思う。
 彼に失礼かも知れないが、この本を読んだ時、私は“ルーズベルト”のあだ名をもらっていた祖父を思い出した。(時計貴金属商のワンマン組合長 だった祖父、敵国の大統領のあだ名をもらうとは、嫌われ者だったかも?^^;ただ、写真を見ると、父には似ず、 それだけの風貌をしていた。) 商売人だった祖父の格言(父を通して聞いた)は、『汚く儲けて綺麗に使え。』 というものだった。(私は支持しない。^^;)

 昭和18年の鳥取大地震は、当時戦争中で報道規制されたため、ほとんど知られていないが、平成の阪神大震災に劣らない、おびただしい被害をもたらした大地震だった。 地震直後の火災の火の手が迫り来る状況下で、祖父はとんでもない行動に出た。 何と、山口県の小野田セメントに電話を掛けて、セメントを一貨車注文したのだ。  建築資材業者でもない祖父の大量注文を、小野田セメント本社が即決で受け付けたことが今の私には信じがたいことなの だが、これは事実であり、真っ先に鳥取駅に届いた大量のセメントを保管する倉庫すら用意していなかった祖父だったが、 話を聞きつけた県の建築課が駅に届いたセメントをさっそく全て買い取ってくれたそうだ。

  しかし、『言うは易し、行うは難し。』 影井君は本当に“東大コーチ”を立ち上げてしまった。 そこが彼の凄い ところだ。

 影井君にメールを入れたら、返事は来なかった。 お客にならない人間を本能的に嗅ぎ分けるのだろう。  いかにも彼らしい。

後記

  今年初頭に書き始めながら、関連して書きたい事が多すぎて、主題がまとまらなくなり、締めくくれずに そのまま放置していたものです。 不完全ながら、なんとか締め括ってみました。(5月5日)

 





2006年5月4日


         人類の至宝
                        


 少し前に、高2の娘が学校の数学で”虚数”の単元に入ったと言ったので、教科書を見てみた。 ところが、複素数平面や極形式、ド・モアブル の定理等の記載が全くないので、Webで調べてみたら、何と、2003年からの新課程で高校数学から消えていたことを知り、
愕然とした。

 ベクトルでも、内積を教えるのに外積を教えない。ベクトル、複素数、三角関数、指数関数等は密接にからみ合い、それらをセットで 学習してこそ、その醍醐味が味わえるのに、誠に残念なことである。

 e^iπ = -1 は、人類の至宝と言われる、オイラーの等式だ。

これは、e(自然対数の底;2.71828・・・)の iπ乗( i は i^2=-1で定義される虚数、πは円周率)=-1ということだ。

 つまり、(2.71828・・・)の(i x 3.141592・・・)乗がマイナス1になるということ。
何で??
 e^iθ をマクローリン展開すれば簡単に導くことが出来るのだが、f(θ)=e^iθ のグラフを描いてみれば、視覚的に 一目瞭然となる。

 まず、e^iθ には i が含まれているので、複素平面上の1点に対応するはず。そしてf(0)=1 である。 θで微分してみると、f'(θ)=ie^iθ となり、絶対値は元のままで方向が位置ベクトルと直交していることが分かる。つまり、速度は大きさが 一定で位置ベクトルに常に直交しているということだ。

さらにその速度f'(θ)=ie^iθをθで微分してみると、加速度f''(θ)=-e^iθ となり、大きさは元のままで、向きが原点に 向かっている。 すなわち、これは半径1の円を描くことになるのだ。

 つまり、e^iθ = cosθ + i sinθ (オイラーの公式)となり、θ に π を代入すれば、マイナス1になるのだ。  このオイラーの公式から、ド・モアブルは元より、三角関数のあらゆる公式も簡単に導出することが出来る。

一例を示そう。
e^i(α+β)=e^iα * e^iβ を オイラーの公式によって計算してみてください。
 sin cos の加法定理が一挙に導けて、笑いが止まらないはずです。

 EMSは60度の偏角のミラー2個を適当なねじれ角で組み合わせたものですが、そのねじれ角θを解析してみたら、 何と、cosθ=1/3 という単純な数字で表されることが分かった。当人は仰天、感動したのであるが、今日までそれに関する コメントを誰からもいただけないのは、非常に残念なことだ。

