ずっこけ♪震災日記!

(2011年3月 東日本大震災)


震災直後、何が何だか分からない毎日でした・・・。

当初は震災直後の1週間のみ掲載していましたが、

しばらくして落ち着くまでの日々に書いた日記も、

震災に関連する内容のものだけ抜粋して追加しています。

下記メッセージは当時のままのものです。


2011年3月11日14:46分、東北地方を中心に大きな地震が発生し、それに伴い大津波が発生しました。近隣の県は大きな被害を受け、たくさんの人達が被災し亡くなりました。

今もなお連絡が取れない知人がいます。避難所で暮らしている近所の方がいます。ライフラインが回復しない会社のメンバーもいます。

食料が十分に行き渡らない。暖も取れない。そんな人達が数多くいる中で、PCが使えるほど生活が回復した我が家は幸せだと思います。

少しでも早く、皆がその生活を取り戻せる日が来ることを願ってやみません。

今回、自分が実際に被災地に住んでいたことで、震災にあった人、周囲を取り巻く人、それぞれの助け合いの気持ち、その逆の擦れ違いを感じました。

メモを離さず、常に思ったままをメモしておいたので、その時の心情などをキーワードを辿りながら、そのまま日記に書いていこうと思います。

被災地の人は、良かれと思い助けようとしている人の気持ちを踏みにじるようなことでも実際には思うものです。

生きるのに精一杯で心に余裕が無い状態です。何事も綺麗ごとばかりではない。

何故、気持ちの擦れ違いが起こるのか?

それが少しでも被災者の立場で分かってもらえれば・・・と思います。

表現が悪いことも度々ありますが、その時の心境をなるべくそのまま書いていきたいと思います。ウソを書いても仕方が無いから。

実際に生活しながらのことになるので、全部書ききるまで時間がかかるかもしれませんが、少しずつUPしていこうと思っています。


 

Mar.11.'11.

晴れのち雪。

14:46、仕事中に突如揺れ始めた。

今夜、ドリームカップに出発する予定で、さっさと仕事を片付けて定時で帰れるように・・・と思っている矢先だった。

とりあえず、いつも通り机の下にもぐる。俺は結構小さい地震でも一応もぐるようにしている。

すぐ終わるかな?と、いつものように机の下のヘルメットをかぶった瞬間、強い揺れを感じた。

 「お?デカいぞ??」

と、声を発したが、すぐにそれどころではなくなった。

いつも地震発生と同時に美樹ママにTELする。ギリギリ電話がつながるタイミングだ。

だが、この時はそれが出来なかった。激しい揺れが机ごと身体を揺らす。携帯なんか操作できない。

 『な、なんだ??』

揺れはどんどん激しさを増す。

机の上のパソコンモニターが倒れてこないか心配だったが、コードが突っ張ってくれたらしい。倒れなかった。

普段動かすのも重い引き出しの棚が動いていく。足元に置いてあるパソコン本体も動いていく。

揺れは激しさを増す!

ガシャガシャガシャ〜ン!!何かが壊れる音が続く。

 『おいおい・・・、どうなっちゃうんだ??』

ガターン!!

うぉ!!天井の壁がバラバラ落ちてきた。床がグニャグニャしている感じがする。

 『うわ・・・、ダメだ・・・。この建物崩れる・・・。このまま死ぬのか??死ぬ時って、こんな気持ちなんだ・・・。』

本気で死にそうな目に何度も合ってきたつもりだったが、これほど『死』に直面したことはないと思った。

 『頼むから持ち応えてくれ〜!!』

何分経ったのだろう?すごく長く感じたが実際は短い時間だったのかもしれない。

バラバラと天井から粉が落ちた後、揺れが小さくなった・・・。

 「助かった・・・。」

皆が恐る恐る机から出てくる。変わり果てた職場の風景に皆言葉を失っている。

一部の人が避難誘導を開始した。

 『そうだ。逃げなきゃ。』

また揺れが来るかもしれない。

 『あ、携帯で写真撮るかな・・・?』

ぼんやり、そんなことを考えて携帯を出したものの、手の震えでうまく操作出来ず。

避難を促されて、結局そのまま脱出。

防火扉は閉まりきらず半ドアの状態で崩れた天井に引っかかっていた。

地震の規模が今までの比ではない。

避難場所の駐車場へ向かう途中、社内の道路がひび割れしていた。あちこち段差が出来ていた。

駐車場には液状化現象が見られて、泥水が溢れ始めていた。

皆、興奮状態だった。

ウチのグループのメンバーは全員いる?アキラは今日卒業式で休みだ。

 「タザワさ〜ん!!」

いた・・・。

良かった。ビックリした。

人がごった返していたので、どこに誰がいるか分からない。

美樹ちゃんと同学年の子がいるお父さんが心配して話しかけてきた。

そうだ、美樹ちゃん達も卒業式だった。在校生として出席しているはず。

 『どうなったろう??』

点呼を取り終わっても、皆呆然としている状態。

15:02、美樹ママとMail連絡が取れた。

家の中はグチャグチャで電気も割れたらしい。停電しているそうだ。

しばらくして、美樹ちゃんが無事だという連絡も来た。

とりあえず一安心だ。

部長指令で管理職は屋内点検しようという話になった。

 『え〜??この状況で〜??』

入ろうとした瞬間、また揺れが・・・。

危険なので点検は中止。しばし、皆屋外で待機。

半そでの作業着のまま飛び出してきたので寒い・・・。

 「あ、オレ車のカギ持ってんじゃん・・・!」

ってことで、車に一次避難。

社屋の壁が剥がれ落ちているのを見ながら車に乗り込む。

駐車場から見た社屋。外壁が剥がれている。

カーナビのテレビでニュースを見る。

そこで初めて地震の規模が分かった。

震度7クラス・・・!!

10m級の大津波発生・・・!!

 『何だこれ?!早く帰らないとヤバイぞ?!』

ドラマや映画でやっていたことが目の前に現実として降りかかっている。

このままだと大渋滞で帰宅できなくなる。

色んな情報が次々と各々の携帯に入ってくる。

停電で信号STOPして大渋滞になっただの、古川でビルが倒壊しているだの・・・。

状況はどんどん悪化。

最悪の事態になりつつある。

一旦、建屋に入り荷物を取ってくることになった。荷物を受け取った人から徐々に帰宅している。

オレもロッカーから荷物を取ってきた。

が、どうしても2階のオフィスが気になったので、他の何人かと一緒に見に行った。

そこには、あり得ない光景が広がっていた。

剥がれ落ちた壁、天井・・・。落ちてきた蛍光灯・・・。

あちこちの机でPCのモニターが倒れ、空気がよどんでいた。

蛍光灯が落ちてきている。

天井が落ちてきて、グチャグチャになった出入口付近。

 

とりあえず荷物をまとめ、帰宅することにした。

土砂崩れの危険がある山のそばや、川の付近を通らないようにお互いが注意を呼びかける。

ヘルメットをかぶったまま車に乗り込む直前だったか、帰るのが同じ方面のタザワさんと話した。

 「いつもの通勤路はくずれているかもしれない。迂回しよう。」

工事中だった場所があったのだが、臨時で細い通路が作られていた。

さっきの地震で崩れたに違いない。今、崩れてなくても、走ってる間に崩れたら大変だ。

迂回すると渋滞していた。道路があちこちで隆起している。

ガッタンゴットン言いながら乗り越える。

 『あ〜あ〜、新車の慣らし運転中なのに・・・。てか、この前ひどい思いしたばかりなのに・・・。』

って、そんな状況じゃない。とにかく帰らなければ!!

迂回して、やっとこさでいつもの道に出ると、既に大渋滞だった。

 『このまま、ひとつ山越えるまで渋滞なのか??』

続々と、更に迂回する為にUターンする車が増えてきた。

思い切ってオレもかなりの遠回りだが迂回することにした。

が・・・、これが裏目に出た。

途中まではスイスイ走った。

一瞬だけ、止まった信号のそばで混雑したが、薬局の駐車場でショートカットして難なくスルー。

その後、そこそこゆっくり走る車はいた(状況的に当然)が、思ったより早く進んだ。

途中、トラックがUターンしだした。

何かと思えば、道路がひび割れて段差になっていた。

ぎりぎり乗用車は通れるだけの場所が残っていた。

県内でこんなトコがたくさんあるのだろう。

後は橋を渡れば古川だ!ってとこで、目を疑う光景が待っていた。

橋に繋がる道が通行止めになっていた。

確かに普段から落ちそうな橋だが・・・、落ちたのか??真実は分からない。

とりあえず周りこんで橋に行けないか?を試みたが・・・、住宅街のあぜ道みたいな細い道をグルグル回るだけだった。

しかも、バックしようと思ったら、後ろからぞろぞろついて来るし・・・。

 『勘弁してくれ〜。早く帰りたいんだ!!』

誰もがそう想っているに違いない。でも、どうしようもない気持ちだ。

こうなったら、もう1個向こうの橋に移動するしかない。そこも通れなかったら、どうすればいいのか・・・考える余裕は無い。

ただでさえ通勤時などは橋が渋滞するのに、果たして渡るのに何時間かかるだろうか??不安がよぎる。

笑顔と強引さで何とか列に割り込み迂回路へ・・・。

もう、なりふり構ってられない。必死だ。どんどん家から遠のいているのだから・・・。

橋が見えてきた。予想通り混んでいる。でも、渡れるようだ!!

裏道レーダー!!

こういう時、土地勘が無くても裏道がイメージ出来るのは全国を走り回ったお陰だろう。

どこがどういう風に道を作っているか?が瞬時にイメージできる。

 「こっちだ!!」

と、格好良く曲がったら、既にオレが行こうとしていた道を走ってる車がいた。

なんだかな〜。

まぁ、これで裏道があることが確定した。

車一台しか走れないような道に対向車が来る。仕方ないっちゃ仕方ないんだけど・・・、斜面に乗り上げながらかわす。

 「新車が・・・。でも、今はそれどこじゃね〜!!」

何とか橋を渡り、後は陸続きのとこまで来た。

渡っている最中に余震が来たので恐ろしかった。ここまで来て橋ごと落ちたらシャレにならん。

こっからは裏道を駆使して一分でも早く帰るしかない!!

美樹ママから教わった道を駆使して帰る。

が、途中で膀胱が破裂しそうだったので小休止。

人間って、こんな危機的な状況でも生理現象ってあるんだな・・・。

 

帰宅出来たのは、会社を出てから1時間半が経過していた17:30だった。

もう日が暮れかかっている・・・。

既に美樹ちゃんも帰宅しており、ばあちゃん(美樹ママのお母さん)も来ていた。

家の中は予想以上に散らかっていた。

ただ美樹ママのMailに書かれていた階段破損・・・は、階段の電気が破損したと言うことが分かって少し安心した。

まともにMailを打っている余裕もないと言うことが良く分かる。

家の建物自体には致命打は無さそうだ。

が、とにかく家の中がグチャグチャだ。

美樹ママの植木(冬は家の中にいる)から土も飛び出てるし、食器は片っ端から落下破損。思い出の品もことごとく・・・。

食器棚は、割れた食器の破片の上を移動しているし、油や酢などがこぼれているようで異臭もした。

ピアノも、「この質量が?」と言うほど移動していた。車輪止めからも飛び出していた。

いったいどんな揺れ方をしたんだ・・・。

とりあえず、まだ水がチョボチョボで出ていることが分かったので、すぐ風呂桶に水を溜めるように家族に指示した。

断水が来たらトイレも流せなくなる。子供の頃の断水の経験がここに来て役に立つ。

手当たり次第、水が汲める容器に水を汲んだ。しばらくは持ち応えれるか??

昨年末に買ったばかりのテレビは美樹ママが死守したお陰で大丈夫だった。

むしろ、テレビを守りに走ったお陰で、ダイニングの電気の傘が天井にぶつかって割れた破片をかぶらずに済んだそうだ。

とりあえず、明るい間にリビングだけでも生活スペースを確保すべく片付けを進める。

物置からランタン、車から懐中電灯も持ってきた。電池残量少ないが無いよりマシだ・・・。

美樹ちゃんが、じいちゃんに買ってもらった手回し式の懐中電灯を持っていた。

 『じぃちゃん、いつも美樹ちゃんを助けてくれてありがとう。』

この懐中電灯はその後大活躍する。

気付けば携帯の電池残量も減ってきていた。停電だから充電出来ない。

 『あ、車で充電できるじゃん!』

ドリームカップに行く準備していたので車に積んであるじゃん。じゃ、あとで充電するか。

 『あ、ドリームカップと言えば・・・、とても行ける状況じゃない。ユニは全員分俺が持ってるんだけど・・・、どうすりゃいいんだ?』

とりあえずCLUB Jr.の遠ちゃんに連絡とってみようと思い、TELすると奇跡的に一発で繋がった。

富士川グランドも揺れたらしい。

少し興奮気味だったが、明日も大会は継続するようなことを言っていた。

 『えぇ〜、やるんだぁ〜。でも、俺行けないよ、これじゃ・・・。』

正直、そんな状況じゃないものが目の前にあった。

とりあえず、ずっこけ♪のメンバーに謝るしかない。ユニ持っていけないし。10周年なのに!!

MLで、「申し訳ないけど行けないMail」を流す。

すごく悔しい思いだった。でも、もっと悔しいのはこの状況だ。

 『生きていく為に何とかしなくては・・・。』

今の最優先事項である『生きる』は、他の何よりも重要なことだった。

目の前には・・・、『不安』しかない・・・。

でも、俺が不安がってたら家族はどうなっちゃうんだ。

こんな時こそ、しっかりしなくては・・・。

 

震災直後の混乱の中、沢山いる美樹ママの親戚で連絡が取れていない家が何軒かあった。

裏の橋を渡ればすぐのおばちゃん(美樹ママの亡くなったお父さんのお姉さん)の家に行くことになった。

とりあえず、ばあちゃん家に寄って石油ストーブと、仏壇のロウソクを持ってくる。

じぃちゃん(美樹ママのお父さん)の位牌が仏壇から飛び出していたので持ってくる。

みんなを守ってくれたのに放っておけない!!

仏壇は倒れてなかったので良かった・・・。

既に日が暮れてしまい、辺りは全部停電しているので真っ暗。

行き来する車のライトだけが明るい不気味な光景だった。

とても普段住んでいる場所とは思えない。

おばちゃんの家は無事だった。

余震が続く中、ストーブつけてコタツに入って居間でじっとしていた。

確かにどうしようもない状況だものな・・・。

居間は片付いていたが、仏壇倒れたりして座敷はすごいことになっているようだ。

 「とりあえず無事で良かったね・・・。」

お互い、この言葉しか出ない。

これから食糧難になるかもしれないのに、自家製の揚げ煎餅をくれた。

バリボリバリボリ・・・。

生き返る・・・。何か涙が出てきた。

と、その瞬間にヴァーヴァーヴァー!!と携帯が鳴る。

デカイ余震が来るのか?皆で家を飛び出す。

幸い大きな地震ではないようだ。だが、とても生きた心地がしない。

とりあえず長居も何なので、このタイミングで撤収。

帰り際、さっきの煎餅が入った袋を分けてくれた。

ホロリとくる。

 

帰宅すると当然ながら待っていたのは闇だった。

手回し式の懐中電灯で家の中を再確認。トイレは2階に行くしかない。

1階のトイレは通路が塞がれていた。

トイレ前の納戸の戸が半開きになり、間に物が挟まり開きもしないし閉まりもしない。

明日、日がある明るい時に片付けるしかない。

それより台所の異臭が気になった。

懐中電灯で照らすと割れた食器の下に油が滴っているのが見えた。

 『あ〜、あ〜。美樹ママがグチャグチャ色んなもん置いてるから・・・。』

こういう時、価値観の違いと言うのが神経に障る。

状況的に仕方ないが、もう少し気を使ってモノを配置出来ないものか??と、苛立つ。

気持ちを押さえるのも大変だ。神経が高ぶってると、しょうもない言い争いになりかねない。

とにかく、何やるにも我慢だ・・・。今は我慢。

誰もが神経がいつもよりピリピリしているのが分かる。肉体も精神も細かなとこで消耗していく。

揺れが続く中、何とか破片を片付けて油や酢の拭き取りが完了した。

食器棚が食器の破片を踏み倒しながら前進していたので、中々思うように作業が進まなかった。

まだ油が残っているトコには新聞紙を敷いて、毛細管現象で染みこむのを待つことにした。

とりあえず、後は明日明るくなってからだ。今日は一旦休もう。

だけど、本当の辛さはここからだった。

 

家族3人+ばあちゃんの4人でコタツに入る。

当然、電気が来ていないので暖かいわけない。

でも、他にどうしようもない。入らないよりマシなだけだ。

何も出来ない。

灯りは、ろうそくのみ。そして余震が続く・・・。

外は闇・・・。

そして寒さが襲ってくる。

時折、心配したメンバーからMLが届く。

でも、心配されても・・・、せっかくで申し訳ないが、この状況は変らない。

あぁ、これが夢だったらいいのに・・・。ホントに悪夢だ。

20時過ぎ、DC中止の連絡が来た。

俺もちょくちょく携帯でニュースを見ていたが、この地震と津波での被害がこんなに大きいものだったことが徐々に分かってきた。

多分、DC事務局も同じ状況だったのだろう。

グランドにいた時には分からなかった全体の状況が、ホテルに帰って徐々に分かったのではないだろうか。

今年は、ずっこけ♪出場10年目の記念すべき大会だったのに・・・。

悔しい・・・。

 『何で今?』

とも思ったが、逆にDCに行ってる時にこの状況になってもヤバかったと思った。

ホントにどうしようもない状況だ。

ろうそくの灯りは消さずに、4人全員でコタツに寝ることにした。

4人で入ると、何も無いコタツでもそれなりに暖かいもんだ。

でも、携帯の地震警報が鳴ったり、余震を感じる度に家の外まで飛び出る羽目に。

よく、揺れた直後に家の外に飛び出さないように言われるが、ウチにいる時はさっさと出た方がいいように思えた。

ちなみに家の外は安全なのだが、流石に車で寝れるような気温じゃない。

なので、夜中に何度か外へ避難すると言うむなしい恐怖との闘いが繰り返された。

精神が削られる・・・。

明け方4時頃、大きな揺れがあった。

今度は中越で大きな地震があったそうだ。

全然寝れない夜が明けようとしていた・・・。

 

Mar.12.'11.

晴れ。

震災2日目。

外はうっすらと雪が積っていた。

昨日、あんなに早くにやることがなくなったのに、全然眠れなかった。

明るくなったので早々に片付け再開した。

何から片付ければいいのやら・・・な状況が続く。

昨日まで流れていた2階のトイレの水も止まってしまった。やはり断水。

とにかく風呂桶の水が使える1階のトイレまでの通路を確保しなくては・・・。

納戸の扉を何とかしなくては、トイレのドアが開かない。

何とか中身を引きずり出して、扉を開け閉め出来る様にしなくては・・・。

ここから納戸の扉の三角隙間落下物救出作業が長時間行われる。

美樹ママ、頼むから少し要らないものを捨てよう。

引越屋経験者の俺にとって、一軒家の引越は強敵だった。

そう、何でもかんでも取っておく人が多いのだ。収納スペースがある分だけ、ものがある。

それがこういう時にジャマになるのだ。

 『ぜって〜、これいらね〜。』

頭の中は、そればかりだった・・・。

和室も同じようにグチャグチャの状況。

片付けかけていた雛人形の箱も出しっぱなしだし。

少しずつ片付け始める。

台所、納戸、和室・・・。

全部、美樹ママに聞かないと分からないものだらけ。

復旧作業が遅れる感じ・・・。

とりあえず、大物がある和室の雛人形だけは俺も手伝う。

後は、好きにしてくれ・・・。

但し、納戸のレイアウトは次からは扉が開くように俺が決めた。

飛散した食器類。 これでも大分片付いたトコ。

 

さて、残りの細かい片付けは美樹ママに任せて、俺は世間の様子を調査しに行くことにした。

とにかく、各家庭はどういう動きをしているのか?気になった。

目の前の国道108号が渋滞している。

何だ??

チャリで様子見に行くと、ガソリンスタンドが開店していて渋滞になっていた。

確かに昨晩入れようとしたら閉まっていたので、これはありがたい。

ここのガソリンスタンドは、災害時24時間対応可能なガソリンスタンドだった。

後で入れに行くか。

ドリームカップ行く直前に給油予定だったので、CR-Zの燃料タンクはスカスカだ。

チャリで家を出発する前、隣の奥さんに近場の避難所について聞かれた。

 「集会所だと思いますけど・・・。」

自分で答えたものの、自治体が機能しているとは思わなかった。

普段、役員決めだの何だので集まる時も全然人が集まらない。

そんな状態で自治体が機能するとは思えなかったのだ。

が、チャリで行ってみると、集会所の周りは車だらけ。

中に入ってみると、たくさんの人達が・・・。家に入れない状態の人達は昨晩からここに避難していたようだ。

皆にオニギリを支給していた。

 『なんじゃ、こりゃ〜!完全に出遅れてるじゃん!!急いで家族を連れてこなくちゃ!!』

ウチも昨晩からまともに食ってない。チャリでマッハ帰宅。

駐車スペースが無いことが分かっていたので、ばあちゃん号の軽自動車で集会所へ。

家族全員、オニギリ2つと、ゆで卵半分、たくあんをもらう。

ホッとする・・・。

口にモノを運べるのがこんなに安心感を得られるとは。

子供も大人も同じ量なので、ぶっちゃけ俺には少し足らなかったが・・・、そんなこと言えない。

みんな家に入れないような状況なのだ。

出来ることなら、各家庭の冷蔵庫で悪くなりそうなものを早めに持ってきて欲しいと言われた。

 『確かになぁ・・・。ここで調理してくれるなら。停電の家では何も作れないし。お昼を食べに来る時に持ってくるか・・・。』

電気を引いてるようでケーブルが置いてあった。

昨晩から減りかけている携帯の充電が出来るか?と思いつないでみたが反応無し。

夜は発電機で電気を付けていたが、今は止めているそうだ。もっともだ・・・。

頑張れMailが山ほど届いて携帯の電池が心もとなくなってきた。

普段であれば何も考えずにコンセントから充電出来る環境・・・。今はそれが無い・・・。

普通に生きていたら考えられない環境に置かれている。

とりあえず、子供がドタバタしていて落ち着かない環境なので早々に集会所から撤収。

 

さて、次はガソリンを入れに行くことにした。

有事の際、ガソリンが無いと何も出来ない。

しかも、この先何日入れられない日が続くか分からないのだ。

震災翌日に、この行動に出たのは正解だった。この渋滞は日増しに長い列になっていく。

家の前から並んでも良いのだが、せっかく裏道を熟知している地元民なので、ガソリンスタンドすぐ手前から国道に出る。

日本ってスゴイよなぁ・・・。何で、こんなに大人しく並んでいるんだろう。

そこそこのタイミングですんなり列に入れてもらえた。

お陰で1時間も待たずに給油できた。1台あたり2,000円分。

携行管を歩いて持ってくる人は、もっと割り込みしやすい。その代わり。1人1,000円分。

 「この寒い中歩いて来てんのによぉ〜!!」

と、少しつっぱった兄ちゃんがブツクサ言っていたが、スタンドの兄ちゃん達は淡々と作業する。

正直相手にしてられないだろう。

つっぱり兄ちゃんもイライラ絶好調だったに違いない。

それでもケンカにならないのは、みんな心のどこかに『地震』と言う、『自分では如何ともしがたいもの』に対する恐怖があったのかもしれない。

海岸線の被災状況を知っているし、今は悪いことは出来ない・・・と言う気持ちがあったと思う。

 

家に帰り、また片付けの手伝いをする。結構片付いた。

ただ掃除機が使えないので細かい破片は散らばったまま。

家の中はスリッパ無しでは歩けない。

そして、あることに気付いた。

携帯が・・・使えない。

さっき車でガソリンスタンド渋滞している時、携帯を充電しておいた。

やっとこ充電したのに、バシバシと入ってくるML。携帯の電池が削られる。

 「頼むから俺にMail入れないようにしてくれないか?」

そう書こうとして送信しようとした瞬間、送信出来ていないことに気付いたのだ。

携帯は『圏外』になってしまっている。

 『マジか・・・。この状況で外界の情報入手手段が無くなるのか??』

唯一、CR-Zのナビで見るテレビのみになってしまった。

が、入れたとは言えガソリンは心もとない。そんなにしょっちゅうは見ていられない。

情報化社会に生きる人間として、しかも普段人一倍PCでネット環境に浸かっている人間として、これ以上の苦痛・恐怖は無い。

世界から孤立した気分だった。

完全に陸の孤島になってしまった。

 『俺達はこれからどうなってしまうのだろう?』

 『どこへ行き、何を手に入れればいいのだろう?』

 『誰が、いつ、この状況を何とかしてくれるのだろう?』

目に見えない『不安』と『恐怖』。これが本当の震災だ。

そして、『疲労』が襲ってくる。

考えてみたら、昨晩は全然寝れてない。

家の中は余震が恐くて寝れない。ならば、ポカポカの昼間、車で寝ればいいのでは?

と言うことで、2台に分かれて家族全員で昼寝をすることにした。

『こんな時に昼寝?』と思われるかもしれないが、逆にこんな時に何をすればいいのかが分からなくなったと言える。

とにかく疲れていた・・・。

 

1時間くらい寝ただろうか。

昼前になっていた。

お昼ごはん貰いに集会所へ行こう。

そうだ、冷蔵庫の中身を持っていかなくちゃ。貰ってばかりでは・・・・ね。

せっかく冷蔵庫の中身を持っていったが、既にこの集会所では避難所機能が無くなると言うことだった。

電気を発電することも出来ず、灯油もあとわずか・・・。

 『じゃ、何で食料持って来いって言ったんだよ・・・。』

と、若干思ったが、この状況ではなぁ〜。

今後、ここにいる人達は、美樹ちゃんが通っていた第2小学校へ避難所を移すそうだ。

県外からの補給物資もそこに届いているらしい。

そこに行けば、色んな情報が入るとか・・・。携帯が使えない理由も分かるかもしれない。

だが、ここにいるだけでもうるさく感じる子供達。

避難所へ行けば更に人数も増えるだろう。うるさくて眠れないと思う。

しかも、集団になれば風邪などにも感染しやすくなる。

食料はもらえるかもしれないが、反面リスクも大きい。

それであれば、やはり家で数日耐える方がいいだろう。

どうしてもダメな時、避難所へ行けばいい。

そんなわけで、振舞われたカップ一杯の素麺を食べて帰宅。

お腹減った・・・。

全員カップに少量の素麺だけの昼飯・・・。

 

家に帰り、また一眠り・・・したが、やはり外界の様子が気になった。

 『そうだ!スーパー等はどうなったんだろう??もしかして、何か売ってるんじゃ?』

車はガソリンがもったいないのでチャリで出発。

・・・と、家からすぐのファミマに人の列があるのを発見!

昨日の夜見に来たときには閉まってたのに・・・。

近くに行ってみると、青空市場のようになっていた。

ケースに山積みにされた御菓子、ジュースなどを選び並ぶと買えるシステムだ。

手に持っただけ帰るらしい。

すぐに自転車を停め、ペットボトルをいっぱい抱っこした。

御菓子は手指先で持てるだけ沢山・・・。缶詰も抱えた。

今の生活が長期化するのであれば、飲料水・食料が必須だ。

買える時に買っておかなければ!!

だが、中々そう甘くない。

腕いっぱいに抱えたペットボトルの重みがジワリジワリとのしかかる。

停電でレジがまともに機能しておらず、電卓でやっているので時間がかかる。

列は一向に前に進まない。

このままでは、その内持ってるものを落としそうだ。

他のみんなは家族で並んでいるので、1人が持ってる量はそこそこなのだ。

俺は1人で来ていたので、4人分の飲み物を・・・と、頑張りすぎてしまった。

だいたい、家はすぐそこなのだから、一旦帰って皆を連れて出直しても何とかなっただろう。

でも、この危機的状況の中、「目の前の水分を逃してはならない!」 と言う脅迫に近い状況が俺の判断を鈍らせていた。

・・・と、後ろに並んでいた家族のおばさんがビニール袋を一枚くれて、俺の荷物を入れてくれた。

 「あ、ありがとうございます。腕が痺れてきてて・・・。ホントに助かりました!」

ホント、人のやさしさが染みる。

涙がこぼれそうになった。人間って、あったかい。

心の底から御礼の言葉が出る。

その後は、その家族と色々震災の状況などを話す。

キッチンがIHじゃなくプロパンなので停電でも調理出来ること、長丁場に備えて買うものを選んでること、

そもそも災害対策で備蓄があることなど、やはり前もっての意識の違いがあることが良く分かった。

三十数年前の宮城県沖地震の経験者なので当たり前だそうだ。

確かに俺は宮城県沖地震は知らない。でも、美樹ママは知ってるはずなのだが・・・?

車のバッテリーからレジを動かせるようになり、大分処理能力が上がったようで、30分ほどで順番がまわってきた。

驚いたのは、会計が7,000円近くになったことだ。

確かにいっぱい買ったけど・・・、コンビニでこんなに使うことって滅多にないなぁ〜。

俺より山ほど買い込んだ後ろの家族はいったいいくらになるんだろう??

ちょっと気になったが、見てるわけにもいかないので御礼を言って立ち去ることにした。

 

一旦帰宅して、今度はヨークベニマル(スーパー)に行くことにした。

ついでに震災時に友達の家に置いてきた美樹ちゃんのチャリも持ち帰る為、美樹ちゃんも連れて出ることにした。

美樹ちゃんが一緒なので今度は車で行くことに。

家の前の国道108号線は相変わらずの大渋滞だった。

ただ、古川駅方面はすいていたので問題は無かった。

当初、ヨークベニマルに行こうとしたのだが、美樹ちゃんの友達の家はジャスコの方なので、そっちに曲がる。

と!

通行止めじゃん・・・。

電車のガードの下を通る道が通行止めになっていた。

それもそのはず。道は浸水していたのだ。液状化現象だろうか?

しかも、その上で電車も止まってる!!

まさしく震災直後・・・という感じだ。

(ちなみに日記を書いている今現在の3/22は、水も取り除かれ道路は通れるが、電車は同じ場所で止まったままだ。)

あまりの街の変貌に驚いたので、美樹ちゃんとジャスコまで一緒に行くことにした。

どうやら側道が通り抜けれるようだ。

国道108号線、ガソリンスタンドの列で大渋滞。

止まる電車。道路に水が溜まり通行止めなので側道を走る。

 

ジャスコに着くと駐車場は車でいっぱいだった。

正面玄関の前に人だかりが出来ていて、それを囲うように長い列が出来ている。ここも青空市だ。

 「このくらいの列だったら、せっかく来たんだから並ぼう!」

と言うことで、美樹ちゃんと並ぶ。

ざっと150番目くらいだろうか。

でも、こっちは処理する速度が速そうだから、さっきのファミマより良さそうだ。

ジャスコの周囲も地面がバキバキと割れていた。

やっぱり今回の地震は今までの比ではないことが良く分かる。

並んでいると、後ろに並んでいる人達の会話が興味深かった。

中学校の横の体育館前で飲料水を支給してくれるらしい。

その人が言うには、ペットボトルなどの容器を持っていけば入れてくれるそうだ。

あと、ヨークベニマルでも同じように並んでいるらしい。

ホーマック(ホームセンター)はやってないそうだ。

こういう列に並んでいると色々な情報が入ってくる。

震災時は色んな目的で並ぶことがあるかもしれないが、ひとつの情報入手手段として活用出来るということが分かった。

面倒でも並ぶことは無駄ではないのだ。

ジャスコは1人5品まで売ってくれるそうだ。しかも、全品100円均一。

 『おぉ〜、素晴らしい!!ってことは、500円で買えちゃうわけね?

