松本龍郎の日記(雑記帳)
Diary of Tatsuro Matsumoto (5)


2007年1月1日~2007年12月27日

                       E-Mail: 松本龍郎


ODE TO BEING FOUND (070101)         センター試験を解いてみた (070125)        60度を折る ”サバイバル数学” (070202)

故足利先生に黙祷 (070206)          英検結果 (070214)              雪の結晶 (070306)

“きく”(聞く)と“きく(聴く)とは大違い (070313)               タイムラグ(Time Lag)を考える (070316)

治具こそ命 (070320)          私が産まれ育った臭い町(070404)          新型12cmF5-BINO開発中(070411)

近視と遠視と老眼(070505)       蜂谷久子さんに合掌(070528)             Zhe shi shenme?(070616)

What is the light path? (光路長って何?) (070701)           Innovative focus compensator (ピント補償機構) (070703)

「このメガネ、皺(しわ)が見えます!」 (070722)            原爆投下は殺傷実験 (070804)     思わぬ香典 (070804)

迷い猫 (071007)         新アイデア (071114)        第10回望遠鏡サミット(最終回) (071114)

実験成功(Breakthrough in the way of focus compensation !) (071202)        新アイデアの却下 (071215)

今年を振り返って (071227)

 



2007年12月27日


       今年を振り返って

 Sky&Telescope誌の1982年11月号で自作の8cm双眼望遠鏡が紹介されてから、25年もの歳月が 流れましたが、私の到達点と一般マニアや望遠鏡業界、天文誌、一般人それぞれとの 理解度、認識レベルのタイムラグは広がりこそすれ、一向に縮まないことを痛感せざるを得ません。

 EMSの開発史の年表を作るとすると、81年頃のAmici Analogue(一体ケース型)のEMSの発案、90年頃の60度偏角 ミラーユニットの採用、95年頃のミラーチルトによるX-Y光軸調整の実現と続き、今年は、(鏡筒固定で)ピント移動のない 眼幅調整(focus compensator)の実現で、少なくとも原理的な部分では、ほぼ積年の懸案をクリヤーした、特別な年だったと言えると思います。

 とは言うものの、ごく一部ながら、EMS-BINOの理解者やユーザーの方々が増えて来たことも事実です。
 そして、恐れていた悲しい別れもやって来ました。 3月にはユーザーリポートも投稿してくださっていたSさんが 、そして12月には、ユーザーサイトとしてリンクさせていただいていたMさんが亡くなられました。
 ご両名のご冥福を心よりお祈りします。また、来年からもEMS-BINOの完成度をさらに高めるべく 精進していくことが、天国にいるご両名に喜んでいただくことだと思っています。






2007年12月15日


       新アイデアの却下

 近年は新アイデアのほとんどがうまく行っていたのですが、11月14日の新アイデアは最終段階で問題が生じ、 却下することにしました。

 鏡筒が水平方向を向いた状態では問題なく機能したのですが、重いアイピースを 装着して天頂を向けると、モーメント加重でスリーブの片側が浮き上がる現象が見られました。スプリングを強化すれば今度は 軽快な操作感が台無しになります。これを類似の方法で克服するには、構造が複雑になり、2インチアイピースの使用や小目幅 対応に支障が出ることになります。

 以上より、逆に、ミラーをチルトさせる現在 のXY調整の方法が、現状では最善であることを再確認しました。






2007年12月2日


       実験成功(Breakthrough in the way of focus compensation !)(071202)



”Innovative focus compensator”を発表してからわずか5か月で最初のプランを没にしてしまうのは、 恥ずかしく、過去のデータを消去したいくらいの気持ちでありますが、より合理的なピント補償機構の実験に成功したので、ご紹介 したいと思います。 その時には究極なアイデアだと思っても、後でそれが実は回りくどいアイデアであったりするのは珍しいこと ではなく、このサイトの各所で「赤面の連続」と述懐している通りです。^^;

 ミラーユニット間の伸縮管(クレイフォード)によるピント移動を補償する方法として、アイピーススリーブを摺動させるという 点では、今回も同じです。ただ、今までの方法は、ドライブシャフトは眼幅用クレイフォードと共用ながら、 別個にミニクレイフォードを使用し、強制的にアイピーススリーブを駆動させるのに対し、今回の方法は、ワイヤーとリードパイプ を利用して光路長を一定にキープするものです。今日の実験ではまだ摺動スリーブを連結していませんが、クレイフォードは非常に 滑らかに動きます。

 原理は単純ですが、リードパイプをクレイフォードに内蔵しながら施工とメンテの容易さを両立させるのに腐心しました。( フィルター交換やミラーのメンテのために、スリーブシステムは簡単に着脱できる必要がある。)写真は眼幅調整用のクレイフォードから第2ミラーユニットにワイヤーシステムを 組み込んだ所で、左がクレイフォード最短(眼幅最大)、右が最長(眼幅最小)に延ばした状態です。圧着端子でクレイフォード内筒に固定したワイヤーの 全長は変化しないため、ワイヤーの他端を摺動(アイピース)スリーブに接続すれば、眼幅を調整しても総光路長に変化が生じないわけです。

 これまでの方法ではミニクレイフォードがアイピーススリーブを強制的に光軸方向に動かしてくれていましたが、今回の新しい 方法では、より精密で摩擦の小さい摺動スリーブを用意する必要があります。 これは機械部品のスライドガイドの使用で解決するはずです。

 精密な摺動スリーブの採用によって素材コストはアップするものの、製作の時間コストは格段に 節約され、外見のシンプルさ、またEMS-Hugeのような巨大なEMSへの応用を考えると今度のアイデアの方が格段に優れていると言えます。

 





2007年11月19日


       第10回望遠鏡サミット(最終回)

 あまりに感情が高ぶると文章は書けないもので、サミットに前半のみ参加して17日の夕方に帰宅したものの、 感想が書けないまま2日が経ってしまいました。 しかし、今回のサミットはいろんな意味で特別であって、記憶が新鮮な間に、記録に 留めておくことにします。

 16日は鳥取駅発9時16分の『特急はくと』で出発、姫路で新幹線に乗り換え、13時18分に豊橋駅で下車、150-LD-BINOの ユーザーの方の車に拾っていただき、愛知県東栄町のサミット会場を目指しました。

 経路の7割方は走ったかと思った頃に、逆走している雰囲気になり、路端で停車していた地元(推定^^;)のオッチャン(と言っても 案外その方の方が年下だったかも?^^;)に尋ねたら、やはり逆走と判明し、直ちにUターン。 しばらくし走って 左折したら後続車からけたたましいクラクション。 停車すると、後続車から表れたのは、さっきのオッチャン。 また間違えたようで、「しばらく先導するから付いて来て。」という親切な申し出。ややこしいコースを10分くらい先導 してくれて、別れ際に停車されたので、失礼ながら手持ちのお菓子(ポッキー)を一箱差し出したら、受け取ってくれました。

 以上は、サミット会場に到着するまでのちょっとしたハプニングで、これも記録しておきたい、地元の方のありがたい親切でした。  その辺りから、サミット会場の案内看板が要所に置いてあり、大いに助かり、スタッフの方々の苦労の一端を見た思いがしました。 会場に着くと午後4時を回っていて、鳥取を出てから7時間が経過していました。

