松本龍郎の日記(雑記帳)
Diary of Tatsuro Matsumoto (6)


2008年1月1日~

                       E-Mail: 松本龍郎


雪の正月 (080101)             クーちゃん、ごめんよ。(Forgive me, "Coo".)(080110)

イタリアからのメール(An E-Mail from Italy)(080113)          クーが家出(Coo ran away!)(080203)  

クー帰る(Coo came home!)(080204)         娘へのおめでとう (Congratulations to my daughter!)(080306)  

別れの決断 (Decisive Parting)(080404)      イタリア語との出会い (Amici wa tomodachi)(080509)

Agents of the EMS (EMSの代理店)(080717)      EMS-BINOの代理販売の全面停止(080719) 

ACCORDONE(アッコルドーネ)(080804)      顔と民族(faces and races)(080828) 

懲りずにまた顔の話(faces 2)(080830) 

Knowing nothing is better than knowing things by halves.(衒学者にご注意を!)(080925) 

EMSと特許(081007)       スウェーデンの夫妻がEMS-BINOを見た(081010) 

第一回双望会(そうぼうえ;2008)(081028)        クーの近況(081213)       EMS-BINOの調整(Adjustment of EMS-BINO)(081218) 




2008年12月18日


Adjustment of EMS-BINO
EMS-BINOの調整


Finished EMS-Binoscopes are free from the original adjustment, because they are carefully adjusted by Matsumoto before shipping. Especially those who had accepted the binoscope at my shop have proved that EMS-BINO will have no collimation problem by the vibration of the family car while carrying.

 EMS-BINOはこちらで十分に調整して供給していますので、本来はユーザーサイドの初期調整は不要です。(X-Yノブでの使用中の微調整は別) 特にこちらで受け取られ、マイカーで遠路をお帰りの方は、車の振動くらいでは光軸が狂わないことも証明してくださっています。

Still, however, some of them have shown collimation problem by shipping. And in such a case, users should recover the collimation by themselves if you cannot afford to bring your troubled binoscope to my place. So, I reccommend you to carefully study at my website to master how to adjust the disordered binoscopes.

  しかし、こちらで受け取られず、運送屋さん経由で納品させていただいた場合に、 たまに光軸の狂いや像の倒れを訴える方がおられます。こちらで説明を聞かれる方のBINOは狂わず、説明を 聞かれない方のBINOだけがどうして狂うのか、未だに謎ではありますが^^;、どちらにしましても、EMS-BINO の調整原理は極めて単純であり、復元も極めて簡単ですので、サイト内の説明をよくお読みになり、まさかの事態で 慌てないようにしていただければ幸いです。



Assume that the left 500yen coin is the image of the left telescope. In condition that the XY image adjuster has not lost the original position, I can judge the objective end of the right telescope is misalined in the left-down direction. In other wotds, you have only to pan the right scope in the same direction as the right 500yen coin.

 上の写真は、左の500円硬貨が左眼の像と仮定します。EMSのXY調整ノブが原点を見失っていないとしますと、 右の鏡筒先が左下に振っている状態で、言い換えれば、右の500円硬貨が逃げているのと同じ方向に鏡筒先を 振れば左右の像を合致させることが出来るわけです。
  さて、合致させたのが次の画像です。



This is the merged image by the above adjustment. You will still find something odd in the above image. Yes, the left 500yen coin leans to the left, and the rihgt one to the right. In other words, the left and right image of the vertical lines form the "V" shape. So, I call this tendency of the error "V error". And the counterpart error I call is "/I"(lambda) error. Now, you know that collimation is one thing, and image inclination is quite another.

  何だか変ですね。双眼視のコンポジット効果どころか、だぶったような像ですね。 最初の画像に返って見てください。左の500円硬貨は天方向が左に倒れ、右の硬貨は右に倒れていますね。 これを私は『V字傾向の像の倒れ』と言います。
 像の倒れの調整は、光軸の平行調整とは別個に必要なのです。



Above image shows the inclination-adjusted and collimation wanted condition.

 上の画像では、像の倒れが綺麗に修正されています。(修正方法はサイト内で反復説明しています。) (像の回転調整が光軸の平行調整とは全く独立的に行えることが、EMSの特筆すべき特長なのです。)

The image below shows the condition both collimation and inclinations are rightly corrected.

 倒れが修正された状態で鏡筒を正しく振ると、下の画像のようになります。



 この画像は、実際に半透明の2枚の画像を処理ソフトで重ねた物です。

  像の回転は、EMSを構成する2つのユニット(望遠鏡側と眼側)の接続アングルの調整で自由自在 になります。
 この事を先日ご説明した方が、「そんな事をしたら、EMSが曲がってしまうのでは??」と 心配なさっていました。^^; 左右のEMSについて、対称的に修正しますし、調整量は眼に見えないほどの微量なので、 心配無用なのです。
 それから、最初にトライされる時は、常に極端に回して見て、回転方向を見極めることが 大切です。 像が回転する原理さえ分かれば、しめたものです。^^
(見ながら追い込むのは一人では 難しいので、目分量で動かしては仮固定してチェックし、追い込んでください。調整作業の結果、生じるEMS全体の倒れは後で 望遠鏡接続部を修正すれば良いのは言うまでもありません。)

  要するに、EMS-BINOは復元調整自在なシステムであるということです。説明文を読むのがどうしても 面倒臭い方は、やはりこちらまでご足労いただく必要がありますね。^^;

 (たまに遭遇する、説明が理解できない方のために、どうすれば理解していただけるのか、試行錯誤しています。 最終的な物とは言い難いので、この原案を取り敢えず日記に残しておくことにします。)

Here is the study-tool of the image-inclination adjustment.