  さっきのファミマで買った6,000円越えの買物・・・なんだったんだろう??』

予想通り、食い物と言っても御菓子だらけ。

そんなものは今はいい。飲み物だ。とにかく水物確保。

お茶とスポーツ飲料の2ℓペットボトルを大量に購入。

それから電池。単3しかなかったが、美樹ママの携帯充電に必要なので購入。

あと、トイレットペーパーも買っておこう。

後で気付いたが、トイレットペーパーがこのサイズで100円で買えるというのは、大変お得なことだ・・・。

無事買物も終わり、美樹ちゃんを友達の家の前で降ろす。

信号が全部止まっているので、いつもより気をつけて帰るように言い聞かせた。

家に帰るには必ず2回横断歩道を渡る必要がある。ホントに心配だ。

美樹ちゃんと別れた後、俺は108号線を通らないよう裏道から帰宅。

裏道の道路もボッコボコに隆起していた。ホントにどこもかしこも危ない・・・。

ジャスコの青空市場。人がたくさん並んでいる。

 

帰宅してすぐに美樹ちゃんが心配で108号線まで見に行く。

ちょうど美樹ちゃんがチャリを漕ぎながら帰ってきた。

一安心・・・。

やっぱ状況が状況だから心配もいつもの倍以上だ。

美樹ちゃんが乗って帰ってきたチャリを貸してもらい、今度は俺がばあちゃんの家へ向かう。

さっき話していたのだが、プロパンガスが傾いているので、それを直せば使えるんじゃないか?ということだった。

到着すると、既にプロパンの傾きは直っていた。

ただ、どうやったら再起動するのか分からなかったようだ。

プロパンのそばにある説明を読んで、俺がボタンを押したらガスが付いた!!

これで『火』が確保出来た!!

家から離れているとは言え、ライフラインの1つが復活したのだ。

あとは『水』さえあれば、しばらくは何とか生きていける!!

これは大きな心の支えになった。

美樹ママの実家がすぐ近くにあったからこそ、何とかなったわけだ。

幸い汲み置きしてあった水があったので、それで米をといで御飯の準備をしてもらった。

もちろん、ガスコンロで炊くわけだ。

古い電気釜の内釜を使って炊く。

(ばあちゃん、さすが昔の人だけあって、上手に炊けた!!)

御飯の準備をしてもらっている間に、俺は一足先に家に帰った。

夜が近づいている。

夜になると活動が出来ないので余震対策を少しでもしておかないと!

食器棚やシステムキッチンの棚の取っ手を紐で縛り、モノが落下してこないようにした。

テレビもいちいち抑えないで済む様に紐でカーテンレールに固定。

脱出ルートを塞がないように、下駄箱も片っ端から紐で縛って開かないようにする。

準備OKだ。

 

まもなくばあちゃんが炊けた御飯と、冷蔵庫にあった豚肉を使った野菜炒め、鶏肉を蒸したの、漬物を持ってやってきた。

皿は洗えないので、パーティー用の紙皿にサランラップを巻いて使う。

汚れてもラップを取り替えれば何度でも使える。

暗くなってきたので、ロウソクに火を灯して晩御飯。

 「うっめー!!生き返るー!!」

さっきまで、『火』が無い状態を覚悟していたので、缶詰や御菓子しか食べれない覚悟を決めていた。

それが、こんな普通の晩飯が食えるとは!!

結構腹いっぱいに食べたが、御飯は多目に炊いてあり、明日の朝飯の分まであった。

おかずも明日の朝にまた食える。

とにかく何とかなった感・・・。

明日はとにかく『水』の確保だ。

綺麗な水はほとんど残ってないので、このままだと御飯も炊けなくなる。

生きていく上で『水』は絶対に必要なものだ。

晩御飯ですよ〜♪の美樹ちゃん。

 

まだ18時だったが、暗いし、携帯も繋がらないし、やることも無いので寝る準備。

すぐに日が暮れた。

和室が片付いて、押入れのものが飛び出さないように、押入れの中のレイアウトも工夫したので、美樹ちゃんとばあちゃんは和室で寝ることにした。

俺と美樹ママは、今日もコタツに寝る。

まだ2階で寝る勇気は持てない。

コタツも2人なら広々寝れるだろう・・・と思っていた。

寝る前に、ロウソクの灯りでメモを書き始めた。

震災が起きてからのアレコレを忘れないように書き止めておこうと思ったからだ。

キーワードがあれば、そこから記憶を辿ればいい。そんなメモで十分だ。

メモを書いた後、ばあちゃんが持ってきた新聞を見た。

こんな状況でも、地元の河北新報は枚数こそ減ったが新聞を発行していたのだ。

そこには目を覆いたくなるような恐ろしい写真が何枚も掲載されていた。

『津波』だ。

こんなデカイ津波は見たことが無い。

街が飲み込まれる瞬間の写真もあった。

身震いした。

俺のよく知っている街が、実際に津波の被害にあっているのだ。

皆、無事だろうか・・・。

沿岸部と言えば、松島自然の家も沿岸部。

県協会会長の木村さんも石巻。

阿部正一さんは気仙沼のすぐ近くの海沿いに住んでいる。

心配が尽きない・・・。

ひっそりと、そんな思いを胸に抱きながら、暗闇が恐いのでロウソクは付けたままコタツで寝る。

2人なら広々と寝れる・・・そう思っていた電気が付かないコタツは、とても冷え込んだ・・・。

何度も襲ってくる余震よりも辛い寒さだった。

 

Mar.13.'11.

晴れ。

寒かった。

4時頃揺れて目が覚めたが、それよりも寒さで先に意識が戻っていた・・・。

 『美樹ママ、俺の掛け布団奪ってるんじゃ???』

奪われていた。寒いわけだ・・・。

ダウンジャケットを着て再び寝る。

 『あ、これ暖かい・・・。』

7:30、外は明るくなったので活動開始。寒い・・・。

まずは犬のエサやりで、ばあちゃん家へ行く。

ついでに倉庫から水を入れる為のポリタンクを持ってくる。

そう、今日は水を貰いに行かなくては!!

そのまま給水場になっている・・・はずの体育館前へ。

昨日、ジャスコで話していた人達の話が本当ならここで給水出来るはず。

到着すると、結構人が並んでいた。やっぱ水がもらえるんだ!

8時から・・・のはずなのだが、一向に給水車は来ない。

 『うぅ〜。こんなことなら、もっと防寒対策してくれば良かった・・・。』

なるべく日向になるように並んで待つが、前に人が立って陰になっただけでも寒い。

寒そうにしていると、前に並んでいるおばちゃんがホッカイロをくれた。

 「もう、開けちゃって少し使ったやつだけど・・・。」

 「あ、ありがとうございます。」

あったかい・・・。ホロリ。

震災後、色んなトコで人の温かさを感じる。

皆、やさしい・・・。

並んでいると色んな情報が手に入る。

俺の前に並んでる夫婦と、その前にいるおじさんと、色々話した。

やはり昨日に引き続き、震災対策の感覚の差が思い知らされた。

ラジオを準備していたとか、色々盛り沢山で収納されている震災バッグみたいなのの存在も知った。

今朝の新聞も一緒に見た。

津波でエンドーチェーン(スーパー)が飲み込まれていく連続写真。

さっきまでそこにあった店の看板が、あっという間に無くなる。凄い光景だ。

テレビが見れない被災地の人にとって、こういう写真でしか海側の津波災害状況を知る術が無い。

新聞には、救援物資の情報など色々記載されている。

ウチはラジオも無いので、まさに新聞の情報が頼りだ。

でも、たいていは仙台の情報ばかり。古川の情報も書いてくれ〜。

それにしても給水車はどうなったのだろう??

一向に来る気配が無い。

少し離れた位置に並んでいる人が話している声が聞こえる。

 「鳴子(ダムがあるとこ)は出発したけど、渋滞で到着がいつになるか分からないんだってさ・・・。」

 『え〜??マジっすか??』

前に並んでいたおばちゃんが情報収集してきた。

 「先頭に並んでる人に聞いたら、今日来る保証は無いし、来ないと言う理由も無い・・・らしいよ。」

 「えぇ〜。それは困る・・・。どうしよう・・・。」

正直、このまま並んでいるべきか悩んだ。

既に10時近い。並び始めて2時間以上。ここでやめるのも、もったいない・・・。

もう少し待ってみることにした。

・・・。

・・・・・・。

・・・・・・・・・。

給水車、来ね〜。

 『もう帰ろうかなぁ・・・。』

諦めかけた、まさにその時!

後ろに並んでいた兄ちゃんの内の1人が叫んだ。

 「来た!!」

赤いタンクローリーが駐車場に入ってきた。

歓声が上がる!!

まさに救世主だ・・・。

行列に一気に活気が出る。

が・・・、列は長い。ここからが本当の行列だった。

さっきまでは、単に給水車を待つ集団。

こっからは水を貰う為に並ぶ人々ってわけだ。

徐々に前進するのだが、給水車が想像していたよりもかなり小さかったので不安になる。

 『この車でいったいどのくらいの水が運べるのだろう??』

 『俺の目の前で水が無くなったりしないのか?』

 『何だ?あいつ。漬物用のでっかい樽なんか持ってきて・・・。水無くなるじゃね〜か。そもそも底抜けるんじゃね〜の?』

給水車に近づくと、どんな仕組みになっているのか段々分かってくる。

蛇口みたいなのが、車の横と後ろにあって、それぞれから皆が水を汲む。

ペットボトルの人、タンクの人、桶の人、震災時用のビニール袋の人、色んな人が水を汲む。

30分くらい待っただろうか、ついに順番が回って来た。

俺の前の夫婦も、その前のおじさんも喜んで水を入れている。顔は真剣そのものだ。

自分の番が来た時、その気持ちが痛いほど分かった。

消防署の人達が一生懸命運んでくれた大事な水。一滴でも無駄にはできない。

でも、目一杯入れたい!!

俺はポリタンクと、初代CR-Vの頃に買った折りたたみ式のビニールタンクに目一杯水を汲んだ。

 『やった〜!綺麗な水だ〜♪』

こんなに水を大切に思ったのは何年ぶりだろう??

福岡に住んでいた小学校低学年の頃、断水になった時期があり大変だった。その時以来だ。

水って重たい・・・。

多分、単に重いだけではなく、色んな意味で重い。

まぁ、ホントに重かったわけで、車を持ってきて載せることにした。

前に並んでいた夫婦も同じ状態だった。

お互い気持ちが同じだったようで、

 「頑張って!!」

 「頑張りましょう!!」

と、ほぼ同時に言って別れた。

何か、ホントに見ず知らずの人と、こんなに強い気持ちでお互いを励ましあうのって凄い。

人間って強い。

体育館の前に水を求めて並ぶ人々。

これでも『大型』なんだぁ〜??

 

国道108号線は昨日より更に渋滞していた。

ガソリン渋滞はどこまで続くのだろう??

108号の渋滞を回避する車が裏道に溢れ、裏道も混雑し始めた。

普段通ったことがない人が、他の車について来ている様で、チンタラ走っていて迷惑だった。

何とか家に着いたら既に11:00になっていた。

やっと朝飯だ・・・。腹減った〜。

飯食った後は、食器棚を元の位置に戻した。

美樹ママが割れた破片をかなり片付けたのだが、食器棚は破片の上を前進していたらしく、元の位置に戻すと更に破片が出てきた。

強烈な地震で吹っ飛んだ食器棚の上の突っ張り棒も元の位置に戻す。

震度5強くらいであれば、これで十分だ。

しばらくすると、美樹ちゃんがばあちゃんと帰って来た。

そして、驚くべき事実を口にする。

 「水出るよ〜。」

 「昨日の夜から出てたみたいだよ〜。」

 『な、な、なにぃ〜!!!』

キュッキュッ!

ジョボジョボ・・・。

 「あ、ホントだ・・・。」

・・・って、俺の今朝の3時間半は何だったの〜??

だが、ペットボトルに入れてみると濁っていた。

そっか、何時間も並んだのは無駄ではなかったのね・・・。

飲む事は出来そうにない水でも、ちゃんと水だ。これでトイレもひと安心だ。心強い。

これでお湯が沸かせればなぁ・・・。

水が出たことで拭き掃除も出来るようになって、少し家の中がキレイになった。

朝から並んでくたびれたので、今日も車で少し昼寝することにした。

車の中はポカポカと暖かい・・・。

ふと、あることを思いついた。

 @水が出る。

 A日光でポカポカ暖かい。

 『これで、お湯が作れるじゃん!!』

昔、池ちゃんと全国行脚をやっていて、温泉が見つからず風呂に入れない日があった。

その時立ち寄ったどこかの学校で、ホースに溜まった水が日光で温まっているのを利用してシャワーにしたことがある。

全国行脚で培った『生活の知恵』だ!

早速、倉庫からホースを出してきて、ホースに水が溜まるようにして、しばらく待つ。

しばらくして、試しにちょっと触ってみると、ちゃんとお湯になっていた!

 『行けるじゃん!!』

家に入って短パンに履き替え、シャンプーとボディーソープを持ってきて、美樹ママが呆れるのを尻目にシャワー!!

 『あ〜、気持ちいい〜。』

頭を洗いたくて仕方が無かったので、すごく幸せな気分だった。

が、ホースに溜まっている水の量は僅かだった。あっという間に水が出てくる。

それでも、あとは泡を流すだけだし・・・。

ついでに身体も洗った。

もう、途中から水だったが、ポカポカ陽気だったので何とか耐えることが出来た。

ササッと身体を拭いて、慌てて車に飛び込む。

 『あ〜、あったか〜い。』

震災とは無縁の幸せな空間を味わうことが出来た。一瞬だけ、色んな嫌なことを忘れることが出来た。

温まって髪も乾いたところで、今度は洗濯もした。

何故かウチには、洗濯板があるんだなぁ〜。

一通り、着ていたもの一式をキレイにする。達成感あるなぁ。

 

ひと段落した後、美樹ちゃんに手伝ってもらいながら2階の書斎の片付けを始めた。

書斎は背が高い本棚が倒れ、中の本やらDVDやらが飛び出し、カラーBOXが完全に倒れるのを抑えてる状態だった。

部屋中に色んなものが散乱し部屋に一歩も踏み込めない状態からスタート。

まずは本棚の下敷きになっている本やDVDをかき出す作業から開始。

これをどかさないと、本棚を立ち上げることが出来ないのだ。

途中、棚を片手で支えながら、下敷きになっている本達を救出するハードな現場になった。

何とか、パッと見える部分を全部かき出し、本棚を起こすことが出来た。

余震でまた倒れるのも嫌だったので、本棚は横に寝かして使うことにした。

少し効率は悪くなるけど一番無難な配置だ。

今度は倒れてこないように重い本やアルバムを下の段に詰めていく。

いまだ、足の踏み場に困るほど色んなものが散乱していたので、中々作業ははかどらない。

暗くなってきたので、また続きは明日にすることにした。

そう、まだ電気はつかないのだ。暗くなったら、晩飯食って寝る準備をしなければ・・・。

 

夕方、ばあちゃん家でガスを使って湯を沸かし(湯、沸かせるじゃん・・・)、湯たんぽを作った。

ガスがあると凄い!

今日汲んできた水も運んで、魔法瓶にお湯を入れてきた。これで、食後に温かい飲み物が飲める!

コタツに湯たんぽを入れて、コタツの中に一枚布団を敷く。

これで、コタツも少し暖かくなる。

今日の晩飯は雑炊、おひたし、お煮付けだ。

これだけ食えれば十分だ・・・。

温かい雑炊は美味いね〜。生き返る・・・。

食後はインスタントのワカメスープを飲んだ。

ホッ・・・。

今日の晩御飯でぇ〜す!

 

さて、昨日コタツで寝て寒い思いをした俺と美樹ママ。

今日から思い切って2階のベッドで寝ることにした。

ただ、余震が恐いので、いつでも外に飛び出せる格好のまま、財布や携帯、車のカギなどはポケットに入れたまま寝る。

もちろん、メガネもすぐ取れる場所に置いておく。

手回し式の懐中電灯は、1階の和室でばあちゃんと寝ている美樹ちゃんに渡してある。

俺らは電池が切れかかった懐中電灯、もしくは携帯が唯一の灯りだ。

懐中電灯は美樹ママに渡してあるので、俺が階段上り下りしたり、トイレに行く時は携帯だけが頼りだ。

23:00、ふとトイレに行った時、携帯が光っているのに気付いた。

 『あ、電波が戻ってる!!』

そう、ずっと圏外だった携帯が復活していたのだ。

理由は分からない。

だけど、外界との連絡がつく状態になったのだ。

しかし、電波が通じた途端、今まで止まっていたMailが一気に受信されていた。

その数30件以上。

既に電池を消耗している。

MLでまとめて返信したり、それ以外の色んな人に無事ですMailを打つこと約1時間。

携帯の電池はかなり減ってしまった。

ヤバイ・・・。

でも、HPの掲示板とか気になり見てみる。

すると、中国からも心配して書き込みされていた。

確かにURL教えてるからなぁ〜。

でも、『この人も?』 と思ったくらい、中国人の許さんの書き込みにはビックリした。

日本人の人には結構教えたのだが、どこで調べたのだろう??

泣けてきた・・・。

文章を読んで涙がこぼれる。

あぁ・・・、皆、本当に心配してくれて・・・。

でも、携帯の電池は減る一方。ニュースも見たい。

さとちゃんが、ずっこけ♪メンバーがMLをバンバン使うことで、俺への受信がかさばらないように気を使って対応してくれていた。

Mailだと電池が消耗するので、緊急掲示板を立ち上げてくれたのだ。

これなら、皆のメッセージを見たい時にだけアクセスすればいい。電池は温存出来る。

言わなくても分かるのが助かる。

かゆい所に手が届く子に育った。

美樹ママが一言。

 「育ったね〜。」

全くだ・・・。

ずっこけ♪でアルテ始めた頃の、あのボンヤリして何考えてるんだか分からなかった さとちゃんとは大違い。

助かる!

とりあえず、中国にMailできないので、せめて掲示板に返事を書くことにした。

携帯で長文打つのに苦労する。

寒くて手が悴んでいるのと、節電モードにしているのでキーボードが見えないのとで誤字打ち直しが多い。

やっとこさ書いたら、電池の残量が本気でヤバイ感じになっていた。

が。

俺が書き込んで、世の中のニュースをサラサラッとチェックしている間に、俺の書き込みの上から、もっちゃんとおばばが書き込んだ。

 『おい!!せっかく人が苦労して打った文章の上に、今書く必要が無いようなこと書くなよ!!』

こういう所に気が回らないのが、この2人の悪いところだ。

周囲にお構いなしにしゃべくる性格がそのまま出て、すっかりいつもの調子だ・・・。

今はこちらが緊急時だということが、イマイチ実感として伝わっていない。

心配は心配でも、やはりどこか遠い空の下の出来事。

自分達はいつでも携帯の電池が減ったら充電出来るだろうし、何とも思わないのだろう。

こっちは充電すら、まともに出来ないのだ・・・。

 『何で、そういうのが分からないかな〜??』

あまりにも腹が立ったのでMLでバッシングMailを送る。

もう感情むき出しの文面。

とにかく、中国側が掲示板を見てすぐに俺のコメントが見つけられるように、もっちゃんとおばばの書き込みを消す。

そもそも、ここに書かなくても、さとちゃんが立ち上げた掲示板に書けばいいじゃん・・・。

ホント、アホだな。

だが、おばばはもっとアホだった。

「電池が無い!」って人が散々言ってるのに、『m(_ _)m』だけ書いた返信を送ってきたのだ。

これ以上返信するのは無駄以外の何者でもないので、電気が復旧したら絶対文句言ってやろう!と決めた。

ホントに腹が立った。

携帯の電池が切れたら真っ暗だ。地震が来て、逃げなきゃ行けない時、真っ暗では動きようが無い。

余震のアラームも鳴らなくなるし、重要な情報収集も出来ない。いざと言う時の連絡手段も無くなる。

そう、今の俺にとって携帯はライフラインの1つなのだ!!

こっちは『命』がかかっている。

普通のちょっとした地震があった後とは状況がまるで違うのだ。

そういう場に直面しないと、それを理解出来ないのだろう・・・。

何度も言うが、本当に腹が立った。

12:30、しょうもないMailのせいで、イライラしながら寝ることになった。

ただでさえ神経がピリピリしているのに・・・。

携帯の電池残量は20%を切っていた。電池表示は棒1本・・・。

明日、何とかして車で充電しなくては・・・。

 

Mar.14.'11.

晴れ。

6:00に起きた。揺れている・・・。

寒さのせいか、埃っぽいせいか、少し風邪気味だ。鼻水が止まらない。

あ、昨日外で髪洗ったせいかも・・・。

とりあえず濁った水での調理は嫌なので、もう一度水を貰いに行くことにした。

今日は防寒対策して行こう。

さとちゃんに、Mailや携帯電話で被災地の人の携帯電話の電池が無くなると言うことをメディアを通じて広められないか?を頼んだ。

俺以外にも同じ思いをしている人がいるはずだ。

これが上手く広まればいいなぁ。

ばあちゃん家に行き、調理用の水を置いて、犬にエサをあげてきた。

国道108号はもう大渋滞だ。

毎日、毎日・・・。

家に帰り話していたら、水は何とかしばらくもちそうだから・・・ってことで、今日の給水計画は中止になった。

 

108号の渋滞が尋常じゃないので、自転車で町内探索に行くことにした。

美樹ちゃんのチャリの方が機動性がいいのだが、美樹ちゃんがカギを持ったまま、ばあちゃん家に行ってしまったので、仕方なくボロチャリで行く。

108号の大渋滞の横を沢山のチャリや歩行者が進む。

古川って、こんなに人が多かったっけ??

何だか一昔前の中国の映像を見ているようだ。自転車天国♪

ホーマック(ホームセンター)はまだやってなかった。電池買いたい・・・。

あいのや(スーパー)はやってた。鮮魚とか入らなくなると思うけど大丈夫かな?今日は野菜とかも売ってた。すごい行列・・・。

ま、ウチは野菜は必要ないな。農家の親戚がいる家は強いなぁ・・・。

ここに来る途中、電気工事の車がいた。しかも何台も!

昨日、さとちゃんが送ってくれたMailに政府の指示で復旧や支援が強力に行われていると聞いた。

各地からの応援が続々来ていると言うのだ。

確かに、石巻方面へ向かう消防車とかに、北海道や青森の地名が書いてあったりした。

それ以外にもライフライン復旧の為に来てくれている人達がいるんだ!!

凄いな、日本人!助け合いだ!!

クレーンの下から電気工事の指示を出している人に話しかけてみることにした。

 『電線だけ修理しても、女川原発とか停止しているので電気は来ないのでは?』と思ったからだ。

だが、既にあちこちで電力は復旧しているそうだ。

凄い!ライフライン復旧の見込みがあるんじゃん!

何だか光が見えてきた感じだ!!

 『もう少し頑張れば・・・。』

そう思える瞬間だった。

各県から電気工事応援が来た!

 

次にヨークベニマル(スーパー)に行ってみた。

こっちも凄い列だ。

青空市なので何を売ってるのか見てみた。

俺の欲しいものは無いなぁ・・・。

水も食料もそこそこある。欲しいのは電池。あと、ガソリンと灯油だな。

ヨークの前のガソリンスタンドも凄い行列。

何km繋がっているのだろう??

後で分かったが、俺の家の向こうまでずっと続いていた。ざっと見でも5km以上確定?

帰り道、セブンイレブンが青空市を始めたとこだった。

まだ列が短いので並ぶ。ラッキー!すぐに買えた。

ラーメンが50円と言うのはいい。あとゴミ袋も買っておいた。こっちは300円。

値段の付け方が微妙〜。

セブンイレブンで青空市場が始まった!

 

帰宅した時、まだ美樹ちゃんは戻ってきてなかった。

ばあちゃんと、どこで遊んでるんだか・・・。

昨日の続きで書斎を片付け始める。埃がすごくて、目と鼻が大変なことに・・・。

美樹ママの親戚で(美樹ママのおばちゃん家)連絡取れない家があるというので、チャリで見てくることにした。

向かい風と埃で息をするのもきつかった。

途中から土手沿いに走ったのだが、地盤が緩いのか?地震で地割れしていた。

 『すげ〜、こんなになるんだ・・・。』

先に進めば進むほど地割れはひどくなる。

子供が2人、地割れに足を突っ込んで遊んでいた。

思わず叱る!

 「まだ余震が来るんだよ!足挟まれたらどうするの!!」

知らない子でも、ちゃんと近所の大人が叱ってあげないと・・・。

更に進むとプールの裏の道が大震災になってた。

淡路島に阪神淡路大震災記念館がある。そこで見た道路と同じだ。

地震のパワーって凄い。恐ろしい・・・。

 

おばちゃんの家はプールのすぐ近くだが無事だった。

でも、家の前の道路が液状化していて、門の扉が変形して開かなくなっていた。

とりあえず無事で、ほっ・・・。

美樹ママのいとこも勤務地が仙台だったので、震災の日に帰れたのか心配だったが、その日はたまたま休みだったそうだ。

良かったね〜。

米が玄米しかないそうで、精米機も電気が無くて動いてない。

米はばあちゃん家にあったはずだから、「後で持ってくるよ!」と言って引き返す。

チャリ大活躍だなぁ。すぐ空気抜けるけど・・・。

帰宅する頃には、108号線の渋滞は無くなっていた。

ガソリンスタンドの販売が終わったようだ。どういうシステムになっているんだろう??

家に自転車を置いて、車に乗り換えばあちゃん家に移動。

米を持っていこうとしたが、「昼飯にうどん作ったよ!」と言われたので食っていく。

 『はぁ〜、モノが食べれるって幸せだよなぁ〜。沿岸部の避難所では食べるものも無いだろうに・・・。』

うどん食べてすぐに、おばちゃん家に引き返す。

米を持っていったら、すっげ〜喜んでいた。

そりゃそうだろうな。良かった・・・。

 

家に帰り、再び書斎の片付けに戻る。

棚を横にしたので、どう考えても収納スペースが足らない。

い〜や、全部平置きにしちまえ・・・。

何とか形になったかな?

次は洗濯だ。

昨日より気温が低いので寒い。

でも、家の排水を浄化槽を通らないように捨てないと、浄化槽が溢れては困る。

必然的に洗濯は外でやらなきゃいけない。

寒い〜。

洗濯終わった頃には身体冷えきっていた。

とりあえず、車の中は暖かいので、しばし休憩。

ついでに、ちょっとだけエンジンかけて携帯充電しながらニュースを見る。

ぽかぽかだ・・・。

ニュースはどこも震災の映像だが、純正ナビはヘボ1セグテレビなので良く見えない。

 

しばらくして、ずっと家で片付けやってた美樹ママを連れて、瓦礫廃却に行くことにした。

おばちゃん家で聞いてきた情報で、旧合同庁舎跡地で回収しているそうだ。

食器類がかなりやられてしまったので捨てに行くことにしたのだ。

池ちゃんからもらった沖縄土産のシーサーも壊れた。

この前貰ったばかりの北海道土産のカエルさんもやられた。

池ちゃん、次から壊れないお土産にしてくれ・・・。

旧合庁跡地は瓦礫の山だった。

すげ〜。この地震でいったいどれだけのものが壊れたんだよ・・・。

家具もいっぱい捨ててあった。

ウチは家具は無事だった。ホント、被害が少なくてマシな方なんだろう。

思い出の食器を捨てる時、ちょっと切なかった・・・。

いつもスープを入れていた皿。トーストを載せたミッフィーちゃんの皿。

さようなら・・・。

捨てられる思い出の食器たち・・・。

各家庭から来た瓦礫の山。

 

帰りに本日3回目でおばちゃん家に寄った。

美樹ママにも震災の様子を見せようと思ったからだ。

おばちゃん家の前に車を停めてプール周辺の様子を見に行く。

野次馬だが、被害の様子を正確に知りたいという欲求は抑えられない。

さっきチラッと見たが、予想以上にひどかった。

この辺は地盤が緩いのだろう。おばちゃん家の前が液状化しているのも、そのせいか。

結構新しいマンションは基礎周辺のあちこちが隆起していて、プロパンガスのケースが傾いていた。

道路はもっと酷かった。

地割れ。

自動車が飲み込まれていた。

バンパーだけがガードレールに挟まっている車もあった。

本体はどこへ行ったのだろう・・・??

地面の断層が凄い。

震災の瞬間、ここを走っていた人達は生きた心地がしなかったことだろう。

自然の力の前に、人間は無力だ・・・。どんなに文明が発達しても、このパワーには圧倒される。

帰り道、更に寄り道して総合体育館の方へ。

体育館の破損や、中学校の破損など、美樹ママにも見せてあげた。

いったいこれから、どうなっちゃうんだろう・・・。

更にもう一軒の美樹ママのいとこの家に寄って帰る。

近くで電気工事してたが、まだ電気は復旧してないそうだ。

う〜ん、一瞬喜んだけど、まだまだ電気は来ないのかも・・・。

プロパンガスが入った箱が傾いているマンション。

バンパーだけがガードレールに挟まって残っている!

道路の地割れがひどい!!

何と、車が落っこちていた。この先にも1台。

ここを走っていた人、どんなに恐かっただろう??

地割れで出来た高低差。美樹ママと比較すると、凄さが分かる。

土手沿いの道もずーっと地割れ。

土管が2,3個崩れている。恐ろしい・・・。

中学校横の総合体育館前。地割れが!

中学校の校舎も段差になっている!!

 

帰宅後、美樹ちゃんはばあちゃんの家に夕飯の支度を手伝いに行っていた。

俺はポットに残ってたぬるま湯でぬらしたタオルで身体を拭く。

少しサッパリした。早く風呂に入りたいなぁ〜。

晩飯は、おばちゃん家で貰った麻婆豆腐もあり少し豪華。

親戚が農家だと野菜や米には困らない。これじゃ、買って来た非常食の活躍もいつのことだか??

何だかホントに被災地なのか?と思うが、どこも冷蔵庫の中身が傷む前に豪華な食事をしていたようだ。

沿岸沿いの被災地の人には申し訳ないが、そこに行く手段も無いし何とも・・・。

そもそも、残り物食べているだけなので、この生活がいつまで続くのか?によっては、ウチも危ないわけだ。

早く元の生活に戻りたいなぁ・・・。

明日から冷えると言う事で、今日は一瞬だけストーブをつけて少しだけ暖を取る。

御隣から灯油を一缶分けてもらったので助かる。

ただ灯油もいつ買えるか分からない。極力節約しておかなければ・・・。

今日も晩御飯食べたら早々に寝る。

電気つかないと、こんな生活にならざるを得ない。

会社のメンバーからMailが来たが、どこも似たり寄ったりな環境のようだ。

でも、2人は電気が来たそうだ。

とりあえず、しばらく見れないし、余震対策でテレビはこの状態・・・。

今日の晩御飯は麻婆豆腐もあるよ!

 

Mar.15.'11.

曇り。

空模様がヤバイ。

明日から雪だとか言ってたが、今日から降りそうな勢いだ。

6:00過ぎには起き上がり、外がまだ混んでいない内にもう少し広範囲で古川の街中を見てくることにした。

チャリだと強風で限界があるから、車じゃないと・・・。でも、混んでると燃費悪いので、様子見は早朝に限る(夜は真っ暗で見えない)。

国道108号にでると、ガソリンスタンド渋滞が既に始まりつつあった。どんだけだよ・・・。

古川駅方面へ向い橋を渡ったとこの信号は動いていた。

 「何だよ〜。信号無い生活も結構気に入ってたのに〜。」

って、一瞬思うのは勝手だな・・・。でも本音。

何個か信号が復活していたが、駅前の新幹線沿いまで行くと相変わらずの停電だった。

更にその先に足を延ばす。

警察署や病院周辺は電気が復旧していた。周囲の外灯が明るい。

警察や病院の電力復旧は分かる。優先だ。

でも、外灯はいらんだろう!!電力節電すりゃ〜いいじゃん・・・。

国道4号線も復旧が早いか?と思いきや、高速道路に繋がる108号との交差点のみで、他はまだ復旧していなかった。

それより、4号沿いのガソリンスタンドが凄い行列だった。

まだ7時前なのに・・・。いったい、いつから並んでいるのだろう??