 





2006年4月22日


         1立方センチの立方体




 仕事台(今は小型旋盤の台)の下の本棚を整理していたら、小さい段ポールの箱に入った、 多数の木製の立方体が出て来た。 これは、8年ほど前に2年間ほど夜間だけ、某学習塾の非常勤講師をしていた 頃に使用したものだ。用事がなくなってからも、どうしても捨てることが出来ずに残していた物だった。

 体積の概念が曖昧だった中学2年生の男の子のために、私は1cm角の木の棒をホームショップで探し、卓上の丸 鋸で、結構危険な思いをしながら1個ずつ切断して仕上げた。

 これを1辺が2倍になるように、4個合わせて上から見ると、合体で出来た大きな正方形の面積が元の4倍になる ことが分かる。また、1辺に3個並ぶようにすると、9個で大きな正方形を形成することが分かる。これで、 面積比は相似比の2乗倍になることを男の子に納得させることが出来た。 私はさらにこれを立方体に発展させ、 体積比が相似比の3乗倍になることも教えた。

 立方体でなくても、たとえば人間のような形でも、小さな立方体の集まりと考えることが出来る。 体重60kgの人 がたとえば6万個の1立方センチの立方体で近似させることが出来るとすると、同じ個数の1辺2cm(8cm3 )の立 方体で、2倍の相似比の人間を形成することが出来る。だから、完璧に相似のまま身長が2倍になると、体重は8倍に なるのだ。(この仮想の立方体の1辺は限りなく小さく想定できる。)

 この男の子のお母さんが塾に月謝を払いに見えた時、お母さんの生活臭が痛々しく伝わり、私は何としてもこの子 の学力を上げてやろうと決意した。しかし、その思いがつのるばかりに、宿題をして来ない子にいつも笑顔で接する ことが出来なかったことから、次第に敬遠されてしまい、この子は結局塾をやめてしまった。今はすでに成人して いる勘定だが、あの頃の事をこの子はどう思っているのだろう。「妙に口うるさいオジサンだったなあ。」 と思っているのかな。






2006年4月17日


         メガネの度数


 ホームページに眼やメガネのことを書いているせいか、ときどきご質問をいただく。

 先日、覚えのない女性名で分厚い封筒が届き、密かな期待を持って開封したら、メガネで苦労して来られた経緯が詳細 に綴られてあった。

 比較的最近、関東地方から、大手のメガネチェーン店で何度メガネを作っても満足できなかった男性が鳥取市の当店までメガネを 作りに見え、 「初めて満足がいくメガネが出来た。」と大変喜んでいただいた。 どうも、全国的に相当な割合で自分の メガネ(の度数)に満足しておられない方がおられるようだ。 しかも、よくお聞きしてみると、私が当然だと考えている 検査や検討を、メガネの度数を選定する段階で十分に受けておられないようだ。 これは、メガネ店だけでなく、 医療機関でも同様の傾向だった。

 実は、この傾向は、当方がネットで情報を発信する前から、店頭でも体験していたことだ。  半世紀に渡って鳥取市で眼科医療に貢献されたO先生はすでに故人になられて久しいが、生前にO先生の眼の度 を測らせていただいていたのは私だ。現在、千葉県在住の奥さんは、メガネを作る度に私の所まで帰って来られる。 奥さんも「あらゆるメガネ店、医療機関を歩いたが、満足できなかった。」という意味の事を言われた。

  現在は、他覚的な検査手段が発達しているので、器械による検査だけで、比較的正確な度数を把握することは、 素人でも出来る。 そこに巨大資本を持つ他業種の起業家が目を付け、医療器具であるはずのメガネを“雑貨品”として 量販展開をする。もともと他業者だから、医療品を扱うというプライドも自覚もない。 有名芸能人を使って集中豪雨的 に、主に価格に訴求したテレビ宣伝を流し、消費者を洗脳する。 芸能人は金になればどんなコマーシャルにも出るが、 門外の業界の価値を判断する能力を彼らに期待するのも酷なのかも知れない。