  前置きが長くなってしまいましたが、これより、サミット(前半)の感想を簡単にまとめてみます。

 開会式では、服部さんと田中さんより、第10回の今回のサミットを最後として、望遠鏡サミットを中止されることを 聞きました。 会場の反応は(表面的には)至って冷静でしたが、多分、私も含めて、まずはスタッフの方々に『長い間ご苦労様。数々の感動を ありがとう。』といった当面の気持ちが、サミット中止の衝撃を打ち消すほどに強かったのだと思います。

 開会式を終えて外に出ると、すっかり曇天。 小雨の気配すらあって、食堂に戻り150LD-BINOのNさん(静岡県)と、15cmF5-BINO の納品待ちのMさん(兵庫県)と3人でアルコール燃料を注入しながら待機。1時間ほど歓談してから観測場に出ると、やがて雲が 薄くなった所から明るい星が一つ、また一つと透けて見えるようになり、ついには満点の星空に、それが就寝の午前4時まで続きました。 (朝まで快晴だったそうです。)

 今回のサミットでは、全く新規な仕様の巨大EMSやBINOの性能を実際の天体でチェックしたいという目的がありました。

 まずは、150LD-BINOの focus-compensator (ピント補償機構)が意図した通りに完璧に動作するのが検証でき、大変幸せでした。 ピント補償機構は、EMSユニット間に伸縮管を使用した眼幅調整機構のピント移動をキャンセルする機構で、製作現場では地上風景で ピント移動がないことはチェックしたものの、かけ離れた眼幅の複数の観察者が交代して視軸がずれないことを初めて検証できました。

 たとえば、私のIPD(瞳孔間隔;眼幅)は62ミリですが、N氏もM氏も60ミリ代後半でした。その3者が常に交代しながらの 150LD-BINOによる観望でしたが、その都度の眼幅調整は全くストレスを感じることなく、実にスムーズに行えました。
(因みに、ピント補償機構の写真のローレットネジは補償システムのスリーブを撤去するための物で、使用に際しては緩めてはいけません。 ステンレスシャフトは写真のように常に根元まで挿入して固定しているのが正常な状態です。17日の朝、出発前に地上風景で希望者の方に操作を実演していましたら、留守中にどなたかがそのネジを操作されて いたようで、スリーブが上がり切ったときにガイドから上に外れて慌てました。^^;もちろん簡単に復元できましたが。)

 また、素材鏡筒としてのNERIUS150-LDの性能も複数の参加者が高く評価していました。中低倍によるDEEP-SKYの抜けの 良さ、星像のシャープさはもとより、山の稜線から出て来たばかりの土星は、低空の良くないシーイングながら、130倍で観察した感触から シーイング次第では、架台を改善すれば300倍に耐えるポテンシャルを予感させました。

 もう一つ、前者以上にサミット直前まで、今までに培ったノウハウを結集して製作したのはBIG-BINO用の巨大EMS(EMS-Huge)で、当サイトの製作状況速報でご紹介して来たものです。 BINO本体が手元にない状態で仕上げましたので、実際の組み立て現場で予期しない障害が発生しないか不安でした。 サミット会場に着くなり、服部さんが 「問題なく取り付きました・・・。」と言ってくださり、一安心したものです。夜の観望では、口径25cmの優秀な対物と相俟って、衝撃的な deep-skyの見え味に、見る方を虜にし、ownerはもとより、眼の肥えた常連の参加者の方々も 「以前よりもコントラストがさらに向上した。」とEMSの進化を体感してくださったようでした。

 自作BINOもそれぞれに存在を主張していましたが、口径が小さい方から挙げますと、ユーザーリポートのtsujiさんのsky90-BINOが 予想通りの美しい仕上がりで、性能、外観ともに印象に残りました。
 Nさん(兄)のVIXEN-114ED-BINOは、評判通りの抜群の抜けの良さ、星像の シャープさて、恐らく、無理のない口径で、アポの性能とシーイングの影響を被りにくい利得を存分に発揮しているという印象を 受けました。一見中途半端な口径ですが、そこには owner の深い経験に裏付けられた潔い trade-off で獲得 された携行性(軽量、コンパクトさ)と、それと両立する最大限のパーフォーマンスがあるのでしょう。
 EMSの双眼セットと12㎝対物レンズのみを入手されてBINOを製作された方は、目幅をご自身用に固定されることで 見事に自前の工作手段で目的を達成しておられ、ここにも賢い trade-off を見ました。
 NOGIさんのブルー(13cmED-BINO)は夜覗かせていただくチャンスを逃しましたが、翌朝に自動導入式の経緯台 をじっくりと見せていただくことが出来ました。 改めて、見事に的を射た作りに感心しました。

 自作BINOの中で、毎度ながら、機能、美観ともに想定外、規格外の異彩を放っていたのは OKAMOTO さんの25cm-BINOでした。 対物レンズに 難があって代替の対物の硝材を物色中とのことでしたが、氏独自の内蔵式の focus-compensator や上下電動伸縮の巨大なポールは 見事な発想であり、以前にメールで 見せていただいていた機構ながら、実際に見せていただいたお陰で理解が深まりました。改めて氏の快挙を賞賛したいと思います。

 16~17日の夜は雲一つ無い快晴に恵まれ、しかも露も降りず、風もなく、おまけに大クラゲ;ホームズ彗星 までがサミットの farewell party を祝ってくれました。

 こうして、私にとって今回のサミットは、最後を記念するに相応しい、衝撃に満ちたものになりました。 私自身も大いに啓発を受け、帰りの列車内では、 新たなアイデアの候補が所狭しと私の脳内で暴れまくり、その検証でまたしばらく忙しくなりそうです。

(巡り合わせから、たまたま観察を逃したこの他の優秀なBINOの数々と、覗かせていただきながらコメントを 割愛してしまった一部のBINO、また、すれ違い等でご挨拶しそびれた方には、失礼の段お詫びしますと共に、 またの機会にじっくりと見せていただくのを楽しみにしております。)  





2007年11月14日


       新アイデア

 巨大EMS-BINOと来れば、やはり対極となる超コンパクトなBINOも気になる。 発表は時期尚早ながら、コンパクトで 取り扱いの簡単なBINOの要の部分が今日クリヤーできたので、備忘録的な意味で日記に書いておくことにする。

 光軸調整のためにEMSの第1ミラーをチルトさせる機構は、BINOを構成する鏡筒全体を振るX-Y微動装置( 概して大掛かりな装置となる)を省く優れた方法であるが、どちらかと言えば、第1反射点から焦点までの距離が長い、規模が大きいBINOに 適した方法。
 極端にコンパクトなBINOで光路長も短くなると、焦点面上で同じ量だけ像をシフトさせても、ミラーのチルト角 が大きくなるため、調整装置の(無理解による)悪用の弊害も大きくなる。 また、初心者が調整原点を見失う可能性も懸念される。

