今年(1999年)NHKで3回ほど教育をテーマとした討論番組を放送した。
1回目は教師、文部省、生徒を交えた15時間にも及ぶ番組であった。
2回目は1回目の放送を受けて視聴者からの声をテーマにそれぞれ議論が行われた。
3回目は教師達の討論会であった。

3回の放送を見て私が疑問に思ったことは、なぜか暗黙のうちに教育現場が前提としている事柄があることである。

1つ目は授業が生徒達にとって楽しいものでなければならないという前提。 
2つ目は教師が生徒と近い立場で交流しなければならないという前提。 
3つ目は生徒が教師や教育方針に信頼を寄せるべきであるという前提。

これら3つの前提にふれられることは結局なかったように思われる。各項目について詳細を述べよう。

まず1つ目、なぜ授業は楽しくなくてはいけないのか。この討論会ではなぜ授業が楽しくないのか。どうすれば楽しくなるのか。そんな議論ばかりだった。それなら教師達に言わせてもらうがあなた方は子供の頃授業が楽しかったか?私が中学生だったのはたった10年前のことだが、少なくともそのころの生徒の大半は授業をつまらないものと感じていただろう。それでも我慢して、あるいは何とはなしに授業を受けていた。授業とはそういうものであっていいと思う。授業とは知識を教えるためだけのものではない。小学生は45分、中・高生は50分、大学生は90分、という決められた時間その場にいて人の話を聞き続けるという困難を体験させ、忍耐力を身につけさせるためでもあるのだ。したがって、生徒達が授業を聞かないからといって授業内容を変えることは目的に反する。授業を聞くようにしつけるべきだ。生徒が数十分の時間授業を聞けるようになり、生徒達が授業のどこに問題があるかを提案できるようになってこそ授業内容を検討する価値が出てくると思う。

2つ目は教師が生徒に交流を求めすぎているのではないかと感じたことだ。教師とは生徒からある程度距離を置いて生徒を見守っているという状況がもっとも健全な教育現場といえると私は思っている。生徒が必要としているとき教師の対応が悪いと、マスコミや父兄にたたかれる。したがって必要以上に子供の世界に入り込もうとするのではないだろうか。子供というものは本来身勝手なもので、自分が助けを必要としているときは周りに助けてくれる大人がいてくれることを要求するが、自分で問題を処理できる余裕がある時は大人に自分の世界に入ってこられることを嫌うのである。生徒が大人を必要としているかどうかを教師が判断することは現実には不可能である。親でもなかなか分からないのに、他人に分かれというのは理不尽というものだ。したがって教師が教師1年生から中間管理職のような役割を与えられる制度である限り教師がいきなり子供の世界に入り込むことは危険である。人間には他人に犯されたくないテリトリーが動物的本能として存在している。まず教師はそれを良く認識しておくことである。そして多くの経験を積んでから担任として生徒に接するということをしなければ、結局教師の側が批判の対象となってしまう。

3つ目は2つ目の問題に通じるものがあるが、生徒達は普段決してすべての教師を信頼してなどいない。これは現在も過去も同じだろう。このことが問題だとは思わない。これは自分が本当に信頼している人間が何人いるか考えればおわかりだろう。また、自分が本当に信頼している人物のことを考えれば、自分がいかに信頼に値しない人物であるかが分かるだろう。それなのに生徒には信頼を求める。いかに理不尽なことか想像に難くない。子供達にとっては信頼する大人が近くに1人いればよい。それが教師である必要は全くない。

私が思うに教師は教師以外であってはならないと考える。それに対して批判が多いかもしれないが、そうでなければ教師の責任範囲が曖昧になってしまう。生徒が悪いことをしたら毅然とした態度で生徒をしからなくてはならない。必要ならば体罰もすべきだろう。教師に対する無責任な批判は意に介する必要はない。教師が体罰に慣れれば事故も起きなくなるだろう。そういった意味で教師には訓練が足りない。どんな優秀な人でも管理職になるには5年や10年はかかる。少なくとも教師にだってその程度の訓練期間が必要なのではないだろうか。せっかくチームティーチングという制度があるのだからこれを大いに活用してもらおう。若手教師はベテラン教師について教師としての勉強をするのがよいと思う。そこで5年なり勉強してから担任として一人立ちさせる。これこそ健全な組織という気がする。まあこれは無責任な提案でしかないけれども、教育現場を変えるとしたら、教師の育成方法と、評価方法だろう。教師が教師でなくなりつつある現状を改善することが急務である。教師とは生徒をしつけ、学問や知識を教えるために存在しているはずなのにマスコミや親の批判をおそれて生徒をしつけることをためらい、やはりマスコミの批判により知識を教えることが優先度の低いものになりつつあるような気がする。文部省にはぜひ世論に振り回されることなく、「20年後、世界はこうなっているだろうから、日本にはこういう人材が必要である。したがってこのような教育方針で行く」といった明確な目標を示してもらいたい。

1999年2月20日