山崎 雪子編
  

「橙」合同歌集より 楠本 照美氏選歌   「橙」合同歌集 解説 山崎 雪子


青木綾子 浅間澄子 一氏冨美子 植田和子 上山良子 内村喜美子 宇都宮君惠 奥村美津子 河内冨美子 北得カヨコ 駒居和子 近藤喜久子 坂井千尋 佐久間淳子 桜井寿美子 篠木夏代 清水美知子 鈴木彩子 関野昌子 高松美津枝 竹内節子 竹内ツルエ 武内まち 田中寿子 田中靖子  西川絹子 西野貞子 野澤正子 林和三郎 藤垣禎子 夲庄美智子 正岡美智子 松井敬子 水江顕子 森永道子 森本明子 森本智江 森本良子 森洋子 矢野清香 山嵜絹代 山田和子 吉田うた 我妻ひろ子

「橙」合同歌集より

楠本 照美氏選歌

青木 綾子

指先に集められたる我が魂(たま)が筆の穂先を立てて走りぬ

ほつかりと真白に浮かぷ夜桜は醜(しゅう)も憂(うれい)もみな包みたり

浅間 澄子

待つわれを認めし少女はしなやかな足に駆け寄る木洩れ陽の道             

来し方を共に語りし日のままに母しのばせて萩の花咲く

一氏 富美子

書くことのなくなりし亡夫の名寂しみて時折書きぬ 重雄と書きぬ            

さりげなく励ましくれる友がいて明日を生きるが楽しくなりぬ

植田 和子

二歳半 ”すいたばあちゃんまたあそぼ”やっと話せる電話のむこう            

裏庭の桜椿と色あせてムスカリラベンダ我をなぐさむ

上山 良子

譲生日に「何歳になったの」と孫に聞かれ六十六歳は逆さに言えず            

鹿を見る夫の眼やさし紅葉の奈良公園を添いつつ歩む

内村 喜美子

あまりにも鮮明に見し亡夫(つま)の笑顔夜半に目覚めて鼓動止まらず

忘れ得ぬ淡き想いは特攻の君が別れの長き敬礼

宇都宮 君恵

接吻とはいかなる味かとふと想う春の朧の落日の中

空襲の火の海泳ぎ来たりけり下(くだ)りの坂はゆるやかにあれ

奥村 美津子

「よくなるから泣かなくてもいいよ」と優しく吾が背さすりし夫逝きませり         

汗ぬぐう振りしてそっと涙ふくお寺への道涙こぽるる

河内 富美子

とんぽ追う絵本はとおき日を呼びぬつい口ずさむ「夕やけこやけ」           

「熱燗(あつかん)を」亡夫の言葉もとおくなり木枯らし一番身を吹きぬける

北得 カヨコ

ぼたり落つ椿にも耳を傾けてひそかに待ちぬ君の足音

プレゼント解かれしリボンの皺のばす貯めて何するあてがなくても

駒居 和子

決断はやはりあなたに後れますあなたはO型わたしA型                      

三つほど気に入らぬこと続きしゆえ貝になり居しが泳ぎに出でぬ

近藤 喜久子

哀しやと秋を知らせる風が吹き 普通に生きる難しさ知る

呆けたよと言えば 呆けは自分でわかるもんじやないよと孫に言われる

坂井 千尋

出窓みな人形占めて我が部屋は終(つい)の棲家(すみか)の住み心地つく                     

間違いて我がセーターを着し夫にシャッタ一押しぬ似合わぬでもなし

佐久間 淳子

沈丁花の香りほのかに漂えり春の光のこぼるる道に                     

(かど)の辺に坐れる老女にほほえみをひとつ残して秋の街ゆく

桜井 寿美子

蝉のごとく殻脱ぎ捨てて翔び立とう愛しき人を逝かせて五年              

亡夫の顔おぽろおぼろに浮かぴきぬホテルロビーで娘を待つ時に

篠木 夏代

草苺赤く熟れれば疎開先での亡き子の思い出悲しく甦る

水無月は飛魚の季 一夜干し好みし亡夫(つま)に小骨ぬきやりし

清水 美和子

青く透く指輪の石の秋の灯に煌めく見つつ茶の間にひとり                  

暑き日の漸く暮れぬ一日だけ秋に近づくと花と語らう

鈴木 彩子

祝宴が終わりし家のテーブルに母が折りたる二羽の折鶴

薔薇の香の練り込められし石鹸もひとつの存在冬の浴室

関野 昌子

ニガウリの棚の合間に虹見えて見知らぬ子等に声を掛けたり                

「アーアー」と言葉にならぬ嬰児の声電話向こうに聞こえて「晴れ」

高松 美津枝

茗荷(みょうが)の苗若芽の出でて花開き芳香は母を思い出させる

中庭に早々咲きし長寿梅その名の通り夫の生きませ

竹内 節子

名月に飾るダンゴが食べたくて月の出を待つ三歳の孫                      

祭壇に飾られし母にこやかにいつもの姿で我をみつめる