同日追記: 重複になりますが、サイト内の該当説明を参照しない方が多いのでは?との危惧から、特別サービス^^; で、像の倒れの修正方法の新たな教材を用意しました。 下の画像をご覧ください。



1.Unscrew the three yellow arrowed set-screw, and the connection of the two units of the EMS is released, and you can rotate the units with each other. Take the most care when you unscrew the last screw so that the eye side units that is slightly blued will not rapidly drop down.

2.Rotate the whole blued part quite a bit in the same direction of that you want to rotate the image. Red arrow shows the rotating direction to correct the inclined image shown at this sample.

3.Of course, you should reversely do the same adjstment on the opposite scope. Don't forget to screw the set-screws after finishing the adjustment, too.

 機種により異なりますが、15cm-BINOの場合は、EMSの眼側ユニットは、目幅クレイフォードにジョイント用の オスのテーパー部を挿入し、黄色い矢印の先端辺りの3箇所のM3のセットビス(芋ネジ)で固定しています。 従って、そのネジを緩めれば、接続が解除されるわけです。もちろん、いきなり3つ共緩めて、脱落事故に 至らないように細心の注意が必要です。

 さて、最後の3つ目のセットビスを慎重に緩めると、水色の紗をかけた部分全体が双方向に回転できる状態になります。 上のV字傾向の倒れを修正する場合は、赤い矢印の方向に回転させます。
 つまり、像を回したい方向と、眼側ユニットを 回転させる方向が同じなのです。当然、鏡対称で、右のEMSの眼側ユニットも同じ調整をします。
 微量とは言え、この調整の結果、アイピーススリーブは上が寄り添う形で相対的に傾斜することになります。 今度は、EMS全体を少し回して元の位置に戻せば良いのです。
 左右共にこの修正を施し、像をチェックし、まだ不完全 であれば、また元の調整に戻り、追い込んで行きます。

 文章にすれば面倒に聞こえますが、慣れれば、 回転量と像の回転角の関係も感覚的に理解できるようになり、長くても数分以内で完了する作業です。

双眼クイズも合わせてご覧ください。

 





2008年12月13日


 クーの近況



 こんにちは。 クーです。松本家に飛び込んで早、一年と2か月、大方は満足で、まあ狙いは ほぼ当たりだったかな。 でも外に出られないのはちょっと息が詰まる。

  一度、一週間ほど朝だけ外出させてもらっておったら、前のお宅の爺さんから文句(前庭に糞をするとか、オレは 身に覚えがないが)が出てまた元通りの監禁生活になっちまった。 朝、店の主人が屋上で30分ほど遊ばせてくれるのと、 夜中に婆ちゃんちでドタバタ暴れて何とか鬱憤晴らしをしとる。

  それはそうと、何とも寛容性の低い地域社会になったもんだ。 この間の新聞に写真家の岩合光昭さんが、「猫が幸せで ない町は人間も幸せではない・・・」ちゅうような良いこと書いとったが、あのジジイに読ませてやりてえ。(=゚з゚=)ムー

  ・・・とクーは申しております。もっとも、野良猫に餌を無制限に与えて、地区で異常繁殖→糞害憤慨という のは論外ですが、去勢したオス猫が朝の1時間ほどだけ家の近所を自由に散歩することすら許されないというのも、心外ですな。






2008年10月28日


 第一回双望会(そうぼうえ;2008)

 10月24~26日まで、愛知県の東栄町で開催された、第一回双望会に参加して来ました。 去年の望遠鏡サミット最終回(第10回)同様、スーパーはくと→新幹線と乗り継ぎ、浜松駅で14時過ぎにToshiさんの 車に拾っていただき、会場を目指しました。今年はほぼ順調に迷わずに行けました^^;。携帯ライトと赤セロファン を求めて、Toshiさんと道中に数箇所のホームショップ等に立ち寄ったのも良い思い出になりそうです。

 15時頃?には猛烈などしゃ降りになりましたが、天気予報は楽観的でしたので、むしろ、今の間にしっかり降って くれ、と言った感じで車窓の雨すら楽しみながら進みました。現地に着くと16時過ぎ、鳥取駅を9時前に発ったので 、やはり今年も往路に7時間を要しました。

 Toshiさんは今年も150LD-BINO(初代focus compensator仕様)での参加でしたが、当日に私がお持ちした真鍮耳軸を 現場駐車場で付け替えての出動でした。真鍮耳軸がバランスに敏感になるのでは?と思ったのは杞憂で、振動の軽減とバッ クラッシュの軽減の効果は絶大でした。 久しぶりに使用した初代focus compensatorの作動は確実で安定しており、むしろその後に開発したワイヤー式より も良い気がして来て、この機構の復活を再検討するに至りました。^^;

 皆さん、大きく重い機材を頑張って持ち込んでくださっているのに、私の機材はいつも重さ1グラムのM3ホローセッ トビス用の六角レンチ1本で、申し訳なく思いました。この六角レンチは、EMS-BINOの像の倒れの調整に必要な工具 ?で、私なら大体1分以内で倒れ調整が完了するので、手ぐすねを引いて皆さんのBINOをチェックしたのですが、見せ ていただいたBINOの中には修正が必要な物は皆無で、嬉しく期待を裏切られました。