一箇所ではなく、あっちもこっちも大渋滞だった。ひぇ〜。

途中で曲がって古川の街中に戻ってくる。

昔からある商店街付近の古い建物は惨憺たる状況だった。

車運転しながらだったので写真は撮れなかったが、テレビで言われている津波の被害の他に、地震の被害も相当だったことが分かる。

これは復旧に時間がかかるなぁ・・・。

『かむろ』と言う古川の観光地になっている場所も被害を受けていた。

国道108号が混み始めるギリギリ前に帰宅。

結構走ったので携帯も充電出来た。

電波が復活したせいなのか?気付くと電池が減っている量が多い。

今日から昼間は電源切っておくようにしよう。

帰る直前に見たナビテレビで福島原発の第2原子炉のニュースをやっていた。

大丈夫なんだろうか??

情報が少ないので、外にいてもいいのか?どうかも分からない。

またひとつ恐怖が増えた・・・。

 

7:30、電源が切られる前の携帯が鳴り出した。

余震速報だ!!

緊張が走る・・・が、秋田県沖だった。しかも揺れない。

う〜、頼むから自分らがホントにヤバイ時だけにしてくれないかな〜。

ドキドキ感がハンパじゃない。

今日から片付け業務が無い。結構片付いたからだ。

美樹ちゃんの部屋は散らかっているので、美樹ちゃんだけ片付けしている。

俺はディスク部屋を片付けなきゃいけないんだが・・・、埃のアレルギーが辛いので今度にする。

少し暇になったので、寒くなった身体を暖めようと美樹ママがエアバイクを漕いでみる。

すぐに疲れて挫折・・・。天気も悪いし、暇だし、寒いし、嫌だね・・・。

寒くて外にも出れず、やることがないので運動してみる美樹ママ。

 

外を眺めていたら、すぐ斜め前の借家の前に水道局の車が停まっているのが見えた。

なんと静岡の人だった!

静岡に行く予定だった俺が行けず、下手すりゃ一生宮城に来ることが無かったかも?の人が来ている。

震災って、多くの人の人生に影響を及ぼしているんだなぁ。

せっかく水道局の人なので、気になっていることを聞いてみることにした。

震災になってから、知らない人に話しかける機会が多い。

元々不得意ではないことだが、こんだけ短期間に色んな人に話しかけたことは無かったと思う。

聞きたいことは浄化槽のことだった。

水が復旧してトイレが流せたりするのはいいが、浄化槽はどうなっているのか?心配だったのだ。

静岡の水道局の人、いきなり質問されて、しかも素人の質問で意図も理解し難かっただろう。

何とか話が通じて得た答えは・・・。

浄化槽の中には微生物が生きている。

通常、電気ポンプでエアを送り、微生物達の生活環境が保たれている。

だが、今は電気が止まっているのでエアが送れていない。

長い時間その状態が続くと、微生物は死んでしまうそうだ。

長い時間がどれくらいか・・・?を聞きそびれてしまった。大丈夫かなぁ〜?

そう思った矢先、電気工事の車が108号線から曲がってくるのが見えた!

 『ついに、ここも電気工事か??頑張れ〜!!早くポンプでエアを!!』

・・・と、思ったが、後で近所をチャリで一周してきたが、電気工事の車はいなかった。

単に裏の方にある橋を渡っていっただけなんじゃん?

ガッカリ・・・orz

 

お昼はお餅。

ストーブの上で焼く。

こういう時だけストーブをつける。あったかい・・・。

天国だぁ〜♪

しかも、焼き係は俺。美樹ママは下手っぴなのだ。

ストーブのまん前なので顔まで火照る。

餅は震災の直前に、ばあちゃんがついたばかりだったので沢山ある。

ホント運がいい。

チーズは残り少ないので、細切れにして挟む。海苔は在庫があった。

うめ〜!

餅好きの俺にはたまらない。

ストーブで焼くこと自体、すごく懐かしくて嬉しかった。

飯食った後、2軒隣の今村さんがチーズケーキとパウンドケーキを持ってきてくれた。

会社が食品会社なので、貰って来れたそうだ。

ありがたや〜。

贅沢におやつが食べれちゃった!

石油ストーブで、お餅を焼く!

 

15:30、美樹ママが美樹ママ号で、ばあちゃんを連れて ばあちゃん家に行く。

放射能がどんくらいか分からないので、美樹ちゃんは留守番。

ばあちゃん家に置いてある美樹ママの持ち物の中に古い電話があると言うのだ。

昔の電話は、電気が無くても電話線が繋がっていればかかるらしい。

へぇ〜。知らんかった・・・。

で、いざ行こうとすると・・・、ガソリン消費を温存していた美樹ママ号のエンジンがかからない!

マジか〜?!

前にもこんな症状になったことがあったが、まさかこのタイミングで再発するとは・・・。

 美樹ママ 「ダメだ・・・。どうしよ?」

 たかちゅき♪ 「ちょっと俺にカギかしてみ!!」

俺が再チャレンジする。

車に乗り込むとルームランプが点いていることに気付いた。

セルも回っている。

バッテリーは生きてるんだろう・・・。

プラグなのかな?

根気良くセル回しながら、アクセルふかしてみる。

キュルルルルル・・・・。

キュルルルルル・・・・。

何か行けそう?!

 「今だ!!」

ブゥウォン〜。

やった!エンジンかかったじゃん!!

美樹ママ喜んで出発。念の為、向こうに着いてもエンジンかけたままにしておくそうだ。

確かにまたトラブっても連絡手段もないもんね。

16:00、美樹ママが電話を持って帰ってきた。

ホントだ!電源無くても使える〜!!

昔の技術ってすげ〜!!

とりあえず実家や俺のばあちゃんの家、あと色々対応してくれてる さとちゃんに電話する。

皆、連絡取れて(声聞けて)一安心・・・って感じだった。

実家の母親だけは、イマイチ緊張感かけてるというか・・・、何かずれている会話だった。

実感と言うか、イメージ出来ないんだろうけど、ちょっとなぁ〜。

まぁ、何て話していいのかも分からんのかも・・・。

とにかく、携帯じゃ話してられないが、この電話があれば!!

ただ、コードの接触が悪いようで微妙な体勢で話さないと途切れてしまう。

まぁ、贅沢は言ってられないな。

美樹ママやばあちゃんも親戚に電話しまくった。

昔の電話を引っ張り出す。電気無くても使える!

ばあちゃん、親戚に電話してみる。

 

19:30、いつものように晩御飯を食べて、真っ暗なので寝る。

小牛田方面で灯りが見える。

国の施設のようで、独自の発電システムでもあるのだろうか?

いいなぁ〜。

22:30、今日も余震で目が覚める。

反応が敏感なのが自分でも分かる。

携帯で調べたら、静岡の・・・富士宮で震度6強??

いっとくさん、大丈夫かな?

って、即掲示板に大丈夫だって書いてあった・・・。

今日来ていた静岡の水道局の人達、心配だろうなぁ。

せっかく助けに来てくれてるのに・・・。かわいそうだ。

頑張って!!

 

Mar.16.'11.

雪は積ってるけど曇り、時々雪。

起きたら外は雪がうっすら積っていた。

あ〜あ・・・、何でこんな時に雪が降るかなぁ〜。

しかも、放射能とかどうなってんのか情報ないのに、雪だって恐いじゃん。

雪が降って死ぬほど寒いかと思ったが、思ったほど寒くなかった。(もちろん、寒いのは寒い。)

ただ、沿岸部は困るだろうなぁ。避難所の人とか、どうなってるんだろう。

ストーブの灯油が無くなってきたのでポリタンクから給油する。

このまま寒い日が続くとヤバイなぁ、灯油・・・。

こんな天気だと電気の復旧作業も遅れちゃうんだろうなぁ。

そう言えば、震災前から左腕が痺れてたのだが、気候のせいか酷くなってきた。

辛い。

整骨院にも行けないしな〜。我慢するしかない。

本当だったら病院に行って検査してもらいたいくらいだが、今は病院がそれどころじゃない。

昼夜を問わず、沿岸部から救急車が走ってきている。

その人達が優先だよな。

湿っぽい雪が降った・・・。

 

昼前、JA(農協)の人が来た。

住宅ローンの借り換えの話があったのだが、震災で中断していた。

もちろん、銀行やJAも電気復旧してないので通常勤務できていない。

しばらく待って欲しいということを、わざわざ伝えに来てくれたのだ。

まぁ、ローンを借り換えする家が無事なのか?を見に来たのかもしれないが・・・。

ただ、この人がたかちゅき♪家の神様的存在になる。

JAだから、ガソリンスタンドもやっている。

試しにガソリンスタンドやってないか?を聞いてみたのだ。

答えはNOだった。ま、ダメ元で聞いたので。

ついでに灯油が無いか?も聞いた。これがヒット!!

灯油は細々販売しているらしい。今日もやっているかどうか、戻ったら確認してくれるそうだ。

多少並ぶかもしれないし、やってないかもしれないが、その時はすみません・・・と言われた。

これもダメ元だから仕方ない。

その後、アクアネット(浄化槽)の人が来た。

おぉ〜、皆復興に向けて動き出しているんだなぁ〜。

調査団の人達は浄化槽を確認して、「通常通り使用していても大丈夫です!」と言ってくれた。

さとちゃんから朝届いた調査結果では、1週間くらい大丈夫と書いてあったが、こうして現場確認してもらうと安心する。

やっぱり2週間くらいこのままだと異臭がするかもしれないそうだ。

まぁ、とりあえず震災5日目の今日はまだ安全領域なわけだ。

こうなると、少しでも早い電気復旧が望まれるなぁ。

 

お昼、コタツに潜り込んで転寝してたら、JAの人から電話が来た!

タイミングにより並ぶかもしれないけど、灯油売っているらしい!

 『やった、すぐ行かなきゃ!!』

場所は小牛田なのでちょっと距離はあるけど、そのくらいならガソリンは問題ない。

行ってみると並んでるのは1人・・・。

この震災始まって以来の超短い行列だ!!

 『やった、灯油GETだ!これで、しばらく安心できる。助かった〜。』

小牛田方面も古い家は崩れていた。

やはり今回の地震は桁違いだった感じだ。

灯油を買いに来たおばちゃんの話では、小牛田のホーマックは天井が落ちたとか。

洒落にならない。

利府のジャスコでも天井落下してきて子供が死んでいた。母親は重態。

ある日突然降って湧いた災害に多くの人が幸せな日常を奪われている。

小牛田の崩れた家・・・。

これも小牛田。車屋さんがペシャンコ。車が下敷きに・・・。

 

家に帰って携帯でネットのニュースを調べたら、18日を目処に古川中心に電気復旧させるとか。

もう少しの辛抱だ・・・。

でも、この天気で、このペースで本当に復旧出来るのかなぁ・・・。心配だ。

明日は晴れて欲しいなぁ・・・。

ばあちゃん家に晩御飯の支度をしているばあちゃんを迎えに行く。

また雪が降ってきた・・・。

今日は栗御飯だ。冷凍されていた栗が融け始めてきたので食べることになった。

栗が大量で、栗御飯と言うより、御飯栗だ・・・。

もう少し暗くなったら食べよう。

晩飯は栗御飯!

 

日が落ちかけた頃、ウチの家を建てたとこの社長がやってきた。

お見舞いで建てた家をまわっているそうだ。

 「電気は異常ない?」

って聞かれても・・・、電気来てないし。分かりませ〜ん。

石油給湯器の状態を見てもらった後、とりあえずブレーカーの状態を一緒に来ていた電気技師さんに見てもらうことになった。

長期停電時、ブレーカーは一旦全部オフにしておかなければいけないそうだ。

ほーほー、勉強になるなぁ。

電気が来た時のブレーカーの上げ方も教わった。

まず、でっかいのを上げる。これで落ちたらショートしてるそうだ。

次に漏電のを上げる。その後、漏電の横にある丸いボタンを押すと漏電のが下がる。

で、もう一回漏電のを上げる。

これで落ちるようなら、どっかで漏電しているそうだ。

後は、1番から順番に上げていく。

どっかが落ちたら、そこがショートしてるそうだ。

でも、すっ飛ばして他のを上げてもいいんだそうだ。

急に電気が復旧して漏電とかで火事になるケースが相次いでいる。

こういうの教えてもらうってのは、とても助かるね。

ついでに男手がいっぱい来たので、ずれていたピアノも元の位置に戻すことにした。

いや〜、1人では全然動かなかったけど、見事に元の位置に戻った!!

車輪止めも嵌め込んで、これで余震が来てもピアノがガタガタ言うことない。

何か、家の中が一気に復旧した気がする。

 

栗御飯を腹いっぱい食べて、今夜も就寝の時間。

夜中、電池の消耗を抑える為に電源切っていた携帯に電源入れた瞬間に電話が来た。

前の会社で一緒のグループにいた中尾さんだ。

もう随分前、俺が勤めていた頃に会社を辞めて大阪に引っ越していた。

奇跡のタイミングだなぁ〜。

久々だったけど、電池が無いので少しだけ話をして切った。

色んな人が、色んなとこで被災地の心配をしてくれている。

人の絆って、すごいな・・・。

 

Mar.17.'11.

雪。

天気予報に思い切りだまされた。

晴れって言ったじゃん!!

雪積ってるし、まだ降ってるし・・・。

これじゃ、外に出たら身体冷え切ってしまう。

明日の晴れも怪しいもんだ。また復旧工事が遅れるじゃん。

今日、冷蔵庫の中を確認したら臭いがした。ヤバイな・・・。

冷凍室のものも融け始めている。いよいよヤバイ。

とりあえず冷凍庫の食料を出してクーラーBOXに入れ、ばあちゃん家の冷凍庫に移すことにした。

多分、ウチでストーブとか使い始めたせいで冷凍効果が落ち始めたのだろう。

ばあちゃん家の冷凍庫はまだ凍っていると思う。後で持って行こう。

もう少しで電気が戻ってきそうなのに、ギリギリ間に合わずに冷蔵庫のモノがダメになっていく・・・。

言いようの無い歯がゆさ、悔しさ・・・。

あと少しなのに・・・。

 

今日は久々にゴミ収集車が来た。

何日か前、ゴミの収集は来週まで無いという話を聞き、ゴミ回収箱を紐で縛った。

ビニールに入れた張り紙に各家庭でゴミは保管するように書いた。

昨日あたりに紐が切られ、ゴミがぶち込まれていた。

やはり、皆勝手なのだな・・・と残念に思っていた。

でも、少しの間でも持ち応えたのだから、ゴミ回収箱縛ったのは無駄ではなかったかもしれない。

ところが今日サプライズでゴミ収集車が来たわけだ。

良かった・・・。

しっかりウチのゴミも持って行く。ギリギリセーフ!!

 「ふぅ・・・」って、戻ってきたら、美樹ママに 「ここにもあったのに・・・。」と言われた。

 『いいじゃん!1個出せたんだから〜。』

 

雪は降ったり止んだり。

ばあちゃんは暇なようで、家に帰り何かをするようだ。

載せて行き、ついでに冷凍庫にクーラーBOXに避難していた食材を詰める。

ばあちゃん家の冷蔵庫は、凍らせた筍や栗、餅がたくさん入っていた。

この凍らせた筍というのが凄い!

全然融けないのだ。なんだろう?繊維組織構造とか、そういうのかな?

とにかく冷凍庫に入れてたアイスノンとか溶けてるのに、筍が融けてないのが印象的だった。

ウチの冷蔵庫にいたものは、この筍達に守られて再び凍ることになった。

 

家に帰り、ゴロゴロする。

天気が悪いと何も出来ない・・・。

大分生活が落ち着いてきたせいか、コタツに入るとウトウトした。

あぁ・・・、電気が復旧してればテレビとかビデオでも見れるのに。

パソコンも使えないし・・・。

気付けば昼。

今日のお昼は融けかかったウインナー救済企画でチーズフォンデューだ!

でも具が無い。

あるのは、せいぜいニンジンくらい。

美樹ママが、「あ!セロリもあるよ!!」って・・・、セロリはチーズフォンデューに合わんやろ〜!!

ま、そんなだったけど、3人でストーブ囲んでワイワイ食べるのは、少しだけ楽しいイベントだった。

少し物足りなかったので、残ってた栗御飯食べて、イカの足をストーブで焼いて食べる。

う〜ん、節約生活・・・。

ストーブでチーズフォンデュー。具無いですけど・・・。

 

今日はさとちゃんが会社に出社しているので、特に情報もなく・・・。

世の中どうなってるんだろう??

原発はどうなったんだろう??

ナゾ・・・。

夕方、少し晴れたので、寒かったが近所をチャリで調査してきた。

電気工事は・・・やってる様子無い。

工事車両は一台もいなかった。

古川駅方面、橋の向こう側は結構やってたんだけどなぁ・・・。復旧も進んでいるようだし。

こっちはいつになるんだろう?

もしかして、橋のこっち側は古川だと思ってないんじゃない?

はぁ・・・。

 

16:30、日暮れ前に味噌と大根をおばちゃん家に届けに行くことになった。

ついでに携帯を充電してもらう。おばちゃん家は昨日の夜に電気が戻ったそうだ。

部屋には電気が・・・。

コタツが・・・。

テレビが・・・。

温かいお湯が沸かせて、お茶を入れていた。

いいなぁ〜。

 

帰ってきて、ばあちゃんを迎えに行く途中。

 「あれ?外灯点いてない?」

気のせいかと思った。

ばあちゃん家は小牛田との境界線に位置している。

そっちの方が復旧が早いのか?

とりあえず、ばあちゃんを乗せた後、急ぎ家に帰る。

やはり近所の外灯が点いている。

隣の家も電気が・・・!!

皆でバタバタ家に入る。

手順どおり、ブレーカーを上げていく。

ドキドキの瞬間!!

 「うおぉぉ〜!!電気が点いた〜!!」

 「電気が!」

 「テレビが!」

 「冷蔵庫が!」

 「浄化槽のポンプが!」

 「生き返る〜!!」

一番の課題は、石油給湯器がちゃんと動くのか?だった。

美樹ママが叫んでいた。台所でお湯が出たらしい!

・・・ってことは、壊れてない。

ただ風呂はしばらく上手く動かなかった。

何回かエラーメッセージが出る。

説明書見ても良く分からん・・・。

多分、水抜きしたりしたのと、水が汚れていてフィルターが詰まっていたのかもしれない。

しばらくして、やっと風呂が準備できることが分かった。

少々水が汚れていたが、そんなもん関係ない。

とりあえず風呂が沸かせたわけだ!

やっと、やっと風呂に入れる・・・。

その後、すぐにばあちゃん家にも行き、電気が来てることを確認!

一気に生活が戻ってきた!

パソコンもつなぐ!

最初ネットに繋がらなかったが、再起動してみたら繋がった!!

 『はぁ〜。ライフライン復帰だぁ〜。』

 『電気工事してくれた遠くから来てくれた人達、本当にありがとう!!助かりました!!』

うれしい・・・。ホントにうれしい・・・。

長かった・・・。

 

やっと・・・の状態だったとこに、会社から電話が来ていたのに気付く。

もう復旧活動を始めるそうだ。早・・・。

通勤はガソリンが無い人だらけなので会社が手配したバスを使うとか。

とりあえず明日は勘弁してもらった。だって、今電気が戻ったばかりだし。

土曜からの3連休も返上で復旧活動するらしい。

流石にそこは行かなきゃなぁ〜。また大変だ・・・。

電気キター!!美樹ママが死守したテレビついたー!!

何とかライフライン繋がって、ホッと一息・・・。無精ひげ。

 

Mar.18.'11.

晴れ。

電気が戻り、一気に平和な生活が来た。

片付けも本格化する。

そう、掃除機が使えるのだ!

これは大きな進歩だ。

今までは割れた食器の破片がどこに潜んでいるか分からない心配があった。

もう少し、もう少しで元の生活が来るのだ。

電気が復活したと言っても、節約生活の名残が残っている。

いかに、今まで無駄に電器や水道を使っていたのかが良く分かる。

当たり前にあるもの・・・それがなくなった時、人は本当に大切なものに気付く。

今回の震災での生活は、色々なことを学ぶ場になったと思う。

それもこれも、生きていればこそ・・・だ。

津波にのまれた人達のことを思うと、居たたまれない気持ちになる。

まだまだ余震が続く。油断は出来ない。

余震対策で縛ったままの食器棚の扉。

食器棚から避難している食器。

 

今日は美樹ママの親戚のみさこちゃん(叔母さんなのだが)一家が来た。

まだ水道が復旧していないそうだ。時間かかるらしい。

風呂はいる代わりに白菜をいっぱい持ってきてくれた。

ありがたいね〜。

今は野菜も手に入らない。この前キャベツが500円だったとか。

大変な状況だ。

ばあちゃんは今夜はみさこちゃんの家に泊まりに行った。

ガソリン給油出来そうな情報が入ったのだ。

明日会社じゃなければ俺も・・・なんだが。

 

陽が傾きかけた頃、美樹ママと美樹ちゃんを連れて古川の街を見に行くことにした。

美樹ちゃんは結構外を出歩いてないので、震災の被害をよく見ていない。

しっかりと、この災害の現実を見ておく必要があると思ったからだ。

ガソリン残量を考えて、美樹ママ号で街を周る。

よく見ると、本当にあちこち大変なことになっている。

古い建物が多い古川駅前商店街は大変な状況だ。

俺の知ってる店もかなりやられていた。

一方で、復興に尽力する人達の姿も多く見られた。

他県からたくさんの人達が応援に来ている。

自分の仕事もあるだろうに、本当に頭が下がる思いだ。

ケガしないように、がんばって下さい!

いつもコンタクト買うところも崩れている。

壁が落ちていて、立ち入り禁止になっている。

崩れて店が開店できない状況・・・。

駐車場の横。壁が・・・。

赤い紙を貼られた建物は危険という意味。

3階からも壁が落ちている・・・。建物も崩れそう。

壁が倒れたガソリンスタンド。こんな景色が多い。

電気工事の復旧活動もあちこちで・・・。

とても重そうな壁が落ちている。人が下にいたらと思うと・・・。

傾いた家を崩すショベルカー。

古川駅近く。建物の1階が倒壊。

美樹ちゃんの中学校の給水タンク。傾く。

古川駅下の駐車場。管が車に落ちてグシャリ。

 

夜、久々におばばと電話で喋った。

45分の長電話・・・。

あぁ、少し現実に戻った気がする。

明日からは会社の復旧だ!

 

Mar.19.'11.

晴れ。

今日からの3連休、会社の復旧活動だ。

朝は古川駅からバスで出勤。古川駅まで歩いていかなければならない。

初日・・・、絶対間に合わない時間だったので、美樹ママに送ってもらう。

明日からは、ちゃんと早起きして歩こう。

駅前もひどい状況だった。

バスターミナルの前の歩道はボコボコ。

駅も立ち入り禁止だ。

古川駅前。歩道がボコボコ。

会社が手配した観光バス。

 

会社の作業は、今までいた建屋から社内の道路を挟んだ隣の建屋への引越し。

震災時に崩れた環境から、今まで使ってなかった建屋の移動。

問題は山積みだ。

建屋を行ったり来たり、重いものを持ったり、あれこれ・・・。

引越屋のバイトでオフィス移転の経験はあったが、内容が違いすぎる。

くたくただ・・・。

旧建屋の中の惨状は、改めて見ても酷かった。

よく皆無事だったな。

エアコンの送風口みたいなのが落ちてきていた。

すぐ下に電気を通電するレールがあったので、落下は防げていたが・・・。下にいた人はたまらんな。

あの日見る間もなく避難したが、外壁が落ちた場所も凄かった。

ぱっと見は窓だ。でも穴が開いている。信じられないな・・・。

防火扉も倒れていた。俺の席のすぐ近くの扉は閉まらないし・・・。全然役立たずだなぁ。

会社の天井。エアコン送風口がボトリ!

壁が落ち穴が開いた外壁。窓ではない。

倒れた防火扉。これでは意味が無い・・・。

 

お昼は皆で日向ぼっこしながら家から持ってきたオニギリを食べる。

完全にドカタ仕事のバイトの昼休み風景だ。引越しバイトを思い出した。懐かしい・・・。

皆でお互いの家の状況などを話す。

サトルの家は海側の多賀城。

テレビで放送されている通り大変だったそうだ。

家族は車で小学校へ避難。

最初は体育館に入ったらしいが、ここはダメだということで校舎へ移動。

見る見る内に水が迫ってきて、校舎の3階から車が浸水するのを見ていたそうだ。

かける言葉もない・・・。

家はギリギリで無事だったそうだ。

近くにあるキリンのビール工場からコンテナごと飲み物が流れてきたりしたらしい。

想像できない・・・。

 

午後からの仕事もハードだった。

エレベーターに載せられない設備は、クレーン車で吊り上げてもらったりもした。

ホントにハードな引越だ。

明日も明後日も、まだまだ運ぶものが山積みだ。

作業・・・、いつまで続くんだか。本当に終わるんだか。

皆、不安だ。

クレーンで生産機材を隣の建屋に搬入してもらう。

 

作業は17:00で終了した。

が、帰りのバスは19:00で手配されているんだとか。

帰る手段がある人は帰宅OK。

それ以外の人は残ってもう少し頑張ることになった。

俺は近所に住んでいる早坂さんの車で帰れることになった。

ありがたい・・・。

この後も何日も早坂さんの車で送ってもらうことになる。

 

家に帰ると、汗でベトベトになり、埃まみれになった身体をシャワーで洗い流す。

まだ風呂に入れない人がいっぱいいる。

その人達はホント大変だ。俺は運がいいほうだ。

そんな状況で申し訳ないとは思ったが、震災後初めてビールを飲んだ。

肉体労働の後の一杯・・・。

懐かしい味がした。

 

夜、そこそこ早く帰ったのでPCに向かおうか・・・と思ったが、疲れも結構だったし、左腕の痺れが激しいのでやめた。

明日からも肉体労働だ・・・。

被災地で頑張ってる人がたくさんいる。

もっと苦しんでいる人達がいる。

まだ連絡が取れない人がいる。

俺も負けられない。

明日からも頑張ろう!!

 

Mar.24.'11.

晴れ。

仕事中に携帯に留守電が入ってるのに気付いた。

高校時代の友人からだった。

 「郵便局が使えるようになったから、支援物資を送るから・・・。」

で、途切れていた。

いやいや・・・、ワケ分からんもの送られても困るし!

電話すると、まだ送ってなかった。

送らなくても大丈夫だと伝えて、久々のアホなやり取りをして電話を切った。

今回の震災で、ながらく音沙汰が無かった人からバンバンMailや電話が来る。

こんなことでもないと・・・なんだけど、連絡が付くってのはいいことだね。

 

今日の昼休み、思い切って宮城県FD協会の会長木村さんに電話した。

木村さんの家は石巻。

震災でどうなったか分からなかったが、結果が恐くて今まで電話できなかったのだ。

木村さん、3回くらい鳴らした後に出た!

 「良かった、無事だったんですかぁ〜。」

思わず涙が出て、腰が砕けた・・・。

家は地震で全壊だそうだ。何も出来ない。

でも、生きてただけでも良かった。

長電話も申し訳ないので、あまり話さなかった。

でも、ホントに安心した。

気仙沼方面の協会員の阿部正一さんは、地域的に電話線が途切れているようで電話が通じなかった。

無事だと良いのだが・・・。

 

Mar.25.'11.

晴れのち雪。

今日は美樹ちゃん達が学校横の体育館に集合させられたそうだ。

もちろん中学校からの呼び出し。

破損がひどい中学校の校舎はもう使えないらしい。

今後どうするのか?すら決まってないそうだ。

決まってから呼び出せよ・・・って感じだけど。

今年は美樹ちゃん受験生。

でも、学校始まりませんけど・・・。

 

あぁ〜、明日も出勤だ・・・。

会社、早く立て直したいのも分かるけどさ。

皆、被災者なんだからさ。

休憩したいよね。

 

Mar.27.'11.

晴れ。

今日は久々の休み。

最近バタバタしてたから、何かホッとして10時まで寝てしまった。

今日はジャスコへ買物に行こうって言ってたのに・・・。

急いで準備して一家で出発。

別に崩れているわけではないが駐車場は半分に仕切られていた。

そして人の行列・・・。

なんじゃこりゃ??

通常営業と言いつつ、中に入るのを制限されている。

やっぱ、もっと早く来ればよかった。

イオン(ジャスコ)の行列・・・。

40分以上並んでやっと入れた・・・。

 

ジャスコの中は、一見復活しているように見えたが、実はそうではなかった。

野菜コーナーは比較的充実。

でも、豆腐や納豆、うどん、蒲鉾などの加工食品売り場はすっからかん。

鮮魚コーナーは冷凍された魚のみ。

いつも刺身が置いてある場所にはビールなどのアルコールが置いてあった。

肉は比較的ある方かと思ったが、ウインナーやソーセージは殆ど無く、お一人様一袋だった。

牛乳は買えず。

乳製品はマーガリンなどは売り切れ。バターが若干残っていた。

パンのコーナーは比較的ものがあったが、食パンは1人一斤だそうだ。

お菓子もすっからかんで、チョロチョロと置いてある程度。

ジュースは比較的品揃えがいい感じだった。

やっぱり全体的に物が不足しているのが良く分かる。

ガスボンベ売ってたので買っておいた。これで、いざと言う時も安心だ。

1階の店舗はマックとミスドをのぞき、ほぼ全部開店していた。

メガネ屋さんも開店してたので、震災の時に変形したフレームを直してもらった。

自転車屋さんを見たが、値段が思ったより高かった・・・。

震災で傷ものになり2,000円引きって書いてあったけど、もとが高いじゃん・・・。

 

帰りにあいのや(スーパー)にも寄った。

こっちは並ぶ程ではないが、店内に人が溢れていた。

更に品物が無い状況。

ちょろっと追加で買物して帰宅。

う〜ん、まだまだだなぁ〜。やっぱ、まずはガソリンが普通に買えないとね〜。

あいのやも開店!頑張れ!地元スーパー!!

 

Mar.28.'11.

晴れ。

今日、実家から救援物資が届いた。

別にこんなに送らんでも・・・って感じなんだが。

でも、『ごはんですよ』とか『マーガリン』は、ホントに手に入らないので助かる。

食パンも4斤も入ってた。そんなに食うか〜?まぁ、ありゃあ食うな・・・。

『子持ち昆布』とか『どらやき』も、ちょっとうれしいね。

もうじき、色々回復するとは思うんだけどね。

実家から送られてきた。

 

PCつけてMailを見ると、CLUB Jr.の社長から、ガソリンと水と米を持って週末に向かいます!的なMailが・・・。

いやいや、ちょっと待って〜!!

米も水もあるよん。

ガソリンも週末になれば何とかなるかも。

ってことで、慌てて電話する。

最近、友人からの支援物資連絡が多い。

でも、俺のトコは比較的まともなので大丈夫。

沿岸沿いの避難生活を送っている人達に少しでも・・・だ。

 

23:00頃、携帯みたら圏外になっていた。

アンテナ基地に何かあったんだろうか?節電??

震災直後の圏外だった時期を思い出して、ちょっと不安になる・・・。

明日は誕生日だ。

まさか、30代最後の誕生日をこんな形で迎えようとは・・・夢にも思わなかった。

 

Mar.30.'11.

