京の茶漬け、高松の熱燗

「京の茶漬け」(きょうのちゃづけ)からご紹介しましょう。
まず、「京の茶漬け」とは?
実はあまりいいコトバではないのです。京都の人間に、非常に「しまつ」な人が多いというたとえなのです。

「しまつ」とは、以前このページでも紹介したように、「けちんぼ」のことです。
京都の家に訪問しても、めったにお茶なんか出ません。
そこで早々においとましようとすると・・その、帰りかけた人の背中に向かって・・

「まあまあ、なんにもおへんのどすけど、ちょとお茶漬けでも・・」

と、声がかかるのです。
必ず、帰り際にかかるのです。

つまり、はじめからお茶漬けなんて食べさせる気はないのです。
単なる社交辞令なのです。
それを鵜呑みにして、「そうですか?では、ごちそうになりましょう」なんて言ったら、恥をかきますよ。

「京の茶漬け」では、その茶漬けをなんとか食べてやろうと、大阪からわざわざやってきた人の話しです。

高松の熱燗というのは、その落語の枕に出てきます。
昔、高松では、帰ろうと立ち上がろうとする人に向かって、「まあまあ、あつかんで。あつかんで」と、言ったそうです。

そこで、「熱燗」が出てくると思っていつまでも待ってた人がいるそうです。

もちろん、本当の意味は、熱燗ではありません。

「ほんとになんにもお構いできませんで・・」てな意味ですね。

実に日本語は難しいと思います。

このページを読んで下さる皆様にも、
「なんにもおへんのどすけど、ちょとメールでも・・」


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