 事前のメールリンクに気になる書き込みをいただきましたので、シビアにチェックしましたが、皆さん、上手に調整 しておられました。強いて指摘するとすれば、むしろ上級者の方のBINOの中に、やや調整不備なものがありましたが、 いずれ気付かれると思い、指摘しませんでした。(操作バーを操作する時に本体の捻れに起因する光軸ずれを起こす 物があった。)もしかしたら、意外にそういう状態をネガティブな先入観を持って覗かれた方が、ネガティブな印象 を固定的に持ってしまうのかもしれないと思いました。

 それと、無限遠に調整したBINOを昼間の至近距離に用いれば、視野がだるま状にダブるのは当然で、これは気にする 必要はありません。 ただ、あまりに至近の対象ですと、(無限遠調整のままでは)合像しませんので、EMSの調整ノブで調整する必要(調整、復元とも一瞬の操作)がありま す。この辺は、BINOの規模が大きくなるほど顕著なので、この辺も誤解される要素なのかな?と思いました。

 今まで、ほとんど最初の1泊のみの参加で、翌朝早々に失礼していたのですが、今回はフル日程で参加させてい ただき、2日目の悪天候にも助けられ^^;、多くの方とお話がじっくり出来たのが幸せでした。 多数の方々のお顔と名前が一致するようになったのは大きな収穫でした。それぞれに魅力溢れた方々ばかりであり、 メールリンクでややネガティブな印象を持った方も、実際にお会いしてみたら、悪意の無い方でした。^^; 珍しい望遠鏡との出会いも楽しみですが、本当の醍醐味はやはり“人”との出会いだな、と再認識した双望会であり ました。

 仕事の関係でToshiさんが2日目の朝に帰ることになり、帰路の手段に困っていたのですが、親切にもK.Nebular さんがレンタカーに便乗させてくださり、豊橋駅の新幹線乗り場まで付き合ってくださいました。プライベートにかか わるので、今回は詳しくは触れませんが、車内でのお話に大いに感銘を受け、この会での収穫がさらに満たされたの でした。

 そうそう、往復の列車内は、旅なれていない(方向音痴)ことや、やや乗り物酔いしやすいことから、暗鬱な時間 (揺れる車内で読書すると酔う^^;、従って車内では全く何もせず、ひたすら考えるのみ^^;)ではありますが、 課題が与えられない、空白なまとまった時間は貴重で、深い思索にふける時間でもあります。去年の往復の列車内で は、新型のスライドユニットのアイデアが閃きましたし、今回はクレイフォード式の薄型回転機構のアイデアが閃き ました。これもまた今回の大きな収穫の一つでした。

 





2008年10月10日


 スウェーデンの夫妻がEMS-BINOを見た

 店でPCに向かっていたら、アプローチに看板代わりに置いている古い15cmニュートン赤道儀を長身 の中年夫妻が見ながら話している姿が、半開きしたシェルター越しに見えた。自動ドアを開放しているので、 話し声も少し聞こえる。どうやら外国人らしい。

 ドイツ語に似たトーンを感じたので、店の入り口まで出て、
"Kommen Sie aus Deutshland?"(ドイツからお越しですか?)と夫妻にドイツ語で声をかけたら、ご主人はそれには答えないで、 Do you speak English? と応えられたので、もっぱら英語での会話となった。

 まずは、中に入ってお話しましょう、ということで、夫妻を店内に引き入れ、EMSの概要を説明した後、完成したばかりの 12cmF5-BINOで、定番ターゲット^^;の市役所前の水銀灯のバルブを見ていただき、夫妻の驚嘆の声を引き出した。

  お国を尋ねたら、スウェーデンだった。 なぜ鳥取のような小都市に?と尋ねたら、「私たちも小さな都市に住んでいます・・・」 ということで、地方を訪ねる意義を知る方たちだった。ともかく、北欧の果てから鳥取市にまで来てくれて、ありがたく思った。  それからわずか15分ほど歓談した後、ご夫妻はまた旅路に付かれた。






2008年10月7日


   EMSと特許

 EMSと特許との関係について、一部に誤解があるようなのでご説明しておきます。

 私が平成元年に出願し、平成6年に許可された特許の「発明の名称」は、“正立ミラー”でも“EMS”でもありません。  その名称は『正立プリズム』であり、正立ミラーは、その反射面をミラーで代用した応用例に過ぎません。

 識者?の一部の方がEMSの特許に否定的な理由は、「アミチプリズムという既存のプリズムがまず存在し、 単にその反射面をミラーで代用したのがEMSである」、という認識からだと思います。その理解の出発点で誤解がある わけです。

 「アミチプリズムの光路を解析すれば、必然的にたどり付く方法」という意見は、まさに「後出しジャンケン」 の卑怯な論法であります。その時点で“公知”だったかどうか、ということは、常に特許関係の論争で問題になる点 ですが、その時点でEMSのような製品が公知と言えるほど普及していなかったことは元より、その原理を具体的に広く 公開していた実例はありませんでした。

 少なくとも、特許庁は、公知でなかったと判断し、さらに一定の公開期間に、根拠ある異議申し立てもなかった ために、実際に特許として認定されたわけです。

 私の『正立プリズム』は、唯一の反射面を持つ2つの光学素子で構成された90度対空用の正立系であり、入射角 を規定することで、既存のポロプリズム等との違いも明瞭にしています。まして、一つだけの光学素子で構成される アミチプリズムについては、特許庁の審査での比較対象(拒絶理由)にすら上りませんでした。