晴れのち曇り。

今日はCLUB Jr.の遠ちゃんから支援物資が届いた!

CLUB Jr.と言えば、支援物資はもちろん・・・DISCですネ!

行けなかったDream Cup。もし、行っていたら買ったであろうDISCが送られてきた。

そして、震災後にバス通勤してて紛失してしまった俺のネックウォーマー(赤)。

その話を聞いて、ネックウォーマーも送ってくれた。もちろん赤!

遠ちゃん、ありがとう!!

実は、他にも色々と皆から気を使ってもらってる。

みんな、ホントにありがとう!!

遠ちゃんからの支援物資〜!!

Dream Cup記念ディスクとネックウォーマー!!

井上雄彦(スラムダンクの作者)の被災地応援の絵入り、遠ちゃんメッセージ!

 

Mar.31.'11.

雨のち曇り。

いまだガソリン給油がままならない宮城県。

今日帰る前に美樹ママからMailが・・・。

近所のガソリンスタンドで整理券を配るらしい情報が入ったのだ。

18:00から・・・ということだったが、警察の許可が下りなかったらしく時間変更になったようだ。

結局、20:00から整理券を配ると言う情報が来て、並びに行くことにした。

19:50、無事列に並んだ。

そして〜!

ついにGETだぜ、整理券!!

わぁ〜い♪これで明日から車通勤だぁ〜♪

整理券GET!!

 

そして〜。

神戸のよしべぇ&ま〜ぼう&やんま〜から支援物資が届きました〜!!

水、サランラップ、立体マスク、保存がきく牛乳、充電電池、スマートフォン用充電器(う〜ん・・・、俺の携帯に合わない気がする・・・)、

のど飴ちゃん、神戸の御菓子♪(俺的にはとっても懐かし〜!)、そしてPremium人間用ガソリン!!

すげぇ〜。何か、申し訳ないなぁ〜。

ありがとう。感謝感謝です!!泣けてくるね・・・。

『こんなに毎日のように支援物資が来たら、たかちゅき♪家は避難所になってしまうのではないか??』

と、思う今日この頃でした・・・。

よしべぇ、ホント震災中も色々とありがとね!

さて、明日は給油出来る事だし、俺も給油するかな??

早く皆と飲みたいなぁ〜。

ずっこけ♪神戸組からの支援物資!!

いいねぇ〜、人間用Premiumガソリン!

大きなパック牛乳は品・・・って、それは送れんでしょ〜。『品薄』?『品 簿』??アレ??

美樹ちゃん、大喜び♪の上品な御菓子!

 

Apr.1.

晴れ。

いまだガソリン給油がままならない宮城県。

昨日、整理券GET出来たので、今日は給油が出来る。

せっかく給油出来るので、その前に東松島市の震災状況を見に行くことにした。

何が出来るのか?は現場を見てみないと・・・と、思ったからだ。

当然、今日も会社なので早朝に行く。朝5時に出発した。

早朝出発。もうすぐ夜明け。

 

道中、多少の凹凸はあったが走れないレベルではなかった。

いつも通る道を走り奥松島へ向かう。

途中、鳴瀬川を見ると、川に流木がいっぱい溜まっていた。

海側から押し流されてきたであろう流木の数はもの凄かった。

こんなところまで?

 『河口から5km以上はある。』

しばらく進むと、川の土手にゴミがたくさん付着しているのが見えた。

 『こんな高さまで水かさが増したのか??』

通常、大雨の時でも考えられない量だ・・・。

河口から2kmちょっとの鳴瀬大橋を過ぎたあたりで景色が一変した。

さっきから田んぼの色が変だな・・・と思っていたのだが理由が分かった。

海水がここまできたのだ。

田んぼは瓦礫だらけ。車もひっくり返っていた。

凄い量の瓦礫だ。

自分の表情が曇っていくのが分かる。

自然の家周辺は、いったいどうなってしまったのか?

もはや、答えは目に見えていた。

見えている景色がおかしいのだ。

どこを見ても、瓦礫、瓦礫、瓦礫・・・。

家は半壊、全壊だらけ。

電柱は倒れ、自慢の松林も・・・。

言葉が出ない。

本来、俺が行くルートは道なりに行くと海岸沿いの道に出る。

自然の家に行く時には一本内側の道を通る。

が・・・、海岸沿いに行く道が、瓦礫と倒れた松の木ふさがっているのだ。

そして一本内側の道は・・・、目を覆いたくなるような光景だった。

そこにあるべきはずの松林が途切れていた。

道路沿いにあるはずの民家は基礎のみ残し姿を消していた。

いつもは近くまで行かないと姿が見えないはずの、かんぽの宿やユースホステルが丸見え。

しかも、建物は残っているが、中はメチャクチャでガラスも割れている。

塀だけが残っている民家・・・。

 

自然の家の方へ行く道の最後の十字路には、「緊急車両以外立ち入り禁止」と書いてあった。

 『緊急だよ・・・。』

十字路を右折するとあるはずの店は無かった。

左折すると海に出るはずの道は塞がっていた。

直進すると見えてくる公園は、体育館とトイレの建屋を残し、その他は砂浜になっていた。

そして・・・、自然の家は海の向こうに、見えるはずの無い本館建物が見えた。

海の中を細い道が繋がっていたが、渡って大丈夫なのか?不安になるような構造だった。

この時間、誰も通らないのにトラブったらマズイ。

残念だが今日はここで諦めることにした。明日また来よう。

だが、この景色はなんだ??

俺の知っている野蒜海岸の景色は、そこには無かった。

自然の家の手前にある公園の丘の上に長い滑り台がある。それは残っていた。

周囲を見渡そうと、車を停めて登ってみた。

北側海岸線は、あるはずの松林が消えてしまった野蒜の海があった。

南側海岸線は、地形が変ってしまっていた。海が広くなり中道がある・・・。

こんな景色じゃなかったのに。

海?の向こうに自然の家本館が見えた。

帰宅する時に見るはずの光景。松林が消えている。

松林が消えた北側海岸線。

道が海の中を・・・。南側海岸線。

 

帰り道、車を道路脇に停めて、砂浜のそばの堤防まで歩いていってみた。

途中の松林はたくさんの松が押し倒されていた。

看板や道路標識も倒れ、海岸沿いの道はアスファルトはめくられ、砂に埋もれていた・・・。

堤防に上がる階段の下は砂が奪い取られ、階段が浮いていた。

堤防の上から見た海岸線は、いつもの浜辺と差は無かったが、堤防より内側は景色がまるで違っていた。

俺の知っている野蒜海岸は、そこには無かった・・・。

ほんの一月半前に来たばかりだったのに・・・。

ただただ、目から涙が溢れる光景だった・・・。

かんぽの宿。通常、松林で見えないはず。

たくさんの松の木が倒されていた。

堤防から見た野蒜の海岸沿い道路。

半壊した家屋。周囲は瓦礫の山。

本来田んぼがあった場所。瓦礫の海。

 

帰り道、石巻方面へ向かう45号線を通った。

道路は走れるようになっていたが、路肩は瓦礫と泥の山だった。

田んぼは瓦礫と塩水が残っていた。車の残骸もたくさんあった。

矢本町の街中まで来ると、被害が少ないようだった。

とにかく45号線より海側がヤバイ。

時間もなかったので、石巻港I.C.付近で古川方面へ向かうことにした。

きっと、この先の被害は大きいのであろうことは、テレビの中継で知っていた。

この辺は信号も停電で止まったままだった。

 

7時過ぎ、古川の自宅の前を通過して、昨日整理券を貰ったガソリンスタンドへ。

全然並んでないね・・・。

無事、難なく給油。

CR-Zもやっとお腹いっぱいになった。良かったね・・・。

一旦家に帰り、朝食をとってから出社。少し眠い。

ガソリンスタンドに到着!!

念願の給油ですよ〜。

 

仕事はバタバタとした1日だったので、眠いなんて言ってられなかった。

残業に入り、気分転換に1階までコーヒーを買いに行く時、留守電に気付いた。

みちのく公園からだった。

電話すると担当者の人は既に帰宅。

代りに以前お世話になった上長の方と話した。

みちのく公園も地震の被害で休園中らしい。園内の道路が何箇所も破損しているそうだ。

当面の間は休園になるので、4月に予定していたディスクゴルフイベントも中止にしたそうだ。

この状況では当然だよね・・・。

 

CR-Z出社にした早々で残業・・・。

まぁ、車があるから残業したわけだが・・・。

新しい環境で暗い中ポツンと残業するのは寂しいと言うか、不安な気持ちだった。

しかも、それを狙ったのか?デカイ余震が襲ってきた。

 『も、もう帰ろうかな〜。』

あとちょっとってトコだったので、マッハで仕事を片付けて帰宅した。

 

Apr.2.

晴れ。

今日は、自然の家の様子を見に行くことにした。

自然の家の事務所は、東松島高校の武道館に仮設置されているそうで、差入れ持って行こうと言うことになった。

美樹ちゃんは狭そうだったが、ナビがあった方がいいだろうってことでCR-Zで出発。

行く前にヨークベニマル(スーパー)で買出しして行った。

 「凄い!」

この一言に尽きる。

品揃えが数日前とはまるで違う。

魚も各地から取り寄せて並べてある。肉もある。お菓子もある。牛乳もある。

天井や壁は至るところが破損していたが、立派に営業していた。

感動した。

東北、頑張ってる!!

 

昨日と同じ道を通り、松島自然の家に向かう。

途中から景色が変わり、美樹ママも美樹ちゃんも言葉を失っていた。

 『美樹ちゃんに、この景色を見せるのか?』

・・・は少し悩んだが、見せることにした。

自然の力の恐怖を目で見て記憶して欲しかった。

今日は昨日とは違い何台も車が走っていたので、松島自然の家の前まで海ノ中道を通って行った。

前にミニパトがゆっくり走っていた。

風が強かったので、中道に波が押し寄せてきていてドキドキした。

もう少し早く走って、さっさと陸地っぽいトコに着きたかったからだ。

 

自然の家の入口があった場所に車を停め、美樹ママにKEYを渡した。

 「(敷地の)中を見てくるから、何かあったら逃げて・・・。」

大きな余震が来たらここは危ない。

いつ津波が来てもおかしくない場所にいるのだ。

そういう危険な場所に家族全員で来たことを少し後悔した。

でも、俺だけは中を見てこなくては・・・。

 

門があったはずの場所には石碑の土台だけが残っていた。

門は吹っ飛んでいる。

そもそも、ここからは木々で見えないはずの本館が見える。

知っている場所であって、知らない(あり得ない)景色なのだ。

入口はいってすぐに、海の一部と化した大きな水溜りがあり、軽く飛び越えなければ向こうに行けなかった。

でっかいアスファルトの破片がここまで流れてきている。

海岸沿い道路のものだろうか?

水を飛び越えて進むと、かつて駐車場のスペースだった場所と分かるポールが残っていた。

電柱、木、全て横たわっていた。電線が至るところに這っている。

歩くのにも足の踏み場を探しながら・・・の場所もあった。

自然の家入口。水浸しの 奥に見えるはずの無い本館が見える。

 

本館前に辿り着いた。

1階の窓は全て割れていた。建物は立ち入り禁止になっていた。

確かに入れる空気ではない。

2階への階段も破損していた。

2階の窓から見える中の様子はグチャグチャ。津波の水は2階も襲っているだろうから当然か。

事務所も無茶苦茶な状態だった。

職員の人達は全員避難して無事だったそうだが、職場の何もかもを津波に奪われてしまっただろう。

建物は昨年に改装したばかりで本体はしっかりしていたが、土台の部分の土が奪われ水が溜まっていた。

ディスクゴルフコースの方へ行ってみようとしたが、倒木で前に進めない。

一旦少し戻り、違う方の道に出て進む。

本館前。おびただしい枝や電線が散らかる。窓は割れ、中はグチャグチャ。

本館の下は土がえぐられ、水が溜まっていた。

ディスクゴルフコースに向かう道・・・。とても通れない。

 

ぐるっとまわり道をして中央広場やターゲットバードゴルフのコースがあった場所の前まで来た。

そこは、単なる砂浜でしかなかった。

ディスクゴルフコースを設置した場所へ行く。

つつじの茂みは残っていた。背が低いのがかえって良かったのだろうか?

アスレチックの遊具はどこかへ消えていた。

横に見える体育館は建屋はあるがボロボロ。

本館の裏側も見えた。食堂だった場所はグチャグチャ。

津波が通ったのだろう。

ガラスが本館の表から裏に抜けるように飛散していた。

コースがあった場所は木々の面影が少し残っていたものの、単なる砂浜になっていた。

美樹ちゃんと何度も遊びに来たコースは、俺が設計したコースは、自然の家の職員さんが作ってくれた看板は、何度も位置を修正したゴールは、全部無くなっていた。

声を出して泣いた・・・。

もう、ここでディスクゴルフ出来ないんだ・・・。

ウソみたいだ。

ここのコースなら、いつでも遊びに来れる!って、喜んでいたのに。

初心者用、上級者用、どっちでも楽しめるように配置したのに。

コース付近に出来ていた蜂の巣も取ったのに。

何も無かった・・・。

あるのは瓦礫だけ・・・。

ただただ、涙が流れた・・・。

1H目があったところ。砂浜に瓦礫状態・・・。

キャンプファイヤー場と中央倉庫。特設コース3H目だった。

 

とぼとぼとグランドがあった場所へも行った。

中央倉庫が無ければ、どこがグランドなのかも分からない景色だった。

MTAやTRCの記録会をやった時に、上空と風が変る原因になっていた周囲の木々はほとんどが姿を消していた。

コートを2面張ると微妙にジャマになる木々もいない。

確かここにもゴールを置いていたはずなのに・・・。

何も無い。

仙台大会で次の日まで荷物を置かせてもらった中央倉庫。

大きな穴が開いていた。

雨の日にはトレーナーの弓田さんはここに避難して、みんな倉庫の中でマッサージしてもらったのに。

もう、何もかもムチャクチャだ・・・。

色んな思い出が溢れてくる。

涙が、言葉にならない声が止まらない・・・。

やっと、家や会社が日常を取り戻しつつあったが、ここには非日常が残っていた。

怒りとも悲しみとも言えない複雑な感情が渦巻き、自分を律することが出来ない光景だった。

仙台大会を開催していたグランドがあった場所。面影すらない。

雨の日に皆が弓田さんにマッサージしてもらった中央倉庫。

 

車に戻ると、美樹ママと美樹ちゃんが暗い不安そうな顔で待っていた。

言葉少なげに来た道を引き返す。

「海岸線を見に行くか?」と聞いたが、美樹ママは「行かなくていい」と言った。

もう十分だったのだろう・・・。

 

昨日と同じく矢本方面へ向かう。

東松島高校は矢本駅のすぐそばだ。

時間も昼過ぎだったせいか、至るところで自衛隊の人達や車両を見かけた。

ろくに食事も出来ずに頑張ってくれているのを思うと、本当に頭が下がる思いだ。

道路脇に瓦礫や泥を避けてくれたのも自衛隊の人達の活躍あってのことだろう。

辛いだろうけど、頑張って下さい。

至るところに自衛隊の車が駆けつけている。

道路の脇は瓦礫の山・・・。

 

東松島高校では武道館まで行ったが、今日は自然の家職員の人達は来ていないと言われた。

まだ、自然の家が無事だった頃に美樹ママが拾ってきた松ぼっくりも持ってきていたのだが・・・、また今度にしよう。

自然の家の惨状、通ってきた街の惨状、石巻市内の渋滞情報を見て、3人とも元気がなくなってしまい帰宅することにした。

ホントは避難所に行って子供達にディスクを渡せないか?とか考えていた。

ディスクもドッヂビーも積んでいた。

でも、ショックが大きくて、もう・・・元気が続かなかった。

人間は弱い。

簡単に気持ちが落ちてしまう。

でも、人間は強い。

立ち直れる力がある。

もう一度、元気を取り戻して何とかしたい、何かしたいとも思った。

でも、今日だけは少し時間が欲しかった・・・。

俺にとって、松島自然の家はかけがいのない場所になっていたから・・・。

 

Apr.4.'11.

晴れ時々曇り。

今日は会社を休んだ。

本当はガソリン給油の為に休む予定だったが、先週末に給油出来た。

じゃ、整形外科に行くか・・・ってことで休みを取ったのだ。

左腕の痺れは一向に治る気配がないから・・・。

 

そんな理由で休んでいたのだが、昨日の夜に予定変更した。

震災後ずっと、気仙沼のすぐ手前の本吉町に住んでいる県協会員の阿部さんの安否が気になっていた。

電話してみたが、地域全体が電話通じない状態になっているとアナウンスされた。

随分前に一度ディスクを届けに行ったことがあって、海のすぐそばに住んでいたのを記憶していた。

高台の上に住まいがあったので、家にいれば大丈夫かとは思ったが、地震発生は昼過ぎだから保証は無い。

宮城県の避難者名簿を見ると、近所の小泉中学校に同じ名前があった。

でも年齢が書かれていないので、本人かどうだか分からない。

ガソリンはあるんだから、確認しに行くことにしたのだ。

 

早起きして6時くらいに出発。

同じ宮城県とは言え、本吉町までは片道60km以上はある。

途中の道路状況も分からない。時間かかるかもしれないので早めに出発した。

ナビの表示ではあちこちで通行止めになっていたが、俺が通った道は大丈夫だった。

ただ、道路が地割れしているとこ、極端な段差になってるとこがあり、運転には結構気を使う必要があった。

車の交通量は結構多く感じた。ガソリンの給油が大分まともになってきたせいかもしれない。

昨晩調べたら、国道45号線は本吉町付近で橋が落ちているようだった。

Googleの航空写真でも道がないように見える。

内陸部の細い道を回りこんでいくしかないと思っていた。

が、ナビには通行止め表示が出ない。

『もしかして復旧している?』

若干の期待を胸にナビの指示通り進んだ。

 場所は気仙沼に近い 沿岸部。

 

45号線に突き当たると、目の前の信号は動いていた。

場所的には少し通り過ぎた位置に出るので、そこから右折して海岸沿いに45号線を戻る。

コンビニもやっていた。電気は来ている。

復旧しているかも?と言う期待は大きくなった。

だが・・・。

突如目の前に工事で使うようなゲートが出てきた。

車一台は通れる幅が開いていた。その先には自衛隊の車・・・。

恐る恐る入っていき、自衛隊の人に声をかけた。

 「この先、道つながっていないんですか?」

 「はい。すぐそこで道が無くなっています。」

 「小泉中学校へは、どう行けばいいですか?」

 「ちょっと分かりませんね・・・。私達も仙台へ行こうとしているんですが、道が無くて困っているんです。」

そうか・・・。

自衛隊の人達も各地から派遣されて来ているので地理に詳しくないのは当たり前だ。

仙台方面へ行く道については俺の方が地理に明るい。

地図を持ってきた自衛官の人に、ナビで表示されていた通行止めの箇所などを教えて、多分一番良いであろうルートを教えてあげた。

こんな時、みんな助け合わなくては・・・。

微力ながら、自衛隊の役に立てたことが今はうれしい。

自衛官の人の話では、この先で道が無くなっているが脇道はあると言う。

とりあえず見に行くだけでも行こうと思い、その先の坂を下りていった。

しかし目の前には・・・、またも目を疑う程の光景が広がっていた。

 

そこは、『戦場なのか?』と思う程、何も残っていない爆撃の跡のような景色だった。

脆い・・・。

自然の力の前に、かくも脆く崩れ去るものなのか・・・。

力が抜けていくのを感じた。

車から降りて、しばし呆然と立っていた・・・。

カメラを持ち出し写真を撮るが、何か夢の中のような別次元にいる感覚だった。

誰もいない虚空間の荒野に1人立ちすくむ・・・そんな恐い夢のようだった。

想像できるだろうか?

自分が住んでいる街が、一瞬にしてこのような荒地に変ることを・・・。

そこにあるのは『絶望』だけだ・・・。

テレビで報道されているのは、「復興に向けて!」とか、「立ち上がれ!」とかばかりだが、

果たしてこの光景を目の前にして、自分がその立場だった時、その人達は同じセリフを言えるのだろうか??

「必ず元に戻る」・・・と言って励ます人達は、自分がそれをやるわけではない。

この光景を元に戻す為にどれだけの労力が必要なのだろう。

正直、俺には想像も出来ない。

自分が「やれ」と言われても、何から手をつけていいかすら分からない。

ポジティブには考えられない。ただ呆然と眺めてしまうだけ・・・。

そんな場所だった。

当然、このままということはない。いつかは修復されていくだろう。

その時に、ここにはどのくらいのエネルギーが集まるのだろう?

出来れば、その時にもう一度同じ場所に立ってみたい・・・。

遥か彼方まで続く津波の跡。

鉄筋コンクリートの廃墟。

ガソリンスタンドだろうか?もはや判別不能。

 

遠くの丘の上に小泉中学校と思われる校舎らしく建造物が見えた。

見たことがあるような建物だったので、多分あそこに行けば良いのだろう。

さて、どうやって行くか・・・。

一旦、来た道を引き返す。

コンビニに入って道を尋ねると、やはりさっき通ってきた道から脇道に行けば良いらしいことが分かった。

来た道をかなり引き返す。

途中、さっきと違った道に入ってしまったが、さっき通った道が遠回りだったことに気付いた。

ところどころにある通行止め看板などで自動的に回り道になっていたようだ。

一方通行の場所などがあるので、行きと帰りで道が違うこともある。

右上の建造物が小泉中。

 

コンビニで聞いたとおりの場所へ着く。

ナビで確認すると、昨日ネットで調べた時に通ろうと決めた場所だったことが分かった。

やっぱり調べた道で正解だったのだ・・・。

ナビだって通行止めになっている箇所の情報が全て網羅されているわけではない。

被災地からの情報は極端に少ないのだろう。臨機応変にやらざるを得ない。

しばらく狭い道を抜けていくと、見覚えのある景色に出た。

さっき対岸から見ていた場所に出たのだ。

坂道をのぼっていくと中学校が見えた。

この先に行くと阿部さんの家がある。憶えている。

家に行ってみると誰もいないようだった。でも、家は破損している様子はない。

TVなどで高台にある病院まで津波が押し寄せたと言っていたので心配していたが、ここまでは津波も来なかったようだ。

 

中学校の方へ戻る。

避難場所になっているので駐車場にはたくさんの車が並んでいた。

阿部さんはいるのだろうか?

しばしウロウロしたが、避難所本部は体育館の中にあるようだったので中に入る。

良く考えたら震災後にちゃんとした避難所に入るのは初めてだ。

勝手が分からない。

体育館の中は入口の目の前に受付があり、その奥にたくさんの人が座り込んでいた。

いくつかのブロックに分かれていて、地域ごとに固まっていることが貼紙で分かった。

だが、阿部さんの地域は貼られていない。

 『ここにいるのか?』

しばし周囲を見渡してみるが、あまりにも人が多くて見つけられる気がしない。

気持ちも焦っている。

受付に戻り、立っていたおじさんに話しかけて聞いてみた。

阿部さんの名前を言うと、よく知っている様子。顔見知りなんだ・・・。

受付てくれた人は、他の受付の人にも聞いてくれていた。

 『結構有名なのか?地元の人なら知っててもおかしくないか?

  ・・・と言うか、探してくれているということは、やっぱここにいるのは間違いないのか?』

気持ちが高ぶる。

 『どこに・・・、どこにいるんですか?早く!』

1人が見つけたようだ。

指差した先に目をやると、ヘルメットをかぶって後ろを向いている初老の人が立っていた。

心臓がバクバクした。

 「待ってて下さいね。呼んでくるから・・・。」

と言われたが、待ちきれずについて行った。

声をかけられて振り返った顔は・・・、阿部さんだ!!

俺の顔を見て、一瞬「あれ?」と言う顔をしたが、すぐに気付いてくれた。

そりゃそうだ。

震災後、生きるだけで精一杯の生活をしてるのに、フライングディスクのことなんて忘れていただろう。

俺がここにいること自体、かなり想定外なことだったに違いない。

駆け寄った時、俺は思わず泣き崩れてしまった。

心の底から、「良かった・・・」と何度もつぶやいた。

阿部さんは俺の手をしっかり握って肩をたたきながら、「遠くから・・・、わざわざありがとう。」とやさしく言ってくれた。

被災地で行方不明になった親族と会えた人達の気持ちが良く分かった。

心の底から湧き上がる安堵感。止まらない涙。

その全てを言葉ではうまく表現出来ない。

少しばかりのペットボトル、なるべく数が多くなるような煎餅や饅頭などの菓子、スーパーで買えたバナナとミカン。

ほんの少しだが、ダンボールとクーラーBOXに詰め込んできたので、それを車から取り出して渡した。

申し訳ないが、買占め出来ない状況なので、これくらいしか渡せない。

体育館にいる人達を見ているので、本当に量が足らないことが分かる。胸が苦しい。

子供達の遊び道具は、危惧したとおり不足しているそうだ。

栗駒の方からボランティアの人達が来て、一緒に遊んであげたりしているらしい。

阿部さん達は避難所本部を仕切っている為、そういうところまで手が回らないそうだ。

少しでも・・・。

県協会のドッヂビー10枚くらいと、協会で持っていた子供用ディスクを渡した。

この避難所のように、こういうもので遊べるだけのスペースがある避難所自体が少ないらしい。

とりあえず持ってきたもの全部渡すことが出来た。

少ないけど、これ以上何も出来ないけど、もう「頑張って下さい」としか言葉がなかった。

正直、俺の相手をしているだけでも阿部さんの時間がもったいないと思った。

避難所には多くの人がいるのだ。

邪魔になっては来た意味がないので、すぐに帰ることにした。

無事でよかった・・・。本当に、ただそれだけだ。

避難所の体育館で阿部さんと・・・。

 

帰り道、下り坂から見下ろす光景は凄まじかった。

ホントに瓦礫しかない。

海岸線からかなり離れたところまで瓦礫が来ていた。

やるせない気持ちを胸に、沿岸部を後にした・・・。

石巻などの大きい都市部は、かなり補給物資も回ってきている。

スーパーマーケットなども開店し始めていて、少しずつ復興の空気が漂っている。

ただ、ここのようなポツポツと点在している街は、物流の面でもかなり遅れていると思う。

行く途中の山道で電気工事していたので、今は自家発電の小泉中学校にも、やがて電気は来るだろう。

早く道を何とかして欲しい。特に国道45号線は沿岸部の大動脈だ。

そうすれば、もう少し物流が回復してくるだろう。

俺に出来ること・・・、もっと他に無いのだろうか?

一面瓦礫の山。

国道45号線の橋の跡。

田んぼは全て塩害 だろう・・・。

 

帰宅後、どっと疲れが出てコタツで爆睡・・・。

昼頃、親父から電話が来て目が覚めた。

それからしばらくして、整形外科へ行った。

左手の痺れを診てもらう為だ。

レントゲンでは異常は見られず、4/7に他の病院でMRIを撮影し精密検査を行うことになった。

何とも無ければいいけどなぁ・・・。

 

Apr.6.'11.

晴れ。

今日は事件があった。

と、言っても俺は現場にいなかったのだが・・・。

 

10時チョット前、美樹ちゃんが庭先を歩く人影を見たらしい。

で、美樹ママにその話をして、美樹ママがあちこちの部屋からあたりを見回していたそうだ。

その隙に、再び庭先から出て行く男の姿を美樹ちゃんが見つけた。

美樹ママ、業者の人か何かと思い、表に出る。

と、突如車が家の前まで来て、「今、誰か来なかったか?」と血相変えた男に言われたそうだ。

まさしく、庭先を歩いていた男だろうと思い、田んぼの方へ行ったことを伝えた。

すると、車の男は急いでそっちへ行くべくUターン。

と、男が田んぼに向かうのを見かけた美樹ママ。

男は美樹ママに気付き引き返す。

さっきの車がやってきて、男に向かって怒鳴り散らしている。

恐くなった美樹ママは家に引き返し警察に連絡・・・。

どうやら、近所のファミマで店長の自転車を泥棒したヤツが再び現れたらしい。

防犯カメラに残っていた映像で、店長は犯人の顔を知っていたそうだ。

庭先を通った男が犯人で、車で怒鳴ってた男が店長。

その後、パトカー、覆面パト、警察や私服警官がウロウロしてたらしい。

夕方に警察に確認電話したら、犯人は無事に捕まったそうだ。

治安、悪いなぁ・・・。

ちなみにファミマの店長は、俺は震災の時に見てたので良く知ってるが・・・。

青空市やってる時に、

「何か他に必要なもの有りませんか?」

と、聞いてきたような、すごく人の良さそうな人だったんだけど・・・。

まぁ、そりゃ怒鳴ったりもするわな。人間だもの・・・。

 

今日の夜は美樹ちゃんの中学校の説明会だった。

地震で美樹ちゃんの中学は校舎が傾き、文科省の調査で使用NGが出たそうだ。

もう新学期の時期・・・。

これからどうすんの?の説明会だ。

19:00からってことで、会社は定時でDASH退社。

一旦家に帰り、美樹ママと説明会会場になっている古川第3小学校へ。

小学校は大渋滞。

それもそのはず。駐車スペースに手前から停めるよう誘導している。

そりゃ詰まるわ・・・。

 

で、俺らは19:00ジャストくらいに入れたのだが、結局間に合わない父兄が多数いるということで開始時刻は遅延。

その間、配られた資料は完全に一読できる時間が有り、『説明会必要??』って感じだった。

要は、学年毎に近隣の中学校の教室を空けてもらい間借りする。

その間は、一旦今の学校に通学し、そっからバスで移動すると言うもの。

仮設校舎は7月完成を目処に工事を進めるという話だった・・・。

開始時間は、まだ人影もまばら・・・。

 

15分過ぎにやっと始まった。

まずは、大崎市教育委員会教育長さんからの挨拶・・・ってことだったのだが。

もうビックリ!!

あんた何考えてんの?って言うくらいの長話。しかも、中身が無い。

 ・震災時に生徒も職員もケガ人がいなかった。⇒学校にいなかったからだろ?

 ・教職員と不眠不休で対策を練った。⇒どこの会社でも当たり前。てか、遅すぎない?3週間以上不眠不休??

 ・各学校の被害状況を調査し、どのようにやっていくか検討し・・・。⇒当たり前だろ?他に何やんの?

 ・震災後の電気も水道も無い中で・・・。⇒皆、そうなんですけど。

もう、聞いてて呆れかえるようなネタが延々。

しかも、やっと話が終わるのかと思いきや、「さらに・・・。」とか、「そして・・・。」とか、一向に終わる気配がない。

ただでさえ開始時刻が遅れているのに・・・。

晩飯も食わずに来ている人多数だろうに・・・。

これが教育長??

しびれを切らして、立ち上がって抗議しようかとも思ったが・・・、美樹ママにSTOPをかけられ断念。

しかし、既に15分以上も喋ってやがる。おまえの演説を聴きに来たわけじゃね〜よ!

やっぱ、腹の虫がおさまらなかったので、脇に立っている教師?に抗議しに行った。

あからさまに席を立ち、抗議をしている俺の姿は、流石にボケ老人の目にも映ったようだ。

その後すぐ話が終わった。時間にして20分の長々、だらだらの話だった。

おかげで、その後の校長の話は5分もあったのだが、すっげ〜短く感じた。

ま〜、当たり前だよな。

その後、教育委員会による本題の説明会になったのだが・・・、資料読んでるだけじゃん。

ダメな社員の会議報告と変らね〜よ・・・。お役所って、いったい・・・。

 

質疑応答になり、速攻で挙手。

が、手前の方から順番で・・・らしく、しばしお預け。

最初に質問した人は、超自分の事だけ考えてる質問してた。みんな、ドン引き・・・。

しばらくして、順番が回ってきたので、突っ込みを2発入れておいた。

 @他の中学校に通う際の避難訓練などの安全面に配慮した計画が無い。

 A震災時等に告知出来るような学校HPが無い。教師に対する連絡手段等の指導も徹底されていない。

  (実際に授業再開日のデマが流れたり、チェーンメールまがいのものが流れたりした。)

まぁ、予想通りショボイ回答だった。

 「避難訓練は受入れ先の中学校と一緒に実施します。」

 「HPは・・・、大崎市のHPには・・・、おっしゃるとおりです。検討します。」

大崎市のHPも、ちゃんと見てるっつ〜の!