 今日実験に成功した方法は、ミラーは左右とも rigid に理想角度で完全固定したまま、片方のアイピーススリーブをX-Y方向に(独立ネジ2個で)シフトさせる機構 である。ただ、従来の常識的な構造だと、眼幅の制約を外れて装置が肥大化してしまう。 徹底したパーツのモデュール化と、(2インチアイピースの使用 を許しながら)徹底したコンパクト化に成功したということ。 この方法だと仮に初心者が誤使用したとしても、外見から原点が一目瞭然で復元が簡単であり、コストダウンにもなる。






2007年10月7日


       迷い猫


 今日は家族が一人増えた日なので、記録しておかないといけない。

 午後3時半頃、昨日からこちらに滞在していた姪とその叔母(私の義兄の妹)を鳥取駅に送る時、(両親の)自宅玄関を開けた 駐車場に、まだ子猫と言うべき若い(満1歳未満か?)猫が迷い込んでいて、妙に人懐っこく甘えて来た。 家内を残して駅で来客を見送って帰宅 したら、なんと家内が店の中でその猫に鰹節(削り節)をやっていた。首輪も付けておらず、痩せこけてはいないものの随分と 食べていないようで、なんとも凄い食欲。

 「駐車場から店まで付いて来たけど、店のシャッターを開ける音に驚いて逃げるだろうと思っていた。  ところが、シャッターが少し開くと、猫はスルっと店内に入ってしまった。」との家内の証言。  そうこうしている内に高3の娘も帰宅。 普段なら、心を鬼にして追い払うところながら、今回は不思議な縁で、家族全員満場一致でそ の子を受け入れることになった。 先月には両親を連れて因幡霊場で催された犬猫の合同慰霊祭(クーの一周忌)に参加して来たところでもあり、両親の心の 空洞を埋めるために機は熟したと言ったところのようだ。

 諸条件から、両親の家で飼い、私たちもアシストすることにした。慌てて家内と一緒にホームショップに行ってトイレを 含む猫グッズを購入。 トイレのしつけの心配をしていたら、トイレに紙製の猫砂を入れるやいなや、彼(オス猫)は 待っていたように率先してご使用になった。まさに完璧な『猫』。 いずれ画像でご紹介します。(10/12 画像追加)






2007年10月2日


       思わぬ香典

 最高の猛暑だったこの夏は、盆には母の急な入院(蜂窩織炎:ほうかしきえん;今は完治)あり、退院と同時に叔父(母の兄) の葬儀と、とてつもなくhecticで慌しいものだった。 また昨晩は父方の義理の叔母が亡くなり、今夜は母と叔母を連れて通夜を勤めて来た。

 突然の通夜のために今日は店を早く閉めるので、メガネを受け取りに見える可能性のあるお客さんに電話を入れたら留守番電話だった。 実は比較的最近(去年)知り合ったアメリカ人の青年(地元の大学の講師)だったので、たどたどしい英語で「叔母が死んで通夜に 行くためにこれから留守をすること、翌日は午前11時頃より葬儀で店を休むこと」等を録音しておいた。

 喪服に着替え、これから出発しようとしていたら彼より電話があり、店の前まで来ているというので開けてみたら、何と、アメリカ人の 彼が香典袋を持って立っていた。 香典封筒には、カタカナで名前が書いてある。いやー、まいった。感動した。

 重度の認知症をかかえて晩年の12年を養護施設で過ごした義理の叔母(父の兄の妻、享年94歳)であって、私との 生前の接点は希薄だったことなど、今更言えやしない。 この香典は、喪主には渡さず、私が預かって私が後で彼にお礼をすることにする。 なぜなら、彼は私に対するcondolence(お悔やみ)としてこの香典をくれたのだから。この香典封筒は大切に保管しよう。






2007年8月4日


       原爆投下は殺傷実験

 8月2日の日本海新聞のビル・トッテン氏の連載”温故知新”に、表題の衝撃的なタイトルの投稿があった。 いつもながら、真実を鋭くえぐる氏の勇気に敬意を表したい。米側の保守的な(主流な?)解釈である、「原爆か?本土決戦か?」 を判断した末の最善の選択肢だったという考えは、まさしく典型的なfalse dilemma であることは明白だ。

友達と戦争






2007年7月22日


       「このメガネ、皺(しわ)が見えます!」

 中年期を過ぎて、それまで潜伏していた遠視が顕在化し始めた方は本当に扱いにくい。もともと視力には人一倍自信を持って 来た方ばかりなので、こちらに来店されるまでに相当痩せ我慢を続けられ、耐え切れなくなって、大嫌いなメガネ屋に来られたは ずなのに、皆さん、極めて往生際が悪い^^;。

 正視の人が老眼になったのであれば、「近業時のみ、仕方なく嫌いなメガネを掛ける。」という選択も アリなのだが、遠視は残念ながら、そうは行かない。遠方視の際にも、近業用メガネ(老眼鏡)よりも少しプラス度数の弱いメガネ を装用しないといけない。 もちろん、それを装用しないと警察に捕まるわけでもなく、当人が納得しないなら放っておくしかない。
 ただ、はっきりと言えるのは、掛けないとたちまち世界がボケて見えてしまう近視は、メガネを掛けなくても眼の調節機能には 全く負担をかけないが、掛けなくても遠方は結構見えてしまう遠視は、放置しておくと、生理的な負担が大きく、眼や体を蝕むと いうことだ。このパラドックスがなかなか理解してもらえない。

 第一、主婦であれば、ある程度の遠視を放置したまま台所に立つことは、家族にとって不衛生極まりないということを自覚すべきなのだ。 また、いつまでも美しくありたいと思うのなら、まずは自らをはっきりと見つめないといけない。

 頑固な遠視の初老のご婦人をやっとの思いで説得して、メガネを仕上げても、まだ全てのハードルを越えたわけではない。
 仕上がった遠視のメガネを受け取りに見えた時がまた問題なのだ。メガネを掛けて店内の鏡を見たご婦人が悲鳴と共に、こう叫ばれる ことがあるからだ。

「キャーッ!! このメガネだめです。シワが見えます~!!!」

 私はそれに対していつも手厳しく答える。

 「気にしないでください。人には始めから見えています。ご自分が見えるだけです。」

  だから、当店の本業はいつまでも発展しないのか??
(でも後でフォローもしますよ。「お友達のシワも見えるから、自信を持てますよ。」)






2007年7月3日


       Innovative focus compensator (ピント補償機構)


Think of the model of two Crayford focusers connected with each other by a common drive shaft. You will easily imagine the image of the two draw-tubes moving together in the same directions by operating the drive knob. If you connect the two focusers reversely, you will find the draw tubes moving in the opposite directions. And soon, you will also find you are free to set the angle of the two focusers as you like.

 2つのクレイフォードフォーカサーのシャフトを同軸で繋いだモデルを想像してみてください。 一つのノブを操作すれば、両方のドローチューブが同時に伸縮することが容易に想像できると思います。

 さらに、フォーカサーをリバースで接続すれば、伸縮が逆に伝わります。つまり、片方が伸びれば、片方が縮む、またはその逆と。 さらに、2つのフォーカサーのアングルは、自由に選べることも分かるでしょう。

 EMS-BINOの目幅調整のピント補償機構にこの原理を応用するには、アイピーススリーブに外付けで連結する、 補償用のクレイフォードをいかにコンパクトに作るかが、美観と実用の両面でポイントに なるわけです。これ以上のご説明は不要でしょう。






2007年7月1日


       What is the light path? (光路長って何?)