 つまり、私は全く新規な「正立プリズム」を発明したのであって、そのプリズムのミラー代用系がEMSであると いうことです。

 「特許請求の範囲」では、構成ミラーをまとめて一つのケースに収納したものと、独立したケースに収納して連 結した物を区別しておらず、つまり、初期のワンボックスタイプのEMSも包含された形で特許となったわけです。

 特許庁の電子図書館の検索メニューで、→「特許・実用新案検索」→「公報テキスト検索」を開き、上の公報種 別の「特許公報」にチェックし、出願人の名前に「松本龍郎」を入れて検索されれば、私の特許「正立プリズム」の詳細が 参照できます。(「初心者向け検索」では、平成5年出願以降しか出て来ないようです。)






2008年9月25日


Knowing nothing is better than knowing things by halves.(衒学者にご注意を!)

Knowing nothing is better than knowing things by halves.
Never trust any second hand information about EMS in the web.

There are too many pedants in the web who believe themselves to be the perfect masters of the principle of the EMS. But, in most cases, they only regard my EMS just as an analogue of the Amici’s Prism and never understand the real meaning of it.

It is a shameful dilemma for them to deny the originality of the EMS, while appealing themselves to be pioneers or something by attributing the principle of the EMS to the traditional optical theory, as if it is a “scoop” or something.


 人はどうやら二次情報や三次情報の方に、より耳を傾ける傾向があるのかも知れない。 しかし、あらゆる分野の情報をwebに求めてみると、その大半は全くの出鱈目か、信憑性を装った不完全なものである。 前者のように、誰が見ても出鱈目がバレているのは、不快ながらもむしろ罪は軽いのだが、問題はむしろ大半を占め る後者の情報だ。後者の情報は、社会への害毒だ。

 しかし、なぜストレートに一次情報を取りに来ない方が多いのだろう。手を受けて待っているのに。 医者がいても、 側にいる看護士の方が話しやすいということだろうか。

 “Knowing nothing is better than knowing things by halves.” という英語圏の諺があるが、EMSのオリジナリティ を否定する衒学者の方々には肝に銘じて欲しい言葉だ。

 15年以上前に某国立大学の名誉教授の先生(光学)とFAXで長い文書を一定期間に渡って応酬したことがあった。この 先生も御多分に漏れず、EMSは単なるアミチアナログという短絡的なご理解であって、ミラーの間隔を調整して目幅調 整が出来ること等を理解していただくのに随分と骨を折った。 しかし、最後には兜を脱がれ、鳥取の当方まで見学に 見え、自分用のEMS-BINOも注文された。 最後には理解して認められるところが本物の学者先生の偉いところ、ただの衒学 者とは大きな違いだ。

 EMSを既存の原理に帰着させ、そのオリジナリティを否定するのは衒学者の一般的な傾向であり、その意見を発表され るのも自由ではあるが、実は、EMSの新規性を公然と否定してみせることで、自らの知識?をひけらかし、つまりは 自らの新規性をアピールしている姿は大きな“矛盾”であり、私の目には実に滑稽に映るのである。






2008年8月30日


懲りずにまた顔の話(faces 2)

 反響がないので、やはり一般には関心がない事柄らしいけど、80年ぶりに五輪のトラック競技でメダルを 取った男子400mリレーのチームの快挙に触れないわけには行かない。

 第1走者の塚原選手は、縄文と弥生が半々に溶け込んでいるように見えた。第2走者の末続選手は、縄文系の血が濃く見え、 第3走者の高平選手は非常に彫が深い顔だが、眉や鬢毛が薄く、全体の印象は北方系が濃いと見た。 最終走者の朝原選手は、4選手中最も彫が深い(コーカソイドに匹敵する彫の深さ)が、縄文の骨格が弥生の表皮で覆われた感じ、具体的には、内眼角の 形状と眼瞼は典型的な弥生の特徴を持つ、折衷顔だ。しかし、チーム全体で見ると、やはり日の丸がよく似合う顔ぶれだった。

 家庭でも、この手の話は誰も聞いてくれないので、ここに書いている。^^; 聞いてくれないどころか、弥生人の妻は 縄文人の夫が話す、この話題の前置きの段階で怒り出す。多分、私たちには、互いの遠い先祖から引きずる数千年(万年?)の確執が互いの遺伝子に組み込まれているらしい。^^;






2008年8月28日


顔と民族(faces and races)

 北京オリンピックのテレビでの観戦に、毎日手に汗を握っている。 勝負の勝敗だけでなく、実は、私には他に自分独自(多分少数派の趣味だと思う^^;)の大きな関心と楽しみがあって見ている。

 それは、自国を含めた各国の選手の顔を見ること。 最近は外国からの帰化選手もいるので注意が必要だが、大方はそれぞれの国風の顔や体型が見られて非常に興味深い。

 同じコーカソイドでも、北欧とラテン系、また広義のコーカソイドであるアラブ系まで含めると、外見は著しく異なっている。 同じヨーロッパ人でもイタリア人にはどこか私たち日本人寄りの要素が感じられて親近感を覚える。