竹内 ツルエ

雑踏の中の一人はさみしくてふと有りもせぬ顔探しいる                    

眼鏡一つで景色が変わる理(ことわり)に希望という名の眼鏡を探す

武内 まち

言いそえる−つの言葉さがしつつ風花の舞う京の街ゆく                       

髪少し短く切るを見つめいる鏡の中のわたしも私

田中 寿子

春浅き道頓堀の雑踏に誰落とせしか白さハンカチ                       

紅葉散る三千院の庭静か羅漢が笑顔でこちら見ている

田中 靖子

静かすぎるとそっと覗けば微睡(まどろ)める座椅子の夫は小さくみえて              

母と二人伊勢路の旅のアルバムをめくりてひとり心旅する

西川 絹子                  

花吹雪頭上に舞いてわが胸の哀しみ解かし宙(そら)に消えゆく                      

ささやかな事に喜ぶ夫のいて吾が幸せもふくらみてゆく

西野 貞子

白萩の季に先がけて咲き初める日々の生活を精一杯に

夫がむく柿食卓の華となり更なる語らい深夜に及ぶ

野澤 正子

あまやかに薄むらさきの恋心 リラの香りに出逢う町角                    

ビル街の切りとられたる天空は届かぬ窓か井戸の底(そこひ)

林 和三郎

挿し芽せしアンドロ今朝は花ひらく 花見つつひとりワルツを踊る          

高齢のわれとしっかり手をつなぎ妻も九十路の年に近づく

藤垣 禎子

優しさと気力の衰え混じり入る父に深き情(こころ)の母美わしく                     

「又次もね」とあなたの心に予約して福岡空港で旅は終わりぬ

本庄 美智子       

リモコンを夫(つま)の手許に置きなおし食器洗いの水栓ひねる                     

人形とただ二人居ていつしかに語りておりぬ語れぬ思いを

正岡 美智子

八重に咲き一重に咲きし寒椿君なき庭に今朝も佇む                     

敬老の祝いの舞はたおやかに白足袋に秘す恥じらいと夢

松井 敬子

亡き夫(ひと)の甚平さんひょいと羽織るそこらあたりに在るがおかしく            

「まあ聞いて」あの世の人に話し掛けわが弧(ひと)り膳一本つけようか

水江 顕子

亡き吾子よああわが息子はつ夏の木立の青葉見上げ眩しむ              

明日からは優しくなろう紫の花穂を伸ばしラベンダ-揺れる

森永 道子

遠き日の時間駆け来て君と逢う桜桃の実の甘くすっぱく                      

滞れそぼつ濃きむらささの紫陽花の色の深みに夫を思うかな

森本 明子

呼びかければ群れより離れて近づきぬ物言いたけな片足の鳩              

二十日間点滴責めより解放され又生きられるいつも通りに

森本 智江

「良い色に炊けたわ」と祝う赤飯は八十二歳夫の誕生日                      

茹で上げてほとばしる水にさらす麺 するりと指の間を泳ぐ

森本 良子

「由枝ちゃん」息子の嫁に呼びかけて「良ちゃん」と呼びくれし舅の声なつかしく

「みる」という文字十三通りもあるという私何を見てどう生きるのか

森 洋子

大橋を見ようと我をバス旅行に誘いし夫は眠りて渡る

幼き日亡母(はは)と坐りし石段は今も温かり冬の陽あびて 

矢野 清香

クラス会無沙汰つづきの此の頃とせめてもの賀状を懇ろに書く                  

まあまあと己を甘えさす我のいて苦い思いの夕暮れの刻

山嵜 絹代

八重桜の蕾ふくらむその下の始発電車で始まる一日                          

あるがままに生きることの和(やわ)らぎは病からの贈りもの風そよぐ小径

山田 和子

赤きマント長きをまとい踊る騎士聖ちゃんも踊る旅終わる夜                   

八十年雨の日嵐の日も過ぎて来ぬ今は静かに生きてありたし

吉田 うた

黄な水仙花咲き競う庭先に春のしるしの細き雨ふる                       

歯車のあわぬ違いは微妙にて人の賢さ人の愚かさ

我妻ひろ子

人間(ひと)はみな寂しがりやと刈萱の枯生を風に吹かれて帰る

たった一人降りたる無人駅(えき)にパラソルをかざす一瞬蝉鳴きたちぬ

                    

