ナガサキの原爆惨禍 2012年3月 Minade Mamoru Nowar

関連サイト:『ヒロシマの原爆惨禍』    関連サイト:『シベリア奴隷労働被害』

無知で愚かであった旧日本帝国陸海軍の最高指導者たちと高級参謀たちが、
本土決戦を強く主張し、1945年7月26日のポツダム宣言即時受諾に強硬に反対したことが
ヒロシマナガサキの筆舌に尽くしがたい原爆の惨禍を招いた。

ヒロシマナガサキの原爆で約20万人が即死した。後遺症で30万人以上死亡した。
合計して50万人以上が原爆で死亡した犠牲者数である。



ナガサキの原爆惨禍   Nagasaki Atomic Bomb Disaster

1原爆投下直後の長崎市の惨状:長崎駅前繁華街一帯:Photo by US Army:

2平和公園一帯(国土地理院:国土画像情報)

3 45年8月12日(原爆投下3日目)の長崎市爆心地一帯:Photo by US Army:

4長崎市爆心地一帯:Photo by US Army:

5資料:長崎原爆資料館:長崎大学医学部原爆被災学術資料センター資料より


6原爆死没者名奉安数 149,266人

7原爆投下直後の長崎市の惨状:長崎大学付属病院一帯:Photo by US Army:

8原爆投下直後の長崎市の惨状:長崎大学付属病院:Photo by US Army

9長崎市の惨状:長崎大学付属病院:Photo by US Army

10原爆投下直後の長崎市の惨状:長崎大学付属病院付近:Photo by US Army

11原爆投下直後の長崎市の惨状:長崎大学付属病院:Photo by US Army

12 46年11月の長崎大学付属病院一帯:Photo by US Army

13 8月9日、原爆投下直後の長崎市上空のキノコ雲:Photo by US Army:

14原爆投下直後の長崎市の惨状:岩屋山と爆心地付近:Photo by US Army

15原爆投下直後の長崎市の惨状:中町天主堂前:Photo by US Army

16原爆投下直後の長崎市の惨状:三菱製鋼所一帯:Photo by US Army

17三菱製鋼所一帯

18原爆投下直後の長崎市の惨状:三菱製鋼所一帯:Photo by US Army

19原爆投下直後の長崎市の惨状:三菱製鋼所総合事務所:Photo by US Army:

20原爆投下直後の長崎市の惨状:長崎造船所浜口工場:Photo by US Army:

21 45年11月:長崎市浦上天主堂の内側から爆心地を望む:Photo by US Army:

22浦上天主堂遺壁

23廃墟のなかの浦上天主堂

24北村西望 平和祈念像

25稲佐山展望台から見た浦上天主堂〜平和公園一帯:
画面上部左のパッショネイトブラウン色の建物が浦上天主堂、
その右の白い大きな建物が長崎大学医学部、
中央上の木立に囲まれているのが平和祈念像、中央左が平和公園。

この写真は大井啓嗣氏の有料使用許諾をいただいて転載しています。コピー及び転載は禁止します。

26永井隆博士の如己堂(長崎市上野町)
参考文献:

永井隆全集T(サンパウロ 2003年7月発行)第278頁〜第279頁
『花咲く丘 『長崎の鐘』由来』より
「私はさむらいの血を受け、幼い頃から、さむらいの子はこうするものよと、
よく母から教えられて育ち、予備役軍医として召集を受け、実戦にも加わっていて、
どちらかと言えば、戦いの好きな方であった。
上杉謙信が単騎、信玄の本陣に斬りこむ場面などは、少年の頃、
どんなに胸おどらせて想像したことであったろう!

−その私が、原子戦争の真の姿を見て、すっかり戦争を嫌いになってしまった。
 目がさめたのである。
−戦争はおろかなことだ!
−戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである!
−人間は戦争をするために生まれたのではなかった!
−戦争はこりごりだ!
−平和を! 永久平和を!

この叫びを私は広く伝えたかった。
この叫びは耳新しいものではない。
ここだけで叫ばれているものでもない。
けれども原子荒野から叫ばれる時、
それはことに強く人々の心を打つのではあるまいか?
焼け野にころがる白骨が叫ぶ時、それは特に鋭く人々の心に刺さるのではあるまいか?」


27永井隆博士ご夫妻の墓地

    

ビリー・ワイルダー監督が1970年に製作した米国映画『シャーロック・ホームズの冒険』の
終盤に、英国海軍が秘密裡に開発していた潜水艦を英国の女王陛下が視察する場面がある。

開発責任者(シャーロック・ホームズの兄)から、「この潜水艦は、水中から、無警告で、
魚雷を発射し、敵艦を一発で撃沈できる」との説明を聞いて、女王陛下は激怒し
直ちに開発を止め、試作艦を廃棄せよと命じる。

山本五十六や、ルーズベルト大統領、ルメイ空軍司令官に見せたい場面である。