 東アジアを代表する日、中、韓の顔の違いは、一般の欧米人には区別が付かないらしい。欧米のコーカソイド系の人 と話す機会があるごとに、その差が分かるかどうか聞くが、「分かる。」と答えた者は皆無だった。ただ、30年ほど日本人の夫と日本 で暮らしているアメリカ人の女性(未帰化)は、「日本人と中国人の外見の違いが分かる。」と断言する。

 5月にじっくりと話をしたイタリア人の友人も、その差が分からないと言ったので、日本列島土着の縄文人や アイヌ人のこと、最近まで信じられて来た「アイヌ白人説」のこと等を話した。

 東アジア人の各民族の顔の違いに言及するのは、極めてデリケートな問題を含み、誤解されないように慎重にしないと いけない。民族主義、国粋主義的なイデオロギーと結び付いた解釈や研究?は、「信じたいものだけを信じる」 という、科学とは対極で醜いものだと私はいつも思っていることを最初にお断りしておく。

 その上で、東アジアの民族の中で、日本人だけが異なる特徴を持つということを、今回の北京五輪の観戦を通じて再確認させていただいた。  3万年以上前から日本列島に住み着いていた縄文人は、2千年ほど前から大量に列島に押し寄せて来た大陸や半島の渡来人よりも、コーカソイド寄りの彫り の深い風貌をしていたことが、化石により確認されている。もちろん、現代の日本人は数千年に渡って土着系と 渡来系が混血した結果なので、今では北方渡来系の新モンゴロイドののっぺりした風貌が多いのであるが、 例え一部であっても、大陸や半島よりも、いわゆる「濃い顔」が現代でも他の東アジア諸国よりも目立つので あって、東アジア人の中での日本人の外見的アイデンティティは、この「濃い顔」にあると私は考える。

  …と、ここまではオリンピック開催中に書いていたものの、もたもたしている内に閉会になってしまい、この文章 も没かな、と思ったのだが、やはりせっかくここまで書いたので、やや見切り発車になるけれど、何とか締めくくっ て、備忘録的に日記に加えておくことにしよう。

 書きたいことは山ほどあるけど、まずは日本選手団の顔に絞ってコメントしてみる。差し障りもあるけど、 書かれた方は、「有名人の宿命」ということで、寛大にお許しいただきたい。

 今回の北京五輪では、特に女性の活躍が目立ったと思う。それは単にメダルの獲得ではなく、メダルに届か なかった場合も含めて、性差を超えた集中力というか、執念というものに感銘を受けた。

 女子ソフトボールの金メダルの快挙には国内はもとより、世界中の視聴者が喝采を送ったに違いない。その賞賛はす でに多方面で出尽くしているので、今は顔の話をする。実は、このチームを最初に見た私は少なからず驚いた。メン バーのほぼ全員が典型的な北方新モンゴロイド系(弥生系)の顔をしていたからだ。これは、現代日本人の7割くらい がそうなのだから、全員がそうでも確率的にさほど驚くべきことではないかも知れないのだが、それでも、ほとんど の種目のチームでは、縄文系と弥生系、折衷系が適度に混ざっているものだから、ちょっと不思議な気がしたのだ。

 惜しくも準々決勝で破れたバドミントンのオグシオ・ペアは、どちらも劣らぬ美人だと思うが、「オグ」さんはどちらかと言うと弥生系、「シオ」さんは縄文系だと思う。目の一重、二重や顔の彫りの深さよりも決定的なものとして、縄文系は頭長が長い。頭長というのは顔の長さではなく、頭部の奥行きのこと。 簡単な見分けは耳と眉間の距離、つまり眼鏡をかけていれば、眼鏡のテンプル(つる)が耳で折れ曲がるまでの長さが長いのが縄文系だ。 弥生系が鼻が低いかと言えば、必ずしも低いとは限らず、鼻筋が通った方も多いが、笑うと長い前歯や歯茎がむきっと出るタイプの顔は大抵が弥生系だ。 惜しくもメダルを逃したスエマエ・ペアは、「スエ」さんが典型的な弥生系で、「マエ」さんはどちらかというと、 縄文系だ。

 女子卓球もメダルは逃したが、各選手の粘りと集中力には脱帽した。 「愛」ちゃんは、縄文系主体で弥生も混ざった、文字通り、本当に愛らしい顔をしている。多分、どの国の人間が見 ても「愛くるしい顔」と思うに違いない。

 今回の女子卓球のチームの中で私が一番注目したのは、平野選手だ。 彼女は典型的なスンダランド系の顔だと思った。私は専門家ではないが、広義ではスンダランド系も濃い顔として 縄文系に含めて良いのだろうか。際どい勝負所で、まるでムエタイの選手のような精悍な睨みを対戦相手に向けると ころが、実に新鮮で驚き、楽しませてもらった。こういう顔は、半島にはまずいない。中国には、南部には稀にいる かも知れないが、日本ほどはいないだろう。

 余談になるが、1983年にインドネシア日食に行った時に、現地の空港で 姉にそっくりな現地の女性(かなり美人^^;)を見付け、事情を話して一緒に写真を撮らせてもらったことがある。 叔父は旧満州の小学校に行っていた。その学校は日本人の他に白系ロシア、満州族を始め、多数の民族の子供がいた そうだが、現地の級友は、日本人はインドシナ顔(級友は「ベトナム顔」と言った)に見える、と言っていたそうだ。