  さきほど説明したように、概ね正確な眼の度数を測定するのは、そう難しくない。 問題は、正確なメガネと快適な メガネが同値ではないこと(大抵は相反する)にある。 正確?で不適切なメガネが氾濫して行く(しかも加速している ようだ)のは、隠れた社会問題だとさえ思える。メガネは両刃の剣。効果と副作用が拮抗する投薬や食物と同じ。いくら栄養があっても、 未調理のままでは腹を壊すので要注意だ。

  もちろん、眼の検査の最初の仕事は正確な度数を把握することだ。前言を覆すようだが、実はこれも厳密にはそう 簡単な事ではない。後で被検者の装用感を打診しながら、さじ加減をする時の最初の基準なのだから、正確でないといけ ない。問題は、その後、快適さと求める矯正視力との妥協点を、被検者と同じ目線でじっくりと決定することが大切で、これ には、検者の熟練と根気を要するのである。 






2006年3月18日


         納得いかない検査結果


 クーは3月4日に倉吉市の山根動物病院で腫瘍の組織検査のための手術を受けた。 それは鳥取市内の開業医のK先生 の紹介だった。

 検査用の組織をサンプリングするためだけの手術であったが、クーにとってはまさに命のリスクを賭けた手術だった。
「検査結果は1週間ほどで出る。検査結果は、K先生と松本さんに別個に同時に伝える。」ということで、以来、毎日はらはらしながら結果を 待っていた。

 あまりに報告が遅いので、昨日(17日)山根動物病院に電話をかけてみた。 午後2時頃だったが、担当医が手術中のため、3時以降に 電話をかけ直して欲しいとのことで、3時5分に再度電話をかけたら、今度は受付の方が、「診察中なので、後で電話を入れさせる。」ということで、 その後にやっと担当医から電話をもらった。

担当医からの電話の概略

1.K先生(鳥取市の開業医)には14日に連絡した。松本さんが週末にKさんに診察に見えると聞いたので、 松本さんには連絡をしなかった。

2.検査結果は、胸腺腫の疑いが強いが確定できない。   浸潤が進んでいるので摘出は不可能。 抗ガン剤の効果はないと思う。放射線治療もあるが、効果は期待できない。

3.「検査用の組織が不適だったらしい・・」ことも言っていたが、歯切れが悪く、良く理解できなかった。

  正直、あきれ果て、早々に挨拶をして電話を切ろうとしたら、検査結果の内容をFAXしても良い、とのことだったので、一応FAXを送ってもらった。

  何とも小さい文字、しかも何度送ったFAX文書だろう。一字ずつ読みとるのも一苦労だった。 誠意が微塵も感じられない。  クーの飼い主の母は80歳である。 それをルーペで一字ずつ読み取りながら打ち直したのが、下の文章だ。 報告内容を知って、ますます腹が立って来た。

組織所見など

 送付材料はそのほとんどの領域を好酸性無構造性壊死組織が占めていた。  部分的に弱好酸性の細胞質を持つ卵円形から類円形の細胞が増殖し、増殖細胞間にリンパ球が少数散在していた。  増殖細胞に軽度の大小不同が見られたが、比較的均一な大きさで、核はクロマテンが豊富な類円形から長円形で異形 性は乏しかった。 核分裂は明らかでなかった。 異形細胞増殖巣と壊死組織が接する部位に若干の繊維芽細胞が 増殖している部位も見られた。

 送付材料はほとんどの領域が壊死しており、組織材料としては不適な状態であった。 部分的に腫瘍組織と思われる 構造が見られたが、その量が少なく、確定診断は困難であった。 病巣の形成状態と腫瘍細胞の形態。リンパ球が 混在していることを併せると胸腺腫の可能性が疑われるが、確定できない。

 胸腺腫は胸腺を構成する上皮細胞由来の腫瘍であるが、様々な理由でリンパ球を混在する。 腫瘍全体が上皮細胞 のみで構成される場合や、リンパ球が大多数を占める場合などもある。 胸腺腫は山羊を除いて動物では希な疾患で、 鳥類での報告も少ない。 犬の胸腺腫では、臨床症状は咳、呼吸障害、食道の拡張などで、何れも腫瘍の圧迫による 物である。 また頭頸部の浮腫も見られることがある。 胸腺腫は通常増殖の緩徐な腫瘍で周囲への浸潤性も乏しく、 外科的に完全切除がされやすい。