一般的に分かり難いから言ってるの〜!!

そんなこんなで、他の質問者も続々と思い思いの不安を口にして・・・。

気付けば21:00まわりますよ〜ってな時間に終了。

はぁ〜。腹減った〜。

 

そうそう、そう言えば昨日かな?

元日本代表監督の岡田氏が、俺が一昨日行って来た小泉中学校の隣にある小泉小学校に来てたらしい。

1日違いだった〜!!

せっかくディスク置いてきたのに、これじゃあ子供達ディスクじゃなくてサッカーに夢中じゃ〜ん!

あと、同じ地区の犬が、震災の3週間後に海上で発見された犬だった。

何か、何気に有名な地域になったかな?気仙沼市本吉町〜。

美樹ママの話では、ウチの近所の教会に支援物資が集まっているらしい。

届けるのであれば、寄贈してくれるということなので、今週末も行ってこよう!

俺も出来ることを頑張んなきゃ!!

 

Apr.7.'11.

曇り。

今日は会社を午後休して検査の為に病院へ。

15:30、左腕の痺れの検査に行った。MRIで撮影するのに紹介状を持って別の病院へ行く・・・。

会社から持ってきた労災書類のフォーマットが違うと言われる。

『しらね〜よ!!ってか、フォーマット統一しとけよ、内容たいして変わらね〜じゃん!!』 とか思いつつ待つ・・・。

16:00からの予約だったのだが・・・、前の人が長引いてて遅延。

やっと順番がまわって来た。

MRIは前にもやったことがあったが、耳栓を渡された。

こんなんだったっけ??

何かヘッドフォンして快適音楽を聴いた記憶があるのだが・・・。病院によって設備が異なるのかな?

しばらくは何ともなかったが、徐々に左腕が痺れだした。

脂汗が出る・・・。

だが肩から上は動かすなと言われていたので、必死に我慢を続ける。拷問だった・・・。

やっと終わった時には、脂汗ダラダラで息切れしていた・・・。

時計を見ると40分も経っていた。20分って言ったじゃん・・・。

 

MRIのDataを焼いたCDを持って元々診察してもらってた病院へ移動。

夕方17:00過ぎだったので、会社を終えた人達も来ていて若干混んでいる。

待つこと・・・1時間20分。

何で、俺より後から来た奴ら全員終わってからなんだぁ〜???

俺と同じようにCDを持ってきたおばちゃんがビリだった。同じ境遇なんだろう。

やっと診察室に入ると先生が画面をクリクリ動かしていた。

俺の断面が表示される。

横から見たらそうでもなかった首の脊髄周辺。

輪切り画像で見ていくと・・・、「あ!これだね!」と先生が叫んだ。

俺が見ても分かるくらい左の神経が圧迫されている絵が・・・。

あ〜あ・・・。

先生が言うには比較的軽い椎間板ヘルニアらしい。

痛まないで痺れる程度なのは、その為かもしれない。

リハビリ来れるか?聞かれたが、ちょっと難しいと答えた。実際難しい。

ま、来れる時でいいから的なコメントをもらい、ビタミン剤を処方してもらった。

あ〜、もう19:00になりますけど〜。

 

夕飯食べながら地元テレビの震災特集を見る。

美樹ママが災害対策本部に電話して調べてくれて、個人単位でも被災地に物資を届けるのはOKと言われたそうだ。

特に本吉町付近は被害も大きく物資も不足しているようだ。

「是非・・・。」と言われたそうだ。

昨日から話に出ていた近所の教会にも足を運んで、持っていける物資を見てきたらしい。

結構あるみたい!

これはやりがいあるなぁ〜!!

何か、人のふんどしで相撲取るみたいな気もするけど・・・。

 

23:32、震災後1ヶ月番組が終わり、美樹ちゃんが風呂から出て、美樹ママが、「さぁ風呂に入ろうか・・・」と話してた瞬間!

突如、ゴゴゴゴ・・・という地鳴りと共に激しい揺れが襲ってきた。

地鳴りがあった瞬間、デカイのが来る!と思い、台所にいた美樹ちゃんを大声で呼ぶ。

ジュースを飲もうとしていた美樹ちゃん、慌ててどうしていいか分からない。

美樹ママと2人で大声で呼んだら、やっとリビングに走ってきた。

その直後、一気に揺れが激しくなった。

身体が家ごと左右に揺れる!!

揺れると言うより動く!小船に乗って揺られているようだ。

気持ち悪い・・・。

ブツッ!テレビが、電気が消える・・・。

と、今度は上下に突き上げられる!!

ガシャ!ガシャ!!ガシャーン!!

もはや、生きた心地がしない。

真っ暗闇になり、上下揺れがある分、前回の地震よりも恐ろしい!

必死で、美樹ママと美樹ちゃんの上に覆いかぶさろうとしたが、揺れが酷くてまともに動けなかった。

しばらくして、揺れが収まった・・・。

 

心底がっくりとなる。

 「またか・・・。」

せっかく復旧してきたのに・・・。

やっとライフラインも復旧して、元の生活が戻りつつあったのに・・・。

 『しまった。ガソリン給油しておくんだった・・・。半分切ってるよ・・・。』

明日の朝か、明後日の朝に給油しようと思ったのに。まさか、こんな事態になるとは。

 

手探りでリビングに置いたままだったランタンを見つける。

家の中・・・、またグチャグチャだ。

食器は無事。

余震を警戒して、食器棚に戻さなかったのが良かった。

ピアノはまた動いた。あ〜あ〜。

2階もグチャグチャ。美樹ちゃんの部屋、俺の書斎、ディスク部屋、ひっちゃかめっちゃか。

でも、前回ある程度考えて修復してたので、少しはマシだった。

ピアノ・・・。もう動かないでぇ〜。

台所。前回よりは全然マシ。でも、酢がこぼれて臭かった・・・。

書斎。書棚を寝かせてたので、被害は前よりマシ。

ディスク部屋。ここはダメだった・・・。

 

すぐに、ばぁちゃん家に行く。

無事だった。

ポリタンクを再び引っ張り出し、急いで水を汲む。

まだ水は出るが、初っ端の地震の時は次の日に断水したので油断できない。

じぃちゃんの位牌を持って戻ってきて、ばぁちゃんと美樹ちゃんは寝る。

美樹ママと俺は、まだ温かい風呂の湯を使って、頭を洗って風呂にも入る。

慣れって恐いものだ・・・。

 

沿岸部は大丈夫だろうか?

明後日救援物資を持っていこうと思っていたのに。

サトルの家も津波を恐れて避難したらしい。

いったい、いつまで続くのか・・・。

今回は、普通に2階のベッドで寝る。

前回は恐くてコタツに寝たのに。

慣れって恐いものだ・・・。

 

Apr.8.

曇り。

5時半起き!

6時から開店するはずの近所のガソリンスタンドに賭けた!

5:45、ガソリンスタンドの前に並ぶ。6,7台目だ。

店員も出勤してきたので、間違いなく入れれるはず。ラッキー♪

 

並んでいる間に部長にMailすると、今日は通常出勤しようということになった・・・。

 『えー。この状況で〜??』

まぁ、仕方ないな・・・。会社も大事だ。

6:10、無事給油。でも2000円分だけだった。

満タンまではいかずとも、かなり安心感が違う。

自転車で、ばぁちゃん家のブレーカーを落としに行く。

ついでにガスコンロが点くか見た。

OK!無事だ〜。これで前回同様、火が使える。

まずは一安心。

 

7時過ぎ、早めに会社に出発。

停電していて信号も消えているはず。道路が混乱してなければいいが・・・。

道路は意外と車が多かった。

皆、意外と普通に走る。もう慣れてるんだな・・・。

庭の梅の花が咲いた。春は来ているのに・・・。

 

会社に着くと、既に何人か来ていた。

停電だが、移転した事務所は窓があり中に入れた。

机の列が乱れ、書類が散乱。

モニターが倒れているPCもあった。

天井と壁に隙間が出来て、粉がポロポロと落ちていた。

製造ラインは暗いので、非常用懐中電灯を持って入る。

前より被害少ないかな・・・。

こっちも壁周囲が粉だらけだ。

もろいなぁ・・・。

外で青空運営会やったり、全体集会やったりして、一般社員は解散。

他の役職者と前にいた建物の中を見に行った。

ここも一部は稼動させる予定だからだ。

こっちは・・・、やっぱ建物が弱いのかな。壁の崩れ方がひどい。

 

昼過ぎに帰宅。

ばぁちゃん家のテレビがズレたそうで、自転車で直しに行ってきた。

新聞と餅を持って帰宅。

眠い・・・。

昨晩、ろくに寝れなかった。

ひたすら寝る。夕方、ちょっと書斎の片付けをやる。

あっという間に、そこそこ整理できた。

また地震が来ても嫌だから、ある程度でいいや・・・。

夜、ばぁちゃんが夕飯を作って持ってきてくれた。

またこの生活かぁ。

また、停電生活・・・。

 

同じ古川に住むタザワさんが電気が復旧したと連絡が来た。

美樹ちゃんと古川偵察に出かける。

全然電気ついてないや〜。

北の方の一部だけ復旧してるらしい。

帰りに家の近所で電気工事していた。

 たかちゅき♪ 「いつ頃、復旧しそうですか?」

 電気工事の人 「まだちょっと分かりません・・・。」

 たかちゅき♪ 「そうですか。頑張って下さぁい!」

そりゃ、そうだ。断言出来ないよね・・・。

 

夜中の1時半頃、腹が痛くて目が覚める。

冷蔵庫が止まっているので、慌てて食べたアイスが多すぎたらしい。

外を見ると明るい。

 『もしかして、電気が戻った??』

近所まで歩いて行って見ると、すぐ近くまで外灯が点いていた。

でも、ウチの近所の外灯は消えている。

 『ダメかぁ〜。』

家に帰りブレーカーを上げてみたが・・・、ダメだった。

はぁ〜。

 

Apr.9.

雨のち晴れ。

今日も会社。

昨日の夕方、会社は電気が復旧したそうだ。

俺の家まだなんですけど・・・。

乱れた机直したり、製造ラインやオフィスの掃除したりするわけだ・・・。

くたくたですけど〜。

お昼前、美樹ママから家の電気が復旧したってMailが来た。

いいなぁ〜。

帰りたいなぁ〜。

 

夕方、やっと解放された。

総務部長に相談して、会社に届いていた支援物資の一部を分けてもらい、明日本吉町に持って行くことにした。

ガソリンも満タンにして帰宅。

曲がり角を曲がったとこで、教会の前に美樹ママ号が停まっているのが見えた。

 『あ、救援物資積み込み中か!』

すぐに合流して、俺も積み込み作業を手伝う。

結構な量だ。

 「置いておいても仕方ないので、持って行って下さい。」

と、近所の奥さんが言う。

この奥さんと教会の関係はよく分からないけど、関係者らしい。

遠慮なく、がっぽり貰う。

支援物資は少しでも多い方がいいじゃん!

俺のCR-Zは既にいっぱいになっていたので、美樹ママ号に詰め込む。満載だ!

美樹ちゃん乗れるの?って言うくらい。

明日は2台で支援物資運搬だ!!

避難所のみんなが無事だといいけど・・・。

教会で物資を整理する美樹ママ。

ダンボールに詰め込む美樹ちゃん。

ここの教会。前に住んでた借家の目の前。

協力してくれた近所の奥さんと娘さん。

 

夜、おばばから支援物資が届いた。

なんと!

手でグルグル回して使えるラジオだ!!

しかもライトと充電器付き!

あ〜、2日遅い・・・。

でも、助かる〜!!ありがと〜!!

でも、出来れば使いたくない〜!!

これがスーパー震災装置!

 

 

Apr.10.'11.

晴れ。

5:30起きで6:00出発。

今日は支援物資を持って、たかちゅき♪家の車2台で本吉町へ・・・。

水、ウェットティッシュ、カップ麺、缶詰、御菓子、タオル、下着、靴下、靴、遊具、ノート、色鉛筆、梅干、お茶、カイロ、薬、調味料、電池、トイレットペーパー・・・等々。

何が必要なのか分からない。

でも、持って行けば役に立つかも!

とりあえず行ってみよう!!

それだけを胸に出発。

CR-Z満載!

美樹ママ号も満載!

 

この前と同じ道を行く予定だったが、橋を渡る直前に違和感を感じる。

 『こんな道通ったっけな?』

橋を渡った時、短いと思ったが・・・見覚えが無いわけではない。

違和感感じつつも走り続ける。

 『いや、待てよ・・・。やっぱ、この道じゃないぞ。』

やっとナビを操作して、今走っている場所を調べる。

なんじゃ、こりゃ?想定よりずっと南を走っている・・・。

このまま行くと、南三陸町に出るじゃないか!!

そこから海岸線を走って北上するのか?行けるのか?

一気に不安になった。

でも、あれから1週間経って、ナビの表示情報も正確性が増している。

もうすぐ海岸線だ。今更引き返すのも・・・。

と言うことで、そのまま南三陸町を通っていくことにした。

 

南三陸町の被害も甚大だった。

テレビで見ているまま・・・。

いや、その場にいるとそれ以上か・・・。

ポツポツと新しく立った電柱がむなしかった。

でも、これは復興シンボルなのだ!

早く電気通ってくれ!!

テレビで見たことのある建物もあった。

あんな高さまで津波が来るのか・・・。正に想像を絶するものだ。

今は穏やかな海がすぐそこに見える。

信じられない・・・。

南三陸町。平野部が広範囲で被害を受けた。

傾いた家・・・。

この瓦礫はいったいどうすれば・・・。

テレビに出ていた鉄筋の建物も見えた。

 

45号線は所々で寸断されており、幾度も脇道をすり抜け北上する。

たまに車1台しか通れない場所もあり、崖っぷちの崩れそうな道路で対向車と擦れ違うことも度々・・・。

途中、対向車線に自衛隊の車が大量に走ってきた。

道幅が狭かったので停まって待つ・・・。

全車両、会釈や敬礼をしてくれた。

被災地の為に頑張ってくれている自衛隊に道を譲るのは当然・・・と思っていたが、何かウルッときた。

もちろん、全車両に会釈で返す。

 「俺に出来ないこと、頑張って下さい・・・。」

 

45号線を北上すると歌津町に入る。

もはや、町ではなくても入り江に近い場所は全て瓦礫の山。

歌津町も例外ではなかった。

むしろ漁船が至る所にあり、撤去作業を考えると気が遠くなる光景だった。

線路も破壊され、海岸線の電車はいったいいつ復旧するのか・・・、全く先が見えない。

瓦礫の撤去も予想より進んでおらず、大きな街と違い、小さな町や漁村などの復旧が遅れている現状がよく分かる。

あまりにも広範囲の被害、復旧途中での大きな地震、それらが更に復旧を遅らせている。

また、自衛隊の人が作業しているのが見えた。

街の人らしき人影も、あちこちにチラホラと見える。

動き出してはいるんだけどなぁ・・・。

人手が足りないのは、こういう場所なのだろう。

歌津町。打ち揚げられた船・・・。

多くの船が・・・。

 

小泉中学校に着いたのは、8時前だった。

毎回、朝飯の時間に着くなぁ・・・。

渋滞回避の時間に出てきてるからなぁ・・・。

阿部さんはちょうど朝食を食べ始めたところだったようだ。

お邪魔してしまったので、外で待つことにした。

校庭には仮設住宅の建設が始まっていたが、まだ基礎工事の初期段階だった。

震災から1ケ月。

ここまで建設物資を運ぶのが大変なのか・・・。

自衛隊が水を運び、宅急便も届いていた。食材も毎日届いているようだ。

それなりに改善されつつある環境。

やはり、仮設住宅・・・プライベート空間の確保が次の課題か。

小泉中。仮設住宅建設始まる。

テント内は炊き出し炊事場。

自衛隊が給水に来ていた。

 

しばらくして、阿部さんが出てきた。

まさか車2台で運んできたとは思わなかったらしい。

ありゃりゃ・・・って顔をされてしまった。

先週と比べて支援物資も結構来ているようだし、もしかして無駄足だったか?と思ったが・・・。

2次避難も始まり、電気や水道の復旧で帰宅し始めた人もいて、物資の分散も過課題で少しでも必要だと言われた。

少しホッとする。

でも、このダンボールやビニールに詰めてきた物資、どうすれば??

阿部さんの軽トラに一旦積んでほしいと言われたので、2台からワンサカ荷物を積み替える。

あっという間に軽トラの荷台はいっぱいになった!

阿部さんからは、「今はこれしかお返しできないので・・・。」 と、一枚の紙を渡された。

『感謝状』と書かれたその紙は、物資や活動で支援してくれた人に対する被災地の人の感謝の気持ちだった。

何だか温かい気持ちになるね・・・。

阿部さんの話では、とりあえず最近は食べるものには困らなくなったものの、平日には若い人達が働きに行くので、避難所のマンパワーが問題だそうだ。

人も少しずつ減ってきて、2次避難の後はもっと大変になることが予測されている。

現場で抱えている問題も日に日に変化していく・・・。

阿部さんの息子さんの知合いで、栗駒の有名な人が避難所を支援してくれているそうだ。

やる人は、やるべきことをやっているんだなぁ・・・。

阿部さんが避難所の方を気にしだしたので、今日もこれにて撤収する。

とりあえず、物資を受け取ってもらえたので一安心だ。

近所の教会に集まった物資、会社から分けてもらった物資、よしべぇからのウチへの物資、美樹ママが買ってきた物資・・・。

少しでも役立てばいいね!

軽トラ1台分支援完了!

 

帰り道、道の駅に寄った。

前回来た時より車の台数も増えて人も多かった。

この前はやってなかった店もやってたので、美樹ちゃんとさくらソフトを食う。

宮城では、まだ桜は咲いていないけど・・・、今日はポカポカで春の陽気だ。

自衛隊のジープも停まっていた。

自衛隊の人は、1人がトイレに行ってる間、もう1人は車を離れないようだ。

交代でトイレに行ってた。

今までの普通の生活だったら、こういうことを知る機会も無いよなぁ。

帰り道、車が多いせいもあって時間かかった。

途中の街で橋が通行止めになっているせいで大渋滞もあった。

少しずつ環境が変わりつつあるのを肌で感じた。

道の駅も復旧。さくらソフト食べる!

道路の地割れも多い。

 

帰ってきたら昼前。

流石にグッタリ・・・。ろくに休んでないもんなぁ・・・。

でも、まだ止まれない。

今日は、嘉一くんと約束していた。

3月の総会の時、5月はじめに県協会でディスクの講習会をやろう!と企画していた。

嘉一くんは、震災後も計画を止めずに動いてくれていたのだ。

東北大のグランドを会場として押さえてくれたので、学生大会もそこで出来ないかと視察しに行くのだ。

高速で泉まで移動し合流。再び高速に乗り(P.A.で待ち合わせればよかった・・・)、仙台へ・・・。

I.C.降りてからはすぐなのだが、電車で来るとなると、ちょっと大変かなぁ。

グランドはラグビー練習で使われているそうで、固い土のグランドだった。

講習会くらいはここでも出来るが、アルテは厳しいなぁ。

コートは少し小さ目の90mくらいか・・・。

100mメジャーを持ってきたので測ろうと思ったら・・・、巻き方が逆じゃん。使い辛い・・・。

しかも、全部引っ張り出してビックリ!壊れてるじゃん!!

仙台大会の時以来使ってないので、その時に壊されたのだろう・・・。

大会直前に買ったばかりだったのに・・・。

壊されたことよりも、それをだまってられたことが悲しいなぁ。

嘉一くんとグランド測定。

 

学生大会やるなら、やはり芝のグランド確保したいが・・・。

電話してみたが、みちのく公園も地震で大打撃らしく、今は状況確認に入らせてもらうこともダメだそうだ。

他には既に散々探したけど無かったし、候補だった場所は沿岸部だったから今回の震災の被害を受けてるし・・・。

そう言えば、ここの隣に野球グランドがあったのを思い出した。

ダメ元で見に行ってみると、結構広いことが分かった。

もし、ここが使えるんだったら・・・、外野を使ってコート出来るじゃん!

嘉一くん、頑張ってここを取ってくれ〜。

お、野球グランドの方がいいんじゃない?

 

その後、講習会の進め方を検討する為に打合せすることにした。

とりあえず泉まで戻る。

 「どっか喫茶店で・・・って、どこ??」

どこも停電だの、断水だの・・・だ。

パークタウンの方のアウトレットに行けばあるんじゃん?ってことで行ってみる。

全部、閉まってます〜。

仕方ないので、駐車場のベンチで青空会議。

だいたいの方針決めたり、電話で色んな人の予定聞いてみたり・・・。

いや〜、嘉一くん。頑張るねぇ。

1人で協会運営してた時のこと考えると、すっげ〜頼もしいよ。

16:00、だいたい決定したので、高速の泉P,A,脇のローソンまで戻り解散。

俺はそこから高速に乗って帰る。

泉パークタウンで青空会議!

 

CR-Zのインパネ辺りの異音が気になるので、ホンダのディーラーに持っていった。

どうも対応がイマイチなんだよなぁ。

俺が言ってるトコじゃないって言って、よくわかんない対応された。

 『音が出てるのそこかぁ?』

と、思ったが、またしばらく様子を見ることにした。

ここで時間食ったので遅くなった。

ガソリンが半分になってたので給油して帰ろうと思ってたが、のきなみスタンドが閉まってる。

古川は閉店時間が早い。

やっと1軒開いてるのを見つけて、また並ぶ・・・。

早い時間だったら並ばなくて良かったんだが・・・、この前みたいに急に地震が来ても困るので仕方ない。

 

家に帰ってから、教会に届いていた物資をくれた近所の奥さんのトコに行った。

小泉中学校でもらった感謝状を届けに来たのだ。

感謝状を受け取り、喜んでくれていた。

 「今はこれしかお返しできないので・・・。」 と言った阿部さんの顔を思い出す。

このお返しは、貰った人が幸せな気分になっていますよ!

震災で辛いことも沢山あったけど、人と人との繋がりがそれまでとは大きく違う気がする・・・。

教会宛の感謝状を届けた。

 

Apr.11.'11.

曇り。

今日で3/11の震災から1ケ月。

長いようで短かった。でも、やはり長かったな。

今朝、起きようとしたら全身汗ビッショリで身体に力が入らなかった。ひどい脱水症状で、ノドもからからになっていた。

あまりにも脱力感が大きく、会社出社は断念・・・。

最近は毎日のように寝れた感がない。

昨日、嘉一くんとも話していたが、家がピキッと音を立てただけでビクッとする。

寝ていても、物音がするとすぐに目が覚める。

いくら慣れたといっても、こればかりは徐々に精神的ダメージを蓄積するだけでしかない。

加えて、大きな余震が続く・・・。

もう、「疲れた」としか言いようがない。

今日の夕方も大きな余震が来た。

いったい、いつまで続くのだろう。

 

今日、嘉一くんから連絡が来て、昨日見てきた野球場は東北大の管理ではないそうで、どうやら使えそうにないらしい。

困ったなぁ・・・。

学生大会、なんとか県内で開催したいんだけどなぁ。

 

Apr.15.'11.

曇り。

庭の梅がきれいに咲いた。

春だ!

明日は雨らしいけど・・・。

ちなみに街道の桜はまだツボミ。

幼い頃、福岡で育った俺。春と言えば桜満開だった・・・。

ここでは、そんなことは有り得ない。

季節感がまるで違う。遠くに住んでいるんだなぁ・・・と実感する。

あのまま福岡に住んでいたら・・・、今回の震災の被害には合わなかったかもしれない。

人生どれだけ違ったんだろう・・・。想像も出来ない。

梅が咲いた♪

 

夜、家に帰ると宅急便が届いていた。

いっとくさんからだった。

なんと、充電器の支援物資だった!!しかも、ソーラー充電!

おばばのグルグル充電ライトと合わせ技で使えるぞ〜。

って言うか・・・、出来れば使いたくないな・・・。

今夜も余震が来た。

もう、いいって〜。

PSPも充電出来るらしい!

 

最近、左腕だけでなく右腕も痺れや痛みが走り出した・・・。

正直、どうしようもなく辛い時がある。

肩をぐるぐる回してみたりもするが、一向によくならない。

椎間板ヘルニアだか何だか知らないが・・・、地震並みに今の俺のワースト3に入るネタだ・・・。

もう1つのワースト3は、新車の異音。

何だか知らないが、ディーラーに持っていっても俺が指摘したところを見ずに違う場所をいじってるし・・・。

再現させるとか言って、ガソリンが入れられない時期にグルグル走り回ってるし。

しまいには、今週に入って違う場所からも異音がしだした。

日々通勤で使ってるので毎日気になる。

やっと手に入れた新車で異音ってのも腹が立つが、何よりディーラーの対応が気に入らない。

1ケ月点検の時にも言ってるので、これで3度目になる。

今まで付き合い長かったし、かなり控え目にしてきたけど・・・、明日あたり そろそろ本気出すかなぁ〜。

 

Apr.27.'11.

晴れ。

最近忙しい。

その割りに体調は良くない。

今朝は会社に行く前に、久々に整骨院へ行った。

少し眺めのマッサージ。

あぁ〜、極楽やわ〜。

その時は良いんだけどね。後からすぐ元に戻る・・・。

 

会社から帰ると、ピカさんからの支援物資が届いていた。

今度、県協会で講習会をやるのだが、その時に皆が投げるようのディスタンス用ディスクだ。

県協会で持ってる枚数が少ないので、少しでも増やしたい・・・と、ピカさんにお願いしておいたのだ。

ディスクの特性の説明書きまでしてくれていた。

前にも送ってもらってんだよね・・・。

ピカさん、いつもすいません!ありがとう!!

ピカさんからの支援物資。

 

Apr.29.'11.

晴れ。

昨日は会社のメンバーで飲みに行った。

久々のGr.飲み会。いや〜、飲んだ・・・。

会社を定時であがって飲みはじめたのは18時過ぎ。

帰ったのが多分0時くらいだから、5時間くらい飲み続けてた・・・。

 

そんなわけで、今朝は二日酔いスタート。

やっぱ朝起きれね〜。

何とか1時間遅れで会社へ行く。

って言うか、だいたいよぉ〜。世間はG.W.だぜぇ?

震災とか無かったら、全国行脚行ってるっつぅ〜の!

 

夜、家に帰ると宅急便が来ていた。

ひとつは講習会用に発注していたファーストバック。

山ちゃんに教えてもらったとこで買った。安いんだなぁ、これが・・・。

これで講習会の準備はOKだな。

 

もう1つはドッヂビーが山ほど詰まった箱。

CLUB Jr.からの支援物資だ。

実は先日、宮城県FD協会長の木村さんからMailが来た。

木村さんの家は石巻。

津波の被害は受けなかったものの、結構大変なことになっているのだが、今は兄弟の家に身を寄せ職場に通っているそうだ。

そんな木村さんから、レク協会の呼びかけで被災地の子供に遊具を届ける話があると聞いた。

出来れば、ドッヂビーを届けられないか?そういう相談が来たのだ。

俺も結構色々抱えてる時だったので、とりあえずCLUB Jr.の社長にMailして相談した。

そしたら快諾どころか・・・、予想をはるかに上回る量のドッヂビーが送られてきた。

JFDAのお下がりドッヂビー10枚もも一緒に送ってくれて、宮城県協会のドッヂビーまで補充してくれた。

社長、ありがとうございます・・・。

さぁ、このドッヂビー、木村さんに早く届けたいもんだ。

新品ドッヂビー50個が届いた!!

 

今日は楽天イーグルスとベガルタ仙台が、震災後初めてホームで試合をした日だった。

野球もサッカーも見事勝利。

テレビのニュースでしか見れなかったが、明らかに応援によって見えない力が働いているような気がした。

気迫・・・。

最近の俺に欠けているもの・・・かな?

 

 

May.1.'11.

曇り。

10時に起きた。

昨日も遅くまで起きていた。やることがいっぱいで片付かない・・・。

毎日、朝日を見ているような・・・。

まぁ、そんなわけでモゾモゾやっとこさ起きて準備する。

今日は、石巻の木村さんのトコまで、CLUB Jr.から受け取ったドッヂビー50枚を届けに行くのだ。

朝飯を食ってたら親父からTELが来た。

お袋が再来週こっちに来るとか言い出して・・・。

目的は、見舞い?様子見?挨拶?わけ分からんことを言っていた・・・。

来なくていいから!と断っておいた。

正直、大きな余震がいつ来るかも分からないのに、自分で車も運転出来ないようなお袋が来ても困るだけ。

そもそも挨拶って・・・。

美樹ママの実家を指して言ってるようだが、むしろ迷惑じゃん。

親父は、良かれと思ってやったことを否定されたので納得いかなかったようだけど・・・、受ける側のことも考えろ〜!

単に食事代は嵩むし、平日だから俺がいない間は美樹ママが気を使うし、良いことなんか無いんだぞ〜。

ドッヂビー積み込んで出発!!

 

11:00、ちょっと予定より遅れて出発。

昼前には着かないといけないのに・・・。

ナビに従いながら、昨日美樹ママに聞いた道を進む。

橋を渡って左折・・・と。

ありゃ?

なんじゃ、こりゃ??

通行止めですけどぉ〜。

え〜、ナビにも表示されてないし、ネットで調べた時も何も書いてなかったのにぃ〜。

いまだに、こんなことあるんだなぁ。

後で木村さんから聞いたのだが、3/11の地震では大丈夫だったのに、4/7の大余震で通行止めになったらしい。

もう、余震は来ないでくれ〜。

ありゃりゃ、遠回りしなくちゃ・・・。

 

木村さんとは近所のエンドチェーンで待合せ。

俺が到着する頃、ちょうど木村さんもやってきた。

家はすぐ近くだそうだが・・・、大変なことになってるそうだ。

流石に押しかけて見に行くわけにはいかない・・・。

石巻の市街地が優先されている為、こっちの方(石巻北部)まで回ってこないらしい。

しばらくは不自由な生活が続くそうだ。

ちなみに車も大変らしい。

被災時、津波が来るのが分かったので自分の車で避難しようとしたら、県の車で避難するよう指示されたそうだ。

俺が聞いてても、『何で?』って気もするが、とりあえず指示に従ったらしい。

水没を覚悟していた車は・・・、床下まで浸水したが無事だったそうだ!

もう12,3年乗ってるので、3月に買い替えか?と思っていた車が、今は大活躍だそうだ。

世の中、分からないもんだよなぁ。

どっかの車は、これからって時に廃車になったのに・・・。

しばし、あれこれと世間話をした。

でも、やっぱり俺ら内陸に住んでいる人間と苦労の度合いが違うね。

ホントに大変だったと思う。そして、これからもまだまだ大変な日が続く。

そんな木村さんにドッヂビーを託していくのもどうかと思うが・・・。

今はこれが俺に出来る精一杯・・・。

協会のイベントをこなすくらいしかないなぁ・・・。

無事、木村さんにドッヂビーを渡しました!

 

木村さんと話していて、石巻の街を見てから帰ることにした。

石巻の中心部はTVでしか見ていない。

もう結構復興は進んでいるのだろうか?