 当然ながら、私が一番血が騒ぐのは器械体操だ。あのハイレベルな闘いの中で、団体「銀」と、個人「銀」は快挙と 言える。冨田選手はほぼ典型的な縄文系だ。筋肉が付きやすい体型もその典型だ。 若手ホープの内村選手は縄文、弥生が半々に混ざっている。

 …とここまで書いて来たが、最近は、前言を覆すような印象も同時に持つようになった。 それは、国境線というのは、数十万年の新人の歴史から見れば、ほんの数百年か数千年前に政治的に線引きされたもの であって、私たちのアイデンティティと思っている縄文系の顔が他のアジア諸国にも散見されるということだ。 五輪とは違うが、2000年のショパンコンクールで優勝した中国の若手ピアニストのユンディのドキュメント番組を見 たが、ユンディが縄文系の顔をしていたことと、さらに彼の父母も祖父も典型的な縄文系の濃い顔だったことに驚い たのだ。

 最近、ハンガリーの方からEMSの注文をいただいたが、ハンガリー語が日本語と同じ膠着語で、名前の表し方 も名字が先で名前が後であること等を互いに話し合い、意気投合した。 その方は、ハンガリー人と日本人のルーツ がだぶることを信じていた。

 





2008年8月4日


ACCORDONE(アッコルドーネ)

 イタリアの古楽アンサンブル、 『アッコルドーネ』の今年5月19日の津田ホール(東京)でのコンサートの収録 が今日、NHKのBShiで放映された。いきなりだったので、気付いた時には前半の放送が終わっていて、悔しい思いをした。

 実は、その前日、5月18日には、私は家内と共に兵庫芸術文化センターの小ホールで同アンサンブルを観聴していた。 リーダー兼チェンバロ奏者のグイードが、西宮市でのコンサートに招待してくれたのだ。心の琴線に響く古楽の 演奏と歌手のビーズリーの美声に、それまで音楽とは無縁だった自分に新たなスイッチが入ってしまい、以来、ピアノの前に 座ることが多くなった。お陰で、今では"Si Dolce e’l tormento"が楽譜なしで弾ける。

 18日のコンサートが終わり、一足先にホテルの部屋に入っていたら、30分もしない内に部屋にグイードから電話があり、 「サイン会で遅くなって申し訳ない・・・」と、息せき切って話す彼の誠実さが伝わる。

 ひとまず下のロビーで会うことにして 14階からエレベーターで降りていたら、何と、歌手のマルコ・ビーズリーが中途階で入って来た。すかさずイタリア語と 英語のチャンポンでコンサートに感動した旨を伝えたら、しっかりとハグしてくれた。気さくなスキンヘッドのビーズリーの胸板の 厚かったこと。ロビーで迎えてくれたグイードとも長年の親友のように熱い抱擁。ACCORDONEのメンバーもそこにいて、誰かが写真を 撮ってくれた。

 「メンバー会議があるのでは?」との私の心配をよそに、結局その夜は夕食を含めて、私はグイードを深夜まで独占 してしまうこととなった。(EMSのperfect set をその日に手渡したのです。)

 





2008年7月19日


EMS-BINOの代理販売の全面停止

 EMS-BINO(及び双眼用に特化したEMSセット)の、望遠鏡販売店への販売委託を全面的に停止いたしました。該当販売店は、サイト上の広告等を速やかに削除 されますよう、お願いいたします。また、当方は、販売店等の出張有料調整サービス等には一切関与 しておりませんし、調整技量を承認した担当技術者も現状では皆無ですので、BINOユーザーの方々に おかせられましては、ご認識のほど、よろしくお願いいたします。






2008年7月17日


Agents of the EMS (EMSの代理店)

The only long-term agency, in the world for now, who builds EMS-BINO using my EMS is Mr. Castoro in the U.S. He is one of those whom I can trust both in the crafting and adjusting skill of the EMS-BINO.
Honestly speaking, you must know that I do not value any other person who advertize himself being an excellent agent of the EMS-BINO. Even once I was solicited to give one an agency, I will halt trading any time I find one's skill not meeting the standard.

 取り扱う製品の特殊性から、マーケットが極めて小さい望遠鏡業界では、業者相互の協力が大切だという認識でおります。 その意味で、EMSやBINO等の代理販売については、極力門戸を開放してまいりました。しかし、EMS-BINOについては、 ユーザーアジャストの双眼望遠鏡であるという特殊性から、代理販売は現実に即さないことが分かって来ました。  ということで、BINO完成品の代理販売は、特別な事情を除き、停止する方向で検討しております。






2008年5月29日


イタリア語との出会い (Amici wa tomodachi)

 英語以外のヨーロッパ系の外国語としては、今までにある程度本気モードでドイツ語、ロシア語、片手間モードで フランス語等に接して来たのだけれど、イタリア語は範疇外として最近までパスして来ました。  ところが、ごく最近になって、必要に迫られて門を開き始めたイタリア語の虜になってしまいました。
 その経緯はまたの機会にお話するにして、今回は、"Amici=友達(Tomodachi)"ということを初めて知った感動を記録して おくことにします。

 EMSにヒントをくれたアミチプリズムは、イタリア人の『Giovanni Battista Amici』が発明 したものです。イタリア語を少しでもご存知で、かつプリズムの知識もある先達の方々はすでに知っておられたので しょうが、amici(アミキでも、アミシでもなく、アミチと発音するのがイタリア流)とは、amico(友達)の 複数形だったのです。日本では、『友』という名字は聞いたことがないけど、強いて探せば、さしずめ『友山さん』 でしょうか。 何となく幸せにしてくれた些細な発見でした。

 





2008年4月4日


別れの決断 (Decisive Parting)

My parents and my family ate out tonight. The occasion was a farewell dinner for my daughter who will join the medical faculty at the University tomorrow.