 報告書の要点は、クーが命を賭けて摘出された組織は検査材料として不適だったということだ。 もっと分かりやすく言えば、 どんな理由を付けてみても、あの検査手術が失敗だったということだろう。
  最後の段落は、「胸腺腫」を一般的に説明しているに過ぎない。しかも、担当医の説明と矛盾しているところもある。
 次の診察日(明後日)にK医師が私にどんな説明をするのか、楽しみである。

3月21日追記:

 昨晩 K 獣医師とじっくりお話し、私の気持ちをお伝えした。 K氏は、山根動物病院の対応に対する当方の不満と、同病院との パイプ役としてのK先生の対応が当方にとっては不十分であったことを認められ、謝罪された。   また、今日は山根動物病院の院長が自ら謝罪に来られた。 まずは院長自らが当方に見えられたことを評価したい。

 ただ、組織検査の経緯について、院長はやむを得なかった事情を説明されたが、結果として成果が無かったことには変わりないので、 その弁解をそのまま受け入れるわけにはいかない。早い段階で検査の成果が無かったことについての詳しい説明と謝罪が欲しかった。

  患者の直接の家族というものは、とかく回りが見えなくなって感情的になり勝ちなことは承知していた。 だから事前に身内の医療関係者 (胸部外科医で某病院長)にも客観的な意見を求めた上で、上記内容のHPへの掲載を決断した次第だ。

 また、今回の件で、医者に限らず、サービスを提供する側とされる側では とかく齟齬が生じやすいものであることを、改めて自覚し、自らも襟を正さないといけないと思った。

     





2006年3月13日


         お見舞いお礼


 クーは7日に退院しておりますが、腫瘍の組織検査の結果を待ってから次の日記を記載させていただこうと 思いつつ、今日に至るまで結果が出ず、その間に多くの方がご心配くださいました。 まずはご心配くださった方々に お礼を申し上げたく、近況をご報告する次第です。

  7日の朝、倉吉市の病院より電話があり、「経過が良いので退院しても良い。」とのことで、すぐに店を閉めて クーを引き取りに行きました。「経過が良い。」というのは、検査手術のダメージからの回復のことであり、病の根源は 未治療のままです。 腫瘍の組織検査の結果はまだながら、顕微鏡で一見した段階ではリンパ腫等のように対処しやすい 細胞ではなさそうとのことで、退院時には、「余命はいくら長くても今年一杯です。」と引導を渡されました。

 退院当日のクーを、仙人さんこと山内さんが見舞ってくださいました。 クーは山内さんには家族以上になついていて、 それは尋常な喜びようではありませんでした。以来、めきめきと元気になっていますが、嬉しいことがあると、やはり免疫力 が増すようです。

 何だか日本中(世界中?)の方がクーに”気”を送ってくださっているような気がして、もしかしたら奇跡的に 回復するかも知れない、と密かに期待するこの頃です。


 


2006年3月6日


         第一関門突破




 検査手術を耐え抜くことが最初の関門だったが、全身麻酔からも無事に醒め、何とか切り抜けた。 昨日の午後、術後初めての面会に行ったが、予想以上に元気で安心した。昨今の集中医療の威力はなかなかのもののようだ。

 ガラス張りで密閉されたケージの中から、 直ぐに私たちに気付いたクーは、ガラスを前足で叩いてキャンキャン騒いだ。

  面会の準備が整うまで、待合いでしばらく待ったが、やはり重症の患者たちが飼い主に連れられて次々に出入りしていた。 大柄な中年男性にリードを引かれて入って来た、30kg近くありそうな大型犬が病院のドアをくぐるなり、突然Uターンして外に出てしまい、 男性が素早くだっこして診察室に入って行った。 膝に大人しいミニチュアダックスを抱いて静かに順番を待つ女性、透明バスケットの中で不安そうに鳴く猫、 それぞれに患者の数だけのドラマがありそうだった。 中でも、やはり不治の病をかかえていそうな、術後の腹の当て物が痛々しかった中型犬が その美しい主人(女性)の顔だけでなく、何かを訴えるように、同じ待合いにいた私たちの眼を順にじっとみつめて いたのが強く印象に残った。