俺は一時期、数ヶ月くらい仕事で石巻に通っていた時期があった。

帰りが遅くなってホテルに泊まったこともあるし、飲んだことも何度もある。

石ノ森章太郎萬画館も行ったし、海鮮丼を食べに港へも何度も足を運んだ。

震災のちょっと前にもCR-Zで行ったなぁ。

俺が知ってる景色の多くが津波で破壊されてしまった・・・。

街は・・・今どうなってるのだろう。

 

矢本石巻道路を南下し市街地へ入って行く。

渋滞・・・と言うよりは、皆結構ゆっくり走っている。

県外ナンバーが多い。支援に来ている車もいれば、完全に見物っぽい車もいる。

道が分からないからタラタラ走っているのか?ちょっと邪魔な感じの車が多い。

テレビによく映る日本赤十字病院が見えた。

道路の青看板にデカデカと書いてあった。誰でもすぐに分かるようにしたのだろう。

しばらく走ると駅前通りの近くまで来た。ところどころ、まだ信号が止まっている。

津波はこの辺にも浸水したのだろう。

かっぱ寿司の前には、店内の座席が全て外に出され干してあった。

駅前商店街の通りは、地割れも結構あった。

目的地に行くのには、ほとんど駅前通りを通らなかったので、

商店街に所々置いてある石ノ森章太郎の萬画に出てくるキャラクター像がどうなったか?までは分からなかった。

かっぱ寿司。座席が外に干してある・・・。

 

日和山公園に着くと、結構車でいっぱいになっていた。

駐車場はどこもいっぱいで、一旦全部通り過ぎて山を下ってしまった。

坂を下りた先は、石ノ森萬画館の近く。

瓦礫が所々に山積みにされ、動かなくなった車がアチコチに放置されていた。

変に走り回るのもどうかと思ったのでUターンして再び山頂へ。

路駐している車の前に一台分のスペースがあったので そこに停めた。

車を降りてまず感じたこと・・・。

嗅覚を刺すような腐敗臭が襲う。

生ゴミの臭いだ。

確かにテレビでも問題にしていた。これから暑くなっていくと尚更大変だ。

桜の花が大分散りかけている公園に入って行くと、お茶屋さんが店を出していた。

でも、この押しつぶされそうな空気で食欲がわかない。

周りの人は結構普通にしているのだが、俺には大気が重く感じた。

展望台から見た景色は・・・、何週間も前に見たものと何ら代わり映えがしなかった。

瓦礫の山だ。

いったい、これが片付くのはいつなんだろう?

ショベルカーがアチコチで動いているのが見える。気が遠くなる作業だろう。

日和大橋周辺の景色。

少し西側を見てみる。

 

テレビでは海外から日本に行く人は少ないと言っていたが、中国人や韓国人の観光客も来ていた。

『頼むから、笑って話してんじゃね〜よ・・・。』

と、一瞬思ったが、地元の人にとっては観光客が来た方がいいこともある。

複雑だ・・・。

日和公園は神社みたいになっていて、その下に桜の木が沢山ある。

下でお花見をやっていた。

『石巻を元気にしよう!』・・・と書いてあった。

そうだな。皆で笑って暮らせるようにしていかなければいけないな。

でも、何だろう?

気持ちが重いのは変らない。

あんまり行ってみようという気にならない。

そもそも何を話せばいいんだよ?

分からない・・・。

お花見をやって盛上げようとする人達もいる。

 

奥の展望台の方へ行ってみる。

石ノ森萬画館がある中瀬が見える。

ホントに何も残ってないんだな・・・。

萬画館の周りもほとんど何もない。流されてきたであろう家が傾いていた。

そんな萬画館に鯉のぼりが沢山連なっていた。

鯉のぼりに託された想いが胸に染み入る。

中瀬。端まで沢山立っていた建物が無い。

萬画館に連なる鯉のぼり達。

対岸には今も船が・・・。(写真左端と右端)

 

展望台からは階段で下に降りて行けるようになっていた。

観光客達がガイドさんに案内されていく。俺もついて行く。

高度が下がっていくにつれ、鮮明に瓦礫の山や動いている人々が見えてきた。

まるで戦場になった場所だ。

家という家が押しつぶされ、車は潰れひっくり返され、至る所に転がっていた。

何度も津波の跡地に訪れて、必ず同じ状態になるのだが、息が苦しい・・・。

過呼吸のような状態になる。自然に涙が出てくる。

自然の力の前に、なす術もない人間の小ささ、幼さを感じずにはいられない。

自衛隊の人達は今もなお、大人数で捜索活動を続けていた。

あの瓦礫の山の中で何が出来るのか?

終わりの無い悪夢のような作業が続いている。市街地を抜け、日和山を登るまでは然程被害は大きいように見えなかった。

山の反対側は一変して大違いの景色だ。

俺の知っている街、知っている場所、面影がない・・・。

内陸部に住んでいると、やはり別世界だ。同じ宮城県なのに・・・。

前を向くのも大事だが、今現実に起こっていることを忘れてはいけない。

メディアは日々現地の現場の風景から遠ざかっている。

避難所の中の一部などしか放送されず、自衛隊の瓦礫撤去や捜索活動は日に日に放映時間が減っている。

これでいいのか?日本・・・。

瓦礫撤去を行うショベルカー達。

積み上げられた瓦礫の量がハンパではない。

もくもくと捜索活動をする自衛隊。

 

重苦しい気持ちで階段を上がってくると、さっき上から見ていた花見会場の前に出た。

でも、今の俺はやっぱり参加出来ない。

どうしようもなく気持ちが辛かった・・・。

ごめんなさい。一歩踏み出す勇気が搾り出せなかった。

でも、活動自体は応援したい。

せめて写真にして世間に知らせたいと思って遠くから撮影した。

花見会場。

 

花見会場のすぐ先に看板がポツンと置いてあった。

へぇ〜、こんな有名な人達の歌碑があるんだ・・・。

歌人達は、今の石巻を見たらどう想い、どう詠うんだろう。

果たして言葉を連ねることが出来るのだろうか?

答えは分からないが、それでも詩に出来る人が本当の才人なのかもしれない。

もう少し歩こうかと思ったが、雨もポツポツ降ってきたので撤収することにした。

お茶屋さんくらい寄れば良かったと後で少し後悔した。

歌碑の看板があった。

 

帰り道、少し渋滞したが淡々と帰ってきた。

災害復旧隊と書かれた幕をぶら下げて走る大阪ガスの車がいた。

いいなぁ・・・、あぁやって胸を張って復旧を手伝える仕事の人は・・・。

俺には何も出来ない。

ドッヂビー送ってもらって、それを届けて・・・、自分は何をやっているのだろう?

こんな風な自問自答は4月に津波の被災地を見てから延々と続く。

結局何も出来ないし、何もやってないんじゃん・・・。そう思うことが多々ある。

自信持って胸張って復旧手伝えたら、それでいいのか?も疑問に思うことがある。

結局、正しい答えなんて導き出せないのかもしれない。

もどかしい気持ちだけが・・・、何度も何度も頭をよぎり、胸を締め付ける。

現実逃避したくなる・・・。

大阪から遙々来たガス屋さん!頑張って!!

涌谷町のグランドには、自衛隊の野営テントがズラリ。

 

午後2時過ぎに帰宅。

今日半日車に乗っていて、やはり気になったのが異音。

毎回感じるダッシュボードの辺りと、助手席側のドアノブ周辺。

ダッシュボードから荷物を全部外に出しても音が鳴るので間違いなくどっかが鳴ってる。

モールド(樹脂)が摺れるか軋む音だ。

助手席側のドアからの異音はもっと低俗な音。

カタカタとバネが外れた部品のような音がする。

もういい加減限界だ。ディーラーに持っていこう。

再現しようが、しまいが、そんなの関係ない。現実問題、これだけイライラさせているんだ。ちゃんと直してもらいたい。

いつもの担当の人に言っても効果ないので店長に電話してみた。

今日は1日いるそうだ。これから行くので・・・とアポを取る。

なるべく感情的にならず紳士的に行こう。

 

腹は減っていたが、あまり遅くなる前に行きたかったので、そのままディーラーへ出発。

到着すると、既に話が通っていたのだろう。

受付の人が奥の席を勧めてきた。

店長が来るのを待っていると、いつもの担当の人が来て謝っていった。

今頃しんみりされてもなぁ〜。

そもそも長い付き合いなので、この人に面と向かって文句言う気になれないのだ。

お茶も勧められたが、「今日は結構です」と、あっさり断る。

 

しばらくして店長が来た。

謝罪から入るのが営業マンらしい。

でも、俺は技術屋なので、あまりそういうことに反応もしないし、正直そんなことはどうでもいい。

今起こっている事象。

過去の修理依頼の経緯。

再現しないという理由でちゃんと見てもらえなかったこと。

毎日乗っていて気になって仕方が無いということ。

今までのディーラーの担当者やエンジニアの対応など、淡々と話した。

相手は年季の入った店長さんだ。

もちろん聞き上手で、相手の話し方、目の動き、口元をよく観察している。

あえて、目はほとんど合わさず関係ない一点を見るようにして、話しぶりはやや興奮気味にして、

感情の高ぶりを見せることで、こちらがどのくらい困っているのか?怒っているか?を分かりやすくしておいた。

・・・はずなのだが。

まぁ一通り謝罪をしてきた後、車を引き取ってちゃんと確認する話まで言ったのだが・・・。

現在、ディーラーのエンジニアが交代勤務(G.W.だからだろう)してるって理由で、出来れば同じ担当者に見せたいから5/9以降の方が良いと言ってきた。

『バカだなぁ〜?』

怒って我慢できない状態になっている客に向かって言うかぁ?

これは俺の本気度合いを試しているのかぁ?

上等だ!買ったよ、そのケンカ・・・。

そんなもんは関係ないから、すぐ見てくれ。技術屋なんだから人が代わろうが関係ない。引継ぎをちゃんとやればいいだろう?

・・・と言うようなことをピシャッと言いきった。

ちゃんと何が原因で、どういう対策をしたのか?まで、技術屋の俺が納得行くように説明してくれ!とも付け加えた。

店長の目の色が明らかに変ったようだ。

「長期だと代車が必要なのでは?用意しますか?」

・・・と、聞いてきたので、「一切要らん!」と、ここも一刀両断。

「とにかく一時でもいいから早く何とかしてくれ!せっかく買った車がかわいそうだ!」 ・・・と、強い意志を見せた。

 

やっと状況(俺)が理解出来たらしい店長は、その後震災の話にすり替えてきた。

面倒くさかったが、一応話は聞く・・・。こっちは世間話をしにやってきたわけじゃない。

店長の実家が石巻だそうだ。家は流されたけど家族は無事だったそうだ。

仙台から通っていて、一時期はガソリンも買えず通勤できなかったそうだ。

ガソリンが買えずに大変な状況は皆一緒だったし、石巻で被災した人は沢山いる。

って言うか、今俺にその話するのは逆効果だぞ??

話半ばで、程々に切り上げることにした。

「帰りの足が無いので送らせましょうか?」と聞かれたので、それも断った。

物事への徹底さを見せ付けないと手を抜きそうだったからだ。

『店長さ〜ん、次ちゃんとやらなかったらマジで許さんよ〜??この店のトップとしてのプライド見せろや・・・!』

振り返りもせず、そのままスタスタと店を出る。

さっきまでしんみりモードだった俺は、何だかダークたかちゅき♪になってしまっていた・・・。

はぁ〜あ・・・、自己嫌悪・・・。

結局表向きには感情的になってなくても、内面が感情的じゃん・・・。

きっと顔に出てるんだろうなぁ〜。阿修羅マン・・・。

 

ディーラーを後にした俺は、美樹ママにTEL。

予め言ってあったので、すぐ合流してジャスコ・・・もといイオンへ。

昨日の勢いで自転車を買うことにしていたのだ。

展示されている自転車の数は減ったように見えたが、俺が自転車の種類を分かるようになっただけだった。

欲しいのはクロスだ。

マウンテンバイクだと、悪路は強いがスピードはイマイチ。

ロードはスピードは出るが、タイヤが細くて悪路に弱い。

ってことで、良いとこ取りのクロスを買おうと決めていたのだ。

1種類しかないのかぁ・・・。

他はお取り寄せになります・・・ってことなんだが、どうやら自転車を買う人が多すぎて無期限らしい。

展示してあった自転車はダメって感じしなかったので、それを買うことに決めた。

値段は最初49,800円って言われたが、よく調べたら39,800円だった。

店員が高いと錯覚するのなら、いいチャリじゃん?

でも、乗れるように準備するのに3日かかるんだって。

しかも、空気入れは専用?普通の安物じゃダメらしい。空気圧を見れるのが必要なんだとか。

鍵も1つじゃ危ないそうで、2つ付けることにした。

あと、ドリンクホルダーとケース、スピードメーター、後方反射板・・・。

あぁ〜、金かかってしょうがね〜じゃん!

次に来た時に買おうと思ったが、今なら1割引らしいので全部一気に購入することにした。

景気回復に一役買ったれや〜!

泥除けは無い方が格好いいと聞いていたのでパス。

でも、きっと後で後悔するんだろうなぁ・・・。

でも、いいや。楽しく乗れればさ♪

この子が5/4にウチに来るチャリ♪

 

気付けば、G.W.も徐々に進行中。

まぁ、明日会社だし、そんな気分でもないが・・・。

例年のG.W.と比べるとあまりにも生活が違い過ぎる。

去年の今頃は・・・、みぃもを拾って姫路から岡山へ抜けていた頃だなぁ〜。

確か寒かったな、テント生活・・・。

 

May.5.'11.

晴れのち曇り。

今日も・・・昼前に起きる。

毎日だなぁ〜。ま、いっか・・・。

 

美樹ちゃんは親戚と山菜採りに行ったので、美樹ママと2人で松島方面へ行くことにした。

観光名所にお金を落としましょう!プロジェクトだ・・・。

いまだ通行止めが解消しない場所があるので、松島方面に行くコースが限られる。

どうせ行くなら・・・ってことで、奥松島から行くことにした。自然の家を通るコース。

県協会の木村さんの話では、自然の家は一時的に瓦礫の集積場になるらしい。

ホントかなぁ?

今はどういう状態なのか??

行ってみた・・・。

 

野蒜海岸手前の景色はあまり変化無かった。

瓦礫の撤去が幾分進んだかな。でも、田んぼはまだ使える状態ではなかった。

塩田の問題もあるのかもしれない。ここの田畑はどうなっていくのだろう?

自然の家へ向かう道は、松の倒木が撤去されていた。

不安定だった道路も引き潮の為か?前回来た時よりは安定して渡れるものになっていた。

自然の家には車も軽トラなら入っていけそうになっていた。

正面玄関までの道は倒木や電柱が撤去されていて、本館の中も大分整理されていた。

ただ、4/7の大きな余震のせいか、建物周囲が更に水没しており深い溝が出来ていた。

今回は美樹ママと2人でやってきたので、比較的落ち着いて見ることが出来た。

そう、1人でこういう光景を見るとマイナスな興奮状態になることが、この前の石巻で分かった。

落ち着く・・・っていうのが、いかに大事か?は今回2人で来てみて実感した。

本館の前には鯉のぼりが吊るされていたのだが、風で絡まってしまっていた。

それでも、ここに鯉のぼりを掲げることを思い立った人がいたと言う事実だけでも救われる思いがした。

再び松島自然の家にやってきた。

本館の中はキレイに清掃されていた。

建物周囲は水の浸食が増していた。

窓の外から覗いた事務所の中。グチャグチャだ・・・。

鯉のぼりが残念な感じに絡まる。

 

実は数日前、HPの掲示板で長島から喝を入れられた。

友人と言うのは、いかなる場合でも、どのような言い草でも、自分自身を見つめ直す機会を与えてくれるものだ。

その後深く考えた・・・。気付けば朝だった。

やはり、意見の相違は致し方ない。

立場も違えば、考え方も違う。

ただ、俺が根本的に違いを感じたのは、俺自身の蓄積されたダメージだ。

やはり精神的にやられてしまっていると思う。

そこから自分が抜け出せていないと言うことが良く分かる。

若干客観性が持てたお陰で、色々と原因を考えた。

 

1つは、生きる為に必死になった時間、復旧の為に必死になった時間、自分に対するそれが終わった瞬間の虚脱。

自分自身、生活のギャップが大きすぎると思う。これは否めない。

実際に震災直後の、あの不安な日々を思い出すのも嫌である。

沿岸部の被災地域に拘るのは、そこに住む人々が未だその生活を強いられていることが分かるから。

これは大きい。小さな余震であっても、それがそのまま大きくなり再びあの生活が来るのかと思うと、それだけで気持ちが落ち着かない。

今日も何度か横揺れがあったが、その度に考えてしまうのだ。

常にその恐怖を背負って生活している。これは多分被災生活を送った人々皆同じだろう。

自然災害は受け入れるしかない・・・と、よく言われるのだが、その後の生活も考えなければならない。

大きな被害を受けた後というのは、どうしても敏感になってしまうものなのだろう。

その不安と、今現在送っている通常の生活との落差と言うか・・・、ギャップが思考を狂わせる。

 

もう1つは、被災地に足を運ぶ際、1人で行動することが多かったこと。

まだ復旧作業も進んでいない悲惨な状況を何度も鮮明に見てしまった。

その瞬間、1人でその場に立つことが多かった。

周囲に誰もいないことも多かった。

今でも鮮明に思い出す。あの虚空間のような孤独感や、絶望感。

完全にこれがトラウマになっていると思う。

被災地の映像を見ていると自然に涙がこぼれてくるのは、きっとこの時の印象が濃すぎるのだろう。

1人じゃなければ良かったのか? については分からないが、言葉を交わす相手がいなかったのは孤独感や絶望感を増長させるだろう。

とにかく空間的な感覚が、何かのきっかけで擬似的にその瞬間まで遡ることが多々あることは間違いない。

これは何よりも重苦しくのしかかる恐怖心だ。

 

そして、もう1つ。

これは半分当たり前なのだが、俺と長島の精神構造が極端に違う。

大学時代から分かっていたことだが、根本的な構造が違うと思っている。

一緒にいて遊んでて楽しいのとは全く別次元の話だ。

思考(発言)へ直結する部分で全く違うセンスの持ち主だと思う。

だから一部で理解は出来るものの、肯定出来ないところが多々出てくる。

ただ言ってることは、気遣いや気持ちも含めてよく分かる。

そこは理解力の問題だから、こちらがどう受け止めるか?だけの話になる。

言い回し、選んだ言葉、背景、全てにおいて、掲示板に書かれていたのは長島精一杯の気遣いを感じる。

普段ぶっきらぼうなだけに、いたく染み入る。

まぁ深読みし過ぎなだけで、結局いつもの長島がそこにいるだけなのかもしれないが、それはそれでいい。

 

そんなこともあって、今日は自然の家の敷地に入るのも美樹ママに同行してもらっていた。

1人にならないこと、違う考え方の人間と意見を交換出来る場を持つこと、同じ空気を共有すること。

これらは、きっと今の俺を変える何かに直結すると思った。

美樹ママに悪影響が出なければいいのだが・・・とも思ったが、どっちかと言うと美樹ママの思考はかなりタフだ。

弱い側面はそういう時ではなく違う時に現れる。

実はこういうこと考えた背景には、アベカズさんとディスクゴルフに行ったことが大きく影響していた。

鳴子へ行く道すがら、あれこれと自分の考えを話し、アベカズさん自身がどう考えているのかを聞いた。

感覚として、俺と近しい思考をする人もいるのだな・・・と思って安心した。

その夜に美樹ママと話すと、長島の考え方に近いな・・・と感じた。

十人十色。

パラダイムシフト。

いつも自分が仕事の時に言ってるくせに、いつのまにか自分の思考が指向性を持ってしまっていた。

少し見方や考え方を変えてやろうと思った。

まぁ何にせよ、この思考に至るまでのきっかけを与えてくれたのは長島であり、

思考回路などはかなりベクトルが違うものの、彼が俺にとって掛替えの無いダチであることを改めて実感した。

自分と異質な者こそ、自分にとって必要不可欠であり、生涯学ぶべき対象だ。アイツにはそれがある。

 

今日は1つの可能性を求めてやってきた。

『1個でもいいから、ディスクゴルフのゴールを見つけたい!』

本館の裏手に周り周囲を見渡している時に、美樹ママから同じことを言われた。

小さな感動を覚えた。

誰しもが思うことなんだな。

長い時間、敷地内を隅から隅まで見てまわったが・・・、結局発見することは出来なかった。

 『どこかで埋もれて俺を呼んでいるんじゃないか?』

 『実は生き残った木の茂みに引っ掛かっているんじゃないか?』

そう思いながら歩き回ったが、残念ながら津波の力の方が大きかったようだ。

きっと対岸の方まで流されてしまったのだろう。本当に残念な限りだ。

自然の家の人達が片付けをやった形跡もあり、既に捜索はされていたのだろう。

それでも諦めきれず、結構な時間さまよい歩いた。

ただ、残念なだけではなかった!

津波に薙ぎ倒された木々の中にも、命を絶やしていないもの達がいた。

花を見た時の感動、湧き上がる力、これらはプラスの心的要素だと思う。

懐かしい顔にも会った。

仙台大会の時にいつも活躍してくれていた延長コードだ。

瓦礫に混じって転がっていた。もう使えないかもしれない。

それでも、「お前は流されずに済んだんだな・・・。」と、何となくだが嬉しかった。

何年かかるか分からない。

でも、何年か先にこの施設が復興した時、必ずディスクゴルフゴールを設置したい。

1基でも2基でも構わない。自腹ででも買ってやる。

ゴールを置いて、またあの自然の中でワイワイとディスクゴルフしたいと思った。

松の林だった場所。根だけがたくさん残っていた。

ここはトイレやシャワールームだった。水没してしまった。

倒れた木に咲く花達。負けない気持ち!

懐かしい友。何度これを借りたことか・・・。

海まで見渡せるようになった自然の家の風景。

 

前回とは明らかに違う精神状態で自然の家を後にした。

既に多少なりとも片づけが進んでいたことが、見るものの精神状態を安定方向に持っていったのかもしれない。

自然の家の職員さんや、片付けに参加したボランティアの学生達に感謝したい。

ホントは俺が参加しなきゃいけないんだろうな、そういうの・・・。

時間が出来たら、また来てみよう。

まだまだ片付け真っ最中の東松島から、松島に向かって走った。

途中、震災前に家族で訪れた公園にも足を運んだが、道路はひび割れや段差がひどく、落石も放置されていた。

公園の駐車場の入口もひどい段差で、結局引き返した。

あまり人も通らないので後回しにされているのだろう。

ただ、東松島の牡蠣ラーメン(建物ごと無くなってた)以降は、津波の被害はほとんど見られない風景だった。

この辺は、やはり南三陸町や本吉町の方とは大違いだ。

松島の島々が防御壁となってくれた影響が大きいのだろう。

駅から自然の家に行く時に渡る橋。景色が全然違う。

すこし外れの道路では、まだ落石が放置されているところも・・・。

 

松島は、牡蠣やタコをよく食べていた海鮮物の店付近も含め、建物損壊の被害は割りと少なかった。

海鮮物の店は普通に営業していた。

美樹ちゃんとよく行くアイス屋さんも大丈夫だった。営業中の看板を見てホッとした。

海鮮市場へ車を入れてみると、午後3時になろうかと言うのに、そこそこ人で賑わっていた。

ただ、市場の1階は使用不能で関係者以外立入り禁止になっていた。

2階に売り場があったが、鮮魚などはほとんど置いてなかった。

お土産ものも、北海道産とかが置いてあった。松島で水揚げしてないのかな・・・。

外で売っていた牡蠣串を食った。ホントは殻付きが食べたかったが既に売り切れていた。

酢味噌味ってのが、微妙に違和感を覚えたが・・・。まぁ、味は牡蠣だからいいや。

松島さかな市場♪

1階の商品棚は外に干してあった・・・。

外で焼き物屋をやっていた!

ツブと牡蠣があった。殻付牡蠣は売り切れ・・・。

牡蠣串を食う。酢味噌味。

 

隣合せの敷地内にある土産売り場にも足を運んだ。

テレビでも何度か放送されていたが、皆で必死に泥をかき出した店だ。

店の入口には、津波の時に水に使った高さと、泥に埋まった高さにシールが貼られていた。

よくこんだけ綺麗にしたもんだ!と感心するしかなかった。

建物自体の被害は少ないように見えるが、ここ松島も津波の被害を受けたことには変わりないのだ。

土産売り場で、宮城県ならどこでも売ってそうな、ふかひれスープを買った。

美樹ママが、「売ってるよ・・・。」と言っていたが、この町にお金を落とすことが今日の目的じゃん!

ま、大した額じゃないけどね。少しでも足しになればいいじゃん。

ドアのところに矢印があります!

上が水位。下が泥に埋まった高さ。

 

松島の船着場の前は結構人がいっぱいいた。

渋滞もいつもの土日並みな感じ。G.W.としては少ないかなぁ・・・やっぱ。

何軒かの店はやはり被害が大きかったのだろう。シャッターごと歪んでいる店などもあり閉まっていた。

それでも何だか活気に溢れていて、見ているほうも元気が出た。

松島水族館のマリンピアには凄い数の人が訪れているのが道路からも見えた。

そのまま、海岸線を塩釜方面へ南下。

途中、景色が見えるところがあるので、そこへ寄ってみる。

松島湾が一望出来た。

海は、あの日の光景が嘘のように・・・静かだった。

高台から見た松島湾。

 

その後の風景は平和そのもので、渋滞もなくあっという間に塩釜仲卸市場へやってきた。

が・・・。

何?この閑散とした感じ・・・。

完全に閉まってんじゃん。午後4時くらいまでじゃないの?

午後2時迄ですけどぉ〜。

近場の店も全部閉まっていた。

あぁ〜あぁ〜。

が、ふと俺が気付く。

 「テレビで見たのって、マリンゲート塩釜じゃなかったっけ??」

そうでした。そっちでした・・・。

じゃ、出発〜。もう既に3時を回っている。急げ〜!!

何か閉まってますけど〜。

 

塩釜に来ると、再び景色が一変した。

あちこちに津波にやられた家屋がある。

確かにYouTubeなどで見た映像では、今走っている辺りはみるみる水没していた。

 「あそこが動画を撮っていた屋上だね。」

 「ここが映ってた場所だね。」

などと言いながら渋滞の中を走る。

今でこそ道路の瓦礫は取り除かれているが、この辺の被害が大きかったことは記憶に新しい。

マリンゲートに到着し駐車場に車を停める。

屋上から景色を見ようかと思ったら、立入り禁止になっていた。

とりあえず、階段で一番高いところまで登ったが・・・、津波の面影はパッと見では分からない。

そのまま、そこの2階にあるイタリアレストランに入った。

昼飯食べてないしね。現地でお金使って帰らないと!

観光用の龍の船。使える状態なのか?よく分からなかった。

パッと見は平和になっている。

 

 「16時閉店ですが、よろしいですか?」

と、小奇麗なねぇちゃん・・・もとい店員さんに言われた。

軽く食事するくらいのつもりだったので快諾して店内へ。

窓際の海が見える席に案内された。

何だか、美樹ママとデートしてるみたいだな(笑)

パスタを頼んで待つ間、窓から景色を眺めていると線路の上を走る電車が目に入った。

仙石線だ。そっか。松島までは走ってるんだな。

写真を拡大して後になって気付いたが、電車には石ノ森章太郎のキャラクターがビッシリ描かれていた。

乗ってみたいなぁ〜!!

パスタは・・・、まぁ〜ぶっちゃけ俺にイタ飯の良し悪しを聞くほうがムリってもんでしょう。

ガーリックホタテ味。これに御満悦でした♪

美樹ママは相変わらずエビが入ってるの食ってた。うぇ〜。

食後のコーヒーが出てきたのが15:57だった。16:00閉店なんだろう?3分で飲めってか〜?

ま、結局3分もかからずにコーヒーを飲み干し、店を後にする。

さっきの小奇麗な店員さんが出口までお見送りしてくれて超・好印象だった。

ただ残念ながら、俺にはイタ飯の良し悪しがあまり分からない・・・。

ただの腹ごしらえにしかならんのだよ、ニコニコしてくれる店員さん♪

石ノ森章太郎列車!

パスタがやってきましたよ!

ガーリックホタテ味うまうま♪

観光船が出入りしてた。お客さんはボチボチな感じ。

店員さんがお見送りしてくれた。ありがとう!

 

駐車場に戻ると、隣に消防車が停まっていた。

俺も美樹ママも大笑い。

実は俺がCR-Zを買う時、赤い車が嫌いなウチの親父が、「あんな消防車みたいな色・・・」と言ってケチつけたことがあった。

お袋の部屋にあるゴミ箱と同じ色とも言ったそうで、このことは美樹ママも美樹ちゃんも知っていた。

それが、ここに来て消防車が隣に停まっていたもんだから、ツボに入ってしまったのだ。

思わず写メ撮ってお袋にMailしてしまった。

 「クイズ!俺の車はどっちでしょう??」

後でお袋から返事が来たが、大分大笑いしてくれたようだった。

夜には美樹ちゃんも大笑いしていた。

 

マリンゲート塩釜に行けば海鮮物売ってると思ってたのだが、無いなぁと思ったら、実はちょっと先まで行けばあったのだ。

もう4時過ぎ。慌ててそっちまで行って駐車して駆け込む。

そもそも海鮮物が買えると聞いて、今日ここまで行こうと思ってたのだ。

もう少しで空振りで帰るところだった。

建物の中は、こじんまりと市場が開かれていた。それでも昼間は賑わっていたのだろう。

最初に、あわびが売られているのが目に付いた。即購入決定!

その後、店のおんちゃんに言われるままに次々と購入。

 「どんだけ売る気ですか?」って言いたくなるくらい、次から次へと勧めてくる。

まぁ、元々これが目的ですからね。金の出し惜しみする気は無いですが・・・。

気がつけば1万円お買い上げ〜♪

なんだかなぁ〜。もっと大勢の人から少しずつとかさぁ〜。まぁ、いいんだけどさぁ〜。

一部は美樹ママの親戚へのお土産にすることになった。

俺がどうしても届けたかったのは、美樹ママのお父さんのお姉さん。

3/11の震災の夜、心配して行った俺らに自家製あられ煎餅をたんまりくれたのだ。

これから食糧難になるかもしれないと言うあの日。涙が出るほど嬉しかった。

「今は田植えで忙しい季節で、買物もろくに行けないだろうから調度いいね!」 と、美樹ママも賛同してくれた。

小規模だが活気溢れる市場。地元のものもある!

発泡スチロールの箱いっぱいに買っちゃった・・・。

 

美樹ママの親戚宅にお魚を届け、美樹ちゃんを迎えに行き、無事帰宅。

さぁ〜、あわびさん焼きますよ!

お刺身も食べますよ!!

海の幸に感謝ですよ〜!!

で、ビール飲んだらバタンキュー。

最近、このパターンが多い。って言うか、毎日ビール飲んでんじゃねぇの?

その後すぐ寝るし・・・。で、夜寝れないし・・・。

生活不規則過ぎるなぁ〜。

あわびさ〜ん♪

 

May.22.'11.