It also means I will not have my daughter around to succeed me since she will probably become a Medical Doctor.

"Parting with good grace even in sorrow" has been my policy. Although I have made another decision to part with my Double Barrel Binoscope in my observatory dome on top of my shop, parting with my pride and joy instrument is sorrowful.

The home made dome was constructed 24 years ago and is in need of repairs of which I have no extra time to pursue. Moreover, I have no time to even open the dome because I have numerous back orders to fill for my amateur astronomer customers. So I have made a decision to hand it over to an amateur who I believe will take good care of it and will also appreciate it.

We are never free form parting. So, l will part with my beloved partner with good grace while she is still attractive.

 今晩は医学科に進学して行く娘の家庭内送別会のため、 爺さん、婆さんを交えて一家5人で外食をした。 娘が幼時より決めていたコースであったが、これで自分の仕事が子供によって後継されないことが明確となった。

 ”別れは潔く”がモットーなのだが、もう一つの別れも近付いた。EMSやBINOの製作が本格化してから、屋上のドームが 『開かずの間』になって久しいが、築24年のドームは、さすがにスリット開閉部の老朽化が著しく、主砲のシェルターの役目を全うできない ことが明白になった。中のBINOシステムは全く問題ないのに、ドームがダメになったら、ほぼ一瞬でBINOシステムもダメになる。 それより怖いのは、強風で飛散したドームが通行人に被害を与えること。 かと言って本格的なドーム補修にかける時間も集中力も残っていない。
 ということで、この際、中のBINOシステムを希望者に譲り、スリット部は 建築業者に依頼して新たな板金加工で密封し、ドームは物置にすることにした。

 別れはいつかは来るのだから、まだBINOの新鮮さが完全に失われない内に、潔く別れよう。

(行き先は決まっています。)





2008年3月6日


娘へのおめでとう (Congratulations to my daughter!)

Congratulations for passing the entrance exam of the medical faculty of the local National University.

You have won the first ticket for becoming a pediatrician that has been your dream since you were four years old.

You were so excessively sensitive in your early childhood that I had to turn off the T.V every time loud or violent scene comes up, otherwise you would have screamed with fear.

At the same time, you surprised me when you sprang out of the bed from between Mother and Father at the ear-splitting lightning, and ran to the window to open the curtain to witness the lightning strike expecting the lightning demon landed on his bottom, while Parents hiding deeply in the blanket.

There is a script I cherish, you wrote about your experience of judo when you were in junior high.

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My Challenge

When I tried something, I seldom saw it through to the end. I asked myself, “What would be the best way to change myself? What can I do to challenge myself?”

I chose judo for its intensity and its discipline, and joined the judo club with my best friend Kayo. “Namiko joined the judo club!” “Unbelievable!” Everyone was surprised at my decision.

In my first year the judo club had seven members with Kayo and me being the only girls. I enjoyed judo until the third graders retired. With the third graders gone, other team members lost interest and their attendance was sporadic. Eventually they quit coming one by one. Kayo and I were the only ones who still went to practice.

The second year arrived and the judo club reached a wall. I anticipated new members but the school year didn’t bring a single one. Kayo and I found ourselves totally alone during practice. How were we going to improve? Then something happened. Anri, one of my classmates, joined the club. Anri became very active at judo and provided a breath of fresh air.

The third school year began with a ray of hope: three freshmen members. They brought energy to our club, but at the same time, I was feeling responsibility as a captain.

In May, we had a grade promotion test. I had two matches. In one I had a draw and I lost the other by ippon. The judge later said to me, “You don’t have your judo yet!” I could do nothing but admit those words. It was clear that my judo was nothing but awful. I felt as if I were thrown to the starting point. What have I done these two years?

The last match is over, but in the end, I could not show any winning record. What a disappointment! I wanted to compete in more matches, and I wanted to win more. I thought, perhaps I made the wrong decision. I thought as if it had been wrong to choose the judo club. “What in the world have I done with judo? ” When I was so depressed, Kayo said to me. “I also can’t say I don’t have any regret, but there is no use crying for the past.”

“That’s right.” There must be at least something I got from judo. Suddenly, a flashback, the faces of my friends who have always been together at practice. I once injured my back during practice just the day before the match. I was depressed because I couldn’t take part in the match and had to stay in bed. After the match, Kayo and Anri kindly visited me with a present and encouraged me by telling about the match. How happy I am with such nice friends! Yes, it’s judo that brought us all together. My friends and experiences with judo will remain with me for the rest of my life.

In the end, did I change myself? I will know the answer at my next challenge in the future.

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I wish you will enjoy the new university life and become a nice pediatrician for the future lovely patients waiting for your help.

From Father






2008年2月4日


クー帰る (Coo came home!)