  表題のご質問をメールで頂き、ご返信したのですが、なぜか届きません。お調べいただけましたら幸いです。

 もしかしたら、他にも理解しておられない方がおられるかも分かりませんので、EMSの光路長の定義につきまして、 ご説明します。

 光路長とは、バレルの根元からアイピーススリーブの先端までの主光線の道程の合計です。当サイト内の各所でご説明しておりますが、EMSのケース(画像で白っぽいダイカスト 部分)内の半光路長=18mmしかありません。従いまして、1つのケース内の光路 長=36mmで、2つの合計でも72mmしかありません。 後は、接続ロスやユニット 間のスペーサー、アイピーススリーブの長さです。

 EMSは元来、正立系としては異例に光路長が非常に短い光学系なのですが、 小型の天頂プリズム等と単純に比較される方が多いせいか、光路長が非常に長い パーツであるかのように誤解されて困っております。^^;






2007年6月16日


       Zhe shi shenme? (What is this?)

   

 BINO製作状況速報では、BINO製作の進捗状況を逐次UPさせて いただいているわけですが、細かい情報のご提供は、閲覧者の方に新たな疑問や空想や杞憂を 誘ってしまう”両刃の剣”めいた側面があって、掲載に慎重 になってしまっている昨今です。 ただ、更新のないまま日数が経過するのも、あたかもマツモトの 作業が停止しているかのような印象を与えてしまうようで、これまたまずいことです。^^; 迷った挙句、製作状況速報ではなく、 日記の方に掲載させていただくことにしました。

 タイトルの写真を見て、これが何のパーツであるか、即座に分かる方は、日頃から望遠鏡のメカに注意を向けて来た方だと 思います。これは、クレイフォードフォーカサーのエッセンスとも言える、ベアリングホルダーです。15cm-BINO用のクレイフォードは 軽量化と工作の合理化のために、別の形態のベアリングホルダーを設計しましたが、ここにご紹介するクレイフォードは、 フォーカサー目的ではなく、目幅調整用の伸縮管として使用するためのものです。市販のクレイフォードフォーカサーは、目的が 異なるため、重量、サイズ、形状が相応しい物が見付かりませんでした。この目的では、ストロークは十数ミリで十分であり、内筒内径を2インチ以上 確保しながら、外径を極限までコンパクトに仕上げることが求められます(美観、干渉防止、軽量化等々)。 また、通常のクレイフォードとは逆で、 内筒を固定して外筒の方を動かします。

 現在製作中の150LD-BIINOを含め、一定規模以上のBINOには、強度に不安があるヘリコイドではなく、このクレイフォード 方式を採用して行く予定です。

 





2007年5月28日


       蜂谷久子さんに合掌

 以前に何度かここでご紹介していた、蜂谷弥三郎さんの日本の奥さんが昨日、天国に召された。 帰国後十年、蜂谷さんは50年間の空白を埋め合わせるように、久子さんの晩年の十年を支えた。 それにしても、天は同じ人に何度でも過酷な試練を課すものだ。

 久子さんが亡くなられた今、どうしてもクラウディアさんのことが頭に浮かぶ。今これに触れるのは不謹慎だと 言われるかも知れないが、今度はクラウディアさんを支えてあげて欲しい。躊躇している時間はない。

日本海新聞

クラウディア奇跡の愛
遥かなる約束





2007年5月5日


       近視と遠視と老眼

  市井には表題の3語が氾濫し、誰もが当たり前のように使っていますが、実際には、どれも正確には理解されていない ようです。
 上記から“乱視”を除外したのは、乱視については、言葉が氾濫している割には、「乱視ってどういう状態なのかよく 分からない。」と、比較的謙虚にそれを認めている方が多いからです。  問題は、乱視が分からないのに、近視も遠視も老眼も理解できていると思い込んでいるところです。 それよりさらに 問題なのは、web等で、思い込みによるいい加減な情報が氾濫していることです。

   文明の世紀になってから久しく、人が月に行き、何度でも地球上の生命を終焉に導いてしまうような破壊手段ま で持ってしまった私たちですが、どういうわけか、自分たちの一番大切な臓器である“眼”について、それも光学的な 側面だけに限ってでさえ、正確に理解しようとしません。それは、眼が情報の入り口にあって、直接には絶対に自分で 見ることができない臓器であるためか、頑迷な誤解を修正することを頑なに拒むようです。これは、単に眼の話ではなく、 人間が陥りやすい思考パターンを強く示唆するものだと思います。

  さて、今回は表題の3つに絞ってお話しようと思います。
 上の3つは、本当は対等に並べてはいけないのですが、一般の認識に合わせて、敢えて並べたものです。結論から申しま すと、3番目の老眼(老視)だけは全く次元が異なるものです。 完璧な例えではありませんが、たとえば、175cm, 150cm, 65kgと、前の二つが身長の数値で、3番目に体重の数値が並んでいるようなものです。 ただ、このような例だと、間違う方はいないのですが、表題の3つの区別となると、混同されるようです。 眼の議論が、一般の方にとってややこしく感じられるのは、矯正のために使用するメガネの度数で装用者の眼の状態を分類 しようとされるからだと思います。

   たとえば、ここに3つメガネがあり、Aさんのメガネは(左右とも:以下省略)-4.0D(Dは度数単位で絶対値が大きい ほど強く、マイナスは凹レンズ、プラスは凸レンズを表す)、Bさんのメガネは-2.0D、Cさんのメガネは+2.0Dだったとし ます。 さて、みなさんは、これからAさん、Bさん、Cさんの眼の状態をどう判断されるのでしょう。

   Aさんは、まずは近視であることは間違いありません。これはみなさんも同じ判断をされたことと思います。次に、Aさん には(この度数で遠方にピントが合っているとします)このメガネを掛けたまま、読書距離を見ていただきましょう。もし、 このメガネを掛けたまま問題なく読書を続けられるようでしたら、Aさんは近視ですが、老視は発生していないと言えるのです。  もし、この時、メガネを外さないと書面がぼけるとか、-3.0くらいに度数を落とした方が楽だと言われたら、Aさんは、 近視かつ、立派な“老眼”です。

   また、逆にAさんが-4.0Dのメガネで近業が楽々出来ると自慢したら、今度はそのメガネで遠方がちゃんと見えているかを チェックする必要があります。 もし、遠方がぼけているようなら、これもAさんは立派な老眼だということです。つまり、Aさんは、たとえば本当は-6.0D等 の強い近視であって、+2.0の老眼(対応)成分を加算した-4.0Dのメガネを常用しているに過ぎません。これは、正視の方 が+2.0のメガネを常時装用しているのと全く同じ状態です。

   さて、Bさんはどうでしょう。Bさんの例も、Aさんと全く同様に説明できますが、上記例より、AさんとBさんの近視が どちらが強いかは、距離を特定して比べないと判断できないということです。また、Aさん、Bさんの二人ともが高齢になっ て、調節力(水晶体の凸レンズとしての度数を増す力)がほぼゼロになった時(皆が必ずこうなる)に、Aさんはほぼ一生を 通じて凸レンズを近業に使用することはないと考えられますが、Bさんの場合は、近業時のみに+1.0D程度の凸レンズを装用 するようになる可能性があります。このことから、場合によって凸レンズのメガネを使用していても、近視眼である可能性も あるわけです。