雨。

今日は予報どおり朝から小雨。

8時に県協会の木村さんから約束どおり電話があり、遠ちゃんが持ってきたディスゲッターを届ける場所を連絡してくれた。

木村さんは今東京に出張してるそうで、県レクの浅野さんが勤めているトコに預かってもらうことになった。

今日は、遠ちゃんとさとちゃんを連れて被災地に行き、その後松島観光する予定だった。

ついでに置いてこようってわけだ。

場所は小牛田駅のすぐそばだったので、ちょっくら寄り道してから北上していく。

せっかくなので、俺が見て写真に収めていた場所に連れて行くことにした。

 

雨の中、たいくつなドライブすること1時間半。

本吉町に着いた。

あれから1ヶ月以上、どのくらい変ったかな・・・と思ったが、瓦礫は結構整理され始めていた。

でも、ホントの海側はまだ全然進んでいなかった。

道路が通行止めになっていた45号線・・・、青看板に南三陸町の文字があったので開通したかと思ったがまだだった。

でも、かなり工事していたので近い内に走れるようになるようだった。

遠ちゃんもさとちゃんも、道中は余裕の会話だったが、実際に被災地を見て愕然としていた。

もちろん、俺が最初に見た時よりかなり片付いているのだが・・・、それでも初めて見た人はショックに違いない。

写真、動画、TVの映像・・・、これらは切り取られた空間、もしくはそれの連続に過ぎず、やはり空間的にこの光景を見るのとは違う。

目の前に広がる圧倒的な破壊された光景、空間・・・。

これはやはり言葉や映像だけでは伝えきれないものだ。

あえて、2人がウロウロ歩くのと距離を取った。それぞれ、自分自身の感覚で色々と感じてもらえれば・・・と思った。

その後、歌津、南三陸と45号線を下っていった。

歌津町でも少し町外れで車を停めたりしたが、想像を絶する光景だったようで言葉数が少なかった。

逆に俺から見ると、以前見た時よりもずっと瓦礫の片づけが進んでいて、1ケ月ちょいの間でここまで片付くのか・・・と感動していた。

以前は通るのもやっとだった道がキレイに舗装されている場所もあった。

頑張れ宮城!

三度目の本吉町。瓦礫はまだ・・・。

立入り禁止区間が広がっていた。

道路工事が急ピッチで進む。遠ちゃん達は立ち尽くしていた。

 

南三陸町を過ぎてから内陸部に入り南下を始める。

当初はそのまま石巻に向かう予定だったが・・・、大分腹が減ったので一旦松島へ行って昼飯にすることになった。

途中、津山町の柳津大橋のそばでグランドを発見!

野球グランドだったが、コートを少し小さく取れば2コート取れそうな野球グランドだった。

それが3個くらい並んでいたので、ここならコート3面は取れそうだ。

だが、いかんせん交通の便が悪い。

当分電車(気仙沼線)も開通しないだろうしなぁ。

車がない学生チームには厳しいなぁ。

 

タラタラ走る車のせいで、高速催眠現象になりかかりながら走り続け、やっと松島に到着。

お魚市場に車を停めてプラプラすることにした。

お魚市場の前にあるプレハブの牡蠣小屋で焼き牡蠣が食べれた!

3個500円だったので、6個買って1人2個食うことにした。

全員、御満悦♪

旨いねぇ〜♪幸せだぁ〜♪

プリップリのヤツを焼いてくれた!

牡蠣焼いてるトコ・・・。

久々の焼き牡蠣、いっただっきまぁ〜す♪

こりゃうめ〜♪

 

牡蠣を堪能した後は、遠ちゃん要望の牛タン利休までテクテク歩く。

駅の方だったので結構歩いた。

途中で牡蠣入りカレーパンとか売ってて、遠ちゃんがいちいち気になってるのが笑えた。

これから牛タンでしょ〜!!

利休は混んでいたが、ちょうど座敷が一席空いていて座れた。

俺とさとちゃんは極定食、遠ちゃんは1.5倍定食を注文。

お店のにぃちゃんに勧められるまま、タンシチューも頼んじゃった。

基本、食い物勧められたら断らないのね・・・。

遠ちゃんが食い始めた後、俺らが牛タンの写真を撮っていると、慌てて遠ちゃんも撮影を始めた。

 遠ちゃん 「いっつも忘れるんだよなぁ〜。」 

 さとちゃん 「習慣ですよ・・・。」 

すっかり染まってしまっている自分をアピールしてた(笑)

久々の牛タンはすっげ〜旨かった。

いや〜、やっぱ牛タンだねぇ〜♪

食い終わり際、遠ちゃんが「たんたんと食っちゃったね・・・。」とオヤジギャグを言ってしまった。

実際、淡々と食っていたのだが、思わずさとちゃんと2人で「え?」 と聞き返してしまった。

まぁ、何はともあれ遠ちゃんも大満足。

「俺の役目は終わったな・・・」 と完全終了モードに入っていた(笑)

1.5倍定食撮影中・・・。

極定食撮影中〜。

厚いねぇ〜!牛タン♪

 

あとはお土産&観光!ってことで、お土産屋めぐりと、松島の船着場や五大堂を見てまわった。

まだ震災の名残を残している景色やお土産屋、2人はどんな思いだったろう?

俺の感覚ではすっごい綺麗にされている感が強かった。

G.W.目指して必死に掃除とか修復とかしたんだろうなぁ・・・と思う。

まだ外壁が直らない土産屋。

船着場。防波堤の一番上のブロックが無くなってる。

松島はいつもの静かな海だった。

五大堂の燈篭は崩れていた。

遠ちゃん、何を祈願?

 

松島観光が終了したのが14:00。

これなら石巻に戻っても、さとちゃんの帰りの新幹線に間に合うね!ってことで戻ることに。

せっかくなんで東松島も見ていこう・・・と北上を開始。

でも走ってすぐに、「デザート食べない?」ってことになり、いつものアイスクリーム屋さんに寄ることにした。

ここは震災の被害を受けてなかったようでよかった。

みんなでダブルのアイスを買い、再び出発!

またこれが食べれて安心したぁ〜♪

あんた達、カップルですか??

 

松島自然の家付近に来た時、さとちゃんは最初気が付かなかったそうだ。

確かにそんなに土地勘が無ければ、これだけ景色が変っていると気付かないかもしれない。

そのことにショックを受けていた・・・。

海岸通りに出たが、自然の家方面はダンプカーが行きかっていたので、邪魔になるといけないので行かなかった。

俺の感覚では、ついこの前に美樹ママと来た時よりずっと片づけが進んでいる感じだった。

瓦礫の分別も始まっていた。

あれこれと4月頭の頃の様子を話しながら車を走らせる。

いまだに止まったままの仙石線など、片付けは随分進んでいる一方で、変らないとこもあった。

寂しくたたずむ仙石線。

田んぼに散らばったままの瓦礫を眺める2人。

 

東松島を抜けて石巻に入る。

道路はそこそこ混んではいるものの、街並みは本当に片づけが進んでいる感じだった。

うろ覚えの記憶を辿って日和山公園に来た。

さとちゃんの帰りの新幹線の時間が結構微妙になりつつあったが、せっかくなのでじっくり見よう!ってことになった。

まず俺がびっくりしたのは大きな瓦礫の量が減っていたことだ。

2人は景色に驚いている様子だったが、俺はこの景色の変化の方が驚いた。

前に長島が掲示板に書いていたように、皆頑張ったんだなぁ〜。

あの短時間でこんなに違うのか・・・と、心底感動した。

以前来た時に降りていった階段を下ると、あの時は山積みだった瓦礫がすごく減っていた。

今回は作業している人もいなかったので下まで降りてみた。

確かに目の前まで行くと瓦礫は結構残っている。

この細々した瓦礫を全部撤去するのは、また時間がかかるんだろう。

でも、この光景の変化を見ると、淡々と進んでいく気はする。

前のように、ただひたすら悲観的な感情に押しつぶされることは無かった。

もっとも、今日来たばかりの2人は感じ方が違うようだった。

遠ちゃんが、「午前見た景色と違って、ランドセルとか置いてあるの見ると、石巻の方が生活観があって心が痛むよ・・・。」と言っていた。

確かに元の光景がイメージしやすい石巻の方がそう思えるのかもしれない。

北の方の沿岸部はゴッソリ波に持っていかれていたから、何度か通ったことがある人じゃないと、元の街並みが全然想像出来ないだろう。

とりあえず今日は3人で来たので、話しながら歩いて完全にどんよりした気分にはならなかったのが救いだった。

約20日ぶりの石巻。

あちこち、随分瓦礫が片付いた。

大きな瓦礫の量が全然違う。

下まで降りると、やっぱ瓦礫は多いね・・・。

 

さて、なが〜い石段をはぁはぁ息も絶え絶えに登り、車に乗り込むと既に16:00になろうかと言う時間だった。

さとちゃんの新幹線は17:30だ。

1時間くらいで家まで帰らないと間に合いそうに無い。

ちゅうわけで、頑張って急いで帰ることに・・・。

昔、石巻の工場に通いつめていたので裏道はバッチリなのだが、支援の車がゆっくり走ったりと中々進まない。

さとちゃんには、いざという時の為に予約変更する準備をしろと言ったのだが・・・、パスワード忘れたとか言ってるし・・・。

 「もしかしたら間に合うかも〜?」

 「いや、やっぱ厳しいかも〜?」

道路の状況に合わせて予想がコロコロ変る。

その度に翻弄されるさとちゃんだったが、結局17:00JUSTくらいに家に着いた。

そのまま玄関に置いてあった荷物を持ち、美樹ママと美樹ちゃんに挨拶もそこそこに車に飛び乗る。

そんなに急がなくても・・・とも思ったが、何かあったら困るのでね。

無事駅について、俺と遠ちゃんに見送られてさとちゃんは帰っていった。

さとちゃん、大会の手伝いありがとね!!

気持ち的にも色々助かった。ホント、ありがと〜!!お疲れちゃん!!

任務終了でございます!

何故か遠ちゃんに見送られる・・・(笑)

 

その後家に戻り、今度は遠ちゃんが帰る番だった。

社長へのお土産も渡して、最後に記念撮影。

だって、CLUB Jr.の車が家に来るなんて、滅多にないもんね・・・。

どうせなら、昨日づまも来ていた時に、2台まとめて撮れば良かったかな。

遠ちゃん、俺と美樹ママに見送られて帰っていった。

遠ちゃん、遠路遙々車で来てくれて、ホントありがとね!!

気をつけて帰ってね〜!!

いい年して、ピースの2人。

たかちゅき♪邸にCLUB Jr.ワゴン!

 

Jun.14.'11.

晴れ。

午前中は前も降った様だが、昼過ぎに起きた。

今日は休暇を取った。土日かけての帰国移動だったからなぁ・・・。

昨日は明け方まで溜まっていたビデオを観てた。

今日も起きてから継続。10時間分以上観て、大分処理できた。

 

夕方、床屋に行く予定だったが、めんどくなって中止。

その代わり、美樹ママと買物に行く。

立ち寄った本屋で震災の写真集を見つけた。

何冊かあった中で、俺らが住んでいる大崎市のものがあった。

大崎タイムス社と言う地元古川の新聞社が出版したものだ。

1,000円だったので購入。

ホントに近所で起きた被害の映像がそこに残っていた・・・。

まだ復旧出来てないトコもあるもんなぁ〜。

「その時、大崎は・・・」 俺の家の近くが表紙。

 

 

Jun.23.'11.

雨。

朝・・・揺れて目が覚めた。

美樹ママが1階から大声で呼ぶ。

 『もう起きてますけど〜。』

どんだけ鈍いと思ってるんだか・・・。

それにしても、結構横揺れが長かった。

あれで、震度3って言われちゃうとなぁ〜。あ、震度4かな?

古川は震度3と4の微妙な境界ラインだったようだ・・・。

震源地は岩手県沖。岩手では震度5弱だったらしい。

津波速報もニュースでバンバン読まれていたので、震災後の4月頃を思い出した。

 

夜、会社で仕事してたら、ドドドドドド・・・と地鳴りが聞こえた。

そして再び地震が来た。

思わず 『今度はデカイのか?』と、身構える。『朝のが予兆だとしたら・・・』が頭をよぎる。

やっぱトラウマみたいになってる感は否めない。

震度4だったらしいが、今度は宮城県沖だったそうだ。

はぁ〜。ちょっと揺れただけで仕事やる気無くなるよ・・・。

体調も悪いし、明後日から会津で福島大会なのになぁ〜。

 

Jun.30.'11.

晴れ時々雨。

明け方、地震の夢を見た。

高いビルの中にいるのだが、すげ〜ビヨ〜〜〜ンって揺れてる夢。

長野で大きな地震があったそうだ。夢はその予兆??

 

今日は久々の晴れ間だ!と思ったので、チャリ通勤!!

最近乗ってなかったけど、身体が慣れてるっぽい。あまり苦じゃない。

でも、暑い〜!!

まだ朝なのに・・・。

 

美樹ちゃんの学校の前、普段は車なので一瞬で通り過ぎてしまうが停まってみた。

仮設校舎が大分出来てた。

今は渡り廊下作ってる最中のようだ。

7月に完成って言ってたけど・・・、出来るのかな??

急ピッチで作られる仮設校舎。

 

会社に着くと、流石に汗ビッショリだった・・・。

今度からパンツの着替えも欲しいな。

こりゃ地獄だぁ〜。

 

今日は、阿部さんからもらったさくらんぼを家族で食べた。

うん、美味しい♪

俺は普段さくらんぼをあまり食べない。

せいぜいクリームソーダに乗ってるやつくらいだ。

でも、これはナンボでも食えるな♪

お行儀悪い娘の図♪

 

Jul.3.'11.

曇り。

明け方まで起きて溜まってた録画もん片付けてた・・・。

の、割には10時半頃には目が覚めた。

起きてから、WOWOWで録画してたウルトラQを見てみた。

う〜ん・・・、さすが昭和の白黒だなぁ〜。

ウルトラマンも出てこないし・・・。

 

昼過ぎ、模試から帰ってきた美樹ちゃんと入れ違いで、チャリで出かけることにした。

行き先は石巻。

仙台大会グランド探しはまだ諦めてなかった・・・。

ネットで地図を眺めていると、石巻の街の少し北に公園を発見したのだ。

そこに行ってみよう!・・・と思ったわけだ。

あと、総合公園にいた自衛隊の人達は今どうしてるのかなぁ・・・?とか。

 

目的地まで地図で31kmチョイ。

会社まで山道で片道20kmだから、それに比べれば平地移動なんで余裕かな?と思った。

が、実際は結構長い・・・。

地図で見ればすぐだし、車で移動すれば大した距離じゃなくても、そこそこ時間かかる。

家から7,8km地点。

美里町から涌谷町に向かう途中の金属リサイクル業者はすごいことになっていた。

敷地と言う敷地に鉄くずが山積み。

きっと沿岸部から運んできたのだろう。日曜だというのに仕事していた。

とてもじゃないけど、追っつかない・・・って感じだ。

リサイクル工場。瓦礫の山がすごい。

 

涌谷町を抜けるのに既に15km・・・。

思ったより遠いなぁ〜。

涌谷城跡と書いてある看板を見かけた。

そんなんあったかなぁ〜?と思ったが、土手から見た景色には城らしきものが・・・。

あんなん、あったかなぁ〜???

でも時間もったいないからスルー!!

土手を走ってると通行止めの看板が!!

何々?この先橋げたが低くて危険??どこが??

無視して進むと、橋げたが低いんじゃなくて、橋げたの下の地面が部分的に盛上ってた。

てか、ここだけ避ければいいじゃん・・・。通行禁止とか言うなよ〜。

あれ?涌谷城??跡じゃないよね・・・あれ。

通行禁止らしいです・・・。

 

石巻までは仕事で数ヶ月通っていた時期がある。

だから、道は完璧だ。

でも、自転車で走ったことはない。

車道の幅が狭いところが結構あり、自転車が車道走るのは結構恐い。

逆に歩道は歩いている人がいないので、自転車的にはいい感じだ。

でも、所々陥没してたり、そもそも歩道が無くなってしまう場所があったりで、結構大変だった。

それでもエッチラオッチラ進む・・・。

流石にいつも車でかっ飛ばしている農道に来た時には心が折れそうになった。

先が見えね〜〜!!

道がずーーーーーっと続いてますけど〜。

こういう光景は和まされるね♪

 

途中から走りなれた道をはずれ、知らない道をひた走る。

30kmくらい来た頃には結構くたびれた感が漂ってた。

なにしろ蒸し暑い。腕を触ると、汗が乾燥して塩がパラパラと付いてた。

熱中症だけは恐いので、水分補給は小まめにしていたが、それでも咽喉カラカラだ。

もうそろそろかな?ってとこで、携帯で場所を確認。便利な世の中になったもんだねぇ〜。

事前にネットで見ていた地図が頭にインプットされていたので、曲がる場所も全て完璧だったようだ。

あと1kmくらい真っ直ぐ進めば目的地の曽波神公園だ。

川沿いの土手の先にあるようだ。

土手にのぼると、確かに緑地が見える。しかも、何も使われていないようだ。

これは、もしかしてめっけもん??駅からも近いし〜!

と、期待に胸膨らませて土手を降りていったが・・・、なんじゃこれ?

近くまで行くと、とてもグランドとは思えない光景だった。草ボーボー。どこがグランドの境界線??

近くにデカイ草刈り機が置いてあった。しばらく使っていないようだ。

やはり、そんな上手い話は無いか・・・。

草ボーボー。多分、そこそこ広いんだけどね。

草刈り機放置。てか、ここ車で入って来れないねぇ〜。

 

仕方なくトボトボと石巻専修大の方を目指す。

専修大は震災後にボランティアの拠点になっている。

ただ、衛星写真ではでっかいグランドが写っている。使ってるのかなぁ〜?と、思ったのだ。

そして、そのすぐ隣には総合運動公園があるはず。

ここも自衛隊の野営場になっているはずだが、果たして今もそうなのか??

淡い期待を胸に・・・。

途中、すっかり有名になった石巻赤十字病院が見えた。

 

瓦礫の山が積み上げられた瓦礫仮置き場、建設中の仮設住宅を抜けると専修大が見えてきた。

何かイベントやっているらしい。

石巻盛上げるぜライブのようだ。ヒップホップがどうのこうの言ってる。

学校の敷地内には、至る所にボランティアのテントが張り巡らされている。

すごい数だ。でも、まだまだ足らないって、テレビで言ってたなぁ〜。

グランドは・・・あるある。広いなぁ〜。

しかも使ってないみたいだ。ここで大会やらせてくれないかなぁ〜。

せめて、専修大にチームがあればなぁ〜。何か糸口が欲しい・・・。

でも、みちのく公園でも言われたけど、あちこちの団体が活動場所が無くて困っている。

フライングディスク協会だけ特別・・・ってわけにはいかないだろうなぁ〜。

専修大。イベントやってた。

広いグランド。いいなぁ〜。

仮設住宅の向こうには瓦礫の山が・・・。

 

次は総合公園を見てみるか・・・。

ぐるっと周りこんで・・・。土地勘が無いので、少々道に迷いながらも進む。

総合公園には、まだ自衛隊がたくさん野営していた。

暑いだろうに・・・、大変だ・・・。

とてもグランド使わせてって言える空気じゃないねぇ〜。まだまだ・・・。

すぐそばには仮設住宅も並んでいた。

何だかんだで結構な数が出来ているが、入居していないものばかりだ。もったいないなぁ〜。

設備は充実しているようだ、エアコン、プロパンを始め、テレビにカーテンまで完備。

あとは・・・光熱費との闘いか??

せっかく設備が充実しても、光熱費は自分持ちらしい。収入が無いときついよなぁ。

自衛隊さん、すごい数の野営・・・。

ここにも仮設住宅がたくさん出来てた。

 

総合公園の入口まで行ってみると、入っちゃダメ・・・って感じではなかった。

もちろん車両は不可。

自転車も車両だから、とりあえず降りて押して歩く。

降りてみて気付いたが・・・、足パンパンだし、ケツ痛いし・・・。ヤバイなぁ〜、これ・・・。

グランドは、ふれあい広場だけは空いていた。

使わないのかなぁ〜?

でも、事務所までは遠いし、物資の整理かなんかやってるようだったので、やめておいた。

ここなら2面張れるんだよなぁ〜。

自衛隊さんの気晴らしも兼ねて大会開いて観戦でもして欲しいなぁ〜。

いずれにせよ・・・、空気的に話をなかなか切り出せないってのが最大の課題だな・・・。

何か、空いてるのは空いてるんだよねぇ〜。

 

さて・・・、既に16:30を回っているのだが。

まぁ、陽が長くなったから大丈夫だろう♪

もう一ヶ所、どうしても行っておきたい場所があった。

石ノ森章太郎萬画館だ。

とりあえず行くだけ行ってみることにした。

場所は頭の中にある地図でだいたいの勘で進む。

途中から、まだ電気が来ていないのだろう。信号が付いてない区間に入った。

警官が2名1組で交通整理をやっていた。

もちろん一ヶ所ではなく何ヶ所もある。

みんな、ホント頑張ってるよなぁ〜。

俺は汗だくだけど・・・、何やってるんだろうね・・・。はぁ〜。

萬画館の傍まで来た。すぐ向こうには日和山公園も見える。

萬画館に通じる橋は津波の壮絶さを物語る状態で破損したままだった。

車が何台も行き来しているので、通るには通れるらしい。行ってみよう!!

萬画館が目の前に!右端は日和山。

橋は津波の時に大ダメージを受けたままだ。

 

萬画館は、先日サンドのぼんやり〜ぬTVに出てた。

1階は壊滅状態らしい。

でも入れなかった。時間が遅かったからなのか、取材じゃないと入れないのか・・・。

ま、後者だな。

入口にはベニヤ板が並び、全国の来場者からのメッセージが書いてあった。

俺も書きたかったが、ロープ張ってあって近づけないし・・・。また、今度にするかぁ〜。

とりあえず、仮面ライダーくんと記念撮影はしてから帰ろう!!

それにしても、この付近はホントに水深が上がってる。

と言うか、地盤が下がったと言うのが正解なのだが・・・。

昔は歩けていた川縁も手摺だけ残して沈んでいた。自然の驚異だな。

萬画館。ここまで原形を留めたのは奇跡だな。

仮面ライダーくん、壊れちゃったね。壁の文字も・・・。

 

さて、そろそろ帰らないとマジで日が暮れる。

街中には、石ノ森章太郎原作のキャラクター達のモニュメントがある。

せっかくだから見て行こうかな・・・と思った。

まずは、すぐそばにあったロボコン。

少し傷は付いていたが無事だったようだ。良かったね。

次にゴレンジャーの赤レンジャー!

バンバラバンバンバン♪バンバラバンバンバン♪

お次は仮面ライダー!!

ロープ張ってあって近づけね〜!!

が〜んば〜れ、ロ〜ボ〜コン!でんがらがっちゃ、でんがらがっちゃ〜♪

真っ赤な太陽!仮面に受〜けて!願いはひと〜つ!あ〜おい〜空〜♪

かめーんライダー!かめーんライダー!らいだぁ〜、らいだぁ〜♪

 

次はサイボーグ009だ。

これが問題だった。

皆バラバラに立っているのだ。全員いるか?気になるじゃないか!!

見て行くと、006、007、004、009、005&001、003・・・。

あり?002は??

まさか流されたんじゃないか??探し回る。

仮面ライダーV3がいた。

いやいや・・・、あんたもサイボーグだけど、そういう問題じゃなくて・・・。

結局見つけられず、無駄に2往復して、諦めて帰ることにした。

ちなみに帰宅後、ネットで調べてみると石巻駅舎の壁の上の方で飛んでいるらしいことが分かった。

何でそこに・・・。

確かにマッハ2で飛ぶんだけどさぁ〜。

分かりづらいでしょ〜!!

口から火炎を吐く006アルよ!

変身能力がある007。白黒の頃はちびだったのに。

全身武器の004だ!ヒザロケットが個人的に好き♪

奥歯に加速装置がある009。マッハ9で走れるって、どんなだよ。

水中で活動が出来る008。陸戦で役に立つのかなぁ?

超能力があるけど寝てばかりの001と、怪力自慢の005。

遠くの音まで聞こえる003・・・と、おっさんのケツ。

あ〜かい、あか〜い、赤い仮面のVすり〜♪だ〜ぶ〜るた〜いふ〜ん、命のべーるーとー♪

ぼんやり〜ぬTVでサンドの伊達ちゃんが働いた店。

 

さて、後はいよいよ帰るだけ・・・。

流石にクタクタだぁ〜。って、これから30km以上走らないと家に着かないし・・・。

水筒のドリンクを補給して走り出す。

途中のコンビニで納豆巻きを買って食う。

流石に腹減ってきた。何か入れておかないとね!

美樹ママがさっきTELで今晩はトンカツと言っていたので、納豆巻き1つで我慢。

トンカツ優先でしょ〜!!

 

帰り道は、途中から行きと同じ道になる。

こういうのって心折れるよなぁ〜。

違う道で帰れればいいんだけど、アホみたいに遠回りになるしぃ〜。

小牛田(美里町)の手前まで帰って来て、ふと思った。

『もしかして田尻町のグランドは、夏になって土だったところにも芝が生えてるんじゃないか?そしたら2面取れるんじゃん??』

これが悪魔のささやき的な発想だった。

ついでに今日お初の道に行けるじゃん!って感じになった・・・。

つったって、結局知ってる道なんだけどね。この辺は近所だし・・・。

途中、脇道に逸れたことを何度も後悔しながら走り続け、ようやく田尻町のグランドに辿り着く。

ひざがガクガクするし、ケツも摺れて痛い。

もはや立ち漕ぎすらキツくなってる・・・。

で、グランドだが・・・。土だね。これ。土だ。

あははははは・・・。

真っ暗になった車すら通らないような田舎道を一人寂しく走り、ようやく家に着いたのは20:00過ぎ。

走行距離は92kmだった。

自転車買ってから、1日の走行距離としては過去最高。

って言うか、一気に倍以上だ。

そりゃ、しんどいわ・・・。

さ、風呂入ってビール!!

田尻町は相変わらず土で、1面がやっとですな。

やっと家の近所の橋まで帰ってきた♪

 

Jul.9.'11.

晴れ。

連日の激務・・・で、今日は何度も起こしてもらいつつも、結局起きたら昼前。

しばらくして、県協会の木村会長に電話。

みちのく公園に行く話があったのだが、先方のキーマンが今日休みだと言うことが分かり中止。

あー、北上行くのもやめちゃったし・・・、今更行くのもなぁ〜。

そうだ!

チャリ乗ろう!!

せっかく晴れてるし!!

もはや、ちゃりんこプロジェクトと言いつつ、計画も何もあったもんじゃない。

その場の勢いで、東松島に行くことにした。

 

13:50、テケテケと準備して出発。

また、この時間かぁ〜。先週もだったぁ〜。

震災で通れなくなった志田橋が通れると言う美樹ママ情報を元に、少し遠回りだがそっちから行くことにする。

途中、デジカメ交換したくなり美樹ママに届けてもらう。

まさに橋のすぐ近くのコンビニで待ち合わせて無事デジカメ交換。

もう一回確認する。

 たかちゅき♪ 「なんか、通行止めの看板がなくなってないよね。」

 美樹ママ 「大丈夫。広報に載ってたから。」

 たかちゅき♪ 「あ、そお?じゃ、行ってきま〜す。」

しばらく行くと、通行止めの看板。

おいおい・・・、いくらなんでもこれは通れないんじゃ??

それでも、美樹ママの言葉を信じて通行止めを無視して進む・・・。

いやいやいや・・・。

通行止めは通行止めですよ。世の中。

え〜、開通してないのぉ〜??

しかも休工中だし。

ちゅうことで、出だしからいきなり遠回り。

元々遠回りの道だったのになぁ〜。

通れないじゃん・・・。

 

せっかくの遠回りなので、川沿いの土手の上を走ることにした。

緑がまぶしい。

草刈作業してる人達がいっぱいいた。

何か、いつもの生活が戻ってきている感じがする。

それにしても暑い。先週の比じゃない。

水分補給しながら走るが・・・、あっという間に水筒の中の水が減って行く。

腕を触ると白い粉が・・・。塩だ〜!!

ためしに舐めてみると、やっぱしょっぱい。

そんなことをやりながら走っていると橋が見えてきた。

震災の時、遠回りして帰ってきた橋だ。懐かしいなぁ〜。

あの時は余震で、まだまだ揺れていた。橋の上で揺れた時は生きた心地がしなかったなぁ〜。

土手を走るのが気持ちいいので、あえて橋を渡らず直進。

しばらく行くと水門があったので、そこで橋を渡る。

綺麗な景色だなぁ〜。

川遊びや釣りしている人がいた。のどかな夏の日だなぁ〜。

震災の時に渡った橋が見えてきた。

川遊びしたいなぁ〜。

 

山越えした後、コンビニによる。

1も2も無くガリガリくんを買う。うめぇ〜♪

ジュースを補給して出発。

しばらく走って、何か食えば良かったなぁ〜と思い、再びコンビニへ。

駐車場に座り込んで、むしゃむしゃオニギリ食う。

暑いなぁ〜。

コーラ、うめぇ〜なぁ〜。

 

再び川沿いの道に出た。

車道が狭い道だ。

ふと、川沿いの道があるのを見つける。

砂利道だったが、鉄板が敷いてあった。

これなら行けるじゃん? ・・・これが失敗だった。

すぐに砂利道に戻る。

でも、元の道との間に小さい川があり戻れない。

いずれ戻れるだろう・・・。釣りしたり、草刈してる人もいるし。

が!

やっと橋が見えてきた頃に道が無くなった!!

マジかぁ〜。

チャリを降りて見てきたが・・・、どう見ても橋らしきものがない。

あぁ〜、これ戻るの〜??

往復で5kmくらい無駄に走った。

さっきまで、カントリーロードを口ずさんでいた俺って、いったい・・・。

今日は、こんなんばっかだなぁ〜。

2.5kmくらい戻って、結局車道が細い道で頑張る。

さっき行き止まりだった辺りまで来た。

改めて見ても、やっぱ行き止まりだったね・・・。

あれ?道がなくなった・・・。

これ、戻るの〜???

改めて戻ってきた。さっき、あそこにいたのになぁ。

何でこんな地形なのに道作るかなぁ〜??

 

既に17:00になろうかと言う時間。

まだ目的地に着かない。既に40km越え。

ちゃんと帰れるかなぁ〜??

ついに目的地が近づいてきた。もうすぐ海だ。

震災後、一月もしない頃に通った時は川に瓦礫が山のように溢れていたが・・・。

今はすっかり綺麗になっていた。少し感動するな。こういうの。

田んぼも・・・浸水していないところまでは、普通に農業再開していた。

ギリギリだったとこまで作物が植えられていたが、その先は・・・まだ追いついてなかった。

田んぼの中の車も放置されたまま。

あれ、どうやってどかすんだろう??

少し綺麗になった感じはするが、やはりまだまだ海のそばまで来ると・・・だな。

河はすっかり元の通り。

浸水した地域の瓦礫はまだまだ放置されていた。

 

17:05、いよいよ奥松島まで来た!!

ここでサプライズが!!

海岸線の道路が復旧していたのだ!!

震災直後に来た時、ボロボロになってた道路。

しばらくは走ることも出来ないだろうと思っていたが・・・、確かにもう4ヶ月だもんな。

復興に向けた足音が聞こえてくる感じだ。

流石にあの惨状を知っていただけに、涙がこぼれた・・・。

そう、少しずつだが確実に復興に向かっている。

せっかくなので、防波堤の上を走ることにした。

一度上ってしまえば、結構幅広くて下の砂利道走るより快適だ。

自然の家が見えてきた頃、防波堤が突如終了!!

この先は崩れて無くなっていた。

盛土してあるとこをチャリかついで降りる・・・。

自然の家との間は、満ち潮でたまった水があって、そのままは行けなかった。

今日は別の目的地があるので、そのまま通過・・・。

海岸線、開通してる!!

防波堤の上を走ることにした♪

あ、終わっちゃった・・・。この先崩れてる。

自然の家が見えた。

 

17:30、更に奥に進んで、奥松島の大高森に到着。

ここには展望台があるのだ。

チャリを停めて、水筒かついで登り始める。

0.7kmかぁ〜。

チャリならすぐなんだけどなぁ〜。山道だからなぁ〜。

結構、マジで上り坂なんですけど・・・。

45km以上チャリ漕いできて、ここに来て山登りかぁ〜。ハードだぁ〜!!

