長春市民数十万人餓死、
中国共産党八路軍の兵糧攻め

                           2012年3月 Minade Mamoru Nowar

1947年10月17日、中国共産党八路軍は福満ダムを爆破して長春への送電を切断した。
これを契機に、長春兵糧攻め(ひょうろうぜめ)作戦が徹底的に行われた。食糧を含む
一切の生活物資供給を絶たれた長春市内は餓死者が続出した。

中国共産党八路軍占領地域と国民党政府軍占領地域との狭間にはチャーズと呼ばれた
鉄条網で区切られた緩衝地帯があった。長春市内から脱出しようとした市民たちに対して、
中国共産党八路軍は固く関門を閉鎖し続けた。

関門の前のチャーズでは、地獄絵が繰り広げられた。ここだけで、10万人以上が餓死し、
死骸の山が築かれた。長春市全体では、33万人以上が餓死したといわれる。

この人道に反する長春兵糧攻め(ひょうろうぜめ)作戦毛沢東指示林彪指揮
した。33万人以上死亡したという数字は、中国政府公式発表の日本軍による
南京大虐殺の犠牲者数を上回る数字である。中国政府もマスコミも、この歴史上、特筆される
べき、一般市民を虐殺した、残酷・悲惨な長春兵糧攻め(ひょうろうぜめ)作戦の歴史事実を
中国国民には一切教えていない。当然、中国の歴史教科書には記載されていない。



    

参考資料:遠藤誉著 チャーズの検証 (明石書店97年1月発行)



 出典:遠藤誉『チャーズの検証』


南京大虐殺を上回る33万人以上の餓死者を出した長春兵糧攻め(ひょうろうぜめ)
作戦を行った当時の中国共産党八路軍の最高司令官・林彪(りん・ぴょう)は裁判に
かけられ死刑に処せられるべきであった。
林彪は1971年9月13日、【天の裁き】を受け、家族ぐるみ墜死した。
以上