  さてCさんはどんな眼でしょうか。もしCさんが+2.0のメガネで、どの距離もちゃんと見えるようであれば、遠視であり、 老視は発生していないと言えます。また、そのメガネでは、近くがちゃんと見えるが遠方がぼけるのであれば、それは近く用 に作られた老眼鏡であり、Cさんは正視か軽い近視か、軽い遠視かのどれかは、それだけでは特定できません。

  また、ここまでのご説明で、老視が、近視や遠視とは全く次元が異なるものであることがご理解いただけたと思います。近 視も遠視も、眼の屈折状態が正視に対してどれだけ逸脱しているかということであるのに対し、老視は屈折状態自体とは直接 的には関係なく、眼の屈折状態の変化域(調節域)が不足して来た状態を言うのです。

 望遠鏡に例えると、近視も遠視も、鏡筒の長さについて議論するのですが、老視は繰り出し装置のストロークが元の状態 より短くなった状態を言うのです。
   望遠鏡と実際の眼とは使い方が異なりますので、敢えて“眼”的な望遠鏡のモデルを想定しますと、繰り出し装置を一番縮め た状態でちょうど無限遠にピントが合うのが正視の望遠鏡(眼)、それでも無限遠にピントが合わない、つまりバックフォー カスが足りない状態が近視の望遠鏡(眼)、そして、繰り出し装置を少し引き出して無限遠にピントが合うのが遠視の望遠鏡 (眼)のわけです。ここで、繰り出し装置を引き出す動作は眼では自律的に行われますので、当人は全く自覚がなく、弱度の 遠視では、ある程度老視の徴候が出るまでは自分を正視として確信している場合が通例です。しかし、繰り出し装置を一番引っ 込めて無限遠にピントを結ぶ正視と、繰り出し装置を少し引き出して無限遠ピントを結ぶ遠視とは全く異なるのです。

  さて、老眼(老視)とは、繰り出し装置の可動域が狭まる現象なので、鏡筒の長さの問題とは全く別の話であることがご 理解いただけたと思います。そして、万人がほぼ避けられないゴールとして、この繰り出し装置は一番引っ込んだ状態で、 全く動かなくなります。

   さて、繰り出し装置が一番引っ込んで全く動かなくなった望遠鏡は、近視(鏡筒が長すぎる)が便利か、遠視(鏡筒が 短過ぎる)が便利でしょうか。 実際の望遠鏡であれば、延長筒を準備したり、外付けのfocuserを準備できるので、遠視鏡 筒が一番便利なのは勿論ですが、ここでは、眼のモデルとしての望遠鏡なので、眼として考えてください。

  現実には、眼の場合には、近視の方が圧倒的に便利なのです。もちろん、数十センチから1m以内に合焦するのが便利な わけですから、近視としては弱度から中等度の近視です。逆に25cm以内の至近距離が完璧に見える状態だと、遠方のぼけが 著しくなってこれまた不便になるでしょう。

  しかし、現代の私たちの生活環境では野山で獲物を追っかけることはないわけで、自分が食卓で食べる物をはっきり見るこ とが出来たり、書物が読めたり、携帯電話が操作できたり、PCのモニターが見えたり、お化粧が出来たり(女性にとっては重 大事ですよね^^;)する方がよほど大切な事なのです。

   完璧な遠方視力が欲しいのであれば、軽度の近視であればわずかな絶対値の矯正度数で矯正できますし、遠近両用のレン ズも上部、下部とも凸、凸の遠視系の遠近両用よりも収差的に有利で慣れやすい物になります。

  以上の理解が曖昧なままで、レーシック手術や白内障治療のための眼内レンズの施術を受けられると、往々にして判断を誤 り、余生を通して苦しい視生活を強いられることになります。

  老視というのは、近視や遠視のように眼の屈折状態の本来的な個性ではなく、近視、遠視、乱視に全く無関係で生じる、 眼の調節力の低下現象ですから、その方がいかなる屈折状態であっても決して免れることのない現象だと言えます。

  老視の徴候が出始めるのは、平均で45歳、早い方は40歳前後ですから、昨今の長寿社会を考慮すると、成人になってから の人生の大半を老視と付き合うことになるのであって、むしろ“老視”という命名も再考の必要が出ていると思います。つまり 、大人の大半は老眼であって、私たちは人生の大半を老眼で過ごすということです。

  それと、調節力は言い換えると、調節域のことですが、“力”が付くからと言って、筋力のような概念とは全く異なる性質 のものだということが理解されていません。筋力のようなものであれば、訓練次第で人生の最後まで実用範囲内までキープで きる可能性も否定できません。
 しかし、残念ながら、水晶体は筋肉のような組織ではなく、チン氏帯を介して、弛緩した毛 様体の括約筋で常に引っ張られて無調節の薄い状態を保っていて、括約筋が縮むとチン氏帯の張力から解放された水晶体が自 らの弾力性で厚く膨らむ現象なのです。
 従いまして、いくら毛様筋を鍛えたとしましても、水晶体の組織が免れない加齢によ って硬化してしまえば、毛様筋の努力も徒労に終わるわけです。(ただ、調節努力は、同時に縮瞳と水晶体を前に少し動かす 、偽調節という生理的な作用も伴うので、その傾向が強くて多少救われる方は希にはあります。)

  さて、前置きが長くなりましたが、自発的な動機によるレーシック手術、もしくは白内障手術等で、術後の眼の屈折状態を選べる場合に、どんな 屈折状態を選ぶべきなのでしょう。
 答は、軽度の近視が正解です。具体的には-2.0D前後ということだと思います。 白内障の手術で眼内レンズを挿入する 際、一般的には弱度近視を目指すわけですが、術後の眼を多く見せていただく仕事をしていて、首をかしげるような術例も多 く見て来ました。ほぼ正視に矯正されている術後の方に、医者から事前に明視距離に関する説明があったかどうかを尋ねると、 「全く説明が無かった」と言われます。

  平均的には、術後に-1.50D程度の近視になっている例が多いようですが、私個人的には、むしろもう少し近視寄りの、 -2.0D付近を目指しても良いと思います。-1.0Dを目指して、誤差のためにゼロD(正視)になったら悲惨だからです。私 の義兄は某大学医学部眼科の教授で、-2.0D前後の近視ですが、私に自分のメガネを作らせる時には、口癖のように、 「-4.0Dくらいの眼になりたい。」と申します。

  蛇足ですが、レーシック手術等は眼の屈折状態に手を加える手術であって、このような手術では、決して調節力を補うこと は出来ない、ということを付け加えておきます。
  「老眼治療」などという宣伝文句は全くの素人騙しであって、それは片方の眼(利き眼でない方の眼)を近視にする手術 であり、両眼視を無視したとんでもないものです。片方の眼で遠方を見せ、もう片方の眼で近くを見せて患者を煙に巻くトリ ックですが、当人が納得すれば良いという考え方なのでしょう。