 昼過ぎに2階の家内から内線コール。「アーケードの方からクーの鳴き声が聞こえる!」とのことで、アーケードの屋根に 出て見たが、クーの姿はなし。また階下に降りて外を見回してもどこにもいない。気のせいじゃないか、と私が言ったが、 確実に聞こえたと家内は言う。

 アーケードの屋根を叩いてみたら、今度ははっきりと”ニャーニャー”とクーの悲壮な声^^;。何と、二層になっているアーケードの 屋根の段差の通気用の鉄板のフィンの、人間の拳が入らないくらいの隙間から入って、屋根板と天井板の空間にクーは居た。

 中に入ったのだから、どこか隙間が広くなっている場所があるはず、と思い、6店舗くらいの間口分を覗いてみたが、どこも 広くない、その間、私の移動をクーが必死で追って鳴きながら助けを求める。この間、結構な雨。大型のスパナを取りに降りたが、 それでも隙間がこじ開けられない。クーが見付かった旨を裏の母に内線し、適当な角材を持って来させる。

 片手で角材をフィンの隙間に入れて開きながらクーを引っ張ろうとするが、隙間は十分に開かず、クーも怖がってうまく行かない。 家内に角材を持たせ、 何とかクーを引っ張り出した頃には私はどっぷりと雨に濡れてしまっていた。

 一昼夜アーケードの中にいて薄汚くなったクーは今、一日ぶりの食事をしっかり食べ、平和にスヤスヤ眠っている。^^






2008年2月3日


クーが家出 (Coo ran away!)

 人間で言えば高校生くらいの、推定満一歳のオス猫クーは、日増しに活発になり、外に出たくてしようが なかった。ただ、町中で放すと交通事故が待っている。だから戸締りをする夜以外は、大抵リードに繋がれていたクー。 でも十分に長いリードだったので、そんなに拘束したつもりはなかった。

 それでも可愛そうに思い、二階の窓から商店街のアーケードの屋根に出して遊ばせたのがいけなかった。3mの高さは猫にとって、というか 外の世界を希求するクーにとってはさほどの高さではなかったらしい。 昼過ぎにアーケードに出してほんの数分、眼を離した時には クーの姿は見えず、いつ飛び降りたのやら。21時現在、帰って来ない。

 いくら猫でもアーケードは飛び降りるにそう低くない。クーよ、お前は満腹と自由を天秤にかけて決めたのだな。しばらく頭を冷やして、 自分の生き方を決めればよい。帰らなくても探さないし、帰ってくれば好物が待っているよ。






2008年1月13日


イタリアからのメール(An E-Mail from Italy)

 ヨーロッパではドイツの方が圧倒的に多いEMSファンですが、最近になって相次いでイタリアのマニア(業者も含む)の 方より引き合いがありました。12月の中旬にお送りしたEMS(BINO用)セットが届くのに、このお国では^^;随分と期間 がかかって正月3日になったのですが、今日、BINO完成の”感動”のメールをいただきました。

 この方は業者さんのようですが、まずは自分で作って見るという姿勢を評価したいと思います。海外の業者さんの中には、単なる 営業的な興味からいきなり仕入れ条件の話に入る方も多いですが、EMSの本質を理解しようとする姿勢に欠ける方との契約が成立することはあり ません。^^; 近日中に使用リポートをサイトに掲載されるそうです。

http://www.binomania.it/binocoli/binoscopio_generalhit/binoscopio_generalhit.php





2008年1月10日


クーちゃん、ごめんよ。(Forgive me, "Coo".)



  昨年の10月に当家に迷い込んだオスの子(中)猫は、娘が『空也』(クーヤ)と名付けた(迷い込んだ子猫に父(祖父)が 思わず「クーや」と呼びかけたのを娘が聞いたのが由来)ので、一昨年に他界した犬のクーと同じ、”クーちゃん”となった。

 賢く?綺麗な猫ながら、人間で言うと高校生くらいのやんちゃ盛り、母の体力の限界を超えるほどの暴君ぶりに母も辟易。

   昨今の家猫(オス)では半ば一般化した”去勢”なるものを考えざるを得なくなり、11月30日に手術。

  「”去勢”は人間の身勝手。それは少女監禁の変質者と同じ行い。」とまで思って悩んだけれど、現実に町なかでオス 猫と共生するには、どうも避けがたいことのよう。

  クーちゃん、ごめんね。 見方によれば、法と規範に縛られた僕たち人間も似たようなものだから我慢して。 宦官になっちゃったけど、子供の時に敵に捕らわれて宦官にされながらも、新たな国で重臣となって尊敬を集めた王子もいたように聞いているし・・・。

 この前の大雪の日、電気カーペットの上でとろけて寝ていたクーちゃんを見て、ノラになってあの恐ろしい寒さ、ひもじさに 耐えるよりはマシだよな、と勝手に思った。

 でも、ばあちゃんの料理は旨いだろう。 松葉ガニには特に目がないクー。 グルメ三昧で、2.5kgだった体重が今や5kg。 デブネコ にならないでね。

 





2008年1月1日


雪の正月(White New Year's)


 明けましておめでとうございます。
 こちらは、近年では珍しく雪の正月となりました。
 この冬は昨日まではほとんど雪を見ていなかったのですが、降るとなると一夜にしてこうなるのが山陰の気象 です。昨日、判断に迷いながらも車をスノータイヤに換装しておいたのは正解でした。

(店(兼自宅)前の景色。左の建物が鳥取市役所本庁舎。雪が積もった テントは市役所駐車場脇の自転車置き場。)

 




2002年8月23日~2003年12月15日

2004年1月3日~2005年1月2日

2005年3月23日~2005年12月30日

2006年2月14日~2006年12月9日

2007年1月1日~2006年12月27日


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