 犬は診察(診療)を受けるのが怖い。これは私たちが幼年期の記憶を辿ると、多分かなり正確なシミュレーションとなるだろう。 幼稚園くらいになると、診察が怖くても逃げられないものであることを悟る。 恐怖に震えて診察の順番を待つ犬、その気になれば、もっと騒いで、駆け出して 逃げることも出来るのだが、治療が必要なことも分かるのだろう。幼時の恐怖心を思い出す時、犬たちの葛藤の重みがずっしりと感じられて心が痛む。  命を預かる仕事が大変な事であることも再認識した。

 手術の傷口の治癒と、検査用に一部摘出した腫瘍組織の解明が終わるのに1週間はかかるので、クーの入院はそれ以上続きそうだ。

 

 


2006年3月4日


         「クー」がピンチ


  体重2kgに満たない小さな命が、今危機に直面している。  両親が飼っているヨークシャーテリア、4歳半メス、が胸部深くに出来た腫瘍を見極め るために、今日開胸手術を受ける。

  この犬は、長女(私の長姉)を失った両親を慰めるために、次姉が両親に贈ったもので、 その年齢がそのまま、長姉が癌で死んでからの年月を表す。  生後1か月で我が家にやって来た「クー」は手の平に乗るほどの愛くるしさで、以来、かけがえのない 家族の一員となった。

 奇しくも、その「クー」が胸の腫瘍で命の危機に瀕している。 何とも因果な運命だ。   鳥取市内の個人開業の獣医では手に負えないようで、施設とスタッフの充実した動物病院が倉吉市 (ここから車で50分)にあると聞き、昨夕そこに入院させた。

 担当医師は、今回の手術は完治を目的にしたものではなく、腫瘍の組織を見極めて、今後の治療方針 を決定するためのものだということを強調していた。 受付では多項目が書かれた念書に署名捺印さ せられた。 入院費用も先払いということで、かなりの高額を徴収された。 それらが実に淡々と事務的 に処理される割には、処置ごとに無意味に待たせる等、家族が命の危機に直面していることに対する配慮は 欠如していると思った。

  病院側の権益を守ることについては、上記の通り、実にかっちりしていたが、大きな施設だけになんとな く責任の所在が不明瞭で、不安が残った。これに近いことは、動物の病院であろうが人間のそれであろうが、 患者の家族が医療施設に対して一般的に感じる印象なのではないだろうか。

  所定の検査が終わると、一旦「クー」を引き渡され、待合室でクーを膝に抱いて担当医の説明を待った。  待合室でかなり待った後、診察室に呼ばれ、説明を聞き、クーを担当医に手渡して帰るとき、置いて行かれ ることを知ったクーの、体を震わせながらの小さな抵抗と視線に、強烈に後ろ髪が引かれた。

  医師は、「全身麻酔なので、その段階で命を落とすこともあり得ます。」と言ったが、家に連れて帰っ ても、腫瘍で圧迫された食道と気管では、食べることはおろか呼吸もままならず、急速に衰弱して死に至るこ とが分かっていたので、選択の余地はなかった。

 

 


2006年2月14日


         不合格A(2回目)


 1月29日に受験した英検1級一次試験の結果が出た。ボーダー付近の予想が不幸な方向に的中した。  今年最初の日記を合格で飾りたかったのだが、敢えて失敗を自分への戒めとして恥をさらすことにした。

 「もう少し時間があれば・・・」という嘆きは、皆が同じ条件で受験しているのだから、言わないこと にする。 語彙は、結構準備したつもりだったが、前回より1点上がっただけだった。 たとえ1万語を覚えても、25問の中に 7語知らないのが出たらこうなるのだから不思議はない。さらに精進するしかない。
 得点源だと思っていた読解で大きな失点をしてしまった。 最後の問題に時間を残したくて、じっくり読めなかった。 代わりに最後の英作文では、 前回の借りを返せた思いだ。
 リスニングが弱いのは自覚していたものの、今回は特にズタズタだった。 この借りは次に返す。

1点違いでの不合格は悔しいが、方針が見えて来た。 こうなったら受かるまで何度でも受けるだけだ。 

 



2002年8月23日~2003年12月15日

2004年1月3日~2005年1月2日

2005年3月23日~2005年12月30日


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