  老眼が鬱陶しいのであれば、両眼とも近視にすればよろしい。弱度の近視であれば、遠方も近くもほどほどに見えるし、 両方ちゃんと見たいのであれば、ほどほどの遠近両用メガネを掛ければ良い。 また、手術を受けるまでもなく、適度の遠近 両用メガネで対処できる眼が大多数であることも知っていただきたいものです。

眼の話(過去の日記から)

メガネの度数
メガネの度数(2)
斜位テスト
斜位矯正
近視眼と老眼
近視眼と老眼(その2)
マリオット氏盲点
Red- Green Test





2007年4月11日


新型12cmF5-BINO開発中

  全てはバックフォーカスの確保から。

  バックフォーカスの制約は、BINOの設計を制約します。かと言って、小規模ながらも量産となると、鏡筒ごとに大改造をするのは生産効率を 下げる要因になります。 この度、一石三鳥くらいのうまい解決法に至り、一挙に設計の自由度が広がり、12cmF5-BINOについても、 新型の15cmF-BINOと同様に、軽量な鏡筒固定のヘリコイド眼幅調整仕様が採用できる見込みとなりました。

  材料としては、ヘリコイドと、代替用としてのクレイフォードフォーカサーが必要になり、原価コストは増しますが、製作工程が格段に能率的(納期の大幅短縮) になり、周辺光量のアップと軽量化等のメリットは計り知れません。BINO本体の推定重量=約8kgの予定です。

  使用するクレイフォードは、F値の小さいニュートン反射用に特化された物で、台座が四角形であったり、屈折式に採用するには難点も ありましたが、それを克服するうまい方法も見つけました。これを採用することにより、 12cm鏡筒でもヘリコイド眼幅調整仕様が可能になりました。

  純正の繰り出し装置を使用したまま、単純に鏡筒をカットしますと、ご推察の通り、ドローチューブ内径によって、口径がケラれるか、 かろうじて免れたとしても、気付かない内に視野の周辺光量を損失しています。今回採用予定のクレイフォードは、ドローチューブ径は 純正の繰り出し装置と同じですが、全長がはるかに短いために、バックフォーカスの追加確保が出来、より大きな角度を見込むことが出来て、実質、内径が大きくなった 効果があるのです。(NG4-22mm等も余裕で合焦します。)それは、この比較写真を見ていただけば、一目瞭然です。 また、ヘリコイド式眼幅調整の採用によって、 ドローチューブの回転を促すモーメント荷重が増すので、従来のラックピニオンでは不安なのですが、ここでも、原理的に 回転ガタが皆無のクレイフォードの利点が発揮されます。






2007年4月4日


私が産まれ育った臭い町

 私は昭和27年に鳥取市元大工町で産まれ、1歳の頃には上魚町に移り、小学校6年の12月に、現在住んでいる片原1丁目に 移りました。ですから、私は元大工町で産まれて上魚町で育ったと思っています。
 また、上記3町は、地理的にはそれぞれ隣接しており、全て遷喬小学校区であり、鳥取市の中心市街地で育ったという意味では、 転居を続けて来たという意識はありません。また、タイトルの“臭い町”という意味は、以下の内容から明らかになると思いますが、 同地区の名誉のために念のために申しますと、この町だけが特に臭かったという意味ではなく、下水道が完備していなかった時代 への郷愁を込めて、また読者の注目を狙った、いたずらっぽい命名とご理解くだされば幸いです。

 私の両親は、昭和23年頃に元大工町にたまたまあった20坪ほどの空き地を借りて、小さな時計店の店舗併用の平屋を建てました。 長姉が1歳の頃で、5歳年下の私には、当然この頃の記憶は一切ありませんが、両親や姉より聞いてきたことを記録に留めておこう と思います。

 元大工町時代に私の家族が遭遇した、忘れられない事件として、「肥担桶(こえたご)事件」があります。当時はまだ下水道は完備 していないどころか、バキュームカーの糞尿回収システムも無かった頃で、農家の人が大八車に肥担桶を積んで各家庭の汲み取り式 便所の糞尿の回収に回っていました。「農家の方にいくら支払っていたか?」ですって? とんでもありません。 その逆なのです。 当時は人糞は農作物の貴重な肥料、栄養水でしたので、農家の方はご馳走をいっぱい食べた町屋の人の糞尿を汲み取らせてもらうお礼 として、年末に正月用の餅米を届けるのが習慣だったのだそうです。何と、その餅米のことを“しりまい(尻米)”と言っていたそ うです。

 元大工町の家と隣家(Tさん宅)との間には細い裏通路があって、Tさん宅の勝手口と当家の勝手口がほぼ対面していたそうで、 当家の台所は勝手口を取り込む形で土間になっており、勝手口の戸を開けるとほぼバリアフリーで通路面につながっていたそうです。 お隣の勝手口は結構な高さの敷居をまたぐ構造になっていたそうですが、ある日、糞尿の汲み取りを終えたお百姓が担っていた天秤 棒の片方の肥担桶が敷居に当たった弾みで、桶の底が外れ、中の黄金水がドオーっと当家の台所に流れ込んだのです。お百姓は大切 な黄金水を可能な限り必死にちり取りで肥担桶に回収されたようですが、後の惨状はご想像の通りです。この間、T家の住人は一切顔 を出されず、謝罪もなかったそうですが、逆に日頃の持ちつ持たれつの人間関係があってこそ、その後も互いにそれに一切触れること なく円満にお付き合いをしたというお話でございます。

 すでに他界した姉から、顔が赤くなる想い出として聞いていた、もう一つの臭い話があります。幼い姉(5歳頃か?)が当時の汲 み取り式の便所で用を足した後、紙がないことに慌てて、大声で「カミー、カミー!」と叫んでいたら、急に外の通路に面した便所 の掃き出し用の下窓が開いて、新聞紙を持った大きな手が入って来たそうです。T家の主人が聞きとがめてやった親切なのですが、 当時の、臭いまでに濃密な地域のスキンシップが偲ばれる話です。

 私が幼い頃の記憶が辿れる限界は上魚町時代です。私が1歳か2歳の頃に両親と二人の姉と共に上魚町33番地に引っ越して来たわ けですが、私自身の子供時代の想い出はこの時期に集約されています。ここでは、その想い出の一つ一つに思いを馳せるのはじっと 我慢して、その頃の、家族ぐるみ、いや町ぐるみの一大事をお伝えしたいと思います。

 それは、市役所庁舎及び駐車場の拡張に伴う用地買収にまつわるお話です。当時はまだ官尊民卑の風潮が残る時代であり、ほぼ無 資産から両親が創業した家業の時計店がやっと軌道に乗り、常連客もやっと付いた頃で、両親の「立ち退き」に伴う先行きの不安は 半端ではなかったようです。悪役俳優のような顔をした、市の用地買収の担当官が慇懃な笑みを浮かべながら、「土地収用法にかけ ますよ。」と言っていた言葉が忘れられないと、80歳を過ぎた母が当時の心境を述懐しています。

