現在、ブレッチリー・パークにあるビクトリア朝邸宅風の建物は記念館となり、広い敷地内には当時のままに作業棟が残され、暗号解読機械や図表が展示されている。人目をひくのが、英国が「世界初の電子計算機」と自慢する「コロッサス」の復元機。
「コロッサス」は、ドイツが「絶対に解読されない」と豪語していた「エニグマ」暗号機、そしてそれより更に複雑な「ロレンツ」暗号機が繰り出して来る暗号電報を片っ端から解読するのに抜群の威力を発揮した。
チャーチルがブレッチリー・パークを「私のウルトラ・シークレット(極秘事項)」と言ったことから、解読情報は「ウルトラ」の名で呼ばれた。諜報畑を経験したチャーチルは、昼夜を問わず電話を入れ、最新の情報を求めた。日本の真珠湾攻撃の前日(12月6日)にも電話し、日本の最新の動向を尋ねたことが電話を受けた日本暗号解読担当者の日記に残っている。

ブレッチリー・パーク人脈の中で最も異色の人物。ケンブリッジ大卒。花粉症の彼は防毒マスクをかぶって自転車で出勤していた。彼が考案したチューリング・マシンはコンピューターの原形といわれ、今日の情報工学の基礎を築いたと言われる。連合軍を勝利に導いた功労者でありながら、戦後、不遇のまま研究生活を送った。当時は反道徳的と見なされた同性愛者であったためにささいな事件が原因で自殺に追い込まれた。彼の悲劇的生涯は劇化され、日本でも劇団四季が昭和63年秋「プレイキング・ザ・コード―暗号と道徳を破った天才の物語」の題で上演、衝撃を与えた。

何故、日本と米英の暗号解読力にこれだけの差がついたか
この「暗号」著者 辻井重男中央大学教授は「情報感度、情報文化力が低かったこと。日本人の個の弱さ、情に流されやすいことにも原因があった。抽象的概念を形成する能力に欠けた。それと昭和になって日本軍人が傲慢になったことが挙げられる。情報分析には謙虚さが必要だから」と語る。
「国家としての情報・暗号政策に対する彼我の姿勢の相違は、現在の日米両政府のそれにも反映しているようにも思われる。
第二次大戦中、暗号に関わり、今は故人となった人々の話を書こうと思ったのが、昭和50年代。当時は地元の図書館をはじめ、上京しては国会図書館、恵比須の防衛研究所図書室、中野区役所等に通い、資料を集めておりました。今のようなホームページもインターネットも知らない頃で、公表する気持など無く、ただ故人の話の内容確認、自己の記憶確認、それらを書き残すのが目的だったのです。後になってもっと深く、掘り下げて資料の調査、又、出典の記録の徹底をすべきだったと後悔しておりました。偶然古い新聞(読売)の中で見つけた暗号の記事が私の持っていた資料と合い、とても刺激され、このホームページを書くきっかけとなったのです。最近、年齢に関係なく第二次世界大戦中の暗号に興味を持つ方も多くなりました。最後になりましたが、国際短期大学で「戦時中の話を」と申し込みましたら気持ちよく承諾頂き貴重な話を有難うございました。
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