でも、ここを登ればきっと素敵なことが待っている!

頑張るぞ〜!!

すげぇ〜登り・・・。

 

途中で、あと10分って書いてあったけど、7分くらいで頂上に到着。

わぁ〜。

来て良かった・・・。

絶景だ!

湾の中は、思ったほど被害無いんだなぁ〜。

養殖もやってるなぁ〜。

綺麗だな〜。

心が和む。

疲れが吹き飛・・・ばないなぁ。そろそろ帰るか。

わぁ〜。この景色見れたら十分だ!

通ってきた海岸線も見える。

頑張れ宮城!!

 

さぁ、帰るぞ。

自転車を停めたトコのすぐそばの自販機は動いていた。

電気は普通に来てるんだなぁ〜。

水分補充して、水筒にも水を補給して出発。

松島自然の家の前も通ったが、日暮れが近づいているので今日は撤収。

やっぱ、もう少し早く出てこなきゃだめだなぁ〜。

これで養殖するんだよ〜。

自然の家。瓦礫置き場にはなってなかった。

夕暮れの奥松島・野蒜海岸。

 

頑張って日が落ちる前には・・・と、思いつつも・・・。

やっぱ無理だったかぁ〜。

途中でとっぷり日が落ちるし、道間違えて遠回りしちゃうし。

最後の方は足はガクガクだし、田んぼの近くは虫が多いし。

家に着いたら20:30だった。

また、90km走ったよぉ〜。

疲れた〜。

日が暮れちゃう〜!!

 

Aug.1.'11.

くもり。

徹夜で朝9時頃まで映画5本を観るという暴挙に出たので昼過ぎどころか午後3時過ぎまで寝ていた。

やっと起きてしばらくダラダラとしていたが、石巻の川開き祭の花火大会に行くことに決定!

まぁ、行こうかなぁ〜?とか思ってる時点で、間違いなく行くんだけどね・・・。

問題はどこまで行くか?の作戦だ。

電車で行く案も考えたが、人が多そうなので帰りの電車が大変そう。

やっぱ車で行くのがいいんだろうけど駐車場が心配・・・。

この前チャリで行った経験を活かして、市街地に突っ込まず石巻専修大の方を周って行くことにした。

 

作戦は結構成功だった。

車は混んでないし、あまりにスイスイ行くので思わず橋を渡ってしまった。

こっからは歩いても1kmくらい。

すぐにスーパーマーケットがあったので、ここの駐車場を借りることにした。

もちろん、帰りにお買物しまっせ♪

歩いて行くうちに、その辺にナンボでも路駐出来る場所があることに気付いたが・・・まぁいいか。

旧北上川に出ると、川沿いに詰まれた土嚢が痛々しかった。

石巻は地盤が沈下してしまい、見かけ上は川の水位が上がった状態なのだ。

川沿いには壊れかけた家も並ぶ。

だが、ここに来ている人達はすでにこの光景を見慣れてしまった感じだ。

誰一人驚かず、花火が上がる中瀬を目指している。

旧北上川。日和山や石ノ森萬画館も見える。

 

昨日から行われているこの祭は、今年の開催が危ぶまれていた。

だけど石巻の人達の頑張りで実現したのだ。

そのせいもあって、すごい人の数だ。圧巻だった。

だけど、のんびり花火を見たいたかちゅき♪一家としては、結局来た道を戻り川辺に腰掛けて見ることにした。

中心部に近づくと、すごい人の波だ!!

人、人、人・・・だった。

 

19:30、復興の祈りをこめた花火大会が始まった。

花火の明るさで石ノ森萬画館が浮かび上がる。

「おぉ〜!!」という歓声が・・・。

なんだろう・・・。皆の一つの思いがそこにあった・・・。

色んな思いで、この花火を見ている人がいただろう。

うまく表現出来る言葉が見つからない・・・。

例年の四分の一の量だというが、そんなこと気にならなかった。

ちょっと寒かった方が気になったかな?体感気温は15℃くらいかな。

最後は新潟の花火大会から送られたと言うフェニックスだった。

動画で撮ったが、オートフォーカスのせいでぼやけてしまった。

でも、あれは生で観て、感動するから意味があるんだろうなぁ〜。

とても、とても、心に残る花火大会だった・・・。

帰りはもちろん御世話になったスーパーに寄ってお買物。

腹減ったので、オニギリやらコロッケやら買って、車の中で食べながら帰った。

花火が始まった!!

花火。きれいだねぇ・・・。

連続花火!歓声が沸きあがる。

絶妙に松のある景色だったんだよね〜。

新潟からの贈り物。フェニックスが始まった!!

 

Aug.2.'11.

くもり。

今日も起きたら昼過ぎ・・・。

昨晩は静岡県の沖の方が震源のデカイ地震があった。ほんと地震だらけだな。

朝までDVDも、そろそろ くたびれてきた。それでも、起きてからもDVD観る・・・。

いい加減くたびれた感があったので、気分を変えて床屋へ行くことにした。

久々にチャリにまたがる。

10分もかからずに着いたが・・・、やってないじゃ〜ん。

平日だから混んでないだろうと思い、電話しないで来たのがまずかったか・・・。

引き返すことにした。

道路が混んでいる。今日は花火、明日・明後日は古川の祭だ。

でも、どうやらこれは別の理由だったようだ。道路工事ね。

震災の時のガソリン渋滞を思い出す・・・。

 

今日は古川の花火大会。

美樹ちゃんは早々に親戚の家に遊びに行った。

残った美樹ママと2人で準備して観に行くことにした。

昨日の石巻の前例があったので、寒くないように長袖を着て行く。

折りたたみ椅子を担いで、見物用のおつまみ持って出発。

やはり、ママチャリでついて来るのは大変らしい。

そんなに違うもんなのかね〜。ま、美樹ママにも いい運動でしょ?

 

土手沿いに進むと、途中で通行止めになってた。

まぁ、十分近いでしょ・・・ってことで、ここに陣地を張る。

考えてみれば、もうすぐ5ヶ月。

ついこの前まで、この道はひどい地割れだった。

美樹ママが今乗ってるチャリにまたがって、親戚のおばちゃんの家に走ったっけ。

あの時は、みんなの安否すら分からず必死で走ったっけ・・・。

その後、美樹ママとあの道路を見に行ったなぁ〜。

今はその道路の脇で花火の準備が着々と進んでいる。不思議な感じだ。

たった数ヶ月・・・。

あの頃の必死な生活が、今ではすっかりもとの生活になっている。

今日の花火大会は、正にそんな平和な生活の象徴のようなものだった。

この道路のすぐそばの土手から花火が打上げられ る。

 

19:00、花火が始まらない・・・。

19:00だろぉ〜?石巻はちゃんと時間守ってたぞ〜。

携帯で調べても19:00って書いてあるし・・・。もぉ〜、ルーズだなぁ〜。

19:27、やっと花火が上がった!!

石巻の時よりも近くで見ているせいで、すげ〜デカく感じるなぁ〜。

平和だ・・・。

言葉が出ない。

デジカメで撮ってると花火がゆっくり見れないので、今日は写真少な目にした・・・。

それよりも・・・、今のこの幸せなひと時を味わっていたい・・・。

やっと花火始まった!

昨日よりずっと近く感じる。

今年は顔とか多かったな〜。

とってもいい日だ・・・。

 

Aug.19.'11.

くもり時々雨。

特にどうってわけじゃないが・・・、今日もデカイ地震がきた。

14:36・・・、金曜日・・・、シチュエーションもさることながら。

およそ1分間と長い時間揺れ続けた。

3/11の揺れは、正にこの後強くなっていったのだが・・・、今日は終わってくれた。

だが、会社で社員のみんなの反応は、明らかにあの日を思い出していた。

あの感覚が体に刻み込まれているんだなぁ〜と、改めて思う。

嫌なもんだね。

川ちゃんや、ぶっちゃん、ピカさんの旦那など、日本オープンで北上にたくさんのディスクゴルフプレーヤーが集まってる。

皆、びっくりしなかったかな?大丈夫かな?

 

Sep.3.'11.

台風・・・っぽい曇り時々雨。

久々ののんびり休日。

先週はバタバタだったからなぁ〜。

昼過ぎに床屋行って、家で映画観て。

 

夕方、美樹ママとスーパーに買物へ。

おぉ!!宮城県産の『うに』じゃん!!

同じくらいの量で北海道産の倍の値段だった。

でも、こっちでしょ〜!!

がんばれ!宮城!!

うに復活!!

 

北海道産も買って帰り、家で久々にうに丼。

やっぱ、全然違うよ!

宮城県産!!

がんばれ!宮城!!

 

Sep.7.'11.

晴れ。

今日は仕事が早く終わった・・・って言うか、待ってた仕事が来なかった。

とにかく久々に早く帰れて、20時には帰宅できた。

家に帰るとお便りが!

 

三陸石巻ほや・帆立復興プロジェクトからだった。

先日インターネットで支援の申込みをして入金したのだが、会員証とグッズが送られてきた。

牡蠣支援では、お金節約で会員証も送れませんって言ってたが、それはそれで納得できる。

でも、送ってもらえたら送ってもらえたで、それは嬉しいもんだ。

海友支援隊員だそうな。何か嬉しいね。

1日も早い復興を・・・とは思うが、3,4年はかかるそうだ。

頑張れ!海の人!!

ほやおやじのストラップもらった♪

 

Sep.8.'11.

晴れ。

今日は久々に自転車で会社へ!

いい天気だぁ〜。

すっかり夏も終りな空気。稲穂は金色に輝いていた。

あぁ、秋だなぁ〜。

金色に輝く宮城の田んぼ。

 

だが、のほほんと景色を楽しむばかりでは済まなかった。

通常なら既に稲刈りが始まっているような光景。

だが、いまだ稲刈りは行われていない。

どうやら、放射能検査が終わってないから・・・らしい。

美樹ママの親戚の家も、稲を刈らなくちゃいけない時期なのに、検査が終わらないから刈れないと嘆いていたそうだ。

稲刈りが遅れると、稲がダメになってしまう。

今日も倒れている稲がたくさんあった。

一見、ミステリーサークルかと思うが、雨風の影響もあり、稲が稲穂の自重に耐えられなくなって倒れているのだ。

早く、早く何とかして欲しいものだ。

もうすぐ6ヶ月になる東日本大震災・・・。

その爪跡は、今もなお東北の地を苦しめ続けている・・・。

倒れる稲穂。こんな光景がいっぱいあった。

 

会社帰り。

結局いつもと変らない時間になってしまった。

が!ついに自転車通勤の片道1時間の壁を越えた!!

57分・・・。

今までは1時間10分くらいかかっていたから、結構いいタイムだ。

涼しくなってきたからかなぁ?

水分補給も無しだった。

こういうことがあると楽しくなるねぇ〜。

でも、ペダル踏むと異音がするんだよなぁ〜。何でだろう??やだなぁ〜。

 

Sep.17.'11.

曇り。

元々天気予報は雨だったのに・・・、昨日の夜中には曇りに変ってた。

最近ずっとこんな感じだ。

いい加減だなぁ〜。天気予報の意味無いじゃん・・・。

 

どうせ天気悪いから・・・と、明け方までDVDを観ていた。

よって、今日も起動したのは昼過ぎ。

まぁ、世間並みに休みが取れているだけマシだな。

今週は過労?で体調崩して月曜、火曜と会社休んじゃったし。

 

起きたのは美樹ママの声が原因だった。

宅急便が届いたようだ。

何かと思えば・・・、サンマだった!!

本吉町の阿部さんが送ってくれたのだ。

阿部さん、震災直後以来ずっと会ってないが元気かなぁ〜?

サンマ送ってくれるくらいだから、元気なんだろうなぁ。

それにしても、新鮮サンマは嬉しい限りだ!

今日の夜はサンマに決定〜♪

サンマがやってきた〜♪

 

昼間は結局昼寝したりしてグウタラ過ごす・・・。疲れてまんなぁ〜。

夜、美樹ちゃんが部活から帰ってくるのに合わせてサンマ準備スタート!

せっかくなんで炭火焼しよう♪ってことで、BBQコンロを引きずり出してきた。

空模様が微妙・・・なので、玄関先で焼くことにした。

いざとなればポーチに避難だ。

予想通り、たま〜にポツポツ降ってくる。

おいおい、天気予報だと曇りだったぞ〜!!

しばらくして、炭がいい感じになったトコでサンマBBQスタート!!

しっかり脂がのったプリプリの身がたまらないぜ〜!!

明日の分も少し残して俺は2匹、美樹ママと美樹ちゃんは1匹ずついただいた。

うめぇ〜!!

阿部さん、ありがと〜!!

サンマBBQスタートです!!

焼けたよ〜♪いただきまぁ〜す♪

美樹ちゃんと美樹ママは玄関先でレジャーシート♪

たかちゅき♪用の2匹目を焼き始める♪

 

Nov.2.'11.

濃霧のち晴れ。

今日は晴れの予報だったので自転車で会社に行くことにした・・・のだが。

朝起きてみると、外は真っ白。雪じゃないが、霧がひどい。

でも、美樹ママは俺の為に早起きしてくれたので、今更自転車で行くのをやめるとは言えない・・・。

しかも、今日は自転車買ってから1,000kmに到達する計算だ。

ここは何としても行くしかない!!

ちゅうことでライトを点けて出発!!

しばらく走るとメガネが霧で水浸しになった。前が見えね〜〜。

髪の毛はビチョビチョ・・・。

これ、自転車で行くような状況じゃないんじゃね??

20分くらい走ってやっと少し晴れた。

けど、その程度で会社近くでまた霧・・・。勘弁してくれ〜。

すっげ〜霧だった。メガネ真っ白。

 

会社帰り。

既に987km。途中で1,000kmになるのは必須だ。

逆算すると4号線出てからになりそうだ。

それまでは普通に走って、4号線に出てからはメーターを気にしながら走る。

そして、ついにその時が来た!

わぁ〜い♪1,000km達成〜!!

自転車買ってから約半年。いやぁ〜、こんなに乗るとは思わなかった。

ついに1,000km〜♪チャリ、よく頑張った!!

 

家に帰ると、自分への御褒美の1,000km祝いでビール!

宮城県産の生かきもついに出荷が始まったそうで、かきも食った。

すごいね。もう出荷まで漕ぎ着けたとは・・・。

みんな頑張ってるね〜。

生かき+一番絞り!!

ついに宮城県産のかきが出荷だぁ〜!!

 

Nov.28.'11.

曇り。

今日は月曜だが、何とかお休みもらった。

女川町に文化シヤッターBuzz Bulletsが来るからだ。

その為に昨日も一昨日も、その前の祝日もお仕事頑張ってきた・・・。

ちゅうわけで・・・、今日くらいいいよね?って、お休み取りました。

 

連日の疲れを取ってから・・・と、朝マッサージに行こうかと思ったが・・・、起きれず。

結局10時過ぎに起き上がり、身支度して11時過ぎに出発。

石巻中心部で止まっていた信号は、かなりの数が復活していて、前はナァナァで行けた日和山も一方通行ですんなり行けなくなってた。

仕方なく素通りして女川町を目指す。

日和山に寄ろうと思ってきたルートだったので、遠回りだが海岸線に近い道を通ることになった。

道路脇では被害の凄まじさが今も残る・・・。

内海の万石浦という場所に出ると、養殖しているのが見えた。

この辺は被害どうだったんだろうか。

道沿いに、おさかな市場があったので寄ってみる。

活気付く・・・と言うほどではないが、結構人が来てた。

よっぽど何か買っていこうかと思ったが、今買ってもなぁ・・・。

と、TVで何度か見かけた木彫りの魚キーホルダーを買った。

万石浦では養殖が・・・。

マリンパル女川?ここ?仮店舗?

お客さん結構いた。

テレビでも紹介された手作り木彫りストラップ!

 

万石浦を抜けて、女川港に近づくにつれ、家々が薙ぎ倒されていた。

何度も見た光景だが、やはり見るのは辛い。

女川は一昨年のサンマ祭りの時に来た。

あの時はこの道が大渋滞で、1つ向こうの少し丘になっている方の道から来たのだが・・・。

・・・と右側を見ると、そっちも津波にやられてしまっていた。

見覚えがあるガードレールが垂れ下がっているのを見ると胸が締め付けられそうになった。

女川港の真正面まで来ると、ホントに何もない景色。

ナビでは、ここを左折・・・と出ているが、ホントに左折していいのか?と思わせる瓦礫の山があった。

少し先には、サンマ祭りの会場になっていた場所が見える。

景色が変わりすぎていて、とても同じ場所とは思えなかった。

とりあえず、ナビの言うとおりの方向へ進むことにした。

どうでもいいけど・・・、ここまで来たら昼飯買うトコ無いなぁ・・・。

女川港に近づくと景色が・・・。

港もこんな状態。奥の方はサンマ祭の会場だったトコ。

ホントにここ進んでいいのか不安・・・。

 

ナビは間違っていなかった。

瓦礫の谷間を抜けると、運動公園のすぐ近くに出た。

あまりにも街が破壊され過ぎていて、どこで曲がればいいのかも分からない。

そんな状態だ。

ナビに出てくる商店やガソリンスタンドの表示は無意味だ・・・。

運動公園に到着したものの・・・、どこに車を停めればいいものやら。

手前に陸上競技場があったから、場所は把握出来た。あとは、どこに駐車すればいいのか?だ。

とりあえず、そのまま奥の方まで行ってみると、奥にもグランドはあった。

その横には、テレビでもニュースに出ていた3階建ての仮設住宅が建っていた。

元々野球場だったとこらしい。

女川の町は、平野部がことごとく流されている。

だから、こういう山のてっぺんに仮設住宅を集めているのだ。

あんまり長居して興味本位で見るのもよろしくないので、もと来た道を戻り陸上競技場近くの駐車場へ。

荷物を持って、その辺をブラブラ・・・。

体育館があったので中に入ってみたが、今日のイベント参加者はいないし・・・。

どこへ行けばいいんだぁ??

俺は今回飛び入り参加なので、情報が皆無なのだ。まいった〜。

腹も減ったし、1人陸上競技場の片隅でグッタリする。

携帯でツイッターを見ると、しょんじがサンマ食ったとか、今到着したとか書き込んでいた。

はぁ??

マジかぁ??

どこにいるんだよ!ここじゃないのかぁ??

3階建の仮設住宅。

陸上競技場の片隅でグッタリ・・・。

 

しょんじと連絡取れた。

やっぱ着いたらしい・・・。どこ??

電話で話す限りでは見てる景色は同じらしい・・・。どこ??

俺が停めた駐車場?

あ?

あ、あそこ・・・。

駐車場から陸上競技場と反対方向に行ったトコに小学校がある。

昼休みに校庭で遊ぶ子供達にディスクを触らせよう・・・の試みをするらしい。

そうなのぉ〜??

そんなんプログラムに書いてなかったじゃ〜ん!!

しょんじと合流して校庭に行ってみると、そこにはBuzzの面々が・・・。

あら?

完全に置いてけぼりな感じですけどぉ〜。

あ、鈴木先生〜!!(先週打合せした東北学院大の先生)

ちなみにしょんじ達が食べたサンマの店は、鈴木先生が連れて行ったらしい。

ってか、俺にも教えてよ・・・orz

Buzzは4名の選手が来ていた。

面識あるのはべっちだけだが、他の3人も有名だから俺は知ってる・・・(笑)

ろくに挨拶する間もなく、子供達の大騒ぎに学院大のメンバーと殴りこみ。

子供達のエネルギーってスゴイ!!

ホント、感動する・・・。

そう言えば、今回のイベントの仕掛け人の1人、松島自然の家の新しい先生とも会えた。

今は、東松島高校の体育館に仮事務所があるが、いつまでもそこにいる訳にも・・・と言う話もあるとか。

是非、是非、ディスクゴルフコースの復活を!!と、お願いしておいた。

ゴールはJFDAが用意してくれている。いつでもOKです!!・・・と。

昼休みが終り、子供達が教室に入った後、関係者一同が揃い自己紹介タイムになった。

この流れ、なんかどっかで・・・。

一通り全員の紹介があった後、思い出したように俺の紹介が・・・。ま、飛び入りなので〜。

自己紹介が終わった後、べっちに、「たかちゅき♪事務局長なんてやってたのぉ〜?!」 と驚かれた。

「俺だって、東北のディスク界を陰で支えてるんだよ〜!!」 と言うと、「ガラスのヒザだもんねぇ〜♪」 って言われた。

ま、その通りですな。

Buzzべっち、子供とはしゃぐ!!

キャッチセンスのいい子がいた♪

投げ方なんか教えなくても、子供は勝手に遊ぶもんだ。

関係者の自己紹介タイム。

 

ここでやっと陸上競技場へ移動。

小学生が午後の授業終わるまでは待機だ。

それまでBuzzとアルテ出来るってことで、みんな着替え始める。

Buzzは飯食って、着替えて・・・だそうで、体育館の方へ行ってしまった。

待ってる間、学院大の子達と投げたりした。

ディスク初体験と言う鈴木先生にも体験してもらった。

俺の教え方が上手いのか?鈴木先生がセンス抜群なのか?

ちょっと教えたら、サイドスローが投げれてた。

競技場の中には、拾われた写真が置いてあった。

ウォーミングアップ中の学院大生。

 

そろそろBuzzが出てこようか・・・と言う時に、俺はふとあることを思い出した。

先週、鈴木先生と打合せした時、子供達が遊べる環境として、裏山にディスクゴルフコースを設置出来ないか?を検討したいと言っていたのだ。

そうだ、今こそ見てこなくっちゃ!!

ってことで、ちょっと後ろ髪ひかれつつ・・・、コース設置可能か?下見しに行った。

公園はなだらかな斜面。確かに設置は可能なようだ。

でも、仮設住宅のそばは駐車スペースになっているようで、ディスクがぶつかったりしたら揉め事になりそうだった。

もっと上か・・・。

斜面を登り始める。

最近多いなぁ、この歩け歩け的なシチュエーション。

斜面に2ホール(車を気にしなければ3ホール)置ける。

上がりきったとこで、一気に普通の遊歩道しかなくなる。う〜ん・・・、コースとしてはちょっと・・・。

更に奥に上ると展望台があった。

女川の港町が見える高台だ。

あの入り江に津波が来たんだな・・・と、再認識させられる。

狭くなった入り江で潮位を増した津波のせいで、女川の町は奥の方の平野部まで被害にあっている。

あ、景色見てる場合じゃないや・・・。急がないとBuzzが・・・。

そこから反対側に下りて行くと、そこにも芝生があった。

下りて行く途中の道がやや危険なので、夕方に子供達が遊ぶのはどうか?と思われた。

広さ的にも地面の角度的にも、後から下りていった方の傾斜面にゴールを3基くらい置くのが妥当だろう。

目的は、学校の授業が終わってからバスが出るまでの時間の子供達の運動なので、あんまり長い距離もよろしくない。

ディスク貸し出しのシステムもしっかりやらないと、帰ってこない子供がいたら大変だな・・・。

ゴールは何とかなるけど、色々課題がありそうだ。

とりあえず調査ミッション終了だ。

坂を下りて行くと目の前が陸上競技場だった。

この斜面、いいんだけど車がね・・・。

展望台からは女川の街が見下ろせる。

ここは夕方に子供達だけで歩かせたくないな・・・。

この傾斜に3基くらいゴール置くのがちょうどいいね・・・。

 

陸上競技場に戻ると、学院大とBuzzがゲームをしてた。

Buzzは4人なので、学院大の子を入れてやってた。

どうも上手く機能していない感じがする。

見ていて思い出した。ずっこけ♪に大体の4人が参加したDC・・・。

あぁ、そりゃあ〜、やりづらいだろう・・・。

ところが、しばらく見ていると機能し始めた。

すごいな。このたったちょっとの時間で、味方に入っている学院大の低学年の動き、癖、得意なプレーを理解して使っている。

無理はさせず、彼らの最大限の活用・・・。

日本一13連覇は伊達じゃない。

しかも、要所で自分達のプレーで学院大の想像を越えたゴールを決め、心を折っていく・・・。

ノッてくると声も出る!!完全にペースを掴んでいる。

まさしく子供と大人だな・・・。

ちょっと入りたい気もしたが、間違いなくケガする自信があったのでやめておいた。

今朝の時点でギックリ腰リーチだったので、判断としては正しかっただろう。

学院大とBuzzのゲーム。

Buzzと競り合いなんて、幸せだねぇ〜。

格の違いを見せ付けられる・・・。

 

終わってから、すぐ反省会が始まった。

全員のスペース意識、そのスペースを使う人、その人に持たせてあげる時間。

走力UP。

スローワーがいつも通りのスローが出来るシチュエーション造り。

自分の力量限界把握、チームメイトのプレー得手不得手、相互理解。

信頼関係・・・。

プレーを振り返りながら、Buzzからのアドバイスが続いた。

学院大の子達は、どのくらい理解して聞いていたのだろう??

今度聞いてみたい気もする。

終わった後、松木が瑞穂くんに質問していた。(彼のこういう姿勢は非常にいいと思う。)

シュートを狙う時、いつまで、どこを見ているか?

これは大変興味深かったので、目の前で立ち聞きさせてもらった。

自分、同じ感覚だったので満足・・・(笑)

でも、ホントに聞きたいことは、そこんとこの微妙な感覚だったんじゃないかなぁ〜??

松木はイメージ出来たんだろうか??ナゾ・・・。

さっきのプレーを思い出しながら語る。

学院大、マジメに聞く。何かカワイイ・・・。

いやぁ〜、幸せですな!学院大生。

松木の素朴な質問コーナー。

 

そうこうしている間に、お目当ての小学生たちがゾロゾロやってきた。

まずはドッヂビーに慣れ親しんでもらうトコからだ・・・。

自由に投げようぜタイム!!

キャー!

ワキャー!!

きゃははははは・・・!!

うっわ〜〜〜、すっげ〜自由〜な感じぃ〜〜(笑)

子供達のパワーには圧倒される。

学院大の何人かは、子供と接するのに最初戸惑っていたが、段々慣れていったようだ。

どっちが子供か分からんな・・・。

大はしゃぎの子供達!!

もう、とにかく暴れまくりたい!!って感じ。

ドッヂビーが相手でも、やっぱり怖いのか?目をつぶってた。

ストラックアウトをやる子もいた。何枚投げる気ですか??

身体動かすことが楽しくて仕方ない時期なんだな。

 

子供の人数が増えてきたところで、デモンストレーションタイム!

日本一の選手が投げるぜ〜!!と、これもBuzzが講師ならでは。

ダイビングキャッチにも大興奮!!

2回目はキャッチ出来なかったが、これまた大騒ぎ!!

いいねぇ〜!!

テンション高いねぇ〜!!

ハイ、整列〜!!

ロングスローに驚き、その精度に更に驚く!!

アップサイドにも、おぉ〜!!の歓声。

ダイブ〜!!失敗〜♪

 

で、その後は、ドッヂビー鬼ごっこ。

ある範囲内で、ドッヂビーでメチャぶつけだ。

3,4年生/5,6年生で、それぞれ2コート作って、ドッヂビー鬼ごっこ開催!

これまた大騒ぎ♪

いい笑顔がいっぱい見れた。

あまりに見ていて楽しかったので、写真ほとんど撮ってなかった・・・。

Buzzのメンバーが次のActionに移る前に時折見せるマジメな顔、子供達と戯れる時の顔、この切り替わりが見ていて心地よかった。

ハイ、次はドッヂビー鬼ごっこです!

最後に鬼になってた子はおしおきのオシリペンペンじゃぁ〜!!

走りくたびれてますけど〜。

 

ものの1時間・・・だったが、大いにはしゃぎ、大いに遊んだ。

みんなすっかり打ち解けて、子供達ってホントにスゴイな。

最後はカメラマンやってた俺も走り回ってたし・・・。

あの笑顔でせがまれると、ついつい本気で相手しちゃうよなぁ〜。

記念撮影して、改めてBuzzや学院大の紹介をして、これからもディスクで遊びたい子ハーイ!をやって終了。

楽しい時間はあっという間だ・・・。

みんなで記念撮影しましょ!

Buzzのお兄さんは来週アジア大会なんですよ〜!

ドッヂビー、みんなで遊んでね!

 

これにて子供達は解散。

それぞれの地域へ帰るバスに乗り込んで行く。

みんなでバスを見送ろう!ってことで、全員並んで見送る。

ホントに、笑顔を、元気を、ありがとう・・・。

被災地に訪れた人達は皆が言う。

「逆に元気をもらった。」

この言葉に偽りは無い。ホントにそう思える・・・。

Buzzの4人。遠いところ、ありがとうございます!!

またな〜!!

陸上競技場をバスが行く・・・。

学院大、走っておっかける・・・(笑)

 

最後に関係者でまた挨拶をして終了。

Buzzはディスクとポスターにサインをして学院大の子にあげてた。

新勧の時に使えばいいんだよね、そういうの・・・。

何か、気付けばBuzzのメンバーは着替えに行ったまま、そのままお帰りあそばされたらしい。

ちゃんと挨拶出来なかったなぁ〜。

あ、俺も記念撮影するの忘れてるし・・・。

大失敗だなぁ〜。せっかく来たのに。

ドッヂビーの片付け♪

何で1人だけおいしい思い??

 

俺は学院大の子が着替え終わるまで、鈴木先生と話したりした。

鈴木先生は、あくまで子供達の運動の機会を増やすのが目的で、ディスク普及ではない。

だから、互いがWin-Winの関係になれればいいと言う感じだ。

でも、今日一日ディスクと触れ合って、その可能性(自分の目的に対して)も凄く認識が変ったのではないだろうか。

いろんな意味で、ホントに深い1日だった。

学院大生も貴重な体験できたし、ホントにいい思い出になっただろう。

幸せだな、おまえら・・・。

学院大メンバーで記念撮影!

 

さて、撤収してからも結構バタバタした。

ちょうど帰宅時間で道路が混んでいたが、俺は何とか今日中にタイヤ交換したかったのだ。

かと言って・・・、自分でやる気にもならないし。

HONDAは予約でパンパンらしいので、美樹ママの顔が効くタイヤ館で換えることにした。

帰り道にあるので、そこに美樹ママ号にタイヤを積んで来てもらい合流。

タイヤ交換始まったとこで、俺は美樹ママ号に乗り換えて一足先に帰宅。

俺はどうしても今日中にマッサージに行きたかったのだ。

背中と腰が悲鳴をあげている・・・。

俺が着替えてる間に美樹ママが追いついて帰ってきた。

再びタイヤ交換したばかりのCR-Zに乗ってマッサージへ・・・。

ふぅ〜、何とか全部こなせたぜ・・・。

明日からまた仕事だぁぁぁぁ・・・。

 

Dec.30.'11.

晴れたり雪降ったり。

今年も残すとこ、あと2日・・・。

一昨日の午後から冬休みになったが、今までの反動か、スーパーぐうたら生活・・・。

太るな、これは・・・。

食っちゃ寝、飲んじゃ寝。

まぁ、俺の中では2011年はぐうたら終わることになっていたので・・・(いつ決めたんだ?)、

今日と明日はぐうたらしようかと思う。

元旦もぐうたらだけどなぁ〜♪

ホントは天気良ければ、今日あたりどっか行こうかと思ったが・・・、昼過ぎは吹雪みたいになってたしね。

のんびり過ごしましょう。

大量のぎんなんを美樹ママが剥く。

臭い・・・。

 

夕方、床屋へ行った。久々に外に出たなぁ〜。

髪が短くなると寒いね・・・。

夜は寿司を買いに行ったはずなのに、パッと見で豚しゃぶに変更〜。

あ〜、太るな・・・、これ。

そうそう、仙台のキリンビール工場が再開して出荷したビール買った。

ちゃんとラベルが違うのね♪

右が元気!東北ヴァージョン♪

箱にはメッセージが入っている。

 

 


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