 その上魚町の家の代替地として、若桜街道を挟んだ向かいの17坪の現住所に移転して今日に至ります。 上魚町の家には、25坪ほどの 狭い敷地ながらも裏庭があり、そこにはイチジクの木があって、季節には実を結び、犬小屋もありましたが、この移転によって“土” との縁が切れ、コンクリートに囲まれた生活に変わりました。それは、ある意味では、我が家だけではなく、都市のインフラが整備 され、下水道も完備されて行った高度経済成長の流れの中で、知らない内に私たちの環境やライフスタイルが“土”から遠ざかって 行った傾向を象徴するものでもあったと思います。

 私の子供時代は、開発が善であり、都市のインフラの整備や衛生環境の改善によって、確かにその意味では、私たちの生活の質が向上 した時代でありました。しかし、この50年ほどを振り返る時、失ったものも少なくないと感じます。

 上魚町に住んでいた頃、真夏の夜になると、住居併用店舗のショーウィンドウを黒くするほどに、どこからともなくあらゆる羽虫が 明かりを求めて大量に集まっていましたが、もうそんな事はずっと昔に忘れてしまっています。農薬や化学肥料の大量使用と下水道の 完備で、私たちは大腸菌や寄生虫を排除しましたが、代わってアトピー、花粉症、O157大腸菌等が猛威を振るうようになりました。
 町並みからは、小さなお菓子屋さんや八百屋さんが姿を消して久しくなりました。数年前に駅南庁舎が出来て市民課が移転してから は、一段とこの近辺の活力の低下に拍車がかかったように感じます。両親が立ち退きの恐怖におののいた根拠がわずか40年ほどで無 意味になったような印象があります。私が住んでいた上魚町33番地は現在、市役所本庁舎駐車場の自転車置き場になっていますが、 平成17年には、同駐車場は、変電所建設用地の代替地として一度検討されました。

 さらにグローバルに目を向けて見ると、人間の無計画な活動がもたらした地球温暖化という深刻な問題があります。上魚町時代には、 冬には市役所前の広場に、積もった雪で滑り台や“かまくら”を作って遊ぶのが近所の子どもたちの楽しみでしたが、昨今は雪も 極端に降らなくなり、当時のことが遠い夢のような話になりました。そのことからも、開発、増産が善であった昔の価値基準を改 めて、持続可能な社会を目指すべき段階に来ていることを痛感させられます。

 現在までの歴史を全て否定するものではありませんが、50年を振り返り、失われた古き良き物を懐かしく思うこの頃です。

 以上の文章は、このたび上魚町の町内会長さんに依頼されて作成したものですが、鳥取の市街地を舞台にした面白い昔話としては ”Woo Pinn”、また両親が家業を創業した頃の話として”甥の結婚式”がありますので、合わせてご一読いただけ ましたら幸いです。






2007年3月20日


治具こそ命

  目下、過去最大の治具を製作中だ。(内容はまだ企業秘密。巨大な対物セルに見えるが、外れである。^^;) 世の中の大方の人は出来上がった製品だけに関心を持って賛否してくださる傾向があるけど、私が物作りをする上でも最も重視 しているのは治具作りだ。治具を作るための治具というのもあり、 そのまた上の階層の治具というのもあり得る。実は、効率的な治具が出来たら、もう製品は完成したようなものなのだ。

  治具をずっと遡って行くと、もはや手で触れる“物”ではなくなり、脳ミソの中の世界に入って行く。 自分が最も強く感じる物作りの醍醐味は、実は脳内の領域で繰り広げられる模索と発見、そして思考実験と検証の壮大なドラマ の中にこそあるのだ。

 23年前に3メートルドームを観測室も含めて30万円以下で製作した際にも、治具が功を奏している。 FRPのメス型からスリットのブリッジ、ベースリング等、全ての曲率半径を統一することで、全く図面を描くことな く3メートルドームが完成した。綿密に図面を描いたのは、FRPのメス型の設計時のみだった。

(FRPのメス型の方が大きいが、BINO用治具としては過去最大という意味。)

 





2007年3月16日


タイムラグ(Time Lag)を考える

 タイムラグという言葉は、もはや日本語になっているが、a time lag というのは和製英語でなく、 れっきとした英語だ。”lag”は、lag behind~として使われることが多く、Genius英和辞典の例文には、 ~behind the rest of the nation in economic reforms. とある。 意味は、文字通り、“時間の遅れ”のことであるが、やはり“タイムラグ”の方がよりピンと来る。

 タイムラグというのは、どんな場合でももどかしいものであるが、人間が絡むと特に歯痒く、深刻になる。悪意は瞬時で伝 わるのだろうが、善意はなかなか伝わらないか、逆に誤解さえされ得るし、一旦誤解されたら、その誤解を解くには時には何十年 もかかるか、一生解けない。

 科学的な成果にしても、その時代の水準を超えて画期的な物であればあるほど、認められるのは後世を待つことになり、 数百年後にやっと認められるようなケースが希でないことを科学史が証明している。

 タイムラグということを、今の自分にからめて言うと、たとえば、1.新製品の構想と、2.その実験、試作、検証と、 3.Webでの公開と、4.一般への認知、までにはそれぞれの段階でタイムラグがあり、そのもどかしさはいつまでも埋まることは ない。

  ただただ、新たな成長の節目の到来の予感に、一人武者震いするしかない今日この頃…。   自分が常に進化しているということを主張し続けて、じっと時が来るのを待つしかないようだ。






2007年3月13日


“きく”(聞く)と“きく”(聴く)とは大違い

  日頃から考えること;「“聞く”と“聴く”とは大違い。」
 私がここで意図する二つの「きく」を英語で表すと、聞く= ask で、聴く= listen to で、全く別の言葉なのだが、 どうして日本語では同じ 「きく」 なのだろうか。("訊く"と書けば良いのだろうが、発音は同じだ。)

 漢字で分けてみても、「聞く」自体にも「聴く」という意味と「尋ねる」という意味が共存していて、曖昧である。  自説に頑迷な人は「聞く」ばかりで、ほとんど人の言うことは「聴かない」。しかもその聞く行為は、自説を裏付けるための ものだから、自説に少しでも反する意見は素通りして、全く残らない。

 また、私たちは加齢と共に、「聴く」ことが減ることについては、以前にも「ラジオ」でコメントさせていただいた。  頑迷な(だった??^^;)一人として、自分でも思い当たることは、「聞く」時には人間、ほとんど頭が働いていないこと、また「聴く」時には、しっかり頭が 働いているということだ。

 幸い、Webを通して問い合わせをされる方は、よく聴いてくださる方が多くて助かっているが、直接電話で、 「御社の双眼望遠鏡はナンバイ(何倍)ですか???」などと聞いてくる方の、質問の連射には、思わず心の中でこう叫んでしまう。

"Ask less, and Listen to me more! " 

自分もラジオにならないように気を付けよう。^^;






2007年3月6日


   雪の結晶

 地区の問題に振り回されて過酷な?^^;毎日ながら、今日は高2の娘が英検準1級の二次に好成績で合格。 我が家にとって、久しぶりの明るいニュース。 目標に向けて精進するは楽しいばかりで はなく、むしろ苦しいこと多く、勝利の美酒を味わうも一瞬で、すぐに次のハードルが立ちはだかる。 しかし、そのかけがえのない美酒の味を早い段階で教えたことは、私の子育てへの加点かな?と思えども、 「今回はDadの世話にはなっていない。」と娘の正直な感想。

