「源氏物語」と「宇津保物語」 

 「源氏物語」を読んでいると平安貴族は、歌と恋とだけの、優雅な生活と思われるが、「宇津保物語」の中の貴族たちは鷹狩とか競馬とかポロとかの男性的なスポーツを日常の習慣としている。又、高級貴族でも、特別の必要の際には裕福な友人に乗用車の借入れを申しこんでいて、「源氏物語」のように、どの貴族も自家用車を車庫に何台もずらりと用意してあったわけではない。彼等は宮廷内でさえ博打や賭碁をやって、負けて礼服を巻き上げられたり、佩刀を質に入れたりしている。当時の首都には既に六百人もの組織的暴力団が存在し、注文に応じて、誘拐や殺人などを請け負っていた。

 「紫式部日記」でも、宮中にまで群盗が乱入し、女房たちの衣類を引き剥ぐというような事件が起こっているし、皇居の外の都大路には病死者が放置されて、悪臭を立てているような現実があったが「源氏物語」のなかには、そのような「物の哀れ」の美学に反する情景は一ヶ所も出てこない。

 「物のあわれ」の人生観を教養として修得し、宮廷女性となった紫式部の目の前にあった「社会生活情景のパノラマ」の手本としてあったのが「宇津保物語」である。彼女はこの未熟な小説を読みながら、それを乗り越そうという欲望に駆り立てられたに相違ない。そして彼女は抜目なく「宇津保物語」の中で自分の作品に役に立ちそうな挿話などを巧妙に剽窃している。「宇津保物語」から”盗んだ”部分は、「雨夜の品定め」「絵合せ」長谷寺の玉鬘」「空蝉と軒端荻の囲碁」、それから「末摘花」「源典侍」、そして妻妾たちを一ヶ所の邸に集めた六条院、さらに江戸の学者はのことにせよ、のことにせよ、手習のことにせよ、車争いから、すべて原拠は「宇津保物語」にあると指摘している。

 現にもし、今あげた幾つかの「宇津保物語」から貰った場面がなかったら、「源氏物語」は今より遥かに魅力の少ない小説に終ったことは間違いない。紫式部は自分自身の中ではすべてを消化して先輩の作品から借りたものだとは、脳裏から完全に掻き消えていただろうし、源順かだれか「宇津保物語」の作者は、この巧妙な剽窃者を「天才だ」と許しただろう。

 紫式部は「宇津保物語」の未熟さ、形式的な不整合や、人物の肉付けの不足や、筋の展開の不器用さや、その趣味の粗野さを変え、枝、葉と共に「物のあわれ」の上に「源氏物語」を書いている。「宇津保物語」の中では、現実は身も蓋もない、露骨な世間の眼で、あらゆる夢を引き裂いて観察されていて、恋愛というような、夢に近い感情も色欲と嫉妬に還元されているのだが、「源氏物語」においては、作者の関心は正に、眼に見えない、そして存在そのものも定かでない、”恋愛”に集中している。 


その他の「源氏物語」の素材、典拠

「竹取物語」 書名は、「蓬生」「絵合」「手習」などの各巻で見える。人物形成や構想には「玉鬘」。(かぐや姫求婚譚、玉鬘が多数の貴公子から求婚される。)「光源氏」と「かぐや姫」ともに理想的、美しい名。

「伊勢物語」 表現、構想、人物などに多大な影響を与えている。(若菜「北山の垣間見」などは「初冠」。業平と二乗の后の恋は光源氏と藤壷。業平像と光源氏像。等)

その他「蜻蛉日記」は女性像。(結婚生活における愛のあり方に苦悩する女性)日本紀(日本書記の略称という)「蛍」の巻の物語論で光源氏の言葉の中。

漢詩文、中国史書では

白楽天の「白氏文集」を好み「長恨歌」では「桐壷」「葵」「幻」の巻。(桐壷の更衣、葵の上、紫の上の死を哀傷する場面に活用)

「史記」「魯周公世家」の周公旦の言葉の(「文王の子」「武王の弟」)は「賢木」。

「史記」の「后妃伝」は「薄雲」。(秦の始皇帝が荘襄王の子として即位したが、実は臣下の呂不韋の子であったという点)

和歌では

勅撰集として「古今集」「後撰集」「拾遺集」の三代集や多くの私家集「伊勢集」等。

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