「橙」合同歌集

解説 山崎 雪子

 私達の短歌結社「橙」は、過去に二冊の合同歌集を出している。昭和六十一年(一九八六)と、平成六年(一九九四)とである。大体七年ほど間を置いている。今回もだれ言うと無く合同歌集を出しましょうということになって、この歌集となった。やはり七年の間を置いている。七年というのが、「橙」の人達の一区切りなのかも知れぬ。ちょうど時も、西暦二〇〇一年、新世紀の初めである。この時に皆の心が通いあって、このような合同歌集の出版となることは、私としても本当に嬉しいことである。第一歌集は二十一人、第二歌集は三十九人、今回は四十四人と、漸次参加人員の増してきているのも有難いと思う。                 


 この度のこの四十四人の方の歌を見た時、私は不意に、六・七年前に来日されたベティ・フリーダンの「THE FOUNTAIN OF AGE」(=年齢の泉「老いの泉」)という上下二冊の本を思い出した。帯に「年を重ねることは希望に満ちた冒険である」とある。序文の一節を次に紹介する。

 私は、社会における老人像と、私達が実際に知り、感じているあるがままの「私達」との間に決定的な違いがあるのを発見した。その老人像は恐ろしい現実を写し出し、しかもそれを私達に押しつけている。そのイメージを壊すために、まず私達が理解しなくてはならないことは、なぜどのようにして、そして誰によってそのイメージが永続化されてきたのか、ということである。さらにそのイメージと合致しない新しい可能性と方向性を、個人としても社会としても、みてとることも必要である。老いについての虚と実、神話と現実を見極めようとする私の探求の原動力となった数々の問いに、私は答えをみいだした。そしてまた、おそかれはやかれ、私達の誰もが経験しなくてはならない老いの旅に、新しい意外な可能性を切り開く旅として、私達自らの手でつかみとることが出来るさまざまの選択肢があることも発見したのである。(西川書店発行「老いの泉」上巻二四頁)

 この合同歌集は、年とった人も若い人も、それから夫を亡くされた方も、ご一緒にご夫婦ともに歩まれている方も、胸の中に滾々と湧く泉を持っているということを示している。ひょっとすれば、短歌を創るということが、自己の心を見つめてゆくことであるので、幼時から持っているその泉を、涸らさずに、なお深く滑らかにしてゆく由縁かも知れぬ。                 


 今回の合同歌集の中には、若い方もいらっしやるが、第一回目の合同歌集から参加の方もあるので、最初の合同歌集では、四十歳代・五十歳代の方でも、現在では六十歳代になっていらっしやる。だから、社会から或は家族の方からは、高年齢者として待遇されていらっしやるかも知れぬ。しかしその方々の歌を見ていると、そこから滾々と湧いてくる何かが見えて来るのである。そして、それが読者に魅力として追ってくる。また、ご夫婦連れでそのような自己の胸の中の泉を汲み上げていらっしやる方もある。また、若い方は若い方で、ステレオ・タイプになっている様々な観念や常識を追い出して、その後に見えてくる新しいものをイメージとして、私達の前に置いてくれる。嬉しいことである。

 四十四人の人の歌を見ていると、現在の社会は、その地域完結型の生活空間は、もはや存在していないということに気付く。自分を巡る小世界の抒情にとどまることがなく、広くグローバルな現実に、社会に、視野が向かっている。嬉しいことである。しかも、それが自分の足元を見つめることによつて、感覚として、表現されているから、私はとても素晴らしいと思う。人間は感覚で知ってからその後に意識と理解ということが出来てくるのである。

 歌を詠むということは、感覚をとりとめることだ。そして、「今」を新鮮にとらえ直して、自分を見つめて、自分と事物との関係や、かって、そこに生きた人間の心や、或は自分を取り巻く人と人との関係を、三十一文字にして、自己を発見してゆくことだ。そうすることによって自分が豊かになり、同時に生きてゆく人間の心が奥深くなってゆく。


 この合同歌集を上梓するに当りまして、短歌研究社の皆様、押田晶子様や校正して下さった方々にはいろいろ御配慮を頂きました。厚くお礼を申上げます。

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