 娘が高校に入ってから家庭教師を首になったのは父の計算外。お父ちゃん自身の学習motivationを削いだ要因 としては、地区の問題を上回る。^^;

ゲレンデのリフトで隣の娘の手袋に、
             希有に大きな雪の結晶。

その美しさとはかなさに、避けられない別れの宿命に、
             おののきながらもまどろんで、

超速 preview (プレビュー)した自分自身の臨終の、
           走馬燈の一コマに、
               再び現る雪の結晶。

 あれから7年、意外に早かった、来るべき別れのリハーサル、先輩方はいずれ戻ってくれると慰めてくれるが・・・^^;。






2007年2月14日


英検結果

 今日、1月28日の英検(一次)の合否閲覧サービスが始まった。  私は落ちて、娘は合格した。 今回は、私はすでに受験日に結果が予測できるほど、奈落の底に突き落とされていたので、今さらショックはない。1級に4年間挑戦し続けて、自分の弱点 がよく見えて来た。その弱点が克服された実感が持てるまで、しばらく受験はしないことにする。 

 高2の娘は大学受験のための勉強をしながら準1級対策にかなりの犠牲を払って来たので、何としても合格 させてやりたかった。まずは一次通過に安堵した。英検を勧めた者としての責任があるからだ。^^; チョコレートはくれなかったが、私にとっても 何よりのバレンタインのプレゼントだった。^^






2007年2月6日


故足利先生に黙祷

 今日の地方紙で、恩師の足利先生が一昨日(2月4日)に亡くなっておられたことを知った。享年97歳だった。 ショックではあったが、実は 2005年の10月に先生と最後の握手を交わしていた時に、別れを覚悟していた。

 2005年の10月16日に、初老の紳士が来店された。「入院中の父親のメガネだが、レンズを読書用の度数に交換してもらいたい。」 と言われ、メガネを見るなり、足利先生のメガネだと直感し、お尋ねしたらやはりそうだった。足利先生は胃癌に罹患され、手術は 成功したものの、術後に脳梗塞が発症したとの息子さんの説明だった。

 私は万感の思いでメガネを仕上げると、病室の足利先生に届けた。先生は私を認識されたようで、堅い握手をして分かれた。 後で支払いに見えた息子さんに、今回は代金は頂かないことをお伝えすると、かなり遠慮されたが、今までの足利先生との 付き合いから、私の見舞いの気持ちであることを説明して理解していただいた。 足利先生は、メガネをお届けした日 に退院され、老人養護施設に入られた。 私は息子さんに名刺を渡したが、息子さんは自分の連絡先を語られることはなかった。

 その後、足利先生からの音信はなく、施設宛に出した年賀状も返信が来なかったので、こちらのことは、もう認識しておられなかったのかも知れない。  足利先生の最後のメガネを、私は写真に撮っていた。 大切な片身になった。






2007年2月2日


  60度を折る ”サバイバル数学”

 数学嫌いだった私が数学好きになって行ったのは、それが物を作ることや、物を理解する上で必要だったからです。  未だに、数学が得意だとは言える段階ではないのですが、自分に必要な数学は自然に身に付いて来たと思うし、 実用との接点を体感する醍醐味を知れたことを幸せに思っています。“survival mathematics”というのは私の造語か、 すでにどなたかが使っておられるのか知りませんが、私にとっての数学は、まさしくサバイバル数学なのです。

 ですから、数学を勉強することに苦痛を感じている中高生を見ると、大変歯痒く、ついおせっかいをしてしまいた くなるのです。

 古い話になりますが、20年以上前に自宅屋上にドームを製作した時には、幾何学的な基礎知識が大いに役立 ちました。正方形の観測室の土台の直角出しには(3:4:5)を利用しましたし、観測室の火打梁の設置には正方形から正八 角形を作図する方法が功を奏しました。

 今日は、極めてシンプルで役に立つ”技”をお伝えしたいと思います。この手の分野に詳しい方は、すでにご存知かも分か りませんが、唸ってくださる方もおられるかと思います。便利だと思われたら、覚えておいて活用してください。  ただ、いきなり答えを言ってしまってはつまらないので、一応、各自でトライしていただきたいと思います。
 分からなくても、24時間くらいは、我慢して解答をクリックしないでください。

問題: 長方形の紙を2回だけ折って60度を作ってください。

 ただし、布団たたみのような3つ折りは禁止です。(3つ折りでは正確に折れません。)  また、折ってから開いても結構です。折れ線が2本までOKということです。

解答

解答では証明を省いています。証明は簡単ですので、各自でやってみてください。

数学関連日記
EMSの種明かし
懸賞ゲット
懸賞ゲット2
1立方センチの立方体
人類の至宝1
人類の至宝2
人類の至宝3






2007年1月25日


センター試験を解いてみた

 決して暇を持て余しているわけではなく、遠来の来客の準備もあり、28日には英検も控えながら、やはり この時期になると血が騒いで来て、どうしてもセンター試験を解いてみたくなる。

 高2の娘が小3の時に、私は最後?のセンター試験を受け、目標点に達せずに肩を落として帰宅した。 その私に、娘は、「9年間メガネ屋の娘で私は幸せだったから、このままで良いよ。」と、慰めてくれた。 その後も、 密かに娘と一緒に難関大の門をくぐる夢を見ていたものの、娘が年頃になった頃には、「同じ大学に一緒に 入るなんて死んでもイヤ!」と言われてしまった。 まあ、当然だわな。^^;

 さて、成績は? 満点を取るべき英語では、たかがセンターと侮れず、80分の制限時間にしてはかなりの分量。 時間は余らず、結構駆け足で解いたところ、3か所のミスがあって194/200、数学は数ⅠA,ⅡBとも時間が足りず、 そのまま続けて解いて、一応全問正解は得た。 娘に言ったら、「時間オーバーなら意味がない!」と 手厳しい反応。^^;

 





2007年1月1日


ODE TO BEING FOUND

I would like to dedicate this poem to all the people who visited my website with favorable intent.

This is my first poem that I spontaneously wrote to my American friend at the time. Untill then, I had never written a poem, even in Japanese, unless it was requested by my school.

Today I dedicate this poem to the 470,000 visiters.


ODE TO BEING FOUND

People are like flowers,
Waiting for a picker;
Dressing with beautifully colored petals,
In their own way.

Those who cannot have beautiful petals,
Or those that cannot be found;
Will decay in their places,
Unless they are gathered.

And even if they are chosen,
By some wandering picker;
May be desposed into a fire,
Without appreciation.

There are also other pickers,
Who, like the blind, may never find a flower;
And if by chance a flower was plucked,
It may poison such a person.

So, I thank my God deeply,
For all the beautiful folowers;
And the appearance of a good picker,
From a far distant land.


Tatsuro Matsumoto
Tottori City, Japan
October 30, 1984





2002年8月23日~2003年12月15日

2004年1月3日~2005年1月2日

2005年3月23日~2005年12月30日

2006年2月14日~2006年12月9日


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